見本出来! 192人ノーカットの『[新訳]名将言行録』by 兵頭 二十八

 ついに完成しました。
 ご好評の『[新訳]孫子』に次ぐ第2弾! 『[新訳]名将言行録――大乱世を生き抜いた192人のサムライたち』(PHP刊)
 ……の見本が、であります。
 じつは訳編者のわたくしも、まだその見本を手にしていない段階です(今日、明日あたりに届くかな~)。しかし宣伝を先行させましょう。店頭発売は、東京都内の最も早い書店様で9月18日だろうと思います。
 192人全員の話をハンディな1冊(新書版型で約290ページ)に押し込むため、兵頭の判断基準で割愛せねばならなかったエピソードが多いのが遺憾ではありますけれども、「岡谷繁実(おかのやしげざね)がまとめたオリジナル版の全64巻なんて、いまさら読んでられるような暇はねえ!」とおっしゃるご繁忙な現代人の皆々様には、まさにぴったりフィット! 
 殊に、これから総選挙に参戦しようという各陣営の中間管理係の方々は、かならずお買い求め下さい。一晩で読み切れるこの1冊の中に、〈足軽の人心掌握法〉が、ぜんぶ書いてあるのですから……。
 また、「『名将言行録』なんて、史料としてほぼ価値無いだろ?」とバカにしつつも、『ある有名なエピソードの元種は、いつどのように発生し、コピーされてきたのか?』を文学的な興味から追跡なさりたいと思っておられる向きには、手掛かり捜索の入り口として、心理的に抵抗なくお役に立てられるヒント集となっております。
 すなわち各将の項目は、読者の便を考えて「あいうえお順」で配列し、そこにいちいち、オリジナル版(明治28~29年版)での掲載巻号を書き添えてありますから、気になった部分は、すぐにオリジナル版に当たって原文をチェックなされば、疑念がすばやく晴れるわけであります。
 編集していて気付いたことひとつ。
 有名な大名の中には、「自分はいかに家臣の過失に対して寛容であったか」を針小棒大に記録させている者が、どうも多かったのであります。
 しかしその大半は、当人の矯激や器量の小ささ、家中の文化がいかに粗略だったかの裏返しの傍証にすぎないように見受けられます。無理な自慢話で飾ろうとして失敗しているのであります。
 そんな中、松平正之に関するそのカテゴリーのエピソードには、臭みが感じられません。円満な教養人が家来を穏当に扱おうとしたらしく思えるハナシが、多いのであります。それだけ、家中の取締りは隙間無く厳重であったのかもしれませんけど……。
 『名将言行録』は、過去あまたのダイジェスト企画ですと、江戸時代の幕臣のほとんどを外してしまっています。けれども、兵頭は、『名将言行録』の真価は、従前のダイジェスト版でネグレクトされている部分にもあった――と見当を付けまして、積極的に、それらのエピソードを拾いました。ですから、あらためて買って損はない筈です。
 ところで、明治42年末からの復刻版の序文で、秋元興朝が、わざわざ〈明治28年の増訂版ができあがったとき、それを伊藤博文にも贈って、伊藤は日夕[にっせき]それを愛読してくれた〉と言及しているのが、すこぶる興味深いように思っております。
 ちょうど、明治41年から翌年にかけ、米国のセオドア・ローズヴェルト大統領は、日露戦争後の日本人に警告を与えるために、「ホワイト・フリート」と称された大艦隊(主力艦を日本の聯合艦隊の約2倍あつめた)を訪日させました。
 その「白船」艦隊は、世界周航の途次、東京湾や大阪湾に立ち寄っております。日本の指導者階級は、必死の報道管制と友好ムードの演出によって、国内世論の反米ヒステリーや恐米パニックを抑圧しながら、内心では著しく緊張したのでありました。米国側でも、「ひょっとしたら日本海軍との海戦になるか……」と身構えていたくらいだったんです。
 「日露戦争」に続く「日米戦争」の予感にひとしお狼狽したのが、日本刀で人を暗殺したことがある歴代ただ一人の総理大臣経験者、伊藤博文その人……。久里浜に現存しますペリーの顕彰碑も、伊藤の撰文で、このとき「空気工作」の一環として建てられたものでした。たぶんは伊藤は、『名将言行録』も、岡谷繁実(おかのやしげざね)が初志として狙っていたような「攘夷の指南書」としてではなく、日本人の無謀や無思慮を戒める教養書として、評価していたのでしょう。