年内2度露出

 ボケかましまくりの「チャンネル桜」収録であった。km/hが、「ノット」の二倍強…なワケないだろ、俺。
 それにしても潮先生が、与えられた発言タイムに必要な情報を手際よく伝えておられるのには感心した。やっぱり向いた奴と向かぬ奴が居るのだなあ。でも生活費があるからなあ………。

文民統制の形式と実態

 迎撃ミサイルの発射をすると「迎撃した時点で交戦状態になる可能性があ」るので、MDの指揮官にその判断を任せたりすれば文民統制が確保できない「との意見が大勢となった」──とかいう本日のK通信のニュース配信があるんですが、すべて匿名では、例によってホントかウソか人々は判断できないですね。
 これって、誰がそう言っているのか名前を挙げなくて良いほど些細な問題ですかね。少なくとも記者の署名が無いんであれば、この種の記事は「誰かが為にする低級なディスインフォメーションじゃないのか? 事実は、何の責任も持っていない記者の知人の小者による妄想・妄言に過ぎぬのではないか?」等と大いに疑って良いでしょう。
 現行慣習では、領土・領海の上空は、大気圏内であれば「領空」と看做されます。PAC-3は最大射高が1万5000mで大気圏内。しかし水平射距離が対ミサイルで最大4万5000mに達するそうですので、これは領海12浬(22.2km)を超える場合がありえます。さらにMS-3になりますと、公海上から発射して大気圏外で撃ち落とすというのですから、ひょっとしたら韓国空軍機やアメリカのスペースシャトルをMDが間違って撃墜することもポテンシャル上は可能です。ではその場合、日本と韓国、日本と米国は「交戦状態」になるのか?
 ──なるわけがない。相手が誰か分かっていて撃つ者があり、その撃つ者に対して撃ち返す者があって、交戦が生起するのです。北鮮の弾道弾はブースター&サスティナーが切れた段階でフリー・フライトに入り、あとは重力に引かれて落下するだけですから、レーダーでフリー・フライト中の2点または3点を捉えれば、弾着点は即座に算定される。それが日本領内であると分かったら、明白な危害が切迫してるんですから、これを迎撃するのは軍人の任務であるのは勿論、その任務を予め付与しておくのが最高指揮官たる首相の責任でしょう。
 こういうのはROE以前の問題ですが、あとで混乱しないように、ROEはあった方が良いですね。MDも、要はROEをさっさと統幕が作って、それを首相が承認すれば、誰がミサイル発射権を持とうが、誰が核のボタンを押そうが、問題はありません。
 公海を走っている軍艦がいきなり何者かから発砲されたら、司令官または艦長の指揮でその何者かに撃ち返して破壊殺傷して構いません。日本の警察官や海上保安官が外国軍ゲリラから急に発砲されたら、敵の正体がハッキリしない状況でそれに撃ち返して殺して構いません。それで「交戦」が生起しても誰も「文民統制違反」とは言いません。
 日本の「文民統制」の真の問題は、官僚が名目手続き上は合法的に、しかし世間常識的には勝手に始めてしまった「施策」を、政治家が、後から止められないことにあります。止められない理由は、公務員の身分が法律で必要以上に保障されていることにあります。国家公務員の課長補佐(軍隊なら省部の中佐?)以上の身分は保障されるべきではないというのが日本現代史の教訓でしょう。
 外務省や文科省の小役人が衆知の国家叛逆的な暴走をして日本を衰亡させようと企てているのに、選挙で全国民から選ばれている内閣がその首謀者を免職できない。これでは戦前の関東軍と同じです。この法律の一大欠陥に目をつけた反日諸勢力は、まず役所に細胞を送り込み、役所によって日本の国権を減殺しようと画策し、ほぼ成功しつつあるのです。
 軍隊の中佐以上の者をいつでも何の理由がなくとも首相の意向だけで免職できるとしたら、文民統制違反なんて起きるはずがないでしょう。逆に、この人事権が首相にないとすれば、内閣は必ず役所に支配される。外国との交渉もできないし、起きた紛争は永遠に終わらず、国庫がムダにどこへともなく消え、競争力と国力は低下します。
 役人は選挙で国民の支持を受ける必要がありませんから、合法的な反国家活動を最も効率的に遂行できる立場に居るのです。その害悪はK通信社の比ではないでしょう。
 「文民統制」というときに忘れてはならないことは、「宗教家も文民じゃない」ってことです。これは自由主義先進国では常識ですが、日本でのみ、なぜかスルーされています。
 いま、日本の内閣には宗教家の代弁人が混じっています。もし日本の国防国策にこの閣僚が口を出すとしたら、それは文民統制に反する事態です。つまりは憲法違反ですね。
 野暮ですがテクニカルな話に戻して突っ込みを入れましょう。「ミサイルへの燃料注入など発射の兆候が確認できた段階で安保会議、閣議を開いて警告を発し、その上で指揮官に発射権限を委譲す」ることは可能でしょうか? これは前提が間違っております。
 北鮮のミサイルは、ふだんは山岳地帯の横穴トンネル内に、発射車両(TEL/MEL)ごと引き込まれています。それを偵察衛星では確認はできません。そして、横穴トンネルの中で燃料を注入し、それからトンネルから車両が走り出てきます。
 車両は、座標が精密に既知の、上空から遮蔽措置のとられた場所のどこかに占位し、そこでエレクターを仰起させ、発射します。トンネルを出てから数十分です。その数十分の間に日米の偵察衛星が上空を通る可能性は少ない。というのも、敵はその衛星の通過時刻を外して発射するに決まっているからです。
 つまり「発射の兆候」など見えるわけがありません。
 もうひとつ。来年はシナが核弾頭付きの巡航ミサイルの量産に入るでしょう。これが近海の原潜から発射されたら、どうやって「発射の兆候」を偵知できますか?
 ついでにお尋ねしましょう。政府は07年に「民間防衛」パンフレットを配るという。MD配備が07年からなので、それに合わせるわけです。そこで素人質問! もし05〜06年のうちに核ミサイルが飛んできたら、国民はどうしたら良いのですか?
 役人の無責任は今に始まったことじゃないので驚きませんが、国民から負託をうけている政治家がこんなニュースに黙っていちゃいかんでしょう。
 さらにつけたし。アーミテイジ氏が「シナは一つ」と発言しているそうですが、これは彼が閣外に去るのに早速目をつけたシナ・ロビーがいつもの手で「仕事」を与えることを約束しているからでしょう。パウエルと同じパターンです。
 閣内に残る人が何と言っているかに注目していくべきだろうと思います。

