ナポレオンの死因は末期癌であった。

 John Feng 記者による2021-5-5記事「China Reveals Multiple Double Mutant COVID Cases in Country」、。
   中共政府が認めた。二重変異株の新コロにインドで感染して帰国した者が先月3名いたと。
 この帰国者たちは20代から30代で、ニューデリーの南東にある市の携帯電話工場のプラント建設に2019年から従事。このたびネパールにも3日間出張して、4-21にニューデリー空港から重慶に戻ったところで、感染発覚。
 N95マスクなど感染防止服装を厳重にしていたのに、それでも感染したらしい。

 先週、中共の感染学者の長老が、複数の都市ですでにインド型変異株の患者がいると明かした。しかし都市名は伏せられている。

 次。
 NED POTTER 記者による2007-1-18記事「What Killed Napoleon?」。
    ナポレオン・ボナパルトは1821-1-17に死亡した。

 ナポレオンの主治医は、死因は胃癌だと報告している。
 しかし過去200年間、いろいろな人が「毒殺だ」と主張して止まない。

 たとえばナポレオンの髪の房が残されており、その中に砒素の含有が認められたという。
 またナポレオンの従者の日記も毒殺を裏付けるという。
 1840に遺骸を掘り返したら、その状態が良好だった。毒に浸されているからだといわれた。

 事実はどうなのか。

 セントヘレナ島での最後の6ヵ月、彼は病気であった。主治医のフランチェスコ・アントマルキの報告。患者は強い胃の痛みを訴えている。むかつき・嘔吐。寝汗。そして逐次に弱っている。

 解剖所見もある。フランス人も陪観していた。ナポレオンの胃は、コーヒー滓のような黒い物質で満たされていた。胃の中の一方から反対の端まで癌が大きく成長していた。

 胃腸上部位からの出血が、死の直接因だろう。

 ナポレオンの遺髪からは通常の38倍の濃度の砒素が検出されたという。これは最近50年くらいの所見である。
 ところがナポレオンの1805年当時の髪の毛も伝わっていて、それを調べたらそこにも砒素が……。

 もし誰かが毒殺をくわだてたのだとしたら、それは1821よりもずっと前からだということになる。
 ちなみにワーテルロー敗戦は1815である。

 パリ警視庁の毒専門家いわく。髪の毛からみつかった砒素は、ワインおよびヘアートニック由来であろう、と。
 そして1800年代前半においては、砒素は梅毒の治療によく使われた。ナポレオンも一穴主義の人ではなかったであろう。

 砒素によって毒殺された人の皮膚や手指の爪は真っ白になるといわれているのに、死体所見にはそんな記載は無い。皮膚の色は普通だったのである。

 ナポレオンが着用していたズボンが12着、全欧各地の博物館に伝わっている。うち8着がセントヘレナ時代のもの。その寸法を調べた結果、ナポレオンのウエストは、死の直前の6ヵ月間で、43インチ〔=109.2センチ〕から38インチ〔=96.5センチ〕に縮んだことがわかった。

 ナポレオンの身長は5フィート2インチ〔=157.5センチ〕だったといわれている。
 そこから推定して、ナポレオンは最後の半年に体重を30ポンド〔=13.6kg〕減らした。

 このことも胃癌死因説を補強し、砒素毒殺説を斥ける。