アブドラに訊け!

 Jyoti Thottam 氏の記事「China Vs. India: Will Rivalry Lead to War?」。
 印支は3500kmの国境を共有する。経済力はシナが2倍以上ある。
 1962の中印国境紛争でシナが圧勝したのは、国境のヒマラヤ山脈まで通ずる良好な道路と橋が、シナ側には整備されていたからだ。〔インド側にはそのインフラが無かった。〕
 他方、62年間、印パ間の係争地であり続けているカシミールのパキスタン実効支配地区には、シナが $2 billion を援助して「Kohala」発電所を造っている。インドは抗議中である、と。
 また、インドの水力発電所の技師は言う。ヒマラヤのインド側斜面にあるダムをシナ軍が爆破したら、どうなるか、と。
 これを読んで兵頭おもえらく。もしこの発電所が「原発」だったらどうなっているだろうか? エンジンの壊れかかっているジャギュア×300機しかないインド軍にそれが可能ならばの仮定だが、もしそこを爆撃しようとした場合、世界はどう反応するだろうか?
 それがカシミールではなく、「竹島」だったらどうだろうか?
 韓国が竹島に原子力研究施設を建築したら、空自はそれを破壊できるだろうか? ちなみに航空法では原子力施設の上空は飛行禁止である。
 さらに韓国がその竹島原子力研究施設の地下で核実験を準備しはじめたなら、日本政府には何ができるだろうか?
 政治家をこころざしている若い読者は、ひとつ脳内シミュレーションをプレイしてみて欲しい。この仮想が現実のものとなる確率は低くはない。
 右寄り新聞の『ワシントンタイムズ』は、普天間問題をめぐる日本側の意向をかなり同情的に報じてきている。
 2009-10-24にAP記者の Malcolm Foster氏は、その記事「Japan yields to pressure on U.S. airfield」の中で、キャンプシュワブ案とは別に、「 Kadena Air Base」もまた、「 another possibility」だとしている。つまり嘉手納への統合もアリだと報じている。
 日本政府はこう言うべきなのだ。〈外国軍の基地のためにカネを払うのは属国と被占領国だけである。日本は米国の属国ではない。また被占領国でもない。よって「思い遣り予算」はただちに廃止する〉。
 これで海兵隊が沖縄にとどまっても何の得することもなくなるから、彼らは勝手に出て行くだろう。彼らはアジアの安全のためなどではなく、ただそこに巨大なカネづるが存在するゆえに、沖縄に基地を残したいだけだからだ。
 バカ右翼がよく言うように、海兵隊が台湾を守るためにシナ軍と戦うような事態は金輪際無いので、バカ右翼は安んじて良い。
 ところで肉屋が細かな解体に使う小型のブッチャーナイフは、たしか「両刃」ではなかっただろうか? しかもかなりの高級鋼を使っていたはずだ。あれがOKで、安い鉄をグラインダーで研ぎ出したような二枚貝捌き用の道具が禁止だとすれば、その理由は何だろうか?


その英語番組、誰がつくるんだよ?

 NHKがAsiaSatから自前の英語TV番組をアジアと豪州向けに衛星放送し、しかもその視聴料はロハであるという、2009-10-23の記事「NHK chooses AsiaSat to enhance distribution in Asia Pacific」。
 捏造&国家反逆の多重犯が、日本人視聴者のチェックの働き難いところで、また一体何をたくらもうとしているのか。
 日本語版『朝鮮日報』の2009-10-23記事「沖縄の米軍基地移転問題、深まる日米対立」によると、「ゲーツ国防長官は訪日期間中、自衛隊による栄誉礼も拒否した」。
 NHKはこれを報じたかな?
  ASIAN DEFENCE の記事「Taiwan to consider proposal to mothball Mirage fighters」によると、台湾空軍の戦闘機パイロットは、月に最低15時間の訓練飛行を義務付けられているという。
 てことはですよ、月に7時間しか飛んでいないシナ空軍って、何? F-15で相手をするのすら勿体無いってことなんですよ。
 あと、2009-10-22の記事「Russia, China draft Kalashnikov copyright deal」という記事。
 ミハイル・カラシニコフは89歳で Izhevsk に存命であるという。
 パテント料が入らなくて、残念みたいですね。でもAK-47のおかげで宿敵の米国は相対的に弱くなった。技師冥利に尽きるでしょう。キュリー夫妻は、科学者は人類に奉仕するのだと言って、放射能の特許を取りませんでした。


週末は書店へ! 24日『近代未満の軍人たち』『有坂銃』発売。

 東京都内の一部のマニアックな書店が早いと思いますが、公式店頭発売日は10月24日(土曜日)となっております。地方の書店に出回るのはそれから数日遅れになりますので、どうぞお気をつけ下さい。
 光人社『近代未満の軍人たち』は並装丁で戦記コーナーにあるでしょう。
 光人社NF文庫『有坂銃』は、文庫のコーナーで見付かると思います。背表紙の「ひ」で探していただくと、『たんたんたたた――機関銃と近代日本』も併せて手に取って御覧になれますでしょう。
 しかし『近代未満の軍人たち』の表紙カバーのデザインは困ったもんです。これでは、たった12人の軍人しかコンテンツには無いかのように見えてしまいます。裏表紙カバーに、残りの11人(梅津、南雲、高木、小磯、米内、樋口、阿南、森、岩畔、兒玉、畑)の写真と姓名が配置されているのですけれども、インターネット通販の画像では、裏表紙カバーなんて誰も見えやしないんですからね。せめて帯で「23人の」と明記しておいてくれたら分かりやすいのに、そのフォローもしてくれてないのか……。老舗であるために取次店との関係で、掛け率や発売日などの有利な既得権をいろいろ持っていらっしゃっる出版社さんは、書籍をインターネット経由で売る意欲はイマイチ稀薄なのかも知れません。
 さて、『有坂銃』がNF文庫化された今、戦前造兵三部作の第3弾である『イッテイ――13年式村田歩兵銃の創製』は、続いて文庫化されるのかどうか、が、気になるところです。これは、ひとえに『たんたんたたた』と『有坂銃』の売り上げ次第なのであります。皆さん、お近くの図書館で積極的に購入リクエストカードを書きましょう。