同胞不信が核武装を躊躇させる

 クリントン政権時代の米国の対日政策が「敵対的だ」と思わなかった日本人は阿呆ですよ。江藤淳は最悪の時代に死んだのです。
 では当時のクリントン政権からの要求を日本の大蔵省がピシャリと撥ねつけ、ドルは買い支えないよ」と表明し、米国債を常識的な水準まで放出していたら、どうなったでしょうか。別に核ミサイルが飛んでくるわけでもないし、相模湾に海兵隊が上陸してくるわけでもなかったでしょう。
 貿易上のイヤガラセを受けて日本の景気は悪くなったかもしれません。いや、確実にそうなったでしょう。為替相場も混乱したでしょう。しかし為替が変わって損する者もいれば、得する者もいる。損得があわないのは、日本側が官僚統制経済=不自由経済だからです。
 そしてどうです、クリントン政権の言うなりになっても、やはりバブルははじけて、いまだに毎年何万人も自殺しているわけです。
 おそらく日本にピシャリとたしなめられた米国は、自力で双子の赤字を克服できたはずです。彼等にもそのくらいの危機意識と指導力くらいありますよ。
 当時、米国の票めあての無体な要求は聞くべきではない、と考えた日本の役人や政治家はいたんでしょうが、パワー・エリートがキャリアの初期においてあまりにも深く米国にとりこまれておりますために、こういうときに日本側は「一枚岩」になれないのです。「義」を通せない。同僚に足をひっぱられるかなと思って黙ってしまう。すなわち彼等には「勇」が無い。
 これで米国も腐敗をすることになります。悪友がカネを出してくれるから、真人間に戻り難いのです。そして世界第一と第二の大国がこういう不健全経済を領導していくと、世界経済にも良いことなどありません。日本のパワー・エリートに義や勇が無ければ、日本は世界を悪くするのです。それは、日本が大国だからです。
 ところで、日本が輸入している原油の1日分は、大型タンカー2隻分だといいます。
 このうち農林水産業のためだけに使われるのは6%強らしいですが、じつは、ただでさえ低い日本の食糧自給率も、この内外の石油流通がストップしないことが、大前提条件になっているんですね。したがいまして有事には一瞬ですがほぼゼロになるでしょう。
 農水省は、原油が確保できていたとしても、日本の今の農地面積だけで収穫できる食糧は、国民1人あたり2000カロリーにしかならない、と10年くらい前に試算しています。餓死者は出ないが、重労働も無理で、肥満者は一人もいなくなるという感じでしょうか。人口が半分になれば4000カロリーですから、肥満者復活ですね。そうなる時代は遠くなさそうです。
 ある先生がどこかでこんなことをお書きになっていました。──自由貿易の建前ありと雖も、どこの国でも有事を考慮して自給レベルを遥かに上回る農産物を自国農民に補助金を出して生産させているのだ。そして平時はそれを補助金をつけて他国に売りさばかせることによって「バッファー」にしているのだ──と。これをやっていない日本や韓国のような国は、自分で自分の立場、交渉力を弱くしているわけです。円がドルよりも脆いのも、パワー・エリートがこんな基本にも気付かないというところが他国のエリートからはマイナス評価されているのです。
 最近まだこんなことを言う人がいるので驚きました。「マラッカ海峡や台湾海峡でテロや戦争があったら日本は石油を輸入できない。だから、それらの地域で紛争を起させてはならない」と。
 ……オイオイ、おまえがどう頑張ったって戦争が起きるときには起きるんじゃねえの? 中東や旧ソ連邦の騒ぎをアンタが止められるのかよ。
 航空機にとって距離の長短は依然シビアですが、タンカーは地球の裏側を廻ったって日本に来ようと思えばどこからでも来られます(パナマ運河の幅の規制はある)。「高う買いまっさ。船員さんにもこのとおり成功報酬を用意しとりますけん」と札束を積んでアナウンスすれば、日本がシナと核戦争のただなかにあったって、勝手に向こうからお届けしてくれますよ。そんなときのためにドルをしこたま溜め込んでるんじゃないのですか。
 日本が外国に対して「一枚岩」で総合安全保障にかかわるイシューの交渉ができるようになるためには、役人の不義、役人の怯懦、役人の対外国通牒行為、役人同士の足の引っ張り合いを、許してはなりません。
 そのためにはどうすれば良いかというと、これは簡単で、首相が、何の理由もなくともいつでも即座に高級官僚どもを好きなだけクビにできるように、公務員法を改めることしかない。
 戦後も60年になり、高級公務員の皆さんは ちゃんと手前たちの組織で再就職利権を創出し、確保をしております。55歳で肩たたきですからね。いまや彼ら高級役人に身分や地位の保護の必要などないのです。
 腐れ役人や役人出身の政治家が、誰にも足を引っ張られないよう八方美人をしようとしてシナに擦り寄ったりするから、IAEA(即ち米国)が、日本の「主義」を疑うことにもなるのです。

