『旅順攻防戦』余話

(2004年2月29日に旧兵頭二十八ファンサイト『28榴弾写真置場』で公開されたものです)

(兵頭二十八先生 より)

 別宮暖朗先生の新刊の宣伝として、同書に載らなかった周辺的な雑談をしようと思います。

 この企画に関しましては28cm砲弾の写真収集等、皆様にもご協力を賜り、有難うございました。どうも版元の都合でせっかくの貴重な写真が掲載してもらえなかったようなのは残念ですが、まあ、よくあることでしょう。

 去年、私はスカパーのラジオ放送で、花火のお話をしました。そこからおさらいしてみたいと思います。

 今の日本の法律では、花火に仕込める火薬は80kgと決められています。直径90cmの2尺玉にも、それより多くは入れられません。

 打ち上げる火薬は「割り薬」といい、黒ゴマ状の粒に練られていて、500グラム。これで高度600mまで上がるのです。筒と玉の間には隙間があり、そこから点火用の千切れた火縄を投入します。

 どの角度からみても球状に多重の菊が咲く、日本の打ち上げ花火の技術は、塩素酸カリウムが輸入されだした明治7年頃から、大正末にかけて完成したものです。

 この日本型の花火玉、基本構造はナポレオン戦争時代の「曳火榴弾」に似ていました。もちろん鋳鉄ではなく、腰の強い和紙の重ね張りを、殻の素材にしたのです。

 黒色火薬は開放空間で火をつけても爆発しません。これが爆発するためには、火薬全体に火が回るまでの一瞬の時間、発生ガスの圧力が閉じ込められなくてはならないのです。そして、その外殻がいよいよ内圧に負けて破裂する際には、全方向に均等にはじけとぶようにこしらえておかなければ、花火は球状には散開しません。

 興味深いことに、欧米の打ち上げ花火では、その「三次元シンメトリー」の理想は、最初から諦めています。なんと、筒状の殻を打ち上げて、筒の一方から、すすきの穂状に飛び散るようなものしかない。おそらくは「曳火榴霰弾」の発想なのでしょう。

 このように祝祭用の洋式花火では西洋を早々と追い抜いた日本人だったのですが、肝心の戦争で用いる「砲弾」や「爆弾」の技術では、近代日本の陸海軍は甚だ苦戦しました。じつは、この分野ではいまだに西洋には追い付いてはいないのですけれども、それは防衛庁周辺ではなんとなく秘密にされている雰囲気です。

 追い付けない原因は、シミュレート能力に関係しています。

 砲弾は花火のように空中で勝手に自爆するものだけではありませんね。多くは、何かに当たってから爆発しなければなりません。

 当たる対象が柔らかい地面だけであるなら、信管を敏感にすれば良いだけの話で簡単ですが、そうでない場合がしばしばある。たとえばコンクリートの半地下室です。たとえば岩盤に掘られた満州の塹壕です。たとえば軍艦のぶ厚い砲塔や舷側です。

 これらの「ハード・ターゲット」に砲弾を貫入させるには、砲弾の殻は強靭に造らなくてはならない。ところが、殻を強靭にこしらえますと、その中に充填できる比較的に僅かな黒色火薬では、細かな均一な破片を無数に飛散させることができない。比較的少数の大きな塊に割れますので、密閉空間内に飛び込んだときには、十分な対人殺傷威力と焼夷力を揮うのですけれども、開放空間での人馬に対する危害力は思ったほどではない。また、ハードターゲットそのものを崩壊させるような爆圧も発生できません。

 日露戦争で旅順要塞を攻略するために、日本陸軍は、本土の海峡防備のために置いてあった「28センチ榴弾砲」を、東京湾と由良から取り外し、現地に送りました。これは有名な話ですね。

 この大砲は、明治20年代の軍艦の甲板(それは硬い材木を何重にも張ったものです)を上から射ち貫き、内部で爆発させて、あわよくば弾薬庫に火災を起こさせてやろうと考えていたもので、発射する砲弾は、ぶ厚い、しかもとても硬くなるように熱処理した鋳鉄製。中に充填された炸薬は、長期保存しても安全確実で、しかも燃焼時の発生ガス圧の大きな粒状黒色火薬でした(ちなみに花火の玉に入っている黒色火薬は粉状のまま使うので低威力です)。

 日露戦争では、日本陸軍は緒戦そうそうに、陣地攻撃に有効な「榴弾」を撃ち尽くしてしまって、内地の工場がフル操業で砲弾を量産しても間に合わないような状態でした。しかし好都合にも、この28センチ砲弾だけは、各地の海峡砲台におびただしくストックされており、工場に改めて増産をさせる必要がありませんでした。

 当時すでに「ピクリン酸」という、黒色火薬とは比較にならぬ猛烈な爆薬が、陸海軍で実用化されていました。開放空間でも付近の可燃物に火災を起こさせる高熱も、同時に生ずるものです。が、これは極く不安定な物質で、砲弾に充填するときにいろいろと気をつけねばならぬことがあり、巨大な28センチ砲弾は国内を列車で運ぶだけでも手間でしたから、陸軍省は、黒色火薬充填のまま、旅順に向け海送させたのです。ただし、最初に送った二千数百発については、その信管(各要塞内に、砲弾とは別な倉庫に保管されます)から「延期装置」を外させていたことが、防衛研究所に残っている当時の電報綴りから確認できるでしょう(これら公文書史料はインターネットを通じてデジタル画像を読むことができるようになっています。「函館」「信管」といった複数キーワードで検索が可能でしょう)。

 延期装置というのは、信管の中にあり、軍艦の表面では起爆させずに、内部の奥深くまで穿貫してから炸裂するようにタイミングを遅らせるための小部品です。しかし28センチ砲弾は弾頭ではなく弾底側に信管がついていたので、この延期装置を外しても理念的には「瞬発」とはなりません。ある程度の鈍感さはあり、百分の何秒かは遅れて轟爆します。

 これはどういうことだったかといいますと、別宮先生の本に書かれていますように、陸軍の最上級幹部には、この28センチ砲で旅順港内のロシア軍艦を撃沈しようという意図は無かったのです。明瞭に、二龍山や東鶏冠山北堡塁などのコンクリート天蓋陣地内の敵兵員を制圧させる目的であったのです。浄法寺朝美氏によれば、厚さ60cmのコンクリートの下に居たコンドラチェンコ少将は28cm砲弾の命中で戦死しました。

 おそらく、その時点でのストック砲弾の性能と対象物との間の「摩擦」が読めた者が、参謀本部や満州総軍ではなく、陸軍省の中に居たのではないか。私はその筆頭者が、技術系の少将だった有坂成章だろうと思うのです。

 この砲弾の人員殺傷効果が徐々に効いてきたので、まず「203高地」が陥落し、ついで他の敵陣地も守備努力が放棄されました。前後して28センチ砲による軍艦砲撃も試みられていますが、講和後にロシア艦を引き揚げて調査したところでは、やはり鋳鉄製の28センチ砲弾には、日露戦争当時のロシア戦艦を撃沈する威力は欠いていたことが理解されました。

 旅順のロシア軍艦は、副砲をすべて舷側から取り外し、山上に据えて日本兵を射撃しました。砲弾や火薬、そして水雷までも陸揚げし、陸戦兵器として活用している。むろん水兵も、塹壕の補充用員として次々に送り込んだのです。このため次第に艦内では、漏水をポンプで排水したり、火災を消火する「ダメージ・コントロール」が人手不足ゆえに不可能になって、窮余の策として、いっそ導水バルブを開き、浅い港内に自から着底して、艦を水中で保存するという手に出たのです。そして守備軍司令官が降伏することがハッキリすると、こんどは軍艦を日本に再利用させぬようにと内部で機雷を炸裂させたのでしたが、すでに弾薬庫すら空でしたから、小さな穴が開いただけに終りました。

 当時の機雷には、爆薬が30kg以上も入っています。これでなくては戦艦を沈没させることができなかった。しかるに、28センチ砲弾の炸薬は黒色火薬が9.5kgのみ。また当時の陸軍として最新のクルップ製15センチ榴弾砲でもピクリン酸2.6kg、15センチ加農砲だと同1.6kg、12センチ榴弾砲では同1.3kgというところでした。

 本来なら、これでは撃沈効果など無いのですが、撃沈したと同じ結果をもたらすことができましたのは、現地で敵の「士気」を観察した結果です。これはウォー・ゲーム式の机上理論では分らないことだったでしょう。

 それならば、日本海軍の砲弾は万全であったか?

 日露戦争頃の戦艦の主砲の寿命は、120発です。つまり、主砲が4門ある『三笠』でしたら、一海戦で30センチ砲弾を480発以上撃つことなど考えていない。タマも、その分だけ積んでいたら良かったわけです。ですから海軍の徹甲砲弾は、陸軍のように大量生産向きな鋳鉄ではなくて、贅沢な圧延特殊鋼を採用していました。中味の炸薬はピクリン酸です。

 信管は、とても敏感だったと言われますけれども、やはり弾底に装置されたものであって、タマ先が何かに触れて炸裂するまでの間には一瞬のディレイがありました。その間に強靭な弾殻が敵艦の装甲内部に貫通し、内部のピクリン酸が轟爆することになっていたのでしたが、日露戦争後の調査では、これも次のような事実が判明したといいます。

 すなわち、軍艦の舷側のような堅い金属表面に命中した砲弾の内部では、信管が作動するより前に、衝突衝撃で赤熱した弾殻がピクリン酸を自燃させ始めてしまい、結果として緩慢な爆発に終っていたというのです。

 道理で、さんざんに砲弾を撃ち込んで炎上させ、ついに降伏に追い込んだロシアの戦艦が、いっこう沈む様子もなく、内地の軍港まで簡単に連れ帰ることができ、やがて日本の戦艦になったりしているわけです。

 こういうディテール情報は、明治末期には軍の上層部に共有されていたのだと思われますが、大正末期には忘れられてしまい、特に陸軍では、佐藤鋼次郎中将の嘆いた「歩兵科」至上の空しい戦術主義(これについては『SAPIO』バックナンバーをごらん下さい)が横行して、昭和の国家防衛を破綻させてしまうのです。

 28cm砲の据付に関しては『偕行社記事』という雑誌に、その工事を指揮した将校・横田穣(有坂に抜擢された)の回想が載っているのですが、なぜか最初の砲撃開始の時点で、話が終ってしまっています。これは、今にして思いまするに、谷版『機密日露戦史』の「203高地攻め直前に児玉がさらに砲床を動かさせたのだ」説と、背馳してしまう内容だったために、編集カットされたのではないかとも疑えるでしょう。

 奉天では日露双方が観測気球を活躍させていますが、なぜ旅順ではあまり役に立たなかったのでしょうか? これは、旅順が海のそばで、しかも大陸の縁ですので、連日上空に強風が吹いていたからだと考えられます。またおそらく、要塞内から射程の長い重砲で榴霰弾による曳火射撃を受ければ、地表付近のデカい気球だけに、照準も付け易く、ひとたまりもなかったんでしょう。

 それから海軍がとにかく旅順攻略を急がせた理由ですが、戦艦の主砲身の内筒交換の必要があったためではないでしょうか。実射120発で寿命になるというのですから、これを新品に代えておかねば、摩耗したライフリングでは命中が期待できなくなります。(訓練は、内とう砲という、同軸固定の縮小射撃装置=豆鉄砲でやっていたんだろうと思います。)30cm砲の内張り交換が朝鮮あたりでできれば良いのですけれど、その設備はなかったのでしょう。

 もちろん、機関その他の整備もやりたかったのでしょう。当時の国内のドックがあまりに作業能力に余裕がなかったので、時間に余裕をもたせたかったのではありますまいか。
 昭和19年刊の佐野康著『闘魂記』には、アッツ島で将兵を殺したのは艦砲射撃でも地上火器でもなく、敵機の猛爆であった、と書いてある(矢野貫一編『近代戦争文学事典 第三輯』)そうですので、28Hの対塹壕射撃の効果の程も想像できるのではないでしょうか。それは、密閉空間で炸裂したときだけ、決定打となり得たのです。

 ちなみに、これは前にどこかで引用済みの数値と思いますが、日本は日清戦争で50万発の砲弾を補給したのに比し、日露戦争では105万発を補給。この日露戦費の起債が、旅順陥落までは難儀を極めたのです。また支那事変&大東亜戦争では7,400万発を補給していますが、すでに欧米列強はWWIの4年間で各国とも億発単位で発射していたことをご想像ください。ちなみに1941~45年の合衆国は、無慮4百億発を補給しました。

 『旅順攻防戦』にはフランスのシュナイダー社製75ミリ野砲が出てきますね。この諸元が大正5年の『各国各兵種使用兵器概見表』(by臨時軍事調査委員)に載っています。

 名称   1898年式野砲(※1897年に仏が初めて駐退機付きの75ミリ野砲を完成しましたが、それと同じものでしょうか)

 砲身素材 ニッケル鋼
 機構   ねじ閉鎖、気水圧式駐退、空気式復坐
 弾頭   7.2kg(榴散弾)
 炸薬   130グラム(榴散弾子放出用)+10g弾子×300個+濃煙剤
      またはメリニット700グラム(榴弾)
 仰角   最大12度
 初速   532m/s
 射程   榴散弾曳火200~5500m可変、榴弾Max8500m
 発射速度 20発/分(急射の場合)
 放列砲車 1150kg
 1中隊   4門 

 ちなみにドレフェス事件は、仏軍の最新の120mm砲の秘密漏洩の嫌疑がかかったものでした。


日本海軍の爆弾―大西瀧治郎の合理主義精神 (光人社NF文庫)


(管理人 より)

 以前スカパーで『Salon 28』という兵頭二十八先生がメインパーソナリティのラジオ番組が流れていました。実話ですよ!もちろん私は聴いていました。録音したCDを紛失した事は、痛恨の極みである!
 もう1回やってくれないすかね、藻岩山ラジオとかで……。マンガ『波よ聞いてくれ』は本当に面白いなぁ。
  (2020年2月)


28榴弾写真置場──大分県中津市奥平神社の正面に奉納されてる物(report 4)

(2004年12月5日に旧兵頭二十八ファンサイト『28榴弾写真置場』で公開されたものです)

report 4:S/Y 様のレポート

 大分県中津市奥平神社の正面に奉納されてる物です。
 高い所にあるのでこれで精一杯!


28榴弾写真置場──春日井駐屯地(report 3)

(2005年3月21日に旧兵頭二十八ファンサイト『28榴弾写真置場』で公開されたものです)

report 3:Masato-Shit 様のレポ-ト

1

 28cm砲弾(?)の全景(全周同じ状態なので、この一葉のみ)。銅帯の「ど」の字もありません。よ~く見れば、胴体上部には銅帯(溝)の痕跡のようなラインが看て取れますが、弾底部は見事に真っ平らです。表面は全面防錆塗料。背景の建物は、短SAM整備工場(!)

2

 全長測定。メジャーを持つのは、駐屯地の広報担当Y氏。

3

 「画像2」の接写。1m越えてます。ナんぼナんでも、15cm以上も誤差が出るなんてことは考えられませんが(喜久一丸稲荷レポートを参照)・・・。

4

 全周測定。(メジャーを持つ手はY氏)。ドンブリ勘定ですが、28cm砲弾ならば、全周は88cmになるはず。測定誤差を勘案しても、この砲弾、太すぎます。


結論。この砲弾は、旧軍の28cm榴弾砲のものではない。少なくとも、喜久一丸稲荷に在るものや、「日本の大砲」に写真が掲載されているものとは、別種である。


5

 米軍の1t(2000 ポンド GP)爆弾。Y氏によると、守山駐屯地の武器班が処理した不発弾とのこと。原型を留めている貴重な現物資料・・かと思いきや、これほどの大型爆弾は、近隣の被害を考慮して、不発爆処理は行わないそうです(守山の武器班担当氏による)。上部のリングは、Y氏によると、後から取り付けたもの。

6

 12吋砲弾。以上三点は、いずれも守山の部隊が処理したものを、春日井に持ってきたそうです。しかし、その時期等は守山でも把握していないようです。この三点、Y氏によると、駐屯地では誰も関心を持たないどころか、完全な邪魔者扱いだそうです。マスコミも、数年前に、地元紙が終戦関連企画のためにか、取材に訪れただけだそうです。むしろ、基地祭を訪れた戦争体験者が「こんなのあったんか」と驚いた顔をするとか。

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 爆弾の弾頭部接写。

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付記

防衛庁 url: https://www.mod.go.jp/

 一応、事前のアポをお忘れなく(一名ならば、当日でも可だそうですが)。尚春日井は、現在隊舎の引越し中とのことで、見学を断られる可能性があります。

wwwサイト「帝國陸海軍 現存兵器一覧」http://www.asahi-net.or.jp/~KU3N-KYM/list.html に、若干の記事と画像があります。

(2020年2月 管理人注:当時は防衛庁でした。URLは管理人が変更しています。)


 (管理人 より)

 これらのレポートをサイトで応募してもらっていたのである。今にして改めて思うがこの方々、凄くね?


28榴弾写真置場──岐阜の喜久一丸稲荷神社の現存28cm砲弾のレポート(report 1・2)

28榴弾写真置場──虫のよいお願いシリーズ、其の二[堅鉄榴弾] より継続


(2005年3月12日に旧兵頭二十八ファンサイト『28榴弾写真置場』で公開されたものです)

report 1:Masato-Shit 様のレポート

側面の全景

 この面の銅体は、完全に減失していますが、溝部には銅サビ(緑青)がべっとりと付着しています。弾頭のコーン部と円筒部分との境界部には、接合跡(?)があります。溶接跡のようなハッキリした盛り上がりがあり、少なくともワンピース削り出し、あるいは一体鋳造には見えませんでした。
(いずれにせよ旋盤仕上げ加工を行うはずですが・・・)。
 なお、胴前部の銅帯溝にある白いものは、鳥のフンです・・・。

斜め前方の全景

 こちらは日光が当たる面のためか、赤サビがひどいです。しかし、銅帯が一部現存しているのがわかります。

弾底部直径測定

 縁が丸く画取り加工されており、巻尺がうまくかかりませんで、定規と相成りました。中央の穴は信管穴。その上の突起部は、掲示板の投稿で触れた「リング」(左手で隠れている部分にもう一つあり)。
 これがホントーに妙なシロモノで、他のものがもげた形跡は無いし、後から取り付けたにしても用途不詳、意図不明です(二つのリングの穴が指し示す方向は、一直線上あるいは平行関係にはない)。吊下用にはそもそも小さすぎるし・・・。

『 弾底部直径測定 』の拡大図

 280ミリ以上ということは無さそうです。

弾底部銅帯の接写

 防錆のためか、黒い塗料が厚く塗られております・・・?
しかし、銅体がガスシールのためならば、この形状もナゾです。まさか、散弾銃のライフルスラッグではあるまいに・・・。

アングルを変えての接写

 黒塗料の下に、緑青がうかんでいます。

信管部の接写

 ねじ山はサビて、蛇腹ホースの内側の如し(?)です。縁の
加工からすると、信管は皿ビス様になっており、ねじこむとツライチになるのでしょうか?