無人機なしでアフガンへ? 鳩山政権のおわりのはじまり。

 星条旗新聞2009-10-21のKevin Baron氏の記事「Japan mulls defense forces’ role in Afghanistan」。2001年から日本がアフガンのために支払った金額が列挙してある。すごい額だ。これはもう外務省の腐れ利権になってるでしょうね。
 今年日本はアフガンの全警官8万人の半年分の給与を負担した。
 しかし米国の支出はもっとすごい。2010予算要求で、アフガンのために $68 billion 出してくれと議会に頼んでいる。桁ひとつ違います。
 『朝鮮日報』日本語版の 辛貞録氏による2009-10-21記事:「対等な対米関係、米国防長官の訪日で変化」。
 ゲイツ氏と会談後の北沢防衛相の記者会見と、福山哲郎外務副大臣の発言を総合すると、鳩山政権は、「インド洋で海上自衛隊が行ってきた給油支援活動を、陸上での航空自衛隊による輸送支援に切り替えることを意味する」と推定しています。
 さて、それだけで済むでしょうかね?
 ところで『タイム』誌の、麻薬犯罪都市リオデジャネイロといった記事で、毎年6千人が銃撃戦などで殺されていて、うち1000人以上が警官だというのもとてつもないが、2009-10-17に麻薬ギャングが警察のヘリコプターを撃墜して3人死亡というのも恐れ入る話じゃないか。平時からパラレルで戦争状態かよ!
 しかし、アフガンはこんなもんじゃありますまい。
 AFPのTALEK HARRIS氏は2009-10-21の「Australia Seeks Quick Withdrawal from Afghanistan」の中で、アフガン勤務の不人気さを伝えています。
 南部のアフガンに約1550人と、連合軍のなかで9番目に多数の兵隊を出しているオーストラリア軍。すでに11人が戦死した。
 派遣の途中の訓練で死んだ兵隊もいるし、先週は豪軍がアフガンの制服警官を射殺するという事件が起きている。
 いま、米軍と同盟軍あわせて10万の外国軍がアフガンにいる。最多の米軍は6万8000人。これに4万人を追加するかどうかが今議論になっている。それに次ぐ兵力は英軍の9500だ。
 派兵を決定したのは前のハワード政権だが、今の豪政権もアメリカの機嫌を損ねてまで撤退するのは難しい。あと3~4年で、現地軍にすべてを任せてもいいはずなのだが……。困った、困った、という記事です。
 ゲイツ氏は韓国に行って何を話したのだろうか。在韓米軍をぜんぶアフガニスタンに転進させると言っただろうか?
 Bradley Perrett氏の2009-10-21記事「Lockheed Dangles F-35 Work For S. Korea」を深読みすると、どうも韓国は戦闘機の国産計画をすっかりあきらめさせられて、F-35の出資者に加わるのではないだろうか。
 まちがいなくゲイツ氏の指導方針は、「日韓支」の間に「最低レベル均衡」を実現することにあるでしょう。そして海兵隊員を、グァムなどで遊ばせておくつもりはないでしょう。
 アジアンディフェンスの記事:「South Korea to purchase four spy satellites by 2020」。
 韓国がドイツから純軍用の偵察衛星複数を2012~2020に買う可能性が出てきた。
 あと、5基の偵察衛星をドイツと共同開発して学び、そののち2基を国産するとかも言っているが、相変わらず他人の褌で相撲を取れば良いと考えているのだなぁ。しかし米軍が情報をくれないので、米軍撤収後を考えて必死なのだとも思えます。意地でも米国メーカーとは組まないところが面白い。
 2006に打ち上げた Arirang-2 は軍事偵察衛星としてはあまり役に立っていないという。というのは民間との共同運営なので、軌道や周波数の情報が漏洩するに決まっているからだ。この事情は、2010うちあげの Arirang-5 や 2012予定の Arirang-3A によっても変えられそうにない。
 周回衛星は、朝鮮半島上空に、1基が毎日5分間しか存在できない。これではロクな軍事情報は集められない――と書いてあるのだが、仮りに10基に増やしたって50分にしかならないわけでしょう。
 次。『表現者』の最新号中の一つの座談会に古田博司氏が出ておられ、この情報の濃密さがすばらしい。どの雑誌とは言わぬが、往々にして、出席者のうちたった一人の発言だけが光っており、それだけカネを払ってでも読む価値があり、他の出席者の発言は全部スルーしても惜しくないという座談会を見るが、それはそれで意義がある出版事業だろう。
 で、古田氏は『表現者』でこんな話をなすっている。――北鮮からの脱出者は2009年前半時点で16000人。満州や東南アジアに出たのを含めると数十万。しかし、韓国からの脱出者はすでに300万を越えているのだ。大半がアメリカに行って帰らない。これは「脱南者」なんである。
 またいわく。内藤湖南が発掘した『満文老档』という満州語のヌルハチ年代記の内容。サルフ戦以降、ヌルハチが遼東半島を攻め進んだら、退却するシナ軍が井戸に毒を入れた。また住民が豚肉に毒を仕込む。そこでヌルハチは、シナ人から生肉を買うな、と触れを出した。云々。
 またいわく。北鮮が1982にソ連につくってもらった北倉火力発電所。これは寧辺の対岸にあり、150万キロワット。その電力をウラン濃縮に使っているらしい。老朽化して、ながらく煙が出ていなかった。が、2009のグーグルアースで煙が出ていることが分かった。つまりシナが燃料を供給しはじめたのだ。東平壌火力発電所からも順川火力発電所からも煙が出ている。すべてシナの燃料援助によるものだ。
 シナは寧遠のダム水力発電開発も援助している。
 北鮮は寧辺[ヨンビョン]ではプルトニウム加工をしているが、そのための電力は、1980年代にできた泰川の2つの貯水池の水力発電35万キロワット。その施設はシナとの共有であり、シナの援助を受けて運営している――と。
 いったい日本はどうすれば良いのかと悩んだ貴男、PHPの『「自衛隊」無人化計画』を買って読みましょう!
▼2009-11-23にJSEEOの大阪講演会があるよ。
場所は、大阪市中央区北浜東の「エル・おおさか 大会議室(6F)」で、時刻は午後の2時半からだ。
参加費は¥2,000円。
詳細は ↓ JSEEOのHPを御覧下さい。
http://www.jseeo.com


