『洗心』を読む

 中央乃木会がわざわざご親切から機関誌『洗心』(1、3、7月の年3回発行される)の最新号(平成17年1月刊 vol.146)を陋宅に恵与くださり、桑原嶽氏が昨年10月に逝去されていたことを迂闊にも初めて承知いたしました。謹んでお悔やみ申し上げます。
 平成2年の桑原氏の『名将 乃木希典』は、現在も第四版が中央乃木会から発行されているようです。陸士52期の桑原氏といえども、中央乃木会以外の版元からアンチ司馬遼太郎の言説を世に問うことは難しかったのですね。事情は今日なお大して違いません。
 桑原氏はその最晩年まで矍鑠として、「乃木は愚将」の俗論をただす健筆を揮われていたご様子です。NHKの「別枠大河」の出来を見届けることができなかったのはさぞお心残りでしたろう。というのはもう出版界は「ポーツマス条約百周年」の今年よりも、『坂の上の雲』の放映開始年に完全に照準を合わせて、今年以上に数多くの日露戦争モノの企画を進行させているところだと推定されるからです。
 じつはわたくしもそういった企画──ただし発売はたぶん今年中です──に一枚噛ませて貰っておりまして、その調査などで今たいへんです。桑原氏はじめ『洗心』の寄稿者の先生方には及びもつきませんけれども、ボウフラのように沸いてくる反日学徒がグラムシ浸透戦術を使って日本の歴史と日本の政治をねじまげんと策動しているのを黙って見てばかりはいられません。わたくしなりに微力を尽くそうと思っております。
 ところでたまたま同梱されてきました『洗心』138号に、佐竹義宣氏による興味深い記事を発見しました。乃木希典の若きみぎり、萩→長府間、片道18里(72km)を2日で往復(なか一泊)したというエピソードがあるんですが、これは 有り得たというのです。佐竹氏の曾祖母が幕末に「足の親指の付け根の膨らみで歩くつもりで歩けば一日歩いても疲れない」と父母から教えられたのだそうで、それに乃木大将の長靴の踵の拡大写真が添えてある。これが明らかに「水平に」磨り減っているんです。さらに、庶民も昔は「足半」という踵なし草履を用いていた、と。……いや、この踵の写真の話はずっと以前にもどこかで読んだような気もするんですが、すっかり忘れておりましたのを改めて再認識しました。
 「オシャレな乃木さんだから、靴屋に踵だけ新品に交換させていたんじゃないか」……といった突っ込みは控えておきます。高取正男氏はじめ、近世以前の日本人の歩行術について研究されている人々は、この乃木の乗馬靴の踵について何かコメントしておられるのかどうか、まずそれを承りたいものです。どなたかお詳しい方が居られましたならまたご投稿を願います。(白旗伝単についてお知らせ下すった方、どうも有難うございました。最も知りたかったことが貴男のおかげでようやく確認できました。)
 西洋の兵隊のパレードのように踵で地面をドンと踏まずに、足裏の「蹴りだし」のみを接地して長距離を歩くことは果たしてできるのでしょうか? 私見ですが、「空荷」だったらそれは可能でしょう。
 じつはわたくしは小学生高学年のとき、ある野球マンガ(もしかしてちばあきお?)の中に「大リーグの選手は脚力を鍛えるために立っている時も決して踵は地に着けない」と紹介されていたのに勝手に感動しまして、それを何年間か実践していたことがあるのです。自宅から小学校までだいたい1キロ強の道のりでしたが、その行きも帰りも爪先立ちで歩き通しました。校内でも自宅でも立っているときは爪先立ちです。その結果、中学三年くらいまで「お前は歩き方がヒョコヒョコして変」「いつも前傾姿勢で下を見て歩いているがカネでも落としたのか」と人から心配された代わりに、跳躍力はたしかに鍛えられました。走り高跳びは自分でビックリという感じです。しかし重い荷を負うての遠足や登山に、このスタイルは無理がありました。(あるいは爪先だけでなく、膝をやわらかく使えば良かったのかもしれませんが…。)
 昔のアメリカ・インディアンも名うての「遠足名人」で、尻の使い方が独特だったんだそうです。しかし何人であれ、軍隊並に重い荷物を持っていたら、やはり軍隊式の歩き方しかできないんじゃないでしょうか? つまり、近代以前の日本人の独特の連続長距離歩行は、本人が空荷に近かったときのみ、可能だったのではないかとわたくしは疑っております。
 これにつきましてはボランティアで物好きな人体実験をやる人が増えてサンプルが集積されるのを期待しましょう。