夏の雑談

 原文が分からんのですけれども、米国人が「夏期の読書」と言うとき、それは「人生の無駄遣い」を意味したのだそうです(ホウエートレ著、高橋五郎訳『世界文豪 読書観』M45)。
 これは北海道に住んでいるとよく実感できることです。昨日も晴れたのでドライブに出掛けてしまいました。
 しかし蒸し暑い内地の人で若い人、人口の5%が経済の牽引者として頑張ればのこりの95%がたとい乞食をしていてもGNPを維持できる高度産業化時代に「酔生夢死」の一生を送りたくない人は、夏こそ読書するのが良いだろうと思います。インターネットが答えをくれない問題を、読書家なら自分で解けるようになるでしょう。
 ちなみに前掲の明治45年訳の本から2つ抜粋してみましょう。
 ソローいわく、最初に最良の著を読んでおけ。さもないと、一生読む機会はない。
 またジョンソン博士いわく、1日5時間読書せよ。必ず忽ちに博覧多識の者とならん、と。
 わが国の旧かな遣いに関する偉大な研究業績として、橋本新吉の名文があります。(岩波文庫『古代国語の音韻に就いて・他二篇』に所収。)
 新巻鮭は「サケ」か「シャケ」か? じつは北海道のアイヌ人には「サシスセソ」と「シャシシュシェショ」の区別が無いので、どっちでも正しいのです。
 江戸時代人は欧語の「ディ」の発音を「リ」に置換した。それでスペイン語の medias が「メリヤス」になりました。
 江戸時代の「ハヒフヘホ」という音は、室町時代以前は「Fa Fi Fu Fe Fo」(ただし両唇音)と発音されており、もっとさかのぼれば古墳時代には「パピプペポ」であった……等々。
 そこで兵頭が思いますに、ころび切支丹のファビアンは、自分では「ハビアン」と署名していたようですが、彼自身では「パビアン」と発音していたのではないか。幕末人が「エンフィールド」を「エンピール」、「ファイヤー」を「パヤ」と発音したことは間違いないのであります。
 『偕行』という陸軍将校向け機関誌の昭和13年1月号に、興味深い通達が掲載されております。
 すなわち「典範用字例」で、濁点、半濁点をつけることになった、と。また、送り仮名は国定教科書に合わせることにした、というのです。
 それまでは、たとえば、「意ノ儘ニ動カス」と書かれているとき、動かすのか動かさないのか、判然としませんでした(「動かず」なのかもしれない)。
 同じく、「捜索セシカ不明ナリ」だと、捜索したのかしなかったのかが分かりません(「捜索せしが、不明」なのかもしれない)。
 漢文教養が、日本陸軍の公文書の表記法の近代化を遅らせていたわけですね。
 げんざい、旧かな遣いで書く人も、濁点や半濁点は付けると思います。「古いしきたりが正当だ」と断言できないことが分かります。
 欧文は、ブラウジング(本のパラパラ斜め読み)では情報要素の見当をつけにくいため、索引がとても発達しました。本の編集者が非常な労力を要求されるのが、この索引付け作業です。たいていの日本の図書には、索引はありません。編集者が、やってられないのです。
 欧米にも真の読書家はそんなにいたわけではなく、じつは知識人でも、巻末の索引を頼りに、一部分を読んだだけで、棚に収納していた場合が多かったんです。(ソローの金言を想うべし。)
 これがやがて図書館の「キーワード検索」式カード分類や、デジタル時代の「Ctrl + F」機能にすんなりと進化しました。
 古くからの欧文の伝統である「索引」が非常に深化したものが、今日の「ウェブ公開式百科事典」やGoogleでしょう。
 ところで今日これほどネット上での検索の環境が便利に整っておりますのに、東洋の近代史の真実が西洋に向かって正しく広報されていないのはなぜでしょうか? 広報と言っても、現代では海外向け短波ラジオで演説する必要なんかありません。英語で日本の近代史料を悉くアップロードしておくだけでいいのです。外国の識字階級が必要に応じてキーワード検索をかけたときに、それが漏れずにヒットするようになっているだけで十分なのです。
 史料はいきなり全訳ですべて揃えなくとも、最初は肝心な箇所の抜粋抄訳で良い。史料の豊富さでは、シナ政府は日本に対抗できません。しかるに、近代日本語史料の英訳データベースに、見るべきものがぜんぜんないとは、一体どうしたことでしょうか。どうも日本政府や外務省のボンクラどもには、Google時代の対外宣伝広報のやり方がまるで分かっていないと評するしかないでしょう。
 松下幸之助は、日米経済摩擦が目立っていた1985年に「企業は売り上げの2%を宣伝に投じている。日本国はなぜもっと宣伝費を使わないのか」と提言をしました。今の国家予算は82兆円くらいでしょうか。としたら1兆6000億円くらい、近代日本語史料の英訳とアップロードに使ったって、なにもバチは当たらないのです。
 現実には、英国と同程度の1000億円台から始めるべきでしょう。米国と同言語の英国すら、それだけの努力を海外広報に払っているのだと考えれば、そもそも米国とは異言語である日本政府は、英国の数倍を使わねば宣伝が追いつかない筈です。原資は外務省関連予算(ODAやユネスコ向け醵金)を削れば軽く間に合うでしょう。
 史料そのものに真実を語らせるのを「ホワイト・プロパガンダ」と言います。
 日本人は伝統的に対外宣伝能力が低いので、これに徹するのが良いでしょう。
 たとえば、シナ人が「そもそも」どんな連中か、日本人が米国人に訳知りらしく説明してやる必要はありません。そんなデータベースは米軍の方が遥かに充実しているのです。彼らは旧日本軍以上に体系的に記録を残し、それを捨てずに保管し続け、有用なものはすぐに利用できる状態にしています。読書量の少ない日本人は知らない様子ですが、過去、シナ軍に最も深く長くコミットしたのは米軍なのです。
 彼らが生情報を持たないのは、戦前の排日テロや日支戦争のインサイダー当事者の記録です。これを日本発で英語データベース化しなければならないのです。
 ホワイト・プロパガンダ以上の対外宣伝の適性を有する個人も、おそらく探せば見つかることでしょう。
 たとえば佐藤優氏の『国家の罠』がもし外国語に翻訳された場合、米国人とイスラエル人にはピンとくるものがあると思います。「私は良い預言者で、王様の善政に力を貸していましたが、政治の風向きが変わったため、投獄されてしまいました」という、旧約聖書によく出てくる物語は、たぶん西欧ではウケないけれども、米国では興味をもつ人がいることでしょう。
 しかしTVスポークスマンの適性を兼ねたタレントは、たぶん日本の中からは見つけられないでしょう。ラジオ時代と違い、動画でアップにされた顔(特に髪型)と声が、外国の女子供に好感を与えなければいけないのですから、誤魔化しがききません。真のタレントが必要なのです。
 幸い、現代はインターネット時代です。そして米国の安全保障政策に影響を及ぼすのは、識字階級だけです。