遠くで選挙カーの連呼を聞くと血が騒いでしまう人

 サンケイのニュース速報によれば、東京都の杉並区が扶桑社の歴史教科書(中学一年生用)を採用に決めたそうで、関係者の皆さんはおおきにお疲れさまでした。
 さらに将来の話をいたしますと、「どの教科書を使うか」は、常に都道府県知事の選挙の争点となるように、いまの制度を変えるといいですね。
 つまり、教科書の選択は、都道府県単位で決めるように改めるべきです。
 教科書を市区町村の大部分のしょーもないレベルの密室で決めさせていると、それは教科書会社の賄賂工作、反日勢力の暴力脅迫をあまりにも簡単に許してしまう。マスコミのチェックも働きにくい。
 また、市町村のブロック単位で全体が斉一に一種類の教科書を決めねばならないという、「教育委員会」の設立の精神とは違背する制度も即廃止せねばなりません。それでは「住民自治」ではなく、小役人統制になります。
 歴史の教科書が、都道府県単位で決まるようになれば、審査の過程の透明性は増し、教科書会社の賄賂攻勢も、左翼の脅迫活動も、メディアによって世間に伝わり易くなり、抑制されます。
 都道府県単位の「歴史色」も打ち出されるはずだ。
 日本の教科書出版会社は、明治時代の前半からこぞってダーティな商売をしてきました。それが政治家の贈収賄スキャンダルになったこともあったんです。それだけ美味い儲け口だということです。
 最も住民の批判が反映されやすい、公立学校用教科書の採択単位を考えましょう。それはわたくしは都道府県単位だと思いますから、自民党には今度の選挙中にこういう話もブチ上げて欲しいですね。
 小泉総理がまた靖国に参拝するとかしないとか騒がれているようです。小泉氏にとっては、これは信条の問題ではない。「どうするのが権力闘争上、有利か」でしかありません。こんどの選挙の作戦の一環として考えれば、8月15日ではタイミングが早すぎる。その後の展開が読めません。ですから、8月中の参拝はせず、ただし「しない」とも明言せず、大いにシナ・朝鮮と国内の反日メディアをヤキモキさせておいて、9月に入ったら「そろそろ参拝する」と言い出し、さらにメディアと評論人共をヒートアップさせ、結局9月の9日か10日に参拝することになるでしょう。このタイミングですと、内外の反日勢力が示し合わせて「そったく」同時のコオペレイト・バッシングをすることは不可能です。
 あるいは安倍氏あたりを首相の代参人として8・15(の深夜か早朝)に靖国に派遣することもあるかもしれません。しかし御本人の「ショー・タイム」は投票直前でしょう。
 政治家は、壮大な国事のために瞬間的に命を捨てようと思うこともあるでしょうが、日々の闘争精神を持続させている燃料源は、私怨です。そして、そのこと自体は必要悪なのです。私怨なくして永田町で活動はできません。
 山縣有朋にも吉田茂にも誰にも私怨があった。その私怨のエネルギーが、国家全体に結果的に良い方向で作用してくれたなら、国民にとってはオーライなのです。政治は結果です。
 小泉氏の私怨とは「旧田中派をヌッころす」に他なりません。しかしこれは堂々とは口にできません。だから「郵政民営化」と言っているのです。小泉氏にとって、民営化の方法や結果はどうでも良いのです。しかし、どうでも良くないこだわりが、しっかりとある。「それによって旧田中派はヌッころせるか否か」の一点です。
 小泉氏はこの一点にこだわり続けています。それを、兵頭は応援したい。旧田中派が日本国から一掃されれば、シナの対日工作は当面壊滅するでしょう。結果として、これほど大きな国民の安全保障はありません。
 また、選挙の応援を一度でもやってみればわかりますが、代議士で創価学会が好きになる人は一人もいません。共産党が好きになる人もいません。普通の代議士やその候補なら、みんなこいつらの「組織的行動様式」を憎んでいます。『蟻かこいつらは。いつかアリメツで滅ぼしてやりたい』と心の中で願っています。自民党が公明党と組んでいるのと、当事者の好悪の感情とは別なのです。旧田中派が一掃され、プロ・コイズミが支配的勢力に躍り出れば、「創価は煮られる」でしょう。
 消費税をどんどん上げていけば、パチンコも宗教も同和も、脱税の方途は無くなります。不公正な捕税行政によって経済的に頭を抑えられてきた、正直者の納税者が、経済的な「比較不利」をはねのけ、驥足をのばす。糧道を押さえられた「人権擁護サンセイ」の連中は相対的に元気を失うでしょう。そこに、ますますフェアーな「機会均等」が実現するはずです。政治は、結果だけがすべてでしょう。
 ここで全国のヒキコモリ離脱志望者に告げん。各候補の選挙事務所は、選挙期間中にアルバイトの募集をするはずです。募集広告を見掛けずとも、選挙事務所にちょくせつに押しかければ、即日に雇ってくれます。ポスターを貼ったり、選挙カーに随行したり、いろいろな仕事があります。
 時給に拘泥せず、いっぺん、これをやってみなせえ。
 無給のボランティアでもいいと言って、やってみなせえ。(コッソリと弁当代だけは出ます。)
 世の中にこんな勝負の世界があったのか、だから政治家はやめられないのか──と、人を見る目、世の中を見る目が変わりますぜ。