奉納譜

 全文は以下のとおり。

 奉 納
 明  治  三  十  七  八
 年  日  露  戦  役  於
 旅  順  港  内  敵  艦
 バ  ー   ヤ   ン 命  中
 我  軍  二  〇  〇  山
 高  地  射  砲  二  十
 八  珊  砲  丸
 呉軍港廻航記念
 元海軍○信○兵曹
   勳七等矢木野新也

 ※原文旧字縦書、改行ママ。○は判読できず。なお、「矢」は「大」の、「木」は「水」の可能性あり。)

胴前部銅帯の接写

 寸法を計測し忘れました・・・不覚!

弾頭先端部接写

 欠損が見えますが、たとえ完全でもせいぜいが+10ミリでしょう。パーテーションラインは見当たりません。

 計測値は下図のとおりです。(手描きですみません・・・)

 スケールはほぼ1/10ですが、あくまで模式図ですので、形状の正確さは
保証できません。また、数値が食い違っている可能性もあります。御了承を。

全長(A-H)     835mm
弾長(A-G)     800mm
弾径(I-M)      274mm
信管穴径(K-L)  38mm
胴部溝幅(C-D)  9mm
弾底溝幅(E-F)  30mm
テーパー部(A-B) 321mm
信管穴加工(J-K) 12mm

付記:ご参考までに。

垂井町 http://www.town.tarui.lg.jp/

タルイピアセンター  http://www.town.tarui.lg.jp/docs/2014121200049/

 タルイピアセンターは、毎週月曜日及び月最終木曜日休館です。町立図書館が併設されているようです。また、学芸員が在籍しています(但し、電話で話した限りでは、現地を訪れたことは無い様ですが)。

※「垂井の文化財 第23集 (1999)」 p63~64 大岡明臣氏の記事によりますと、奉納譜の末二行は 「元海軍一等信号兵曹 勲七等 水野新也」となるようです(但し、この場合字数が足りませんが)。「矢木野」「水野」ともに地元にはよくある姓のようです(特に、前者は以前町長がでているそうです)。「不破郡史 下巻」によると、日露戦争の出征者に、前者に該当する名前は見出せませんでしたが、後者は、「会原村 歩一 勲八 水野新也」の名がありました(p110)。しかし、この人物は所属も勲位も食い違っております・・・


※管理人注  垂井町・タルイピアセンターのURLが投稿当時とは変わっているようですので、管理人が変更しています。(2020年2月)



(2003年8月22日に旧兵頭二十八ファンサイト『資料庫』で公開されたものです)

report 2:読書公社 様のレポ-ト

実測値表

1:820mm
2:30mm
3:30mm
4:14mm
5:364mm

弾底部の外周長は874mm(”2”部分で測定)

1:275mm
2:39mm

1:430?mm

弾底部のリング(腐食変形しているのでおおまかな値です)
1:内径:42mm
2:内径:18mm

奉納譜

奉納
明治三十七八
年日露戦役於
旅順港内敵艦
バーヤ ン命中
我軍二〇〇山
高地射砲二十
八珊砲丸
呉軍港廻航記念
元海軍一等信號兵曹
勳七等矢木野新七

 砲弾弾底部の二つの「リング」の謎について────「戦場写真で見る日本軍実戦兵器」(あの悪名名高き「G」出版の本です。)で謎が解けました。日露戦争の旅順攻略戦で活躍中の28センチ榴弾砲の写真が載っていました。そこには、砲弾も写っていました。まさしく神社で撮影した砲弾と同じ物が写っており、「謎のリング」も弾底部に付属しています。と、いうことは神社の砲弾は間違いなく、旅順攻略戦で使用された砲弾だと思われます。写真からは、リングはクレーンで装填する時に使用されているように見えます。ミリオタ的、重箱の隅的な細かい問題でしたが、ご参考までにご報告いたします。


(管理人 より)

 このレポートをいただいたのも、もう15年以上も昔の話になりますか……。時間の流れは恐ろしいものです。改めて、ありがとうございました。
  2020年2月


28榴弾写真置場──虫のよいお願いシリーズ、其の二[堅鉄榴弾]

(2003年8月9日に旧兵頭二十八ファンサイト『28榴弾写真置場』で公開されたものです)

(兵頭二十八先生 より)

 皆様、暑中お見舞申し上げます。

 現在わたくしは、帝国陸軍が明治37年に内地から旅順へ持って行った「28cm榴弾砲」から発射された「堅鉄榴弾」についてできるだけ深く広く調べようとしております。
 それで岐阜県のお近くの方にお願いがあります。

 インターネット情報によれば、不破郡 垂井町 東2丁目 の「喜久一九稲荷神社」の境内に、旅順で鹵獲し日本まで回航してきたロシア軍艦『バヤーン』の船内から2発発見されたという(おそらく不発の)28cm砲弾のうち1発が展示されているとか。

 まことに勝手なお願いですが、この砲弾のディテールを、できるだけ鮮明な写真に収め、それをこのサイトの一隅にて公開して戴けないでしょうか?

 そのさい、次のリクエストがあります。

一、他の砲弾との間違いでは絶対にないことを確実に承知するため、直径、銅帯のない胴中の外周長、全長を、それぞれ実測してみてください。

二、弾底信管の螺部分の大きさが精密に分るように、そこに巻尺/モノサシを当てた写真も撮影してください。

三、弾頭部分に何かネジこまれていないかどうか、クロースアップもお願いします。
 この三つ目のリクエストの意味は、「28cm砲弾」にも数種類があって、弾頭に信管のついているものは、旅順で発射された「堅鉄榴弾」ではないのではないかと疑われるからです。
 じつは函館の「船魂神社」にも、函館要塞の重砲連隊が大正時代~昭和前期に奉納した28cm砲弾が現存するのですけれども、これは弾頭に信管のようにも見えるものがネジ止めされています。(ちなみに砲弾の外肌は赤錆びてはおらず、ナマリ色で、これは「一号釜石鼠色銑」、つまり南部鉄の鋳物であったという情報に合致するかもしれません。)

 この他、大連の博物館にあるというタマも、インターネットの写真を見るかぎりでは、明治37年に旅順で撃った「堅鉄弾」ではないのではないかという疑問が湧くのです。(日露戦後に旅順要塞の主となった重砲兵部隊が持ってきた、普通の榴弾、あるいは榴霰弾ではないか?)

 他にも、「近くの神社に直径28cmの砲弾がある」という情報がございましたなら、この掲示板にご一報くださいますと幸いに存じます。


28榴弾写真置場──岐阜の喜久一丸稲荷神社の現存28cm砲弾のレポート(report 1・2)

28榴弾写真置場──春日井駐屯地(report 3)

28榴弾写真置場──大分県中津市奥平神社の正面に奉納されてる物(report 4)



28榴弾写真置場──おまけページ── これが現存する旧陸軍の迷彩ペンキだ!

(2007年3月24日に旧兵頭二十八ファンサイト『28榴弾写真置場』で公開されたものです)

これが現存する旧陸軍の迷彩ペンキだ!

(兵頭二十八先生 より)

 ここに掲げる写真は、函館市浜町の戸井高校(浜町717番地)のグラウンドと、公営住宅戸井沢団地(浜町921番地3)の間の雑木林にある、第二次大戦中の旧陸軍のコンクリート要塞の一部である。撮影DATEは、根雪が消えた直後の快晴日、2007年3月22日だ。
 2007年5月の函館ツアーでは、この珍しい遺跡にも、皆様をご案内するつもりである。

 現地は、汐首岬の、やや恵山寄り(太平洋寄り)に位置する。函館空港からは自動車で片道25分くらいなのだが、現地人の案内人なしでは、到達は至難だろう。

 なにしろ日教組最後の牙城とされる北海道では、こうした旧軍施設は教育界の研究保存対象としては意図的にスルーされている。現地に行っても見事に何の案内表示も無いし、観光ガイドブックに紹介されたこともない。

 汐首岬は、青森県の大間崎との距離がもっとも近い北海道の陸地だ。ここが、津軽海峡の太平洋側入り口のチョークポイントに当たっていた。そういう場所には、必ず要塞砲が置かれたのである。
 現在、この戸井要塞の砲台跡などは残っていないようだ。残されているのは、兵員の棲息部だと考えられる。

 とにかく塗装が貴重だ。対米戦争中の旧軍の迷彩塗装がそのまま残っている。しかしこれも、やがては時間とともに失われることは確実。よって小生は奮発してデジカメで撮影した。ツアーご参加の皆さんも、どうか高性能デジタル写真でこの色を永久に保存してやって欲しいと願うものであります。

 なお、現地に通ずる国道278号は、有名な「廃線」跡に並行している。
 函館市内から戸井要塞まで、旧軍は鉄道を繋げるつもりで、海岸に沿って、トンネルやコンクリート製アーチ橋をいくつも建設したのだ。だがそれは終戦までに間に合わず、けっきょく計画は放棄された。そして、トンネルと鉄道アーチ橋だけが、海岸に沿って、今も点々と残っており、道路から間近に、よく見えるのだ。
 例によって函館市は、この旧軍の近代遺産を、観光資源としては宣伝したくないらしく、観光ガイドブックにもほとんど紹介は載っていない。地元民も、それが何だかよく知らないのだ。
 ツアー参加者の中に、もしも熱心な廃線マニアがいれば、帰路の途中、その見学のための便宜も図りましょう!

 あと、観光名所となっている「元町公民館」を「お約束」として正規コースの中にてご案内致す予定ですが、もし、〈そんなものよりアイヌ人の武器が観たいのだ〉という方がいらっしゃれば、オプションとして、バス駐車場からすぐ近くの「北方民族資料館」を御覧いただけます。離頭銛、弓、矢、各種刀剣、木製制裁棒などの珍しい実物が展示されています。(残念ながら館内は撮影禁止です。)
 さらにまた、同じ時間を利用するオプションとして、これまた公民館から近い「船魂神社」の庭にある28センチ榴弾(砲ではなくタマ)に触りたいという方がいらっしゃれば、やはり、ご案内可能です。(北方民族史料館と船魂神社の両方を見学することはできません。方位が逆ですので。)

 では、皆様、5月19日にお目にかかりましょう。

☆☆☆平成19年5月19日~20日の函館・江差方面軍事史探訪ツアーの詳細は、下記までお問い合わせ下さい。

日本エアービジョン株式会社 担当:浅田均
〒104-0061 東京都中央区銀座1丁目3番先 北有楽ビル1階
電話:03-****-****
(2020年2月:管理人の判断で電話番号は伏せています)

(管理人 より)

 近代から現代の歴史を丸ごと満喫する北の大地ツアー『歴史パノラマ探訪iin北海道』──かつてこんなイベントが企画されたのである。
 一体何人集まったのか、私は知らない。行ってみたかったが行けなかった。
  (2020年2月)


28榴弾写真置場──函館山要塞が残した28cm砲弾

(2007年3月頃に最終更新された旧兵頭二十八ファンサイト『28榴弾写真置場』で公開されたものです)

(兵頭二十八先生 より)

函館山要塞が残した28cm砲弾

 一連の写真は、函館山の麓にある「船魂神社」境内の池の脇に、半没状態で安置されている1発の28cm砲弾を、全周アングルからしつこく写したものである。撮影は、2003年7月の下旬だ。

 まさにその1ヵ月ほど前、HTV(北海道テレビ)のスタッフが、物好きにもこれを掘り出して全体を撮影していったらしい。しかし私が訪れたときは、はやこの原状。
 1発217kg(もし発射直前状態の堅鉄榴弾であったならばの話)もある砲弾だ。とても「ヨッコラショ」と抱え上げ、弾底などを観察するわけにもいかなかったのであった。

 だが、私はこの砲弾を見るや、『これはいかぬ』と内心思ったのである。なぜなら、ご覧の通り、先端に信管のようなものがついている。尖っていない。
 これは、アーマー・ピアシング用のタマではない。つまり旧陸軍で「破甲」と称し、海軍では「徹甲」と称した榴弾とは、別物だと知れたからだ。

 コンクリートや鋼鈑を貫通しようというAP弾は、弾頭を少しでも頑丈にしておくために、信管のための孔を弾頭に穿ったりはせぬものなのである。もしそんなスキのある構造にしていたら、弾殻が衝突の瞬間に自壊してしまいかねないだろう。

すでに優秀なるインフォーマー君によってUPされている岐阜の喜久一丸稲荷神社の現存28cm砲弾の写真と、よく見比べて欲しい。実際に軍艦に撃ち込んだタマは、先端が尖っていたことが分る。これぞ、私がとことん仔細に調べたい、当時のホンモノの堅鉄破甲榴弾だ。

 さて、ならば、破甲榴弾でないならば、船魂神社に置かれてあるこいつは一体何のタマなのだ、と問われると、とても困ってしまう。
 それは、目黒の防衛研究所の戦史部図書館に出掛け、タイトル中に「重砲」「弾薬」などとある所蔵史料を片端からめくっていけば、必ず図面付きですべて分ることなのである。
 が、その図書館に日参していた頃、この兵頭は、正直、有名すぎるこの28cm砲などに深い興味は抱かなかった。だから、その貴重な記述を見かけても、まったくメモ帳に書き取っておかなかったのだ。

 そこで関東在住の奇特な方々に呼びかける。誰か、目黒に行って、それを調べて来て欲しい。そして、そのリポートを当コーナーにUPして欲しいのだ。
 たとえば、最大射距離で発射したときの弾道の最高点は、本当に地上5000mくらいだったのかどうか、などだ。

 このコーナーは、世界で唯一の「28cm榴弾の写真博物館」にしようと、密かに私は目論んでいるのである。

 というわけで、愛知県の陸自の春日井駐屯地内にあるという、先の尖った28cm砲弾も、誰か撮影してきて欲しい。

 また、青山墓地などを仔細に探険すれば、きっと28cm砲弾が飾られている墓がある筈である。誰か網羅的に探険してリポートして欲しい。尚、くれぐれも「墓あらし」にはならないように。

 大連の戦争記念館にあるという28cm砲弾は、インターネットの公開写真を見れば、どうも先端が尖っておらず、船魂神社と同種の物であるように見える。
 つまり、それは古戦場から掘り出したものではなくて、日露戦争後に旅順を守備することとなった、日本軍の重砲兵連隊が、教育用か何かに用いていたタマなのだろう。

 ついでだから念を押しておくと、ナントカ群像というムックの舞鶴要塞特集の中
で、28cm榴弾砲をクルップ製であるかのように書いているのは、ヘンな話だ。この大砲がどこ製であったのかは、拙著『有坂銃』をお読みの貴男には今更説明する迄も無かろう。

 函館山要塞は、28cm榴弾砲を尾根線にズラリ並べた要塞として、明治31年6月起工、明治35年10月に竣工している。(日清戦争の賠償金を活用したという。)
 その放列の跡や弾薬庫などは比較的良好に、今日でも保存されているのだ。(観光ガイドブックに載っていないだけで、ロープウェイ山頂駅から歩けば誰でも苦もなく見物ができる。夏場は雑草もちゃんと刈ってある。さすがに冬の除雪はしていないが、通行は可能。)

 ところが、その放列から最も近い対岸となる青森県の大間岬まで、だいたい距離にして30kmもある。28cm榴弾砲は、日露戦争当時から綿火薬を装薬としているが、最大射距離は7650mしかない。(同砲には最短射程限界もあり、それは1500mであった。)

 津軽海峡が最も狭くなっている「汐首岬~大間岬」間でも、直線距離で20km近い。
 つまり、とうじの要塞の数的主力であったこの榴弾砲を仮りに両岸から射ったとしても、津軽海峡の中央までカバーできなかったわけである。

 こんなところからも明らかに、函館山要塞は、「北海道全体の弾薬庫」と位置付けられていた函館地区を、敵(ロシア)の上陸占領の企図から防衛するための備砲陣地であったらしい。

 さすがに遠隔地なので、この要塞の榴弾砲が明治37~38年に山東半島や満州に持ち出されることはなかったが、有り余る砲弾を弾庫から取り出して旅順に送っている。
 ちなみに、旅順を砲撃した計18門(三度に分けて6門づつ運送された)の28cm榴弾砲は、いずれも東京湾か由良(瀬戸内海)の要塞から外して持って行ったものばかりであった。

 28cm砲弾は、旅順戦で少なくとも二千数百発が発射されている。これらは内地で新たに増産したのではなく、すべてありあわせをかきあつめてそのまま送ったタマ。
 ただし、弾底の信管だけは交換した。
 (日本の要塞内では、28cm榴弾砲の砲弾と信管は、別々な場所に保管してあった。即応分だけが、初めから結合されて置いてあった。)

 日本の28cm榴弾には信管が2種類あった。ひとつは遅滞爆発するもので、海峡を通過する軍艦に上から命中させ、当時はまだロクに装甲されていなかった甲板を40度以上の大落角で貫いて、艦底近くで炸裂するように考えたものだ(明治31年刊『砲工学校砲兵要務教程 海防戦之部』)。

 この対軍艦用の信管を、陸軍省は、大阪砲兵工廠に集めさせ、そこですべて「遅延装置」を外させてから、旅順に送らせたのだ。この命令書は残っている。

 ただし砲弾は、そのまま各地の内地要塞から旅順へ直送させたものと思われる。それは何を意味するかといえば、内部の炸薬(なんと黒色粒薬がタッタの9.5kg、ちなみに2尺玉の花火には黒色粉薬がちょうど80kg使われている)を、たとえば黄色薬(ピクリン酸、海軍の下瀬火薬と同じ)や綿火薬には、敢えて詰め替えしなかったということだ。

