To bomb the oil-producing wells intermittently may extinct ISLAMIC STATE

 米海軍の核動力艦は無故障原発の優等生かと思っていたら、やはり、そんなことはなかった。
 「ストラテジーペイジ」2014-12-1記事によると、今年の4月にサンディエゴ軍港を出港して太平洋へ向かった艦齢22年の魚雷戦型原潜『ジェファソン・シティ』が途中で冷却水漏れを起こしたためにグァムに6月21日に寄港。いまだに修理はできずにそこに繋留されたままである。
 放射能を帯びた漏水は日量10リットルと少ないので、すべて艦内に溜めて、乾ドック修理のときに処分する気らしい。
 乾ドック修理はパールハーバーにおいて2015なかばから予定されている(いったん入渠すると22ヵ月間は出てこない)。それまで乾ドックに空きは無いため、同艦はさらに何ヶ月もこのままグァムにとどまるであろうとのことだ。
 オバマ政権が今後やるべきこと。
一、 イスラム国が資金源にしているすべての「油井」に対する執拗な空爆。もちろん初回の24時間前には一度だけ警告ビラを撒く。あとは無警告で随時爆破を続け、修復と生産再開をゆるさない。
二、 米空軍のA-10はすべてUAEやサウジに売り払ってしまうこと。
 以上の提案ができなかった時点でもうヘーゲルはいてもいなくてもおんなじだ。


「読書余論」 2014年12月25日配信号 の 内容予告

▼赤城毅彦ed.『郷土の先覚者 元陸軍次官柴山兼四郎中将 自叙伝』H22-6pub.
 S7の兼四郎の講演。張学良は日本政治の与野党間のまとまりの悪さなどにとても詳しかったがゆえに、日本人が集団行動を決心したときの恐ろしさを下算した。日本軍との正面衝突をたくみに避けつつ、すこしづつ日本の在満権益を暴力で蹂躙し、剥ぎ取る。そのたびに、日本国内で怒りの声が上がるが、与野党も官庁役人も決してまとまらないし、しばらくほとぼりを冷ませば日本人はすぐシナ人の悪さを忘れる。そこでまた事件を起こす。これを気長に繰り返せばOKだと踏んでいた。
 ※まったく今日と同じ手口。尖閣も小笠原も、このパターンの飽きもせぬ再演に他ならない。
▼歴史科学協議会『歴史科学体系 第十巻 日本の産業革命』1977
 吉田光邦の1968論文が戦後日本の小火器/工廠研究をながらく方向付けていたことがわかる。それを1990年代後半にガラリと変えたのが兵頭による「造兵三部作」だ。
▼高柳光寿ed.『日本の合戦 第8巻』S40
 鳥羽・伏見で徳山兵は何をしていたか。
▼防研史料 『大山陸軍卿 欧州巡視目録』M17
▼防研史料 『昭和十九年海軍航空補給参考綴』S19-8 /山ノ上 部員
▼防研史料 『昭和19年海軍航空補給参考書綴』〔箱8/マル5/全般/41 〕
▼防研史料 第31海軍航空廠『修理兵器月報調書』S20-2
▼防研史料 海軍航空廠『参考諸表』S10-4
▼防研史料 『零式一號観測機一型講習参考資料』S16-11-2
▼防研史料 『第六航空隊戦闘機隊戦闘準則』
 後上方は、45°を守れ。
 陸攻への攻撃は、一撃のみである。だから、常に後上方1000mをカバーするように護衛しながら飛べ。
▼防研史料 『中攻空中戦ニ関スル戦訓所見』S14-8-1 海軍航空本部
 200m以内では、お互いの動作・表情がよく分かるので、機銃が故障しても故障などしていないというフリを続けることが大切である。
▼資料調査会『海軍 第11巻 小艦艇 特務艦艇 雑役船 特設艦船』S56
 軍人の指揮官が乗船して操船を指揮すれば、それは国際法上、軍艦である。
 ※このことから考えても、軍人を「偽装漁民」に仕立てることの愚策たるゆえんが悟られるであろう。島に上陸後、身柄をおさえられ、身分が明らかにされれば、中共は国際法上の「侵略」および「ハーグ戦争条規違反」の歴然たる証拠を日本に進上したことになる。身柄が日本側にある以上、中共は宣伝戦で完敗なのだ。
 病院船としての通告がなされていても、船内に捕虜を収容したりしていれば、それは拿捕できる。
▼『偕行社記事 No.724』S10-1
▼カレル・チャペック著、小松太郎tr.『園芸家12カ月』中公文庫1975、原1929
 労働者ロボットの発想は園芸のタネ播きから来ていたこと、そして園芸は反共の趣味であることが、本書によって理解される。
 ◆  ◆  ◆
 「読書余論」は、主に軍事系の古本を、兵頭が注目した一斑の摘記や読書メモによって紹介し、他では読めないコメントも附しているものです。(配信されるファイルはPDFスタイルです。)
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本日の北海道立函館美術館の展示

 2014-11-15から開催されています「浮世絵・雑誌・絵はがきに見る 幕末・明治の戦争イメージ」展(~2015-1-21)を見て来ました。
 収穫は、ざっと、以下の通り。
 M29-2-16刊、木村浩吉・海軍大尉著の『黄海海戦ニ於ケル松嶋艦内ノ状況』という発禁冊子のカラー挿絵。敵弾により備砲の装薬が爆燃して全身に大火傷を負った赤裸の将兵たちがとりあえず士官室に集められて薬缶の水を呑まされながら海戦の終わるのを待つしかないという図。手足と頭部の火傷が特に酷くなることが活写されている。
 M27に同じ「三代歌川国輝」がデザインした2枚の錦絵。ひとつは「我軍鳳凰城ヲ破ル」、もうひとつは「田庄台焼打之図」。共通タイトルとして「連勝倭魄[やまとだましい]輝天下」。
 まったく構図が同じで、タイトルだけ差し替えてある。細部の着色等に異同があるが原図は寸分違い無し。
 どちらがオリジナルかと見比べると、鳳凰城の方には、大砲の洗桿の上に「立見支隊」と注記がしてあり、こっちじゃないかと思える。
 なぜか会場の解説文にも、また別売り図録にも、この同一絵柄の使い回しについての指摘は無い。
 この図の興味深いところ。野砲の弾薬車を人夫たちが曳いており、その人夫頭の半纏襟には「五十人長」と書いてある。
 「第二軍旅順口攻撃図」。日清戦争における野戦電信隊が描かれている。これは珍しい。
 M37印行の小林清親・画「浦潮港海軍之攻撃」。
 『八雲』の左舷上甲板を描いているのだが、なんと、ミトライユーズが描かれている。舷側砲もリアルだし、これは写真を参照しながら絵におこしたものに相違ないだろう。だとすれば史料的に貴重である。
 マカロフの乗艦が機雷で沈むところを水中まで描いた縦三枚続きの錦絵。
 M37なのに機雷のディテールが描き込まれている。ディテールの真偽は不明。
 M27の『風俗画報』#81の挿絵。「軍艦松島號修復於呉鎮守府」。やはりこれも写真を元に絵に起こしたと思えるもので、ドライドックのディテールが貴重。なお、別売り図録では「呉」の字が脱落しているぞ。
 青木少佐か休戦軍使となって行こうとすると清兵が発砲して来るという図。ちゃんとこうやって国際宣伝していたんですね。M28に。
 錦絵全般について。日清戦争の図は例外なく兵隊が「草鞋」履きなんだが、これはどうなのだろうか?
