昨日以前の注目記事ふたつ。

 BASSEM MROUE 記者の2015-1-26記事「Failed Iraqi bomber named in Islamic State hostage crisis」は、こんなことを教えてくれる。
 2005年にアンマンにある3つのホテルが爆破され、60人死亡した。これはヨルダン史上最悪のテロである。
 2005-11-9に、Ali al-Shamari がホテル1階の宴会場で自爆。新婚のその妻 Sajida Al-Rishawi も自爆装置のスイッチを入れたが、装置の不具合から炸裂せず、逃げ出す人々の波にまぎれて現場を離脱した。
 このイラク人夫婦の犯行は、アルカイダの首領だったアルザルカイの命令を実行したもので、アルザルカイは米軍の空爆により2006に死んでいる。
 この女はヨルダン警察にではなく、ヨルダン国営放送局に自首してきた。
 裁判では、トリガーを入れなかったと主張したが、爆弾専門家のフォレンシックで、単に「不発」だったのだと判明している。
 被告の女は一審で絞首刑判決。控訴審も一審判決を支持した。
 しかしこの判決、ヨルダン王ならば、破棄することもできるのである。
 アルリシャウィ死刑囚は、今、44歳である。
 この女は、所属部族の関係で、アルザルカウィに近かった。だから後藤とのトレードが成立すれば、落ち目のアルカイダよりも今やISIL(「イスラム国」をアラビア語で表わして短縮称化すると「デシュ」だそうだ)のほうがステイタスで勝っているのだと中外に誇示することができる。
 ※10年近くも死刑を執行しなかったということは、ヨルダン政府も将来の人質交換要員のタマとしてこの女を確保していたのではないかと思える。ISILは、じつに絶妙の条件を出して来た。スタート・ネゴシエーションの時点から、もう、阿吽の呼吸が通じている。
 ※しかし、この女と後藤を1対1でトレードすれば、ヨルダン人は何か損したような気になるだろう。「後藤プラス数名」で、釣り合うのだろう。しかしそうなるとこんどはISIL側が不満かもしれない。アラブ人同士の交渉は日数がかかるだろう。この先、何ヶ月もかかるだろう。
 ※日本政府はヨルダン政府に何か飴を与えなくてはならない。このさい、武器を提供したらどうか? さすれば、日本はテロと戦っているという公式の宣伝にもなるだろう。「武器輸出」解禁よりも、「武器援助の外交オプション化」が先行した方が、庶民を安心させ、且つ、ずっと健全に見える。将来、日本政府の「実録」年表をつくったときに、奇麗になるのである。
 次。
 ロイターの Jibran Ahmad and Mohammad Stanekzai 記者による2015-1-21記事「Disenchanted militants in South Asia eye Islamic State with envy」。
 アフガンでは、ISのことを「ダイシュ」と呼んでいる。
 タリバンの首領、モハマド・オマールがここ数年、〔リーパーで爆殺されるのを恐れて〕姿を表に出さないので、タリバンは不満である。むしろダイシュの方が元気があって宜しいじゃないかと、思われ始めてきた。
 現実に、タリバンの支配域は拡張しなくなった。それにくらべてISは、どんどん面積を拡げて彼らのシャリーア強制を実現している。
 オマルは生きているのかどうかもわからない。それに対して、アブバクルアルバグダディの露出はすごい。
 ※ところがISILには衰滅の兆しが早くもあらわれてきた。時間はISILの味方ではないようだ。
 以下、ついでに兵頭からのお願い。
 ドイツに現存しているフラックタワーの写真(個人として撮影し、オリジナル版権が伴っているものに限る)を持っている人、ご一報ください。『私版防衛白書2015』で、使いたいと思っています。使用料は、1枚あたり2500円から3000円くらいになります。
 もうひとつお願い。
 短辺が300ミリ、長辺が600ミリ(あるいは500mm、あるいは400mm、あるいは300mm)の四角形で、摂氏250度以上の熱を断熱してくれる、薄板状の素材を探しています。これは、拙宅のキッチンの木製ダストボックスの上に敷き、その上に加熱直後のフライパンなどを臨時に置いても、ダストボックス天板表面の白塗装が焼け焦げたりしないようにするためのものです。なお、セラミックス工場に特注することについてはわたしは全く興味がありませんので、何か出来合いの製品について、「ここで買える」という情報をお寄せくださいましたならば幸甚です。


