シナの指導は進んでいる?

 北鮮がとうとう、「核は持っていない」という事実を世界に表明する準備を整えているんじゃないでしょうか?
 というのは最近、北鮮のミサイルの弾頭にはB・C兵器もつけられるぜ、っていう話を広める工作員が急に日本国内で活躍してますよね? なんで今更?
 ……これってやっぱり、苦し紛れの宣伝じゃないですか。「しじ」じゃないですか(もーえーちゅーねん)。
 つまり、ウリナラは原爆は持っていません。だから制裁は解除してくれ。しかしそれでもまだ対外交渉力の担保となる「カード」はあるニダ、と言いたいんでしょ。そう仕切りなおしたいための環境づくり、路線転換のための下均しを始めたんとちゃいますやろか?
 原爆をほんとうに持ってるんだったらB・C兵器の話なんかしても意味がない。その前に、だいたい北鮮はこれまで、BC兵器をつかった大々的な演習も実験もしてないわけです。
 たとえば地下に貯蔵していたガスが漏れ出して38度線で数千人が死んだとかいう「事件」が過去に一回でもあれば、BC兵器の脅かしにも迫力が出ますよ。しかしそんな話は北鮮に限っては過去に一度も無いんですから。もうBC開発の超優等生(w)ですよ。
 冷戦時代を通じ、米ソ英などは、羊など多数の生きた家畜を使って、BC剤の大規模実験を重ねています。それでようやく実戦で使い物になる。防禦法も分かる。北鮮は一度もそういう実験をしていません。
 ガス空襲に対処する民間防衛訓練も一度もしてませんね。持ってたら、やるでしょ、普通。北鮮軍にすら、全身防護衣などの耐BCの基本装備も無いってことは、人工衛星でもうまるわかり。ガスマスクすら満足に兵士に行き渡ってないでしょう。それで「ガス攻撃」とはおもしろい。
 かんじんの北鮮の軍隊が過去にガス攻撃の訓練をしたという記録すら無いんです。鉄砲とガスと、どっちの訓練が必須ですか? 近代軍隊として。
 超音速で大気圏外に飛び出してまた地表に落下してくる弾道弾。その弾頭から、ちょうど良い高度(地表数百m)で、ちょうど良いサイズの「ミスト」粒状にBC剤を撒布するってのは、これは特殊弾頭を取り付けたロケット実験をぜんぜんしていない北鮮には、どだい無理なレベルのハイテクなのです。
 樽詰めのまま地面に激突したBC剤では何十人も殺すこともできません。まあ、「全方位イヤガラセ外交」の道具としては、とてもふさわしいですけどね。隣家の軒先に汚物を投げかけるようなものですから。
 ところで関東以西は今日は猛暑だそうじゃないですか。当地は扇風機すら要りません。また今日は仕事の間に芸能ニュースを検索する余裕も大アリだ。てゆーか、通常のニュースがつまらなすぎるだよ。
 石川亜沙美さんがご結婚という報道を見つけました。じつは小生、いまから十数年前の雑誌編集見習い小僧時代は、レイアウトの参考にするため、ありとあらゆる女性誌にも目を通していました。(いちおう某『××マ×ジン』は、写真で売れてましたんでね。)
 『セ×ン×ィーン』誌に載っていたこのモデル嬢の太モモは正直、いまだに脳内画像フォルダに焼きついてます。男の三十代は女の下半身に目が行きますからねえ。あの編集長もそうだったんじゃないか。
 で、それから何年後だったか、J-WAVEを聴いていたら、この石川嬢がジョン・カビラ氏の番組に出てるわけですよ。どうもモデルからTV女優に進出を図るのでその宣伝の一環だったらしい。あの頃から「モデルでデビュー→雑誌で顔を売り→TV女優に成り上がり」という変則コースが芸能プロダクションにとっては一つの定番レールに確立しようとしていた。
 だから、ファッションモデルなのに身長がヤケに足らない、しかしルックスだけはどこでも勝負ができるという素材は、この新路線が前提で、その後、急に増えた次第です。既にこれは死語と思うが、アメリカの「スーパーモデル」ブームがその前にあった。まあ余談です。
 ところがですぜ、そのJ-WAVEに話を戻しますと、カビラ氏の極くやさしい質問に対する受け答えが、石川嬢にはできなかったのです。終始、口ごもりがちであった。演技に必要な即興的な利発さとは無縁な人なのだなぁと、聴いている人には分かっちまった。残酷でしたけどね。天は二物を与えずのサンプルだったと思います。
 またそれで思い出したのですが、こんなこともございましたわ。東京駅からJR東海道本線で横浜に帰ろうとしていたときのことですよ。わたしより後から、向かい合わせの2人掛けの座席のわたしの真向かいに、すごい足の長い若いお嬢さんが座った。いや、ジーンズをきちんとお召しでしたけどもね。
 背の高い女はいまどき珍しくないわけですが、わたしは瞬時にこの子はモデルだと確信した。なんというか、ふだんから女性誌ばかり眺めていたら、素材の判別がつくようになっていたわけです。なにごとも修業ですよ、やっぱり。
 ところがこのモデルさんは、どの雑誌でもまだ見た覚えはありませんでした。不思議でしょ? そのうち川崎あたりでこのお嬢さんは下車されました。あんまり足が長いので立たれるときに膝がわたしにぶつかった。
 で、横浜に帰って近くの書店で小学館の『CA×☆×AM』最新号をパラパラとめくったら、偶然にも、デビューしたばかりの山田優ちゃんが名前入りで紹介されている頁があって、大いにそこで納得したという次第でありました。
 あと一人、地下鉄の丸の内線に乗っていて、おそらくは小学館ビルに向う途中であったろう、ある有名ではないモデルさんの実物が扉脇に立っておられるのをこっそりと拝見し、写真とはあまりに手足の長さの印象が違う(実物の方がコンパクト、しかしあのクチビルの形は絶対に間違いはない)ので、認識を新たにしたことがあります。撮影術によってどうにでもなるという方の例です。
 しかしたまにTVニュースをつけてみると、どこも全く同じ品揃えのラインナップでうんざりしますな。
 特にローカルのニュースはおそろしすぎる。当地には民放が3局ありますが、おまえら道庁と道警のリリース種以外に何も取材できてないだろ。3局ともまったく同じ交通事故とか窃盗事件を報道している。だったら3局ある意味ねーっつーの。よくこれで情けなくないものだ。
 全国ニュースも、子供殺しだのシリアル・キラーだの、そんなニュースはもう飽き飽きだから、どうかジダン選手の頭突きの謎であと1ヵ月くらい引っ張って欲しいと思います。人間、何を我慢し、何を我慢すべきでないか、イタリアのような品性下劣なスポーツチームがヨーロッパでどう思われているか、考えるきっかけにすべきでしょう。
 さてそろそろ只で届いた『SAPIO』でも読むとしようか。最近オレが書いてないから内容が平板だよね。
 あ、それから籏谷先生、守り刀、恐縮です。銘は「靖俊作」でいいんですよね?
 いろいろな方からいろいろな品物を拝領するのですが、まったくお返しができない。相撲取りの「ごっつぁん」体質が染み付かないうちに、早くコンスタントに稼げるようにならねばと思います。それにつけても、涼しいのはありがたい。