 日露戦争の図でも、兵卒にワラジを履かせている図がある。
 輜重兵や輸卒が日露戦争のときも草鞋だったのは事実なのだが……。歩兵は違うんじゃないか?
 鉄道を匪賊に破壊されたときそれを緊急に警報する「信号烽火柱」というもののイラスト。線路脇に支線を張って高い木柱を立て、可燃性の藁のようなものを縛着しておく。点火すれば、遠くから見える。
 「満洲軍中 露探の斬首」という写真。M38-12-13博文館。東洋人のスパイは目隠しされているが、両手は縛られておらず、ダラリである。斬り手は、ちゃんと危ない方の脚を後ろに退げている。
 古い写真帖の奥付によく出てくる「小川一真」は「かずま」と読むことを知った。1860生まれで、M15に渡米して写真を修学し、M22に国内で開業した草分けの一人。


「読書余論」 2014年11月25日配信号 の 内容予告

▼Louis Bruchiss著『AIRCRAFT ARMAMENT』1945, NY
 この本の時点では対戦艦用のAP爆弾の存在そのものが秘密にされていることが推定できる。
▼B.Cooper著『The Story of the Bomber 1914-1945』 1974pub.
 米国がWWII末期に日本の『大和』級戦艦に対して使った投下爆弾のうち、AP/セミAP爆弾のスペックは今でも「軍機」のようだ。特殊な対艦ミサイル、たとえば米空母の原子炉隔壁をぶちやぶれる弾頭の設計に使えてしまうからなのかもしれない。
▼平山黄巌ed.『古今兵学 和魂之友』M33-11
 前半にM30版の陸軍マニュアルを載せ、後半に、七書などを併載したもの。赤十字条約も教えている。
▼早川純三郎『武術叢書』大4-5、非売品、国書刊行会pub.
 正徳年間に書かれた「本朝武芸小伝」には、鎖鎌は見えない。
▼瀧川喜祐『露国軍隊 服装武装写真帖』M37-2
 戦場写真ではない。ロシアの写真帖をコピーしたらしい。
▼日佐友香ed.『闘ふ戦車』朝日新聞社S14-2
 鹵獲した青天白日マーク入りのルノーFTの写真が超めずらしい。
▼野寺哲二郎『趣味の絵科学 タンクと自動車』S6-11
 木炭自動車をわが国陸軍が「盛んに」使用している、とあり。
▼戸伏太兵『日本武芸達人伝』S30
▼東京市役所『航空港建設の基本問題』S14-3
▼内田胤彦『兵学初歩』M28-1
 操典・教範・要務令を、師範学校と旧制中学生徒に教えようというもの。
▼螢谷衛『兵法虎之巻 評釈』M29-9
 密教系 山伏系の軍陣呪法を集めた珍資料である。
▼佐伯有義[ありよし]ed.『武士道全書 第十二巻』S18-7
▼大平喜間多『海防の先覚者 真田幸貫伝』S19-5
▼内務事務官・秋山進『米国統治時代の比島の警察制度』S23-2
 なぜ参考になるか。この時代、比島には国軍なく、警察が、治安の最後のバックストップであった。警察予備隊のための研究資料のようだ。
▼岩附一雄『犯罪手口の研究』S23
▼松井茂『警察の根本問題』大13
▼田村豊『警察史研究』S7
▼木村行蔵『正しきを索めて』S26
 S23~24の千葉県で、拳銃利用の強盗殺人(未遂含む)は61件もあった。
▼政界ジープ編集部・中西清ed.『United States Strategic Bombing Survey 太平洋戦争始末記』S25-5-20pub. ¥20-
▼航空自衛隊幹部学校『空幹校教資 5-2-16-94A 米国戦略爆撃調査団報告 日本人の士気に対する戦略爆撃の影響(その1)』S34-3
▼『空幹校教資5-2-26-77 部外秘 日本陸海軍情報』S33-11
 日本は写真偵察をたった14回(サイパン4回、沖縄10回)しかしてない。
 陸軍18人、海軍30人が、写真偵察担当のすべてだった。
▼空幹校教資5-2-26-198「総括報告(ヨーロッパ戦争)」
 Summary Report European War
 訳S36-7、国37-6-20。
 全38ページ。
▼『長崎被爆50周年記念 米国戦略爆撃調査報告書』上下 H8-3-25
 和訳の上巻には、USSBSパシフィック 第3巻、第5巻、第13巻、第59巻を訳出。下巻では、第93以降を完訳する。これで長崎市関係の文書すべて網羅される。
▼国会図書館・憲政資料室所蔵マイクロフィルムCPD-1 『Captured Japanese Ships’ Plans and Design Data 1932-45』(押収された日本船舶設計図及び図面)
 二等輸送艦=LSTや、タグボートまで網羅。内火艇=Motor Boats 全タイプ。
▼空襲・戦災記念館をつくる会「米国戦略爆撃調査団資料」他
 1976に渡米して検索し、日本関係のものだけマイクロにして持ち帰った。
▼日本図書センター『米国戦略爆撃調査団 太平洋戦争白書 第1巻』
 Office of the Chairman 本部報告
  ※これは Final Reports, 1945-47 のうち、マイクロのロール18から25。
 USSBSは、報告書316巻(325冊)からなる。
 うち、太平洋は、全108巻(109冊)、1万5000ページである。
USSBSは、「団長」の下に「団長室」(本部)、「民事局」、「経済局」、「軍事局」、「軍事顧問部」(G-2情報部)、「編集局」が横並ぶ。
 団長室は 全〔108〕巻のうちの〔1〕~〔3〕巻担当。そのうち〔1〕〔2〕巻は、みすず『現代史資料』「太平洋戦争5」で1975に訳出された。
 民事局は、民間防衛〔4〕~〔11〕、医療部〔12〕〔13〕、戦意部〔14〕を担当。
 経済局は、航空機部〔15〕~〔35〕、基礎資材部〔36〕、資本財・設備・建設部〔37〕~〔39〕、電力部〔40〕〔41〕、労働力・食料・民需部〔42〕、軍需工業部〔43〕~〔48〕、石油化学部〔49〕~〔52〕、全般的経済効果部〔53〕、運輸部〔54〕、都市地域部〔55〕~〔60〕を担当。そのうち〔15〕〔43〕〔46〕〔48〕〔54〕の一部および〔66〕の抄は、みすず『現代史資料』「太平洋戦争5」で1975に訳出。また〔51〕〔52〕は、石油評論社が1986に訳刊。また〔53〕は日本評論社が1950に訳刊している。
 軍事局は、陸軍分析部〔61〕~〔71〕〔71a〕(※bは無い)、海軍分析部〔72〕~〔89〕(※政治家訊問多し)、物資的損害部〔90〕~〔96〕を担当。
 軍事顧問部は、写真分析として〔97〕~〔108〕を担当。
 編集局の下には、「編集部」「原稿作成部」「写真部」とあり。