 そこで改めて弾底信管の直径にご注目である。AP弾は孔は弾底にしか開いていない。(リフティング・アイは、孔にはなっていないだろう。)
 この小さな孔から、黄色薬を詰めた紙袋(ピクリン酸は金属に直接触れると変質し、クラッカーボールのように鋭敏化して甚だ危険なので)を詰めるなんて、できなかったことが確かめられるだろう。

 ではせめて綿火薬に詰め替えなかった理由は何か?
 たぶん、入念に試験をやってみる時間がない以上、技術者(有坂)の良心として、元のままで送り出させることに決めたのだろう。たとえるなら、五輪のマラソンの本番で、いままで一度も履いたことのない新考案のできたての靴を、選手は試せるか、ということだったと思う。大本営では一刻を争っていたのだ。

 もちろん、28cm榴弾砲持ち出し作戦のメリットは、「今あるものを利用できるので、内地にあらたな負担はかけない」ということが大きかったから、余計な面倒は極力回避したのである。黒色火薬は長期保存性では綿火薬を凌ぐのだ。それでも信管だけは、遅延装置を外させた。

 弾底信管というやつは、遅延装置がなくとも、瞬発とはならぬ。弾底信管のみの砲弾は、基本的に反応は遅れて起こり、インパクトからごく僅かにディレイして炸裂する。

 寺内にそのような命令を出させた有坂の意図は不明だが、軍艦よりも、コンクリート・アーチを強く意識していたことは、想像ができよう。

 なお、昭和4年刊の『明治工業史 7 火兵編』には、日露開戦するや寺内陸相が大阪砲兵工廠をおとずれ、堅鉄弾はすべてその底部を改正し、弾底信管を塞螺にうえこむよう命じた、との記述があるが、これは28cm砲弾のことではあるまい。

 28cm榴弾砲は、最大腔圧が1700kg/平方cmで、あまり高くはなかった。しかし、それが信頼性を高めていた。
 WWIの青島要塞砲撃では、新登場の24加の弾底信管が不良で腔発を起こし、けっきょく古手の28cm榴弾砲が安定した活躍をみせたという。また、満州事変では、こんどは24加の弾底信管が発射衝撃で圧壊してしまって、多くが不発弾になったという。
 国産信管はそれほど厄介なものだったのだ。特に陸軍はそれを1000発~1万発単位のロットで量産させねばならぬのだから、責任者の有坂の寿命は縮まったのも無理はない。

 函館要塞の28cm榴弾砲は、WWI中にロシアに数門が売られた他、昭和9年以降に、1門が旭川(護国神社)、1門が靖国神社、2門が三沢方面に送られて、それぞれ永久展示用とされた(これらはすべて終戦時に消滅したらしい)。

 さらに、ノモンハン事件の前後に、関東軍用に送られたものもあったらしい。
 そして函館に残された十数門も、すべて終戦時に“消滅”した。いったいどこへ行ってしまったのか、その末路は、地元の郷土史家ですら明らかにできてはいない。

 函館山の一角(薬師山)には、旧式な15cm臼砲も並べられていた。これは、港に上陸してきた敵兵を射撃するため使う備砲である。
 そしてまた、道南の戸井(汐首岬)や、白神岬(竜飛岬と、もう一対のチョーク点を成す)には、津軽海峡の真ん中まで届く15cm加農が置かれていた。
 (戸井には昭和3年から「長30cm榴弾砲」×4門も配備。大間には、『伊吹』からおろした30cmカノン×2も置いたとされる。)

 船魂神社に15cmのタマも1発奉納されている理由は、こんなところから説明されるだろう。

 もちろん、奉納された段階では、内部の炸薬や信管等の火工品は取り除かれていたのは言うまでもない。教育訓練用のタマだ。

 奉納したのは誰か、であるが、函館山要塞に布陣していた「津軽要塞司令部」ならびに「重砲兵連隊」(その前は大隊)だっただろう。

 明治33年の『砲兵学教程』によると、破甲弾には、堅鉄弾と鋼鉄弾があったそうである。後者はスチール、それも特殊鋼であって、海軍の砲弾はコレだ。陸軍の28cm榴弾砲のタマは前者であり、それは基本的に鋳物なのであった。

 昭和9年の、長谷川正道著『国民講座 兵器大観』によれば、鋳物の砲弾にもいくつかの種類があった。
 「鋼製銑」は、鉄の中に鋼屑を少しまぜたもので、強靭だ。
 「堅鋳銑」は、銑鉄の冷却の速度を加減して硬さとねばりの中間を出したもの。
 「特別銑」は、銑鉄にマンガン、クロム、タングステンなどを混ぜたものだ。
 もちろんこんなことをしても、炭素鋼にニッケルを混ぜた特殊鋼よりははるかに強度は劣ったはずである。

 それでも明治時代、砲弾を鋳物としていたのは、陸軍の大砲は、重砲といえども、バカスカ弾丸を発射しなければならないと分っていたからである。

 他方の海軍は実戦でもそんなにタマをたくさん消費することを予期しない。たとえば『三笠』の30cm砲(の内筒)の寿命はわずかに120発だったという。それ以上を一海戦で撃つつもりが初めから無いのである。だから高価なスチールで贅沢に砲弾をこしらえることが、海軍では昔から許されたのだ。

 28cmの堅鉄弾は、御影石を積んだ表層をやすやすと貫き、その下のコンクリートを1.20m貫入できたという。

 ここで説明が要るのだが、日清戦争当時の要塞にコンクリート(仏語ではベトン)を用いているところは滅多になかった。アーチ部分も煉瓦製というのがほとんどであった。
 これは地雷榴弾(地面に少しめりこんでから遅延信管により炸裂する榴弾)の無かった普仏戦争スタンダードの、瞬発の榴弾の爆発力は簡単に吸収できた。
 しかし、直径15cm以上のAP弾は、煉瓦の壁や天井などはいともあっさりと貫徹できたのであった。

 日露戦争当時にはコンクリートはやや普及していたが、まだ要塞全部をコンクリートで造ることはなかった。アーチ部分だけがコンクリート。しかも、無筋だった。
 鉄骨も鉄筋も、入っていないのだ。

 これは、鉄筋コンクリートの工法が、大正5年頃までフランスのアンネビック社が広汎な特許を押えていて、その使用権料がヤケに高かったからだとも言われるが、要はとうじ世界的に未だ信頼されていなかった新技術であったのだ。

 それで、ロシアの旅順要塞も、日本の各地の海岸要塞も、弾庫、砲具庫や棲息掩蔽部(砲員が敵の砲撃を凌ぐ空間)の天井は、すべて無筋コンクリートでアーチをつくってあった。

 函館要塞だとそのアーチ部の厚さはちょうど1mある。(他の内地要塞ではどうなっているか、手分けして調べてみて欲しい。これらのアーチは端面が垂直外壁の表面まで露出していることが多いので、簡単に厚さが測定できる。)
 旅順ではそれは60cmだったらしい(浄法寺による)。

 そして、そのバイタル・パートの天井コンクリート・アーチの周りは、単に煉瓦や切り石を積むのみという構造であった。これが日露戦争当時の「永久要塞」なのだ。

 明治31年時点で、世界の海岸砲の最大口径は、32cmだった。これのAP弾を近距離から直射されたら、側面にコンクリートを使っていない構造物などひとたまりもない。が、海岸要塞は半地下式が多く、真上から砲弾が落ちてこぬ限り、バイタル・パートは直射はされないはずだった。

 函館要塞遺跡の場合、棲息掩蔽部の表面には厚く土が被せてある。これはWWIの戦訓で、土壌の耐弾力が評価されたために後からそうしたのか、あるいは最初からそうだったのか、よく分らない。

 ひとつ確かなことは、明治37年のロシア軍は、旅順要塞の掩蔽棲息部にまったく土を被せていなかった。そのため、厚さ60cmの無筋コンクリートは、40度の落角で命中する28cmの堅鉄榴弾の運動エネルギーを、食い止めることができなかったのだ。

 9.5kgの黒色火薬の化学的エネルギーは、煉瓦層でも阻止できる程度のものであったろうが、217kgのマスの運動エネルギーが、薄いコンクリート・アーチの裏面を逆漏斗状に高速で剥離させ、その高速コンクリート片が、内部の人員を殺傷し、要塞内に居たたまれないように仕向けたのであろう。
 そして、狭い密閉空間内では、発熱量の比較的に小さな黒色火薬といえども、顕著な焼夷&殺傷威力を発揮したものであろう。

この角度からだと「銅帯」の跟跡がよく分る。

後方に「船魂神社」がみえている。函館山要塞のふもとに位置している。

柔術の兄弟子に巻尺の28cmの巾を示して貰っている。(他の写真も同様)

遠くの足は船魂神社の宮司さんである。手前のタマは15榴

頭部の信管のようなもの。これはアーマー・ピアッシング弾ではありえない。

手前が15榴(149mm)の砲弾。奥が28榴。

函館山 現況写真

ロープウェイ山頂駅から稜線をみる。駐車場のすぐ上が「第2砲台」だ。

函館山の稜線。遠くに青森県の山がみえる。(画面左寄りにうっすらと。)

ちょっと見づらいが、アーチ端面が露出しているのである。

アーチ端面(外壁面)のしっくいがはげ落ち、砂利をまぜた無筋コンクリートがむき出しになっている。

アーチの内側。

無筋コンクリートなので赤サビなどはみられない。

なかば埋まってしまった「棲息部」。

これはミニ・サイズのアーチだが、厚さはしっかりと1.0mある覆土はほとんどないことがよく分かる。

第2砲台。丸いのは28センチ砲座跡。壁のリセスは「即応弾薬」を置いたところ。

土砂が埋めてしまった「棲息部」の入り口。

砲員が敵艦砲をしのぐための「棲息部」はこんな構造。アーチ厚は1.0m。

砲座は青天井だが、海峡を通る船からは全く見えない。

函館港をみおろせるロケーション。霧でよく見えないが・・・。

右上の四角い石は通気孔で、下のアーチ・トンネルまでつながっている。

ここは「電話室」だったらしい。

覆土がないことが分る一葉。

人物との大きさ比較。このレンガは地元産らしい。

アーチの端面(壁面露出端)は、漆喰が「たたき」のようなもので表面を化粧されていた。
それが剥げている。

一連の写真は「千畳敷」砲台の半地下壕。背景にロープウェイ山頂駅が撮っている。
稜線ぞいに歩けばここに達する。

千畳敷砲台の先端の観測所。天蓋は鉄板だったが、無くなっている。覆土はなかった。

ロープウェイ駅から津軽海峡方向をみる。肉眼だと青森県がよくみえたのだが・・・。

アーチの厚さは例によって1mちょうど。入口前が広々としているのは人員だけでなく砲具も収容するからだろう。

これは函館山要塞の北側、薬師山ピーク(252m)の15cm臼砲砲台跡である。三つ並んだアーチに注意。

アーチのつながったところ、表面がくずれおちている。これは雨水の長年の作用だろう。

内側。古墳の棺室のようである。

中からみた、明り採りの窓。

内側からみるとよく分るのは、まずアーチを支える壁をレンガで積み、そこにコンクリートアーチを打ち、そこに土をかぶせ、表面に石を張っているという工程だ。

15cm臼砲はこのような広場に据えられていた。ハシゴは木製で、当時のものではない。

ロープウェイ駅(334m)から北東をみる。日本の要塞の中で最も眺めが良かったところだろう。

薬師山はこの少し下にあり、正面の函館港に上陸する敵兵を撃つ任務であった。

函館山ロープウェイの窓から「薬師山」をみおろす。植生のため臼砲陣地は隠れている。

このアーチは、観測壕の地表面まで一体でコンクリートを打設してある。

入江山の観測壕。鉄製天蓋は失われている。ヒビがひどいのは無筋のせい。アーチは圧縮力だけなので無筋でも良いが、地盤沈下の引っ張りに対抗するには鉄筋が要るのだ。

函館山主稜線から枝分かれした先にある「入江山」の観測所。入港する船を見張るには絶好の場所にある。

超めずらしい「88式海岸射撃具」(※)の台座。水ぬき穴があって水は溜まらない。観測所でポイントした地点に、ここから75ミリ砲弾が正確に発射されるのだが、2点は100mも離れている。

 ※「撃」の字がよく判読できなかったんですが、まぁ、間違ってはいないでしょう。・・・^^;このサイトさんに載ってる88式海岸射撃具砲(?)の事ですよねぇ・・・?
(管理人注 『このサイトさん』は2020年2月現在、既に存在しないようです)

おまけページ──これが現存する旧陸軍の迷彩ペンキだ!


28榴弾写真置場──虫のよいお願いシリーズ、其の二[堅鉄榴弾]

岐阜の喜久一丸稲荷神社の現存28cm砲弾のレポート

春日井駐屯地のレポート

大分県中津市奥平神社の正面に奉納されてる物

『旅順攻防戦』余話


『ひゅうが』型DDH 2番艦『いせ』の見学

(2016年7月24日に旧兵頭二十八ファンサイト『資料庫』で公開されたものです)

(兵頭二十八先生 より)

伊勢

 2016年7月13日に室蘭港の岸壁でDDH『いせ』の中を見せていただけるというので朝からやって参りました。
 Dというのは駆逐艦デストロイヤーのことで、Hというのはヘリコプター運用艦を意味します。
 Dを二つ並べるのは、一つだと聞き間違えがあるので、重ねたまでと思います。
 たとえばBBは戦艦バトルシップ、SSは潜水艦サブマリンです。米海軍の流儀です。
 軽車両を出し入れできるランプが見えています。
 『おおすみ』だと岸壁の高さにアジャストできるのですが、本艦にはその芸当はできません。

伊勢(1)

 アイランド(艦橋)が右寄りにある空母は、岸壁に必ず右舷を接舷すると決まっていますため、左右対称の軍艦よりも入港や碇泊では制約が多くなります。本艦の、左絃へ余計に張り出している飛行甲板を岸壁から撮影することも、したがいまして無理です。

伊勢(2)
伊勢(3)

 前部の航空機用エレベーターです。
 後部の昇降機ですとSH-60のローターを畳む必要がないのですが、こちらはサイズが小さいので、畳まないと載りません。

伊勢(4)

 格納甲板です。
 いちどにヘリ10機ぐらい収容できる広さです。見てのとおり「柱」がないために、中央寄りの天井の構造は、上からの荷重に弱い。SH-60の重さにまでは耐えてくれますけれども、チヌークや掃海ヘリは中央部分に降りてはいけません。

伊勢(5)

 前部エレベーター上から艦首方向を見ています。昇降機エリアを囲繞する鉄柱とロープの柵は、機械駆動によって出てきたり引っ込んだりします。この動きがムダに格好良くて惚れ惚れします。

伊勢(6)
伊勢(7)
伊勢(8)

 前部エレベーターから艦尾方向を見ています。アイランドが高い。飛び降りたら命に係るでしょう。ちなみに旧海軍の空母『飛龍』(17300トン)は全長227m×飛行甲板幅27m、軽空母『龍驤』(8000トン)は全長180m×飛行甲板幅23mでした。本艦『いせ』はその中間サイズ(13950トン、全長197m、飛行甲板幅不明、船体幅33m)です。『赤城』ですら飛行甲板幅33.5mだったのですから、昔の軍艦の窮屈さに、改めて感じ入りました。

伊勢(9)
伊勢(10)

 前部エレベーターの深淵を覗きました。本艦には舷外エレベーターというものはありません。耐候性を重視したのか、まだ実験段階だからなのか……。航空機用昇降機の他に、弾薬用や貨物用のそれぞれ専用エレベータも複数、あるようでした。

伊勢(11)

 艦橋から前方を眺めるとこんな感じです。

伊勢(12)

 艦橋から右舷を眺めたら、廃用された「北斗星」の客車が並んでいました。

伊勢(13)

 第二煙突後方の後部アイランドの航空機発着艦管制室内から艦尾を見たところです。ヘリの着艦目標である「逆さ《不》の字」が二つならんでいますが、外舷寄りがオスプレイ専用スポットです。飛行甲板から水面までですら25mぐらいもあるそうで、もはや高飛び込みなんてもんじゃないレベルになってます。正規空母だともう想像したくないですね。

伊勢(14)

 同じく管制塔から艦尾を見ています。軍艦旗の横にVLS(16セル)が見えます。本艦にはRAMがないので、超音速対艦ミサイル迎撃は、このVLSからのスタンダードミサイルを頼りにするのでしょう。遠方の吊橋は「白鳥大橋」でしょう。ついでながら、室蘭の水族館はコンパクトながらいろいろなものがあって、まさにファミリー天国になっていて、感心しました。

伊勢(15)

 見えにくいんですが、右手にボイスレコーダーが4つ、設置されています。この管制塔から同時に4機のヘリと交信しなければなりません。そのすべての交信は、この機械が記録して、万が一の事故等の調査に役立てられます。前方艦橋の発令所と違って、航空管制室内での会話が録音されることはありません。

伊勢(16)

 後部アイランドは、艦首方向の視界も得るためにすこし張り出しています。思ったのですが、アラスカ等の原生林地帯で川岸の空き地を使ったりして自在に短距離離着陸している巨大タイヤの高翼単発レシプロ改造機があるでしょう? あれだったら碇泊中でもこの甲板から運用できますよね。この広さなんだから。

伊勢(17)

 『いせ』食堂のホンの一隅でございます。軍艦の食堂は乗員の三分の一のキャパシティを標準にしているそうですが、そうしますと、将校を除いてざっと100人ぐらい? 鉄柱には、荒天航海中に頭をぶつけても痛くないように、組紐みたいなものが巻いてありました。潜水艦ではないですが、厨房では生火を用いず、スチームと電気のみです。本艦の艦内照明はLED化されていません。大爆発があっても消えにくくて、しかも省エネなのですけどね。予算がもらえなかったそうです。

伊勢(18)

 艦首の近接ミサイル迎撃用の全自動ガトリング砲です。カタログではもう1門どこかにあるはずなんですけど、それがどこなのか、ちょっと見出せませんでした。これ、近寄ってみたら、なんか碇泊中なのに通電していてウィンウィン唸っていまして、『ロボコップ』の誤認射撃シーンを連想して怖かったです。しかし、こいつが旋回するときには、写真でも小さくみえる「21番砲塔旋回警報」というベルが鳴るそうですから、そのときに甲板に伏せたなら、被弾は免れるでしょう。

