真相はかうだシャーミン

 那覇防衛施設局はじつにご苦労さまですね。<いまさら辺野古の沿岸埋め立て案は変えられない><内陸案などあり得ぬ><計画した滑走路の角度を変えればまた別な市街地がアプローチコースの下になってしまうから、角度も変えられない>なーんて趣旨の説明を、嘉数高台でわれわれにしておいてですよ、その同じ日に、読売新聞の記者さんには<埋め立て場所は、沿岸よりも少し沖へずらす><滑走路の角度も少し変える>と観測気球リークですかい。
 官僚や官僚出身の政治家がどうして日本人を幸せにできないかお教えしましょうか。試験エリートの秀才官僚には、自分より頭の悪い国民と運命をともにする覚悟が自然にはできないのです。子供のときから泳ぎを知っている漁労の民が入水自殺はできないのと同じなんですよ。
 そこで、万一国家が傾いても、自分ひとりだけはカネと地位と名誉と法的安全と家族の将来の安心を確保するという「泳法」を、無意識のうちに採用してしまう。
 徳川幕府は、終始ついに、シナ王朝からの政権承認を欲せず、求めませんでした。シナからは「日本政府」として公認はされていなかったかもしれないが、その必要が無かった。
 シナとの交易で得られそうな金銭的メリットは、将来の大陸からの間接侵略のデメリットを下回るだろうと、適確に判断したのです。大見識でしょう。
 いったい、わが国の過去の歴史の中で、いくつかの行動的な貴族や武家が、どうして、ただの秀才博士よりも、日本人を幸せにできたのでしょうか。
 それは、彼らは命を的に、体を張ったからです。それで衆望とカリズマを得た。
 命を賭けた行為が、リーダーがフォロアーたちと運命をともにする覚悟があることの簡単な証明になっていたでしょう。
 権力者が国民と最後まで運命をともにすると思われればこそ、民心も支持した。また、そのような支持をうけている政治指導者には、国家を傾けるような真似もできにくくなった。
 ところが、ただの試験エリートの秀才官僚は、そうはならない。
 もう今や日本の人民は、国家を牛耳っている高級官僚が、最後まで国民と運命をともにするつもりなどサラサラないことに、すっかり勘付いてしまいました。だから、おそらく消費も回復しっこないでしょう。
 せんだって収録をした鼎談で伊藤貫さんにもしつこく尋ねたところですが、「スポイルズ・システム」、「ポリティカル・アポインティー制」の日本への導入が、即刻必要なのです。これは小泉氏にも前原氏にも分かっています。現政権と次期政権の天王山はここなのであると。党人による対官僚の討伐戦が、マスコミ的には目立たないが、粛々と進行中なんじゃないですか。
 普天間問題ではどなたも事実を指摘する勇気がありません。国民と運命をともにする気がある奴が、この問題でも、鮮いのです。
 日本はGNPの3%、つまり世界平均の国防負担をすることに決めれば、そもそも米海兵隊に沖縄に駐留していてもらう必要がありません。米海兵隊が沖縄(または日本国内のどこか)にいるかいないか、で、日本の対支抑止力が致命的に変わることなど、今日ありえない。
 ですから日本政府は米海兵隊には、「今年一杯で出て行ってくれ」「シナと戦争になったら、いつでも適当な基地を貸すぜ」と申し伝えるだけで良いはずです。これを指摘できない理屈は百も二百も挙げ得るだろうが、国民と運命をともにする勇気があるのかどうか、まず己れの胸に問うべきです。
 米国防省の秘めている「リアルな計算」と、米海兵隊がする「公式発言」は、大いに違いがあるでしょう。米国防省は、海兵隊が沖縄におらず、グァムまで退がっていても、日本人と台湾人にシナ人以上のガッツがありさえすれば、シナ人が増長することはないと考えています。
 海兵隊の本音は、資産防衛です。既得の沖縄基地と「思いやり予算」は、彼らの長年親しんだ権益になってしまい、いまさら手放せないのです。なんだかんだと戦略的な理由をこねあげますが、それはすべて仮定の上の仮定にすぎず、核武装など、日本人の意志力によって前提が覆るものばかりでしょう。それにあえて論駁せぬのは、やはり日本側の担当者に、日本国民と運命をともにする気がないのです。
 辺野古の海には、台風時には波高15mの破壊力が押し寄せますので、沖にヤワな構造を浮かべただけでは1年で壊れてしまうといいます。防波堤が必要なのです。
 しかし、どうせ恒久設備ではないと考えれば、防波堤もまたメガフロートとし、浮体滑走路本体も、連年修理を行なうという方式でスタートさせることができたはずでしょう。
 そうすれば、ハシモト政権が簡単に考えた普天間基地の廃止そのものは、とっくに終わっていた話です。
 メガフロが選択されなかった理由は二つあると疑われるでしょう。ひとつは施設庁の上層が、われわれが想像するとおりに、土建利権にすっかりからめとられていて、地元土建業者が参入できないメガフロを排除する必要があった。日本の鉄鋼産業の政治献金力などは土建屋にはまったく敵わないということでしょう。簡単に数億のキックバックが捻出できるほどに、日本の公共土建はムダだらけなのです。
 もうひとつの理由ですけれども、普天間基地に私有地を貸すことで毎年何百万円も国から貰い続けられる基地地主たちの意向がありましょう。普天間滑走路の地下は石灰岩質で空洞(鍾乳洞)が無数にある。すぐにリゾートホテルなんか建てられない土地ですので、返還と決まれば、大損なわけです。
 ちなみに沖縄の個人所有の基地用地は、いまや「債券」化しております。堂々と売り買いされている。ゼロ金利時代には、沖縄の基地用地は、金の卵を産み続けるニワトリですよね。なにしろ文字通り、労せずして、防衛庁から毎年数百万円が振り込まれ続けるのですから。
 沖縄の商売人にとり、一生かかって用意した資金で最後には基地用地を買い求めて、それで隠居するというのが、理想とするフィナンシャル・プラニングだそうです。
 ただし基地用地の値段は、基地が返還されるという話が出るだけで変動します。返還後にすぐにリゾート開発ができれば良いですが、そうならない場合は、どうなるか。現在は、嘉手納の基地用地の売値がいちばん高く、普天間はたいへん下落しました。
 あるいは、沖縄で死んだ堀江氏の側近も、こんな基地用地の話に興味をもったのではないだろうかと、ふと思いました。嘉手納クラスの軍用地であれば、これは株よりも確実でしょうからね。
 海兵隊は「有事の航空基地使用」の便宜供与の約束だけを日本政府からとりつけたら、もう黙って沖縄からグァムに全部隊を引き上げるべきなのですけれども、その「そもそも論」を措いたとしましても、あきらかに筋の通らない話があるんです。
 すなわち、いったん地元と同意した、「辺野古の沖合い埋め立て案」が、ごく少人数の反日活動家に妨害されただけで、ボーリング調査を全面的に不可能にさせられ、そのまま、あっさりと計画そのものがご破算にされてしまったことです。これに米軍が不信感を抱くのは当たり前ですね。そして日本政府もこんなマネを前例化させたりしたら、それこそ大禍根になるでしょう。
 その「妨害」というのは具体的には、舟から人(本土から来ている共産主義者)が、調査しようとしている水中に飛び込むわけです。この水中に飛び込んだ中共の手先をうまく排除する方法(またはやる気)が、海保や水上警察にはないらしい。「巡視船や警備艇のスクリューでまきこんでミンチにしてしまったらマスコミがうるさかろう。それは厄介だ」という理由で、排除を試みないのです。
 こんな理由で犯罪人の不逮捕が罷り通るなら、日本は法治国家じゃなくなりますよ。
 まず海保はなぜ水中逮捕術を有しないのか? シナのフロッグマンが大挙して離島やオイルリグにおしよせてきたらどうするつもりなのだ?
 スクリューのない警備艇だって簡単にできるでしょう。櫓で漕げって言うんですよ。
 もうこれは地元警察または政府機関の構造的または組織的怠慢なんですよ。「政府の責任」「公に為した約言」が果たされていないわけです。とてもじゃないが、本件では政府側の弁護はできない。米軍が怒るのがあたりまえです。
 辺野古岬の北隣の大浦湾には軍港はできそうもないですね。水深40mは立派ですが、そこに入るまでにリーフがあります(平島、長島を結んだ線の延長上)。このリーフの一部を深々と爆破して除去しませんと、喫水の深い船(高速双胴船など)は辺野古岬の北岸に接岸できないのです。
 ジュゴンの藻場などどうでも良い話です。シナ人が沖縄を支配すれば、ジュゴンはぜんぶ喰われてしまいます。
 げんざいの沖縄の就職先人気No.1は米軍基地従業員です。その従業員がなんと米軍基地反対デモにも参加しているそうです。戦後の日本政治の欺瞞は、沖縄には露骨に健在です。

