御礼・米田富彦さま

 『軍事情報』さまから、ご連絡を頂戴しました。
 このたびは「軍事図書情報の総合環境改善について(提案)」をお寄せくださり、洵に嬉しう存じました。
 さらに、より多くの皆様から、わたしなどが思いもつかぬような多種の制度提案が寄せられますことを、強く期待いたしております。
 多品種少量商品である書籍を、再販価格制度がある日本国内で商おうとする場合の構造的な諸問題は、米田さまのおっしゃる通りです。新刊書店、古書店、ネット通販業者をはじめとし、関係する企業人は、人智を尽くして最適なシステムを構築しようと努めています。その成果が、「特別な理由がない限り、消費者は、読みたい本をネット通販で買う」という現況なのではないでしょうか?
 儲からないことが初めからわかっているような店舗形態を、経営者さんにリクエストするという考えは、小生には無いのであります。(すでにミリタリー・コーナーを充実させていらっしゃる新刊書店の棚の担当者さんには、いくらでも個人的にご協力するつもりですが……。)
 どういう新機軸があれば、経営者も儲かり(=棚の地積が不要で、在庫も不要で、万引きや汚損を心配しなくてよく、返本作業もなくなる)、消費者も便利で(=サーチ・コストが極小になる)、しかも貴重な軍事図書情報が万人によってフル活用されるようになるのか――を皆様とともに考えて参りたいのであります。
 ところで、古書店の中には、店頭販売は一切せず、「目録販売」だけにしているところが、昔からありますよね。
 インターネット時代の今、「目録」をオンライン化し、しかも、あたかも大規模(新刊/古)書店の店頭の専門分野コーナーで、手にとってブラウジング(原義は「頁をパラパラとめくってみる」)しているかのような感覚で、ビジュアルに品定めができる、その上で宅配/店頭渡しの注文ができる、――そんなシステムは可能であろうと想像します。
 このようなオンライン・サービスと「場の提供」をセットにして、ごく狭い店舗面積で、「時間と場所を売る」営利を成り立たせることは、可能かもしれませんね。
 ブレーン・ストーミングを呼びかけております小生と致しましては、何か、中央集権的な機構(図書館など)を立ち上げる、という発想も、ないのであります。
 もうそういう時代ではなくなっているという認識です。広く分散的に貴重な情報を保存し、世界のどこからでも必要な情報にアクセスできるようなシステムが、できるはずです。
 インターネット上にこそ、資料庫/レファレンス・ルームを構築できる、とわたしは思っています。その実験として、すでにわたくしは「読書余論」という有料メルマガを作成しています。
 新刊と古書をあわせると数十万冊になるであろう軍事関係の図書。そのひとつひとつについて、めいめいが、「読んで役に立つのか」を手っ取り早く把握したいと思っていることでございましょう。
 また、多くの人は、1冊の資料を読破するために週末の2日間を費消したり、似たような情報の本を2冊読んでる暇などはないと思いますから、「この図書の、他の図書には無い価値とは何か。それは、どの辺に、どのように書いてあるか」をかいつまんで整理紹介してくれる係には、きっと需要があるでしょう。
 ただし――、「読んで面白いのか」だけは、いかなる紹介者にも断言はできますまい。読者によって、関心や感受性は、まるっきり異なるからです。たとえばわたしは、日本製の巨大ロボット・アニメのどこが面白いのか分かりません。また、ハリウッドの大ヒットSF映画よりも、フィリップ・K・ディックの小説の方が10倍面白いんじゃないかとも思います。でも、こうした価値観をわたしと共有しない人が、日本の安全保障に貢献しないとは言えません。そんなことは、誰にも予断できないことなのです。
 ですので、わたしの「読書余論」のような試みを、わたしとは違う視点からやってくれる人が、できるだけ多数、あらわれてくれることを、待ち望んでいるという次第であります。
 (「読書余論」を購読されていない方は、過去の「武道通信かわら版」バックナンバーの「今週の古本」か、もしくは、過去の「放送形式」の中の「摘録とコメント」を献策すれば、概ね、どんなスタイルなのかを把握できるかと存じます。)
 (なお、これは、有料にしませんと、作業の手間との関係で、到底、モチベーションが維持できません。ご理解ください。)
 ところでいったい、今日の日本人にとって、軍事図書とは「実用書」なのでしょうか、「趣味書」なのでしょうか?