室蘭(1)

 室蘭港を一望できる「測量山」展望台からの眺めです。レンズのキレの良いカメラなら、左の方に『いせ』が見えるのですが、わがコンパクトカメラでは無理でございます。室蘭は地形的には天然の良港ですけれども、朝に霧が出るのが、軍港としては難があったみたいで、けっきょく北方の軍港としては大湊が栄えました。

室蘭(2)

 その測量山の頂上直下には、こんな旧陸軍要塞の観測所の跡が遺されていました。まだまだあるものなんですね。


(管理人 より)

 横須賀に遊びに行った時、自動車の窓から海上自衛隊の艦が見えて『でけえなぁ』と感嘆したものだが、その時見たものよりもたぶん遥かに大きな『いせ』である。
 『戦艦大和を引き上げて観光名所にしたら良い』とTVで誰かが言っていた。絵になる艦は観光名所になる。
(とはいえ、私は観光地は中心の『物』ではなく、周辺の飲食店等の配置が重要だと小田原城を見て思ったけれども)
 海外旅行や地元福岡、そして関西、今住んでいる関東でも私は軍港に一度も行った事がない。せっかく関東に住んでるので今度自衛隊のイベントにも足を運んでみようかと思った。


救荒植物改良のための荒地基礎観察 2015年度報告

(2015年11月14日に旧兵頭二十八ファンサイト『資料庫』で公開されたものです)

(兵頭二十八先生 より)

 政府は、ますます少ない労働者が、ますます多い老人を養う近未来が待っていることを危惧し、コーホート人口の少ない青年層~壮年者男女の生産効率をせめて最大限化するべく、「1億総活躍社会」などとブチ上げている。
 しかし蟻の巣の観察をしたことがある者なら、その方向では、まずうまくいかぬであろうことはピンと来る。
 むしろ、「国民の1割は超活躍することが可能で、国民の9割は働かなくとも食べていけるアルティメット蟻社会」を目指さなければならないだろう。
 わたしはそのためのブレイクスルーは「山林の豊饒化」にあると目をつけ、「寒冷地の山野で放任増殖する有用植物のかけあわせ候補」を絞り込むために、わが借家の近辺の荒地を利用してさまざまな植物観察を続けている。
 しかしなにしろ相手は「宿根草」や潅木だから、簡単な結果成績を記録するためだけであっても、最低3年は観察をしなければならない。
 それでも、このようなリポートを公表しておくことによって、同憂同好の士が各地に増えれば、「クラウド実験」となり、話は速まってくれるであろう。
 以下には、既に1回以上、函館周辺で越冬している株の一部をご紹介して行きたい。
 日本の寒冷地レベルで越冬できない植物を救荒植物として研究しても、無駄であろう。地球は数万年のサイクルで、公転軌道が太陽から離れたり近付いたりを繰返す。今は離れ始めているときにあたっているので、これから1万年以上も、地球は確実に寒冷化する。
 短期的に予想外に暑い年がやってきても農業の実害は少ないだろうが、その逆は惨憺たる結果を招くはずだ。
 来年は、さらに今回に倍する種類の結果報告ができる予定である。たとえば、秋に実をつけ、それが冬の野鳥の餌となるような低木だけで「木の実パーラーの森」をつくる「トリパラ」(鳥のパラダイス)実験。アキグミ、ウメモドキ、サワフタギ、ムラサキシキブ、マユミ、ハマナス、ズミ、クロマメノキ、ガマズミ、白ヤマブキ……etc。いずれも植えるのは簡単でも、1年目は移植苗はすぐに実をつけてはくれぬ。2年目か3年目の様子を見なければ、なんとも言えない。しかし唯一の例外は早くも発見された。植えたその年から雌木一本で多量に結実してくれるベニシタン(コトネアスター)である。

エニシダ

 この株は熊本のショップから取り寄せてこれで2年目。花後に刈り込んで、ポプラ樹のように姿を整えておくと、そのまま常緑樹が雪中に屹立しているような風情で越冬して面白い。バーネット女史作『シークレット・ガーデン』にもエニシダがあることになっていた。ところでバーネット研究家のアンジェリカ・シーリー・カーペンターによれば、バーネットは二度目の夫ステフェンから虐待を受けていたそうで、それが『ザ・シャトル』の姉の描写に反映されているんだと。だが待て。その前に、『シークレット・ガーデン』に出てくる監禁状態の男の子こそ、バーネットが受けた虐待とやらに近かったんじゃ……? まあその真相はともかくとして、辛い実人生を歩んだ著者が、あくまで作中では「他者」たちの幸福のために脳髄を絞る、その姿勢が偉いのだ。わたしはもし『次郎物語』とか『路傍の石』が児童文学全集に入っていたなら、その巻はまずゴミ箱へ叩き込んでから、わが子に全集を与えるつもりである。

ベロニカジョージアブルー

 とにかく耐寒性のあるGCP(グラウンドカバープラント)であることは、この目で確かめさせてもらった。春先に早々と満開になるのも嬉しい。ただ、花期はすぐに終わってしまって、その後、領地を旺盛に拡げ、周辺の他のGCPを葉で覆い尽くそうとする。おかげで頑健なシバザクラも半滅。ピンクのマツバギクも、完全日蔭から至急救出移植せねばならなかった。

ヒューケラ

 このヒューケラには驚かされた。前年は木陰の地面でくすぶっていたので、築山の東斜面に移植しておいたところ、爆発的に成長。花期も滅法長いものなのだと知った。「IEDエクスプロージョン」と勝手に命名したいほどである。手前の細葉の株はラッキョウで、これも放置しておけば秋に花をつける。

ローンデイジー

 タンポポよりはさすがに遅れるが、球根ではないGCPとして春一番に開花する。たとえば左上隅のシランは、まだ地面から葉が出たばかりという段階である。ゆえに、ごく小さいのにもかかわらず、庭で目立つこと、この上なし。写真右上の小株(3輪)は、昨年のこぼれ種による増殖だ。メヒシバがはびこりまくりの、小石混じりの地面でも、この通りである。

ユーフォルビアキパリッシアス

 放任増殖力という点からは、ユーフォルビアの中では、こいつが一番強いんじゃないかと思っている。この地面は、これまでいくつもの植物の苗をあっけなく死滅させてきた、とびきりの悪土。北海道では宅地の造成に産廃土を使っているようなところがいくらでもあるようで、ここも、ちょっと掘ると、ゴムホースだとかガラス瓶の破片だとかネジ・釘類が、次々に出てくる。しかしキパリッシアス君は、御覧のようにここで越冬した上、勝手にこぼれ種で増殖しているのだ。

リナリアプルプレア白

 写真のいちばん左端の株を2013年春に苗で購入。それが、こぼれ種によって、2015年春にはこんなに増えた。こいつの種シーズンの卓越風は、南西風なんだということもわかってしまう。なお、写真中のピンク~赤の花は、いずれも実生のヒゲナデシコが増殖したもの。本年初登場の野生のヒメマツヨイグサも生やかしてある(ロゼットの外観を写真で覚えて、保護するように努めたのだ)。

プルモナリア

 大手通販ショップにて2013年秋に買い求めたプルモナリア。耐寒性・耐陰性はすばらしく、年々株が大きくなってくれるのもうれしいのだが、高勢ではな いゆえ、まだ花が終わらぬうちから、周囲のヒゲナデシコの密林中に埋没してしまう。ヒゲナデシコは、早い株は前年秋から写真のようなロゼット姿で次の春を 待っており、それが春とともにロケットのように高速成長するのだ。なお、プルモナリアが球根より早く開花すると書いてある書物があるが、それは北海道の データだとは思えない。すくなくともここでは5月にならないと咲きません。

ホタルブクロ

 日蔭でくすぶっていたものを昨年秋に日なたへ移植しておいた。それを忘れていたので、幼葉が出てきたときは、何だか分からずに、判定に悩んだ。この写真の中央には、実生のシャボンソウも写っている。ジフィーを1箱使って、たった1株の実生が得られたものだ。左手前にはリアトリスの実生越冬株が見える。右手前には赤花除虫菊。白花は、野生のフランスギク。

セイヨウノコギリソウ

 2年目の株だが、今年は巨大化・高勢化したので驚いた。テラコッタ色の花色がつき始めている。写真とは別な場所に、赤色の西洋ノコギリソウもあり、そっちは、ここまで高勢化せぬかわりに、花後に切り戻せばまた咲く元気を見せる。しかるにこっちの方は、日蔭をなくそうと、強剪定をしすぎて、切り戻されたまんま、冬休み態勢に入っちまった。左手前はコモンセージ。いちばん奥の青いのは実生のオレガノ。

ユキザサ

 毎年土手に勝手に生えてくる。春の食用になるらしいのだが、地下茎による増殖を阻害してはいかんと思い、まだ一度も試食してない。

ヤナギラン 咲き始め
ヤナギラン 咲き進み
ヤナギラン 花後

 昨年は高勢化もせず開花もしなかったヤナギランは、今春は地下茎によって多数の芽を出し、次々と高勢化して開花し、にぎやかであった。種は綿毛で飛散するらしい。けれども、このように放置しておくと、冬が来ててもまだそのままくっついて残っている。飛散を焦らないのだ。漠然と想像をするに、このタネを晩夏に即座に強制的に地面へ撒いたとしても、その実生は翌年は開花しないだろう。もし自然放任であったならば、実生の次世代株が開花するまでには最速でも3年かかるのではないかと思う。寒冷地の宿根草は、最短でも2年計画でライフサイクルを考えていて、実生は、栄養生殖できない場合の保険の位置付けなのだろう。春に地面に出てきたヤナギランの芽を人為的に他所へ移植した場合も、その株はその年内には高勢化しない。冬までずっと、地下茎の充実にだけ、エネルギーを使い続けているように観察される。

クリムソンクローバー

 実生でしかも一年草のはずなのだが、この株だけ、毎年同じ場所に蘇る。しかも大株である。どうも「多年草化」しているのではないかと疑われるのだが……。

ラムズイヤー

 この巨大草本が、じかまきのタネから2年で開花株になるのだとは、想像もできなかった。というか、そもそも播いた覚えもないので、何かのミックス袋に入っていたのだろう。1年目は、モウズイカのロゼットのようなものができて、その姿で越冬。そして2年目にこうなる。茎の先にやがて小さい赤い花が多数付く。葉がビロード状であるのに比して、茎は硬くて「メイス」を印象させる。左の白花はリクニスホワイトロビン。こぼれ種の実生で、花期は短い。右のセントーレアモンタナは、多年草ながらやはり実生。花期は長い。中央にはシャボンソウが埋没している。奥の黄色いのは「センダイハギ」といい、マメ科なのだが、牛や馬はこれを嫌うゆえに放牧場はこいつの天下になるという。毒はないように見えるが、人の腕力で茎や地下茎を引き切ろうとしても無理なぐらいに頑丈。そしてまた地下茎は2m以上も拡がる。日蔭が出来てこまるので、花後には地際から刈る。それでも来春には復活する。

バーベナハスタータ青

 前年、木陰で元気がなかったのを、日なたへ移植してやったら、のびのびと育った。手前の黄色いのは、宿根+タネでパンデミック的に増えるダイヤーズカモミール。これにくらべたら野生のコレオプシスの方がずっとゆっくりしているように見えてしまう(実生新株は僅かだし、しかも開花まで2年くらいかけている)。右手の球状ピンク物体はやたら元気なシレネファイアーフライで、今年は「株分け」を試みたので、来年は、その調子の如何も報告できるだろう。

セントジョーンズワート

 「聖ヨハネの薬草」という名前がついているのは、古来、西洋の教会が薬草園内にこいつを植えていたためのようだ。「野生化して困る」というほどの増え方は、いまのところは、見せていない。後方のラムズイヤーには、花が付いている。その奥はスイセンノウ=フランネルソウのよくある赤。植えて1年目は咲かず、2年目に咲いた。こぼれダネで増えるのかどうかは、来年に確かめられよう。

シャボンソウ

 一重咲きで高勢のソープワートは、かなりタフで、株もどんどん拡がる――とは聞いていたが、この寒冷地では、ちょっと日蔭になるともう調子は悪い。1ダース以上の株を植えて試してみた結果、ほぼ消滅してしまった株が3つくらいある。咲き始めは夏。そのかわり11月までも僅かづつながらしぶとく開花し続ける。その下の青いのはゲラニウムのジョンソンズブルー。これは春から、降雪するまでの長期間咲き続ける。ゲラニウム/フウロソウは、北海道にはよほど適しているのではないかと、3年くらいもしてやっとわたしは理解するようになった。ゲラニウムのロザンネイは、たまたま場所が良いと盛るが、場所が悪いと、消滅してしまう。

チコリー

 チコリーは、超高勢になってくれるのは面白いのだが、周辺に高勢の雑草が繁茂していない土地では、やがて強風で横に寝てしまう。青花は2日間くらいで次々にしおれ、そのひとつひとつが多数のタネをつくる。このタネを人工的に撒布したらどのくらいはびこるものか、実験結果は来年以降に判明するであろう。左手の黄色いのはリナリアブルガリスで、宿根草ながら実生によってその年のうちに子株をつくってしまう。日なたでさえあるなら、どこまでも支配面積を拡げて行く。ただしチコリーと違ってこっちは食べられない。

ヤブカンゾウ

 ノカンゾウなのかヤブカンゾウなのか、わたしには判定ができない。夏になると、土手のあちこちに勝手に生えてくる。残念ながら、ユリの親戚らしくて有毒。手前の下草は、バーズフットトレフォイル(セイヨウミヤコグサ)で、実生。日蔭だとこの程度で、開花もしないが、日なただと開花し、しかも延びまくった茎があたかも「刺のない鉄条網」のように、足のつまさきにひっかかる。その茎を引き切るには相当の力が必要である。
※追記:これは「ノカンゾウ」で、毒は無いだろうという指摘を受けた。

宿根アマ

 冬に地際から刈ってしまうべきかどうか迷ったので放置しておいたら、古い茎の先からも春に新芽が出る場合のあることが分かった。衣料用の繊維が採れるのは一年生の亜麻であって、こっちではないと聞いている。

ナワシロイチゴ

 野生の雑草。いちどその実を賞味してみよう、と念じてはいるのだが、行って見るとすでに野鳥が食べつくしたのか何も残ってない……ということが多い。

クズとアピオ

 今年も花期が重ならず、自然交配実験は失敗した。というか、葛の方が開花してくれないのだ。写真のアピオスの手前には、「クコ」の裸になった細枝が見えている。クコはその実だけでなく葉までが食用になるというので試しにこの春に植えてみた。しかし北海道は寒すぎると見え、たちまち落葉してしまった。それでも地際に新しい葉が出ていて、しぶとく生きてはいる。越冬できたなら、またご報告するであろう。そのさらに手前、越冬はするものの株は衰弱するばかりのバーベナボナリエンシス(三尺バーベナ)の集合花が見える。こいつは来年は消滅するかもしれない。

宿根ヒマワリ

 正式にはヘリアンツス・ムルティフロルスというのかもしれない。こうした八重の花はタネをつくらないのだろうと思い込んでいた。大違いであった。地面が最悪の産廃土壌であるにもかかわらず、今年の春に、親株の周辺に実生の幼葉が多数出てきて、わたしはすっかり感心した。たった1株だったのが、2年目にして、はやくも群生状態だ。右手は、ジフィーを地面に定植してみたチコリー。

ミヤギノハギ

 熊本のショップから買った苗が、これまた絶好調。毎年冬に、地際から刈ってしまっても、来春には、地面からまた生えてくる。「生えてくる木」なので「ハエギ」→「ハギ(萩)」と転訛したそうだ。とにかく管理がめんどうくさくなくていい。マメ科なので肥料もいらない。借家の庭にはうってつけではないか。

白ボルトニア

 昨年夏、親切な方からいただいた株。おそらく日本では諏訪郡の富士見町グリーンコテージガーデンというショップでしか通販されていないものではないかと思う。一般的な(ただし当今はおそらく何かくだらぬ理由によって流通してない)青花ではなくて、白花。しかもやたら高勢に育つ。「Boltonia asteroides var. latisquama」で英文検索したら、商品名は「スノーバンク」、俗称は「偽アスター」だと。自生地は北米メイン州までとある。耐寒性は十分だろう。向こうでは湿地に野生しているそうだが。ちなみにボルトニアという名は18世紀の英人植物学者のジェイムズ・ボルトンに由来。3地点に植えてみた。当年のインパクトは、さほどでもなかった。が、すべて越冬し、しかも株の広がりがすばらしい。そして本年は、いちばん陽当たりの良い場所の株が早々と人間の身長を越えた。開花は青花種よりも遅く始まる。そのかわり11月になっても一部は咲き残る。開花後は支柱(または吊り縄)は絶対に必要であろう。写真株元のチョウジソウと比べてみてください。米国では高さ1mにしかならぬと英文ネットに書いてあるのは、嘘ではないか? 花後にはタネがバラバラと落下する。しかし実生で増えるのかどうかは来年にならぬと分からない。ところでわたしは、人が何も手助けもしないのに、道南の山の中にもオムニプレゼンスにちゃんと生えている宿根野草の「ノコンギク」(タネは綿毛で広範囲に飛散する)を見るにつけ、こういうのこそが真の放任増殖植物の手本であり、これに比べたらば同じキク科の青ボルトニアなど、北海道で野生をちっともみかけぬ以上は、気候激動時の生き残りポテンシャルだってずいぶんと劣るはずだと思うようになった。いつか、比較観察もできるであろう。


(管理人 より)

 こんにちは。2012年より始まるこの企画。草花である。
 私は練馬区に住んでいる。23区でも屈指の緑の多さだと思うのだが、食べられる草花が生えているようには見えない。
 函館でも食べられる草花が育つのなら、それより南の庭はまさに豊穣の地ではないか。庭に食べられる植物が本当に生え続けるなら、こんなに心強い事はない。


兵頭二十八先生の御仕事(ワークリスト)

(旧兵頭二十八ファンサイトで公開したワークリストです。 2008年4月2日が最後の更新日です)

(管理人 より)

 このワークリストは上述のように2008年4月2日を最後に更新されていません。『up date』・『TKLIST』、そして『お知らせ』『兵頭二十八の放送形式』を併せると、これ以後の記事等も含めて殆ど(全てではないです)網羅できるとは思います。『兵頭二十八』の足跡を追う人のために中途半端なリストですが残します。


特に指定の無いものは《掲載年/掲載月/掲載日:『雑誌名』 タイトル》

齊藤 浩 名義 時代
19??/?:ロッキング・オン:『ロッキング・オン』(未確認)
 ※高校時代に投稿して、掲載されたらしい。

1983/3/10:文藝春秋『週刊文春』
 《P46》『ここまで解けた「防衛産業」のタブー』文中
”六四式小銃に致命的な欠点”

1984/7/30/7面:世界日報社『世界日報』
 制空権の確保が上策(斎藤 浩 名義)
※1984~1988にかけて御本名名義の他、多数の筆名にて多くの投稿をされているそうです。

1985/5:自由社『自由』
 《P55~58》『貧困社会』を考える 

1985/9:自由社『自由』
 《P82~84》アフリカ援助に見る北側の失敗 

1985/10/3:新潮社『週刊新潮』
 《P164》『いくら増しても三日保たない「防衛費」の革命的発想』文中の”陸上自衛隊第二戦車大隊を一昨年除隊した元隊員の話”

19??/?/?:我が”国防学”の勧め
 ※ミニコミ雑誌に掲載されたらしい。

1985/11:自由社『自由』
《P81~82》新レスキュー体制建白書 

1985/12:現代展望『現代展望』
 《P36~44》軍事真論〈ベトナム戦争───十年遅れの教訓〉
※『現代展望』は新年・新春・夏季号などがあります。1987/3・5月号は現在確認できていません。
全て『斉藤 浩』名義?筆名有り?

