昭和天皇は日本人が自己説明力を持つ日を待った

 東京裁判の進行中に南原繁が天皇退位論を口にして新聞に書かせ、木戸幸一はそれにシンパシーを持って情報操作に加担したかもしれません。
 こうした退位論に反対し抜いた吉田茂には、南原を「曲学阿世」と罵る根拠があったでしょう。
 終戦後の昭和天皇退位論は、自己説明力(アカウンタビリティー)の皆無な日本指導者層の無教養を少しも改めないで、天皇個人に日本国家全体を代表してレスポンシビリティー(処罰引き受け)だけを安易に求め、それが戦中の側近らの公式免罪になると信じたものだと疑われます。昭和天皇は、張作霖事件の時以上に、深い困惑を覚えたかもしれません。
 戦前の日本の内閣総理大臣が、必ずしも国政選挙で選ばれた代議士であることを要件としていませんでしたために、却って逆に、首相の一存での閣僚任免権、官僚任免権を決して持たせてはもらえぬ──という大きな弱点が、明治憲法にはありました。
 民本的でないがゆえに、選ばれた行政の長に、部下人事の独裁が不可能なのです。
 この中ぶらりんな制度欠陥を東条英機は、陸相直属の憲兵隊を最大限に駆使することで、乗り越えようと図りました。けれども、明治憲法をいじらない限り、そんな江戸時代式な統治では、国内の頭脳と活力は総動員され得ず、現代の戦争に勝てないのだという証明が、事実によってなされました。
 敗戦後に登板した吉田茂は、SCAPを宝刀にできました。GHQの超憲法的権力に頼み込んで、政治的な反対者を「戦犯追及」させ「公職追放」してもらうことで、日本の首相として初めて彼は、閣僚と下僚の一存任免権を、擬似的にですが、手にします。
 もちろん、東條がつくった、首相の天皇に対するアカウンタビリティーの慣行は、吉田は尊重しました。その関係があるからこそ、天皇退位論は、現内閣を倒そうとする運動にもなり得たのでしょう。
 ウォルフレン的状況から唯一抜け出られた吉田が目指すべき次のステップは、国政選挙で信任されることになる未来の首相に、閣僚と下僚の自由任免権力を確実に保証してやる制度改革(改憲)だったでしょう。
 が、吉田にも限定的な自己説明力しかありません。旧陸海軍というアンタッチャブル省庁さえ消せば、他の官庁などは随意に操縦できるものと、彼は高をくくっていたでしょう。じしん官僚出身でありながら、文民官僚の自己目的的な活動力をナメていたのです。「宝刀」が使えなくなり、吉田も死んだ後の日本の内閣の未来を、彼が構想できていたようには思えません。
 ライブドアの元社長がマスコミに対して語っていたTV局買収の自己説明、これがぜんぶ「欽ちゃん」に用意してもらった科白だったとは。そして一時は官僚だった欽ちゃんも自己説明力が無いことをあのように天下に晒すとは。
 小学生に英語を教えるより、古代ギリシャ語を教えた方が、付け焼刃にはならず、生涯の全局面に亘る自己説明力が涵養されるのかもしれません。
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