 〔1〕総括 of Pacific、〔2〕終戦に向けての日本の策、〔3〕広島と長崎に対する原子爆弾の効果、〔4〕東京防空、〔5〕長崎防空、〔6〕京都防空、〔7〕神戸防空、〔8〕大阪防空、〔9〕広島防空、〔10〕防空の総括、〔11〕防空 Final Report、〔12〕保健・医療施設への効果、〔13〕同・ただし広島と長崎、〔14〕戦意への爆撃効果、〔15〕航空工業、〔16〕三菱の飛行機工場、〔17〕中島の工場、〔18〕川西の工場、〔19〕川崎の飛行機工場、〔20〕愛知、〔21〕住友金属(プロペラ生産)、〔22〕日立の飛行機工場、〔23〕日本国際航空、〔24〕日本楽器(プロペラ製造)、〔25〕立川、〔26〕富士飛行機、〔27〕昭和飛行機、〔28〕石川島航空工業、〔29〕日本飛行機、〔30〕九州飛行機、〔31〕正田製作所、〔32〕三鷹航空工業、〔33〕日産自動車、〔34〕陸海の空廠、〔35〕地下工場、〔36〕石炭と金属、〔37〕建設業、〔38〕電気施設、〔39〕日本の機械製造工業、〔40〕電力、〔41〕同・工場調査、〔42〕生活と労働力、〔43〕軍需工業、〔44〕海軍兵器、〔45〕陸軍兵器、〔46〕造艦、〔47〕自動車、〔48〕造船、〔49〕ケミカル、〔50〕同・付録、〔51〕石油、〔52〕同、〔53〕経済に対する空襲の効果、〔54〕輸送に対する空襲の効果、〔55〕都市に対する空襲総括、〔56〕京浜に対する効果、〔57〕名古屋に対する効果、〔58〕大阪・神戸・京都に対する効果、〔59〕長崎に対する効果、〔60〕広島に対する効果、〔61〕米国以外の空軍、〔62〕日本の空軍、〔63〕日本の航空兵器と戦術、〔64〕地上軍への航空攻撃効果、〔65〕南西太平洋方面部隊、〔66〕B-29による第二十空軍作戦、〔67〕シナ・ビルマ・インドでの航空作戦、〔68〕航空輸送、〔69〕第十三空軍、〔70〕第七&第十一空軍、〔71〕第五空軍、〔71a〕太平洋戦争における航空戦、〔72〕日本官吏にたいする訊問、〔73〕太平洋諸作戦、〔74〕ウェーク島の陥落、〔75〕対ラバウル、〔76〕ウォッゼ~マロエラップ~ミレ~ヤルート、〔77〕トラックの陥落、〔78〕対日航空機雷撒布作戦、〔79〕一九四五年の艦砲射撃、〔80〕同分析・釜石7/14および8/9、〔81〕浜松7/29および7/30、〔82〕日立市7/17および7/18、〔83〕函館7/14および7/15、〔84〕室蘭7/15、〔85〕清水市7/31、〔86〕潮ノ岬7/24~7/25艦砲射撃と野島崎7/18~7/19、〔87〕艦砲射撃の精度、〔88〕同、〔89〕艦砲射撃の効果、〔90〕焼夷弾の効果、〔91〕一万ポンド爆弾の効果、〔92〕広島に対する原爆の効果、〔93〕長崎に対する原爆の効果、〔94〕四千ポンド爆弾の効果5例、〔95〕二千ポンド爆弾~一千ポンド爆弾~五百ポンド爆弾の効果9例、〔96〕日本の物質的損害に関する総括、〔97〕日本陸海軍の情報機関、〔98〕本土写真情報 綜合報告、〔99〕本土飛行場写真集、〔100〕爆撃地点の算定、〔101〕都市の写真、〔102〕偽装の写真、〔103〕船舶の写真、〔104〕エレクトロニクス、〔105〕海岸、〔106〕海岸砲台とAA、〔107〕道路と鉄道、〔108〕産業分析。
 以上、国会図書館の〔GB531/A70〕で請求できる。United States Strategic Bombing Survey 全50巻に、山田朗の日本語解説が1巻付属。版元は日本図書センター、1992刊。邦題は「米国戦略爆撃調査団太平洋戦争白書」。
▼『海軍 第10巻 潜水艦 潜水母艦 敷設艦 砲艦』S56 後半
 末次中佐はドイツから何を導入したか。
 WWIにおいて、主力艦数が劣勢のドイツ海軍は、潜水艦隊を対水上艦隊攻撃に指向した。それによって英水上艦隊をまず戦力的に漸減させ、そののち水上艦隊同士で決戦しようという皮算用。
 これを欧州で見ていた末次は、大12-12-1に少将に昇任すると同時にみずからすすんで一潜戦司令官に転出した。
 末次の考え。潜水艦戦術のような、何か新しい試みをしようとすると、「素人は困る」といって反対する者が組織では大多数である。しかし、いわゆる専門家よりも、切実なる用兵上の要求にもとづいた素人の常識のほうが確かなことがある。ようするに専門馬鹿には国家の切実な要求が二の次になるのである。不動の信念、十分に部下を納得せしむる異常の根気、そして果断決行がなければ、改革なんてできるわけがあるか。
 末次らが計算したところ、米艦隊の監視には三直交代が必要である。一直は三個潜戦。一個潜戦は旗艦+3個潜水隊=10隻。したがって、総計90隻の大型潜水艦を新造する必要がある。ロンドン条約でこれをオジャンにされたので海軍は怒った。
 演習をくりかえして分かったこと。潜水艦で警戒厳重な敵の港を見張ったり、敵艦隊を尾行するのは無理。まして敵の前程には出られない。S14には、もう潜水艦でなくて飛行機に手段をきりかえなければならんとみんな分かっていた。
 水雷学校における戦訓調査会に技術者(造兵将校と技師)の列席が認められず(艦政本部が認めず)、酸素魚雷の欠点修正は滞った。
 日本の潜水艦隊は散開線の移動が頻繁すぎた。ワスプを撃沈した潜水艦は、その移動命令を受信しなかったので、艦長のイニシアチブでうまく会敵できたのである。
 大6-6に「潜水艦定員二倍制度」。
 1号機雷は「軍機」だったので艦長の許可がないと誰もマニュアルすら読めず、現物をたまたま目撃しても名前が分からぬという機雷専門家も多かったほど。一度も実戦で使われずに終わった。日本海海戦でも使用されず。
 日本軍はWWII中に5万5000個の機雷を仕掛けた。ただし、飛行機から撒いたものはひとつもなし。
 『厳島』は開戦直後に、サンベルナルジノ海峡(ルソン島とサマール島の間で、最狭部10浬、水深は60m~150m)に機雷敷設。『八重山』は、スリガオ海峡(レイテ島とミンダナオ島の間で最狭部。水深はサンベルナルジノと等しい)に機雷敷設。
 日没までに敷設海域の100浬以内に近接する。そして夜のうちに敷設し、夜明け前に離脱する。
 病院船に改造しても、備砲を残し、海軍将校が指揮官であれば、いくら赤十字旗を掲げていても、軍艦とみなし、戦利艦として接収できる。
 初代『隅田』は吃水わずかに60cm。
 揚子江砲艦の吃水は1m20cmくらいであった。
▼雑誌『工藝記事』からの抜書き