気になっているニュース

 誰か詳細をご存知の方はいませんか?
一、12月16日に福岡発釜山行きの高速船が何かに接触して船体の一部を破損し、乗客89名が別の船に乗り換えた。これは鯨ですか、それとも某国の潜水艇ですか?
二、沖縄から石垣島まで海底線の敷設工事があるという海上保安庁の予告。
 これは「十一管区水路通報 第40号 平成16年10月8日」として第十一管区海上保安本部がインターネットにUPしているものです。
 そのなかに「南西諸島  沖縄島〜宮古島〜石垣島……海底線敷設工事実施」というのがありまして、平成16年10月25日から12月25日にかけ、作業船及び潜水士等による海底線敷設工事が実施される、と書いてある。その緯度と経度まで載っていたので海図で見てみると、東シナ海側ではなく、太平洋側だとわかる。ただし何の海底線なのかは一言も書いてない。備考として「警戒船配備、潜水作業中は国際信号旗「A」旗を掲揚。 潜水作業は昼間のみ、潜水作業位置に小型浮標設置」と。
 これが12月に終わるということは、シナ原潜が石垣水道を突破したときにはまだ南の部分は未成で、工事中だったわけですね。
 仮りの話、これが新たなるSOSUSなんだとしますと、昼からその作業をやろうとする現場を深夜〜早朝に敢えて乗り切るように通過して虚勢を張ってやろうと考えるのは、相手が相手なだけに、プロファイリングの辻褄が合うような気もするのです。