米国内の議論が『「自衛隊」無人化計画』に追いついてきたようです。

 『ナショナル・ディフェンス』2009-11月号にStew Magnuson 氏が寄稿している「Debate Over Legality of Robots on the Battlefield 」という記事。
 ロボット兵器の意思決定ループの中に人間を介在させないことになるとどうなるか? ――を考えて本にした人がいるらしい。それは Peter W. Singer氏で、『Wired for War: The Robotics Revolution and Conflict in the 21st Century』というらしい。
 ※この本を買って読んだよ、という御奇特な方、いらっしゃいましたら、どうか兵頭にその読み古し本をめぐんでやってください。送り先はJSEEO事務局でお願いします(キリッ!)。
 国防長官の官房が、無人兵器ロードマップとかいう文書をつくったそうだ。「Fiscal Year 2009-2034 Unmanned Systems Integrated Roadmap」というそうだ。
 そしてこの文書の中では、無人機が勝手に攻撃判断をしてミサイルを発射するようなことはさせない、としてあるという。
 また、DODのロボット化努力は次の四分野だという。
一、 偵察・観測
二、 目標識別と標定
三、 対地雷およびIEDの処分
四、 化学兵器、生物兵器、放射能兵器、核兵器の探知。
 注目すべきは、「武装ロボット」をリストに入れていないこと。いちおう、次の三つの武装無人機計画には言及されているんだけどね。すなわち、「 Predator」「 Reaper」「 Extended Range/Multi-purpose unmanned aerial system」。
 3年前、米陸軍は、武装陸上ロボット×3台をイラクに投入せんとしたことがあったんじゃ。「special weapons observation remote reconnaissance direct action systems」(SWORDS)という名でな。※先にアブリビエーション考えてからテキトーにコジつけたのがコテコテすぎるネーミングやね。
 しかし陸軍の上層はこんなロボットを信任しなかった。土嚢 sandbags の後ろにずっと置いたまま。それが一回でも発砲したことがあったかどうか、不明である。※写真が分からないが、たぶん『エイリアン2』に出てきたセントリーみたいなもん?
 1949のジュネーヴ協約が、ロボット兵器を使う者にも適用されるだろう。
 戦闘ロボットを配備することに、人間の司令官は、責任を取らねばならない。たとえば民間人や味方を誤射したとき。
 軍人ではない、民間の契約者にUAVの空襲など操作させてはならぬはずだ。彼らは国際公法で保護されないだろう。UAVの運用には明白な chain of command が確立されていなければならない。
 たとえばいま、パキスタン領に対する越境無人機空爆は、CIAによって遂行されている。タリバンとアルカイダのリーダーを抹殺するために。
 つまりプレデターとリーパーのパキ内での殺害は、ほとんどのケースで、非軍人が行なっているのだ。これって、許されるのか? 米議会は一度も論じていないが……。
 ※数日前のどこかの記事で、アフガンの米陸軍では一等兵とメーカーの社員がサイドバイサイドに座ってUAVを操作しているとかいう報道があったっけな。あれもかなりヤバいでしょ。
 Ron Arkinは『Governing Lethal Behavior in Autonomous Robots』という本を書いた。
 「道徳リミッター」(ethical governor)を軍用ロボットには装置すべきだ、とロン・アーキンは主張する。
 ※その「解除ボタン」を押すと、違反やり放題になったりしてね。あるいは、「神戦士」>「聖人戦士」>「順良戦士」>「忠勇戦士」>「卑劣戦士」>「ケダモノ」>「外道」>「腐れド外道」とか、数段階に設定できるとか。まあ、「腐れド外道」モードだと、味方も危なくなるだろうけどね。
 シンガーは言う。人間の指揮官から射てと命じられても、ROEに反するときはロボットは交戦を拒否する、そんな回路を組みこむべきだと。
 これへの予測される反論。敵ゲリラは、米兵が撃つことを禁じられているROEをみきわめて、そのROEに乗じようとする。ロボットに変な倫理ガヴァナー回路を組み込めば、同じ弱点が生じ、つけこまれることになる、と。
 ダンラップの皮肉。もしすべての戦時国際法を軍用ロボットのコンピュータに入力したら、アルゴリズムはフリーズに陥るしかないだろう、と。なぜなら、戦時国際法には、あいまい部分がたくさん残されているからだ。つまり戦争は永遠にArtの段階にとどまるしかない、ということなんだ。
 兵頭いわく。ありがとうマグヌソン記者! この記事のおかげで、オレが今書いている本は、米軍事界の最先端の話題のさらに一歩先に達しているということに確信が持てたよ!
 オマケとして、今日の脱力ニュース。
 APの David Dishneau記者による「Marine to plead guilty in fake heroism case」という記事。
 ルイジアナ出身の34歳の海兵隊軍曹が軍法会議にかけられ、悪くすれば31年間のムショ暮らしが待っているという。
 米国には美しい慣行がある。複数の市民団体が、国家のために負傷した傷病兵を、コンサートや劇などに無料で招待してやるのだ。軍曹は、その特権を欲した。
 2008年中、軍曹は、33のイベントを無料で楽しんだ。その中には、6回のロックコンサート、2回のナ・リーグ野球試合、ワシントンレッドスキンズのアメフト試合、WWEのプロレス、「Monday Night Raw」ショーも含まれていた。
 また、ある純真な少年たちの集りの場では、「アフガンさ。手製の爆弾が転がってきたんだ。オレは分隊の仲間たちを庇わなくちゃと思った。気づいたら、身を挺して楯となっていたよ。その爆発で負傷したのさ」などともフカしまくっていた。その他、営外において創作した作り話、手柄話は数知れず。
 それが、ついに部隊にバレちまった。
 この軍曹は2000~2006までは沖縄で通信兵だったし、それ以後はクァンティコに居ただけであった。
 いいキャラしてますわ。絶対にそうは見えない顔つきだったら、笑えるんですけどね。
▼「兵頭二十八 大阪講演会」 ※こんどは地球温暖化と国防の関係を話すよ。面白いので全員集合!
■日 時:平成21年11月23日(月・祝)
午後2時半 開会(午後2時 受付開始)
■場 所:エル・おおさか 大会議室(6F)
大阪市中央区北浜東3-14 TEL06-6942-0001
■参加費:2,000円
■申込み:先着200名で、事前お申し込みとなります。
 JSEEOの「ホームページ」より、直接お申し込みください。
 また、住所、氏名、TEL、FAX、参加人数と「11/23講演会参加」をご明記の上、FAX、Eメールまたはハガキでもお申し込みいただけます。
■申込先:日本安全保障倫理啓発機構(JSEEO) 設立準備室
     〒176-0006 東京都練馬区栄町36-10-202
     FAX03-3557-1651
     Eメール inquiry@jseeo.com
     URL  http://www.jseeo.com


