「ステルス住宅」高騰の予感!

 なぜかグーグルのストリートビューの日本版の最初の12都市の中に函館市が入っているというので、「手前のウチはあるか?」と捜索してみました。
 なんと、家から数十mのところにある生活道路まではバッチリ、フォローされています。そのある地点から90度横を見れば、ヒゲ道の数十m先のどんづまりのちょっと手前に、我が家の軒先のソーラーライトが1個見える……はずなんですが、写真の解像度が低いようで、それは確認することはできませんでした。
 でも、これはぜったいに普通乗用車の天井につけたカメラじゃないですね。視点が、人の身長よりはずっと高い。通常は覗けない高い塀ごしに、ひとんちの庭の様子が少し見えちゃってるんですから。いやこれは泥棒に下調べの情報を与えているようなもので、ますます次の本を書くときに、一章をまるまる「空き巣防犯対策」に充てる必要を痛感しました。
 だって普通は、用もないのに路地に立ち止まって、道路からちょっとばかりひっこんだところにある他人の家の窓などのディテールをしげしげと眺めたり、周辺情報を撮影したりは、しないですよね。「ストリートビュー」のおかげで、以後はそれが、誰にも怪しまれることもなく、こころゆくまで観察できるようになってしまったのですよ。えらい時代だ。
 そこで予測します!
 これからは「ストリート」に面した地所、「ストリート」から直視可能な住宅は、個人の住居としては「価値」は下がるでしょう。
 つまり、「個人情報」に続いて、「個人用住居情報」=家屋のプライバシーが、これからは高い価値を獲得するに違いない。
 個人庭園も、「表の庭」の時代は終りますね。地中海式邸宅のような「中庭」こそが最高の贅沢となるでしょう。それに次ぐのが「裏庭」か。
 「目隠し用」の背の高い植木も、需要が伸びるでしょうね。しかし、「目隠し板」などをめぐらしては、防犯と両立しませんから、けっきょく、「中庭」こそが新たな理想となるはずです。
 そしておそらく、江戸時代の武家屋敷街がそうであったように、玄関にも門にも「表札」は付かなくなる時代が、再びやって来るでしょう。
 少なくとも、ストリートビューの解像度の写真に写るような大きな文字では、家人の姓などは表示されなくなるのではありますまいか。
 逆に、店舗や事務所にとっては、ストリートビューの解像度の写真でハッキリと読めるような分かりやすい看板を、ストリートに向けて掲示しておくことが、必須となるでしょう。
 そうそう、以前、「正直へたばった庄司山」の登山リポートでスナップ写真をご紹介したことのある石川町の「ニート・ハウス」も、グーグルのストリートビューで確認することができました。が……、あの写真ほどのインパクトは無いですね。こういうところは「流し撮り」の限界でしょう。
 それと関係はないのですけども、昨日(8月6日夜)、陸自の函館駐屯地内の盆踊りに出かけてみました。地元のイベント情報サイトをみても、これに関する情報は載っていません。わたしは、『MAMOR』という(拙宅には只で送られてくる)雑誌を見て知ったわけです。(ちなみに8-1の港祭りの花火大会での海自基地一般開放というのは、「見物人のために打ち上げ場所から最も近い一等地の座り場所を夕方から貸します」というだけです。掃海艇などを公開するわけじゃないようです。)
 駐屯地は駐車場に余裕がありますから、遠くからでも参加できるのが有り難いんですよね。それと、あらためて感心しましたのは、テキヤが入り込めない空間ですから、夜店がぜんぶ「自前」です。
 ただ一点、感心しかねましたのが、「イカ踊り」という、じつにしょーもない「ご当地エレクトリック盆踊り」を採用していたことです。市内には、これを積極的にパワープレイする盆踊り会場と、「こんなものは盆踊りじゃねえ!」と顰斥する会場とがあります。古くからのコミュニティならば排除するのが当然だ。歌詞に風情は皆無で、これいじょう味わい薄く軽躁な、まるで観光客相手の魚市場で金髪ニイチャンが連呼しているだけみたいな音曲ってのも、全国的に珍しい。これに市が税金を投じたのだとすれば幾重にも情けないはずなんだが、それを恥ずかしいとも悔しいとも感じられないのが、まあ、無気力公務員の仕切る地方の現実なんでしょう。自分の子供の幼少時代の記憶にこんなノイズィな盆踊りを刷り込んいて、彼らは平気でいられるのかな? こういう地方の頽廃っぷり、無神経ぶりが、いまや逆に国政レベルにも波及し、模倣されようとしているんでしょうか。
 以前噂に聞いた話では、あの北島三郎氏が一貫して出身地イベントに冷たいのも、有名になったあとで函館市当局から受けた対応が酷いものだったから、といういきさつがあるのだと。さもありそうなことだと、この頃では考えるようになりました。とにかく地方は無気力すぎるぜよ。
 ところで皆様、マンガ『やっぱり有り得なかった南京大虐殺』の英語版 : ” Out of Drawings of Scenes of War; From Shanhai (August, 1937) to Nanking (December, 1937) ” (c)Hyodo Nisohachi & Kosaki Takeshi には、ざっと目を通していただけたでしょうか?
 ちょっと見ただけでもまだミススペリングが残ってますね(テキストファイルじゃないのでもう修正はできません。あしからず)。わたしが大学生時代に習った話では、スペル間違いが1個でもあると、英米のビジネス界では、その男の信用はゼロになってしまうから気をつけろ、と。
 しかしこういう脅かしにビクビクしていれば、けっきょく日本人が英文で真実を訴える機会も縮小して限りなくゼロになってしまうでしょう。それではシナの「腐らせソフト・パワー」に負けてしまう。もっと大胆になりましょう。
 「アウト・オブ・ドローイング」にはもちろんシャレも含まれています。