200年前から変わらない格差

 大衆がもし大衆として理性を発揮できる存在であるならば、大衆による「議会」が一つあればよかろう。政府や裁判所も、議会の言うなりに仕事をしていれば、それが国民の福祉にいちばん適うじゃないか──。
 こういう単純素朴な“民主主義”をもし実施すれば、それはすぐにも自己破滅的な恐怖政治や独裁政治に変貌するのは歴史的に疑いないことだと、口を酸っぱくしてニューヨークのローカル新聞紙上で力説しましたのが、ジェイムズ・マディソン(1751〜1836)とアレグザンダー・ハミルトン(1755〜 1804)とジョン・ジェイ(1745〜1829)の三人です。
 彼らの85度におよぶ匿名新聞投稿を一冊にまとめた『ザ・フェデラリスト』(1788)は、英国から独立を果たしたものの、まだ「合衆国」をつくるのには必ずしも積極的でなく、てんでバラバラに暮らしていた東部13国(ステイツ)を、新しく選んだたった一人の大統領の下に「連邦」として束ねるための、決定的な説得となりました。
 つまり、この3人の自由言論が「アメリカ」という超大国を創ったといっても過言ではないわけです。
 マディソンらは、人間は天使ではないので、議会に最高権力を与えたままでは、議会は必ず暴走するだろう、と、古代ギリシャ・ローマ時代から18世紀に至るヨーロッパの民主政治の長い実験例をふまえて、警告しました。
 ではどうすれば良いか?
 かつて、モンテスキューも考え抜いたように、議会の暴走を食い止められるだけの権力を、「行政首長」(アメリカの場合は大統領)と「司法」(最高裁判所)にも与えることです。
 かくして、米国大統領には、議会が満場一致で可決した法案をも拒否する権能が与えられ、また最高裁判所は、議会の立法が違憲である場合はそれが無効であるとすぐに確認できるようにもなっている。もちろん大統領だって議会がつくる法律に従って行政する以外にはなく、自身も4年毎の選挙で選ばれるのですから、一から十まで議会に逆らってばかりはいられませんが、この拒否権によって、議会の暴走や議会の独裁は防がれてきたわけです。
 建国以来、今日まで、米国人にとって『ザ・フェデラリスト』は「憲法解義」のようなもので、いやしくも政治家をこころざす者にとっての初等読本になっているようです。州知事と州議会の関係にも『ザ・フェデラリスト』の教えがよく反映されています。たとえばもし今、カリフォルニア州議会で、北京コミンテルンの奨励する反日捏造教科書を州のすべての学校の授業で使えという議員が数の上で優勢になったとしましても、シュワルツェネガー知事の一声で、そんな州法が可決されることはありません。
 そしてもし、得体の知れない外国人に「人権」についての捜査権と裁判権の両方を与えるなどというトンデモ法案が州議会や連邦議会を通過することがあれば、首長はそれを当然のように拒否するでしょうし、裁判所もすぐに違憲認定(三権分立違反と、行政の責任者は常に一人でなければならないという建国の原則への違反)を宣告することになるでしょう。
 米国憲法は制定されてから210年以上機能しています。これに比べて明治憲法をせっかく作りながら外国軍がそれを一夜にして廃棄するのを全員一致で傍観してしまった日本人の基礎教養は、確かに100年以上のハンデがあるかもしれないと考えざるを得ません。近時話題の「人権ナントカ法案/条例案」なるものの内容は、合衆国では「ありえない」のです。あれで日本の“民主主義教育”のレベルの低さは世界に宣伝されたようなもので、誰もシナ人を哂えません。
 ちなみに『ザ・フェデラリスト』の抄訳が岩波文庫になったのがやっと1999年であるというのも、驚くべきことではないでしょうか。これほど重要な古典でありながら、完訳の文庫は、未だ存在しません。
 『ザ・フェデラリスト』は、「必要最小限度の防衛力」などという考えを最初から否定していました。ジェイいわく、「戦争には正当な理由とともに、虚構の理由もある」。だから国家は他国の軽侮を招かないことが大事だ。国家の常備軍がなかったり、地方が独立して分裂していては、海外の列強の軽侮を招くことになるのです。
 さらにハミルトンいわく、「国家存亡の危機について、その範囲や種類をあらかじめ予測し定義することは不可能であり、かつまた危機を克服するに必要と思われる手段について、そのしかるべき範囲や種類をあらかじめ予測し定義しておくことは不可能」だと。
 よって、およそ国民の安全を脅かすいかなる事態にも応じうるようにするため、「社会の防衛と保護のための権能については、その有効適切な措置に必要ないっさいの事柄──つまり、国家的軍隊の建設・統帥・維持に必要ないっさいの事柄に関しては、制約があってはならない」。
 要するにマッカーサーは米国憲法に違反する精神を極東に押し付けようとしたのでしょう。そして、そういう真実を指摘してはならぬぞというGHQ指令が、講和後までも東大法学部を中心に伝承されてきたので、すべての出版社が『ザ・フェデラリスト』の訳出を1990年代まで先送りにしたのでしょう。
 独立戦争の経験は、民兵は正規兵に敵し得ないという現実を教えました。「戦争は、他の事柄と同様、勤勉によって、忍耐によって、時間によって、訓練によって、はじめて習得され、完成される一つの科学」です。米国13州は「コンチネンタル・アーミー」という正規軍を臨時に編成して、かろうじて敗北を免れました。
 コンチネンタル・アーミーは1783年に解散されたのですが、『ザ・フェデラリスト』は、平時に軍隊を募集できないなら、侵略が現実化するまで準備ができないではないか。そんな憲法はあるものではない、と訴えます。
 当時の13州の人口はインディアン(課税対象外だった)をのぞいて300万人でした。ヨーロッパでは一国の常備軍は全人口の100分の一、もしくは武器を使える人数の25分の一をこえないので、合衆国がもつとすれば25000人〜3万人になる。これに対して、州政府は数十万人の市民に武装させることもできるから、連邦軍を手にした連邦政府がヨーロッパ流の中央集権的な専制統治を敷くおそれもありませんよ、と『ザ・フェデラリスト』は述べています。
 なぜ行政は「大統領」というたった一人の男によって担任されなければならないか?
 常に一人のトップが責任者として世間に曝されているようにしないと、世間は行政について不満があるときにいったい誰を非難してよいのかが分からない。それが最もいけないのだ、と『ザ・フェデラリスト』は断言します。
 公人や公共機関は、合法だが非難さるべき行為を働くことがよくあります。それを世間がチェックできるようにするには、責任者はたった一人でなければなりません。「行政権は、それが単一であるときこそ、限定される」。
 権力が一人の人間の掌中に帰する場合には、彼はまさしく一人であるという理由のために、厳重に監視され、すぐに疑われ、しかも、他の有力者数人と共謀協働しているときほどの圧倒的な支配力をふるうこともできないでしょう。
 米国の戦時統制経済がうまくいったのも、in charge な人物、つまり権力と責任とを併せ持つたった一人の命令者を、要所に任命したからです。それもまた、米国憲法の精神に準拠していたのです。
 今日は12月8日ですが、『ザ・フェデラリスト』の中には「開戦を正式に宣告するという儀式は、最近実施されなくなっている」という記述もあります。