フラッシュバックしますた

 数ヵ月ぶりに東京に出て、ギャラも出たついでに、バックパック一杯の本を渋谷のナントカ堂書店で買い込んで来ました。昔、地下1階に危ないミリタリーの本が一杯あったところですね。わたくしはあそこで兵器関係の洋雑誌を立ち読みするのも楽しみだったんですが、今はもう無いようです。5階の洋書屋もなくなってたなあ…。
 で、昨日、そのうちの一冊である、中川八洋先生の『日本核武装の選択』を読破させていただきました。これ、今年の10月31日に出てたんですね。しかも本文中にわたくしが登場しているではないですか。どうしてこの情報をいままで誰も教えてくれなかったんだ!
 なんで「チャンネル桜」は核武装討論番組に中川先生をお呼び立てしないのだろうと思っていましたが、あのはにかみ屋の先生がこうして名指し批判を公表しちゃった相手と敢えて同席されるわけないじゃないですか。納得しましたよ。しかし中川先生、こんどもしも機会があればですが、是非ひとつサシで対談ができることを希望しております。わたくし座談会は大の苦手ですが、先生との対談ならディープな話ができそうな気が致しますので。いや本当は今から数年前のたしか『発言者』の飲み会でしたか、お隣に座ってじかにお話を聞きたかったのですけど、当時まだわたくしは駆け出しでございまして、あまりに恐れ多かったもんですから、遠慮してしまいました。あのときこのご批判を頂戴できていたらなあと、残念に思います。
 以下は同書を拝読しての偶懐です。
 たいへん惜しいのは、中川氏はわたくしのように書店にお出かけになる元気をもうなくされていらっしゃるのか、なぜか95年の『諸君!』論文だけが取り沙汰されていることです。あれなんかはいまから十年近くも前、95年時点の平和ボケ庶民の精神状態にまず活を入れる目的で唐突に掲載してもらった文章ですから、えらく単純かつ理論的かつ極論になっているのはなりゆきです。それを好まない方もいらっしゃるのは予測できたことですけれども、どうしても一回あの「可能性」は出しておく必要があったんですね。じっさいインパクトはあったのです。
 中川氏がご新著の第三章後半でまとめておられる如く、NPT条約を1976年に批准した時点で日本人の精神は死んだも同然でしょう。それに95年になって活を入れようと思ったなら、少しは既存の大先生たちを不愉快にさせるくらいのパワーがなくては輿論は動きません。特に若い読者へのアピール力が出てこない。しかしそれでいったん読者の元気が上向いてきさえすれば、04年1月の拙著『ニッポン核武装再論』のような資料集的構成の方が、問題意識のある読者をより深く考えさせることができるかもしれません。
 その04年の拙著では、中川先生の雷名はあえて明記せずに、中川先生の間違っておられるところも、いろいろと指摘をしてあるんです。いや、その前の何冊かの単行本でも、いくつか批判めいたことを書いていたかもしれません。わたくしは中川先生が、それらの所論を受け入れたが故に黙っておられるのだ、と、いままで思っておりました。
 しかし中川氏はそもそも拙著を一冊もお読みいただいていないご様子であると巻末注を見てこのたび了解いたしましたから、細かくてくどくてたいへん恐縮ですけれども、たとえば以下の疑問を、この場でなげかけさせていただきます。
 米国は、これまで英国以外の国に「トマホーク」巡航ミサイルを売った実績はありません。それをどうして日本が買えると思われるんでしょうか。
 「パーシングII」ミサイルは、米ソのINF全廃条約の結果、全量が破壊処理されました。これをもし米国が、日本に売る目的で再び製造を再開などしたら、ロシアもそれなりの対抗措置を取るとはお考えにならないのでしょうか。
 英国の運用する「トライデント」SLBMは、核弾頭と潜水艦は英国製です。そして当然、SLBMは「二国二重キー」では運用などできません。そもそも米国は、すでに核弾頭を国産することができ、原潜も建艦できる英国だから、潜水艦用の弾道ミサイルを売ってやろうかという気になりましたもので、核弾頭をさいしょから国産できもしないヤル気の無い国に、機密中の機密、ハイテク中のハイテクであるSLBMの運用ノウハウを供与するはずがないと、思われないのでしょうか。
 「すべての核兵器は核弾頭を含め米国に発注し購入する」(ご高著p.142)そうですが、わたくしの知る限り、米国は過去、核弾頭を他国に売ったことは一度もありません。どうして米国は、英国にも売らない核弾頭を、日本には売ってくれるのでしょうか。
 スカッドのような幼稚なSSMならばともかく、長距離弾道弾は弾頭を途中で筒体から切り離せば良いのですから、スペックの最大射程より近いターゲットに随意に照準できるとわたくしは思いますが、如何でしょうか。
 北海道沖から米国西海岸に到達せぬような射程のミサイルを持っていても、それではシナの奥地まで届きませんが、シナ奥地の攻撃はまたしても米国任せでいいのですか?
