クローズド媒体は今の世の役に立っているか

 学生時代に日比谷の都立図書館へ行ったときです。雑誌コーナーの棚の上の方に『選択』という月刊誌が、箱にどっさり、という感じで置かれていました。
 「活字雑誌立ち読み王」であったわたくしもその表紙は見たことがありませんでした。しかし、日経(当時わたくしは図書館の只読みコーナーで大新聞の全紙に目を通していた。同じ外電をデスクによってどう加工してしまうか、その取捨の恣意的なこと、軍事についての「主情報要素」の選択眼を持っていないデスクが多いことを理解できたのもその頃だ)には、広告が載っていたかもしれません。
 すぐにブラウジングしましたら、軍事記事がソ連軍に詳しくてユニークでしたので、バックナンバーを溯って、そこにあるだけ読み尽くした覚えがあります。
 思えばこの雑誌、年間予約購読者以外には読ませない、中間マージンがかかる書店を通さない、したがって書店では誰も立ち読みができぬというクローズドな総合誌の嚆矢だったかもしれません。
 その後、大手出版社でもクローズドな専門雑誌を売るようになってきました。兵頭は家計に余裕無きためそういうのは未だひとつも契約ができませんが、たとえば新潮社では『フォーサイト』という、外国情報に特化した月刊誌を出している模様です。
 この05年1月号(たぶん04-12-15頃の発売か?)の読み古しを、“年末兵頭たすけあい運動”の一環としてたまたま食糧とともに恵んでくれた御方がおられまして、今朝、有りがたくそいつを読ませて戴きましたところ、これがなかなか感慨深いものがありました。
 たとえば11月のシナ潜のわが領海侵犯事件についての記事。なんと、江沢民の配下の暴走であると示唆し、急な針路変更も領海侵犯も海自のP-3Cのアクティヴ・ソノブイでおどかされた結果だと示唆してある。
 同趣旨の記事は、いま確認できませんけど、他の新聞や雑誌でも書かれてはおりませんか? むしろ3日後に発売された『新潮45』の方がエクスクルージブな価値はありませんか? いや、これ勿論自慢であって非難じゃないのです。と同時に申し上げたいのは、「いつでも誰によっても自分の書いたものがチェックされてしまう」という書店売り媒体の緊張感は、公共善にとって悪くないぜ、ってことなんですね。
 そうであってこそ、間違ったことを書いちまったときには、記者は後から恥ずかしくてたまらないわけです。いてもたってもいられなくなるんです。そこで「よしこれはもう一度、勉強し直しだ」とか発奮するわけじゃないですか。
 ところがクローズドな媒体であれば、かりに間違ったことを書いても、本人はそれほどコタエないと思うのですよ。これが「感慨其の一」。
 其の二はですね、な、なんと「三島返還」というオトシドコロを外務省が探っているというんですね。そんな話が『イズベスチヤ』の04-2-4に載ってたっていうんです。
 これがどうして感慨かと申せば、じつは兵頭は「三島返還論」を過去、二度ほど書店売りの紙媒体で書いているからであります。例によっていつどこに書いたかは忘れちまいましたが、熱心な読者の人は探してみてください。わたくしはそれを書いたあとでどんな批判が飛び出してくるだろうかと待ち構えておったんですけれども、まったく何の反応も無かったもんですから、すっかり拍子抜けした記憶はあります。なぜか忘れた頃になって上坂冬子先生が「千島全島を返しなさい」というキャンペーンをお打ち始めになりましたけどね。
 で、『フォーサイト』は、これがモスクワの情報操作だと書いてるんですけど、記者さん、そうではなく、兵頭の記事が収集されて、それが元ネタになってると思いますよ。
 感慨の其の三は、90年代半ばの「ミャンマー〜雲南パイプライン」構想をシナが復活させたっていう記事です。自慢話を三連発で続けさせて貰います。これについてはわたくしは80年代の学生時代に勝共連合の新聞に投稿した記憶がある。ただしパイプラインの起点はパキスタンのカラチ港でした。当時は「シーレーン防衛」をどうするかという中曽根内閣の頃で、わたくしは学部学生ながら「マラッカ海峡だけに頼るから脆弱なので、パイプラインを日本の援助でカラチから上海までつなげちまえば代替ルートになるでしょう」と提案してみたんです。すごい名案だと思っていました。けど、誰も反応はなかった。いちおう、渋谷の道端で売られていた新聞で、元気のいい旧軍人の寄稿も多かったんですけどね。同趣旨の話を、その後どこか別な媒体でまたしたかもしれません。
 しかし皆さん、考えてみてください。ミャンマーまで中東からタンカーで原油を運んでいくとすれば、ベンガル湾を横切らなきゃならないですよね。それだと、シナの仇敵のインド海軍に随時に制扼され兼ねないのですよ。だからビルマ・ルートは根本的に脆弱である。さりながら、今はもう米国がパキスタンににらみをきかせてますから、シナとしては他にオプションは考えにくいのでしょう。
 お話を「感慨其の一」にまた戻しますが、テレビってのはちょっと困った媒体で、後から「校正」ができず、編集は他人にお任せです。もし討論番組に出てスタジオで間違ったことを口走ればそのまま電波に乗るし、間違ったことを言わなくたって、編集の結果、意図せぬメッセージが送り出されるのかもしれない。
 ものすごく記憶力が良くて決して言い間違えをしない人か、さもなくば正確性のクレディットなどは抛棄してイメージ演出だけに徹するつもりの人じゃないと、出演じたいが公共善に反することになりはしないか? そう悩みつつ、以下に他人批判。
 防衛その他の専門家が、保守を標榜するテレビの討論会で、何人も続けて「核武装できない論」を滔々と語ったら、それは外国にどういうメッセージを与えるか、みなさん、考えておられますでしょうか。侮られるだけじゃないんですか? 敵国にも、また同盟国にも。
 テレビ討論にたとえ4時間以上の枠が割かれたとしても、視聴者に理屈などは伝わらず、イメージだけが伝わるのだと、わたくしは理解をしました。