重投のお詫びのしるしに沖縄遍路してきますた。ヨカッタヨー

 あ、ありのまま、三日前に起こった奇跡を話すぜッ……。花粉症が治っちまったんだッ!
 オレは昭和59年4月に横浜で突然、花粉症になったッ。古い木賃アパートの新しいタタミ6畳に、わざわざダニ殺しのスプレー薬剤を1缶ぶちまけちまッたのが、思えばそのきっかけだッたに違ぇねえッ。
 いらい「ストナリニ」という抑制剤なしでは関東の2月~5月は過ごせなくなったッ。
 ひどいときなどはッ1日1錠が基本のこの薬をッ1日に2錠飲んでもッ、夜は鼻づまりとクシャミで熟睡できずッ、昼は副作用で朦朧状態ッ。花粉が消えるとッこんどは7月~9月の夏の暑さッ。オレが北海道を気に入ってる理由がッ分かるだろうッ。
 聞いてくれッ。いま女房の奴は、擬似ヒっキー状態で仕事をしているオレの三食をッ完全にコントロールしてやがるんだッ。「母乳に良い」とかの妙な信仰に嵌まッてッ、晩飯はいつも魚……まあ、嫌いじゃないからそれは良いんだがッ、驚くじゃないかッ、そんな生活が半年続いた結果ッ。1~2年前に生涯ピークの73kgまで増えていたオレの体重はッ、1週間前に計ッたらなんと61kgに落ちていたんだッ。二十歳台でッ自衛隊に入る前の体重にッ戻ッてたことになるぜッこれはッ。ちなみに除隊時の体重は64kgぐらいと記憶するッ。身長は170で変わりはしねえッ。
 み、三日前ッ、オレは上京したッ。するとどうだッ、ちっとも鼻水が出て来ないんだッ。くしゃみが三回くらい出ただけだったッ。
 昨夕は杉の木が無い那覇からU-4(あの堀江にいちゃんの自家用ジェット機の自衛隊版だぜッ)で強風の入間に戻ッたがッ、やッぱり花粉症の症状はあらわれなかッたッ。そこから夜行列車で北上する間もッ何でもなかッたッ。
 つまりッ、オレの約20年来の花粉症はッ全くとつぜんにッ治ッちまッたらしいんだッ。去年までは「ストナリニ」は春の上京時の必備品だッたんだがッ。
 総合的に推理するとッ、こういうことなんだろうぜッ。花粉症の発症や沈静にはッ、排気ガス環境やストレスなどのッ複数の原因要素が考えられるもののッ、筆頭要因として作用している決定的なファクターはッ、やはり食い物(それには酒も含むッ)の量と質がッ現時点での本人の生活にッ「マッチ」したものかどうかッ、その「バランス」なんだと言えるんじゃねえかッ。
 ちなみにオレはッ、家の中ではアルコール抜きの生活に切り替えてッ、もう1年半近くになッているッ。
 花粉症は一度罹ッたら一生不治の病かと思ッていたがッ、そうじゃなかッたッ。同病の諸君の為にッここで証言しておくぜッ。

テスト

 ファイアーフォックスのツール>オプション>プライバシー機能で、なんでもかんでもoffにしちまうと、このエントリー欄を開くことすらできなくなることに気付きますた。
 重投となりましてお詫びします。