 カウンター・フォース戦略に立っているロシアが保有する核弾頭は、価値の劣る目標のために消費できるのでしょうか。「いつでも一千個以上の水爆を日本全国に同時投下する」ような態勢をとっていたら、対米、対支のカウンター・フォースの核資源配分が手薄になり、それはモスクワにとって「安全・安価・有利」ではないと思いますが、ロシアにはそんなにも沢山の核戦争資源があり余っているのでしょうか。
 西欧に配備された「パーシングII」は、それがモスクワに届くからこそソ連は競争を投了したのではないのですか。
 ソ連の戦略爆撃機から発射される核弾頭付き巡航ミサイルは航空自衛隊のAMRAAMで迎撃できるようになるだろうと、兵頭は『日本の防衛力再考』(95年刊)で書いたんですが、いまでも「日本にはAS-15A/B巡航ミサイルそのものを撃ち落とす能力はまったくない」(ご高著p.120)でしょうか。
 70年代後半のSS-20とバックファイアの展開で「米国の核抑止は崩壊」した(p.129)そうですが、ソ連の核兵器がじっさいに一発も行使されなかった以上、抑止は成功裡に継続していたとみるべきではないのですか。
 「フランスの主力核兵器SLBMは米国に万が一にも到達しないよう配備されている」(p.149)そうですが、ポルトガル沖からモスクワやウラル山地まで届くほどのSLBMならば、同じ海域からニューヨークにも届いてしまうだろうと思うのですが、いったいフランスの誰がいつそのような約束をアメリカにしましたか?
 MADの米国流の実践で、都市を耐核化しなかったのは間違った政策であると兵頭も思います。わたくしが神奈川大学の1年生か2、3年生だった頃(すなわち1984〜86年)、わたくしは『世界日報』紙上や『自由』誌上に、決して少なくはない数量の核戦略エッセイを投稿し、掲載していただいておりました。いずれもそれらは短文ながら、MAD批判はあり、ソーとジュピターとフランスを関連づけたINF史論はあり、ソ連の核弾頭付き巡航ミサイルへの注意喚起はあり、日本核武装論はあり、ずいぶん中川先生も密かにご愛読してくださっていたのではないかな〜と、当時の先生の御論文などを書店で立ち読みしながら勝手に想像を致しておりましたが(残念なことに今回のご高著の巻末注にはそれら80年代の無名学徒の拙きエッセイの名など当然ながら一つも見当たりませんけど)、2004年末現在の最近の知見からお尋ねを致したいのは、MADは過去から現在まで、有効に機能しているのではないのですか?
 日本と違い世界に対する責任を持ちようもない小国の韓国などに核武装させ(p.229)て、そうした小国が反日国家になった暁にはどうなるのでしょうか?
 SALTは69年の交渉開始いらい、米国の対ソ核優位の放棄政策であった(p.208)そうですが、じっさいには69年時点から終始一貫、米国に全般的・質的な優位がずいぶんあったからこそ、ソ連も交渉に応じ続けたのではないのですか。それとも米軍筋の宣伝を真に受けていらっしゃるのですか。
 「日本の核には米国を標的にするものに転用できるものは存在させてはならない」(p.197)と書かれていますが、小さな弾頭をコンテナやフェデックスで米本土に送り届けたら、米国は標的となっちゃうんじゃないのですか。
 中川氏は「日本には、米国から独立して、国家として永続していくための地理的状況も国力もないのである。これは“日本の天命”といってよいだろう」(p.168)と書いておられますが、まったく同意できません。
 だいたい自分の運命の主人になろうとせぬ者がどうして同盟者から信頼されるのでしょう。根本に、一国で自衛戦争をし抜く気概がないなら、米国の尊敬もかちとれやしません。中川氏にはこの根本がないのでしょうか。そしてまた、米国人のメンタリティに不案内なのではないかと疑います。
 いま英国が米国から信頼されているのは、「小国的な甘え」がないからでしょう。これも中川氏にはわからないのだと思います。
 あるいは中川氏は、人生のいちばん良い時代を捧げた「敵ソ連」が昨今無視されていることに、深層心理で抵抗されているんじゃないでしょうか。米国とともに日本がソ連と対決していたあの時代、あの世界に氏はなじみすぎていて、そのため昨今の北鮮発やシナ発の騒動に接して、あたふたしちゃってるんじゃないでしょうか。
 そこまではなんとなく想像がつくのですが、どうも分からないのが中川氏一流の「甘え」です。小国意識、他人頼み、「パーツ(部品)」志願の発想、「下士官根性」とも言うべき諸性向が、いったい氏のどこから出てくるものなのか、わたくしごとき若輩には、永遠の謎なのです。
 1980年代の中川氏はわたくしのヒーローでしたから、その方から書籍上でこうしてノーブレーキの御高批を蒙るようになったとは夢のようです。ついに本書のおかげで、昨日までは数ならぬ身でありし兵頭二十八も急に大物になったように錯覚します。
 いや、珍しく夜更かしをしてしまった。誤記があればあとで訂正します。
 ありがとうございました。