組織の長が昔の組織員を讃える=日本の古俗

日本の内閣総理大臣は自衛隊の最高司令官です。
 軍人に戦死の危険を冒すように命ずる立場の公人は、戦死した昔の軍人に敬意を払わないでは許されません。というのは、軍隊は、文字通り、過去の戦死者とともに戦闘をするからです。敵国は、日本の過去の戦いぶりから現在の強さを判断するからです。すなわち国防は、過去の戦死者とともになされるもの。過去の戦死者たちが、現在の兵隊と指揮官を護り立ててくれているのです。
 民本主義の国民国家では、成人のすべての国民に「国防の義務」があります。したがって日本の内閣総理大臣にも靖国神社に公式参拝する道義的責任が当然にあるでしょう。この道義的責任を当然と感じない内閣総理大臣は、すでに国防軍の最高司令官であることを放棄しているも同然であり、国防の義務を果たしていないどころか、自国軍人の士気を低下させ、日本の国防をまさに危うくしている「スパイ」なのです。
 すなわち「靖国神社に公式参拝しない」と言明する首相がもしいたら、その首相こそ、憲法違反の存在です。西村代議士の口ぶりを借りれば、「狙撃」されても文句は言えないでしょう。
 「国防の義務」はマック憲法に書かれていません。むしろその逆のことが書いてある。このことから、マック憲法そのものが「違憲」なのだということが直感的に把握できない人は、たぶん近代国家の法律家としてのセンスが乏しいのでしょう。それでも試験巧者であれば、法曹人にはなれる仕組みとなっている。日本の法運用は「大陸法」の悪い見本ですね。
 憲法とは紙ペラに書かれた文章ではありません。
 たとえばマック憲法には「日本国民の公式用語は日本語とする」という規定はないでしょう。しかし日本のすべての法律は日本語で書かれていると皆が思っています。これは日本語だと。それを日本人は歴史的に当然だと認めている。
 「日本人の国民名は『日本人』とする」などと紙ペラ憲法で規定する必要もなさそうですね。日本人なら誰も疑義をさしはさみません。それだけ日本は歴史が重い。他所の軽い、蕪雑な国々とは違うわけです。
 歴史に根ざし、紙に書かれるまでもない「不文の憲法」の方が、じつははるかに重いのだという常識が、このような日本語/日本人規定からも再認識できるでしょう。
 大阪その他の高等裁判所に巣食うドアカの判事が、「原告のムチャクチャな訴えはやむをえずして退けるが、自分たち反日マルキストが大いに主張したい工作の宣言はキッチリさせてもらうわい」というテクニックを行使し始めてから、もう何年になるでしょうか?
 これらスパイ判事どもを随時に国民投票によって高裁判事の座から逐えないというのも、じつはレッキとした憲法違反状態です。そういう訴訟をどんどん起こさねばなりません。さもないとアカの反日工作員は休止するところを知りません。
 「確かな右翼」の法律事務所も、日本には必要ですね。