Bergdahl のケースが適用される

 殺されても同情をあつめない一人は斬首され、殺されるとイスラム国の評判が悪くなると判断された一人は 囚人交換 の材料になったように見える。ISILの今回のネゴシエーションは上手い。
 オバマは、タリバンにとらえられているアメリカ兵をとりもどすために、グァンタナモからタリバン五人をパキ国境で解放して取引したことがある。2014-5-31のことだ。
 このアメリカ兵 Bowe Bergdahl はほぼ間違いなく脱走兵であり、2009-6にじぶんでタリバンにつかまり、仲間を危険にさらした裏切り者である。しかしそんな奴のためにオバマは「テロリスト」五人を釈放した。
 この前例があるから、アメリカ政府は、「テロリストとは捕虜交換の取引きをするな」とは日本政府に向かって言えないのである。(カネの支払いは、アメリカ政府は日本政府に対してゆるさない。これはさいしょから不動だった。)
 日本政府が、残る一人(斬首されていない一人の善意の日本人)のためにヨルダン政府やアメリカ政府に 向こうの要求する一人の女テロリストを釈放してやってくれ と頼むことを、アメリカ政府としては、止められない。
 ISILはそこを読んでいるのであり、じつに巧みである。声明文の英語も、英国で教育を受けた者が書いたのだろう。
 生き残っている方の人質は、Bergdahl が何年も生かされていたように、これからも生かされるだろうと思う。
 


昨日の注目すべき記事の摘訳

 ストラテジーペイジの2015-1-22記事「The Religion Of Peace Defines Peace Differently」。
 イスラム教徒たちがよく、イスラムは「平和の宗教」だという。嘘である。
 過去20年以上も、世界のテロ殺人の95%は、イスラミック・テロリストによって起こされている。
 複数の調査が示すところ、全世界のモスレム人口15億人のうち12%が、イスラミック・テロリズムを支持している。すなわち2億人近くだ。
 西側世界内で大きなイスラミックテロが起きたと報道されると、その都度、世界のイスラム教優勢国内では、人々がそれをおおっぴらに祝賀しているが、それも尤もなわけである。
 2001年9月11日のテロの直後、イスラム教が優勢である諸国の政府は、一様に明白な非難の声明を出した。が、当時、それらの国に滞在していた西側の人士は皆、目撃している。イスラム教徒の住民たちが、ニュースを聞いて慶んでいたことを。
 イスラミック・テロリズムが最も多く殺しているのは、じつは、同じモスレムである。
 西側世界に住み着いているモスレムは、イスラミック・テロに反対か? かれらの大多数は、依然としてテロに賛成だ。
 2014年に欧州諸国は、ISILを支持している住民の割合について調査を行なった。
 ドイツでは成人の2%がISILを支持していた。英国では7%であった。フランスでは15%であった。その多くはモスレムである。
 ちなみに、ドイツ人のイスラム教徒率は4.6%、英国人では5%、フランス人では7.5%である。
 非モスレムでISILを支持する者は、若者である。老人にはほとんどいない。
 2005年に英国で爆弾を使ったイスラミック・テロ事件が発生。直後に英国政府は輿論調査している。そのまとめ。英国内のモスレムのうち24%はテロリストの動機(イスラムを防衛する、等)にシンパシーを抱いている。英国内のモスレムの6%は、イスラミック・テロリストの暴力は正当化されると信じている。そして18%の英国人イスラム教徒は、英国に対して、ほとんどロイヤリティを感じていない。
 西側諸国内のイスラム寺院には、イスラム諸国でトレーニングを受けた聖職者が送り込まれてくる。そして礼拝集会で説教をするのだが、その話の内容が、非モスレムに対する敵意や暴力を後押しするものである。
 そうした敵意が全モスレムから求められることが当然なのだと、それら聖職者たちは考えている。
 モスレムの聖職者をトレーニングするほとんどすべての宗教学校では、そうしたヘイトと敵対を許容している。イスラミック・テロリズムをすぐにやめさせるに足る分別を、持ち合わせているにもかかわらず。
 《以下、略》