 ※国会図書館に〔雑49/10〕で所蔵されている昭和前期以前の定期刊行物。発行元は東京砲兵工廠。第1輯はM40-11刊で、所蔵最終の第89輯は大11-12刊。工廠の改編とともに廃刊か。
 大11-11月号の時点でも26年式拳銃の製造法の改善研究がなされている。
▼三宅宅司『日本の技術・8』1989
 大阪砲兵工廠の研究である。
▼福島太郎右衛門ed.『遠きビルマよ』S46
 歩兵第16聯隊 第1機関銃中隊(越林隊)の記録。
▼参謀本部ed.『各国兵事摘要』 
 ※国会図書館にはM26の第53号から、M27の第86号まで所蔵されている。1巻は3号からなる。請求記号〔雑32/15〕。内容は、欧米の軍事雑誌の記事の転訳である。
▼『兵学研究会記事』
 ※S17年に刊行された分が国会図書館に所蔵されている。請求記号〔雑32/56〕。創刊は大4。陸大候補者向けの、戦術問題集。白紙戦術。
▼Georg Markham著『Japanese Infantry Weapons of World War Two』Arms & Armour Press, London 初版1976、全96頁。
 ※この本の情報は盲信すべからず。しかし貴重な指摘もある。
▼雑誌『地理』1995-8月号
 旧軍の飛行場が今の空港になっているケースを紹介。
▼高橋誠『空港概論』H5
▼『東京空港工事事務所 30年誌――空港づくり・人と技術の歴史』H7-5
▼関川栄一郎『空港と安全――問題点と事故例について』1980-4
 バードストライクは、群、渡りを吸い込むのが危ない。単体ならまずOK。
▼平井磨磋夫『新体系土木工学69 空港』1984
▼『水交社記事 第64号』M29-1
▼『水交社記事 第91号』M31-5-30
▼『水交社記事 第92号』M31-6-30
▼『水交社記事 第97号』M31-11-30
▼『水交社記事 第99号』M32-1-?
▼『水交社記事 第110号』M32-12-31
▼『水交社記事 第117号』M33-7-31
▼『水交社記事 第126号』M34-5-4
▼『水交社記事 第61号』M28-9-?
▼『水交社記事 第62号』M28-10
▼『水交社記事 第63号』M28-12
▼『偕行社記事 No.30』M23-2
 第一師団「村田銃侵徹力試験ノ始末」
▼『偕行社記事 No.31』M23-2
▼『偕行社記事 No.34』M23-4
 ◆  ◆  ◆
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文庫版の『日本人が知らない軍事学の常識』が発売されました。

 新刊のご案内です。
 草思社さんから『日本人が知らない軍事学の常識』の文庫版が出ました。もう書店に並んでいると思います。
 ハードカバーをお買い求めになっていらっしゃる皆様は、巻末の「付録」だけでも お立ち読みください。面白いと思います。


「読書余論」 2014年10月25日配信号 の 内容予告

▼防研史料 『二式飛行艇搭乗員規定』
▼バーネウィッツ著、上田建洋tr.『探鑛者必携』原1935、S17-6訳刊
 ※日本人の理性の弱点が今も補正されていないことを知るのに、こういう古本くらい適したものはない。この文献は、調達コストを度外視すればタングステンは米国内でも掘れたこと、錫はボリビアその他から持って来られたことを教えてくれる。たしかにFDRは、マレーと蘭印の錫やゴムが欧州における戦争勃発後もできるだけ長く、米国の工場へ安くふんだんに供給されてくれればありがたいと思っていた。だがそれは英国を兵器支援するためにヨリ安価な原料費で済むからであって、米国がそれなしでは戦争もできなくなるほど困り果てるからではなかった。それらの物資はコスト高をしのべば、いくらでも調達ができたものなのだ。ゴムは人造ゴムで代置可能だった。優良資源地域が日本に占領されたところで、米国自身の戦争推進には、影響はなかったのである。しかるに日本国内の開戦派は、シナ奥地に加えてマレーと蘭印を占領しさえすれば米国はゴムや錫やタングステン不足から戦争ができなくなるという都合のよすぎるフィクションの物語をこしらえ、宮中からプロ軍人から庶民にいたるまで、国民をことごとく騙すことができた。それは多くの日本人が、我にのみ好都合なもっともらしい勝利正当化予報に耳を傾けるという小児的理性から進歩できないでいたおかげである。本書は、もし戦前の新聞社に鉱山の専門家が一人でもいれば、そんな開戦誘導宣伝は嘘だと間接的に指摘できたはずであることを立証している。だがそういう人材は日本の新聞界にはおらず、石油や戦略メタルの最も肝腎な情報知識が専門業界人の間だけで共有されていたのである。1935年版に基づくこの本がもう1年早く訳刊できていたなら、日本の運命は変わっただろう。原文のボリュームと不割愛主義から言って、無理な注文なのだが……。
▼櫻井忠温『大将白川』S8-4
 朝鮮人に殺された白川義則(元陸相)の一代記。旧友や元副官らからふんだんに資料の提供を受けて、そのまとめをプロの作家にでも依頼すればいいものを、櫻井が無謀にも筆を執り、こんな散漫な、盛り上がらない伝記があるかというシロモノに仕上げた。遺族も残念だったろう。
 ただしディテールには興味深いものが多かった。兵頭のダイジェストを読んで損はありません。
 張作霖事件についての貴族院の石塚英蔵の質問。「ロシヤ人がやつたやうな小冊子が出てゐるが…若しロシヤ人の仕事であるならば、何を苦んであの交叉点を選びませう? かくの如きはロシヤ人と雖もやる筈がない」。
▼芥川哲士「武器輸出の系譜――泰平組合の誕生まで」S60-9『史学』通巻82所収
▼Hsi-Huey Liang著『The Sino-German Connection――Alexander von Falkenhausen between China and Germany 1900-1941』初版1977、再版1978
 著者はニューヨーク州のヴァッサー女子大の歴史学教授。著者の父 Lone Liang は、1928から1949まで国民党の外交官として駐独。
 アレクサンダー・フォン・ファルケンハウゼン(1878~1966)の個人文書集であるファルケンハウゼン・ペーパーズを発掘して初めて駆使し、支那事変勃発前後のドイツ人たちの蒋介石とのかかわりをあきらかにした超労作。
 その第七章から第九章までと、巻末付録の書簡類を兵頭訳でダイジェスト。