UXO問題は、火薬と水と微生物で解決するしかなかろ。

 David Hambling氏の2009-10-19記事「Treaties Prompt Redesign Of Cluster Bombs」。
 クラスター爆弾の問題は、unexploded ordnance (UXO) を戦場に残し、民間人を殺傷することである。
 そこでオスロ条約が、子弾の1発が20kg未満の集束爆弾を禁じた。
 2008に107カ国が賛成。この条約は主要30カ国の批准で成立するが、まだ17カ国しか批准していない。米国とシナとロシアは調印すらしていない。
 2008-6にロバート・ゲイツいわく。クラスターは役に立つ。しかし不発率を1%未満にしろ、と。
 米軍は、それを2018までに達成したい。
 Textron社は、新製品の Sensor-Fuzed Weapon (SFW) でそれが実現できまっせ、と売り込み中。
 子弾に、レーザーと赤外線のpattern-matching sensorを組み込む。車両目標が映れば、 an explosively formed penetrator (EFP)を飛ばす。ふさわしい目標がないときは、二重の電子回路によって自爆させてしまう。
 テストでは0.4%の不発があったが、それも安全だ。ただ拾ってトラックに放り込めばよい。不意に爆発することは決してないのだ。
  もうひとつのTextron 製の  Clean Lightweight Area Weapon (CLAW) は、重さが 100ポンドの爆弾である。単弾頭。これは数千の、三角形やひし形の破片を発生し、それは140ヤードの毀害域を構成。車両に有効。冗長な信管がついていて、不発になっても、衝撃や火炎では爆発しない。
 かたやスペインのInstalaza 社は、着発信管を安全にする工夫をした。
  sD2 つまり self-destruct and self-deactivation だ。たとえば120ミリ迫撃砲弾にとりつけて発射し、着弾して起爆しなかったとする。20秒以内に無害化する機能が作動する。その作動もまた失敗した場合、最終的に10分以内に電源電池の放電によって、無害化されてしまう。
 尤も、ペンタゴンは、こうした信管ではオスロ条約を満足させないとみなしている。
 米軍の手持ちの弾薬のうちでヤバいといわれているのが、600個の子弾をバラ撒くMLRS用。
 そこで米陸軍は代案をいちおう考えた。単弾頭にして、フレシェットや金属ロッドを撒いたらどうかと。
 もうひとつのオプション。単弾頭にして、その弾頭が、多数の EFPs【爆発成形徹甲弾】を四周に飛ばすようにする。これは海軍の弾薬としてもう使われている。〔知らなかったぜ……。〕これが広域の装甲車を破壊する力はフレシェット以上だ。
 以下、兵頭いわく。
 信管をどう工夫したって、ダメだね。炸薬や伝爆薬じたいを工夫するのが正答だと思うよ。
 一定の範囲の含水率でなければ、決して炸裂しない炸薬や伝爆薬を考案するべきだ。
 発射され着弾して不発に終わると、弾殻の一部が風化して、小孔が通じ、外気と炸薬が接触するようにしておく。そこが砂漠なら、次第に炸薬内の水分が抜けて、爆発しなくなる。そこが砂漠でないなら、逆に炸薬内の火薬の湿りが増して、やはり、爆発しなくなる。
 これなら世界のどの地域でも使えるだろう。
 次の記事。
 2009-10-19、HONOLULU ADVERTISER の「Pacific Command Remains a Force: Keating」。
  パールハーバーに司令部がある、アジア太平洋軍の司令官、Timothy Keating 提督がついに退役する。その直前のインタビューでいわく。
 太平洋軍は海軍と海兵隊とあわせて30万人だが、そのうち3万がイラク&アフガン&インド洋へ出ている。
 太平洋軍の幕僚たちは、仕事の3割はシナ関係だ。太平洋には米国とシナ以外にも36カ国が関与しているのだが。
 あるときシナ提督が、米支で太平洋を二分しようと持ちかけ、キーティングはキッパリとはねつけた話は有名だ。
 しかし、訓練ぶりを見れば、シナなど脅威ではないことが知れる。
 シナ軍の戦闘機パイロットは1か月にタッタの7~8時間しか飛んでいない。米軍戦闘機パイロットは20~22時間だ。
 ソウルの南の米軍は、遠征軍に再編成され、いつでもアジアのどこかへ転用できる。韓国は北鮮に対して単独で防衛できる。だから、過去には在韓米軍の転用はできなかったが、これからは、もう、できるのだ。
 兵頭いわく。もうじきゲイツ氏が日本と韓国を歴訪しますが、在韓米軍は完全撤収の流れですかな。この調子だと。
 次。 オレが雑誌の『正論』で、シナの10-1パレードに出てくる「最新兵器」なんてどうせロシアのパチもんだろ、と予想でクサしたのに、かれらとしては反論をしておく必要を認めたのか、こんな雑誌記事がシナ本土で出たらしい。
 Johnathan Weng氏がそれを英語に抄訳してくれている。ASIAN DEFENCE の「 Development of Chinese KJ-2000 AWACS」という紹介記事を見よ。
 引っ張りだされた技師は 1938生まれのロートルながら、かつて初めて三次元レーダーをシナ軍のために設計し、JY-8 と JY-9 の搭載レーダーの開発も仕切ったシナ電子兵器界のボス。
  KJ-1 (Air Warning-1)開発計画 は 1960s末に始まったが、グラウンドクラッターを解決できず、コンピュータも弱く、サイドロブもでかすぎたのでいったんキャンセルされた。
 しかし、ソ連が崩壊した1990’s初めには、やっぱりつくらねばということになった。
 しかし当時、イスラエルはフェイズドアレイの技術をもっていなかった。それで英国から「ニムロッド」を買おうとしたが、この話は、まとまらなかった。
 そこで、要素技術をイスラエルから輸入して国産しようということになった。
 1992にイスラエルと基本合意し、イリューシン76をベースにこしらえることに決めて契約したのがその4年後。
 だがイスラエルの「ファルコン」の方式だと、胴体と機首にレーダーを分載するため、360度警戒ができない。そこで、複合素材を一体成形した世界最大のレーダードームを胴の上に離してのっけることにした。
 ロシア製のイリューシン76はまずイスラエルに運ばれ、そこで器材が取り付けられた。これが1999のこと。そこに米国が圧力をかけ、契約解除に。イスラエルは違約金を支払った。
 かくしてシナはいよいよ国内開発するしかなくなった。
 しかし要素技術はイスラエルから学べた。データバスネットワークの設計をイスラエルは助けてくれた。
 ロシアは、最新型のA-50の開発に乗らないか、4機リースしてやろう、などと言ってきたが無視した。
 米海軍の EP-3E とシナ海軍の J-8II 迎撃機が空中衝突した「4-1」事件のおかげで、政府が本腰を入れてくれたので、ふつうなら10年かかる開発が、短縮できた。
 2002に地上テスト用の機体ができた。
 2003に試験飛行成功。
 2007-12に KJ-2000 はシナ空軍に実戦配備。
 つまり5年で国産したわけだ。
 こいつが完成すると、ロシアは IL-76 を売りたがらなくなった。
 しかしシナは Y-8 に載せる型も開発している。
 安いのでどんどん造るよ。
 次の課題は、コンフォーマルなフェイズドアレイだね。
 ハイハイ。シナえらい。


