あれから言論は自由になったか?

 災害地への見舞金を公共機関が募集するという話が出るたびに思い出されるエピソードを話そう。
 あれは阪神地震のときだった。
 わたくしは関東地方に住んでおり、たまたま「FM東京」(すでにトーキョーFMだったっけ?)を聴いていた。
 当時、関東地方のFM放送番組にはちょくちょく出演していた女の芸人がいた。声色をさまざまに使って、一人で痛烈なコントを、たおやかに語る人だった。
 名前を記憶していない。
 テレビで有名だったかどうかも、知らない。
 実年齢も無論知らないが、わたくしには、20代から30代の声のように印象された。
 当時わたくしは、TV受像機そのものを捨てて暮らしていたと思う。だから、朝の神戸市上空に黒煙がたちこめて下界も暗くなっている、あの壮絶な空撮映像は、『四季報』の別冊か何かの「校正」のアルバイトにでかけた『東洋経済』のビル内の編集部で、初めて見かけた覚えがある。
 さて、その女芸人だが、地震発生から間もない日に、彼女の表だった芸人キャリアで、おそらく最高の傑作を語った。
 (もはやおぼろげな記憶であるが、それは夜の放送ではなくて、ランチタイムより少し後の時刻であったように思う。)
 新作(?)の一人コントの最後の方で、彼女は、――地震の見舞金の募金に、協力しようかしまいか、悩んでいる貧乏な「ワタシがいる」――と述懐したのだ。
 それは、バイトの身としては、正直共感できる心の声であった。然れども、誰もオープンにはできまい。そんな「同化圧力」のタブーを破った発言が、救恤募金をよびかけている当の放送局の番組のなかから、あっけらかんと飛び出したのだから、神戸や淡路島と接点が無い立場から聴いていた人なら、だれもが、笑いをこみあげさせたろう。
 そして、オチは、「あっ、そーか、パンツ売ったらいいんだ~〔エコー〕」であった。
 そこで番組は、普通の音楽紹介か何かに戻り、CMが入ったかもしれない。
 突如、男子アナウンサーの畏まった声が、割り込んできた。
 そのさい、強いて冷静に淡々と読み上げられた〈お詫び原稿〉を、ここでリアルに再現できないのが、どうも残念である。「不適切な」「不謹慎な」「不愉快な」の、どの修飾語を用いたか、それを断言することができない。
 短いが、放送ブースのガラス窓の向こうで、〈この「放送事故」は責任問題になるかも……!〉と焦りまくっているディレクターのあぶら汗が眼前彷彿するような、割り込みであった。
 『あぁ、やっぱり。昼間っからFM聴いてる暇なババアのリスナーから、さっきのコントに文句をつける電話がガンガン殺到しやがったな』と察するのに、それは十分であった。
 かかる急転直下の〈空気〉大ギャップで、わたくしが二重に失笑したことはいうまでもない。
 《おのおのがた、ただいまのは夢でござる。夢でござるぞ~》と、無言の呪文でもサブリミナルしたげに、通常の番組は、軽快に、しぜんに、進行するのであった。(お詫びコメントは、そのあともう一度、CMのあとで挿入されたかもしれない。CM中の修羅場が目に浮かぶ。)
 暫しの間、わたくしの大きな関心事は、この芸人が、この先、長期間の「局出入り禁止」を喰らわずに、生き残れるのかどうかにあった。
 しかし、彼女は干されたようであった。またわたくしも、テレビはおろか、ラジオも聴かずに仕事をするようになってしまったために、いらい、あのエコーのエフェクターがかかった嬌声を耳にしたことがない。
 あの才能が、一回の出演のために失なわれたのかと思えば、いまさら、惜しまれる。
 みんなも、偽善には、お腹いっぱいでしょ?