 ボフォースの高射砲を輸入しなさいと勧めた一人は、軍事顧問団副官の Friedrich-Adolf Krummacher で、その理由として、ボフォース社はクルップ社から多数の特許を買っているからだと。これが1930のこと。※それらがまわりまわって日本の高性能高射砲や四式戦車や五式戦車の備砲になったわけ。第一次上海事件で鹵獲したのが参考にされて。
 1934-8におけるファルケンハウゼンの認識。ゼークトは、いまから1年以内に日本はソ連と開戦する気だ、と見ている。だから日本は、後背となるシナ国民党とは関係を改善しようとしているところだ。その兆候がすでにある。蒋介石も日本と手打ちするつもりになっているが、国民党の有力領袖たちは皆反日なので、蒋介石はまだその心積もりは秘密にしている。
 1936春に日本軍は河北省に浸透した。これによってファルケンハウゼンのプランは根底から崩れた。黄河を守れなくなった。そこでファルケンハウゼンは堤防を爆破させて、人工的な氾濫洪水を起こして日本軍が一帯を通過できぬようにした。
 1936-12-14にファルケンハウゼンは、次のような提案をした。いわく。
 エリート部隊に戦車旅団をつけてただちに西安へ進軍させるべきだ。戦車旅団は独人ボルクハルトが率いる。さらに、ドイツ式に訓練した83師と87師も。
 1936-5にシナとドイツの通商合意。1億支那ドル相当のドイツ製戦車、迫撃砲、加農砲と、タングステン、亜鉛などの地下資源を交換する。1936-7-25調印。
 1936-7-9に日本の『日日』新聞はすっぱぬいた。この協定には秘密条項があり、シナが第三国(日本)と戦争するとき、ドイツはシナの金属資源とひきかえに兵器を供給するし、また、外国製の兵器をシナが調達できるように助力もすることになったと。
 1937になっても、それ以降も、ドイツ人の顧問団の誰ひとり、シナ軍の秘密を日本側にリークした者は、いなかった。
 ゲッベルスとリッベントロップとカイテルは、親日だった。※なぜなら反英を追求するために日本海軍が必要だから。
 他方、ゲーリングとヒムラーは、反日だった。
 シナ人たちは、揚子江(南京~武漢)は防衛不能と思っているご様子だが、わたしはそうは思わない。
 トルコは、あんな古い大砲で、ダーダネルス海峡を英軍の猛攻から守りぬいたではないか。
 もしシナ人が緒戦から激しく抗戦をしなかったら、列強だって干渉してはくれないのだ。
 日本軍の前進を破砕したあとの、逆襲が不可欠である。これをしないと日本軍は退却しない。この逆襲に成功すれば、列強が介入してくれる。
 WWIの独軍は、ハンニバルのように不自由だったから負けた。もっと参本に集権していたらドイツは勝てたのだ。
 ビスマルクが言った。健全な反論者がいなければ、創れ、と。ただし、無私の愛国者たちに限る。
 警察とジャンダルメリー(警察予備隊)は、内務省の下に置くべし。
▼笠井雅直「明治前期兵器輸入と貿易商社――陸軍工廠との関連において」1987 名古屋大学経済学部『経済科学』34巻4号所収
▼中川清「兵器商社高田商会の軌跡とその周辺」1995-3『軍事史学』30巻4号所収
▼『偕行社記事』第5号(M21)
 「小口径連発銃」by 砲兵会議。※22年式小銃のディテールが議論されている。
▼山崎益吉『横井小楠の社会経済思想』S56-2
 ※S17に山崎正薫『横井小楠伝』(3冊本)と上田庄三郎『横井小楠』が前後して発売されているのには、何か理由があるはずだ。書かれたのはS16のはずで、対米開戦前。なにか、対米戦ムードに対するアンチ宣伝の意味があったのだろうか。
 ワシントンは全アメリカの大統領になったが、その権柄を、賢に譲って子に伝えず。※ワシントンには実子がいなかったことを、福澤諭吉を含むほとんどの日本人は知らなかったようである。
 小楠じしんは45歳で結婚した。武家の二男だったからである。多くの武家の2、3男は生涯独身であり、そのための不行跡も多かった。
 本多利明は、重商主義にいちばん必要なのは船舶で、船舶こそ国家第一の長器・宝貨だと断言した。※これはまさにイギリス人の考え方。利明の種本は英国系だと考えられる。この価値観ゆえに、キャプテンは艦船と運命をともにしろという不文律が、英国から発生しているのだ。
 シナに「済南」という地名があるが、これは「済水」という河の南岸だからである。「済」とは、ととのえるの意味で、もっと具体的には、黄河が氾濫をくりかえすときに、その水量を平均させる機能が、「済水」にはあった。だから農耕にはまことによかったのである。
 「臨済」という地名も、同様。
 この「済」のイメージから、「経済」という用語もできた。
 利明いう。国力は環境に支配されるから、首都は東蝦夷に移すべきである。江戸は中央都市、大坂は南都とする。
 神田孝平の『農商建国弁』にいう。商業を盛んにすれば、政府は商人から税を集めるだけで用が足り、農民は無税になる。さすれば農家は富み、生活が楽だから、いままで耕作しなかったところも耕作しようという者が増える。したがって食品価格は全国的に下がり、皆が益を受けるのだ。
 この逆に、農業から主に税金を集める路線だとどうなるか。誰も農民になろうと考えず、だれも山野を開墾しようとはおもわない。食品価格は高くなり、誰もが貧しい。世の中が進歩すれば、政府が必要とするカネもどんどん増える。しかし、農地というものは際限なくどんどん増えるものじゃない。必然的に国家は弱くなり、外国に敗北するのである。
 福澤は『唐人往来』で言う。青表紙の学者たちが、商売のかけひきを知りもしないくせに、ものしり顔で、何は無用だとか、何が損だとか、害だとか、かれこれ言うのは、商人からみたら、片腹痛いだけだろう。
 ※福澤は「無知の知」を有していた。
 M2の加藤弘之の『交易問答』いわく。天保の飢饉は、外国米の輸入によって難儀を救ったではないか。
 小楠の『富国論』。「富ますを以て先務とすべし」。
 『子爵由利公正伝』いわく。越前藩を改革して、物産をおこしたら、博奕と、托鉢の比丘尼が消えた。盗賊も消えた。若い者が新しい就職口を得たからだ。
 著者いわく。人間を堕落させることにおいて、活計を通利できないことほど大きな理由はほかになかろう。
 慶應あたりは世直し一揆が全国現象だったが、越前だけは1件しか無し。
 元田永孚は、『孟子』を読んだことで儒学を再び気に入るようになり、徂徠の『政談』や蕃山の『集義和書』を捨てた。その前には『韓非子』を読んだが得るところがなかった。
 徂徠は朱子学の体系を崩し、作為の道を示した。それを先王の道という。天道と地道は区別される(朱子学では同一視される)。聖人の道は、功利であったと示唆する。