イスラム国のおさらい

 「イスラム国」の最大の収入源は、バレルあたり25ドルでトルコ国境から密輸出している原油。
 しかし正規ルートの原油も今日は48ドルまで下がってきたので、密輸相場も苦しいことになっているだろう。
 イスラム国の二番目の収入源は、欧州人を誘拐して得る身代金。英国以外の欧州政府は、アラブ人を通じた身代金の闇払いに応じている。
 しかし米国と、そのぶらさがり国(代表は英国)は、身代金を払わない。このことをイスラム国のゲリラたちもすっかり承知している。そこで米英人が彼らに拉致された場合には、身代金の代わりに「捕虜交換」が水面下で要求されることがあるかもしれない。それでもいちばんありえる転帰は、ナイフ処刑と、そのビデオ公開である。先進各国のマスコミで大きくとりあげられて、センセーショナルな宣伝になるからだ。
 日本は米国のぶらさがり国なので、日本政府は今回、身代金は支払えない。そして日本には交換取引できるイスラミックのテロリストもいない。このことをイスラム国のゲリラもよ~く知っている。だから今回、日本政府がどうしようもない要求を出してきた。さいしょっから、ナイフ処刑とビデオ公開にもっていくつもりなのだ。確かに、話題にはなるであろう。
 警告ビデオに出てきた黒頭巾の男が東洋人でなかったことは、われわれにとってひとつの最新情報である。すなわち、イスラム国には、宣伝役者として使えそうな東洋人は、まだ参加はしていないのだ。彼らの演出家の考えでは、日本人をナイフで処刑する役者は、やはり日本語をしゃべる日本人であるのが理想であるからだ。そのような人材に、彼らはまだめぐまれていないことが判明した。
 イスラエルにいわせると、イスラム国は、スタートした時点で「失敗国家」である。
 スペインから何かの理想に燃えてイスラム国に身を投じながら幻滅した70人の男たちの調査結果。彼らはすぐにがっかりした。なぜならイスラム国は、彼らにある村の攻撃を命じてきた。その村は、スンニ派であり、さいしょはイスラム国の統治を歓迎していたのだ。ところが、あまりな虐政に耐え切れず、叛旗を翻したのであった。
 イスラム国は、2014年後半だけで、100人以上の脱走戦士を処刑している。皆、幻滅したのだ。
 脱走に成功しても、愚かな参加者には2つの道しかない。犯罪者として実家に戻るか、シリアの難民キャンプに入るか。
 西側世界に戻ったとしても、彼等を連れ出したリクルーターは、彼等が何をしたか知っているし、そのID情報を全部握っている。脱走兵は、びくびくしながら隠れて生きるほかにないのだ。
 のみならず彼らは、連れ出し費用を弁済せよと迫られる。イスラム国への連れ出しは、プロの密出国斡旋団体を雇っておこなわれている。そこに多額のカネがすでに支払われているからだ。
 欧州諸国は、そんな連中が帰ってきたら、刑務所に隔離するだけだ。
 サウジアラビア政府だけが、がっかりして帰って来た臨時テロリスト志願者を社会更生させるファンドや仕組みを備えている。そのサウジのプログラムですら、ふたたび1割以上の者が、国外のテロ活動に身を投じようとして出国してしまうのを、止められない。
 イラク西部地区では、イスラム国戦士との婚姻を拒絶した女150人以上が2014年12月15日までに処刑された模様。イスラム国は元サダムの役人たちが仕切っているので、「文書主義」だ。これからの犯罪方針も、やらかしたことも、ぜんぶ「文書」で残してくれる。ゆえにイスラエルの諜報機関はアラブ人経由でこうした事実を把握できるのである。