曖昧なフィジカル・コンタクトは日本人の国民性に合わない

 イタリアのように汚く戦えばチビでもデカいチームに勝てることは判った。
 しかし日本人選手にあそこまでいやらしい戦い方は無理でしょう。さりとて日本人のガタイがこれから突然にデカくなる見通しもない。
 となれば日本国内ではサッカーはこれから数十年間、全国民的に熱狂的に支持されるような大衆スポーツになることもありますまい。
 ラグビーよりは競技者が多いが、ラグビーのように外国チームには勝てない宿命を受け入れて楽しむ、特殊なスポーツとしてあり続けることでしょう。
 大手日本企業のスポンサー戦略としては、Jリーグとは別個に、企業プロ・リーグを創ると良いでしょう。
 もちろん、そこでは選手は全員、外人です。

いいかげんにしてほしい「軍部とアイツは別」説

 シナの原潜事件のときも「これは軍部の暴走。コータクミンは悪くない」という、シナのプロパガンダの片棒担ぎにすらなってない、戦後日本人の自己弁護・自家発電(オナニー)だけが目的の「パブロフの犬」発言が、複数のプロの解説者の中から飛び出しました。(シナとすれば、すべてある一人の指導者の命令によるのだ、と世界が思ってくれた方が、以後の外交かけひきで、その男の発言が重視される度合いが増していくわけです。)
 そんな「オナニー解説」を聴いて無意識に安心しているあなた。あなたは「似非保守」「似非右翼」です。もうあきらめなさい。無意識の改造はできっこない。あなたは一生サヨク戦後民主主義の日本人のままで、暮らしていくことになるはずです。あなたは目の前につきつけられた物でも正確に認知することはできず、「男の決断」は、常にこれを回避しようとするでしょう。親切に予言します。
 今回のミサイル騒ぎにもまた、「軍が<首領>の意向を押し切って強行した」とか吹かして、それで何かを解説したことになると思っているパブロフの犬畜生様が続々、ご登場しておられるご様子ですね。ちょっと取材で留守にしてたんで、テレビも新聞も見てないですけども……。いや、サッカーだけホテルで実はしっかりBS視てたんですけども(あのニュース・テロップははっきりいって邪魔だった)。
 だ・か・ら、、、それじゃ、北鮮のためにする工作にも、ならないんだって!
 こんな珍説がマジに罷り通ってしまうのは日本の<一流>マスコミだけですよ。
 古今東西のあらゆる政体は、「共謀」で運営されています。独裁者と、ナンバー2、ナンバー3、……の少数幹部たちとの間には、常に「合意」があるのです。そうでない独裁者はとっくに排除されているか、政体そのものがとっくに外国のパワーの前に潰されているのですよ。
 しかしチビ軍団のポルトガルが敗けたのは残念でしたなー。もし決勝でチビ・イタリアが良いところなくフランス(アフリカ)に負けたら、Jリーグは「アフリカ人選手枠」を無制限にすべきじゃないですか。身長190センチ以上のアフリカ人サッカー選手は無審査で帰化させちゃっていいでしょう。それだけ目立てば犯罪もできないよ。南アフリカに、アフリカ人選手ばかりの日本チームが乗り込んで行く。すばらしいプロパガンダだ。