 朱子学は、周濂渓に始まり、二程(程明道、程伊川)、朱熹によって完成された。天人合一を説き、天理自然の道を示し、作為の入り込む余地がない。
 周濂渓は、大極図説をこしらえた。これ自体は、唯物論的な宇宙生成論。
 そこで生成された万物は、理と気で説明される。理は物質の本性。気は、その物質に差異を生ぜしめるもの。理が先にあり、それを気が、後から変化させるのだとする。
 徂徠は、人間の規範を、自然法則から切り離した。天道と地道を断絶させた。道は、自然法則には左右されない。自動的に天然宇宙がつくって人に与えてくれたりはしない。それは、だから、積極的に人間が、意識して、考えて、創作(作為)するしかないものである。
 そのさい、われわれは何を頼りに考えたらいいか。徂徠は、それは尭と舜の道=先王の道だと言った。
 底意として、今の徳川体制は、先王の道をめざしているので、正しいし価値がある(天皇親政は朱子学的には肯定されようが間違いである)と言いたいわけ。
 小楠の朱子学批判。宋学には、利用厚生の術がない。尭舜三代の偉大な工夫に、行政目標が及んでいない。尭舜三代は、「敬」などの小理屈は知らなかったが、天をおそれる心があって、天帝の命を受けて「天工」したのだ。つまり、山川、草木、鳥獣、貨物を「格物」して、地を開き野を経営し「更生利用」させた。その「天工の実」のおかげで、人民が豊かに、国家が強くなった。
 これにひきかえ、宋儒の「治道」の論には、三代当時にはあった経綸が、ひとかけらもない。だからシナと日本は、今、西洋からこんなに差をつけられてしまったのだ。
 ブリッジメンの『万国地理書』は、林則除の序文付きで、漢訳『海国図志』となり、それを岩瀬忠震が和訳した。
 山路愛山は『日本教会史』で、日本人としてキリスト教に覚醒した筆頭は小楠だとしている。
 新政府の岩倉が、小楠を参与として京都に呼んだ。開国反対派は、小楠がキリスト教を朝廷にダイレクトに注入するだろうと信じた。それで暗殺した。
 五箇条の御誓文は、小楠の『国是三論』『国是七条』の影響下、由利が草起している。
 春嶽は、不平等条約を一方的に破ればいいと考えていたが、慶喜が、取り交わした条約について相手国についてとやかくいうべきではないと反対し、この点では小楠も慶喜に脱帽した。
 『攘夷三策』では「内外の処置に於て己が利栄を謀り姑息因循」する幕府要路の諸有司が今日の事態を招いたと。
 小楠は、開国を以て天地の公道と信じていたのだ。
 長井雅楽の『航海遠略策』。海内一和、軍艦を増やして士気を振起すれば、皇国が一国で、五大州を圧倒するのは簡単である。
 文久2年11月に海舟が小楠を訪ねた。小楠いわく。日本国内の侯伯が一致しなければいけない。開国か鎖国かは瑣末な問題で、その議論は捨てろ。国内で外人を斬っても攘夷にはならない。海軍を盛大にしなければ、日本国の国防はできないのである。ここに着眼する英雄がひとりもいないのが情ない。幕府は、人材をあつめる方法を知らない。人を集めるときは、とにかく、細かいことをとがめたらダメだ。「拵附の刀のさげ緒まで揃」っていなかったら不採用にする、という贅沢な選択をしていてはいけない。外見がみっともないボロ刀であっても、刃の部分が、それなりに切れるならまずOK。まずそいつを採用せよ。そのあとで、「鍔頭」その他を付け足して行けばいいのだ。一人の男がすべてを初めから全部備えていることなど、ないと知れ。
 古代、土を盛って木を植え、それを国境とした。「封」と書いた。シナ三代のとき、帝王が千里四方を公有し、のこりの土地は家臣に与えた。秦代~漢代には郡県制が整ったが、その後、儒教が逆襲し、封建制度こそ上古の治道であり、郡県制度は悪政だということにされた。
 日本はシナを真似して7世紀の大化改新で郡県制をとりいれんとしたが、12世紀後半には封建制が定着した。
▼Stanislaw Lem『MICROWORLDS――Writings on Science Fiction and Fantasy』1984
 レムの担当であった西独の出版人フランツ・ロッテンシュタイナーがセレクトしたオムニバス本。
 父のサミュエル・レムは墺洪帝国軍軍医(内科)だった。
 ロシア軍の捕虜になり、生まれ故郷のレンベルグ(今のLvov)に帰還したときは、ロシア革命の影響がここにも及んできた。
 家系はユダヤ系だったのだが、父はうまく偽書類を準備して、一家はゲットー行きをまぬがれる。
 ドイツ軍は非ユダヤのポーランド人の大学教授も、何人も殺した。彼らは深夜にアパートから連行され、どこかで銃殺された。
 ウクライナ警察はドイツ軍の占領補助部隊のようになっていた。
▼『海軍 第10巻 潜水艦 潜水母艦 敷設艦 砲艦』S56
 ※今回は前半部分。潜水艦の途中まで。
 なぜ日本の潜水艦のメッカは横須賀ではなく瀬戸内海になったか。それは、冬季の東京湾は、乾舷ゼロの潜水艦の訓練には、風波が高すぎたのである。瀬戸内海で訓練するために、すべて呉鎮守府に集めることにしたのだ。
 揚子江には、各国とも、1900頃から河用砲艦を常駐させた。外交装備なので無線が備わり、居住性を重視し、長期単独行動ができねばならなかった。浅吃水が絶対条件だが、三峡を遡行するには16ノットを出せないといけなかった。このため艦尾底はトンネル式またはリセス式としてスクリューが川底を擦らないようにしてあった。
 外交折衝に任ずる必要があるので、艦長も少佐とし、軍艦扱いとしたのである。
 ホーランドが出井謙治にくれた青写真を頼りに潜水艦を建造することを引き受けてくれたのは、松方幸次郎だった。松方はホーランドと直接交渉。製造主任として技師1人が来日したものの、その技術が十分でないので中途で解雇して、日本人の手だけで1年半かけて竣工させた。
 ドイツ戦利潜水艦は半年かけて7隻が回航された。敗戦時にドイツが残した潜水艦は140隻以上もあった。
 7隻は研究実験ののち、大10-6に、各国との協定にもとづいて、解体廃棄された。
 S4頃、日本海軍としては潜水艦に敵艦隊の「監視」および「追躡触接」を期待するようになった。この監視をぬかりなくするにはどうしても飛行機に頼るしかない。といっても基地から飛ばしては届かぬから、潜水艦から飛ばすことにしたのである。
 南方離島の航空基地防禦用として試作されたのが「第71号」潜水艦。排水量200トン。乗員13名。
 ◆  ◆  ◆
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F-22デビューの意図は何か?