 ただし注意。イスラエル自身は、イスラム国にはもっと暴れ続けてもらいたいと念じているはずだ。イラクとシリアに強力で安定した政権ができない方が、イスラエルの国益になるからだ。強力で安定したイスラム政権は、じきに核爆弾をつくりはじめるからだ。核以外の攻撃には、イスラエルは耐える自信がある。
 スンニ派のイスラム国がシーア派(すなわちイランの手下たち)と戦ってスポンサーたるイランを苦しめてくれれば、ハマスやヒズボラに対するイランの支援も弱るはずである。ますますイスラエルには好ましい事態だ。
 2014年にサウジアラビアが原油の増産を決意して実行したことにより、イランはとても困っている。イランの国家予算はバレルあたり100ドルを前提としている。それが2014末で55ドル、今は48ドル。どんどん下がっている。アルジェリア政府などは37ドルまで下がるとみてFY2015を組んでいるほどだが、たぶんもうすぐそこまで行くだろう。
 イランの国庫収入の半分は原油。そしてイランGDPの四分の一は原油代。これがどれほどの打撃か、分かるだろう。
 サウジの油田は、増産コストが世界一低いので、増産を武器とすることが可能なのだ。
 石油しか収入源のないロシアも、今年はおそろしいことになるだろう。
 アシュトン・カーターが1999年のウィリアム・ペリーとの共著『予防防衛』の中で予言したことが実現するかもしれない。すなわちカーターは書いた。ロシアの混乱の中から、21世紀の東方ワイマール共和国が出現すると。第二のナチスがモスクワに樹立される――と。
 イランはサウジを打倒するために、アラビア半島最貧のイエメンのシーア派ゲリラを後援している。
 逆に湾岸のスンニ派諸国は、パキスタンをけしかけて、イラン東部国境にスンニ派ゲリラを送り込んでいる。これに対してイランはロケット砲で越境攻撃して報復している。
 湾岸はすでに戦争前夜である。
 中東とアフリカでの米軍特殊部隊による人質救出作戦は、このところ、うまくいかなくなった。ゲリラも智恵をつけてきて、夜間にヘリのチョッパー音を聴いたら、すかさず空に向けて自動小銃を乱射して仲間に警告するようになった。そして人質を皆殺しにして去ってしまう。
 イスラム国は2014年末時点でスキルのある野戦兵士は底を尽き(ほとんどが米機のピンポイント空爆による)、クルド人にすら勝てなくなってきた。2014年末から「自爆特攻」を採用しはじめたのは、彼らが衰退しつつある兆候である。
 イスラム国は人数を増やしたことで単純に食糧難にみまわれている。人道支援団体のメンバーすらみさかいなく誘拐処刑するので、どこからも食糧が得られなくなっている。トルコ政府は、クルド族を弱めるためにイスラム国への武器密輸をめこぼししているのだけれども、そのトルコ人もイスラム国は捕え次第に処刑してしまう。
 ナイジェリアのボコハラムは、政府の腐敗構造(役人がパイプラインから原油を盗み、ニジェール河口の密売海賊も取り締まらない)が根深いので、イスラム国よりももっと粘るだろう。ボコハラムとは「西洋の教育は罪也。」という意味だそうだ。世俗学校(そこに寄宿舎があり、夜襲して生徒を誘拐し、自爆テロ要員に仕立てる)だけでなく、携帯電話中継塔や、銀行ATMも、彼らは爆破してしまう。
 このボコハラムのソマリア版が、アルシャバーブである。
 自衛隊のジブチ基地の近くに、こんな連中が蟠居しているのだ。洗脳された10歳の少女が爆発ヴェストを着装してゲートに近付いてきたらどうするか、考えなくてはならないのだ(自爆者の監視&エスコート役もやはり女であるという。その方が官憲に見咎められないからだ)。


