自己説明力( accountablitiy )

 カレル・ヴァン・ウォルフレン氏は、1989年の最初の本格著作物の中で、日本の官僚はレスポンシブルだがアカウンタブルではない、と指摘し、かつまた、それは日本に「市民」がいない(=リアルな民主主義ではない)ことと、裏表の関係にあるのだと示唆しました。
 (市民でないとは、統治に関与せぬただの「被治者」であることで、ひらたくいうと「町人」ばかりが多い状態でしょう。)
 以後のウォルフレン氏の一連の著述の中では「アカウンタビリティ」は暫定的に「説明責任」と訳され続けました。同語は1994年末までに日本の一般書講読市場の reading vocabulary の中に入りました。
 ウォルフレン氏は政治的には、小泉政権は初期から支持する、米国(特に共和党政権)には反対する、親欧・親中共・親韓と、気儘でした。大蔵省がバブルの責任を問われ、管直人氏が厚相に就いた頃に、ウォルフレン氏の声価はピークに達したように記憶されます。が、その後「反ブッシュ父子」をしつこく日本人に焚きつけるようになってからは、彼は次第に引用されなくなったように見えます。
 氏の学究的功績は、氏の党派的好悪とは独立に尊重される価値があるでしょう。「差分」を抽出・摂取する源泉として、氏の著述は半永久に生きるはずです。
 たぶん「アカウンタビリティ」をぴったり訳し伝えることになる日本語は、まだ生まれていません。
 ぴったりくる訳語がすぐできなかったということは、やはりそのような概念は、有史いらい日本人と無縁であったためです。
 また、福沢諭吉級のうまい訳語がまだ思いつかれないということは、その未知であった泰西概念の神髄に、いぜん、日本の最高級の知識人の理解が及ばないということです。明治初期いらい「イニシアチブ」の訳語候補は無数にあったのですけれども、日露戦争後の陸軍が「独断専行」を最終的に択んだ結果は、ご存知の通りです。
 親分だった山県有朋が死んだ以上、誰にも自己説明をする必要はないと思っていた田中義一は、27歳の昭和天皇に対してアカウンタブルではないことを咎められ、キャリアを喪いました。(田中義一は、レスポンシビリティ=処罰引き受けの自律 は、あったわけです。)
 あのときもし昭和天皇が怒りを爆発させていなかったら、日本の軍官僚は新天皇に対してすら自己説明の義務がないと早々に確信することになり、日本は昭和のある時期で「満州国」になっていたでしょう。
 この田中義一を反面教師として、東条英機は、直属する昭和天皇に対してはアカウンタブルたらんと努め、それが昭和天皇には嘉納されたのはあたりまえです。
 ところでアダム・スミスが『道徳感情論』の中で引用していますが、プラトンは、徳は科学であると見ました。
 つまり、何が正しいかは演繹的にわかるはずであり、それが分かるということは、そのように行動もできるのだと考えた。
 これが「自己説明力」の神髄でしょう。
 自己説明ができない人間は、何が正しいのかを掴んでいませんと社会に告げているも同然なのです。
 そしてこれもまたスミスの引用によりますれば、アリストテレスは、知性は慣行に負けると言った。善良な風俗は、知識からではなく行為から生じたと。
 こちらは、近代社会では、なぜ官僚の自己説明力は、君主に対すると同時にまた、市民権ある国民に対して発揮されなければならぬか、そしてその行為がまた「律」でもなければならないのか、の解義の神髄でしょう。
 その律を官僚に迫る主体が市民だとウォルフレン氏は教えようとしました。しかし日本に市民は少ないので理解されませんでした。
 公表的な答責が行政官の律となっていれば、日本国内の誰かがもっている、最高の助言も得られやすい。これを痛感できるのがインターネットの世界でしょう。
 各種のブログを読んでいくと、書き手の自己説明力の高さを比べ見ることができることに、最近わたくしは驚いています。好個のサンプルが「つくる会」の内紛についてインサイダーの人たちが主張し合っているブログ(と雑誌記事)です。いずれも尊敬すべき人たちだが、手短かに自己説明のできる人とできなさそうな人がいる。他を批判する能力と、自己説明力とは相互に独立だと、いまさらながらに気づきつつあります。
 東京裁判に関する本の仕事が入っておりますため、延々と他人様のブログを眺めている時間も無いのが残念です。それと劇画『日中開戦!!』の刊行が遅れそうです。どこかに、倉橋先生の作画のアシスタントを短期間だけやってくれる人は、いませんかね?