官僚組織は反撃の両翼を延伸して政治家個人の隙を衝く

 総務省(旧郵政省)と特殊法人NHKがリストラ廃業圧力の風をはねかえそうとして、海外宣伝放送を税金を使ってやろう、なんて画策しています。
 そもそも「説明責任」の文化がない日本の役人に「対外宣伝」などはぜったいに無理ですし、高級官僚とNHKは反皇室主義者たちなのですから、これを許したら日本人の税金による日本国の破滅がいっそう加速されるだけでしょう。
 かつて外務省の駐米大使がアイリス・チャンとの公開TV対決でやった「弁護」は、なんと南京大虐殺を事実として認めることでした。
 もし役人に対外宣伝をプロデュースなどさせれば、日本の立場は逆に必ず悪くなるのは目に見えているのです。
 役人に宣伝センスはありません。そしてそれ以前に、自国の歴史を知りません。
 自分より頭の悪い国民と運命をともにする気がないのが、試験エリートの高級官僚の本質です。だから祖国を弁護する熱意もないんです。自身の弁護だけできりゃいい。
 彼らの頭の中にあるのは、いかにして愚民の税金を使って自家の権勢と終身福利を楽に安泰に確保するか、それだけでしょう。
 フランスのアンテヌ2や英国BBCは、とっくにインターネットで複数のニュースを世界中に提供しています。これを視る人は、なにもフランスや英国の文化が知りたいわけじゃない。中学生が深夜に短波ラジオにかじりついてべリカードを集めていたような、もうそんな時代じゃないですよ。
 NHKもTV第一でオンエアした首都圏版の国内報道クリップをそのまま音声だけバイリンガル化してネットキャストすれば、げんざいの予算内で完全にやりくりできます。NHKという時代錯誤の特殊法人にこれ以上、勝手な事業をさせてはいけません。
 並木書房の新刊の『日本刀真剣斬り』につきまして宮崎正弘先生のご高批をいただいたとは望外の光栄です。じつはわたくしも、昨日やっと原作シナリオを書き上げました劇画『2008年 日中開戦!!』(夏までに刊行される)の構想では、宮崎先生のメルマガおよび最新のご著作から得たイメージを活用しました。まあ多分わたくしは一生シナには観光旅行はしないでしょう(故・江藤淳も、絶対にあそこには赴かぬと人に語っておられた)。今後も、現地に詳しい方々の文章によってわたくしはシナのイメージを掴むしかありません。でも、かつてとは違って、今はリアルなリポートをしてくださる方々が多いのが助かりますよ。
 『日本刀真剣斬り』の企画人ならびにインタビュアーとしてのわたくしの大きな興味の一つは、昭和40年代末から50年代にかけての、初期の戸山流道場の実態についてでした。特に、中村泰三郎氏についてお聞きしておきたかったわけです。
 そもそも籏谷師は27歳のときに仙台から上京されて戸山流振興会に入門されたそうですが、それは中村氏の道場ではなく、小板橋道場だったという。
 この小板橋氏と戸山学校との関わりが、結局わからない。小板橋氏は戦時中は将校で剣道人だったそうです。そして戦後に自衛隊に入り、定年後に大和市で日本飛行機の寮長をしつつ、剣道を教えていらした。それしかわかりません。
 で、その時代の雰囲気なんですが、当時は少年の間にかなり「スポーツ剣道」が流行っていたんですよ。(誰か剣道マンガの出版史を書いてくれ!)
 ただし、まだ日本は高度成長期の途中段階でしたから、剣道家にだって経済的な余裕がない。「武道具屋(刀屋含む)」も、その剣道家に劣らず、暮らしがたいへんだった。
 それで、剣道家の中には、武道具屋を「食わせてやっている」という態度が出る人がいた。中村氏はそういうタイプであったようです。
 武道とは別に正業を持っていれば、武道を純粋に追求できるのかというと、そうでもないでしょうね。正業があるから逆に貪欲になるんだという場合だって、とうぜんあるはずですね。中村氏の本業は不動産業だったそうですけども。
 当時、段位を1段につき1万円で売る(5万円だせば道場生でない町の親父に対してでも5段の免状をいきなり与える)といった乱暴な剣道商売が、日本にはじっさいにあったようです。今はインターネットと自由な掲示板のおかげで、マーケットに「良い道場」と「悪い道場」の情報がよく供給されますから、利用者のニーズに合った選択が昔よりは容易でしょうね。
 今回は本に載せなかった実験もいろいろとしています。そのうち「絵」にならない実験写真は割愛しました。そこで有益な知見も得られていますので、おいおいどこかで語ろうと思います。たとえば日本刀を皮膚に接触させた状態から、片手のみで前方に「押し切り」をした場合の威力ですが、そこが皮下の動脈のあるところでない限り、とても重傷は与えられぬようだという印象をうけました。これは追試をしたいですね。
 慶長期の初期柳生流には、敵の腕の内側の動脈を両手持ちで押し切りにする形はあったと見ていいだろうと思います。そして『五輪書』にその形が出てこないのは、片手押し切りの実戦性がほとんどないためだと、いまは考えたいと思います。
 江戸城内での刃傷の目的(=敵の命を奪う)の達成例は、斬った場合は大概失敗で、刺したものが圧倒的に成功しているようです。
 としますれば、もし刺すことだけを考えたならば、脇差などを抜いて用いるよりは、匕首を密かに懐中しておいて奇襲した方が合理的ですよね。しかし、当時の武士はそれをしなかった。
 これはなぜかと考えますと、武士には、武士の道具を扱う腕前を世間に誇りたいという名誉心があった。匕首で刺したのでは、その評価がゼロだと思われたのでしょう。
 幕末の京都での下級武士同士の暗殺。これも匕首などは使われていません。やはり、足軽や浪人であっても、武士としての刀術の腕前を世間に誇りたかったのでしょう。
 昭和28年刊の塚本清著『あゝ皇軍最後の日』(陸軍大将田中静壹伝)に、大正11年頃の奥元帥の逸話が紹介されています。奥元帥は、夜は必ず小太刀を枕元においていた。そして夏の蚊帳の裾には紐をつけ、その端を手元に置いて寝た。もし賊が忍び入って蚊帳の吊り手を切り落としても、蚊帳にからめとられることなく、脱出ができる用心だったといいます。
 それと、本書には、今村均の興味深い証言もあります。1918~19にかけ、経費節約のため、東京から欧州の武官にあてる電報は、すべてロンドンへ打ち、ロンドンから転電することにしていた。そのさい、暗号を一回翻訳し、また組み立てなおしていた、というのです。
 元・野外暗号モールス通信員として断言しますが、これをやったらどんな暗号でも、傍聴国(英国)の数学者チームによって解読されてしまいますよ。時間はかかりますけどね。
 背景について解説しますと、ドイツの支配する海底電信ケーブルは英海軍によって開戦直後にワールドワイドで切断されていて、ドイツと海外とのリアルタイム通信は無線しか使えなくなっていたのです。そしておそらく英国は、外国(特に日本のような電気通信後進国)の通信情報を効率的に傍聴する目的で、自国が支配する海底電信ネットの利用価格を敢えて吊り上げずにいたのではないか。エシュロンの前駆形態はもうワシントン会議の以前から、ヤードリーの以前からあったのです。「エシュロンはおいしいぞ」と英国人に知らせたのは、じつはマヌケな日本の陸軍省であった。
 この時期の日本の武官電文や武官暗号のクセを英国は承知した。その知的資産は、昭和期の日本の暗号解読にも大いに役立てられているはずです。
 無限特乱いがいの暗号は、理論的に、いつかは必ず解読され得ます。問題は、解読資源(人と時間)は有限だということです。戦前はスーパーコンピュータがなく、数の限られた数学者チームが、たいへんな時間をかけて一通の暗号電文を解読せねばならなかった。だから、解読作業の前に、数ある傍受電報のなかから、まずどの電文を優先的に解読するかの第一段階の判断を、スーパーヴァイザーが想像力と経験によって下さねばならない。無駄な雑事務の電報やりとりなどに貴重な解読資源を浪費してしまい、もっと重大な国益にかかわる電報をスルーするようなことをしていてはしょうがないからです。
 軍事作戦電報は、それを解読した時点で、もう命令が実行されてしまっている場合が多い。解読が徒労におわることが多いものですから、しばしば外交電報よりは後回しです。
 有名なコベントリー空襲の成功も、英国が肝心の作戦命令の暗号解読をたまたま後回しとしていた結果、間に合わなかった、という可能性があるのではないでしょうか。そして表向きは「事前に知っていたがわざと対策をとらなかった」とフカしているのかもしれませんね。
 しかし外交系の電報は、時間をかけて解読する価値がある。長期的に、無駄にならないのです。