「読書余論」 2015年1月25日配信号 の 内容予告

▼防研史料 砲兵監部『改訂 砲科教程 弾丸之部』M16-3
▼防研史料 『砲兵操典 七珊米山砲々熕操砲之部』M18-2
▼防研史料 『野戦砲兵射撃教範』M34-4-8改正
▼防研史料 『野戦砲兵射撃教範』M32-11-15(第3版)
▼防研史料 『野戦砲兵射撃教範草案』陸軍省M33-12-12
▼防研史料 『野戦砲兵操典』M33
▼防研史料 『野戦砲兵操典草案』M33-12
▼防研史料 陸軍兵器学校『弾薬参考書』S15
 13ミリの92式焼夷弾は、弾頭に黄燐が詰まっている。下から三分の一のところに噴気孔あり。ハンダで塞がれていて、バレル内で熔ける。噴気が始まると、空気に触れて自燃。それが曳光・曳煙の代わりになる。ただし、敵機の油槽上部、ガソリン・ガスが充満した部分へ、連続数弾が命中する必要がある。曳光は夜は1300m見えるが、夏は早く燃え尽きる。 ※海軍では曳光と言わずに「曳跟」と言う。
▼史料調査会海軍文庫ed.『海軍 第一巻 海軍黎明期』S56 の前半
 なぜ古賀のGF司令部が『武蔵』からパラオの陸上に移ったか。燃料油はスマトラ東岸にしかない。だから艦隊はそこで訓練させるしかない。かたや絶対国防圏の前線は東正面である。そのため指揮所は東に出すしかなかった。
 1853のフィルモア大統領の書簡。カリフォルニアから日本までは、蒸気船で18日で着く。しかし石炭の消費が甚だしい。だから、日本列島が、石炭の中間供給拠点になって欲しい。
 ※石炭の中間補給が目的だったから、清国への最短ルートである津軽海峡に面した箱館が最初に目をつけられ、開港させられた。そこに貯炭場を置くことが甚だ便利だった。津軽海峡を抜けないとすれば、本州東岸に沿って南下しないとシナに辿り着けない。その場合、太平洋側にいちばん突出した港である下田で給炭するのは合理的であった。いずれも、北極点中心地図か地球儀を眺めないと、すんなり理解できない。
 1860に横井小楠が松平慶永に進呈した「富国論」。まず藩札を発行してそれを百姓に貸し、養蚕を始めさせる。その生糸を開港に輸送して洋商に売る。さすれば、藩札の額面と同じくらいの正金を、1年もしないうちに得ることができるだろう。
 安政5(1858)年3月6日、佐久間象山が梁川星巌へ宛てた手紙。こうなったら、「司馬法に申す所の、両之[りょうし]の手段に仕り候の外無しと存じ候。」 ※象山は勝海舟が見抜いたように「ハッタリ」好きの人。古典からの引用はいいかげんであった。文字は正確でも意味をつかんでいないと思われる場合と、文字の引用そのものが不正確な場合とあり。たとえば天保13年11月24日の「海防に關する藩主宛上書」とよばれる文書の中の「兵法に所謂 以勝予敵 と申ものにて 必敗の道に可有之候」とあるところ。
▼『海軍雑誌』vol.1(M16-10)~
 国会図書館に所蔵されている海軍省の定期刊行物で、ほぼ全部が、海外の海軍雑誌の記事翻訳。
 サハリン島に石脳油が出ると日本海軍が知ったのはM19で、それは英誌情報によったことなどが分かる。
▼『偕行社記事 36号』M23-5
▼『偕行社記事 37号』M23-5
▼『偕行社記事 38号』M23-6
▼『偕行社記事 第8号』M22-2
▼『偕行社記事 第10号』M22-4
▼岩堂憲人『機関銃・機関砲』S57
▼本居宣長著、鶴見誠校訂『石上私淑言』雄山閣文庫S12、原・文化13-7
 ※著者が敢えて書いてないことを「書いてない」と指摘する書評がいちばん腹が立つ――と発言した丸山眞男が晩年、小林秀雄が『本居宣長』の中で触れていないことを批判して腐していた。すなわち古今集の時代の日本の指導層はすでに漢意を注入されてしまっているのに、なぜ宣長は万葉集の方を絶対視しないで古今集などをプラスに評価したのかと丸山は問い、その答えを小林が書いてないことをもって小林を評価しない。兵頭いわく。万葉集時代は、日本がシナから直接侵略のみならず言語による間接侵略を受ける恐れの強い時期だった。また平安末以後になると、宋学の悪影響が日本に及ぶようになった。古今集の時代は、その中間に位置して、万葉集時代からスタートした間接侵略排除の言語政策そのものである和歌の洗練はピークに達し、かつまた、直接侵略の脅威は最も低かった。宣長はそれをありがたがったのだ。
 「うた」という日本語が先にあり、あとから漢字の「歌」を借りている。したがって「うた」を「訓」と言うのは間違いである。古言に「訓」などないのである(p.45)。
 「倭歌」の初出は万葉集の書殿餞酒日倭歌四首。天平2年である。
 したがって万葉集のことは「和歌集」とはいわない。古今以後の題号である。
 「やまと」はもともと今の奈良県あたりの一国について言ったが、神武天皇の橿原宮以降、帝都が次々とそこにできたため、後にはおのずから天下の総名にもなったのである(p.64)。
 おおかた地名というものは、もとは「別名」(固有名詞)だったものが、後に惣名(一般名詞・全体名詞)になるケースが多く、その逆は無い(p.65)。
 うらやすという地名のうらは「うらがなしい」のうらと同じで、「浦」という意味は無い。しかし当て字として「浦」が使われる。
 天上からこの地をさして「あしはらのなかつくに」と形容したのだろう。この地に居て言う場合は「おおやしまのくに」だろう。
 「やまと」に「倭」という字を当てたのは日本人ではなく、唐人である。その初出は「前漢書地理志」である。
 そして『古事記』では、世にあまねく書きなれていない用字にはすべて音声の注記がしてあるのに、「倭」の字には注記がない。よほど昔から普及したのであろう(p.73)。