沖縄の核シェルター

 米国防総省が「テポドンの標的はグァムと沖縄の米軍基地だ」とコメントしたのは、もう古い話で平成6年5月9日です。
 これを聞いて北鮮は『そうかDoDはグァムを狙われるのは厭なんだな』と悟りまして、「我々は射程3000km以上のSSMを開発するニダ」と発破をかけたのはまず間違いないでしょうが、一度も実射試験もなされていないのに、ちょうど10年後の今年になって「それは完成した」というインフォメーションが流れたのはどういうわけでしょうか。
 これは金正日とDoDと日本国内の無責任マスコミが合作しているようなものです。この三者が合作すれば、核爆弾でもIRBMでも、無いものが有る、それも量産体制に入っているという話になる。一度もテストしてない高額精密兵器を量産するバカがどこにいるのでしょうか。わたくしでしたら、実戦で不発になってから後悔したくはありません。
 沖縄には、ノドンやテポドン以前から、地下壕があります。航空自衛隊の防空用の指揮所などは、大型通常爆弾の直撃や、離れた所での核爆発のEMPを凌ぐことのできる半地下壕構造となっております。自衛隊ですらこれですから、詳細は不明乍らも、米軍も必要な重要施設は防爆化しているだろうと信じられる。それは何を念頭しているのかといえば、むろんのことに北朝鮮じゃありません。60〜70年代はシナの原水爆であり、80年代は主としてソ連の水爆であり、90年代以降は再びシナの核兵器ですよ。
 シナの核の脅威は、北鮮のありもしない核ミサイルとは違い、リアルです。
 ところが、この最前線の沖縄に、民間用の核シェルターが自治体によって全く整備されていない。これは兵頭は大問題だと思っているのですが、なぜか誰も指摘する人がいません。
 昭和20年の広島のグラウンド・ゼロから水平距離で150mの3階建てビルの 地下1階にいた男性は、昭和57年まで健康に生きました。
 ヒトラーの地下壕は天井のコンクリートが5mあり、スターリンの地下壕はさらにその倍以上の厚みがあったそうですが、そんな立派なものでなくちゃ核爆発からは生き残れないってわけじゃないんです。広島ではコンクリートの薄壁一枚に遮蔽されたおかげで死なずに済んだ被爆者もいる。要は、人間が無防備で地上に立っていないことが、生と死の確率を劇的に変えるんです。簡易な地下シェルターも、爆心の近傍に於いてすら無駄ではないわけです。
 しかるに、さらに強力な水爆がさらに身近に落ちたなら地下に居ようとなんだろうと無駄ではないかと言う日本人が居るんです。それは夫婦喧嘩で文化包丁が飛んできた場合にただ突っ立っていたら死ぬかもしれないのと同じでしょう。
 なにも北朝鮮のように地下数千mの炭坑をシェルターに変えようってんじゃありませんよ。市町村の公共機関がビルを建築または増改築するときには、必ず十分な容積の地下駐車場も附属させるようにしてはどうですかと、わたくしは前から申し上げているのみであります。そこにSUVで乗り付けるだけで、住民の当分の避難所にはなるでしょ? 公共施設の地下だから土地の取得費もかからないし、技能低劣な地場の土建業者も潤って、選挙の票になりますよ。
 戦中はこういうことを内務省が指導してたんですが、戦後は内務省が解体されたので、「民間防衛」に責任をもつ政府機関が無い。国交省から海保を分離独立させる代わりに、このセクションを設けちゃどうですかね。
 核兵器すら破壊力は有限です。まして非核の弾頭にできる仕事についてはよほど、見積もりを厳しくしなきゃいけませんでしょう。
 非核弾頭の長距離弾道ミサイルで敵の地下軍事施設を破壊できるという米国メーカー筋の思いつきをその著書で紹介なさり、無知な日本人読者に『ならば北鮮のミサイル・トンネルも破壊できるな。日本は核武装しなくても良いんだ』と思い込ませてしまった江畑謙介氏の意図はわたくしには分かりません。
 台湾が通常ミサイルで山峡ダムを破壊できるようになればシナは台湾侵攻を思いとどまる、と雑誌に書いている方もいらっしゃいましたけど、たぶん巡航ミサイルでダムを破壊するのは至難でしょうし、また山峡ダムと台湾のどちらがシナにとって価値があるのかと言えばそれは台湾に決まっているのではないでしょうか。
 故・高坂正尭氏が書いていたと記憶しますが、南砂にシナが出ていったやりかたは、軍隊が駐留していない無人のところを占有したので、すでにそこにいる駐留軍隊を排除して強行した例はないと。これは竹島もおんなじですし、北朝鮮の人さらいだって、日本の警察と銃撃戦しながら日本人を拉致したわけではなかったですよね。
 台湾に関しては、シナは軍隊でプレッシャーをかけておいて、内側から民心を屈服させようと狙っています。これは、沖縄にも適用される戦略です。これでも、民間用の核シェルターは不要でしょうか?
 シナ・北鮮の政治リーダーの方が、西側の「軍事通」よりも、兵器の性能の生かし方、殺し方、他人の土地の占領の仕方などが良く分かっているなあ……というのが、兵頭の受けている印象であります。