『日本刀真剣斬り』の小見出し大全

●日本人はいつから真剣が使えなくなったか
●「条約改正運動」の悲願
●真剣で人を斬り殺すことの難しさ~~大津事件
●相沢三郎中佐の失敗
●戸山学校は軍刀術をどう変えたのか
●軍刀の製作指導がなっていなかった
●目釘の大事について
●旧軍はシナ軍の「流派」を研究していたか?
●戸山学校の剣術が「最先端」だったことはない
●三島事件について
●平安時代の騎馬戦術について
●源平時代の合戦と日本刀
●近世における日本刀
●新撰組と刀剣
●鎧と鎧の重さ
●剣術のトレーニング法について
●弓箭および保呂について
●保呂とはいったい何だったのか?
●小太刀の機能について
●鞘について
●小柄[こづか]は手裏剣ではない
●戦場での刀剣手入れについて
●自傷の危険について
●対騎兵の戦技と馬面について
●馬術訓練について
●『寛永三馬術』について
●宇治川の梶原景季について
●鞍の素材について
●側対歩について
●介者は左右が逆?
●鞭について
●馬の繁殖について
●馬の戦略機動について
●いわゆる正宗論争と時代背景について
●鎌倉刀について
●刀の研磨について
●刀の製造について
●刃紋を見て鑑定できるか
●最長の刀について
●長柄の武器について
●洋鋼の長所について
●銘および文様について
●樋[ひ]について
●古代の日本刀について
●青銅剣の意外なメリット
●「丸」と「号」について
●石井昌国氏について
●武道教育について
●研ぎ職について
●血の処理について
●フィジカル・トレーニングについて
●礼について
●TV時代劇について
●演武での「一本差し」はやめるべきである
●真剣に対する者の最低のたしなみについて
●下げ緒について
●真剣斬りをたしなむ人口について
●「戸山流」に謎の多い理由
●複数の戸山流の団体について
●目貫について
●田辺哲人氏の達人ぶりについて
●最後の古武士・奥澤圓師
●居合いの形だとどこまで斬れるものか
●乾いた竹を直角に斬ることはできない?

張学良は耳が不自由な人だったのか?

 引越し直後で郵便・宅配便ともに混乱しておりましたが、ようやく『諸君!』が届きまして、あらまし目を通すことができました。(しかし『文藝春秋』本誌と『中央公論』はまだ届かん! 住所変更しとくれよ~~)
 中西輝政先生は『諸君!』でも「張作霖を殺ったのはソ連の工作員だ!」と、フィーバー is high 状態ですた。
 先生、そろそろ Calm down してくださいましよ。
 戦前のシナ人が虚実の情報(他人のも、自分のも)をハンドルしていたノリについては、夏文運『黄塵万丈』(S42年刊)という本などが参考になります。
 確かに言えますことは、自分の実父や実母を殺した真犯人について死ぬまで誤解しているシナ人の大物なんてあり得ません。必ず真実の「風聞」は、まあ遅くも2年以内に関係者には達するでしょう。それがシナの情報環境じゃないですか?
 (とうぜん、1937南京屠殺の場合は、ウソと知りつつ、わめいているだけです。)
 また今回感心したのは月刊『正論』誌上で藤岡信勝先生が、某重大事件ソ連工作説などは信じ難いというニュアンスの公正なコメントをつけていらしたことで、疑わしいポイントが適確に指摘されている。この御方は冷静ですわ。
 それともう一つ、雑誌と関係なくて偶然に見直しましたのが、故・司馬遼太郎氏が『菜の花の沖』の中で、日本の文化のコアに南洋文化があることにつき、褌[ふんどし]を例として解説していたことです。さすがは大先生だけあるぜよ。
 ガセ(この語源は gossip)に舞い上がって大コケしてしまう人間の心理を考えてみますと、やはり「特別扱いされた」ことに、人は防禦壁を崩されてしまい易いんでしょうなぁ。
 「この情報は先生に最初にお知らせするものですが……」なんて言われると、「よし、この特種紹介でオレは名をあげられるぞっ」と計算してしまう。もうあとは冷静ではいられません。欲心から期待がどんどん先走っちゃって。
 政治家さんも同じでしょ? 小泉氏は皇室典範改変騒ぎでは、どうも旧厚生省の役人に操縦・使嗾されたのではないかと『諸君!』で秦郁彦先生が示唆しておられた。これもあり得そうな話だなと感じ入りました。
 「先生に最初にお知らせ」という、ご注進・ご進講のカンケイを濃厚に構築していた役人たちだったら、首相となった元厚相(元ボス)に、何を吹き込むこともできるに違いない。政治家は彼ら下僚を信用することで名を売り出してきたんですからね、ずっと。もう習い性です。
 このように、小泉氏のように選挙で圧勝できる長期政権のリーダーでも、役人には簡単に操縦されてしまうのです。これは、日本の公務員のクビを政治家が勝手に切れないように定めている日本の法律がおかしいためでしょう。この法律は有害です。
 個人は活動期間が有限です。政治家は任期が有限です。組織は無限に存続します。その組織をバックにし、活動期間が無限に保証されている高級役人に、個人の政治家が勝てるわけがない。勝てるのは共産党や公明党のようなシロアリ社会政党だけ。そんなのが勝っても日本人は幸福になれません。
 政権の役職にある政治家は、現役の高級官僚のクビを、いつでも、何の理由でも、即座に切れるように、いますぐ法律を変えねばなりません。またその逆の「ポリティカル・アポインティー」(政治家による高級官僚ポストの政治的任命)も可能でなければならない。
 さもないと「改革」などできない。とんでもない「満州国」ができかかっているんですよ、すでにもう。
 各省庁が独立の主権国家のように手柄と権益を競い合い、高級官僚が日本国の富を食いつぶす。諸外国とも、省庁単位で、勝手に連絡をとり合う。試験エリートの役人たちは、頭のよくない国民と運命をともにする気はさらさらないので、国家指導部に、求心力・カリスマはゼロ。したがって、草の根からの国防力はゼロ。これが「満州国化」です。
 選挙で選んだ政治家が狂った政治を進めて国民がひどい目に遭うというのなら、これは自業自得で納得するしかないのです。
 しかし選挙で選ばれておらず、政治家が自由に任免もできない秀才官僚が、政治家を(個人の寿命を超えて永続する)組織力を梃子にして操縦して、祖国をあの満州国のような自滅に誘導することを、どうして国民は許せるんですか?
 この正当な怒りを言語化するのは評論家の仕事だと兵頭は思いますが、日本の役人のすごいところは、会社員の新聞記者や、自由業のコラムニスト/コメンテイターにまで「この情報は先生にだけお知らせするんですが……」の工作を仕掛けて、籠絡してしまうことです。
 巷間の著名批評家たちの小泉ヨイショ(皇室典範は改正してしまえ等)も、小泉タタキ(郵政改革は悪しきネオリベだ等)も、どちらも役人発の耳打ち工作を、確かな全局的な証拠資料を入手した(あるいは、乃公のみが理解・把握できた)ものと早計にも信じ込み、気負いこんで、踊らされてるだけでしょう。あきれたものです。
 しかし希望の光はある。『諸君!』に載っていた、若い大学の先生の文章には感心しました。(わたくしはすぐに本を捨ててしまうので、なんという人であるか、思い出せないのが恐縮です。)目次的には扱いが後ろの方でしたけども、巻頭近くのコンテンツより数等善い。一読して晴れ晴れしい気持ちになりました。雑誌編集部の判断力までは曇ってはいないのだな、と、お見受けします。