全方位いやがらせ外交

 大塚英志さんらとの座談会の収録をしてきました。
 今回のミサイル発射の目的はもちろん3発目のロングレンジの新製品のプロモーションでしょう。米軍に注目してもらうためにわざわざ前座を2発放って満を持したのですが、メインイベントがコケてしまった。
 「照れ隠し」に、あと数発、スターマインをやってごまかそうとしたと思います。意味はそれだけでしょう。
 米軍が今熱中しているのは、海中に落ちた二段目、三段目を特種潜水艦で回収することでしょう。

御礼。

 谷口さま、情報ありがとうございます。
 すごい蔵書量の方のようにお見受けしますが、いつかその整理法についてもお話しくださると幸甚に存じます。

三度び蕪辞を弄す

 首相が一般国民に向かっては責任を負わない(自己説明力を公開的に発揮せよと要請されない)ために、却って首相の権限が弱い──。
 一人の総理大臣に全官僚の任免権を与えることを決して予期しない、明治憲法からして改めぬ限りは、日本は20世紀の現代戦には対処できませんでした。
 陸相、内相、参謀総長を兼任し、陸相の手兵たる憲兵隊によって政党と議会と海軍も黙らせた東条英機首相が、このような山縣体制の構造欠陥を、身を以て実験証明したのです。
 敗戦後、陸海軍に加えて内務省も解体され、棚からぼた餅のようにSCAP命令という百官黜陟自侭の権を把握した吉田茂は、時限的に昔の山縣に近い権力を持てたことから慢心し、首相の責任と権限に関する山縣体制の構造欠陥を温存してしまいました。
 その吉田による不作為の実験の結果、旧陸軍に代わって戦後は大蔵省の権力が絶大化します。じつは、戦前に大蔵省が暴走しなかったのも、陸軍省や内務省がカウンター勢力として拮抗をしていたからなのだなぁ、ということがやっと分かったのではないでしょうか。
 戦後、この大蔵省の「官僚ファッショ」を阻止できる唯一の勢力は、米国です。そこで、旧陸海軍省の生き残りや旧内務省の生き残りは、敗戦直後の外務官僚に倣って米国要路と直接に連繋することで、大蔵省を抑えるしかなくなりました。閣僚級の代議士も同様です。目立って活躍しているのは、検察でしょう。彼らの国策捜査は、同時に大蔵省(財務省)に対する米国経由の牽制球になっているのでしょう。
 同様にして、田中派の対支売国外交も牽制されてきました。
 しかし、日本の富を挙げて米国経済に奉仕せしめる財政や、外務省はじめ中堅官僚や小物政治家がシナの間接侵略の手先になることや、財務省を枢軸とする官庁同士の腐った取り引きにまでは、米国経由のチェックは及びません。当然のことです。
 次の内閣の優先すべき課題はハッキリしています。代議士の互選で選ばれる戦後の内閣総理大臣には、全官僚の随意即効任免権が与えられなければなりません。
 ところで、自己説明力(アカウンタビリティ)を要請されない男は、概況が好いときに不善を為します。ワールドカップ日本代表チームも、先に1点リードすると「なぜ自分がここにいるのか」が分からなくなり、試合後の自分のことしか考えられなくなるのではないでしょうか。「今」に集中できるかできないかの分かれ目も、アカウンタビリティーなのではありますまいか。

