シナ版コミンテルンは上手にやっているな

 アダム・スミスの大著『国富論』は英本国では1776年に出たのですが、なんと翌年にはドイツ語訳されています。7年戦争でプロイセン軍の給養を担任した英帝国の力の源泉に人々は興味があったんですね。
 スミスは火器の発明と発達について、文明にとって有害のようにも見えようが、けっきょくこれは文明の拡大に貢献している、と評価しました。同時にまた、戦争技術がこのように高度化する中で、国家や人民が好戦的にならないで単に富裕化すれば、必然的に隣国の侵略を誘発すると考えました。ちなみにルソー(1712〜78)も、国家間の相互依存が逆に戦争の可能性を増すと、早くから見抜いています。
 スミスの論述は、読者の頭にすぐ入るでしょう。たとえばこんな感じです。郷土軍のパフォーマンスはとうていプロフェッショナル・アーミーには勝てない。→英国がガチで防衛するとしたら民兵には頼れず、国軍が必要だ。→しかし常備軍は専制政府の道具になりやすい。→不自由な政治は英国の風土にはなじまない。→ではどうするか……?
 要するに、筆者の「整理された連想」が順繰りに提示されていきます。その整理っぷりは念入りです。有名な、ピンの製造工程の分業についての例示もビジュアルですね。しかも全体のボリュームが、人をうんざりさせるような長さではない。この本は、産業革命以後の英国人の理論著作の「読みやすさ」のスタンダードです。
 世の中の複雑な現象を16進法や8進法でいきなりグリップしようとはせず、2進法で説明できないかと考えさせる。しかも無駄なく……。そんな相性が英語にはあって、それゆえコンピュータの世界は英語にこそ向いていたのではないかと兵頭は感じております。
 たぶんその逆がドイツ語でした。1830年代に出版されたクラウゼヴィッツの『戦争論』は1942年まで英語には完訳されず、仏語に完訳されたのは1955年であったようです。他言語に訳す前にそもそも「要約」すらしにくい構成で、それが『国富論』より大部であり、さりとて全体が「草稿」だよと著者が言い訳を述べているのですから、訳者もいいかげん投げ出したくなるのが自然だったでしょう。
 もちろん、軍事は経済よりも数学的に説明し辛いという弁護はあります。なぜなら軍人の決心は政治と混然一体だからです。
 その軍事をあえて数学的(幾何的)に語ってみようとしたのがジョミニです。
 米国のウェストポイント士官学校は万事フランス式で始まり、初期の教科書がジョミニであったのは有名な話です。1861〜65年の南北戦争では、どちら側の将軍も、自分の作戦の参考書として、英訳されたジョミニの“The Art of War”(原初版1836、英語抄訳1846、1854、1862年。英語完訳1865年?)を使いました。ジョミニはクラウゼヴィッツが論及しなかった海軍作戦や兵站線についても詳しく書き遺していました。それゆえ、マハンの諸著作がジョミニからインスパイアされたことはよく知られています。
 何をすればよいのか役割分担を示してくれというのが米人だと橋爪先生が指摘していますが、ジョミニの教科書はそういう向きにぴったりでした。
 しかしジョミニの考え方の底には、あたかも「和文と英文は機械的な自動翻訳が可能である」と言っているかのような、歴史や人為の複雑さをなめたところがあったんです。
 17世紀にデカルトは、数式によって現実世界を把握するいくつかの方法を示しました。フランスを中心に、少なからぬインテリが大きな刺激を受け、数学的記述の可能性追求こそが啓蒙だと熱中をします。ジョミニもフランス語圏のスイス人でした。
 解析数学は、たしかに経済現象の把握にはなじむ部分があると分かってきます。が、人間意志の衝突である戦争や政治は「非線形的」な世界でした。自由な意志を簡便に数式では記述できないことを、クラウゼヴィッツは実体験から得心していました。
 ところがクラウゼヴィッツの同時代のライバルであったジョミニ──1803年に軍事著述家として先行デビューし、しかも長生きをし、クラウゼヴィッツの没後刊行された遺稿集を見て自著を直し、なぜかその経緯が英語圏の読者には悟られることなく、20世紀まで戦争理論の泰斗と思われ続けた──は、デカルトの線形理性が非線形問題である軍事に適用できると、フランス式啓蒙精神に燃えて敢えてそれを試みたのです。
 なんとナポレオン本人が「そうかジョミニの本によれば、余の判断の正しさは合理的に証明されるのであるか」と感心した……と申します。
 初期啓蒙主義では人間を機械だと見たのですが、人間の感情は数学的には記述できないと啓蒙時代の真っ只中で主張したのが天才ルソーで、クラウゼヴィッツはむしろルソーに忠実だといえます。
 戦争も政治もいわば「自然言語」であって、エスペラントのような人工言語ではない。ルソーより文才の無いクラウゼヴィッツが苦労してそれを言わんとしていたのだということが、没後140年以上経って、ようやく西側で理解が進んできました。
 西側で、と申しますのは、ソ連共産党内ではエンゲルスとレーニンの遺訓により、クラウゼヴィッツ研究は一貫して深く進行していたからです。原著者死没から100年後の1931年に日本で『戦争論』を完訳した馬込さんも、本名を淡[だん]徳三郎といって、戦後の清水さんと同様にバリバリの共産主義支持者でした。余談ながら、数カ国語を翻訳できた淡氏の戦前のクラウゼヴィッツ翻訳草稿を検閲なしでもしどこかで出版してくれたなら、きっと現代の研究家にとって参照価値が高いだろうと、兵頭は勝手に想像しております。
 冷戦中、以下のような馬鹿げたクラウゼヴィッツの曲解が横行していたのを、ご記憶の方もおられるでしょう。
 いわく、「戦争が政治の継続だとすると、核時代の人類は破滅するしかない。だからクラウゼヴィッツを否定すべきだ/クラウゼヴィッツはもう古い」。
 またいわく、ハーグ条約、国際連盟、国際連合などはクラウゼヴィッツへの訣別であると。
 それを言うなら、ウェストファリア条約も含め、すべてマキャベリ時代への訣別でしょう。
 政治にも目的があるわけで、その目的をみさだめていないと、戦争も何の目的でするのか分かりません。政治の目的は「権力」です。(では権力とはなにか。その考察は兵頭の数冊の旧著に譲りましょう。)
 政治の中に道徳の好みが入っていますから、戦争とは道徳の領域の外にある活動でもありません。誰が反近代のシナや朝鮮とよろこんで合作できるか、という話です。
 フラーも英国内の戦間期の輿論を気にしました。人心がすでに「根こそぎ動員」の徴兵制に反対でしたから、プロフェッショナル・アーミーを唱えたのです。そこでも「政治」が軍事合理性に優先していたでしょう。
 クラウゼヴィッツの「絶対戦争」はドイツの男子国民を根こそぎ動員しろというアジテーションでしたから、リデルハートはそれはイギリス的ではない、人命を使い捨てにしがちな考え方だと、レトリックとして叩いて利用したまでです。
 ジョミニは、決定的な「ポイント」(=「点」)に、優越した兵力を結集しろ──と言いました。これは戦術に関して不易の金言です。
 すでにシナ・朝鮮との新冷戦に巻き込まれている日本にとり、決定的なポイントとは、どこでしょうか?