みにみににゅーすぅ

 雉だ! 雉が3羽!
 窓を開けると目の前は、護岸いっさいナシのワイルドな川です。道路はウチの前までで行き止まり(直進すればそのまま谷に突入する)。どこか遠くの温泉旅館のような風情です。よ~し、パパ、こんどは釣りにチャレンジしちゃうぞー。
 その対岸には小学校のグラウンドが遠く見えるのですが、その手前がずっと「荒野」。まだ雪が数十センチ積もっているその荒野を茶色の羽毛の雉のような体形の鳥が悠々と歩いているのでした。遠景には道南の低山がロッキー山脈のように望まれる。
 ところがこの温泉旅館みたいな貸家から歩いて15分ほどで、「産業道路」と称されます、郊外型店舗が軒を連ねた4車線バイパスに出ます。ありがたいことに書店もあるではないか。
 さっそく部屋に大きな市街地図を貼ろうとしたら女房が、「今後はそういうのは禁止」との厳命です。この借家は築三十年近いのですが、リフォーム直後で新築のようにも見えますので、大いに元気になりまくりやがり、もうインテリアなどに凝り始めている。どこが「元修道女」じゃ! 質素実用を本旨とした俺様のいままでのライフスタイルが間違いかよ? 「その地図には一年間我慢してきたがもうダメ」だと? わかりましたよ。じぶんの仕事部屋に貼りますよ。
  並木書房からわたくしの新刊。『陸軍戸山[とやま]流で検証する 日本刀真剣斬り』(だったかな、タイトルは?)が出ました。7日から10日にかけて各地の書店に並ぶだろうと思います。籏谷先生との共著です。軍刀や殺陣を研究する人が一度は目を通さねばならない資料になると自負しております。
 それとビックリしたんですが、並木書房で小松直之さんのマンガの企画が進行してたんですねえ。新刊の折込広告をどうぞごらんになってください。
 小生の『2008年 日中開戦!!』は、倉橋さんという、信州にご在住の作画家さんとコンビでやることに本決まりですわ。いやぁ、サン出版のコーディネイト能力を見直しましたよ。
 あと、旧称「史料英訳会」があらたまりました、ホワイトプロパガンダの非ボランティア・スキームの方ですけども、サイトも改築されました。 今後は http://hassin.sejp.net/ に、アクセスをおねがい申し上げます。

しじじゃ、ないですか・・・

 ゴールドメダリストの成田到着日まで病院に退避して謝罪会見を延期し、しかも14時45分スタートですか。夕刊紙には間に合いっこないし、17時15分以後は成田の映像が入るだろうし、夜9時前後のニュースでは尺が分散しますよね。
 一言以って之を約さば、 せ こ い …。
 高級官僚が役所を辞めて政治家等の個人商店を開業すると、仕事の打率がガックリと低下してカラ振りだらけになるようなケースがまま見られます。誰がそうだとは申しませんが、巨大な役所は、さすがに所属する個人の打率を上げさせるためのサポーティングのノウハウを揃えたシステムであったということが察せられる。もちろん役所の試合数は民間に比べて少なすぎるんですがね。
 政党に、所属代議士の情報処理を適切にサポートするシステムがないらしい。そして個々人の代議士も、独立して個人プレイができるほどの情報処理のセンスをもっていない。これでは困るじゃないですか。みんな忙しいんですからね。いい歳して勉強し直すわけにもいかない。
 いいアイディアがあります。各省庁が、独自のお抱え政党をひとつづつ創るのですよ。そして省庁OBをみんな政治家にしてしまう。いちおう念を押すと、これは冗談です。
 

