「侮日」を防げるならば「排日」を招いてもOKです。

 東条英機がなんで昭和17年に武藤章を左遷したか? これは謎でもなんでもありません。閣僚の星野や鈴木貞一なども関係ありません。参本の田中新一も関係ありません。東条だけに理由がありました。
 東条は部下には絶対服従を求める男でした。イエスマンだけで配下を固めたいと思っていました。武藤はがんらい永田鉄山派でしたが、東条の子飼いではない。東条のイエスマンにもならなかった。だから変えられたのです。
 武藤は畑陸相から軍務局長に抜擢されていますものですから、米内内閣が倒れて東条が陸相に来る前から、そこに居るわけです。東条は、本当は、陸相になった直後に、武藤などは外に飛ばしたかったのです。
 しかしできませんでした。それは日米関係が急変・激変しつつあって、武藤以外にスピーディかつ強引に仕事のできる予算局長(軍務局長は大蔵省の主計局長と同じ)は見つからなかったことと、翼賛選挙の実質マネジャーが武藤だったことにあったでしょう。
 つまり、自分が首相になった直後の総選挙で、自分に批判的な代議士がたくさん当選するという事態を、東条はひどく恐れたのです。評判を気にする男でした。
 それで、翼賛総選挙が東条幕府の「承認」の結果に終わって、ホッとしましたから、東条はいまこそ遠慮なく、イエスマンではない不快な武藤を切って捨てたのです。
 このような経緯だからこそ、東条は死刑判決が出た11月12日、市ヶ谷の法廷控え室で武藤に対し、「君を巻添に合わして気の毒だ。まさか君を死刑にするとは思わなかった」と詫びているのです。ほんらい、武藤は東条陸相の部下にはしておかれないはずだったからです。左遷人事が遅すぎたわけです。
 余談ですが、東条が自分の上司に来ると知っていたら、武藤は米内内閣を倒すべきではなかったと申せましょう。武藤は最高の秀才であると同時に、まったく先の読めない男だったことは、不思議ですけども、間違いのないところでしょう。
 さて、武藤のあとがまの軍務局長には、東条は、軍務課長の佐藤賢了を昇格させました。
 佐藤賢了は、東条が陸相になったあと、東条が木村兵太郎を次官にするよりも早く、軍務課長に抜擢されました。
 佐藤はかつて陸大では東条教官に戦術を教えられたという関係があります。ベタベタの東条派で、イエスマンでした。客観的な能力評価は「愚物」とされています。
 武藤局長はそんな佐藤が自分の部下の課長になることを迷惑に思いましたが、人事権は東条陸相にありますから、どうしようもありません。
 また東条としては、早く佐藤を軍務局長にしたかったのですけれども、佐藤の能力が武藤に劣りすぎていましたために、その理想的異動は昭和17年まで遷延されたのです。
 この愚物といわれる東条のペット、佐藤賢了が、ひとつだけ良いことを書き残しています。
 それは綏遠事件の評価の記述で、佐藤は、「排日」は戦争にならなかったけれども、綏遠事件のドジのためにシナの上下に「侮日」の気運が出来上がり、それで、ついに戦争になった(蒋介石が対日全面戦争を起こした)と、総括してるんです。
 この総括は正しい。
 「排日」がいくらエスカレートしても、対日戦争は起きません。
 しかし「侮日」がシナ人の間に蔓延したら、危ない。対日戦争が起こされる可能性が高いと言えるでしょう。
 わたしたちが靖国神社を考えるときも、必ずこの判断をすべきです。
 小泉総理は総理就任前に、有力票田たる日本遺族会の支持を得るために、8・15に靖国神社に公式参拝する、と公約してしまいました。
 靖国神社は戦争を反省する場ではないのですから、8・15参拝自体が、シナの「侮日」を招きます。したがって、遺族会のこんな利己的な注文は理性的な日本人ならば聞いてはならず、逆に、8・15参拝は絶対にしないと公約することが、日本の政治家としてはまったく正しい態度です。
 しかし、政治家がいったん公言してしまった約束を、シナからのイチャモンで枉げてしまうことは、もっとひどい「侮日」につながります。ですから小泉氏は、この約束を早く果たすべきでした。
 小泉氏が公約の8・15参拝をシナの工作で日にち変更したりしたものですから、シナの侮日はますます熾んになり、敵対行為がエスカレートしてきたという過去数年間の経緯は、わたしたちの記憶になお新たでしょう。
 これはかつてシナの国府政権が、塘沽協定や北支中立化協定などをいくら結んで譲歩しても、それによって現地の野心的な日本軍人たちの間接侵略工作が少しも抑制されなかったのと、基本的に同じです。シナ人は満州国を認めたくないならば、日本に宣戦布告すべきだったのであって、いいかげんな譲歩は、ますます相手を増長させ、自国の損害回復を遅らせたのです。
 日本人が「排日」を歓迎できるようになったときが、真に日支間が平和になるときです。おそれる必要のない排日をおそれて「侮日」を招けば、その結果は、シナからの核攻撃でしょう。