『孫子』にはなぜ「宣伝篇」が無いか考えろ

 広範な分散と高速機動で敵の備えを撹乱し、敵がテンポラルに手薄になったところに敵より早く戦闘資源を集中していけば、局地的な数的優勢を利して我が軍が好きなことができる……というのは、19世紀のジョミニを「ポストWWI」に新解したフラーの所論でした。
 この「分散 – 集中」マヌーバーによるイニシアチブを、反日宣伝工作に応用しているのが、最近のシナでしょう。
 かれらの目下のターゲットは靖国神社境内にある遊就館のようです。
 遊就館は戦前からおのぼりさんが見物して楽しむ軍事アミューズメント博物館です。お客をよろこばせてナンボという施設です。お客の多くはどだいシナ人や朝鮮人が嫌いですし、1940年代のアメリカも大嫌いです。そういうお客がカネを払って見物するアミューズメント施設の内部のパネル展示にちかごろ「バカ右翼」っぽい文章がいっぱいだというので、反日工作員たちが内外一斉に騒ぎ出した。かつてのコミンテルン並に統制された命令指示っぷりです。
 それじゃあ日本人が抗議したら「南京大屠殺宣伝館」は展示内容を改めるのか? ありえないですね。
 靖国神社境内に巨大な電光掲示板があって、往来を通る一般人が一党独裁政府の宣伝をいやでも見せられる—というのとは別なのです。
 GHQによって政府が保護する別格官幣社ではなくされてからの靖国神社は、年間20億ともいわれる維持運営費用を独立採算で賄っていかなくちゃならないんですよ。この靖国神社を政府は資金面でまったく扶けていないのですから、口を出すことはできません。口を出すならそれなりのカネを出すべきで、そうでないのなら、「お参りさせていただく」ことができるだけでしょう。靖国神社には、好きな営業を展開する自由があります。(ただし明治天皇から引き継がれている儀式の場である以上、「かしこきあたり」からの注文には従う義務がありましょう。)
 ところで日本の評論家の中にもそろそろ、この遊就館の展示についてコメントを発表する人士をチラホラと見受けるようになりました。あえて2ちゃん用語を使わせてもらいます。「もうね、アホかと。バカかと……」。
 この人たちは、欧米の新聞がこの問題をとりあげているから、それに反応して、コメントする気になっているわけです。
 いったい、欧米の新聞が独自の問題意識から、外からは分からない、また、日本語が読めなければ理解もできないパネル解説文にいちゃもんをつける気になるとでも思っているのでしょうか?
 欧米の新聞にそのような記事を書かせているのは、欧米に展開している無数のシナの工作員なのです。彼らが北京の大まかな、しかしタイムリーな指図に沿って、英文で様々なバリエーションの工夫をこらした「サンプル論説」をしたためては、各国のメディア編集者や三下記者に機動的に送りつけているから、何発かは奏功して、こんな記事が出ることになるのです。「分散 – 集中」のマヌーバーですよ。それを日本のメディアが即座に報じるのも、北京からの指示によるものなのです。昔のコミンテルンの真似ですよ。これにものの見事に翻弄されているということが分からないのですから、日本人は相変わらずおめでたい。
 さいわい小泉総理の側近にはシナの宣伝工作と戦う方法をかなり心得たつわものがいるらしくて、この前の総理参拝でも、「二礼二拍一礼」などの形式を明瞭に排除させ、内殿にも進ませず、文字通り「ポケット」からジャラ銭を放らせるところをしっかりTVカメラに撮らせ、そのかわり黙祷時間は長めにさせた。これでも非難してくる北京はますますキチガイなんだなと広く印象づけることができる、上手な作戦勝ちでした。(神道の参拝形式はほんらい自由なものです。何礼何拍だろうと、不潔な格好でなければ良いのです。)
 アカの雑誌に寄稿した人はその時点でアカかといえばそんなことはない。遊就館の中に何があろうと、靖国神社に参拝する者の心の中とは無関係です。
 人の心の中まで独裁者が踏み込んで支配しようとするのが大昔からのシナ式であり朝鮮式の「反近代」政治でした。
 そんな不自由な特種アジア文明からの訣別を、一身の生命の保存よりも優先し、捨て石となって前進させたのが維新の「草莽」でした。つまりは日本では武士道がヘーゲルの「自由」を担保したと言えます。
 自由民主主義がほんとうに実現したら、大衆は「ラスト・マン」になる—とニーチェは警告しました。ところがシナ・朝鮮を見てください。自由民主主義がすこしも実現していないうちから、特定アジアには「ラスト・マン」しかいないのです。シナ人や朝鮮人の世界では、人としての歴史はとっくの昔に終わっているでしょう。独裁者が交代するたびに書き換えられる「歴史宣伝マニュアル」しかないということは、歴史そのものが無い、奴隷や家畜の博物誌しかないということでしょう。
 シナ人の人生とはすなわち宣伝政治とイコールですので、「プロパガンダの指南書」はあり得ません。成人するまでに厭でも自得できるものですから、需要はなかったのです。そのような指南書が先秦時代にも漢代にも唐代にもなかったという事実の重みを、近代日本人ならば自由に考えられるでしょう。