新しい戦争などというものはない、と旧著で言いたかった

 「恐怖から結ばれた信約」も「義務的である」とホッブズは看做しました。ところで「日本国憲法」は、誰の誰に対する信約だったでしょうか? これがアメリカを代表とする連合国との「隠し条約」であったことを江藤淳は指摘していました(『利と義と』)。
 無理やり結ばされた「条約」なのであると仮りに解釈すれば、実定法によって取り除くことを得ないはずの自然権を除くかの如き、反人間的な条項が入ることがあり得たかもしれません。
 しかし、有権者国民と統治機関との間の信約がそもそも「憲法」なのであるとするなら、自然権を認めないという反人間的な宣言は、それだけで初めから無効です。ホッブズも「暴力にたいして、自分自身を力によって防衛しないという信約は、つねに無効である」と明快でした。
 現行「日本国憲法」は、それが単に「押し付け」であるから改める必要があるのではない。それじたいが有権者国民と統治機関との間の信約になっていない内容なので、改める必要があるのです。
 憲法は有権者が政府に「押し付け」るものです。その逆ではありません。これが、憲法と、憲法以外の国内法との一大相違点です。
 しかしアジアの中でも日本にのみ独特な水稲灌漑システムが弥生時代いらい培った非近代的な自我の伝統文化をひきずる日本人は、憲法が統治者や占領者から与えられるもので、それを国民は一所懸命に守るだけなのだ、と誤解をしています。
 同じ原因による同様の誤解が、「国連」その他の国際秩序に関しても、日本人にはまだまだ根深くあります。
 国際秩序を、あたかも国内法と同じように考えてしまうのは、日本人の誤解です。
 国際秩序は大国の意志だけで決まりますもので、良くも悪くも大国の意志によって変えることができるのです。
 たとえば国連加盟国のうち「G7+ロシア」を除く百数十ヵ国が一斉に「G7+ロシア」に対する侵略戦争を開始したとしましょう。国連総会で議決をとったら「G7+ロシア」側の「侵略反対」の票は8票だけです。しかし、有象無象の百数十ヵ国の主張と実力は「国際秩序」をなんら構成できません。
 日本は世界第二の大国の経済的ポテンシャルを持っていますから、あとは大国の意志をうまく発揮するだけで、国際秩序をよりよく変えることができます。この現実が多くの日本人に分かりませんのは、1950年代の多目的ダムの普及以降は不要になった前近代日本式の自我に、いまだに精神を支配され続けているからです。いくら兵器やマルクス主義を詳しく勉強しましても、自我が前近代のままでは、世界の現実は見えません。
 いまの国連は、近代英国式の自由主義思想と相容れないシナやロシアのような国が「P5」(安保理常任理事国)の一員として認められているという点だけでも、日本にとって危険な存在です。日本は、すくなくとも中華思想の国家がP5から外されるように運動すべきですし、それが実現するまでは「日本はP5のうち、最低払い込み額の国より多額の分担金は払い込まない」と表明すべきなのです。もちろんカネの力だけで世界秩序を良い方向へ変えることなどはできません。カネの力だけでシナをP5から追い出すことはできないでしょう。
 IAEAが許さないから日本は核武装できない──と言う人も多いですね。これなど近代人の発想ではなくて、アジア的奴隷の思考ループそのものではないですか。大国は秩序を上から与えられることはありません。
 IAEAは事実上、アメリカの機関です。アメリカと日本は、基本的人権の評価に於いて一致するところの多い大国同志です。どうしてイスラムのテロリズムに悩まされているアメリカが、シナからの挑戦への対応を日本の核武装によって助けてもらいたいと思わないことがあるでしょうか。
 もちろんアメリカ政府の要人は、シナ文化の反近代性に関してはてんで無知でしたから、過去には狂ったチャイナ・カード外交が展開されたこともありました。
 1981年11月10日に「ソ連のSS-20に対抗すべく、赤色シナおよび日本への戦域核配備を考慮する」と発表したのはロストウ氏です。1982年2月のFY83国防報告でワインバーガー氏は「ソ連軍の力を極東に分散させるため共産シナを準同盟国扱いとし、補給支援したい」とブチ上げた、そんな「ヨーロッパの安全のためなら東洋はどう混乱しようが構わん」と考えられていた時代も確かにありました(そのとき米空母の見学を許された中共のオッサンが最近、ケッサクな回想録を出したらしいです)。
 遡れば、戦時中のカイロ会談で、FDRは沖縄をシナにくれてやるつもりだった。それを蒋が辞退して米支共同統治でよいと返事した(宮里政玄『アメリカの沖縄政策』1986)というのですから、このごろ中共が調子にのって遂に沖縄領有まで妄想し出したのには下地があるんでしょう。
 ちなみに田中角栄を失脚させたのは台湾ロビーだろうという仮説をわたくしは学生時代にどこかの媒体に投稿して載せたことがあります。田中は周恩来から事実上の賠償を要求され、それがODA6兆円となるわけですが、これに一番怒り狂ったのは台湾でしょ? たしかに佐藤や竹下ほどには田中はアメリカ政府の「良い子ちゃん」「カネづる」じゃなかったのかもしれませんけど、失脚させるほどの反米的行動が田中個人にあったのでしょうか? 教えてもらいたいものです。
 目出度いことにキッシンジャー一派の政治の舞台からの退場とともに米国の権力エリートのシナ観は漸くマトモになりつつあります。映画の『Mr.インクレディブル』は予告編から推定するにヒラリー・クリントンの04年大統領選出馬の援護射撃であったんでしょうが、彼女は出馬を08年に延期し、しかもそれでも当選の目はゼロだそうで、これまた御同慶の至りと申す他ありません。
 シナの誇大妄想狂式野望は、05年にはSSNによるハワイ挑発に向かうだろうと思います。
 そうなれば三沢のP-3C部隊に注目が集まるでしょう。この部隊は三陸沖〜伊豆〜小笠原〜マリアナの線をパトロールしますので、ハワイにとっては最前衛となっているからです。
 三沢のF-16を沖縄に移せという人がいますが、移してどうするんでしょう? 満鮮国境に配備された日本向けの中距離ミサイルは三沢から飛んでいって核爆撃するのがいちばん近いわけで、日本政府としては逆に引き留めるのが筋ってもんです。もちろん、近い将来に、その打撃部隊は航空自衛隊が編成しようというのです。
 ちなみに北鮮からハワイに向けて発射したミサイルは三沢上空を通ります。南支からグァムを狙う場合はSSMは沖縄上空を通るでしょう。しかしシナ大陸から米本土を狙ったICBMは日本上空を通りません。どうやらそれも含めてぜんぶMDで撃墜できると思っていらっしゃるらしい前原誠司氏は、一「地球儀をよく眺める」、二「MDの迎撃ミサイルの実績射高とシナのICBM/IRBMの実射テスト時の中間飛翔高度を数字で比較してみる」必要があるかもしれません。
 もしかして米国は「北鮮の核開発を阻止してくれたら沖縄の海兵隊くらいは実勢を減らしてもよい」という取り引きをシナにもちかけたことが、過去数年のうちにあったかもしれません。しかし今の米政府は、シナ政府に北鮮の内部まで指導する影響力が無いことがよく分かっていますし、対日戦で9万2,904人が戦死している海兵隊は、沖縄こそはアイデンティティ化したトロフィーだと思っていますから、完全に出て行くことはないでしょう。ちなみに太平洋とアジア戦域で米陸軍は4万1,686人が日本軍に殺され、米海軍は3万1,485人が戦死しました。つまり、米軍にとっての対日戦争とは、死者の数だけで比較したなら、まさしく「海兵隊員の血で購った勝利」だったのです。この歴史を知らないと、うまい交渉などできません。
 現在沖縄には米海兵隊が19000人ばかり駐留していますのに、陸自の普通科はゼロ人。これこそ異常です。十分な陸自が駐屯していれば、米空軍の嘉手納基地のテロ警備だって陸自が担当できる。しかし陸自のプレゼンスが皆無とくれば、航空基地の開戦時の防衛にも海兵隊がにらみをきかせるしかない。とうぜんの理屈ではないでしょうか。

