豪州軍が採用したのは、電動自動二輪ではなく、電動アシスト自転車だったで御座る。

 Belmont Lay 記者による2021-10-7記事「Australia army introduces e-bike for outfield stealth missions」。
    豪州軍が「eバイク」(電動アシスト自転車)を採用したと豪州国防省が公表したのは10月6日のこと。ユーチューブでその模様を確かめることができる。ペダルがはっきりと映っている。

 それを吐き出している8輪戦闘偵察装甲車「Boxer」は、ドイツとオランダが開発した。豪州軍は2019年から受領しており、2026年までに211両取得する予定。

 豪州軍は2022までこのeバイクを試用し、2022に方針を確定する。

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 メーカーHP。
  ※このeバイクの商品名は「Stealth B-52」というらしい。それをメーカーのHPで調べてみた。

 電池は、2.0キロワットアワー容量のリチウムイオン。
 ピーク出力は6.2キロワットである。
 満充電は3時間で完了する。110ボルトもしくは240ボルト。

 フロントサスは200ミリ、沈む。
 リアサスは250ミリ沈む。

 モーター駆動による最高速度は80km/hである。モーターは前輪のハブに位置し、前輪だけを駆動させる。

 ペダルの力は後輪に伝えられる。ギアは9段変速。

 車体全重は51kg。

 身長193センチ、体重120kgの大男でも、問題なく乗れる。

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 2021-10-10記事「At least 16 dead after plane carrying skydivers crashes in central Russia」。
    ロシア中央部のタタールスタン共和国でスカイダイバー多数を載せた「L-410」機が墜落。16人が死に、6人が重症。

 墜落時刻は現地の午前9時20分。離陸の直後であった。

 この機体は1987年に製造され、所有していたのは、政府系の義勇兵協会。
 このパラシュートクラブは世界でも五指に入る水準なのだと会長は豪語していた。

 一ソースは指摘する。重量超過だったと。
 「L-410」はチェコの「Let Kumovice」社製の、ターボプロップ双発輸送機。

 ※察するに、ローテイトの直後に首輪を格納したら重心が後ろに偏り、急激に機首上げ姿勢になると「お客」も後方に片寄ってしまって、もはや昇降舵によっては機首下げ不能に陥り、直後に主翼上面から気流が剥離、失速墜落したのか? 「L-410」は最新型であってもパイロット2名+客19人しか乗れないことになっているのに、墜落機は古い型のようである。今日の肥満したスカイダイバーらが主傘と予備傘にビデオに防寒衣類をまとって、リミットを超えてしまったのか。だがこれまでずっとその流儀で事故が無かったのはどうしてだ?

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 ストラテジーペイジの2021-10-10記事。
    インド空軍はダッソー社から中古の「ミラージュ2000」×19機を3200万ドルで買った。主として、部品取り用である。ただし完全に飛べる機体も8機、混じっている。

 インド空軍はかつて「ミラージュ2000」を59機買い、そのうち49機が現役。

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 AFPの2021-10-10記事「Green energy springs from abandoned UK coalmine」。
    イングランドの北東海岸にダウドンという炭鉱があり、1991年に閉山になっている。

 坑道の一部は海面下だから水びたしである。
 しかし、この坑道には地熱があることが昔から承知されていた。
 この地熱のおかげで、坑道内の水は摂氏20度に温められている。

 この貯留温水を一次熱源とし、そこに上水パイプをくぐらせれば、上水を加温することができる。
 さらに、最新のヒートポンプで熱交換させれば、上水を摂氏55度以上に加温することができる。これは家庭用ボイラーとして十分な性能である。

 地元の1500戸が、この温水の供給を、新プラントから受けられるであろう。2年後を予定。
 英国では、この規模での地熱利用の試みは、初である。

 グラスゴー市で来月、「COP26」サミットが開かれる。ボリス・ジョンソン首相は、2035までに英国のエネルギーをすべてリニューアブル・ソースに切り替え、2050には国家としてカーボンニュートラルを達成するとブチ上げている。

 地熱利用はシステム設置と保守管理のコストがそれなりに必要だが、天然ガス熱源よりも、安価に温水を供給できる。
 オール電化システムで熱水を供給するのと比べれば、地熱温水のコストは四分の一である。

 ヒートポンブは、それを作動させるために、電力供給が必要である。よって、カーボンニュートラルではないのだが、省エネであることは間違いがない。

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 AFPの2021-10-10記事「A.Q. Khan: Nuclear hero in Pakistan, villain to the West」。
   アブドゥル・カデール・カーンが新コロに罹り、イスラマバードの病院に入院していたが、日曜日に死去した。85歳。
 パキスタンの核武装国化を実現し、イスラム圏に初の核爆弾をもたらした。

 北朝鮮、リビア、イランに、カーンが核兵器製造技法を教えたと西側世界は糾弾している。
 この糾弾を承けてパキ政府は2004年にカーンを自宅軟禁。

 2006年に前立腺ガンと診断されたが、手術で快癒した。
 自宅拘禁は2009-2に解かれたが、外出するときはパキ警察の厳重な護衛付きであった。

 カーンは1936-4-1にインドのボパール市で生まれた。
 1947の印パ分裂のとき、家族はパキスタンへ移住。

 1960年、カラチ大学で、科学の学士。ベルリンに留学して冶金を修め、さらにオランダとベルギーでも学んだ。

 彼のミッションは、ウランの遠心分離機をパキ国内で設計・製造することだった。それがないと原爆級のウラン濃縮はできないのである。

 カーンは、当時オランダにあった、英蘭独合同の核技術合同研究機関である「ウレンコ」から、遠心分離機の設計図を盗み出した。

 カーンがパキスタンに戻ると、当時のブット首相は、立ち上げたばかりのウラン濃縮事業の主任に、彼を指名した。

 1978年、濃縮成功。1984年までには、最初の原爆装置を組み立てた。これはカーンの後年の回顧証言である。当時の世界はまったく把握していなかった。

 1988、核実験を強行。これは世界を驚倒させ、パキスタンは世界から経済制裁を受け、同国経済は暗転した。

 2001-3、米国政府からの圧力に屈したムシャラフ大統領は、カーンを「カフタ研究所」の所長から解任、カーンは一特別顧問の身分になった。

 1990にパキスタンの国際問題研究所で講演したカーンは、濃縮装置の部品を海外から掻き集めたと語っている。パキ国内で国産できる部品は限られていたのである。

 この発言についてムシャラフは、余計なことを話したとしてカーンを譴責した。

 2008に自宅でインタビューしたAFP記者に対してカーンは、この発言は、核兵器拡散の犯人がパキ政府ではなくじぶん個人にあったとする自己犠牲行為だったのだと答えている。つまり本当はパキ政府が拡散させていた。

 パキスタンではカーンは英雄であった。それでカーンはじぶんで政党を組織し、2012-6に111人の候補者を立てたが、全員、落選した。

 同年、ウルドゥ語の新聞に暴露した話も世界を震撼させた。カーンは、ベナジール・ブット首相(2007暗殺)の命令に従い、2つの外国に核技術を移転した、と語ったので。国名は明かされなかった。

 晩年のカーンは新聞に意見記事をたびたび寄稿し、科学的な教育が大事だと訴え続けた。