 2014-9-23未明に、すくなくとも1機のF-22がシリア内のゲリラ(イスラム国)に対する空襲に参加した。F-22が投下した爆弾はGPS誘導のGBU-32=1000ポンド爆弾であることを米空軍は認めた。またDoDは、F-22の投弾によって破壊された「敵ゲリラ司令部建物」のビフォー&アフターの白黒写真をすばやく公表した。この司令部は、イスラム国が首都だと称している「Raqqah」にあるという。
 『エビエーションウィーク』のビル・スイートマン先生は、9-23のブログ(Ares)で、この2枚の画像は、いったいどうやって撮影されたのかという疑問を投げかけておられる。
 いわく。――こんな撮影はターゲティングポットでしかできない。しかしそれはF-22のステルス性を悪くする。では無人機か? ステルス性のない無人機で爆撃前に目標上空に至れるのならば、F-22を投入する必要も最初からないことになろう。無人機からレーザー誘導爆弾を投下すればよいだけだからだ――。
 これについての有益コメント。〔23コメントまで見た。〕
 ――俺はアフガンの空爆ビデオというものはこれまで全部みてきた。それで言えるのだが、内部に人がいた場合は、かならず何人か飛び出してくる。また、周囲でうろたえさまよう人物が発生する。こんどの画像にはそれが写っていない。そもそも、建物に「通勤」している司令部スタッフの乗用車が見えない。この建物はカラッポだったと断言できる。空爆はアラブのお友達から、電話で予告されていたのだろう。
 ――撮影はすくなくも24時間後だ。というのは、二枚目には黒焦げの跡はあるのに煙は写っておらず、なおかつ、影の角度が一枚目とほぼ同じである。光線が同じようになる時刻に意図的に撮影したものだ。
 写真を撮った機体が何なのかについては、このブログでは、衛星なのか無人機なのか有人機なのか、〔23コメント以内では〕結論は出ていない。
 爆撃にF-22を投じた理由については、同誌のエイミー・バトラー氏が、「Was that a Lackluster F-22 Debut?」というタイトルのブログ投稿を9-24にUpしている。
 その内容はパスする。そこにつけられた、やはり23のコメントのうち、有益なものは以下の如し。
 ――シリア政府が持っているロシア製レーダーの威力とやらを確認できるチャンスだったのさ。
 ――イスラエル機は以前にシリアの核工場も爆砕したし、ダマスカス郊外のヒズボラにだって爆弾2発を投下している。そんな防空レーダーの秘密を知るのにF-22など必要ない。
 ――2007にイスラエルがシリアの核施設を破壊したそのあとで、ロシアがシリアに新しいSAMを提供してるしな。
 ――グラナダのときと同じで、てもちぶさたの部隊と兵器が、ステージに上げて貰ったのだ。
 ――カタールあたりにF-22はローテーションで常駐しているので、使いやすかった。それだけ。
 ――イスラム国はカネモチだからなんらかの対空兵器をもっていたかもしれない。そのため用心してF-22を飛ばしたのか。
 ――これはさいきん挑発的なロシア軍に対して米軍の力をあらためてみせつける宣伝攻撃だよ。
 なんというお役立ちのコメントの数々であろうか。これを読んだ上で、以下、兵頭のげんざいの考え。
 こんかいのF-22の一挙は、2014-7-17に、マレーシア航空の MH17 便が、Buk-M1(米国防総省コードネームSA-11、NATOコードネームGadfly)に「おまかせモード」(このとんでもない仕組みについてもアレスのスウィートマン解説がわかりやすかった)で撃墜された事件と関係があるのだろう。
 あれ以来、ロシア製のSAMを買っている諸国が強気になってしまった。
 またたしかにロシア軍も調子にのってきた。
 ここで米軍が何のデモンストレーションもしないと、イランも調子づくし、イランと対決しなければならないカタール、UAE、サウジアラビアは、逆にそれを非常に不満・不快だと思うだろう。さなきだに、イラクの現政権をイランが無人機で支援することを米国は許認さえしているのだ。
 F-22に基地を提供しているカタール等の国は、こんどの一挙を見て、「やはり米軍はあの飛行機を対イラン戦(その他)で使ってくれる。そしてそれは有効なのだ」と確信できたであろう。
 シリア政府のもとにはロシア人のSAM支援チームが常駐していると思われる。彼らにも、F-22は、何か(報道されていない)を、見せ付けたのであろう。
 米空軍はこう言いたいはずだ。「おまえらの捜索監視レーダー(9S18M スノードリフト等)には何も映らなかっただろ? わかったら、今後は調子に乗るなよ」と。
 シリア軍の防空システムなどたいしたことがないとイスラエルが証明済みであるからこそ、安全に、ロシア人技師に対する「警告」を与えられたのだ。それは大きなメリットではないか?
 ただし、もし今、F-35が実用化されていたなら、米空軍はF-22をひきつづき「秘密兵器」として温存して、F-35に作戦させたかもしれない。F-22が実戦で基地を飛び出すさいの通信その他のプロトコルを解析されてしまうのは、やはりおもしろくないはずである。しかし軍司令官や高級文官たるもの、F-22部隊やその受け入れ国の士気というものも少しは考えねばならない。もうこのへんが「曝し」の潮時だと判断したのであろう。


「サーベランス・ソサィエティ」で何が悪い?

