米大統領もシナからの同時多発工作には参った模様

 17日にハワイ近海で自衛隊のP3-C改造の対弾道弾用の赤外線早期警戒装置の実験が成功していたらしいと、読売のネット版で知ったところです。
 おそらくその前後にシナは弾道弾の訓練発射の態勢をとって、米軍の衛星からよく見えるようにして、シナにやってくるブッシュ大統領が心理的に落ち着けないようにしていたんでしょう。どうせブラフですから、海南島のSLBM基地や、青海の東風41テスト基地でも、サイマルでわざとらしい動きをしたかもしれません。IRBMぐらいなら軍に任せておいてもいいが、米本土に届く(かもしれない)長射程弾道弾となったら、ブッシュ氏はその通報の直後に何をすべきか、精神的な準備が必要になりますから、とても会談に集中もできなかったでしょう。
 というのはシナがこれまで20発のICBMを整備してくるにあたり、米支間には水面下の合意(その数の上限について)があったと疑われるのですが、東風41の配備を促進するとなったら、北京はこの密約を自分から破棄するわけで、米大統領としてはこれを黙過することはできず、相当の肚を括ったコメントなり命令なりを即座に出さにゃならないわけです。もう他のことどころじゃない。
 他方では、銃後の上院議員どもも、旅客機の70機購入などの一本釣りでシナにとりこまれつつあるのですから、心ここにあらずの極東の旅だったんじゃないでしょうか。
 しかし、これで民主党の大統領が次に立ったら、地球はどうなるんでしょうね?
 ちなみにおそらく防衛庁としては、もし今月中旬にシナが何かのミサイルを発射したなら、直後に「エアボス」実験成功のニュースをリリースし、「防衛庁は頼もしい」と国民に思わせようという肚づもりだったのではないでしょうか。これが本日、読売から報道されたということは、もうシナはミサイル発射態勢を解除していると、米軍の衛星が確認してくれたんでしょう。
 かくも大活躍の「シナ版コミンテルン」はいつ、どのようにして出来たのか?
 ひとつ確からしく思えることは、それをつくらせたのは1980年代以降の日本政府が不様で腰抜けだったからだということです。
 昭和57年の宮沢喜一談話(外国の教科書クレームの政府承認)から、昭和61年の後藤田正晴談話(外国の靖国クレームの政府承認)、平成4年の加藤紘一談話と翌年の河野洋平談話(外国の慰安婦クレームの政府承認)、そして平成8年に米国政府が慰安所設置に関係した日本人のアメリカ入国ビザを出さないという措置が打ち出されても日本政府が何の対抗措置もとらなかったという流れを見て、彼らは「これは行けるぞ!」と確信をもったのです。
 それまでのシナの言い掛かりは、必ずしも特殊な目的を設定したシステマチックな工作ではなく、シナ人らしい平常の政治の延長にすぎなかったのですが、これにあまりにもたやすく日本の政治家たちが崩れ去っていくので、対外宣伝工作をもっと組織的にやったら、もっとすごいことが米国に対してもできるんじゃないかと、北京は自信を抱いたのでしょう。
 つまり、ダッカのハイジャック事件でテロリストを国外に放って世界に迷惑をかけた福田内閣のときと同じで、またしても日本は、このようにして世界に迷惑をかけてしまっているのです。
 キッシンジャーの師匠にモーゲンソーという先生がいたんですが、このモーゲンソー先生は、クラウゼヴィッツの『戦争論』をしっかり読んでいながらクラウゼヴィッツのテーゼを理解できず、FDR路線を事後肯定して、「国家が楽して国益を追求できるのならば、それは良いことなので、米国は悪い外国と手を結んでも良い」と弟子に教えたんですね。クラウゼヴィッツの唱えた「政治」は、「近代」(近代国家および近代人)を目指すもので、そんな道徳的に破綻したもんじゃないんですが。要するに『戦争論』の劣化コピーの一つなのです。
 このモーゲンソー信者が消えない限り、米国政治家は反近代のシナにすっかり篭絡されてしまう危険が、これからもあるでしょう。ただし、そうなった場合でも、米軍人には「永遠の友軍」などないことは判っています。