昭和天皇は日本人が自己説明力を持つ日を待った

 東京裁判の進行中に南原繁が天皇退位論を口にして新聞に書かせ、木戸幸一はそれにシンパシーを持って情報操作に加担したかもしれません。
 こうした退位論に反対し抜いた吉田茂には、南原を「曲学阿世」と罵る根拠があったでしょう。
 終戦後の昭和天皇退位論は、自己説明力(アカウンタビリティー)の皆無な日本指導者層の無教養を少しも改めないで、天皇個人に日本国家全体を代表してレスポンシビリティー(処罰引き受け)だけを安易に求め、それが戦中の側近らの公式免罪になると信じたものだと疑われます。昭和天皇は、張作霖事件の時以上に、深い困惑を覚えたかもしれません。
 戦前の日本の内閣総理大臣が、必ずしも国政選挙で選ばれた代議士であることを要件としていませんでしたために、却って逆に、首相の一存での閣僚任免権、官僚任免権を決して持たせてはもらえぬ──という大きな弱点が、明治憲法にはありました。
 民本的でないがゆえに、選ばれた行政の長に、部下人事の独裁が不可能なのです。
 この中ぶらりんな制度欠陥を東条英機は、陸相直属の憲兵隊を最大限に駆使することで、乗り越えようと図りました。けれども、明治憲法をいじらない限り、そんな江戸時代式な統治では、国内の頭脳と活力は総動員され得ず、現代の戦争に勝てないのだという証明が、事実によってなされました。
 敗戦後に登板した吉田茂は、SCAPを宝刀にできました。GHQの超憲法的権力に頼み込んで、政治的な反対者を「戦犯追及」させ「公職追放」してもらうことで、日本の首相として初めて彼は、閣僚と下僚の一存任免権を、擬似的にですが、手にします。
 もちろん、東條がつくった、首相の天皇に対するアカウンタビリティーの慣行は、吉田は尊重しました。その関係があるからこそ、天皇退位論は、現内閣を倒そうとする運動にもなり得たのでしょう。
 ウォルフレン的状況から唯一抜け出られた吉田が目指すべき次のステップは、国政選挙で信任されることになる未来の首相に、閣僚と下僚の自由任免権力を確実に保証してやる制度改革(改憲)だったでしょう。
 が、吉田にも限定的な自己説明力しかありません。旧陸海軍というアンタッチャブル省庁さえ消せば、他の官庁などは随意に操縦できるものと、彼は高をくくっていたでしょう。じしん官僚出身でありながら、文民官僚の自己目的的な活動力をナメていたのです。「宝刀」が使えなくなり、吉田も死んだ後の日本の内閣の未来を、彼が構想できていたようには思えません。
 ライブドアの元社長がマスコミに対して語っていたTV局買収の自己説明、これがぜんぶ「欽ちゃん」に用意してもらった科白だったとは。そして一時は官僚だった欽ちゃんも自己説明力が無いことをあのように天下に晒すとは。
 小学生に英語を教えるより、古代ギリシャ語を教えた方が、付け焼刃にはならず、生涯の全局面に亘る自己説明力が涵養されるのかもしれません。
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 左右対称、先端まるまり、テーパー無し、血流し樋が中央に彫られた、トカレフSVT-40セミオートマチックライフル用の銃剣の、ブレードの幅はそのままに剣身を少し長くし(283ミリ)、鍔の下側端を「J」字状とし、長さ93ミリの木柄は「逆さ凹」状に鍔元と柄頭に段差があり、銃身リングの内径は16ミリだがその部分の鍔板の厚さは一枚鉄板のツライチ。柄のロック・ボタンは横に飛び出ている──。
 戦前のロシア/ソ連軍でこのような銃剣を装着できる小火器についてご存知の方はご教示ください。SVT-1938でしょうか? 画像検索したのですが、SVT-1940用の戦時量産型(?)銃剣しかヒットせず、それは剣身が短く、柄木の形がストレートで段差がなく、鍔にJ字部分もなく、リング部分の鍔は鉄板ツライチではなくチューブ状になっております。

自己説明力( accountablitiy )