江戸人の優越感

 「核戦争」と「核抑止」は、同じ時間に同じ場所では存在できません。
 MD(ミサイルディフェンス)の迎撃ミサイルを発射する事態とは、核抑止が消えてなくなっている事態です。相手はもう核兵器をわが国に向けて投射しちゃってるんですからね。それは「核戦争」の事態そのものです。
 つまりMDとは、これは限定核戦争の道具なので、抑止の道具なんかじゃありません。抑止というのは、敵に1発目の核兵器をはじめから投射させないことです。敵には航空機内臓核爆弾もあり、宅配便の核爆弾もあるでしょう。その行使を抑止できるのは、何ですか? わが国による即時同害懲罰能力の担保、すなわち核反撃戦力のスタンバイとその運用の意志の宣伝──だけです。
 核武装をしていない日本にとっては大して役に立たぬMDを「あたらしい核抑止」などと強弁した米国政府の詐術にひっかかっている防衛庁と日本政府は、要するに言語操作能力が米国の政治家より劣っているために、日本国民の権力を危うくしているんです。
 前に2chにときどき得意気な質問をする人がいるのを見掛けました。「軍事力で世の中の何が解決されているか?」と一つ覚えの書き込みです。
 Answerは「右目を開け。左目も開け。そこにある。」
 つまりこの世の現実が答えそのものなのですがそれが見えないのでしょう。昔からあきめくらと申します。心の盲いた者を導ける理性の言葉は残念ですがあり得ません。
 核戦争と核抑止の違いが分からない人がいるのは一体なぜなのか。どうも、要するに暴力の効能を認めたくないらしいのです。
 司法や行政で解決されるよりも多くのことが日々、諸主体の暴力を背景とする「抑止力」によって解決されている。この現実が見えない。見ても、認知し得ない。
 暴力の効能を見たくないとすれば権力の実相は見えない。権力の姿形が見えなければ政治は分からない。政治が分からないのは人間が分からない。マキャベリは人間を誰よりも深く観察していましたから政治が分かった。しかし、それをそっくり文章に致しましても没理性漢にはとうてい理解不能だということまでもよく観察をしておりましたから、やさしいイタリア語で、話を極端に単純化しまして、以て代表的ルネサンス人に教えようとしたのです。しかし、十分にやさくし、単純化すればしたで、「一行罵詈」を止めない没理性漢はいつの世にも現れます。マキャベリにはそれさえ予測の範囲でした。
 核抑止の話も、単純化して説いてきかせれば理解されるわけでもないというのは、兵頭が10年も前に体験したことで、いまさら驚きはしません。
 けれどもさいきんこの兵頭が聞いて驚く、と申しますより、ほとほとあきれますのは、100年以上前の勝海舟の金言:「みんな敵がいい」の精神が、ぜんぜん民族の血肉とは化さないことですね。すなわち近代日本の個人がすっかり「近代人」とはなれないで、シナ人や朝鮮人といまだに五十歩百歩の迷走をし続けていることです。
 李登輝さんは日本人の耳に心地の良いことを仰いますが、それは大東亜戦争中に宋美齢の反日演説がアメリカのマスメディアの耳に心地よかったのと、そんなに違うんですか?
 台湾国はげんざい日本国の敵ではないが、将来いつか敵にならないと、誰が断言できるんでしょう。親日的であることと反近代的であることは困ったことに両立するんです。日本は近代の道を選択した以上、選挙一発で反近代に走るかもしれない他国は「みんな敵」と思っていなければならない。近代国家同士では核戦争は起きないでしょう。しかし、反近代国家のもつ核は「悪い核」になるんです。
 思うに勝海舟の自信は、人に嫌われることをあまり怖れなくて済む「江戸弁」のアドバンテージの上に乗っかっていたんでしょう。兵頭が日本核武装の当座目的のために「図書館」ですとか「国語教育」「出版界」さらには「2ch」の話もせざるを得ないのは、言語がひとたび衰えれば人間のすべてが衰えてしまうからに他なりません。
 以前に勝谷誠彦さんが何かでお書きになっていたように記憶しますが、反日アナキストの残党はなおまだ無知な大学生たちの取り込みに一部では成功している模様ですね。各種の工作員に仕立て上げられ、戦術を教えられて、たとえばネット工作にも出精している彼等。いっけん荒ラシでないような語り口で、ウィルスが自己の形を変えて細胞に侵入しようと試みるように、まことに疲れを知らぬ奉職ぶりと申すしかありません。ですが、その活動による言語力の深化は見られません。より強い言語力で、人間についてもっと知りたいのなら、現代においてもその方法は、ある限りの古典を読むしかありません。

