9.11後にクラウゼヴィッツは有効か?

 リデル・ハートの権威の失墜は彼の死後十年くらいから始まり、二十年で定着したと思われます。もちろん、彼も多数の弟子を持ちました。
 マーチン・ファン・クレヴェルトは1991年に『戦争のトランスフォーメーション』なる一書を米国で上梓し、その中で、ざっと次のような主張をしたそうです。──冷戦後の戦争は、国民国家システムや「国境」とは無関係なものになる。だから「非クラウゼヴィツィアン」の思考法を探求せねばならない、と。
 すでに米国ではこのクレヴェルト、彼の師匠のリデル・ハートのクラウゼヴィッツに関する勘違いをそっくり引き継いでいる、との批判を受けているようです。すなわち、単純な「国民根こそぎ動員戦争」の提唱者こそクラウゼヴィッツの正体だったと思い込んでいる、というわけです。
 (かつてフラーとハートはクラウゼヴィッツを、ナポレオンの“high-priest”=ユダヤ教の司祭長、唱道者だと呼びました。本当は「聖パウロ」と言いたかったのかもしれませんが、モンゴメリー将軍のような熱心なキリスト教徒の反発を顧慮したでしょう。)
 先にも書きましたように、クラウゼヴィッツは、すでにルソーが「戦争のイデア」たる「同胞絶滅」戦争を明言してくれていましたのに、敢えてそれは採らず、ナポレオンの戦いぶりこそ「戦争のイデア」に限りなく近いのだと思い定めようとしております。
 地下鉄サリンと9.11以後によく分かってまいりましたのは、現代の宗教テロリストたちは、その手段さえあるならば、「同胞絶滅」攻撃を国民国家の内外で仕掛けることをためらいません。
 この事実だけに注目をいたしますと、クラウゼヴィッツはもう古いと断ずるクレヴェルトの主張は当たっているように見えましょう。
 ところが、米国が「イスラム教徒絶滅戦争」の手段を有しながらそれを対テロの最終解決方法として実行まではできぬ理由は何かといったら、やはり啓蒙的近代以降の「政治」がブレーキをかけているのです。クラウゼヴィッツの最も重要な洞察は、西側先進国については妥当しますでしょう(ユーゴスラヴィアではルソーの戦争のイデアの正しさも実証されかかったように見えます)。
 やはり冷戦時代にも「クラウゼヴィッツはもう古い」と語る軽薄な評論子が涌いて出たものでした。が、米国がロシアを絶滅させる手段を有していながら、それを行使しなかったのは、「政治」以外の何であったと言えるでしょうか?
 もしも敵の絶滅が完了できそうなのであるならば、勝利とともに戦争のケリがつくというそのメリットは極大です。加えてもし第二番の敵をまったく心配しなくて良いのならば、もう最後の一兵が残るだけだという状態まで、自国の戦争資源を「賭け」てしまってもよいでしょう。しかし、一国の政治指導者はそれをしない。それこそが、ルソーが最初に指摘し、クラウゼヴィッツが「政治」の作用だと見抜いた機序なのです。
 ベトナムの反省からあわててクラウゼヴィッツを読み返した米国の指導的エリート(その中には今のライス国務長官まで含まれている)は、冷戦とは期間無限の消耗戦的な競争であり、人命の負担に関して「現地化」を図りつつ、敵を長期的に弱めていくしかないと覚ったのです。
 すると、資本体力の総合補給力と、敵が応じざるを得ず、しかもついてはこられないハイテク兵備の開発&整備競争の展開が、重要な課題になりました。西側がソ連をこの冷戦を通じて崩壊させ得たのは、核戦力と通常戦力の攻防能力双方における効率競争と資本競争の勝利です。かくしてついにゴルバチョフが米国に対する勝利という大目標を捨てて、それまでのスタイルの競争を投了したのも、「政治」以外の何者だったでしょう?
 またここで余談に耽りますと、敵による即興的な絶滅攻撃が成功しない(戦争をしかければ必ず消耗戦になる)ことをあらかじめ悟らせることは安全・安価・有利です。ゆえに、日本政府が日本の大都市に平時から地下公共駐車場を無数に整備しておく行政は、「ミサイル防衛」よりも安全・安価・有利です。
 対テロ戦争も、長期無限の冷戦だと考えることです。そして敵の絶滅が政治的にできない以上は、経済的に彼らの体力を弱めるのが上策です。
 すなわち、石油利権やパチンコ利権やODAや国連拠出金を、絶対に彼らのカネづるにしてやってはいけないのです。テロリストへのカネの流れを放置することこそが西側先進国にとって最大の下策となるでしょう。
 この観点から、現米政権のイラク全土占領の決断は合理的だと言えるのです。問題は、米国がその政策を他のイスラミックの産油国に適用していない「政治」です。そのためにテロリストへのカネの流れがまだ止まっていません。
 また日本政府もパチンコという賭博行為を取り締まらず、北鮮のテロリストへのカネの流れを放置する「政治」を続けているどころか、朝鮮系の銀行に日本国民の税金を投入して1兆円以上をテロ体制に貢ぎました。さらに国会議員の中に、日鮮国交を強化しようと策動する「政治」がまだあります。核を持った侵略的国家・シナに関しては、商社と外務省が率先して、もっと大規模な資本的な加担をしている。このいずれも、リベラル民本主義という人類のよりよい価値に対する、恥ずべき叛逆です。
 中曽根康弘さんが大勲位を貰った直後に頓死していたならさぞハッピーだったでしょう。今、彼は生きているうちから「名誉」に関してはボロボロです。彼はシナとの戦争に負けました。戦後の日本をわざわざ「敗戦」させた、愚かな政治家の一人だったのだと、国民に理解されつつあるのです。
 北鮮やシナに肩入れしてテロリストの親玉から頭をなでてもらっても、歴史はその日本の政治家に、長い名誉を与えることはありません。