同じフレーズに異なった意味が与えられることの危うさ

 R・ベネディクトが日本文の「所を得」にどうして注目したかについて、考えてみましょう。
 彼女は、日本の国内的な秩序感覚がそのまま対外政治の場にもちだされたことが日本の外交のつまづきの因であり、それはヘタクソで逆効果でしかなかった戦前・戦中の日本の対外宣伝に最も端的に表れていた、と見ています。これはまったく鋭く正しい観察なのですが、それと東條演説に頻出していた「所を得」の常套句とは、本来は、無関係なのです。
 「所を得」という表現の由来を学習しますと、日本の明治維新が「リベラル革命・近代自由主義革命」であったことと、徳冨蘇峰以降、敗戦直後までの日本がその逆方向にブレていたことなどが、よく理解できるでしょう。
 古代シナの大衆歌謡を集めた『詩経』「唐風・鴇[ほう]羽」に、「曷[いづ]れのときか其の所を有せん」とありますのは、農奴である老父母の近未来の食糧自給生活が、息子である本人の労役軍務のあおりで、はたして成り立つかどうかが危ぶまれているのです。
 やはり古代の『書経』「舜典」に「民を治めその所を得さしめる」とありますのも、「庶民が生活できるようにする」の意味で、庶民に食と住の苦しみがないことが理想の統治だとしたわけです。
 つまり、がんらい「所をえる」とは、「生活ができる」という意味でした。
 前漢の司馬遷は『史記』「儒林列伝」の中で、よく参照されるテキストを残します。
 「孔子は王路が廃れて邪道の興るをあわれんで、詩経と書経を研究し、礼楽を修起した。斉にゆきて韶を聞き、三ヶ月間、肉の味を知らなかった。さらに衛から魯にかえってきていご、ようやく楽は正しくなって、雅と頌は各おの其の所を得」たというのです。
 「雅」も「頌」も節つきの祭文のようなものです。要するに孔子が宮廷の政治儀式に用いられる歌唱をできるだけ周盛代時の古態に戻そうとした。
 この有名なテキストのために、儒教以後の漢文通用圏では、「所を得」という言い回しに、「生活ができる」の意味の他、「オーソドクスなオーダー」の意味も与えられてしまいました。
 前者を重視強調すれば自由主義、後者を重視強調すれば権威主義となるはずです。
 くだって、三国志で有名な「出師表」には、以下の文が出ます。
 「愚〔孔明のこと〕、おもえらく、営中の事は、事大小となく、悉く以てこれ〔将軍向寵のこと〕に諮らば、必ずや能く行陣し和穆し、優劣をして所を得しめんと」。
 ここでの「所を得る」は、国家の将兵を適材適所に部署することでしょう。営中というのは宮中の対概念で、変事・有事のさいの戦争指揮所のことです。
 しょせん有能な第一人者の指図を受けるべき凡将たちが謙虚にこれを読めば、「自己実現の適宜性」に思いを致すことになるでしょう。
 唐代に書かれた『貞観政要』「論慎終第四十第七章」では、太宗が「或は恐る、蒼生を撫養すること其の所を得ざらんことを」と言っています。
 ここでの「所を得」は、「庶民が生活できる」という古い意味をふまえた上で、「統治の適宜性」にも及びます。
 これに対し一賢臣が太宗に「嗜欲喜怒の情は賢愚皆同じ。賢者は能[よ]く之を節して度に過ぎしめず。愚者は之を縦[ほしいまま]にして多く所を失ふに至る」と言っていますのは、「庶民が生活できる」の古意が洗滌されてしまっており、純粋に「適宜性」の意味でしょう。
 程・朱の学、別名、宋学/理学になりますと、「所を得」るべき主体が、ただ人だけではなく、物(「一物」「万物」「天下」)にまで及ぼされます。
 聖人が世を治めれば、万物がその所を得る、あるいは、一物もその所を得ないことはない、などとわけのわからないことを言い出すのです。日本の教育勅語はこの朱子学の延長です。
 朱熹の先輩であった程子は、「ただ上下恭敬において一致せば則ち天地自ら位し、萬物自ら育つ」と言っているそうです。北方の元の脅威に直面していた当時ですから、そこにリベラリズムは不可能だった。またここでは万物とは五穀のことなのでしょう。
 ただし程朱らの宋学の語録ダイジェストである『近思録』には「伊尹は其の君が堯舜と爲らないのを恥じた。一夫も其の所を得ざれば、市にて撻[うた]るるが若し」とあって、ここでは古い意味、つまり「庶民が生活できる」が活きています。
 もし、生活ができない庶民が一人でもいたら、統治者は、あたかも自分が広場で公開百敲きの刑に処せられているかのように恥ずかしく苦悩すべきだ──というのでしょう。これは『孟子』いらいの「下々の立場になって上に要求をつきつける」、放伐スローガンの系譜に連なるでしょう。
 江戸時代の『可観小説』には、戦国武将の前田慶次の言葉として「万戸侯の封といふとも心に叶わずば……。……去るも留るも其所を得るを楽しと思ふ也。所詮立ち退くべしと……」とありますそうで、これは軍人の自己実現の意味です。
 明治元年3月14日に五ヶ条のご誓文が三条実美によって読み上げられました。
 この第三番目の箇条が「官武一途 庶民に至る迄 各おの其の志を遂げ 人心をして倦[う]まざらしめん事を要す」です。
 ここは起草者の一人、福井藩士の由利公正が、儒学教養の「所を得」を念頭して書いたことは疑いありますまい。
 由利はこのご誓文の中に、西欧自然法と国際法を、これから天皇の命令によって日本に導入するのだという大方針を、巧みに盛り込みました。
 御誓文がよみあげられた同じ3月14日(新暦では4月6日)、「国威宣布の宸翰[しんかん]」が、居並ぶ諸侯に披見されています。
 このなかに「今般朝政一新の時膺りて天下億兆一人も其所を得ざるときは皆朕が罪なれば……」とありまして、これは『貞観政要』や『近思録』の類縁のレトリックですけれども、読む側は、ご誓文の中の「庶民に至る迄 各おの其の志を遂げ」とこれを重ねることもできたのです。つまり庶民の自己実現を可能にするのが明治維新なのだと、志士たちは早々と合意していました。
 人材抜擢をしなさいというご誓文の精神を諸藩がパラフレーズした「諭告」が、明治3年までにたくさんあります。
 高知藩の諭告には、「凡そ政府は民の為めに設くる所にして、政府の為めに民を役するにあらざるなり。唯だ人民、自主自由の権を有し、各々其の所を得、其の業を遂ぐるは、政府の保護と裁判とにあるのみ。然るに其の保護裁判の宜しきを得んとすれば、官民一致、上下合議の旨を執るにあらざれば……」と出てきます。
 このようなリベラル改革がフランスのような十万人単位の死者を生ずる深刻な内戦をパスして実現され得たのは、天皇(ベネディクトが見抜くところの「超俗的な酋長」)のいるおかげです。放伐のありえない「超俗酋長」制は革命を予防します。それが大陸や西洋からの間接侵略を不可能にしてきたのです。
 昭和期の日本の知識人には皆目このことは覚れず、単にスターリン・テーゼへの反撃として皇室中心主義を唱え、日本国の満州国化に手を貸すことになります。(余談ですが草柳大蔵氏の『実録満鉄調査部』によりますと、満洲のために日本のGDPの43%が持ち出されていた時期があったそうで、要は満州国とは、エリート官僚が財源に何の心配もせず好き勝手放題をしまくるというスキームなのです。ただし科挙官僚にはシナの王陽明など特例を除くと住民を外敵に対して結集させるカリスマはゼロ。しょせん、国民とは運命共同人ではないからです。だから日本内地という財源から切断された満州国に国防はまったく成立しませんでした。また日本本土が満州国化すれば、やはり日本の国防も成立しないのです。そして日本は現在、官僚のために満州国化の道を驀進中です。)
 話を戻しましょう。
 大久保利通が、日本は英国の真似をするべきだ、と主張した「殖産興業の建白」には、「……勧業殖産の事を興起し、一夫も其の業を怠る事無く、一民も其の所を得ざる憂いなからしめ……」と出てきます。もうこの時点では新政府が藩を廃止しており、草莽の自己実現などよりも庶民の生活の安定が、国としてゆるがせにできない課題だと思われました。
