初春のおよろこびを申し上げます

 2005年からは年頭所感をこのコーナーで書けることになりました。
 いきなり年号表記のお話を致します。昭和35年生まれで記憶力が弱くなってきたわたくしには、「平成ナン年」がパッと出て来ないという悩みがございます。DATEで思わぬ間違いをすれば評論行為が成り立たぬおそれがありますので、さいきん昭和60年代以降の話は西暦で書くことが多くなって参りました。
 みずから「クリスマス」なんぞという耶蘇の土習に親しんでおられる方々が「西暦ハンタイ」を称えるのは滑稽ではないかとわたくしは思います。
 かつての「A.D.」には「基督神の支配後」の意味があり、露骨に西洋帝国主義だったでしょう。しかし、米国の歴史学系のウェブサイトをご覧になればお分かりになるかと存じますが、さいきんは毛唐の連中も、西暦を「広範普及共用暦」といった新時代的な意味に再定義して公用しているのですね。つまり基督教会とはもう無縁だと強調してるんです。それを使うのにわたくしは抵抗がないのであります。
 ただし平成生まれの若い方々には、是非「平成」の元号を使い続けられることをおすすめします。それは必ず世代の一体感を強化してくれることでしょう。そしてたぶんみなさまが44歳くらいにおなりになったとき、わたくしが「平成ナン年」が直ちに頭に浮かばないことがしばしばあると申していたこの辛さに、ご共感いただけるかもしれないと思います。
 さて今年は世界的な「近代的自由主義」と「反近代主義」の闘争から、前者のグループに属する日本国の改憲もしくは廃憲が迫られるに違いありません。
 「RMAパラドックス」によりまして、テロと反テロの「戦闘地域」は、もはや定義不能になりました。また、シナに「防空識別圏」が無いことがよく象徴していますが、反近代主義の連中には国境意識もございません。他者の権利を奪おうという欲求に、ほとんど際限がないのであります。
 他方、すでに基地や港を提供している以上、日本はアメリカのすべての軍事作戦に関して昭和27年いらいずっと後方支援国家であり、一体作戦の一翼を担っております。
 ではどうして日本列島の周辺の公海で米艦が攻撃されているというような場合にも「集団的自衛権」は行使しにくかったのか。
 これは、アメリカは選挙一発で「反近代主義」の連中(特にシナ)に軍事支援をし出すようなおそろしい民主主義国家ですのに、現行の日米安保は、日本側が友/敵を自由に選べる同盟ではなかったからです。
 要するに、アメリカが一方的に日本を保護する枠組みが戦後あり続けた。しかもそれは「5枚綴り証文」になっているので、ただ安保の内容を改定しようとしただけでは、どうにもならなかったのです。
 5枚綴り証文とは即ち、まず「ポツダム宣言」。そして同宣言に謳われたことの執行としての「東京裁判」。そして同裁判の判決を呑みますという署名としての「サンフランシスコ講和条約」。その講和条約を米ソ以外の連合国が承認する前提条件となっていた「日米安保条約」および「マック憲法」です。
 そもそも憲法とは国民と政府・君主の間の契約であって、国民が外国または世界に対して何か約束するものではあり得ません。ところが「マック憲法」の正体は、日本政府が世界に対して「軍隊も自衛の意志も持ちませんから」と約束した、「隠し条約」だったのです。これと日米安保条約が対になって、はじめて米国は旧連合国に対して「日本を米国がコントロールし、旧連合国に対する脅威には二度とさせないよ」と納得させることができたんです。旧連合国とは、現国連「P5」です。
 しかし冷戦を通じて、P5のうち2国はしょせんは「反近代主義」であって、近代的自由主義の米・英・仏とは根本から相容れそうもないのだということが米国指導者層にはだんだんと分かって参りました。この認識は、長期的に、時とともに強まるばかりだった。かたや日本は「真珠湾攻撃」という反近代的な腐れ外道な犯罪をやらかした国でしたが、占領をしてみてよく観察すると、どうもシナ人とはまるで指向が違う。契約を守れる、近代的自由主義を体現できる、ということが、その経済的復活から、否応なく理解されたのです。
 集団的自衛権を実用するためには、この「五枚綴り」全部の破棄が必要なんです。全部無効にしなければ日米同盟は機能せず、日本の安全はかなり危ういものであり続けます。このことは米国はすでに理解していて、いろいろと日本に水を向けてきてくれているんですが、逆に日本の町人政治家がこの構造を理解できないんです。いかがわしい国連などが頼りになると、まだ思ってるんですね。
 日本側がやらなきゃならないことがあります。そもそも「1937年のシナ事変は日本の侵略戦争ではなかった。蒋介石の侵略であった」と米国に認めさせる必要がある。つまり別宮暖朗説が米国に於いて普及しなければ、5枚綴り証文は破り難いでしょう。
 だから05年は、このテーマをめぐる、米国輿論をターゲットとした、日支の宣伝戦の年になります。
 そして日本国内に於いては、官僚出身にしろ党人にしろ、しょせんは町人政治家でしかない近代日本の国会議員に全員ご退場を願うため、「サラリーマン官僚ではない武士道」の探求が真剣に行なわれなくてはなりますまい。庶民から精神改造が必要なのです。
 あらためまして、そのような宣伝や探求の場を、わたくしに与えてくださっているすべての方々に、この場をお借りし、深く御礼の気持ちを申し上げ、また新たな一年のご支援をお願い申し上げ奉ります。