某紙が報じた、少し既視感(w)ある記事について

 本日のウェブ版産○新聞にシナ原潜の航路その他について一見特だねのような調子のある解説記事が載っていましたが、何かあたらしい情報が入っているんでしょうか?
 普通人の揃えられない情報を力技でかき集められる筈の新聞記者さんがまとめた記事にしては、ずいぶん「浅いな」という印象を受けてしまいました。果たして東京新聞や朝日新聞の中の人たちにはどう思われてしまいますでしょうか。デスクの方もチェックが甘い。
 石垣島と多良間島との間の幅28kmある水道は、両島のリーフ外縁ですと、213mから223mといった「浅さ」なんですけれども、水道中心部の幅14kmくらいの帯をキープしていきさえすれば、水深が290mを切ることはありません。これは、海保で売っている海図を見さえすれば、誰でも知ることができます。シナ潜の中には日本の水路部謹製の海図はもちろん全部揃っています。
 仮りに水深290mの海底で「405号」が逆立ちしても、艦尾が水面に飛び出すようなことはないような気が兵頭はいたします。
 11月のシナ潜は石垣水道侵入直前に一回浮上して、アメリカ様のGPSによって慣性航法装置を規正しております。ですからINSに頼っただけでもこの14kmの中央の帯を外すことはまず無い。しかもシナ潜は始終前方にpingを打ちまくりなんですから、12ノットで左右のリーフの「断崖」を両睨みしつつ、その中間を維持して行くのは雑作もなかったのではないでしょうか。
 ちなみに日本国籍ある良い子の皆さんは『新潮45』はもう読んで呉れましたね? 操舵を誤ると珊瑚に突っ込む、というのは、ソナーの利かぬ高速で回避機動をしたときの話であります。なお今月はもういちど、月刊誌に兵頭の記事が載りますので(年末は特別なのだ)、某S経新聞のライターの方、こんどは「早刷り」に遅滞なく目を通せば、何もうろたえることはありませんよ。ますますのご健筆を祈り上げます。

日本の大学は「自由競争」ができないから後れをとる

 これも紹介すべき本なので紹介します。以下、その内容メモ。(内容メモというのは、「ここには翌日忘れてしまうには惜しい情報が含まれている」と兵頭が思った箇所です。「あらすじ紹介」じゃありませんので、興味をもった人は一冊読まないと損でしょう。)
▼川島レイ著『上がれ! 空き缶衛星』04-6
 1993から衛星設計コンテストを、九州大学の八坂哲雄や中須賀真一が立ち上げていた。
 99年時点で米はナノ・サットよりもっと小さいピコ・サットを大学主導で開発するという話が進む。
 トィッグス教授いわく、計画して、実行して、解析するまでの一連のプロジェクトのサイクルを学生に経験させるのが、完全な宇宙工学教育である。
 米ではアマチュアが高度4000mまでロケットを上げてよい。そこから物体を放出するとパラシュートで20分後に回収できる。ネバダ砂漠で年に数回の打ち上げ大会あり。ロケットじたい、回収利用するためパラ降下させるタイプも。径16センチ、全長3メートル。※それは空対空ミサイルのサイズではないか?
 東大1号機案は350ミリリットル缶に太陽電池パネルを張り、缶は自転させる。
 p.115 「こういうメカニズムを使いたいから、こういうミッションにしてみる」と考えるのが東工大で、「こういうミッションをしたいが、どんなメカニズムがいいだろう」と考えるのが東大。※公平な評と思う。日本のミリヲタはここで謂われる東工大生タイプが多いために抑止論・戦略論は遅々として深化をして参らぬのである。
 プロジェクトにおいて何をもって成功とするかは事前に討究し、数段階の「サクセス・レベル」を設定しておかねば無意義である。たとえば「ミニマム・サクセス」「ミッション・サクセス」「フル・サクセス」等がある。
 フライト・モデルの前にエンジニアリグ・モデルがある。電気や構造の妥当性を基本設計段階で検討できるもの。
 睡眠不足と疲労で爪が紫色になってもまだ大丈夫。黒くなったらちょっと危ない。
 カン・サット計画は2003で5回目となり、参加大学には東北大、九州大、日大、創価大もくわわった。操縦可能なパラフォイルで回収地点まで降下を指令誘導できるようにもなった。
 米ではカン・サットはじっさいに軌道に乗せられている。
 次にトィッグスが「キューブ・サット」を提案し、これも東大と東工大製の10センチ角サイコロがオービットした。そこから送られるCCD画像はアマチュア無線局で受信できる。
▼以下、兵頭のコメントです。先日ご紹介した『暗黒水域』と読み比べると分かると思いますが、一般人にとって無味乾燥な技術の話を「よみもの」にまとめるためには、機械ではなく人間にドラマを演じてもらわないといけません。米国のプロフェッショナルのリライターは、まあ手垢がついたような方法論なんですけれども、確立されたこの方法論を遵守して、面白い構成にしてみせてくれます。ずっと前に兵頭が書いていた武器の本も、焦点が当たっているのは人間です。たとえば『日本海軍の爆弾』だって爆弾のカタログ本じゃありません(構成はもろ、カタログですが、日本のミリタリー書籍市場にはその方が訴求する故です)。
 あの本は、大西瀧次郎という「日本海軍の爆弾男」の頭の中を想像してみた試みなのです。格好をつけまして自制をしてしまい、そこをサブタイトルで敢えて強調しなかったことは、著者として今さらですが、後悔をしております。