 カレル・ヴァン・ウォルフレン氏は、1989年の最初の本格著作物の中で、日本の官僚はレスポンシブルだがアカウンタブルではない、と指摘し、かつまた、それは日本に「市民」がいない(=リアルな民主主義ではない)ことと、裏表の関係にあるのだと示唆しました。
 (市民でないとは、統治に関与せぬただの「被治者」であることで、ひらたくいうと「町人」ばかりが多い状態でしょう。)
 以後のウォルフレン氏の一連の著述の中では「アカウンタビリティ」は暫定的に「説明責任」と訳され続けました。同語は1994年末までに日本の一般書講読市場の reading vocabulary の中に入りました。
 ウォルフレン氏は政治的には、小泉政権は初期から支持する、米国(特に共和党政権)には反対する、親欧・親中共・親韓と、気儘でした。大蔵省がバブルの責任を問われ、管直人氏が厚相に就いた頃に、ウォルフレン氏の声価はピークに達したように記憶されます。が、その後「反ブッシュ父子」をしつこく日本人に焚きつけるようになってからは、彼は次第に引用されなくなったように見えます。
 氏の学究的功績は、氏の党派的好悪とは独立に尊重される価値があるでしょう。「差分」を抽出・摂取する源泉として、氏の著述は半永久に生きるはずです。
 たぶん「アカウンタビリティ」をぴったり訳し伝えることになる日本語は、まだ生まれていません。
 ぴったりくる訳語がすぐできなかったということは、やはりそのような概念は、有史いらい日本人と無縁であったためです。
 また、福沢諭吉級のうまい訳語がまだ思いつかれないということは、その未知であった泰西概念の神髄に、いぜん、日本の最高級の知識人の理解が及ばないということです。明治初期いらい「イニシアチブ」の訳語候補は無数にあったのですけれども、日露戦争後の陸軍が「独断専行」を最終的に択んだ結果は、ご存知の通りです。
 親分だった山県有朋が死んだ以上、誰にも自己説明をする必要はないと思っていた田中義一は、27歳の昭和天皇に対してアカウンタブルではないことを咎められ、キャリアを喪いました。(田中義一は、レスポンシビリティ=処罰引き受けの自律 は、あったわけです。)
 あのときもし昭和天皇が怒りを爆発させていなかったら、日本の軍官僚は新天皇に対してすら自己説明の義務がないと早々に確信することになり、日本は昭和のある時期で「満州国」になっていたでしょう。
 この田中義一を反面教師として、東条英機は、直属する昭和天皇に対してはアカウンタブルたらんと努め、それが昭和天皇には嘉納されたのはあたりまえです。
 ところでアダム・スミスが『道徳感情論』の中で引用していますが、プラトンは、徳は科学であると見ました。
 つまり、何が正しいかは演繹的にわかるはずであり、それが分かるということは、そのように行動もできるのだと考えた。
 これが「自己説明力」の神髄でしょう。
 自己説明ができない人間は、何が正しいのかを掴んでいませんと社会に告げているも同然なのです。
 そしてこれもまたスミスの引用によりますれば、アリストテレスは、知性は慣行に負けると言った。善良な風俗は、知識からではなく行為から生じたと。
 こちらは、近代社会では、なぜ官僚の自己説明力は、君主に対すると同時にまた、市民権ある国民に対して発揮されなければならぬか、そしてその行為がまた「律」でもなければならないのか、の解義の神髄でしょう。
 その律を官僚に迫る主体が市民だとウォルフレン氏は教えようとしました。しかし日本に市民は少ないので理解されませんでした。
 公表的な答責が行政官の律となっていれば、日本国内の誰かがもっている、最高の助言も得られやすい。これを痛感できるのがインターネットの世界でしょう。
 各種のブログを読んでいくと、書き手の自己説明力の高さを比べ見ることができることに、最近わたくしは驚いています。好個のサンプルが「つくる会」の内紛についてインサイダーの人たちが主張し合っているブログ(と雑誌記事)です。いずれも尊敬すべき人たちだが、手短かに自己説明のできる人とできなさそうな人がいる。他を批判する能力と、自己説明力とは相互に独立だと、いまさらながらに気づきつつあります。
 東京裁判に関する本の仕事が入っておりますため、延々と他人様のブログを眺めている時間も無いのが残念です。それと劇画『日中開戦!!』の刊行が遅れそうです。どこかに、倉橋先生の作画のアシスタントを短期間だけやってくれる人は、いませんかね?

摘録とコメント(※)