1986/1:自由社『自由』
 《P90~91》大衆報道に見る日欧民度の逆転 

1986/1(新年号):現代展望『現代展望』
 《P40~47》軍事真論〈ベトナム戦争───十年遅れの教訓〉

1986/2(新春号):現代展望『現代展望』
 《P32~40》軍事真論〈スパイ防止法の危険面〉

1986/2:自由社『自由』
 《P85》SDI………どちらがゴールに近いのか

1986/4:現代展望『現代展望』
 《P28~32》軍事真論〈核戦争は何時に起きるか?〉

1986/5:現代展望『現代展望』
 《P24~34》軍事真論〈理・乱のことわり〉

1986/6:自由社『自由』
 《P85》太平洋戦争遂行の謎 

1986/6:現代展望『現代展望』
 《P24~30》年功序列の『年功』

1986/7:自由社『自由』
《P85~86》国家後援テロ

1986/7(夏季号):現代展望『現代展望』
 《P32~42》フィアネス・ギャップを認識せよ!

1986/7:読売新聞『THIS IS』(未確認)

1986/7:日本評論社『法学セミナー』
 《P157》「国家後援テロ」に対する新しい宣戦の概念

1986/7:現代展望『現代展望』
 《P32~39》「削減論」まで出始めた陸上自衛隊を透視する

????/6:月刊誌『ラジオライフ』(未確認)
※以下”?”の箇所御存知の方は御一報下さい!

1986/10:海人社『世界の艦船』
《P188》”ソ連の指導層は米ソの核決戦はないと考えている”という主張(斉藤 浩名義)

1986/10:自由社『自由』
《P98~100》NHK受信料は「捨て金」か

1986/10:現代展望『現代展望』
 《P42~47》太平洋戦争計画の謎

1986/11:海人社『世界の艦船』
《P171》”災害救助用の大型救難艦を作るべき”という主張(斉藤 浩名義)

1986/11:現代展望『現代展望』
 《P52~60》フィアネス・ギャップを認識せよ

1986/12:自由社『自由』
《P84》政府が一銭も使わずに内需拡大する法

1986/12:現代展望『現代展望』
 《P32~42》文民の為の軍事科学(上)

1987/1(新年号):現代展望『現代展望』
 《P30~46》文民の為の軍事科学(下)

1987/2(新春号):現代展望『現代展望』
 《P32~38》軍事予算の歯止めと政治家
 《P48~50》ラクラクできる教育改革(入船 光 名義)
 《P52~60》米ソ首脳に教えたい日本人の発想(愛林 久允 名義)

1987/3:読売新聞『THIS IS』(未確認)

1987/6:自由社『自由』
《P84~85》国体を保障するものはなにか

1987/11:現代展望『現代展望』
 《P58~62》ドクトリンと費用(上)

1987/12:現代展望『現代展望』
 《P46~49》ドクトリンと費用(下)

1987/?:神奈川大学人文学会学生部会刊『世代 24号』
 《P29~36》装軌車両引離しによる地球的軍縮は可能だ

1988/2:神奈川大学国際関係論セミナー『最近国際関係論叢』
 《P49~87》民族と理性
 《P88~97》戦争哲学の諸前提を疑う
 《p98~105》『戦車』の引き離し───中欧軍縮のもう一つの可能性

1988/1(新年号):現代展望『現代展望』
 《P50~64》『戦車』の引き離し───中欧軍縮のもう一つの可能性

1988/2:現代展望『現代展望』
 《P44~51》戦争哲学の諸前提を疑う(上)

1988/3:現代展望『現代展望』
 《P24~34》戦争哲学の諸前提を疑う(下)

1988/5:現代展望『現代展望』
 《P46~52》文民のための軍事科学(1)

1988/6:現代展望『現代展望』
 《P32~40》文民のための軍事科学(2)

1989/1:読売新聞『THIS IS』
 《P323~324》日本製フォーミュラの時代だ

1989/2:日本政治経済史学研究所『政治經濟史學』
《P22》文明と地理的幸運

1989/3:内外出版社『オート・メカニック』
 《P200~201》軽のATの出足を良くするための簡易過給器のコンセプト

1989/3:月刊誌『BE-PAL』
《P90》”理想のATVを考えてみると……”

1989/5:日本政治経済史学研究所『政治經濟史學』
《P76》『五輪書』にあらわれた日本語的軍事理性を見直す

1989/6:海人社 『世界の艦船』
《P172》”DASHの多目的「飛行ロボット」としての復活を願っている”…という内容(齋藤 浩名義)

1989/8:ホビージャパン『ARMS MAGAZINE』(未確認)
《P134》銃床組み込み式の擲弾発射器の提案

1989/9:日本政治経済史学研究所『政治經濟史學』(未確認)
《P41》東西二大軍事古典の旧解釈と新解釈

1989/11:デルタ出版『戦車マガジン』(未確認)
 エイブラムス バトルタンクはすごかった!!!(Jimmy 名義)

1989/12:運輸省公報『トランスポート』
《P90》『運輸広報月間記念論文 大臣賞、受賞決まる』
”政務次官賞(優秀賞) 「ふるさと創生と交通」”

1990/1:デルタ出版『戦車マガジン』(未確認)
 286上のHETZERは速かった(狩野多門 名義)
 
1990/3:デルタ出版『戦車マガジン』(未確認)
 中部ヨーロッパAFV軍縮の可能性(Jimmy 名義)
 GUNSHIPにボードゲームの終焉を見た(Jimmy 名義)
 温故知新シリーズ(1)クリミア戦争関係エピソード(云竹斎 名義)

1990/4:デルタ出版『戦車マガジン』(未確認)
 F-15ストライクイーグルⅡ」(Jimmy 名義)
 温故知新シリーズ(2)パナマ運河と工兵隊エピソード(云竹斎 名義)

1990/5:デルタ出版『戦車マガジン』(未確認)
 今日のオーストラリア国防軍  (兵頭ニ十八名義)
 強いものには理由あり(云竹斎名義)
 インディージョーンズ『燃える大空』篇は泣かせます(Jimmy 名義)

1990/7:デルタ出版『戦車マガジン』(未確認)
 沈黙を拒否した艦隊(Jimmy 名義)
 慟哭悲史シリーズ其二『HOW Much人命?』(云竹斎 名義)

1990/8:デルタ出版『戦車マガジン』(未確認)
 リアリスティック・パソコン・ゲーム・リポート⑨(Jimmy 名義)
 驚愕伝説ストーリー・バカ空手一代男之巻(※兵頭先生のか判断できる方はご連絡を!)

1990/9:デルタ出版『戦車マガジン』(未確認)
 攻撃ヘリを震撼させる双角のビヒーモス87式自走高射機関砲(無名義)
 「リーダーズ・ブートキャンプ(1)」出演 馬頭竜五里羅・鬼婿一等卒

1990/11:デルタ出版『戦車マガジン』(未確認)
 「リーダーズ・ブートキャンプ[3]」出演 壇田段・運野勉

1990/12:デルタ出版『戦車マガジン』(未確認)
 「リーダーズ・ブートキャンプ」出演 播謙寺左洲男・無良利平(ピョン)

1991/1:デルタ出版『戦車マガジン』(未確認)
 TMコラム(マグナム珊粍名義)
 驚愕伝説ストーリー・Gorillas(無名義)

1991/2:デルタ出版『戦車マガジン』(未確認)
ペイトリオットへの道(兵藤二十八名義)

1991/3:デルタ出版『戦車マガジン』(未確認)
 MICVの後を継ぐ「重PAC」構想とは?(アル・シン名義)

1991/4:新人物往来社『戦記シリーズ 別冊歴史読本 特別増刊』
 《P234~245》日本陸軍主要戦車の解説
   
1991/4:デルタ出版『戦車マガジン』(未確認)
 湾岸特集2(齊藤浩名義)
 「リーダーズ・ブートキャンプ」出演 春間毛反魚ドン・堀孟是
    
1991/5:デルタ出版『戦車マガジン』(未確認)
 地上戦のいろは(無名義)

1991/6:デルタ出版『戦車マガジン』(未確認)
 すぺしゃるりぽーと『鋼鉄の騎士』(Jimmy名義)

1991/7:デルタ出版『戦車マガジン』(未確認)
 陸軍技術本部第四研究所(齊藤浩名義)

1991/8:デルタ出版『戦車マガジン』(未確認)
 この目で見た90式戦車と89式FV(H・SAITO名義)
 国産兵器開発拾遺[2](斉藤 浩名義)

1991/10:デルタ出版『戦車マガジン』(未確認)
 ポスト湾岸型戦車を考える(H・SAITO名義)
 ホークの一族(無記名(?))
 国産兵器開発拾遺[2](国産兵器開発拾遺[4])

1991/10/25:『FOCUS 506号』
《P24》”「一両4億円」が「12億円」になった自衛隊最新鋭戦車の性能”文中の「専門家」(?)

1991/11:デルタ出版『戦車マガジン別冊』
 陸上自衛隊車両装備史;1950~1991

1991/12:デルタ出版『戦車マガジン』(未確認)
 最近陸上RPV技術の動向(斎藤浩名義)

1992/1:デルタ出版『戦車マガジン』(未確認)
 絵はがきは語る(兵頭ニ十八名義)

1992/1:デルタ出版『戦車マガジン別冊』
 ドイツ連邦軍の陸軍装備車両;1955~1991(未確認)

1992/2:デルタ出版『戦車マガジン』(未確認)
 絵はがきは語る(兵藤二十八名義)

1992/4:デルタ出版『戦車マガジン別冊』
 帝国陸海軍の戦闘用車両

1992/4:デルタ出版『戦車マガジン』(未確認)
 ON GUN エキゾチック戦車砲に関する研究ノート(斉藤浩名義)
 造兵-武器生産の科学(云竹斎名義)
 
1992/5:デルタ出版『戦車マガジン』(未確認)
 口径13mm級歩兵銃の再登場(H・SAITO名義)
  騎兵戦闘車はどんな教訓を得たか(アル・シン)

1992/6:『Armd Forces JOURNAL International』(未確認)

1992/1:デルタ出版『戦車マガジン』(未確認)
 対地上用レーダー射統装置の可能性(H・SAITO名義)

1992/7:デルタ出版『戦車マガジン』(未確認)
 クビンカ:新たなる聖地への旅(斉藤浩名義)
 公開展示された陸自の新型個人装具(H・SAITO名義)

1992/7:デルタ出版『戦車マガジン別冊』
 第二次大戦のイギリス・アメリカ軍戦車

1992/8:『Armd Forces JOURNAL International』(未確認)

1992/8:デルタ出版『戦車マガジン』(未確認)
 小型AFVの今日的意義(斉藤浩名義)
 ゲームリポート「番外編」(Jimmy名義)

1992/9:デルタ出版『戦車マガジン』(未確認)
 ビック対談・自衛隊リクルートはこうすれば改善される・・・カモシレナイ
(熊&八名義)
 TM流スマート写真塾(特攻カメラマンS名義)
 故・小林善氏を悼む(特攻カメラマンS名義)

1992/11:デルタ出版『戦車マガジン』(未確認)
 日米戦の化石を見た(斉藤浩名義)
 TM流写真塾

1992/12:『Armd Forces JOURNAL International』(未確認)

1993/9~1994/1(?):株式会社 シリエズ総研『シリエズ』
※掲載年月日全てが謎。編集者として関与された筈である。
全国のライブラリに、保管されている可能性極薄。


兵頭 二十八 名義 時代

1995/10:セガ・エンタープライゼス(アスペクト発行)『ワールドアドバンスト大戦略~鋼鉄の戦風~世界新秩序建設マニュアル』
《P51》士官たちは熱狂的に“戦争”を求めた!(兵頭 二十八名義)

?/?/?:テレビ番組『スーパーモーニング』出演(?)
※出演番組は[めざましテレビ/走れ!めざまし調査隊]という情報を頂いた。その方が本当のような気がする。いつか私の目で確認しなければ……。

1995/5:銀河出版『日本の陸軍歩兵兵器』

1995/6:銀河出版:『陸軍機械化兵器』
(共著:宗像和弘)

1995/8:銀河出版『日本の海軍兵備再考』
(共著:宗像和弘)

1995/12:銀河出版『日本の防衛力再考』

1996/5:『戦記が語る日本陸軍』(著者:宗像和弘)
※コラムを寄稿。

1996/6/26:小学館『SAPIO』
 「アメリカを仮想敵国とせよ!」
その意味が分からない日本人は“おバカさん”である

1996/8/23/深夜:朝まで生テレビ
 ”激論!沖縄の怒りと日米安保 第2弾”パネリストとして出演

1996/8/28:小学館『SAPIO』
 日本が成人国家になるためには「核兵備」論は避けて通れない!

1996/10:文藝春秋『諸君!』
 日本列島核兵備計画
───我々は如何にして くよくよするのを止め
               核ミサイルを持つに至るか

1996/11:文藝春秋『諸君!』
 「日本列島核兵備計画」ソフト編
───まだくよくよしている安保崇拝論者に告ぐ

1996/11:講演会:エグゼクティブフォーラム(未確認)
 ”日本核兵備四ヵ年計画”について

1996/11/27:小学館『SAPIO』
 日本は首都を北海道東部に移転し、沖縄を自衛隊の要塞に再整備せよ

1996/12:文藝春秋『諸君!』
 「日本列島核兵備計画」完結編
          ───空想的平和論者を矯正しよう

1996/12:マガジン・マガジン社『マガジン・ウォー』
 二十八からの手紙 第1信:最後の100兆円税収源
                
1997/1/6/朝刊:『産経新聞』(未確認)
 なぜアメリカと一緒にやっていけると思うのか

1997/1/21:講演会:エグゼクティブフォーラム(未確認)
 ストック情報はこれでいいのか

1997/1:マガジン・マガジン社『マガジン・ウォー』
 二十八からの手紙 第2信:『助っ人弁護人』の新設で人権を守れ!

1997/2:マガジン・マガジン社『マガジン・ウォー』
 二十八からの手紙 第3信:なぜ死球に本塁を与えないのか

1997/3:文藝春秋『諸君!』
 韓国軍が38度線を突破する日

1997/3:マガジン・マガジン社『マガジン・ウォー』
 二十八からの手紙 第4信:「黄門の辻斬り」を止めろ

1997/3/23:新聞『WASHINGTON TIMES』(未確認)

1997/4:銀河出版
『ヤーボー丼───
  いかにして私たちはくよくよするのを止め、核ミサイルを持つか』

1997/4:マガジン・マガジン社『マガジン・ウォー』
 二十八からの手紙 第5信:男は十ぺん路頭に迷え

1997/5:マガジン・マガジン社『マガジン・ウォー』
 二十八からの手紙 第6信:日本に高校はいらない!

1997/6:文藝春秋『諸君!』
 ワインバーガー    「次の」戦争には失望した

1997/6:マガジン・マガジン社『マガジン・ウォー』
 二十八からの手紙 第7信:パソコン戦争に勝つ方法 

1997/6:文藝春秋『ヘクトパスカルズ』
 (画:板橋 しゅうほう)

1997/7:マガジン・マガジン社『マガジン・ウォー』
 二十八からの手紙 第8信:人形の愛に突っ走れ!

1997/7:銀河出版『並べてみりゃ分かる第二次大戦の空軍戦略』
(共著:宗像 和広/三貴 雅智/小松 直之)

1997/8:マガジン・マガジン社『マガジン・ウォー』
 二十八からの手紙 第9信:司馬遼太郎の自虐史観

1997/8:文藝春秋『諸君!』
 「歴史教科書」写真図版のでたらめ

1997/8:文藝春秋『本の話』
 知られざる日本のミリタリー出版界

1997/9:『東大オタク学講座』(著者:岡田 斗司夫)
11講ゲスト講師

1997/9:マガジン・マガジン社『マガジン・ウォー』
 二十八からの手紙 第10信:日米「若がえり」競争の行方

1997/10:マガジン・マガジン社『マガジン・ウォー』
 二十八からの手紙 第11信:土方と沖仲仕について

1997/11:文藝春秋『諸君!』
 橋本総理よ!柳条湖よりまず「靖国」に行け

1997/11:マガジン・マガジン社『マガジン・ウォー』
 二十八からの手紙 第12信:地蔵のひろば

1998/1:四谷ラウンド
 『たんたんたたた───機関銃と近代日本』

1998/1:リイド社
 『ゴルゴ13 105巻 バスク・空白の依頼』(著者:さいとうたかを)
 ”北緯九〇度のハッティ”のシナリオを担当

1998/2:講演会:エグゼクティブフォーラム(未確認)
 二十一世紀のマスコミメディア考

1998/3:四谷ラウンド
 『有坂銃───日露戦争の本当の勝因』

1998/4:リイド社
 『ゴルゴ13 106巻 オフサイド・トラップ』(著者:さいとうたかを)
 ”直線と曲線の荒野”のシナリオを担当

1998/5/3/夕刊:『東京新聞』
 『「有坂銃」著者に聞く』

1998/6:『新潮』
 琵琶・テニソン・手鞠歌(『南洲残影』書評)

1998/7:文藝春秋『文学界』
 耳学問と情報ストック

1998/7:新潮社『新潮45』
 一億総キチガイ時代のナイスな刑罰「島流し」

1998/8:新潮社『新潮45』
 もう誰にも止められない「核戦争」

1998/9:西部邁事務所『発言者』
 座談会:「日本軍」の光と影
 連載コラム”ひょーどー漫言”はじまり(2002年10月現在継続中)
 ひょーどー漫言 1:「専門家」に仕切らせない政治システムとは?

