シャーマニズムの政治

 西村議員が、ゴーストライターに任せずして全部自分で書いたという過去の7冊の単行本を今、刊行された順番にイッキ読みしてるところです。わたくしはどうも「遅読み」なので、あと数日はかかってしまいましょう。なにしろ密度が濃い。
 そこで、まだ4冊目の途中なのですが、見切り発車をして、いかにも偉そうなコメントをつけさせてもらいます。
 サクッと言えば、西村氏は参院へ転地すべきでしょう。そして残りの時間は「一人一党」だと思うことです。即時脱党をお奨め致します。
 もし豊臣秀頼が自主的に「奥蝦夷へ移封したい」旨、家康に提案していたなら、大坂夏の陣も無かったはずです。そして外敵に対する日本国の国権は、永続的に増進していたことでしょう。
 代議士(衆議院議員のことを「代議士」というので、参議院に替わると父君から受け継いだこの呼称は消えます)は、シナと日本外務省の悪意を世間がまだよく得心できていなかった時期に尖閣に上陸して橋本政権=旧田中派の領土管理の異常さを浮かび上がらせ、国会で最初に北鮮の拉致疑惑を取り上げてその後の半島外交の流れも変え、「2ちゃんねる」の応援すらも無い頃から核武装を論議すべきことを唱え、金丸〜野中〜……と続くあの自民党亡国路線に噛み付いていた頃は、じつは今の小泉氏の影の同盟者のようなものだったと言えないでしょうか?
 両氏の共通の敵たる旧田中派が消えて、両氏の直接の対立点(それが靖国8.15参拝という過てる思い込みに立脚して鼓を鳴らして攻めているのが甚だイタい)が目だって参りますと、小泉氏は、この西村氏を影の同盟者としてではなく、もはや用済みの犠牲の小動物として、党外のもろもろの協力勢力の欲求不満解消のガス抜きとなるよう、飢狼の群中へ投ぜんとしているのです。
 おもえば敗戦直後、日本に共産革命が起こりかけていた頃、岸氏と西村氏の父君は影の同盟者の約を結び、一方は保守政権の中枢に居て、一方は反共労働運動の束ね役の野党党首として協働し、モスクワ・コミンテルンの陰謀をよく粉砕しました。
 「日本人の間に自虐史観を普及させ、天皇家を破壊せよ」と厳命していた戦前のコミンテルン・テーゼを、いまや、すっかり北京が代替継承をし、戦前の工作にシンニュウをかけて、欧米経由で内外同時多発プロパガンダを相次いで炸裂させているようなこの秋、岸氏と父西村氏の漆約は最終的に解消されてしまったようです。
 絵に描いたような昔の「労働者」が、上記コミンテルンの対日テーゼの遂行に邁進するなんて、今ではあり得ませんし、今後もあり得ないでしょう。真性共産主義者も、反日活動なら「グラムシ戦術」の時代だということを、とっくに理解していますよね。
 国外環境と国内環境の急進展に、ここのところぜんぜんついていけてない民主党に、西村氏がいつまでも所属していることが、もう間違いなのではないでしょうか。岸氏との約束は、すでに済んだのです。
 参議院の良いところは、堺市のような狭い地盤で公明党と戦わなくて済むことです。逆に、参議院議員の不利なところは、けっして内閣総理大臣にはなれぬことです。しかしこの度、西村氏の旧著を通読して、兵頭は予感しました。大衆から常に二歩以上先を歩いている西村氏は、今後よほどボケでもしないかぎりは、衆議院の多数党の長にはなれないのではないでしょうか?
 西村氏は旧著の中で、ドゴールやニクソンは不遇時代に勉強したから偉くなったのだ、と何度か書いています。たしかに代議士をしながらでは靖国神社の由来の勉強もできない。
 「バラマキ復活ではなくハイテク軍備への一点集中投資こそが景気と対外競争力とプライマリーバランスを同時に好転させてくれる」機序もなかなか納得ができないでしょう。
 今こそ勉強の良いチャンスです。
 幕末、日本の脱亜と近代化のために命を投げ捨てた日本人の中には、武士と農民の中間的な身分であったために、藩に公式に認められた「姓」を有せず、したがって「招魂祭」の「霊璽簿」に記載が漏れた戦死者がたくさんいるのです。この不完全な霊璽簿方式は明治帝の御宇から引き継がれた伝統ですが、これを変えない限り、靖国神社はアーリントンの「無名戦士の墓」の同等の包括性を主張し得ないのです。またもちろん、明治維新と8.15は何の関係もないでしょう。