 徳富蘇峰は、親英米派でしかも江戸時代型のたいへんな教養人でしたが、日露戦争後に英人キプリングの詩「白人の重荷」を読んでブチキレます。
 ──そうか、同盟者と思っていたが、奴らはこんな風に有色人を見ていたのか、可愛さ余って憎さ百倍! ……という次第。
 キプリングに悪気はなかったでしょうが、この詩が蘇峰をして昭和期の日本の反英路線を導かせてしまったと見ることが可能ですから、宣伝に比較的に直感がよく働く英国政府としては、やはり小さくない不注意があったのです。
 蘇峰は明治39年に「黄人の重荷」を発表し、日露戦争後、白皙人種の仲間以外に属する各人種は、いずれも「大和民族を以て其の希望を繋ぐ標的」としている現実があり、黄人(=日本人)は、アジア・アフリカの代表として英国人と対決せねばならん、と鼓吹します。
 石原莞爾の「日米決勝戦」の妄想も、さかのぼればこの蘇峰の論にインスパイアされています。
 また、昭和期の政府が宣伝した「大東亜共栄圏」のアイディアも、このときの蘇峰の論を借用したものに他なりません。
 「黄人の重荷」の中で蘇峰は、「吾人の目的は、偏[ひと]へに極東に於ける平和の保障にありき。……即ち世界の総[すべ]ての人類と与[とも]に、世界の経営を事とするの規模ありて、始めて漸[ようや]く自覚し、且つ自覚しつつある同胞をして、遂ひに其所を得せしむるに至る可[べ]き也」と書いています。
 この「所を得」とは何を意味するのでしょうか? 土人が白閥に搾取されずに生活できるようにしてやる──という意味でなかったのは確かではないでしょうか。
 大正8年の朝鮮総督府官制改正にさいしての勅語では、「所を得」は、半島人に内地人と差別のない生計を可能にさせる、といった意味で使われているのがお分かりでしょう。
 昭和14年1月に組閣した平沼騏一郎は、1月21日の施政方針演説の中で「旧来の陋習を破り天地の公道に基くへし」との明治天皇のご誓文を引用し、「惟[おも]ふに天地の皇道は、即ち萬物をして其の所を得しめることに帰着するのでありまして、政治の要諦茲[ここ]にあらねばならぬと考へる次第であります」とまあ、良いことを言うんですが、すぐに「此の御精神の及ぶ所は、国内政治たると国際関係たるとは問はないのでありまして、東亞の新秩序建設も亦[また]此の根本精神を基礎として、其の上に工作が進められねばならぬと信ずる次第であります」と続けた。
 ここにおいて蘇峰の怒りが「東亜新秩序」というスローガンに結実しているのです。しかもご誓文でローマ法以来の西欧流自然法精神およびグロチウス以来の国際法精神の導入を謳っていた箇所と、<日本の伝統に支えられ、日本国内でしか通用はしない秩序感覚のアジアへの押し付け>を強引に結びつけてしまった。こんな荒業が可能であったのは、「所を得る」の定義力が弱いためで、平沼のスピーチライターの革新官僚はそれを悪用したわけです。
 もっと露骨な解説は、西田幾多郎が1943年に「世界新秩序の原理」という講演の中でしてくれている。
 西田は、ウィルソン式の「各民族平等」や共産主義も非現実的だとし、「各国家民族が各自の個性的な歴史的生命に生きると共に、それぞれの世界史的使命を以て一つの世界的世界に結合する」というのが「我国の八紘為宇の理念」であり、また「畏くも万邦をしてその所を得しめると宣らせられる聖旨も此にあるかと恐察し奉る次第である」と陳べています。
 さて、東條英機は1942-2-16の国会で「大東亞経綸に関する帝国国策闡明に就ての演説」を為しました。
 その後段で彼は「屡々申述べましたる通り、大東亞戦争の目標と致しまする所は、……大東亞の各国家、各民族をして各々其の所を得しめ、皇国を核心として道義に基く共存共栄の新秩序を確立せんとするにあるのでありまして、米英両国の東亞に対する態度とは、全く其の本質を異[こと]にするものであります」と語ります。
 この文だけ読めば、「所を得」は「生活ができる」のようでもありますが、東亜新秩序思想がもともと徳富蘇峰から来ているという<文脈>を考慮すれば、この「所を得」は、<土人は分際を知り、メリトクラシーの日本人官僚の指導に従え>の意味であると判断したベネディクトは間違っていません。
 ちなみに余談ですがこの演説の前段で東條は「畏[かしこ]くも宣戦の大詔渙発せられまするや、……僅[わず]か二旬にして香港を、三旬にしてマニラを、而[しか]して七旬を出ずしてシンガポールを攻略し、茲[ここ]に米英両国の多年に亙[わた]る東亞侵略の三大拠点は挙げて我が占領する所となったのであります」と自画自賛しているんです。
 日本の陸大教育が、明治十年代から一貫して規範としたドイツ参謀本部流の速戦速決戦争術とは、「敵首都を陥落させる」ことをもって、全戦争プログラムのゴールとしていました(その後のことは考えていない)。
 このときの東條にとって、香港、マニラ、シンガポールは、南京と同じ「敵首都」だったのでしょう。東條は、ドイツ人に向かって「わたしはあなたがたの参謀教育が昔から理想としていた首都攻略もなしとげた」「わたしは大モルトケに並んだ」「どうだい、偉いでしょ」と、同盟通信を通じて大いに自慢したわけです。
 東條は「大東亜戦争一周年を迎えて」の声明の中では、「而して、わが占領下に在る諸地域の原住民は、久しきに亘る米英蘭の暴政より救出せられ、普[あまね]く皇恩に浴すると共に、喜び勇んで皇軍に協力し、それぞれの地位に於いて、大東亜共栄圏の建設に現に貢献しつつありますることは、世紀の一大壮観でありまして、これ偏に八紘を宇とし、各国各民族をして、各々その所を得せしめ給ふ御聖徳の賜物と、唯々恐懼感激に耐えないところであります」と言っています。
 ルース・ベネディクトはこの声明の英訳文をちゃんと読んでいたはずです。そこから、「所を得る」とは「日本に都合の良いオーダー」の意味なのだな──との理解を最初にしたのではありますまいか。
 戦時中に北原白秋は「アジヤの青雲」という小学生向けの詩の中で「……誓へよ善隣、アジヤ、アジヤ、すなはち万邦、所を得しめて、共存共栄……」と歌った。「所を得」がスローガン化していたことが分かりますね。
 「大東亜共同宜言」(1943-11-6)には「抑々[そもそも]世界各国が各其の所を得相倚[よ]り相扶[たす]けて万邦共栄の楽を偕にするは世界平和確立の根本要議なり」とあります。
 ベネディクトもこれはいよいよキーワードだと察するのは自然でした。
 昭和20年6月の鈴木貫太郎首相の施政方針演説にも、キーワードは踏襲されますが、やや意味は変化をします。
 すなわち鈴木は、その演説が必ず米国政府に聞かれることを意識しながら、日本の天皇の昔からの本意は「万邦をして各々その所を得さしめ」ることだが、それは侵略と搾取をなくするという意味なんですよと強調をしています。
 「所を得」はフレーズとして戦後もよく使われました。たとえば昭和22年11月2日に国会に提出された質問主意書には、「政府は国民全体をしてその所を得せしめなければならぬ、一人にてもその所を得ざるあらば是れは政府の責任である」と見えます。
 儒学レトリックは知識層にはこのくらい共有されていたんです。
 ただし、昭和天皇は、あの人間宣言の折に五ヶ条のご誓文について特に強調し、西洋近代はすでにその時点で始まっていたと内外に分からせようと努めました。
 ですが、肝心の日本の知識人はすっかりそれを忘れている者が多く、よく思い出すことがないのです。そして彼らは、ご誓文ではなくて、バリバリ反近代朱子学の「教育勅語」に還ろうとするのですから、終わっていました。
 和辻哲郎などはまずその代表選手で、「教育勅語の本義」とは、家族、社会、国家の道徳を実践し、「万民が所を得る国家」をつくって、最後は「万邦がその所を得る」ようにすべきだと自著で説きました。
 いまだに教育勅語をもちあげる人がいますが、それでは日本は、世界から信用される国とはなれないでしょう。ご誓文の原点に立ち戻ることです。