綿谷正[わたやただし]氏へのインタビューなど

 ラジオの実験をいろいろ考えているうちに、札幌市内には微小出力FM局が昔から複数あることを思い出した。
 わたしは2007年3月10日に札幌に出かけ、新風の千代信人さんご夫妻と魚谷さんにご挨拶したことがある。このとき貰った奥さんの名刺によれば、札幌市内白石区にあるコミュニティFM局の「FMしろいし WITH-S」(北海道綜合放送株式会社)は、奥さんが取締役総務部部長をしているところである。
 それでインターネットで千代信人さんを久々に検索してみたら、千代さんの新風のブログがいつのまにか終わっているじゃないですか。
 すぐにわたしは、新風の中のインターネット本部長とでも言うべき福岡の本山貴晴さんに「ひょっとして千代さんは新風北海道ブロックの部長は退任されたのでしょうか?」と間抜けなメールの問い合わせをしたのだった。
 すると、〈新風北海道は壊滅した〉という意外な答え。しかも、どうもそれ以上の詳しい話を、してくれそうにない。
 新風北海道本部の次期代表(ということはすなわち来年の参院選の北海道比例区から立つことになる人)は、綿谷正さんというかなり高齢の方に決まったということだけは承知した。
 そこで「綿谷正」とグーグル検索してみたところ、9月25日時点で、ヒット・ゼロ。いまどき、珍しい現象じゃないか。
 想像してみてくれ。来年の夏に参院選の告示がある。そこで、新風の北海道比例代表候補は綿谷正という新人だと世間は知らされる。北海道の若い人がその名前をPCで検索する。ヒットはゼロ……。
 「いったい、どういう社会人だよ?」との疑問を、ふつうに抱かれてしまうことであろう。いまさら文句を言うが、千代さんのときもそうであった。インターネット空間で、プロフィールを把握することがほとんどできないのだ。こんなことを繰り返すようだと、「胡散臭い」というイメージをもたれてしまうに違いないぞ。
 そこでわたしは、札幌医大の高田純先生に別件のヤボ用で会いに出るのを機に、綿谷正さんへのインタビューを試み、その結果知り得た綿谷さんのプロフィールを「放送形式」に公開しておこうと思い立ったのだ。
 その日取りが2009年10月17日と設定された。場所はJR札幌駅地下街の某喫茶店だ。
 以下、テープとメモを元に再編集して提示します。無論、文責は全く兵頭一人にあり。
綿谷:わたしは札幌のすぐ隣の江別で昭和4年に生まれまして、戦後はずっと江別市の住民です。戦前の江別には、王子製紙と火力発電所くらいしか工場はありませんでした。わたしは尋常高等小学校高等科を卒業した後、予科練に入りました。それが昭和19年です。
兵頭:霞ヶ浦ですか?
綿谷:いえ、乙種ですから三重県の海軍航空隊です。
兵頭:昭和19年にはたしか、中京大地震がありましたよね?
綿谷:12月7日でしたね。それは航空隊で体験しました。翌年3月7日に汽車で愛知県に移動しました。防空壕掘りの作業にかり出されたのです。途中の名古屋は、空襲でもう何も無かったですね。
兵頭:飛行機用の掩体を掘る作業でしたでしょうか。
綿谷:通信施設用の地下壕でした。深さ4m、幅4m。それを、つるはし、スコップ、もっこだけで作るのです。廠舎が飛行機格納庫の隣でしてね。夜10時過ぎに就寝するんですが、朝の3時半にはもう隣でエンジンの暖機運転が始まりますので、とても寝られませんでしたよ。そして、朝メシの後は、どんな天候でも駆け足で現場へ向かうのです。それでその駆け足のさいちゅう、20人以上も、いっぺんに倒れてしまいました。わたしはその中でも重症でしたので「病室」からさらに「海軍病院」へと送られたのです。そこでも空襲に遭いましたけれども、とうとう終戦をその海軍病院で迎えることとなってしまいました。
兵頭:ただちに復員ですか?
綿谷:入院患者はそうは行かないのです。昭和20年11月15日に「解員」になりました。けれども軍隊の病院らしく、米俵を背負わされて駆け足をさせられました。そこでわたしはまた倒れてしまい、もうダメかもしれないという重症に陥りました。患者長は叱られてましたね。わたしは、「どうせ死ぬなら北海道で死にたい」と申し出まして、昭和21年3月に、札幌の簾舞[みすまい]にある白川病院という軍の療養所に転院することができたのです。そこは海軍も陸軍も一緒の施設でした。
兵頭:汽車には窓ガラスはありましたか?
綿谷:ありました。白川病院では、「お前は若いからすぐに治る」と元気付けられました。本当にそのとおりになりました。昭和22年6月に、江別に帰省しました。その折の6月14日から16日までの「札幌祭り」は、忘れもしません。わたしは、そこで傷痍軍人のための募金をしたのです。当時、傷痍軍人たちは、めいめいでみすぼらしい姿で募金をしていましたが、あれではいけないとわたしは思った。彼らに代わって大金を集めてやって、それで最後にしてやりたいものだと考えたのです。人々の反応は、それはすごかったですよ。「ありがとうございます」とわたしが頭を下げている間に、皆さんが、10銭札、50銭札を、次々と投入されるのです。もう、ひっきりなしですよ。
兵頭:コイン用の金属がないために、当時そういう小額の紙幣があったのですね。
綿谷:驚くなかれ、そうやって22万円も集ったのです。日本人の皆が、傷痍軍人に感謝こそすれ、あの戦争が悪かったなんて言うものは、誰もいやしやしませんでしたよ。
 この療養所時代に、わたしは「生長の家」を知ることになりました。患者仲間が死にそうになったとき、まだ生きているその人のために「お経をあげよう」という兵隊がいましてね。「縁起でもない」と思いましたが、それが「甘露の法雨」という、生長の家のテキストだったわけです。わたしも読んでみました。人間は死んでも死なないのだ、と書いてある。
 その患者は、死にましたが、喜んで亡くなりました。「俺は死んでも死なないんだ」ってね。善人ではありませんでしたが、往生は立派でした。じつはその前に、一人の陸軍軍曹の患者仲間の臨終も看取りました。彼は「俺は死にたくない。死なないぞ」と叫びながら、くやしそうに死んだんです。この二人の末期のコントラストが印象的でした。22年のうちに病気が全快して帰宅したわたしは、昭和23年1月に、生長の家の青年会に、誘われるままに入りました。