1998/9/25/夕刊:『東京新聞』
 戦後政治という不良資産

1998/10:並木書房『ざっくばらん』

1998/10:四谷ラウンド
 『イッテイ───13年式村田歩兵銃の創製』(劇画:小松直之)

1998/10:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 2:今あるモノで通信戦争に勝たんかい!

1998/11:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 3:日本に普通乗用車はいらない

1998/11:PHP研究所『voice』
 ”日本敗戦”研究のすすめ

1998/12:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 4:「スープ化作戦」にひっかかるな!

1998/12/8:『東京新聞』
「プライベ-ト・ライアン」にアメリカの「現在」を観る

1999/1:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 5:忠誠心を競わせよ!

1999/2:文藝春秋『諸君!』
 信長の長篠「鉄砲三段撃ち」なんて出来っこない

1999/2:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 6:せめて「大本」を掴んでから新しいことをやれ

1999/2:PHP研究所『voice』
 プライベート・ライアンを嗤う

1999/3:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 7:「公活」はどうした

1999/3:文藝春秋『諸君!』
 自衛隊の指揮権、日米いずれにありや

1999/4/14/夕刊:『東京新聞』
 何が古く何が新しいか「工作船侵入事件」寸観

1999/4:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 8:「大上段」の国語力を回復せよ

1999/4:『新潮45』
 七月四日 米朝戦争勃発!どないする

1999/5:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 9:高度成長血涙小説 恐るべき野望の程

1999/5:PHP研究所『voice』
 日本改造のための準備体操(兵頭 二十八×福田和也) 

1999/5/12:小学館『SAPIO』
 「戦闘歌」が欲しくば「今様」の「第二国歌」を新作したらよい

1999/5:四谷ラウンド『日本海軍の爆弾』

1999/6:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 10:技術予測のボン・サンス         

1999/6:産経新聞『正論』
 報道されなかった───北朝鮮「工作船」事件の裏側

1999/6:『新潮45』
 超御機嫌「小渕内閣」

1999/7:『新潮45』
 「ユーゴ空爆」ナンジャラホイ

1999/7:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 11:kはキテン

1999/8:PHP研究所『voice』
 NATO空爆の「正」と「奇」

1999/8:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 12:お化けTV塔は『未開都市』のモニュメント
 座談会:「戦後」の転覆は可能か

1999/8/25:小学館『SAPIO』
 これが日本人の命を守る 自衛隊「国軍化計画」私案だ

1999/9:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 13:梅に後れる桜の女々しさ

1999/10:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 14:「火牛計」考

1999/11:文藝春秋社『日本の論点2000』
 自衛隊は優秀な戦闘集団だが、戦争の指揮を100%依存している

1999/11:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 15:とっくに西洋近代化に対抗できていた男

1999/11:『新潮45』
 コジキとでも何とでも呼んでくれ

1999/11:四谷ラウンド
 『日本の高塔写真&イラスト』

1999/11/14/朝刊:『東京新聞』
軍人たちの心事をたぐる労作(『昭和陸軍の研究』書評)

1999/11:杉山穎男事務所『武道通信 七ノ巻』
 「多対一」で勝つ:中学生でも分る兵法」其ノ一
※隔月刊誌ですが、もっと間が開く時もあります。

1999/11:『あぶない28号』第5巻
テロvsカウンターテロに関するいとも高位なる御方からのコレクトコール

1999/12:並木書房『日本陸軍兵器資料集』
 (宗像和弘氏の原稿を補綴)

1999/12:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 16:途中で戦いを止める「戦数」

1999/12:教育システム社『TOP JOURNAL』(未確認)
※現役警察官しか買えない雑誌との事です。

1999/?:講演会『一水会』

2000/?/?:『週刊ポスト』(未確認)
※『タミヤ模型全仕事』の書評です。 

2000/1:杉山穎男事務所『武道通信 八ノ巻』
 人はなぜ競争(戦争)するのか
 集団戦のコツと「部隊」の作り方:中学生でも分る兵法 其ノニ

2000/1:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 17:世界とは情報であり、情報とは世界である

2000/1/26:小学館『SAPIO』
 「核ミサイルと潜水艦12セットがあれば抑止力は万全」がいよいよ現実となってきた

2000/2:四谷ラウンド
 『武侠都市宣言!戦後「腐れ史観」を束にして斬る』

2000/2:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 18:げん担ぎ、あらたまのドサ日記

2000/2:PHP研究所
 『「日本有事」って何だ 「超カゲキ」vs「常識」問答』

2000/2:教育システム社『TOP JOURNAL』(未確認)

2000/3:講演会:エグゼクティブフォーラム(未確認)

2000/3:PHP研究所『voice』
 『シュリ』は面白い(兵頭 二十八×ながい・みちのり)

2000/3:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 19:いつか返される飛行場、返されない飛行場

2000/3:杉山穎男事務所『武道通信 九ノ巻』
 和歌文化への対抗 空前絶後の孤立峰     
 場所の決定方向の決定:中学生でも分る兵法 其ノ三

2000/3/20:小学館『SAPIO』
 「政治指導部」「民心」で劣るも「指揮官」「兵隊」で中国に伍する

2000/4:教育システム社『TOP JOURNAL』(未確認)

2000/4:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 20:短距離/近郊交通こそ「超特急」化すべし

2000/5:教育システム社『TOP JOURNAL』(未確認)

2000/5:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 21:その「Can」に I can’t stand…

2000/5/10:小学館『SAPIO』
 「ロシアが北海道に侵攻」───
日本はいまだこのフィクションから抜け出せないでいる

2000/5:杉山穎男事務所『武道通信 十ノ巻』
 「勝つ」とは?最終的な「勝利」とは?:中学生でも分る兵法 其ノ四

2000/6:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 22:人間は目的ではない

2000/7:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 23:「投資&回収」のパターンで生きていないモーダルの人々

2000/7/22:講演会『軍事フォーラム』(未確認)
※NiftyのFDR

2000/7/28:自由主義史観研究会講演会
 『兵器が語る近代日本史』
※講演ビデオの印税払え!

2000/8:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 24:神妙にケータイをチョーダイしろ!

2000/9:杉山穎男事務所『武道通信 十二ノ巻』
 死を恐れる者がいるから奴隷も生まれる:中学生でも分る兵法 其ノ五
 平和日本で見た徒手格闘技(兵頭ニ十八×小松直之)

2000/9:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 25:頼もう!この看板は貰って往く

2000/10:中央公論新社『軍学考』

2000/10/23:『産経新聞』
 親を語る

2000/10:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 26:格闘技系公務員に最後の期待をかけてもいいか?

2000/11:教育システム 
 『日本のロープウェイと湖沼遊覧船
 Japanese Ropeways and Excursion Lake-boat』

2000/11:産経新聞『正論』
 誰も知らない遊覧船のヒミツ

2000/11:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 27:人が増えるとどんな遊びも不自由になるわけ

2000/12:杉山穎男事務所『武道通信 十三ノ巻』
 急所を勉強しよう:中学生でも分る兵法 其ノ六
 原潜クルスクの沈没報道───この”無分別”は何事

2000/12:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 28:説得の究極根拠は何か

2001/1:文藝春秋『諸君!』
 アメリカもやった「奇襲・特攻」

2001/1:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 29:読み切れぬ講談「ブチギレ奉行」の巻

2001/1:杉山穎男事務所『武道通信十四巻』
 言葉遣いがヨロイ:中学生でも分る兵法 其ノ七

2001/2:教育システム社『TOP JOURNAL』(未確認)
 特集対談:井沢元彦×兵頭二十八

2001/2:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 30:なぜ負けたか分からないという感覚失調から治せ

2001/2:草思社『草思』(未確認)
※草思社PR誌です。

2001/3:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 31:米人は自らを真に解する者を悪む

2001/3/5:『産経新聞』
私の一冊『クルミ割り人形とネズミの王様/E・T・A・ホフマン 著』書評

2001/?:講演会
※サバゲー野郎に囲まれて

2001/4:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 32:空母では対中国作戦の自由度は増さない

2001/5:PHP研究所『voice』
 平和ボケを醒ます「七箇条」
                  
2001/5:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 33:家単位の権力競争ある限り「日本敗戦」は続く

2001/5/20/8面:『東京新聞』
 そこまでやるか…『保護』と『掠知』
(「暗号解読戦争/吉田 一彦 著」書評)

2001/6:杉山穎男事務所『武道通信十五ノ巻』
 「絶滅を考える……」:中学生でも分る兵法 其ノ八
 元寇の戦い 勝利は神風にあらず

2001/6:PHP研究所『voice』
 日本は武器輸出を解禁せよ

2001/6:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 34:慢性危機の「政治的好奇心」

2001/6/15:全日本同和会神奈川連合会『神奈川あけぼの』(未確認)
※2002年10月現在まで寄稿が続いていまるそうです。

2001/7:草思社『草思』(未確認)

2001/7:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 35:ミサイルの人間臭さとTMDのアンチ歴史性

2001/7:『歴史読本』
 少子化?大歓迎!

2001/9:杉山穎男事務所『武道通信十六ノ巻』
 遅れてきた格闘技ファン
 対談:前田日明×兵頭二十八
 街宣車から見えた日本(杉山穎男×兵頭二十八)

2001/7:文藝春秋『諸君!』
 識者100人アンケート 近現代史を知る500の良書
”合衆国戦略爆撃調査団報告”を推薦

2001/7:PHP研究所『パールハーバーの真実』

2001/8/4:全日本同和会神奈川連合会『神奈川あけぼの』
 第2回:タブーと階級の終焉論

2001/8:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 36:衆愚から独裁に向う夏には涼しい話を

2001/9/16/8面:『東京新聞』
 海中作業の過酷さ 迫真のドキュメント
(「海底からの生還/江畑 謙介 訳」書評)

2001/9:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 37:無敵玉を逃すしかない金縛り結社に死を!

2001/9:産経新聞『正論』
 「ムルデカ」は「パールハーバー」に対抗しえたか

2001/12:四谷ラウンド
 『地獄のX島で米軍と戦い、あくまで持久する方法』
2001/10:『小説新潮』
 ”腹立ち日記” 出直して参れ!

2001/10/5:全日本同和会神奈川連合会『神奈川あけぼの』
 第3回:タブーと階級の終焉論

2001/10:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 38:「一任期」&「無名人」の志士とは

2001/11:筑摩書房
 『「新しい戦争」を日本はどう生き抜くか』

2001/11:文藝春秋『諸君!』
 偉大な国の「宿命」

2001/11:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 39:悪魔の川下り

2001/12:ビジネス社
 『One Plus Book   疫病最終戦争』(本書中の一章を担当)

2001/12:教育システム社『TOP JOURNAL』(未確認)

2001/12:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 40:オサマにやられた
 座談会:アルカイーダ・テロルの思想的衝撃

2001/12:草思社『草思』(未確認)

2002/1:杉山穎男事務所『武道通信十七ノ巻』
 爆弾テロの史的考察
 キミは今「大きな判断」をしているか?それとも「小さな判断」?:中学生でもわかる兵法:其の九

2002/1:文藝春秋『諸君!』
 新・アフガン地政学(兵頭二十八×福田和也)

2002/1:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 41:今年は真菌が新聞社の輪転機に撒かれるだろう

2002/1/13/8面:『東京新聞』
 印パ関係も占う情報の重い集積体
(「誰がタリバンを育てたか/マイケル・グリフィン 著」書評

2002/1/15:全日本同和会神奈川連合会『神奈川あけぼの』
 第4回:タブーと階級の終焉論

2002/1:マガジンマガジン社『カリスマ・ムック 石原慎太郎』(未確認)

2002/2:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 42:世の中の半分

2002/2:文藝春秋『諸君!』
 後方支援

2002/3:産経新聞『正論』
 軍学者が看た「東シナ海海戦」

2002/3:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 43:ゲリラ狩りは王道を進め

2002/3/15:全日本同和会神奈川連合会『神奈川あけぼの』
 第5回:タブーと階級の終焉論

2002/4/10:武道通信かわら版 
 vol.46 軍師の閑談《一》

2002/4:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 44:狭まる市場に視野を合わせるな

2002/4/25:武道通信かわら版 
 vol.47 軍師の閑談《二》

2002/4:JCSI『CYBER SECURITY MANAGEMENT』(未確認)

2002/5:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 45:成田市があまりに田舎なので仰天した話

2002/5:JCSI『CYBER SECURITY MANAGEMENT』(未確認)

2002/5/10:武道通信かわら版 
 vol.48 軍師の閑談《三》

2002/6:産経新聞『正論』
 「幇間医」の復権を
※連載コラム『CROSS LINE』はじまり。

2002/6:JCSI『CYBER SECURITY MANAGEMENT』
 日本をとりまく”新しい戦争”の”常識”

2002/6:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 46:通信カルチャーの落差を最高所から意識せよ

2002/6:杉山穎男事務所『武道通信十八ノ巻』
 対談:田中光四郎×兵頭二十八
 人生における「対抗不能性」:中学生でもわかる兵法:其の十

2002/7:産経新聞『正論』
 国民国家の常識

2002/7/15:全日本同和会神奈川連合会『神奈川あけぼの』
 第6回:タブーと階級の終焉論

2002/7/25:武道通信かわら版 
 vol.53 軍師のたわごと《一》

2002/7:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 47:またやっちまったか八街の住人

2002/8/10:武道通信かわら版 
  vol.54 軍師のたわごと《ニ》

2002/8:四谷ラウンド
  『日本人のスポーツ戦略───各種競技におけるデカ/チビ問題』

2002/8:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 48:好きぶすき

2002/8:産経新聞『正論』
 愚の甚だしきものは

2002/8/25:武道通信かわら版 
 vol.55 軍師のたわごと《三》

2002/9:産経新聞『正論』
 国の弥栄を祈るならば

2002/9/8/12面:『東京新聞』
 ”世界的通信傍受の怪 欧州議会報告書を全訳”
(「エシュロン/小倉 利丸 編」の書評)

2002/9/10:武道通信かわら版 
 vol.56 軍師のたわごと《四》

2002/9:PHP エディターズグループ
 『軍学者が語る!沈没ニッポン再浮上のための最後の方法』

2002/9/25:武道通信かわら版 
 vol.57 軍師のたわごと《五》

2002/10:産経新聞『正論』
 国家の超然安定装置

2002/10/30:全日本同和会神奈川連合会『神奈川あけぼの』
 第7回:タブーと階級の終焉論

2002/9:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 49:また「反核・反米・中立」ですかい、旦那?

2002/10:並木書房
 『学校で教えない 現代戦争学』

2002/10/10:武道通信かわら版 
 vol.58 軍師のたわごと《六》

2002/10:杉山穎男事務所『武道通信十九ノ巻』
 なぜ軍学者と名乗るのか
 武士道と宗教と靖国
 対談:「葉隠」を読む(兵頭二十八×嘉村孝)

2002/10/31:武道通信かわら版 
 vol.59 軍師のたわごと《七》

2002/10/31:武道通信かわら版 臨時増刊号
 師弟問答

2002/10:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 50:降伏しない「ロボ・ゾンビ」

2002/11:産経新聞『正論』
 “心の自由”の代価

2002/11:杉山穎男事務所『ヤーボー丼───いかにして私たちはくよくよするのを止め、核ミサイルを持つか』(電子ブック)

2002/11/10:武道通信かわら版 
 vol.61 軍師のたわごと《八》

2002/11/12:講演会「:「君は戦争を見たか───会津戦争からテロ戦争まで───」(加藤健二郎氏との合同講演会

2002/11/25:武道通信かわら版 
 vol.62 軍師のたわごと《九》

2002/11:西部邁事務所『発言者』
  ひょーどー漫言 51:なぜ国家公務員は自由市民であってはいけないか

2002/12:産経新聞『正論』
 多目的ダムの効用

2002/12:杉山穎男事務所『 日本の防衛力再考』(電子ブック)

2002/12/10:武道通信かわら版 
 vol.63 軍師のたわごと《十》

2002/12/25:武道通信かわら版 
 vol.64 軍師のたわごと《十一》

2002/12:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 52:指導者の精神力をコンテストさせよ

2003/1/8:PHP研究所 
 「戦争と経済」のカラクリがわかる本───アングロサクソン「常勝」のヒミツ

2003/1:産経新聞『正論』
 「司馬法」をかみしめる日

2003/1:教育システム社『TOP JOURNAL』
 2003年、起こるかもしれない戦争と使われるかもしれない兵器

2003/1/10:武道通信かわら版 
 vol.65 軍師のたわごと《十三》
※”軍師のたわごと《十二》”は存在しない。

2003/1/25:武道通信かわら版 
 vol.66 軍師のたわごと《十四》

2003/1/26:講演会「日本の歴史教育について───軍学者による次世代育成論───」(未確認)

2003/1:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 53:スケープゴート注意報

2003/2:産経新聞『正論』
 テレビという大衆麻薬

2003/2:杉山穎男事務所『武道通信二十ノ巻』
 会津戦争の今日的戦訓

2003/2:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 54:ハゲタカが来る前にこっちでバラバラにすればいい

2003/2/28:全日本同和会神奈川連合会『神奈川あけぼの』
 第8回:タブーと階級の終焉論

2003/2/25:武道通信かわら版 
 vol.68 軍師のたわごと《十五》

2003/3:産経新聞『正論』
 TMD幻想から覚めよ!日本の「核武装」放棄で笑うのは誰か
 地方活性化に妙手あり

2003/3:PHP研究所『voice』
 対談:ノドンなんか怖くない(兵頭二十八×福田和也)
 
2003/3:西部邁事務所『発言者』(未確認)
 ひょーどー漫言 55:やる事やらずに口だけの腐った精神を退治せよ
 アメリカがイラクで妄動せば

2003/3:新潮社『新潮45』
 徹底検証!ニッポンの「自衛力」

2003/3/1/23:00~24:00:d-NAVI STATION(ch.400=総合放送)「四人組」(デジタルラジオ)(未確認)

2003/3/8/23:00~24:00:d-NAVI STATION(ch.400=総合放送)「四人組」(デジタルラジオ)(未確認)
.
2003/3/10:武道通信かわら版 
 vol.69 軍師のたわごと《十六》

2003/3:杉山穎男事務所『日本の海軍兵備再考』(電子ブック)

2003/3/10:全日本同和会神奈川連合会『神奈川あけぼの』
 第9回:タブーと階級の終焉論

2003/3/25:武道通信かわら版 
 vol.70 軍師のたわごと《十七》

2003/3/29:全日本同和会神奈川連合会『神奈川あけぼの』
 第10回:タブーと階級の終焉論

2003/4:産経新聞『正論』
 アメリカが「中国化」する時

2003/4/5・12・19・26/23:00~24:00:SKY PARFECT TV STAR digio 400ch『salon 28』
(毎週土曜日 23:00~24:00/再放送:毎週日曜日 19:00~20:00)(4/5・12分未確認)
兵頭二十八×河上和代

2003/4:新潮社『新潮45』
 徹底検証!ニッポンの「攻撃力」

2003/4:西部邁事務所『発言者』(未確認)
 ひょーどー漫言 56:「マハンの設計図」はいつまで有効か?