 その後の日本人が「倭」という字は美名ではないと気付き、「和」に改めた。しかし隋朝では改めてはいない。唐朝になって、「和」と書くシナ人も出てきた。
 その改めた時期だが、『古事記』や『日本(書)紀』には一例もないので、もっと後の時代である。日本紀の第五巻に一例がみえるのだが、それは伝写したときの誤りにちがいない。
 宣長の調べでは、勝寶4年11月から、寶字2年2月までのあいだに、改められたようである。記録は残っていないが、きっと、詔命で公式に改められたはずだ。『拾芥抄』に、その手掛かりがある。
 日本という国号は、わが国の内側で使ったものではなく、わが国の人が外国に示すときに使った国号である。ではわが国の内側ではなんといったかというと、「大八洲」であった。古い詔命には「大八洲天皇」といっている。
 「日本」の使い初めは大化元年秋7月だと思われる。それ以前の用例は後代の改竄である。
 万葉集に「日本」という字があるのは、後代に、古いうたが5文字によめないので「ひのもとの」と無理に読もうとして改竄しているのである。すべて「やまとの」と4文字によんだものである。
 日本という号は、孝徳天皇のときにはじまった。しかし一般化するのに時間がかかった証拠には、それから70年後の和銅5年にできた『古事記』にも、一例も使われていない。
 国号には「おほ」だとか「とよ」だとかを頭にくっつけることが多かった。「おほやしま」「とよあしはらのなかつくに」など。
 唐朝では、当代の国母を「大后」と書いた。それに対して本朝では、当代の嫡后を「大后」と書いていた。このことは、「大」という字の用法もシナ人とは一致させないことに平気であったことを意味する。
 色にそむこころが人を失敗させることは、昔も今も数しらず。だが、人みな聖人ならねば、この思ひはなきことかなはず。
 『魏志』には「其風俗不淫」と日本人を評しているぐらいで、さかしらなことをぬかすシナ人のほうがよっぽどエロきちがいなのである。
 よろずのことに、シナにはよからぬ人がやたら多い。あれほど法令罰則でいましめても悪人悪事はちっともあとをたたないのはなぜだ。「もとより國のわろきゆゑ也。」
 これに対して日本では、人のふるまいを儒学者のようにほめたり謗ったりしないにもかかわらず、悪人は少ないじゃないか。これは「神の御國の故ぞかし」(p.103)。
 法師も恋歌をよむ。みな仏菩薩の変化じゃないんだから、それを心に思ったって、恥ずべきことじゃないだろう(p.104)。
 百両の小判は欲しく思うが千両の小判は欲しいとも思わん、なんてやつはおらんだろう。花鳥風月にすら心を動かされるのならば、女にはその百倍心を動かされてあたりまえである(p.105)。
 詩文によって、上を諷し、下を化するなどという、ウザいマネは、日本人はしないのである。歌をもって教誡にするなんてことは、上代から誰も考えなかったのである(p.113)。
 シナ人は詩を書かせることでそいつが頭がいいか悪いかを判定しようとする。日本国ではそんなためしはいちどもないのである。
 どんなことにも、そのもとのありようと、それをもちうる上での功徳[こうとく]とのわきまえがある。これをシナ人は「體用」というのだ。
 歌の體とは、ただ物のあはれなることをよみいずる、それより外になし。
 歌の用にはいろいろとあるが、思うことをよみ出れば、心につもりてたへがたきあはれも、をのづからなぐさむ。これが第一だ。
 歌というものは、それを見聞くときは、わが身のうへにつゆしらぬ事も、心にしみてはるかにをしはかられる。
 そしてその結果として、世の人のためにあしかるわざは、すまじきことと思うようになる。
 いかにさとり深く、才[ざえ]かしこきも、人の心は をよぶかぎりのあるものなれば、いにしへの聖人が考え定めて言い置いたこと、後代にははるかに違ってしまい、思いの外になっている。
 日本では、日の神は姫神であり、月の神は彦神である。シナの陰陽思想の逆である。だからシナ渡りの五行説などはすべて日本ではひがごとなのであり、それで和歌の31文字の理由を説明などしてはいけない(p.141)。
 ◆  ◆  ◆
 「読書余論」は、主に軍事系の古本を、兵頭が注目した一斑の摘記や読書メモによって紹介し、他では読めないコメントも附しているものです。(配信されるファイルはPDFスタイルです。)
 あまりに多すぎる過去の情報量の中から「兵頭はここは珍しいと思いました」というポイントだけ要約しました。
 大きな図書館に毎日通えない人も、最低費用で、過去の軍事知識のマニアックな勘所に触れることが可能です。
 また、ミリタリーしか読んで来なかった人には、他分野の情報が、何ほどか有益かもしれません。
 「読書余論」は、毎月25日に「武道通信」から最新号が配信されます。1号分の購読料は500円です。
 バックナンバーも1号分が500円で、1号分のみでも講読ができます。
 過去のコンテンツは、配信元の「武道通信」のウェブサイト
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 で、タイトルが確認できます。
 PDF形式ではない、電子書籍ソフト対応の「一括集成版」もできました。詳細は「武道通信」で。
 ウェブサイトでわからない詳細なお問い合わせは、(有)杉山穎男事務所
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商品リポート 今度は100球LED