兵頭:戦時中の生長の家は、大東亜戦争全面翼賛の愛国主義スタンスだったので、兵隊の間では素朴に好感されたようですね。それで入信されたんですか?
綿谷:はい。病気なんてない。肉体なんてない。そういう教えです。良いところだけ聴いて、悪いところは聴かなければいいと考えて、入りました。昭和29年には、江別に「綿谷建具製作所」を開業して独立いたしました。この経営を平成19年の廃業まで続けました。
兵頭:生長の家は、戦後、はやばやと、保守主義の政治的運動も展開するようになったみたいですね。
綿谷:創始者の谷口雅春さんは、今の憲法はダメだから元の憲法にしろ、正しい明治憲法に復せと、いつも叫んでいました。多くの人が共鳴していましたよ。
 わたしも、社会党や共産党の主張することには、常から怒っていました。江別に社会党の浅沼稲次郎が来たことがあるんです。浅沼さんは演説で、教育勅語がダメだと言った。「君に忠に、親に孝に……」なんてダメだってね。それでわたしは、彼の宿の2階の部屋まで押し掛けて、「なんで教育勅語が悪いんだ」と問い詰めようとした。一言、二言の言い合いになったところで、宿屋の主人にひきずりおろされましたけどね(笑)。
 自宅の高いところには「正しい憲法にしよう」とか「君が代を歌おう」とか、いろいろな看板を掲げていました。
 地元の江別小学校には、子供が入学する前から、「日の丸を揚げてください」「君が代を歌ってください」と要求を重ねました。すると、彼らは「学校に子供が入ってから言え」という対応ですよ。
 それで、子供が入学しましたので、また要求をしますと、「何言ってんだよ、役もやらないで」という返事です。
 じゃあというので全校委員会の委員になりました。そして6年間、委員会で、国旗と国歌の要求をし続けた。「うるせえなぁあいつ、また始まった」と聞こえよがしの声がする、そんな委員会でしたよ。
 でも、運動会のときに、ある先生が告白してくれた。『じつは綿谷さんに賛成なんだ。おれは国体の選手だった。日の丸の大きな旗を6人で持ってトラックを一周して掲揚した、あのときの気持ちはなんともいえないもんだった。でも、ここではみんな国旗に反対だから、おれは何も言えなくて……。綿谷さん、がんばってくれ』ってね。
 もちろんPTA総会にも毎年、出ましたよ。この校長が、国旗や国歌はまだ法律で制定されていない、などと言うものですから、「国際慣習法の常識として日の丸は事実上の国旗であり君が代は事実上の国歌だ」とわたしは反駁してやりこめました。
 ある年、PTA会長に、校長の大嫌いな人物が就きそうになりましてね。よほど嫌いらしくて、校長がわたしに「綿谷さんがPTA会長をひきうけてくれませんか」と頼むじゃありませんか。そこで私は交換条件を持ち出した。もちろん、国旗と国歌の件です。それを呑むなら就任しましょう、と。
 すると、校長の顔から急に汗が噴き出してきましたよ。人間、強度のジレンマに直面すれば、あんなに汗が出るものか……。
 ともかく、息子が6年のときに、校長はとつぜん方針を変えたんです。国旗は掲揚され、国歌は斉唱されるようになったのです。息子が江別小学校を卒業してもなお1年間は、約束が守られたと聞いております。
兵頭:綿谷さんは、北方領土問題に関しては、全千島だけでなく、樺太の南半分も取り戻そう、とのご主張ですか?
綿谷:そうです。そういう主張の横断幕をじぶんのビルの3階に張り出していたこともあります。
 昔は、共産党の演説を聞きに行っては、会場でさかんにヤジを飛ばしていたものですよ。共産党は、「全千島を返せ」という立場ですが、あるときわたしは、ある共産党の市議候補に、「樺太も頼む」と、演説会場で立ってお願いを申し上げた。するとその候補は怒鳴り返したものだ。「いいか貴様、南樺太はな、あれは日本がロシアから盗み取ったものだ!」と。そう言われちゃ、わたしも黙っていない。「売国奴!」ときめつけた。血の雨5分前という空気になったところで「オーイ綿谷さん」と呼ぶ声がする。その人はわたしの借金の保証人さんだったですよ。その方の息子が共産党員だったんですな。もちろんわたしは引っ込みました(笑)。
 警察官の皆さんからは、「綿谷さん、すこしおとなしくしてくれ」とたびたび言われたものですよ。「あんたを守るために、ずいぶん気ィ遣ってんだよ」ってね。でも、やめられないじゃないですか。
 別な共産党の集会で、痛烈なヤジを飛ばしたときには、屈強の会場ガード数名からぐるりと囲まれたこともあります。あわや、袋叩きにされんとするところ、共産党の市会議員が慌てて止めに入った。というのは、そういう会場には必ず私服警官がどこかに潜んで監視をしているものなのですよ。暴力事件などが起れば警察側の思う壺ですからな。
 わたしがヤジで有名になると、集会への入場をさいしょから断られるようになりました。しかしそんなときは、「公共の建物を使った演説会なのに一般人を入場させないなんておかしいじゃないか」と、役所に苦情を持ち込むんです。その結果として、ある建物の使用そのものを禁止させたこともありましたよ。
兵頭:そんな綿谷さんが、なぜ生長の家にはあきたらず、新風の党員になったのでしょうか?
綿谷:これも話せば長いのです。わたしは、建具の製造事業を始めてから、大きな火事に2回、みまわれています。昭和54年の火事では、借金が急に5000万とか1億に膨らみました。
 もうダメかと思ったぐらいでしたが、当時、創価学会と喧嘩をしていましてね。創価学会の連中から「それ見れ」と言われるのは悔しいものだから、頑張ったんです。生長の家では、すべての宗教と仲良くしろと言っていたけれども、創価学会は、他宗を認めません。泥棒よりもまだ悪いなどと他宗を罵ります。
 火事の後の窮境で、わたしは、生長の家の一員としての自覚が浅かったのかな、と、自己反省をすることになりました。従業員を何人も使うようになってからは、組織の活動は、ほとんどかえりみていませんでした。そこで、あらためて生長の家の組織の中の諸活動をいっしょうけんめいにするようにしたんです。