 それは、西側主要国の有権者向けの情報が集散する媒体です。すなわち、教育機関と報道機関です。新聞であり、雑誌であり、ラジオであり、テレビであり、インターネットでしょう。
 政治宣伝の戦いで負ければ、軍事技術の優劣は関係がありません。これは、ベトナム後にクラウゼヴィッツを初めて学んだ米国人がやっと気づいたことでしたが、レーニンや蒋介石はクラウゼヴィッツを読む前からそんなことは承知でした。
 現在、北京の工作員は全世界に展開しおわっており、その数は圧倒的です。彼らは巧みに現地の教育機関、文化機関に浸透し、各国の報道機関や言論関係者へ英語の反日宣伝文書を精力的・機動的に送りつけています。それはいずれも、そのまま三流記者が自分の記事として売れるような、コピーではないテキストです。
 内容たるや、いずれも現代の「田中上奏文」というべき怪文書の類です。けれども、それに日本外務省が何の反論も行なわないため、ブラックプロパガンダとして成功してしまうというパターンです。戦前から何も変わりません。
 そこで、わたしたちが民間ベースで、政府に一切頼らない反撃宣伝に立ち上がる必要に迫られています。
 シナ人のブラックプロパガンダが嘘八百であることが、外国人でもちょっと調べればすぐに判明するような、英文によるアーカイヴが、インターネット空間内に常に整備されている必要があるのです。
 ブラックプロパガンダへの反撃の弾丸は、もちろん英語でなくてはなりません。日本語で何を語っても、空砲を発射しているようなものです。それはマスターベーションです。これは戦争なのです。
 クラウゼヴィッツはドイツ語で長すぎる本を書いたために、英米人に正しく理解されるまでに1世紀半かかりました。その真似をしている時間は、わたしたちには持たされてはいません。敵はもう水爆ミサイルを保有しています。
 このホワイトプロパガンダは、誰が仕切るのでもありません。民間ベース、採算ベースで展開します。NPOにすることも考えません。
 たしかにNPOにすると「税金のかからない寄付行為」が可能になるのですが、同時に「誰かが仕切る運動」になってしまいます。それでは敵の圧倒的な工作員の数に太刀打ちはできないと考えます。
 日本国内を見ますと、なんと「支那事変は蒋介石の侵略だった」「真珠湾攻撃はパリ不戦条約違反だった」といったごく基本的な諸事実に関してすら、保守系言論人のほとんどが認識が一致しないという情けない有様です。したがって高名なフィギュアヘッドを押し立てての運動、コミンテルンのような統一指揮は、とうてい不可能です。いや、むしろそれで良いのです。
 わたくしが「2ちゃんねる」を眺めていて常に感心しますのは、世の中のあらゆる問題について「A氏より正確な事実を指摘できるB氏」が存在しているのだなぁ、ということなのです。しかもそのB氏は、たまたまその問題にだけ詳しいので、他の問題に関しては、B氏より正確な情報を有するC氏がいる蓋然性があると想像されるのです。
 歴史の叙述にも100点満点はあり得ません。A論文にも瑕疵があり、B論文にも瑕疵があり、C論文にも瑕疵があるのです。しかし、いずれも正確な情報を提供しようとしているA、B、C論文の全文がネット上で参照比較できるのならば、世間は真相について推定ができます。
 ホワイトプロパガンダは、ソースの充実でこそ勝負するべきなので、それには「Aのどこが正しくどこがおかしい」などとコメントを加えたり、A、B、Cの順位や配列を仕切る人などは不要です。
 また、ソースの英文を掲載するHPを無理に一つにまとめることもありません。正確で参照価値の高い資料は、草の根のユーザーが勝手に探し当てて、勝手に世界中に紹介をするのが望ましい。わざわざ米国の歴史系諸学会のHPにリンクを張る必要などもないでしょう。和文英訳はできないが、引用カキコぐらいはできる、という日本人は、たくさんいるはずです。
 翻訳料を出す人、翻訳する人、掲載する人、引用紹介カキコする人、これらの役割を草の根で分業して、シナ工作員の反日ブラックプロパガンダに活発に対抗していく。そのようなスキームが、もうじきできてくると思います。とりあえず月刊『正論』の12月号をご覧ください。