 高緯度地方の冬が長いのはしょうがないが、その冬を暗くしてはいけない――というのが「勝手にソーラーライトを愛好する会」(会長兼会員総勢1名)の固い信念である。
 ニトリやトイザラスの店頭に、今年は、クリスマスシーズンにあわせた多球イルミネーションでしかもソーラーパネル給電式というタイプの、これといったものは出ていないように見受けられた。そうした発光商品は何かの理由で廃れてしまったのだろうか? そこでネットで検索したところ、〈100球ひとつながりで1980円(送料込み)〉というおそるべきスペックのものがヒットした。ウェブ上では「イルミネーション ソーラー LED 充電式 100球」という商品名である。
 いったいどんな電池とパネルを使えばそんなスペックが可能になるのか?
 物は試しだ。さっそく、「シャンパンゴールド」(要するに黄色と白熱電燈色の中間。わたしは先年から青色数十球の別商品をテストし続けており、防犯機能を考えるとやはり青系が良さそうなのだけれども、敢えて違う色を選んでみた)を発注した。銀行での振り込み手数料340円と併せ2320円である。
 大分県の「おとぎの国」というショップから、それは届いた。九州から北海道まで日本列島を縦断して宅配便で現物が輸送されてくる。その手間を考えると、じつに安い。
 商品に添付されてきた説明書の標題は「ソーラー充電式LEDイルミネーション 100球」となっていた。
 さっそくパネルの裏蓋の螺子を外して充電池は何かと確認したが、あっと驚いた。単3でも単4でもなかったのだ。偏平な長方形電池が1個、フィルムで貼り付けてあって、印刷文字から、充電容量1400ミリアンペア、電圧3.7ボルトと知られる。ニッカドなのかニッケル水素なのかは不明だ。わたしはエネループに交換してやろうと考えていたのだったが、こいつは素人が電池だけ交換できるような製品ではなかった。電極にはコードがハンダ付けされている模様だ。
 電球が連なったコード部分の長さは、わが狭小なる貸家の北壁から南壁までの長さを優に上回って余り有り。木柵のレールに沿って這わせれば、点灯時には、街灯光が届かぬ真っ暗な地面もぼんやりと明るくなり、近くの人物の影をくっきりと浮かび上がらせるほどだ。もし夕暮れ時から夜明け時まで点滅を持続してくれるならば、これは防犯用としても優れているだろう。
 点滅のパターンは選ぶことができる。高緯度地方の冬の「夜」は、午後の16時台から午前の07時台までと、やたらに長い。常時点灯モードでは、なまなかなソーラー電池は、とても夜明けまではもたない。しかし点滅のインターバルをたっぷり取る設計として、電池も1400ミリアンペアくらいの容量にしておけば、100球をひとばんじゅう明滅させることができるんだということを、この商品は、げんざい証明しつつある。
 ソーラーライトがこのように進化を続けていることをまのあたり確認できたのは、嬉しい収穫であった。
 以下、余談。
 IOCは作戦上手だった。「モタモタやっているなら、日本に冬季五輪の会場を分散させようか?」、とブラフをかますことで、無気力な韓国側に発破をかけた。そのような提案を決して受け入れられないのが韓国人なんだと、世界はもう分かっているようだ。この習性を利用して、F-35の整備工場のためにいくら韓国政府に醵出させるかが、ロッキードマーチン社の弁護士たちの腕の見せ所となるだろう。