 そしたら、奇跡が起きたのですよ。明日の手形が、もう、どうにもできそうにない。そんなときにです。今までなんぼ頼んだって「貸さない」の一点張りだった人が、急に「貸してやろう」と言って来ました。他にもいろいろなところから、「おまえ、苦しんでいるそうだから……」と、援助の手が、さしのべられたのです。「カネはないけど手形で貸してやるよ」とおっしゃる人もいました。お金の総額は、1000万や20000万ではきかないですよ。「こんなことが本当にあるのか」と思いましたがね。「これは信仰のおかげだ」とわたしは思った。
 その実体験を生長の家の新年会で語っていたら、あるとき地方講師が、「その話を、谷口清超さんや谷口雅宣さんの前でしろ」と奨めるわけです。
兵頭:生長の家の創始者の二代目と、三代目の方でしょうか。
綿谷:そうです。ついに2名が呼ばれて、1名が7、8分話すことになりました。ところがその1名がたまたま風邪で休んだため、わたしが予定の倍の長さの話をしていいことになった。そこでわたしは、貰った時間で、「大東亜戦争は立派な戦争でした」という熱弁をふるった。このお話は、地方の集りでは、それまで、誰からも反論されたことなどないものでした。
 ところが、なぜか谷口雅宣さんからですね、「他の人の話はよかった。が、おまえの話はおかしいんじゃないか」と批判を受けてしまった。
 その後ですよ。雅宣先生がさらに、月刊『理想世界』という生長の家の宣伝雑誌上に、〈あの「太平洋戦争」を、良かった、という者がいるが、とんでもないことである。あれは日本が悪かったのだ〉という内容の、寄稿をされたのです。じつは大東亜戦争の是非論については、信徒と、雅宣先生との間に、かなりの論争がございましてね。
 そこに、清超先生も乗り出してきた。〈そんな論争をやっているのはけしからん〉とおっしゃるわけです。〈そもそも日本が真珠湾攻撃という悪業を犯したから、原子爆弾を落とされて何十万人も殺されたので、それは仕方が無いんだ。何十万という数の問題ではない〉というような主旨。
 わたしは憤慨もし、また呆れもしましたよ。「こんなバカな話をするなら、こんな生長の家なんかにはもう居ないわ」と、おん出た。組織の上の幹部と論争しても、わたしが勝てるわけはありません。だから、わたしの方からご縁を切った。それで、今やわたしは無宗教です。
 今年の5月、江別市英霊顕彰会会長に就任しまして、7月に、仏教の法要をしてもらってはいます。けれどもね、仏教の人たちは、なぜか靖国参拝に反対なのですよ。浄土真宗大谷派は、〈千鳥ケ淵は良いが靖国には絶対に行かない〉などと言っている。大東亜戦争が嫌いで、反天皇ですらある。曹洞宗にだって、〈英霊と呼ぶのはやめよう〉なんていう動きがあるのですから。みんなどうかしています。
兵頭:そうだったのですか。しかし生長の家からの離脱が平成の初め頃といたしますと、「新風」の成立までにはまだ何年かインターバルがありますよね。
綿谷:しばらくは必死に仕事をしていましたよ。明日の手形を考える日々。でもさいわいなことに、バブルの影響で、景気が上向いた時期もありました。
 わたしは、故・影山正治先生が主宰されておられた「不二歌道会」にも所属しておりましたが、そこで人から、「新風」について最初に知らされたと記憶します。平成10年より後でしょうね。不二歌道会には、『國民新聞』の山田惠久先生も入っておられました。
 新風の本部に参りまして、わたしは、いきなり「終身党員」になりました。大東亜戦争についての評価にブレが無い党です。それで、ずっと党員を続けておるんですよ。わが国は、悪いことはやってきていないんですよ!
兵頭:新風時代以降の、綿谷さんの政治活動についてお話しください。
綿谷:千代さんが北海道本部代表だったころですと、もう若い党員が20人くらいいらしたので、わたしは何もする必要はありませんでした。それから3回くらい、参議院選挙を手伝ったこと、ぐらいです。
 平成18年まで党費の年額1万円を納めてくれていた人は、12人いたと思いますが、ご承知の不祥事件で、若い人はいなくなってしまいましたよ。ですから先日の札幌でのNHKへの抗議デモにも、北海道本部から、わが党員として参加ができましたのは、わたしと副代表――彼は牛を飼っている酪農家ですが――の、たった2名だけです。
兵頭:それは確かに「壊滅」ですね。
綿谷:救う会、そして日本会議北海道本部の方でもある弁護士の藤野義昭さんが、千代さんの言い分と、金銭的損害を申し立てている方々の側の言い分をそれぞれよく聞いて、どうも千代さんに分が悪いと判定しておられるのですよ。
 それで魚谷さんを呼んで話をしましたが、魚谷さんはやっぱり千代さんの肩を持つ。千代さんを北海道本部の代表ではなくするところまでで、党からの除名ができない。それで藤野先生は怒ってしまって、新風の講師団も辞め、新風とはすっかり縁を切ってしまわれた。
兵頭:選挙を一緒に何度も戦ったことで、魚谷さんには千代さんに対するかなり強い同志意識がおありになるのでしょうね。
綿谷:そんな次第で、昨年の党大会で、もう誰もなり手のなくなった北海道本部代表に、消去法のようにしてわたしが推されたわけです。けれども、こうして杖をついて歩いているこの八十翁が、長くこの代表をやっていて良いとは思っていません。早くもとの健全な姿に立て直さなくてはどうしようもないのですが、……苦慮しております。
 ――――ここまでで、綿谷正氏との問答のご紹介は終わりとしよう。
 兵頭が、このインタビューのあと、札幌の渡邉隆之氏その他に取材した話を総合するに、どうも千代氏ら2~3名の方々が党籍を残しておられる限りは、若い人がふたたび新風北海道本部のために働こうという気になることはなさそうな空気を感じましたね。正直なところ。
 しかし、綿谷氏の飾りの無いキャラクターは、兵頭が以上紹介した通りです。
 これを読んだ北海道の若いみなさん、江別の老活動家としての綿谷氏個人を、すこしばかり、応援してみてくれませんか? 新風とは切り離してね。
 そういう気持ちになってくれた人は、綿谷さんに直接、連絡をして欲しい。
 連絡先は、維新政党・新風 北海道本部
〒067-0005 江別市 牧場町6-5
電話・FAX 011-382-3004
 ……です。
 たとえば綿谷さんはとても一人ではHPを立ち上げることができないんですよ。
 誰か近所の人がボランティアで手伝ってやってはくれぬだろうか?
 そんな期待をしたいと思います。