 ドライブレコーダーが普及したことで、見過ごされずに「記録」された道路交通法違反行為は、さぞ多いであろう。
 かたや、「ドライブレコーダーのせいでプライバシーが侵害された」と文句を垂れている奴は聞かない。それは人の家の中まで覗き込めるような撮影装置ではないからだ。
 一方では、ドライブレコーダーを装着した運転者本人の「行儀」が改まった、という、思わぬ効果が、運転者の家族や周辺者の福利に貢献しているはずだ。そう、住民個人による公共空間監視行為は、その個人をも、責任ある「市民」にするのだ。
 わたしにいわせれば、ドラレコの普及に「優遇税制」を適用しない交通行政は、ずいぶん非合理的だ。金額的には有限なのに、達成される安全、救われる人命は、はかりしれないのであるから。
 まったく同じことが、「自動録画機能付きテレビドアホン」や「自動録画機能付き玄関前監視カメラ」についても言える。
 わたしはこの主張をもう2009年から繰りかえしてきた。
 このたびの関西における未成年者誘拐殺人バラバラ死体遺棄事件を聞いて、政府からの監視を毛嫌いして自治体による監視カメラ増設にも常に反対をとなえてきた心やましい「贋市民」どもにも、ようやくどこに「安全の理」があるのかが、呑みこめるであろう。
 この犯罪も、コンビニの駐車場を昼夜見張ってコマ撮りしているような安価な監視カメラがもっと街路に普及していれば、予防することができたのだ。
 昔の家主は、じぶんの家の前の道路の掃除に責任を感じていた。陶器片や折れ釘などが落ちていては、草鞋履きの通行人が怪我をするかもしれないからだ。
 現代のビルのオーナーと持ち家の住人は、じぶんの建物の前の道路を昼夜にわたりビデオ録画するのが、社会基盤をよくする貢献ではないか。地所持ちにとって、その金銭的負担は、比較的些細であろう。
 もし、地域を震撼させるような猟奇事件が発生したときに、玄関前監視システムの設置者が、それらの録画画像を任意でインターネット経由で警察に提供できるような慣行を、普及させるべきなのだ。犯人は、公共の道路をなにがしか使わずには移動はできまい。そのあしどりが全部、ビッグデータから拾われて、辿られるであろう。
 住民個人による任意の画像記録提供がなされて、それがビッグデータとしてつきあわされ、つなぎあわされるという手間のかかる処理工程を経ないかぎりは、誰かの無害な一日の行動のすべてが逐一世間に知れ渡ってしまうといった「個人のプライバシーの過度な報告」の問題は、生じない。
 このような地域システムは、(即日に日本を離れる予定の外国人犯罪者たち以外の)あらゆる猟奇犯罪を、それがその地域で実行される前に、抑止してしまえるであろう。


中共は「サハリン『独立国』化運動」を けしかける

 つくづく日本はオイルもガスも出ない国でよかった。
 そんなものがもし「X県」にだけ偏在したら、X県民は「X国」として分離独立しようと騒ぎ出したにきまっているからな。
 なにしろ石油か天然ガスがふんだんに出てくるのなら、その地方の税源はその販売事業に課税するだけでもぜんぶ足りてしまう。年金問題も一切解決。一般住民はオール無税。水道料金も電気代も自動車燃料もメチャ安になるだろう。
 人びとが独立したくならぬ理由が何もない。
 スコットランド人が独立したくなるのも当然だよ。もし北海道沖に巨大油田が噴出してたらどうなるかを想像してみって。
 沖縄県民、ざまあみろ。尖閣沖の海底に大油田なんかありゃしねえんだよ。あったら台湾が死に物狂いで獲りに来てるって。
 「イスラム国」も、石油のあぶく銭がつくった。シリアとイラク北部の油田には昔から「密輸出ルート」がある。トルコやヨルダン国境を、堂々とタンクローリーで超えられるんだ。国境の衛兵にカネを掴ませれば、簡単にパス。もちろん原油の売価は超ダンピング。5割、7割引きで捌くのもあたりまえ。ちゃんとそうした違法物資の転売ルートが、中東には昔からととのいまくっている。そしてそのくらいダンピングしても、売り手のISILの手には、1ヶ月に300万ドルも入ってくる。その他、身代金稼ぎと、新占領地の財貨や古美術品の転売でも稼いでいる。しかし大宗は石油だ。石油のおそろしさがわかるだろう。だからシェール革命というものが起きたあとでも、米国は、一瞬たりとも全世界の産油地帯から目を離すことができず、これからも中東にも、ずっとコミットし続けなければならないんだ。
 この月収300万ドルという値から逆算して、1人の兵隊とその家族に月給100万円を支払えるのがイスラム国の強みなのだとすれば、ISILのコアメンバーは1万人で、そこに吸引されてきた他の貧乏ゲリラグループも合計しても3万人弱の勢力だろうってことが、推定できるわけだ。
 そして、彼らが、あらたな油田を占領することができなければ、これ以上、「イスラム国」の兵隊は増えない。支払える給料の原資が増えないからね。サウジはホッとしているだろう。
 スコットランドが独立すると、西岸のFaslaneに1箇所しかない英海軍のSSBN用軍港と、その8マイル内陸にある核弾頭保管工場から、英国は、スコットランド国政府のいうとおりに、2020年までに出て行かなくてはならない。
 代替地は、無い。水深の深い軍港をひとつつくるのに20年弱かかる。そしていまどき、核兵器整備工場をうけいれてくれる村など、イングランドのどこにもありはしない。
 そこで、SSBNのメンテをずーっと依存してきている米国ジョージア州のキングズベイ軍港を母港化したらどうかという話がでている。だがそうすると、英国が独自に4隻のSSBNを建造して維持し、トライデントSLBMを米国からリースしてもらい(この紐帯はポラリス時代から続いている)、自前の弾頭を装着して、NATOのために対露抑止力を提供している意味が、もうぜんぜんなくなってしまう。
 だがロシアはこれを見て笑ってはいられない。
 次にあぶないのはサハリンだからだ。サハリンは、いつでも独立できるのだ。石油とガスがある。とうぜん、シナ人はそこに目をつけて、まず内部運動をけしかけたいと思っている。そうはさせちゃなんねーと、プーチン氏は絶東に次々と最新の艦艇を送り込んで、「モスクワは決して絶東住民の福祉をあとまわしにすることはない。軍事面でも投資し続ける」とアピールに出精せにゃならぬ。フランスから買う予定だった『ウラジオストック』(ミストラル級)の目的も、サハリン独立運動の制圧にあった。その商談はペンディングされている。シナ人は「大チャ~ンス!」と思っているかもしれない。
 石油は、どうみても、日本人以外のすべての国民を不幸にしているじゃないか!