管理人より おかげさまで復旧しました

お世話になっております。
おかげさまで復旧いたしました。
レンタルサーバ会社のユーザーサポートの人、すげえ。
ありがとうございました。
ともあれ、このブログ設置して10年間。何も変更してなかったのだな、と感慨深くなりました。
設置を手伝ってくれた方にも感謝です。
いつか同じ見た目の新しいものに変える必要もあるかもしれません。
簡単に同じ見た目に出来て、エントリーを引き継げるものはありましたら教えてください。
管理人


管理人より

お世話になっております。
MovableTypeでMySQL4からMySQL5に移行した事に伴うトラブルは依然として原因究明・復旧中です。
他人様に頼りきりなんですけどね。
エントリーはすべて表示できていますが、タイトルが[??????]のままです。
これは管理画面も同一です。
この復旧方法や、もし、MovableType3.2で書き出したエントリーをそっくり使えて、
レイアウトも今と変化の無いブログがありましたら、教えていただけると嬉しいです。
管理人
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習近平は東條英機の跡を辿っている。その末路に注目す。

さて今年一年をふりかえろう。
『歴代大統領戦記』の第一巻の原稿を書き上げることができたのが最大の成果だ。公刊は来年早々になるだろう。第一巻のあとは作業の調子が掴めるから、あとはベルトコンベイヤーのように量産する。司馬遼太郎が新聞に日露戦争史を連載していたときのような感じでね。内容も、歴史群像の色が濃い。
南北戦争よりも独立戦争の方がずっと面白いんだってことを、まず証明できるのが楽しみだ。これはおおかたの出版人もわかっていないことだ。大統領と議会の関係、大統領と軍隊の関係、すべては独立戦争中に決まっている。そしてもうひとつ。わが国の近代憲法について考えようという人間なら、この米国独立戦争に詳しくなくては、本当に、話にならないんだぜ? 京都女子大の講演でも語りましたけど、ヴァジニア憲法も独立宣言も、その半分以上は「宣戦布告」の説明責任に費やされている。英国憲法は、王と有力者間の契約だ。日本の憲法は、過去との訣別および西欧社会との新契約だ(旧約と新約とあり)。そして米国憲法のキャラクターは、「英王に対する宣戦」なのである。世界の憲法はたいていこのどれかの範疇だろう。
文庫の連打によって著者にこんな大河ドラマの執筆時間を与えてくれた草思社の特別な配慮には感謝の言葉もない。さもなきゃ事実調査の時間だけ積算しても、無資産執筆者にはとても企画そのものが無理だった。
それに次ぐ成果は、これも刊行が明年になるが、某大手出版社から、中共の終わり方を軍事的に予言する本を受注して書き上げたこと。このような新たなラインナップが加わることによって、草思社の年一回の私版防衛白書だけでは消化不良になるかもしれなかった軍事トピックスの無停滞の「商品化」がプログラミングできるだろうとの予感を抱けるようになった。
あとは京都講演の直前にタクシーで比叡山を見学できたのが望外の収穫であった。当日は大学の近くの国立博物館で時間調整しようと思っていたところ、ホテル玄関でたまたま乗り込んだタクシーの乗務員さん(♀)いわく、「入館するだけで三時間待ちですよ」。後で知ったが鳥獣戯画が公開されていたらしい。それで急遽予定を変更して、延暦寺根本中堂までの往復に決めた。市街から1万円台で即座に往復できるとは知らなかった。『日本のロープウェイと湖沼遊覧船』や『大日本国防史』を書いたときのイメージしかなく、ケーブルでしか登山できない、偉い遠いところにあると、ずっと錯覚していた。途中、四条大橋はここだと説明される。東海道五十三次の最終到達点! 弥二さん北さんが梯子を持ってウロウロしたのはここかと思うと、かたじけなさに涙こぼれる(嘘)。わたしは高校時代の京都修学旅行をバックレたので、中学時代の修学旅行のおぼろな記憶しかなく、車中から見せてもらったすべての印象は鮮烈であった。
それにしても明智光秀は大仕事をやってのけた。建物を焼いただけじゃない。この山の一方の斜面を下から全部、森林ごと焼いたのだ。ということは、雑兵にまず粗朶束を集めさせ、それに着火させるという大掛かりな準備が必要だったはずだ。さもなきゃいきなり大木に火は移りませんよ。
比叡山山頂の植物園に入場している暇が無かったことだけが悔やまれる。吹き曝しの寒い稜線上で越冬できる植物を、是非にも点検しておきたかった……。
ところでシナ文学者の武田泰淳は昭和24年4月に「勧善懲悪について」という一文を発表し、その中で東條英機を回想して、「彼はたしかに戦時中、あたかも自己が最強者であるとともに最善者であるが如くふるまい得た」「そして国民もまた彼がたんなる強者でなく、日本的善なるものの代表者であるがごとき魔術的印象をうけとっていました」「彼の命令は善であり、その逆は悪であるかのようでさえありました」等々と書いている(全集12巻130頁)のに吃驚した。
今日の我々は、東条と習近平の一致点を、数十個くらい挙げることができる。東条ファンの白痴右翼は、習が来年何をするかを、よく見ていることだ。


葛とアピオスは染色体数が同じ22だった。当然、交雑できる筈。

 昭和32年刊の『種・属間交雑による作物育種学』という文献を見たら、染色体数が近いものほど概して交雑は成功しやすいと書いてある。
 それでネットを調べたら、『原色日本植物図鑑』には葛の染色体数は2n=22、24 だとあるそうだ。
 また、「マメ科植物の細胞分類学的研究」というタイトルにもネットでヒットし、それによれば、同じマメ科であるクズは染色体数「2n=22」で、ホドイモ〔これはアピオスのこと〕も「2n=22」だと。しかも、ホドイモの染色体数は同論文の執筆者の山崎貴博氏がさいきん初めて報告したものであると。
 ヤバイ。やばすぎる。同じ二倍体で、染色体の数が同じ22。
 今日の最善の技倆をもってすれば、研究施設内で、すぐにも交雑種がつくりだせるわけじゃないか!
 『兵頭二十八の農業安保論』で警告したように、この「葛×アピオス」ハイブリッド種の特許を先にアメリカ人に取られちまったら世界の破滅は近いんだよ。
 先に日本で開発して、国土の七割を占める山林をすべて「クザピオス」だらけにはびこりまくらせた上で、世界中に只でタネ(イモ?)をプレゼントしてやるようにしないといけない。マザー・テレサにもできなかった慈善事業なんだ。
 誰もが「働かなくても食べていける未来」が、こんなに近いところにあったのです。