▼陸軍文庫『日本兵器沿革誌』M13
 ※本朝軍器考の出典全部にあたっているので内容充実。
 甲冑之部。日本は例外的に母衣で矢を防いだ。これを頭からかけ弓でつっぱって展張した。三代実録に、甲の扶けになるとある。平家物語にも見える。絹製なので前方を視ることができる。
 刀剣の部。大小2刀どころか中古は3、4刀も持っていた。たとえば『鎌田草子』。
 昔は両刃も片刃も「剣」といった。文官の儀刀は鉛か木製であった。
 左右巻→鞘巻。
 欄外書き込み。「八つか」の「八」は音声「パ」で、大なること。ひじょうに長い剣であることを強調したのであると。
▼偕行社記事 第389号附録 寺田武(陸軍輜重少佐)編述
 ※日露戦の後方の反省。
 速力の遅い船はどうしようもない。特に荒天下。上甲板が板でないと、寒暑耐え難い。
 舵取=クォーターマスター。 副機関の主任者=ドンキーマン。 便所掛=ドーバス。
▼広井勇『再訂 築港 前編』大2、原M40
 M31の実績で、日本の築港は人力に頼るため、欧米の20倍の費用と5倍の時間を要している(緒言 p.2)。
▼須川邦彦『戦力と船力』S19
 ダーダネルス作戦についてコーウェル少将は、8000人の上陸のためには大型端艇が250隻必要と。端艇は全長9.1m32人乗りと、10.4m42人乗りとあり。漕手6名は別。この作戦後期、ようやく自航上陸舟艇出来、小銃耐弾、5浬/時、着岸用斜歩板付、馬50頭あるいは人員500名を載せた。沖合いまでは曳航される(pp.16-7)。
 北清事変では日本は1コDのわたしのため、20隻(35000t)を反復使用しなければならなかった。
 ナルヴィク上陸では独は駆逐艦に山岳兵を分載、戦艦2、巡洋艦1の護衛の下、空襲を冒して運んだ。揚陸後、船団は全滅(pp.18-9)。
 S11頃、日本は1万tクラスで20ノットのタンカーをつくった。英ではこれを特設巡洋艦にするのではないかと怖れた。※なんとすばらしいアイディアだったろう。
 日清役では、元山丸、品川丸の2隻(各1000t)を工作船として徴用。日露役では3000t級の三池丸、江港丸を。これらは吃水線以上の応急修理を担当した。
 バルチック艦隊は7000t級1隻を随伴。
 米はS15にバルカン号9100tを進水させた。当時最大級。
 サンチャゴ艦隊全滅の因は、スペイン海相からF司令に送った電報が、国際海底電信を米が抑えて不着だったためによる(p.104)。
 VDソナーの原形はWWⅠ中。英海軍中尉が、対潜用の曳航式爆雷のためにパラベーンを創った。これがすぐに機雷切離具に転用された。
 Subが帆を張って漁船にみせかけるのはWWⅠより(p.162)。※ちなみにいまの漁船が帆を張っているのは、アンカリング/漂泊中に船首を常に風上に向けておくための垂直尾翼のようなもの。
 米は大7から対潜迷彩の科学的研究を始めた。
 ※ここに各国船舶の迷彩について網羅的に紹介されているのだが、これは江河勝郎 ed.『戦時に於ける商船の自衛』S13pub.からの無断転載だと思われる。
▼『倭城 I』1979
 文禄以後の半島での永久築城の経験が、慶長以後の城のスタイルに。
 初期平壌の戦いでは、平壌の邑城を改修したものは役立たず、高地に新規増設したものが防禦力を示したので、以後はその方針。明の人海攻城は日本では全く考えられないことであった。
 このころの水戦は人力漕なので、海戦場ちかくの港を敵に使わせなければ、逸を以て労を待てる。
 守城戦闘において鳥銃の威力は圧倒的であった。
 本格築城は補給港を瞰制する高地に、野戦築城は半永久式で内陸に。
 壁と櫓台の組み合わせが有効だった。堀は空堀。
▼ホースト・ドラクロワ『城壁にかこまれた都市』1983
 ルネサンスの人文学者は、都市を囲む城壁を人体の皮膚に好んでたとえた。
 バビロンの城壁は高さ25mで、それプラス5mの塔。
 大砲の水平射を活用すべく、要塞は低くなり、壁は外濠から立ち上がるようになった。つまり拒止障害地形としての段差は旧のままだが、レベルは敵地と大差ないので、こちらからの平射が有効であり、敵からの目標はなくなる。
 ヴォーバンの外濠は幅100m以上。
 19世紀のブリアルモンはベルギーのヴォーバンといわれる。
 注。仏による1494~1529のイタリア攻めではじめて鉄丸、および牛ではなく馬で引く砲架付大砲が大量使用された。
 ミケランジェロはこれに対し土でできた要塞を主張した。
 注。リェージュ、ナミュール、アントワープの永久要塞はWWⅠであっけなく陥ちたが、ヴェルダンがもちこたえてしまったために、マジノ&ジークフリートの愚行が実施されることになった。
▼楊泓『中国古兵器論叢』来村多加央 tr. S60
 楚辞に出る「犀甲」はおそらく車戦で使用される。3mもの戈、矛は、歩兵には適さず、やはり車戦用である。※戈はそうだろうが矛は長くしても良いだろう。
 殷から春秋に到るまでは奴隷制社会で、奴隷主階級が軍隊の主要な構成員であり、戦争の目的は奴隷の反抗を鎮圧し、征服および掠奪を行ない、以て新たな奴隷、土地、財富を獲得することであった(pp.8-9)。
 戦国期は、鉄器と、「かなり普遍的」な弩の装備により車すたれて歩騎とかわる(p.16)。
 秦はむしろ銅を主用したのではないか。鉄器は燕にのみ多し、と。
 前漢になって青銅武器が駆逐される。シナ語では火器でないものを「冷兵器」と呼ぶ。
 詩経・秦風には秦の軍容を戦車を以て特徴づける。
 戦車主体の軍とは奴隷制の産物で、奴隷主は軍装すべて整えて戦車上に立ち、奴隷たちは手に簡単な武器を持って後続する(p.96)。
 とうぜん奴隷は本気で闘わないので決着は奴隷主同志の決闘となる。御し難く、弓矢の射程が短い(たぶん竹製)のため、深い陣は無意味で、横一線の陣を採る。当然すれちがいざまのうちあいになる(p.97)。※だから戈が役立つ。
 楚辞に「左驂は殪れ、右は刃傷す」と出る。驂はNo.1&No.4の馬。服はNo.2&3。※戈で馬を狙っていたのか。
3人の乗員と装備だけでも250kgにもなろう。これプラス、車重。
 左伝に2箇所、植生により車がスタックする様が(p.100)。
 脱車制は早く進行されるべきであったが改革が遅れた跡が歴然。
 手で張り拡げる弩を「臂張弩」という。
 史記・張儀列伝に、「大船に粟を積み……一舫に五十人と三月の食とを載せ……一日行くこと三百余里」と出る。
 『釈名』に、「剣は検なり、非常に防検する所以なり」。
 この著者は漢書芸文志の斉孫子89巻を竹のつづりとは思っていないようだ(p.146)。