 ざんねんながら、日本政府が、唯、米国に対してのみ、外交と安全保障の責任を負う「属国」((c)太田述正氏)である以上、日本では、実用書としての軍事図書の需要は、ほぼゼロ。
 それを読んでお利口になったところで、何の役にも立たない。実益が伴ってこない。メシが食えることにならぬわけです。
 たとえば、1998年に訳刊されたサミュエル・ハンチントンの『文明の衝突』の内容を覚えている人は、日本にはもうほとんどいないように思います。これほど「実用」的な本は無いであろうにもかかわらずです。
 邦訳479頁で、ハンチントン教授はこう主張していました。〈ロシアを、正教会文明圏の中核国家として、アメリカは認めよ。ロシアはその南側の国境線の安全について正当な利害関係をもつ。それをアメリカは認めよ。それがイスラムの世界的な暴力を抑制してくれるからアメリカは安全になる〉。
 プーチンは、ブッシュ(子)政権とその後継政権スタッフもこのハンチントン・ドクトリンを疾うから承認しているのだろう――と踏んで、グルジア方面へ強気の行動に出たのに違いありますまい。
 ハンチントンは、米国のベトナム戦争はなぜいけなかったかについて、〈シナとベトナムは同じ宗教で同じ文明だった。その同じ文明の中の揉め事に、異文明に属する異教徒として介入したのが、アメリカの大損につながったのだ。すなわちアメリカはインドシナをシナから救おうなどと考えるべきではなかったのだ。今後も、このベトナム戦争のような余計な介入を、アメリカは避けるべきである〉(邦訳 p.486)とも示唆しています。
 それでプーチンは、「ロシアとグルジアは同じ文明圏。だから異文明に属するアメリカは、同地域への本格介入には二の足を踏むに違いない」と見切った。
 他方、チェイニー氏は、「石油というアメリカにとっての最大の安保要素が関係している以上、文明圏の違いを乗り越えてでも介入するのがアメリカ政府の責務」と心得ているのでしょう。
 けれども、外交と安保を米国に丸投げしている日本に住んでいる限り、そんなことはどうでもいいでしょう? マック偽憲法の下、外交権と国防権がそもそも日本国には無いのだから、有権者がなにか良い国策を提案しても、マック偽憲法を否認することすらしたがらない属国政府が、それを検討するわけもないからです。
 もちろんまた、日本では、試験に合格して高級官僚になったり、あるいは選挙に当選して政治家になるということが、世界経営に参加するということを少しも意味しないですね。
 世界の心配はアメリカがすればいい。日本はアメリカに「お願い」することができるだけなのです。
 となったら、そんな方面の知識を身につけたって、日本人は誰も、得をしないと考えるのが当然です。カネや出世に関心の強いパワー・エリートほど、そう判断するでしょう。
 したがいまして、日本では、国防の話は「実用」ではなく「趣味」なのです。江戸時代の知識人サークルにおける「オランダ天文学」みたいなものですよ。
 しかし、「暦法」限定とはいえ、蘭学の素養がまるっきり無いと、幕末のような真の混乱期に突入したときに、あわてて西洋の技芸を真似することもできなくなるんです。リテラシー人材の供給源が、有事の際に、残っている必要があるのです。
 だから今、軍事を「趣味」と認識した上で、これをあくまで存続させ流行させ、リテラシーを有する人材のプールを継承させていくようわたしたちがサポートすることには、偉大な意義があります。
 さいごに一つ、また提案をします。
 旧漢字や旧かなを含む日本文の活字を数十万冊もPDF化したすべてのファイルの中から、十分な精度でキーワードを即座に探り当ててくれて、「○○という本の××頁にそのキーワードが載っています」と教えてくれるソフトを、誰か開発して公開してください。
 この「アクティヴ索引ソフト」があれば、数万冊の貴重な戦前の軍事文献(ただし活字で組んであるもの)をPDFで画像データ化して、インターネット上の会員制図書館にアップロードしたものを、誰もが効率的に利用できるようになります。
 この画像文字解析ソフトがないと、日本の研究者は「地獄めくり」(最初から1頁づつめくって探す)を強いられることになりますので、将来、ウェブ上のPDF図書館が構築されたとしたところで、活用率は抑制されてしまうでしょう。つまり、必要な情報を即座に確かめることができない。それでは戦争にも外交にもプロパガンダ工作にも、負けてしまうのです。
 日本の図書は、外国に比べて安価なのは結構なのですが、一般書ですとまず「索引」はついていません。(中には、学術研究書であるにもかかわらず、索引がついていない本すらある。)日本文は、斜め読み捜索が比較的に容易なため、それに甘えてきたわけです。
 しかし、新刊の発行点数が年に7万冊にもなった今、新刊でも、消費者が関心のあるキーワードのある無しを、買う前にオンラインの索引で確かめられるようになっていることが、望まれるはずです。