某衛星TVが晦日に「核武装討論」番組を検討中

 95年とか96年といったら、日本で「日本の核抑止」の話ができる人間は数人しかいなかったのではないか? 数名の核武装論者の人たちがいたが、全員まるで「核抑止」の意味が分かっていなかった。
 敵に一発目の核兵器を使用させないのが核抑止兵備なのであって、どちらかが一発目を使用してしまったらそのあとは「全面核戦争」と「民間防衛」の話に移行する。全面核戦争に勝利するための準備があり得るとしたらそれはプライスレスだろうが、それ以前の段階として、必要かつ小規模の「核抑止力」は、ソ連のような大国が相手の場合でも低コストで保有できると証明したのがフランスであった。そのさいのハードウェアの唯一の必要条件は「敵の首都に届くこと」であって、その要件を実現する手段は、それこそ飛行機だろうが弾道弾だろうがスーツケースだろうが何でも良いのである。
 興味深いことに、96年の『諸君!』の、極く単純化した核武装エッセイの段階で、以上の核抑止の意味が理解できなかった人は、現在もまだそれが理解できない様子だ。学者といわれる人がちゃんと文章を読み通した場合でさえも、人は既得の我執を捨て去ることにはしばしば堪えられないものであることは、文業家は肝銘しておかなければならない。まして最新の核抑止文献に一つも目を通さずにこの議論にネットで加わろうという無気力な青少年たちがおよそ10年間、入門レベル以前の話を飽きもせず繰り返している情けなさは怪しむに足りない。
 近代国家の競争力は大都市から発生する。大都市に人々が住めなくなってしまったら、農村やジャングルや山地に何人が無事暮らしていようと、近代国家としての競争力は担任し得ない。大都市の数はどんな大国も有限である。幾つかの中央集権国家のように、首都が脳と心臓を兼ねている場合は、その首都ひとつを焼き払われるリスクでも「ファースト・ストライク」をためらう十分な理由になる。
 ヤクザの喧嘩はいきなり拳銃で撃ち合ったりしない。まず口撃からいくのだが、これは相手の出方次第では腕ずくに移行すると相手に信じてもらわないと無効である。その腕ずくにも段階があって、いきなり相手の顔面に全体重を乗せた右ストレートパンチを繰り出したりはしないのだ。まず丸めた雑誌で相手の頭の上の方を、怒鳴りながらカスってやる。これでビビればよし、効き目がなければ、さらに軽い脛蹴り、胸倉掴み、ヒカリモノのチラつかせ、取り出しと、段階的に様子を見ながらエスカレートさせていくものである。このとき、もしも片方がたまたま刃物も拳銃も所持していなかったら、それを互いにチラつかせる段階にエスカレートする以前に、なんとか譲歩か逃走を図らねばならない。
 国家間の紛争もほぼ同じで、小紛争からいきなり水爆の投げつけあいになるわけがない。必ず通常兵備の小競り合いが段々にエスカレートして行く。
 そのとき、一方に水爆ミサイルがあり、もう一方が非核三原則の国であったならば、前者に最終譲歩の必要はない。後者は通常兵器による戦争の最後の最後の局面では必ず譲歩を強いられる。結果、後者は非理非道な原状変更を呑まねばならなくなり、これを平たくいえば、奴隷化である。
 要は前者は核兵備をバックにした通常兵力の脅しをかけられるのに対して、後者は核兵器が一発も無いがゆえに、通常兵力の反撃の切っ先も終始鈍らざるを得ない。核兵器は、このように、使わなくとも戦争の役に立つのである。
 その核兵器を、価値観のまったく相容れない隣国だけに持たせておくのは、自国の価値観を守らないと言っているに等しい。「近代的自由」は、そんなに簡単に「アジア的専制」の前に放棄できる価値観だろうか?