小賢しき卑怯者たちについて

あらゆる国家間の揉め事は、自国単独で解決するほかないです。これはレトリックでもなんでもありません。
 「甲国」が「乙国」に戦争を仕掛けられたときに、圧倒的強者ではない「甲国」は、同盟関係にあるA国の助太刀で危機を切り抜けることがあるかもしれません。
 また、甲乙両国よりも軍事力の卓越した第三の大国に、調停をたのむこともあってもいいでしょう。
 しかしどちらの場合でも、その前提条件は、「甲国が単独でとことん乙国と戦争をし抜くガッツが具体的に発揮されていること」です。
 そうでなかったら、A国にしろ、第三の大国にしろ、あとで自分が馬鹿を見てしまうことになるのは歴史の智恵に照らして明らかだからです。
 たとえば今、米国が、シナの脅威に曝されている台湾に、あまり本気でコミット(肩入れ)をしていないように見えているでしょう。これは、台湾国民が、そのガッツを具体的に示していないためなのです。
 否それどころか、シナが攻めてきたならいつでも速攻で逃げ出す準備を万端整えている台湾国民ならばゴマンと観察ができるでしょう。
 これではさしもの米国でも「救いようは無い」のです。「台湾は日本の同盟国になる」などと夢を公言するわが国の「保守」言論人が多いんですが、その貧弱な学習能力は戦前の「大アジア主義者」から一歩も隔たりがないと諸外国から観察されてしまっても、わたくしは反論はできない。
 イスラエルが台湾などと異なりますのは、イスラエル国民は周辺国と戦争になったらあくまで受け持ちの塹壕を死守するぞというガッツを具体的に示している。このガッツが、イスラエルに有利な国際慣習を創造していくのです。このガッツが、アメリカから一定の後援を引き出します。
 少し前、「沖ノ鳥島は、島か岩か」の問題について、わたくしは「受験生式の問題解法を見つけようとするなよ」と訴えました。国際慣習は、ガッツある国民によって常に創造されるもので、既製の国際慣習をガッツのない国民が守ろうとしても、その国民の利益はけっきょく誰によっても守られることはありません。
 日本の核武装問題も、これはわたしたちのガッツの問題だけなのです。
 NPTと日米安保とマック憲法とサンフランシスコ講和条約と東京裁判は5枚綴りのセットメニューです。綴りのどれか1枚でも変えようと思ったなら、必ず他の4枚も同時に無効にしなければ話は前に進まないようなスキームができています。
 そしてアメリカはこれまでにもう何度も「日本国憲法の第9条はおかしいから改憲して自衛隊を国軍に昇格させたらどうだ」「日米安全保障条約は片務的だから真の攻守同盟に改めようではないか」「シナや北鮮に対抗するため日本が核武装するのもやむをえない」といったメッセージを発してきていますね。5枚綴りの1枚を変えろと誘っているのです。
 それは何を意味するのかといえば、他の4枚の変更(破棄)も、このさい黙認するよ、と言外に語っているわけですよ。
 さすがに「東京裁判が間違っていた」とはアメリカ合衆国の方から公然と認めてしまうわけには参りますまい。しかしそれも黙認いたしましょうとまで示唆してるんです。そこまでガッツを示せば、NPT脱退もクリアできる。国際慣行は、一国民が示すガッツの後から、ついてきます。
 このあたりが全く読めない人に幼稚なコメント(たとえば「日本の核武装をアメリカが認めるわけがなかろう」云々)を、一応のクオリティマガジンで、書き散らして欲しくはないんですよね。それは外国の情報機関に向け、「日本の知識人にはからきしガッツがありませんっ!」と声を大にして叫んでいるようなモンなんで、国権をすすんで減殺しているに等しい愚行です。
 「アメリカの助けがなくとも日本は核武装してシナと対抗する。北鮮には軍隊を送って同胞を奪還し、外道どもに裁きを下す」と実際の行動を以て示す。これができて、初めて米国の指導層も「やはり日本はイスラエル以上に頼れる」と観察し、核武装を認めるんです。ガッツが無いと、この順番についても分かりますまい。
 だからわたくしは、一方で核武装の話をすると同時に、もう一方では大いに昔の武士の話をし、武術について調べ、そのエトスの再生を期するのです。武士には少なくともガッツはあったからです。
 武士は家を出る前に、「もしも自分が今日、路上で、あるいは職場で、かくかくの最悪事態にとつぜん巻き込まれたら、自分としてはその場でしかじかの行動を選び、ここから先は決して譲るまい」と幾つものシミュレーションを脳内で練り、予め肚を括っていきました。
 変事が突発したとき、他人はどうあれ、自分だけはどうするのか、咄嗟に迷ってとりかえしのつかない失態を見せ、後悔せぬように、すっかり決めていた。特に、敵がどうしても我が主権を傷つけんとするのであれば、こっちから刀を抜くと決めていた。その結果、自分が死ぬようなことになっても、仕方がないと。どこまで我慢し、どこからは我慢してはならないか、平生によく考えていたのです。
 だから維新政府の外交には、致命的な誤りはありませんでした。あきらかに侵略的だった清国やロシア帝国に対する開戦も、正しいタイミングを逸しませんでした。
 自分の領民がX家に誘拐され、人質になっている。これはそのX家が自分に戦争を仕掛けたのと同じことですね。ただちに警告を発し、武器を持って押しかけなければなりません。維新政府ならばとっくに平壌に自衛隊を送り込んでいるはずでしょう。
 このあたりまえのガッツがないから、「6カ国協議」とは名ばかりの「米支2カ国ヤミ協議」に、日本は馬鹿面をさげて延々とつき合わされていくのです。