 弩はおそらくシナの南方あるいは西南方の古代民族中に最初に出現した。近代になっても南方と西南方の二、三の少数民族は弓を用いず弩を用いていた。部隊に大量に弩を装備すること、かつまた青銅の機括を使用することにいたっては、凡そ春秋時代に始まり、おそらくは最初に楚国に出現したものであろう(p.150)。
 文献。J.F.Rock著“The Ancient Na-Khi(納西) kingdom of South West China”,1947.
▼森浩一・他『古代の日本海諸地域』
 佐渡や壱岐が、大陸への逃亡を考慮しなくていい流刑地となった。※地中海とはぜんぜん違うこと。
 鎌倉時代に日本人僧が樺太から大陸に入った例がある(p.73)。
▼羅哲文『万里の長城』
 B.C.8~5世紀のシナ人口は希薄。すなわち春秋時代。B.C.6世紀ごろから鉄器による開墾で10%固定税が可能になる。これが、B.C.5世紀の初代の長城を建設する資力を生み出した。
 南方の呉・越は沼沢地だったから、戦車に頼らない歩兵隊はここで生まれた。山の多い晋(のちの韓、魏、趙)でも。
 大昔は車戦オンリーの時代で、溝が対戦車壕だった。趙の武霊王が北方民を真似て騎射隊を編成したのはB.C.307。
 川水に接しているところでは、長城は水門要塞になる。
 最初の長城は、黄河の最下流域の斉。ついで長江最下流の楚。ついで黄河中流の魏、さらに魏の上流の趙の順で。
 始皇帝は征服地の城壁をとりこぼち、武器を鋳潰した。クローン化。首都から四方にむかう道路を整備。厳罰主義。無宿人や罪人はどしどし築城工夫として僻地へ。
 季斯の提言により、技術や占卜に関する書籍以外は燃やす。ただし一セットは残し、最高の学者は閲覧できた。
 ※儒者を生き埋めにしたなどというのと同じく後朝の中傷宣伝で、役に立つ知識をもたずに屁理屈で行政に反抗し不遇をかこった腐儒が江戸の仇を討った。
 蒙恬は斉を討ったのち、西方で異民族対策、長城建設、輸送路建設を監督。史記によればその辺境建設隊は30万。
 漢王朝は西の辺境に18万の屯田兵を置き、小麦、黍、麻などを栽培させた。
 高句麗は隋唐軍を防ぐために500kmの防壁を築いたが用をなさず。
 唐代に馬の絵や彫刻が多くなる。大宗は騎兵隊を再建した。
 AD487の書に曰、北方のテイ族は……都市攻撃に慣れていない。
 チンギス・ハーンの総人口は250万、兵力わずか25万。
 明代、長城方面への穀物供給はやはり揚子江流域から山東まで海漕に頼らねばならなかったが、しばしば暴風と海賊に邪魔された(p.54)。
 明の武宗は、肖像からも、子がないことからも、宦官に頼ったことからも、不能者のように思われる(pp.54-5)。
 成祖は国都を北京へ北遷させる。揚子江と黄河をつなぐ大水路の修復により、北支へ海上輸送する危険がなくなったので。
 鄭和は雲南生まれのイスラム教徒。
 かつてのゴビ砂漠では農耕のできる地所も多かった。
 漢ははじめて中央アジアに進出した王朝。補給は1頭建て荷車。
 騎馬の軍隊なしには、漢のあれほどの版図は無理。唐も同様。
 煉瓦は明代から(p.131)。
 手押し一輪車はシナの紀元前発明。ラバ2頭曳きもある。
 烽火は秦代にはじまる。
▼石母田正『古代史講座5』
 アテナイの外交政策は穀物政策。
 漢代から義務兵役制。軽車、騎士、材官(歩兵)、楼船(水兵)などを訓練させておいて、有事に招集。
 軍屯田は武帝が始む。しかし完全自給はできなかった。
 ホメロス時代は、指揮官の迅速移動用に馬車を用う(p.186)。
 車鎌付きのペルシャ式戦車はアッシリアには見られない。
 アッシリア騎兵は車より遅れて発達。
 刀剣は実戦に使われず、槍、弓のみ(p.194)。
 工兵があり、軍道をつくり、攻城した。渡河は筏に戦車ごと乗せた。舟を並べた浮橋あり。歩兵は浮き袋も使用。
 海国(南バビロニア)の市を占領するとき。「かれの残軍は筏にのって湖上に逃亡した。私はかれらを追撃し、湖上の戦でかれら多数を殺し、……」(p.196)。※沼地だろう。
 ペルシャ対岸征伐は海陸併行進軍で。ニネヴェで船を造り、フェニキアで戦備をととのえてユーフラテスを下り、チグリスの艦隊はオピスで陸送、運河を通ってユーフラテス軍に合流せしめ、海を渡った。アッシリア2段櫓軍船は衝角付。
▼釘本久春『戦争と日本語』S19
 異民族に対する日本語教育の嚆矢はM28-6、於・台湾。
 朝鮮では日露戦中から準備し、併合の翌年M44に朝鮮教育令。
 関東州ではM37-12、陸軍部隊により小学校開設。
 南洋では大3、海軍占領と同時に。
 M42-7以降、満州では満鉄が教育担当。
 朝鮮教育令は、日本語普及進捗に合わせて徐々に朝鮮語授業を減ず(p.127)。
 「隣組」は戦前にない日本語(p.191)。
▼ナポレオン口述、マルシアン ed.『ナポレオン兵法書・ジュリアス・シイザア戦争論』外山卯三郎 tr. S17
 右のあばらが痛かった。※毒酒?
 架橋法について詳述。
 ローマ軍は、退路や負傷者収容施設が完成されぬうちは決して戦わなかった(p.99)。
 ローマは短剣で、アレクサンドロスはマケドニヤ式の槍でアジアを征服できた。というのは白兵防禦陣は同数の敵に囲まれても有利なのだ。
 現在の弾は500トアーズに届き、90トアーズのところまで人を殺す。ために、敵が少数でも、囲まれたが最後、味方陣内すみからすみまで敵の射程内となる。だから散開する必要がある。
 砲は500トアーズで殺傷。
 シルコンヴァラシオン(壘壁)←→コントラヴァラシオン(対壘線)
 古代の白兵戦闘では敗者の損害は勝者に対しケタ違いに大きくなる(p.181)。
 というのも、敗北して崩れ立った瞬間、大殺戮が始まるから(p.242)。
 ナポは他に中世のテュルヌ将軍とフリードリヒ大王に関する書を著わしている。
▼望月衛 tr.『ドイツ戦争心理学 第2巻 将校の資質と其の文化業績』S17、原1936
 独では1928以来、学科テストぬき、心理学的検査のみで将校を選抜する(p.9)。
 1617ジーゲンにドイツ最初の士官学校。当時は主に砲兵弾道学。
 1859から将校は必ず士官学校を出る要あり。1861~65の間、この反動として将校試験廃止運動(p.12)。
 WWⅠで尉官の40%戦死。
 クラウゼヴィッツ研究者の歩兵大将ヴァルテル・ラインハルトは言う。「戦争とは、権力手段を以て権力手段に対し闘争することである。……敵の権力に対する自己の権力の方向の中には、最も迅速なる結果をもたらし得るという見透しが存すべきであって、之は諸々の力の最大の経済を保證する」(p.60)。
 1937時点で士官候補生の適性検査は面接による(p.89)。
 1940時点で軍人家系は軍人家系同志で婚姻している(p.193)。

