北京は「叩き逃げ」をしたいだけのお子ちゃま

 シナが八・一五の内閣総理大臣の靖国参拝を殊更に問題視するのは、それが八・一三のシナ人にとっての侵略開戦記念日(上海総攻撃発起の日、一九三七年)祝賀ムードに対する日本からの「叩き返し」のように映るからです。面子の問題だと捉えていますので、これは「説得」によるいかなる納得もありえません。
 「反近代人の面子なんざ知ったこっちゃね〜んだよ」と、近代人は思っていることが肝要です。シナ人を特別扱いしてはいけません。反近代人とは、そもそも付き合っちゃいけません。
 兵頭は、前からあちこちに書いてきましたように「八・一五は大東亜戦争としか関係の無い日である。靖国神社はそもそも戊辰戦争という日本近代の始まりとともにある廟堂である。日本が反近代に逆戻りしない限り、靖国神社もあり続けていく。だから、近代化後の忘れられない大勝である奉天会戦や日本海海戦の記念日に、そこでイベントを執り行なうことならば許されもしよう。しかし近代日本史の一エピソードでしかない大東亜戦争の、そのまた敗北とのみリンクする記念日にこの靖国境内で、戊辰戦争記念日以上の大パフォーマンスを執り行なうことは、現在の自衛隊の総指揮官である現役内閣総理大臣として見識を疑われる」と思っております。
 ちなみに、一部「保守」派言論人が公式参拝日として推奨しています、春と秋の「例大祭」も、戊辰戦争開戦記念日(旧暦一・三)と比べれば「重み」はほとんど無いことについては、過去に『武道通信』に長い文章を寄稿しましたから、未読の方は是非その号を買ってお読み下さい。歴史的にまるで空虚な例大祭などに勅使を派し続けねばならぬとは、帝室もおいたわしい限りなのです。
 閣僚級の政治家は「歴史秘書」を一人づつ抱えて、国会図書館の地下の行灯部屋にでも下宿させといたらどうでしょうか? こんなことは、物事のスタート時点からじっくり調べれば、ぜんぶ分ることなのです。最近は「評論家」まで、この手間を惜しんでいるのです。
 過去の閣僚にまともな「歴史秘書」が専従していたら、あんな教科書問題も無いし、慰安婦問題もありはしません。
 さてシナ人の次の祝賀ムードは九・三でしょうか。ミズーリ号上での降伏文書へのサインは九・二でした。小泉首相は九・四以降に靖国神社に参拝することで、反近代人どもには付き合う意志のないことを体現してやれるでしょう。