あの『決心変更セズ』を凌ぐ巨弾がぁぁぁぁぁっ!

 現在わたくしは劇画原作の執筆を急いで進めております。
 どうも創作と評論とでは、脳みその配線をすっかり切り替える必要があります。
 朝っぱらに一本評論を書いてしまいますと、その日はもうシナリオは書けません。気がのらない。世界に入れない。
 しかし、今回の企画=書き下ろし単行本『2008年 日中開戦!!』は、版元もかなりヤル気まんまんだしボヤボヤしてるとリアル・シナ経済がクラッシュして出版の話題性がゼロになっちまう恐れもありで、ご指名を受けた身として納期迅速を心掛けないわけに参らない。という次第でこいつが完成するまで当分しばらくは、午前中は劇画だけに脳力を使うことに決めました。その余波で、午後は評論は書けない日が増えるだろうと思います。
 ところで先日、上京したんですよ。
 内閣官房の藤さんから「篤志つうじ倶楽部」や対米英文宣伝活動の民間事業についてご賛同をいただき大変ありがたいことでございました。
 ところが肝心の史料英訳会(仮称)は未だ定款も決まっておらず、口座も開けてないんです。もー何やってんだか。そこで20日に加瀬先生の事務所に茂木先生たちとお邪魔してその場で全部、決めて参りました。
 対米宣伝事業の有料スキーム(非ボランティア)の方は、会の名が「史実を世界に発信する会」となりました。これまで使ってきた「史料英訳会」という仮称は消滅します。
 会長は加瀬先生です。また、事務局長の仕事をする役員といいますか代表委員には、当初から兵頭が主張して参りましたとおり、茂木先生になって戴くことも決まりました。他にいませんから。専従できる人が。
 最初の有料翻訳の対象は、黄文雄先生の複数の著作の中から満洲事変前後の事情について良いことが書かれている箇所を「いいとこどり」でダイジェスト英訳しようという方針で、その場の立ち上げ委員全員が一致しました。
 なお、当会の続報、詳細につきましては、当会の日本語HP(これまで史料英訳会の日本語HPであったところ)をご覧ください。
 この上京ついでに「チャンネル桜」で雑談してきました。
 そこで痛感したのですが、右寄り言論人もこれからは内訌のシーズンですよ。
 百人斬り訴訟の分裂みたいに、理由の不明な派閥形成もありましょう。しかし「対支」「対米」その他で「理由のある分別」は、もう見えているんじゃないですか。
 ちょっと考えても、次のような分別が可能です。
【A】大アジア主義者……対米戦争は日本のアジア解放戦争であったと思っている。
 当然、東京裁判のA級戦犯7人は全員、無罪であったと思っている。
 また、日本はシナと結んで欧米と対決すべきであると思っている。
 シナについては正しい知識を持たず、夢想のみ。
【B】アンチ・グローバリスト……対米戦争は日本の自衛戦争であったと思っている。
 東京裁判で死刑になった7人のA級戦犯のうち、1941年の開戦以前の行動が問われた4人(板垣征四郎、土肥原賢二、松井石根、広田弘毅)は有罪で仕方がないが、他の3人(1941年当時陸軍大臣だった東条英機、陸軍次官であった木村兵太郎、陸軍省軍務局長であった武藤章)は無罪だと思っている。
 真珠湾攻撃は宣戦布告が先になされていれば合法であったと思っている(A級戦犯とはパリ不戦条約違反を問うたもので、古いハーグ条約は関係がないことがいまだに分かっていない)。
 アメリカの対日要求は昔も今もまったく日本のためになっていないと思っている。
 社会主義に親近で、同胞の官僚を信じ、大いに期待をする。
 シナに対する加害者意識があり、米国に対する被害者意識があるので、将来「大アジア主義」に走りそうな危さがある。
【C】反共&親米ポチ……対米戦争は日本の自衛戦争であったと思っている。
 シナ事変は共産主義者の陰謀にはめられたと思っている。
 日本は北鮮がらみで米国に守ってもらわなければならないので米国に迎合すべきだが、東京裁判は事後法で人を裁いたものだから納得はしていない。東條は無罪だ。
 日本が安全でありさえすれば米国と協調する必要はないと考える可能性がある。ゴーリズムには内心あこがれる。満州国をつくったエリート官僚の幕僚ファシズムともメンタリティは近い。
【D】近代主義者……対米開戦は日本がパリ不戦条約に違反した侵略戦争であったが、満洲事変とシナ事変は逆にシナ側がパリ不戦条約に違反していたと考える。シナに対しては日本は被害者である。米国に対しては日本は加害者である。
 したがって東京裁判で死刑になった7人のうち、板垣、土肥原、松井、広田はA級に関しては無罪、もしくは部分有罪でも片手落ち処罰に正義はなかった。逆に、東條、木村、武藤はA級に関しては有罪であったと認めなくてはならない。
 対外的に公的に誓った条約を遵守せねばならないのは近代国家として当然だ。人々が互いに約束を守る空間であってこそ近代資本主義も可能になり、中産階級の自由もあり得る。シナ・朝鮮にはこの空間はない。欧米にはある。日本は欧米と同じ近代空間に属し続けるべきなのはあたりまえである。
 このように考える近代主義者が「大アジア主義」に走ることもありえない。この近代主義者だけが、米国要路を不必要に不安にさせることがない。この近代主義者が日本の言論の主流になることが日本の核武装の捷径である。
 わたくしは「D」の主張を可及的にあらゆるところで書きまくってきましたが、誰も読んでないですね。読んだつもりでスルーなのか。それとも自分の意見と違う部分はまるっきり覚えてないのか。対面でこういう話をしますと、みなさん「エーッ?」という顔をなさいます。
 生前の宗像和広さんが、日本人は外人の書いた戦記批評のなかから都合の良い、気分の良くなる部分だけを引用して、他は切り捨てるのだと看破していらっしゃいましたが、これは国内のすべての言論についてもあたっているんじゃないですか? 『菊と刀』が理解されていないのは典型的な例です。そしてこういう狭量な性向のひとつの極北を実践してらっしゃるのが「バカ右翼」。人の話を何も聞いちゃいないんだ。
 今回の上京でアッと驚いたのが、とある若い法曹家の方でしたよ。「零戦の被撃墜シーンのフィルムを見ると、ロールがあまりに鈍い。これは300ノット超の対気速度のとき、零戦のエルロンは全く効かなかったからではないか。あるいは操縦桿やハーネスの設計に人間工学的な不都合があったからではないか」「WWII中に13ミリ級の搭乗員防弾を試みたのは日本陸軍機だけだったのか」「ガソリンタンクの液体充填部分を弾丸が貫通したときに、どうして火災が起きるのか」等の意外にハッキリしていない疑問に逢着するや、真実を求めてあらゆる入手可能な英文資料(米軍の調査報告がものすごく充実したものであるらしい)を漁っておられるのです。
 塗装の話をおっかけているマニアの人と違ってこういうオタクの方々は頼もしい。健全な疑問から健全な調査が、そして健全なアウトプットと更なる健全な懐疑の直観力が、生ずるでしょう。