世人の眼識は日に日に高し

 ルソー並の天才級の知識人の自己弁護はそれじたいが芸術です。本人が生きている間は周囲に迷惑をかけようが、当人が死んで百年たてば人類の財産になっている。
 またこういう天才は、長すぎる文章は書かないんですよ。
 そうでない一級の知識人で「ナンチャッテ文学」の志好がある先生方。このタイプは日本には多いんだが、自己弁護をする前によっぽど気をつけるべきです。
 といいますのは、文章力になまじいな自信があるため、リラックスして闊達に自己弁護の創作力を大発揮しちまうのです。スイスイと。しかも、長いんだ。
 文人が、自分の弱さ・醜さ──西洋人ならば「罪」と称するところの側面を、自分で研究してオープンにする作業にわれわれ接しますと、付き合わされる読み手の好悪は分かれるところですが、まず凡庸でない心掛け、さすが文人、とくらいは評価しておきますでしょう。
 ところが、そうでない一級知識人でナンチャッテ文学の志好がある先生方ときた日には、自分の凡庸な弱点や欠点を世間の認知から守るためにせっかくの文才を浪費しようとなさる。そのセコい自己史修文の営みが、無駄に長ければ長いほど、けっきょく世間様の批評眼にセコい自我が見切られ易くなるのに、それはご当人には弁えの附かぬことですので、近代の図書館には、慎重に煙幕を張りポスターカラーでリタッチしたつまらん履歴書がうずたかく積まれて、後世の誰も愉快にしないのでしょう。
 ある一人が言うことを全部信じようなんていう読者は今の日本にはいない。誰もが「差分ファイル」を聚めようと目を凝らしています。一本調子の長すぎる宣伝からは、その目は逸れてしまいます。