2003/4:教育システム社『TOP JOURNAL』
 日本にある米軍基地の軍事力

2003/4:PHP研究所(PHP エディターズ・グループ)
 ニュースではわからない 戦争の論理

2003/4/25:武道通信かわら版 
 vol.72 軍師のたわごと《十九》

2003/4/10:武道通信かわら版 
 vol.71 軍師のたわごと《十八》

2003/5:産経新聞『正論』
 都道府県は要らない

2003/5:西部邁事務所『発言者』(未確認)
 ひょーどー漫言 57:「かきあつめの原則」と政治の拙速要求とのギャップ

2003/5/3・10・17・24・31/23:00~24:00:SKY PARFECT TV STAR digio 400ch『salon 28』(毎週土曜日 23:00~24:00/再放送:毎週日曜日 19:00~20:00)
兵頭二十八×河上和代

2003/5/10:武道通信かわら版 
 vol.73 軍師のたわごと《二十》

2003/5:杉山穎男事務所『武道通信二十一ノ巻』
 スポーツ道場の経営戦略

2003/5/25:武道通信かわら版 
 vol.74 軍師のたわごと《二十一》

2003/5/27:経済界『経済界』
 BOOKS REVIEW『「戦争と経済」のカラクリがわかる本』著者インタビュー

2003/6:産経新聞『正論』
 ラチェットとノッチ
 イラク戦争で「国連」は終わった国家としての日本が復権する日

2003/6:杉山穎男事務所『修士論文』(電子ブック)

2003/6:杉山穎男事務所『陸軍機械化兵器』(電子ブック)

2003/6:文藝春秋『諸君!』
 ラムズフェルド改革の正体を見た!

2003/6:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 58:ラムズフェルド氏の正体

2003/6/7・14・21・28/23:00~24:00:SKY PARFECT TV STAR digio 400ch『salon 28』(毎週土曜日 23:00~24:00/再放送:毎週日曜日 19:00~20:00)
兵頭二十八×河上和代
6/14:ゲスト:小松直之
6/28:ゲスト:加藤健二郎

2003/6/10:武道通信かわら版 
 vol.75 軍師のたわごと《二十二》

2003/6/12:兵頭二十八講演会「核武装の理解のために」(未確認)
 主催:早稲田大学國策研究會

2003/6/25:武道通信かわら版 
 vol.76 軍師のたわごと《二十三》

2003/7:並木書房『戦争の正しい始め方、終わり方』
 兵頭二十八:別宮暖朗 共著

2003/7:産経新聞『正論』
 意外な見つけ物

2003/7:文藝春秋『諸君!』
 「北朝鮮後」の大混乱に備えよ!

2003/7/5・12・19・26/23:00~24:00:SKY PARFECT TV STAR digio 400ch『salon 28』(毎週土曜日 23:00~24:00/再放送:毎週日曜日 19:00~20:00)
兵頭二十八×河上和代
7/12:ゲスト:京野一郎(ながい・みちのり)
7/26:ゲスト:高城正士(漢字が違うかもしれない)

2003/7/10:武道通信かわら版 
 vol.77 軍師のたわごと《二十四》

2003/7/14:エヌピー通信社『納税通信』
 日本の税制再考 

2003/7:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 59:たいこもち 宗旨ばかりは負けて居ず

2003/7/22:『THE NEW YORK TIMES』
 JAPAN Confronting a Burden;Its Own Defence

2003/7/25:武道通信かわら版  vol.78
 軍師のたわごと《二十五》
 軍事史からみた「南京事件の真実」――推薦文にかえて「なぜ第一次大戦がポイントなのか」 

2003/8:産経新聞『正論』
 役立たずの老犬
 夜間航海
 
2003/8/2・9・16・23/19:00~20:00:SKY PARFECT TV STAR digio 400ch『salon 28』(毎週土曜日 23:00~24:00/再放送:毎週日曜日 19:00~20:00)
兵頭二十八×河上和代
8/23:ゲスト:日高 克

2003/8:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言60:「単一戦場燃料」で北海道経済が変わる

2003/8:黙出版『MOKU』
 有事法制の先にあるもの
 対談:兵頭二十八:別宮暖朗

2003/8/25:武道通信かわら版  vol.80
 軍師のたわごと《二十六》

2003/8/20・9/3:小学館『SAPIO』
 帝国陸海軍の二の舞を避けるためにも「軍学」の復権を提唱する

2003/9/6・13・20・27/19:00~20:00:SKY PARFECT TV STAR digio 400ch『salon 28』(毎週土曜日 23:00~24:00/再放送:毎週日曜日 19:00~20:00)
兵頭二十八×河上和代
9/6:ゲスト:新藤 保
9/13:ゲスト:井上 公司
9/27:ゲスト:タダ リュウヘイ

2003/9:産経新聞『正論』
 核軍備をめぐる”バカの壁”

2003/9:杉山穎男事務所『陸軍歩兵兵器』(電子ブック)

2003/9:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 61:一洗して尽く「耳タコ」惑問選

2003/9/10:武道通信かわら版  vol.81
 軍師のたわごと《二十七》

2003/9:杉山穎男事務所『武道通信 二十二ノ巻』
 藍は情報をネットした 
 失われた古流刀法

2003/9/25:武道通信かわら版  vol.82
 軍師のたわごと《二十八》

2003/10:産経新聞『正論』
 近代日本の真の課題

2003/10:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 62:世襲議員は増やしてよい

2003/10:杉山穎男事務所『軍事史からみた「南京事件」の真実』(冊子)
著者:別宮 暖朗
 解説:一軍学者から観た「本書の眼目」(兵頭二十八)

2003/10/10:武道通信かわら版  vol.83
 軍師のたわごと《二十九》

2003/10:杉山穎男事務所『「日本有事」って何だ――超過激 VS常識問答』(電子ブック)

2003/10/25:武道通信かわら版  vol.84
 軍師のたわごと《三十》

2003/11:産経新聞『正論』
 猫に小判の「新幹線」

2003/11/10:武道通信かわら版  vol.85
 軍師のたわごと《三十一》

2003/11/10:新聞 『Le Figaro』
 Le pcifisme japonais a des etats d’ame

2003/11:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 63:倫理支配か法律支配か行政支配か

2003/11/25:武道通信かわら版  vol.86
 軍師のたわごと《三十二》

2003/12:産経新聞『正論』
 「民主党」とは如何なる名乗りか

2003/12:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 64:PKF用の車両の選択を誤るな

2003/12/10:武道通信かわら版  vol.87
 軍師のたわごと《三十三》

2003/12/15/4面:エヌピー通信社『納税通信』
 住基ネットが描く未来 

2003/12:『新潮45』
 海外派兵大賛成論

2003/12/25:武道通信かわら版  vol.88
 軍師のたわごと《三十四》

2004/1:産経新聞『正論』
 非礼を承知の用心を

2004/1/5/9面:エヌピー通信社『納税通信』
 ここが変だよ確定申告 

2004/1:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 65:寒冷地域を中央のお荷物にするな

2004/1:並木書房
 『ニッポン核武装再論』

2004/1/25:武道通信かわら版  vol.89
 軍師のたわごと《三十五》

2004/2:産経新聞『正論』
 案じること、安んじること

2004/2:西部邁事務所『発言者』(未確認)
 ひょーどー漫言 66:長期戦争中の米国にどうつきあえるか

2004/2:教育システム社『BAN』(旧:TOP JOURNAL)
 緊急レポート 自衛隊派遣[自衛隊はイラクで何をするのか、自衛隊は何ができるのか]

2004/2/10:武道通信かわら版  vol.90
 軍師のたわごと《三十六》

2004/2/16:近代出版社『自治特報』(no.555)
 地方分権のあり方を問う───世界経済に挑む本丸は東京

2004/2/25:武道通信かわら版  vol.91
 軍師のたわごと《三十七》

2004/3/10:武道通信かわら版  vol.92
 軍師のたわごと《三十八》

2004/3:西部邁事務所『発言者』(未確認)
 ひょーどー漫言 67:捕虜および捕虜の家族の心得

2004/3:杉山穎男事務所『武道通信 二十三ノ巻』
 対談:天皇制武士道(兵頭 二十八×佐山 聡)
 鼎談:戦争をもっと語ろう(別宮 暖朗×兵頭 二十八×佐山 聡)

2004/3:産経新聞『正論』
 「雪まつり」は誰のおかげ
 能天気なのは日本だけ 中国「宇宙戦略」の脅威

2004/3/25:武道通信かわら版  vol.93
 軍師のたわごと《三十九》

2004/3:新潮社『新潮45』
 悪徳大国・中国の「宇宙軍拡」シナリオ

2004/3:並木書房『「坂の上の雲」では分からない 旅順攻防戦』(別宮 暖朗 著)
 ※1章で兵頭 二十八×別宮 暖朗 対談

2004/4/10:武道通信かわら版  vol.94
 軍師のたわごと《四十》

2004/4:産経新聞『正論』
 海上保安庁の独立を望む

2004/4:西部邁事務所『発言者』(未確認)
 ひょーどー漫言 68:弾薬の問題

2004/4/25:武道通信かわら版  vol.95
 軍師のたわごと《四十一》

2004/5:産経新聞『正論』
 タイガーマスクの嘆息
 書評:「坂の上の雲」では分からない 旅順攻防戦

2004/5/10:武道通信かわら版  vol.96
 軍師のたわごと《四十二》

2004/5:西部邁事務所『発言者』(未確認)
 ひょーどー漫言 69:資源安保という課題・ディーゼル乗用車という解答

2004/5/17:エヌピー通信社『納税通信』
 老けこみ知らずの鍛錬術
※10連載の最終回

2004/5/25:武道通信かわら版  vol.97
 軍師のたわごと《四十三》

2004/5:中央公論新社『三略』
 眞鍋 呉夫 訳/兵頭 二十八 解説

2004/6:産経新聞『正論』
 汝自身を知れ

2004/6/10:武道通信かわら版  vol.98
 軍師のたわごと《四十四》

2004/6:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 70:いつでも撃てるようになった自衛隊

2004/6:文藝春秋社『文藝春秋』
 有坂成章「世界最優秀小銃」の威力

2004/6/25:武道通信かわら版  vol.99
 軍師のたわごと《四十五》

2004/7:産経新聞『正論』
 善意が呼び寄せる危機

2004/7:新潮社『新潮45』
 ジェイキンズ軍曹にみる「脱走兵」の研究

2004/7:西部邁事務所『発言者』(未確認)
 ひょーどー漫言 71:よい首脳が得られる選挙制度はありますか

2004/7:教育システム社『BAN』
 SF小説 もし日本が共産主義国となったら?───人民警察の日々事件簿 第一回

2004/7/10:武道通信かわら版  vol.100
 軍師のたわごと《四十六》

2004/7/27:武道通信かわら版  vol.101
 軍師のたわごと《四十七》 

2004/8:産経新聞『正論』
 近世日本語文化の伝統知

2004/8:教育システム社『BAN』
 SF小説 もし日本が共産主義国となったら?───人民警察の日々事件簿 第二回

2004/8/11:武道通信かわら版  vol.102
 軍師のたわごと《四十八》

2004/8/1面:経営者漁火会『漁火新聞』(第133号)
 乃木さんは見ている

2004/8:西部邁事務所『発言者』(未確認)
 ひょーどー漫言 72:レーダーと日本人は相性が悪いのか?

2004/8/23/10面:エヌピー通信社『納税通信』
 今こそ宇宙開発に税金投入を

2004/8/25:武道通信かわら版  vol.103
 軍師のたわごと《四十九》

2004/9:産経新聞『正論』
 プロ野球一リーグ化の暁

2004/9:西部邁事務所『発言者』(未確認)
 ひょーどー漫言 73:尖閣沖油田とメジャーの関係を誤解するな

2004/9:教育システム社『BAN』
 SF小説 もし日本が共産主義国となったら?───人民警察の日々事件簿 第三回

2004/9/10:武道通信かわら版  vol.104
 軍師のたわごと《五十》

2004/9/20/4面:エヌピー通信社『納税通信』
 「開かれた社会」の派兵責任

2004/9:杉山穎男事務所『日本海軍の爆弾』(電子ブック)
※発売年月に確証が無い。

2004/9/25:武道通信かわら版  vol.105
 軍師のたわごと《五十一》

2004/10:産経新聞『正論』
 あらためて核の傘を

2004/10:西部邁事務所『発言者』(未確認)
 ひょーどー漫言 74:自衛隊の三菱ジープが燃えない理由

2004/10/10:武道通信かわら版  vol.106
 軍師のたわごと《五十二》

2004/10:教育システム社『BAN』
 SF小説 もし日本が共産主義国となったら?───人民警察の日々事件簿 第四回

2004/10/25:武道通信かわら版  vol.107
 軍師のたわごと《五十三》

2004/11:産経新聞『正論』
 小人国家の運命

2004/11:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 75:自衛隊不良装備の切り捨てが始まった

2004/11/10:武道通信かわら版  vol.108
 軍師のたわごと《五十四》

2004/11:文藝春秋『諸君!』
 乃木と明治帝を結ぶ「近代の覚悟」:『乃木希典/福田和也 著』書評

2004/11/25:武道通信かわら版  vol.109
 軍師のたわごと《五十五》

2004/11:教育システム社『BAN』
 SF小説 もし日本が共産主義国となったら?───人民警察の日々事件簿 第五回

2004/12:新紀元社『あたらしい武士道───軍学者の町人改造論』

2004/12:産経新聞『正論』
 シナと呼ばない稀有な国

2004/12/10:武道通信かわら版  vol.110
 軍師のたわごと《五十六》

2004/12:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 76:なぜ社会監視手段としてインターネットは重宝か

2004/12/20:武道通信かわら版  vol.111
 軍師のたわごと《五十七》

2004/12:教育システム社『BAN』
 SF小説 もし日本が共産主義国となったら?───人民警察の日々事件簿 第六回(最終回)

2004/12/30:武道通信かわら版  vol.112
 軍師のたわごと《五十八》

2004/12/31/20:00~24:00:SKY PARFECT TV 日本文化チャンネル桜
 日本よ、今...「日本の核武装」

2005/1:産経新聞『正論』
 ボルテージが低いぞ

2005/1:西部邁事務所『発言者』(未確認)
 ひょーどー漫言 77:護身の百聞は一験に如かず

2005/1:教育システム社『BAN』
  「漢級」原子力潜水艦の領海侵犯事件───その真相と背景を探る!!

2005/1/10:武道通信かわら版  vol.113
 軍師のたわごと《五十九》

2005/1/3/9面:エヌピー通信社『納税通信』
 日本の防衛力と税金を再考する 

2005/1:新潮社『新潮45』
  シナ原潜、何しにきた?

2005/1/24:エヌピー通信社『納税通信』
 世界史に見る節約と効率 1:ワナメーカーの非常識

2005/1/30:武道通信かわら版  vol.115
 軍師のたわごと《六十》

2005/1:杉山穎男事務所『武侠都市宣言!――戦後「腐れ史観」を束にして斬る』(電子ブック)
※発売年月に確証が持てない。

2005/2:産経新聞『正論』
 素手で熊と戦えと?
 中国原潜事件───お家芸の”恫喝”で露呈した張り子の虎の実力

2005/2/7:エヌピー通信社『納税通信』
 世界史に見る節約と効率 2:「安宅丸」と「お台場」

2005/2:西部邁事務所『発言者』
 ひょーどー漫言 78(終):八重山に反日感情は無いが、台湾を警戒す

2005/2/10:武道通信かわら版  vol.116
 軍師のたわごと《六十一》

2005/2/14:エヌピー通信社『納税通信』
 世界史に見る節約と効率 3:飛行艇の定期旅客便はなぜ困難か

2005/2/21:エヌピー通信社『納税通信』
 世界史に見る節約と効率 4:農業で農耕機械は買えたか?

2005/2/26/18:00~21:00:軍事学セミナー2月例会(未確認)
  戦後における旧軍兵器の再評価/講師: 兵頭二十八

2005/3:産経新聞『正論』
 「新タワー」は要らない
 ”眼下の脅威”にどう対応する 「数値」から読み解く二〇〇五年の日中・米中角逐

2005/3/3/19:00~20:00:SKY PARFECT TV 日本文化チャンネル桜
 『日本の息吹』
 ゲスト:兵頭 二十八:佐山 聡

2005/3/7:エヌピー通信社『納税通信』
 世界史に見る節約と効率 5:エジソンの直流電気事業

2005/3:ダイヤモンド社『Kei』
 日本の核武装はいつまでタブーか?

2005/3/14:エヌピー通信社『納税通信』
 世界史に見る節約と効率 6:空冷が得な場合、損な場合

2005/3:西部邁事務所『北の発言 第12号』
 北海道防衛の〈かつて〉と〈いま〉 [1]:標津・羅臼に共産軍は来なかった
 (連載開始)

2005/3/21:エヌピー通信社『納税通信』
 世界史に見る節約と効率 7:ヨーロッパの「ドリル」の意味

2005/3:草思社『ある歩兵の日露戦争従軍日記』
 著 茂沢祐作:解説 兵頭 二十八

2005/3:杉山穎男事務所『武道通信 二十四ノ巻』
 対談:古代ギリシャ人の「勇気」に学べ───それは儒教道徳とどう違ったのか?
 兵頭二十八:鎌田雅年
 対談:近代に悩むとも「幸田露伴」になるな 
 兵頭二十八;武道通信編集部
 目潰し考───サムライのオーラを発するための平素の心得

2005/4/4:エヌピー通信社『納税通信』
 世界史に見る節約と効率 8:日本人のパンクチュアリティ

2005/4/10:武道通信かわら版  vol.122
 軍師のたわごと《六十二》

2005/4:産経新聞『正論』
 我に売るものあり

2005/4/11:エヌピー通信社『納税通信』
 世界史に見る節約と効率 9:涼しいことはいいことだ

2005/4/18:エヌピー通信社『納税通信』
 世界史に見る節約と効率 10:列強を狂わせたインド植民地

2005/5:新潮社『新潮45』
 「沖ノ鳥島」を改造せよ!

2005/5/9:エヌピー通信社『納税通信』
 世界史に見る節約と効率 12:デカルトのグラフ

2005/5:産経新聞『正論』
 陸海軍を巡る大きな謎

2005/5/16:エヌピー通信社『納税通信』
 世界史に見る節約と効率 13:産業と自然保護の両立

2005/5:草思社『草思』(未確認)
 銀シャリの呪い

2005/5/30:武道通信かわら版  vol.127
 軍師のたわごと《六十三》

2005/6:産経新聞『正論』
 「ご禁制」の島でいいのか

2005/6:新紀元社
 『精解 五輪書 ───宮本武蔵の戦闘マニュアル』
宮本武蔵 著:兵頭二十八 解説

2005/6/6:エヌピー通信社『納税通信』
 世界史に見る節約と効率 14:字体と活字と視力

2005/6/10:武道通信かわら版  vol.128
 軍師のたわごと《六十四》

2005/6/13:エヌピー通信社『納税通信』
 世界史に見る節約と効率 15:風を利用しやすい土地、しにくい土地

2005/6:株式会社 イプロシン出版企画『表現者』
 近代未満の軍人たち 1:上原勇作
 ※雑誌『発言者』の後継
 隔月間・偶数月16日 発行

2005/6/20:エヌピー通信社『納税通信』
 世界史に見る節約と効率 16:英語の何が有利だったか(前編)

2005/6/30:武道通信かわら版  vol.131
 軍師のたわごと《六十五》

2005/7:産経新聞『正論』
 吉川英治とX氏

2005/7/4:エヌピー通信社『納税通信』
 世界史に見る節約と効率 17:英語の何が有利だったか(後編)

2005/7/11:エヌピー通信社『納税通信』
 世界史に見る節約と効率 18: 「縁起が良い墓」にこだわった人たち

2005/7/18:エヌピー通信社『納税通信』
 世界史に見る節約と効率 19:大きな秘密を簡単に管理する方法

2005/7/27:小学館『SAPIO』
 北朝鮮との真の決戦場はわが国の「国会」にあり

2005/7/25:エヌピー通信社『納税通信』
連載:世界史に見る節約と効率 20:絶滅しにくい害獣と、しやすい生物資源

2005/7/30:武道通信かわら版  vol.134
 軍師のたわごと《六十六》

2005/8:産経新聞『正論』
 靖国神社の本務とは
 1937年の真実 日支戦争は日本の侵略ではない
 (対談:兵頭 二十八:別宮 暖朗)

2005/8/1:エヌピー通信社『納税通信』
連載:世界史に見る節約と効率 21:戦前の日本が真似できなかったテーラー・システム

2005/8:文藝春秋『諸君!』
 『国家の罠』佐藤優の狂えるロシア認識

2005/8/15:エヌピー通信社『納税通信』
連載:世界史に見る節約と効率 22:世界的に異色な日本のコミック産業

2005/8/22:エヌピー通信社『納税通信』
連載:世界史に見る節約と効率 23:稼げるスポーツと稼げないスポーツ

2005/8/29:エヌピー通信社『納税通信』
連載:世界史に見る節約と効率 24:靴の重要性───

2005/8/30:武道通信かわら版  vol.137
 軍師のたわごと《六十八》

2005/9:産経新聞『正論』
 宣伝戦の要諦

2005/9/5:エヌピー通信社『納税通信』
連載:世界史に見る節約と効率 25:疲れない椅子はあるか?

2005/9/12:エヌピー通信社『納税通信』
連載:世界史に見る節約と効率 26:潜水具と信用

2005/9/13:武道通信かわら版  vol.139
 堀江氏を対抗馬にぶつけたのは総理の芝居

2005/9:株式会社 イプロシン出版企画『表現者』
 近代未満の軍人たち 2:永田鉄山

2005/9/20:武道通信かわら版  vol.140
 軍師のたわごと《六十八》

2005/9/30:武道通信かわら版  vol.141
 軍師のたわごと《六十九》

2005/10:産経新聞『正論』
 小泉「郵政解散」の暗号を読み解く───なぜ私はプロ・コイズミ候補圧勝を期待するか 
現代戦史の奇観

2005/10/10:武道通信かわら版  vol.142
 軍師のたわごと《七十》

2005/10/20:武道通信かわら版  vol.143
 軍師のたわごと《七十一》

2005/10/30:武道通信かわら版  vol.144
 軍師のたわごと《七十二》

2005/10:PHP研究所
 『技術戦としての第二次大戦───日本VS中ソ米英篇』
 兵頭二十八:別宮暖朗 共著

2005/11:産経新聞『正論』
 酔生夢死となるまじき

2005/11/10:武道通信かわら版  vol.145
 軍師のたわごと《七十三》

2005/11/10:全日本同和会 東京連合会『東京あけぼの』
 西洋の名著から人権思想を捉え直す 第1回:ジャンジャック・ルソー『人間不平等起源論』
 ※連載開始

2005/11:株式会社 イプロシン出版企画『表現者』
 近代未満の軍人たち 3:竹下勇

2005/11/20:武道通信かわら版  vol.146
 軍師のたわごと《七十四》

2005/11/20:武道通信かわら版  vol.146(続編)
 軍師のたわごと《七十四》

2005/11/30:武道通信かわら版  vol.147
 軍師のたわごと《七十五》
 連載開始:HG対談《一》:兵頭二十八/後藤よしのり

2005/11:西部邁事務所『北の発言 第16号』(未確認)
 住めば都の奥尻島分屯基地

2005/12:産経新聞『正論』
 法務テロリストの跋扈
 書評:驕れる白人と闘うための日本近代史/松原久子 著:田中敏 訳
 
2005/12:中央公論新社 中公文庫 BIBLIO:クラウゼヴィッツ 『戦争論』の誕生
 ピーター・パレット 著:白須英子 訳 
 兵頭 二十八/郷田 豊 解説

2005/12/10:全日本同和会 東京連合会『東京あけぼの』
 西洋の名著から人権思想を捉え直す 第2回:ジョン・スチュアート・ミル『代議制統治論』

2005/12/10:武道通信かわら版  vol.148
 軍師のたわごと《七十六》
 HG対談《二》:兵頭二十八/後藤よしのり

2005/12/13:兵頭二十八講演会「プロパガンダの時代~如何にして日本の主張を世界に発信するか~」(未確認)
 主催:早稲田大学國策研究會

2005/12/18/15:00~16:00:SKY PARFECT TV『週間 武道通信TV』
(毎週日曜日 15:00~16:00)
 司会:杉山ひでお・高野華恵
 ゲスト:兵頭二十八

2005/12:PHP研究所 PHP文庫
 パールハーバーの真実 技術戦争としての日米海戦

2005/12/20:武道通信かわら版  vol.149
 軍師のたわごと《七十七》
 
2005/12/30:武道通信かわら版  vol.150
 軍師のたわごと《七十八》
 HG対談《三》:兵頭二十八/後藤よしのり

2006/1:産経新聞『正論』
 公務員削減と総背番号制

2006/1:株式会社 イプロシン出版企画『表現者』
 近代未満の軍人たち 4:南部麒次郎

2006/1/10:全日本同和会 東京連合会『東京あけぼの』
 西洋の名著から人権思想を捉え直す 第3回:アレグザンダー・ハミルトン他『ザ・フェデラリスト』

2006/1/10:武道通信かわら版  vol.151
 軍師のたわごと《七十九》

2006/1:産経新聞『別冊正論 1』
 日中国際宣伝戦争───いかにしてシナのプロパガンダを打ち破るか
 米露支三つ巴の有人宇宙計画───彼らは「神舟」によって何をやりたいのか

2006/1/20:武道通信かわら版  vol.152
 軍師のたわごと《八十》

2006/1/25:小学館『SAPIO』
 東京裁判から慰安婦・靖国まで 中国反日プロパガンダの「現在」「過去」「未来」
 
2006/1:日本財団『日本人のちから』
 宣伝戦をどう戦うか

2006/2:産経新聞『正論』
 北京五輪を活用する法

2006/2/10:全日本同和会 東京連合会『東京あけぼの』
 西洋の名著から人権思想を捉え直す 第4回:アダム・スミス『道徳感情論』

2006/2/10:武道通信かわら版  vol.154
 HG対談《四》:兵頭二十八/後藤よしのり

2006/2:株式会社 イプロシン出版企画『表現者』
 近代未満の軍人たち 5:小畑敏四郎

2006/2/27/19:00~20:00:SKY PARFECT TV 日本文化チャンネル桜
 『人間の杜』
 ゲスト:兵頭 二十八

2006/3:サンラ・ワールド株式会社『力の意思』
 宣伝戦

2006/3/10:全日本同和会 東京連合会『東京あけぼの』
 西洋の名著から人権思想を捉え直す 第5回:ルース・ベネディクト『菊と刀』

2006/3:教育システム社『BAN』
 ブラック・プロパガンダに勝つために

2006/3/30:武道通信かわら版  vol.159
 HG対談《二》:兵頭二十八/後藤よしのり
※多分《五》の間違い

2006/3:並木書房『陸軍戸山流で検証する───日本刀真剣斬り』
 兵頭二十八:籏谷嘉辰 共著

2006/3:産経新聞『正論』
 左巻き弁護士のリストラを

2006/3:文藝春秋『諸君』
 書評:日本の「戦争力」 小川和久 著

2006/4:西部邁事務所『北の発言 第18号』(未確認)
 滑走路4本、40機のF-15が展開する空自最強の拠点

2006/4/10:武道通信かわら版  vol.160
 軍師のたわごと《八十一》

2006/4/10:全日本同和会 東京連合会『東京あけぼの』
 西洋の名著から人権思想を捉え直す 第6回:トマス・ホッブズ『哲学者と法学徒との対話』

2006/4/20:武道通信かわら版  vol.161
 軍師のたわごと《八十二》

2006/4:産経新聞『正論』
 皇室廃絶運動の背景史
 放置しておくのが一番
 
2006/4:株式会社 イプロシン出版企画『表現者』
 近代未満の軍人たち 6:田中静壹

2006/4:文藝春秋『諸君!』
 核武装していない日本など怖くない───と言われたら

2006/5:産経新聞『正論』
 「内なる敵」を知れ
 
2006/5:文藝春秋『諸君』
 鼎談:「北の核」より「中国の核」───「核の選択」を真剣に考える時が来た
 伊藤 貫:兵頭 二十八:平松 茂雄

2006/5:光人社『大東亜戦争の謎を解く───第二次大戦の基礎知識・常識』
 別宮 暖朗:兵頭二十八 共著

2006/5/10:全日本同和会 東京連合会『東京あけぼの』
 西洋の名著から人権思想を捉え直す 第7回:ガリレオ・ガリレイ『天文対話』

2006/5/13/21:00~24:00:SKY PARFECT TV 日本文化チャンネル桜
 闘論!倒論!討論!2006 日本よ、今…「中国・朝鮮半島外交と核武装」

2006/5/20:武道通信かわら版  vol.164
 軍師のたわごと《八十三》

2006/5/30:武道通信かわら版  vol.165
 軍師のたわごと《八十四》

2006/6:産経新聞『正論』
 セキュリティと景気

2006/6/10:武道通信かわら版  vol.166
 HG対談《六》:兵頭二十八/後藤よしのり

2006/6:株式会社 イプロシン出版企画『表現者』
近代未満の軍人たち 7:板垣征四郎

2006/6/10:全日本同和会 東京連合会『東京あけぼの』
 西洋の名著から人権思想を捉え直す 第8回:アウレリウス・アウグスチヌス『告白』

2006/7/1:維新政党 新風『新風』
 緊急解説 北朝鮮「弾道ミサイル」を誤解しないために

2006/7/10:全日本同和会 東京連合会『東京あけぼの』
対談:北朝鮮へ断固たる制裁を、すべての拉致被害者奪還をめざせ
兵頭二十八×藤吉邦道(会長)

西洋の名著から人権思想を捉え直す 第9回:トマス・モア『ユートピア』

2006/7/25:杉山穎男事務所『兵頭二十八・私塾「読書余論」』
 第1回

2006/8:株式会社 イプロシン出版企画『表現者』
座談会:思想としての核
富岡幸一郎(司会):大塚英志×兵頭二十八×西部邁

近代未満の軍人たち 8:田中隆吉

2006/8/10:全日本同和会 東京連合会『東京あけぼの』
 西洋の名著から人権思想を捉え直す 第10回:ジョン・ロック『市民政府論』

2006/8:産経新聞『正論』
 西欧を「人質」にとるシナ

2006/8/25:杉山穎男事務所『兵頭二十八・私塾「読書余論」』
 第2回

2006/9:産経新聞『正論』
 蘇峰は乱臣賊子を悪まずや?

2006/9/10:全日本同和会 東京連合会『東京あけぼの』
 西洋の名著から人権思想を捉え直す 第11回:小プリニウス『書簡集』

2006/9/25:杉山穎男事務所『兵頭二十八・私塾「読書余論」』
 第3回

2006/10:産経新聞『正論』
 シナにとっての東京裁判

2006/10:宝島社 別冊宝島『栗林忠道───硫黄島の戦い』
検証Part1 日米開戦、そして硫黄島
検証Part2 日米開戦、そして硫黄島
寄稿:兵頭二十八:別宮暖朗 他

2006/10:株式会社 イプロシン出版企画『表現者』(未確認)
近代未満の軍人たち 9:畑俊六

2006/10/25:杉山穎男事務所『兵頭二十八・私塾「読書余論」』
 第4回

2006/11:産経新聞『正論』
 「義務」を果たした栗林忠道

2006/11/25:杉山穎男事務所『兵頭二十八・私塾「読書余論」』
 第5回

2006/12:PHP研究所『日本有事───憲法(マックKEMPOH)を棄て、核武装せよ! 』
 兵頭二十八 著

2006/12:株式会社 イプロシン出版企画『表現者』(未確認)
近代未満の軍人たち 10:寺島健

2006/12:産経新聞『正論』
 「戦後市民」の正体

2006/12/7:兵頭二十八講演会「核戦争に備えよ───あなたは愛する人を守れますか?───」
 主催:新風20代の会

2006/12/8:兵頭二十八講演会「とりもどせ!!国家の誇りと日本のくらし───北朝鮮の核ミサイル」(未確認)
 主催:維新政党・新風 和歌山県本部

2006/12/10/15:00~16:00:SKY PARFECT TV『週間 武道通信TV』
(毎週日曜日 15:00~16:00)
 ゲスト:兵頭二十八

2006/12/25:杉山穎男事務所『兵頭二十八・私塾「読書余論」』
 第6回

2007/1:産経新聞『正論』
 「千篇二・律」の反日言辞

2007/1/25:杉山穎男事務所『兵頭二十八・私塾「読書余論」』
 第7回

2007/2:産経新聞『正論』
 鎖国時代の「最小関与」に学ぶ
 靖国も千鳥ヶ淵も「無名戦士の墓」になりえない理由

2007/2/25:杉山穎男事務所『兵頭二十八・私塾「読書余論」』
 第8回

2007/2:株式会社 イプロシン出版企画『表現者』(未確認)
近代未満の軍人たち 11:小磯國昭

2007/3:産経新聞『正論』
 真理の敵を見破る方法

2007/3:光人社『東京裁判の謎を解く───極東国際軍事裁判の基礎知識』
 別宮暖朗:兵頭二十八 共著

2007/4:産経新聞『正論』
 電波による選挙干渉を防げ
 新聞では分からない中国衛星破壊実験、ホントの意味

2007/7/16:日本列島勇気倍増計画 行動までのあと一歩について
 勇気と文明と社会(1)

2007/9/1:日本列島勇気倍増計画 行動までのあと一歩について
 勇気と文明と社会(2)

2008/1:光人社『兵頭二十八軍学塾───日本の戦争 Q&A』
 
2008/3:並木書房『逆説・北朝鮮に学ぼう!───ヘタレの日本に明日はない』

2008/3:PHP研究所『【新訳】孫子───ポスト冷戦時代を勝ち抜く13篇の古典兵法』

A:”(未確認)”は、管理人が未確認であるという意味です。
(それ以外の意味に取りようもありませんが……。)
B:根本的な間違い(「そんなコラムは無い」というような)は無いと思いますが小間隔の間違いは必ずあると思います。
C:1つのものに対して複数個情報を頂いた場合、片方が確定的なものでない限り、私が確認するまで併記しています。

 掲示板やメールで情報をくださった総ての方に、改めて感謝。


(2020年2月 記)

 この不完全なワークリストが、当サイトのマスターピースです。当サイトは結局のところ、このワークリストを作るために開設したのだと思います。