発売日が確定。都内24日です。

 光人社NF文庫『有坂銃』は、本体620円。
 東京都内の書店で10月24日に出るようです。地方ですとこれより数日の遅れがあると思いますので、ご了承ください。
 同日発売の光人社ハードカバー『近代未満の軍人たち』は、本体1700円であります。
 コンテンツは、以下の通り。中味は、初出時そのままではなく、加筆してあります。したがって、連載記事とは違い、長短があります。
上原 勇作
寺島 健
板垣 征四郎
竹下 勇
永田 鉄山
和田 操
小畑 敏四郎
奥宮 正武
田中 静壹
南部 麒次郎
田中 隆吉
末次 信正
梅津 美治郎
南雲 忠一
高木 惣吉
小磯 國昭
米内 光政
樋口 季一郎
阿南 惟幾
森 林太郎
岩畔 豪雄
兒玉 源太郎
畑 俊六
 このオリジナルの連載は隔月刊の『表現者』にてげんざいも継続中です。幸いにまた二十何回かしたら、『2』を出せるのかもしれません。
 たしか今日あたりに出るはずの『表現者』最新号には「大西瀧治郎」を載せています。佐藤源蔵が「Ⅴ-1」情報に基づいて桜花のコンセプトを最初に発想し、それに大西が同意したのです。そしてその相談には年下の有馬正文が早くから関与していたとわたしは疑っています。海軍の特攻の生みの親はこの三人です。Ⅴ-1サンプルの潜水艦輸送が失敗したために、特攻は爆装零戦を検討するしかなくなったのでしょう。佐藤はサイパンで陣没しました。「命令特攻」散華第一号は有馬の陸攻クルーだったとするのが今では正しいだろうと思います。
 いや~、しかし本土決戦が生起していたら、沖合いの米空母から、コピーのⅤ-1が雨あられと飛来していたんですなぁ……。日本の工場は、鉄製のⅤ-1を、ちゃんとコピーできただろうか?
 レイテ戦以前の特攻思想に興味のある人は、「読書余論」2009-10-25配信号(200円)も是非チェックしてください。


Mr. Dyson’s Air Multiplier may vanish all rotors of helicopters

 世間の役に立つ新製品を続けざまに考え付ける人って素晴らしいですね。
 James Dyson氏の扇風機は、航空機の設計を全般的に変えてしまうんじゃないかという予感がします。
 むかし、OH-6の尾部ローターの代わりにターボシャフトエンジンの排気をテールに導いて横向きの孔から噴出させたらどうかという「No-ter」とかいう試行があったと記憶しますが、それはなにか具合がよくなかったらしくて、「没」になっているものと認識しています。しかし、フェネストロンの代わりにダイソン氏の扇風機を装着し(それは真円形にする必要もなく、長楕円形でも長方形スリット状でも良いはずだ)、ターボシャフトの排気と大気の冷たい空気を混ぜてサイドスラストさせるようにしたらどうでしょう。これはうまくいくのではないですか?
 さらに改善努力が投入されれば、効率上のブレークスルーが発見されて、ヘリコプターのメイン・ローターもいらなくなるかもしれません。とりあえず小型UAVをこしらえてVTOL実験してみるべきじゃないでしょうか?
 自身では大発明ができなくとも、それを為す組織をサポートしようというお金持ちもいます。とりあえず、ブラッド・ピット、偉い。
 テクノバーンの2009-10-14の「US Architect creates floating house for New Orleans residents」という記事。
 ミシシッピ洪水被害を二度と許さないぞ、という目論見で、耐洪水の「可泛」な家屋を考え付いたという。その技術集団のスポンサーがブラピ。
 コンクリート土台構造の上に家屋が載っていて、そのコンクリート構造がお椀船のように浮力を保ち、洪水が来た際には、ガイドの柱に沿って垂直に12フィートまで浮き上がることができる。水が引けば、しぜんにまた地面に降りてくる。家が流されない。
 過去のミシシッピ流域の洪水記録をよく調べ、12フィート浮くようにすれば十分だと見当をつけたようです。
 尤も、ハリケーンのまっただなかで避難もせずに木造家屋内に居てよいわけではなく、避難はしなければならないのですが、水がひいたらすぐに戻ってきて、屋根や壁の修理をすれば住むことができる。家屋全体の滅失はとりあえず防ごうじゃないかというアイディアです。
 兵頭いわく。これは第一次大戦中からある「戦時コンクリート標準船」の故智の転用かと思いましたが、地球温暖化問題にも一石を投じますよ。
 というのはグリーンランドと南極の氷が解けるとバングラデシュの沿岸部が海没し、1億人くらいの避難民がインドかビルマに逃げようとするんじゃないかと環境ロビイストらによってさかんに危機が煽られているのですが(イスラミックだから隣国および先進国では難民をひきとらないだろうとハッキリ予想できます)、コンクリート製の「浮かぶ集合住宅」を用意しておけば、この問題の緊急性はかなり遠のいちまうでしょう。ベトナムには船上で生活している人なんて既にゴマンといますからね。
 バングラ低地の海没対策さえできれば、地球の温暖化は、むしろ良いことの方が多くなるかもしれませんよ。特に不毛のシベリアが一大水田地帯と化すであろうロシアは、それが待ち遠しくてしょうがないでしょう。
 アラスカ州、カナダ、グリーンランドが世界の穀倉となり、北極海は地中海リゾートと化し、南極はジャングル大陸化する。海浜土壌が海に混入することによって海草もやたら増える。これって薔薇色じゃね?
 次。ロシアの核先制使用ドクトリンの内容がエスカレート?
 AFPの2009-10-14記事「Russia To Adopt 1st Strike Nuke Policy: Official」がイズベスチア紙を引用して伝えているところによると、ロシアは、局地レベルの通常兵器による侵略にも、核を先制使用する可能性を残したいらしい。
 つまり通常兵器ではCOINし切れないという不安があるのか。米国と違ってカネづまりなのでしょうけど、だんだんとすごいことになっていきそうです。


別宮暖朗先生の新刊が出たよ

 米海軍はいま、大型無人偵察機「グローバルホーク」の洋上哨戒機版である「BAMS」を常駐させて思うままに運用できるような広々とした飛行基地が、太平洋上にはほとんど得られないというので、これから深刻な悩みを抱えそうです。
 米海軍は空軍や陸軍ほど無人化に積極的でなく(というのはおそらく有事に人員が増やされる組織ではないから、平時から人を確保すべしという組織本能が強いのだ)、今のP-3Cをすっかり無人機で代替するつもりはない。
 有人の新鋭機P-8Aと、しぶしぶ、混用しようという方針。
 だから、既製の飛行場では、必要な余積が足りなくなる。とにかくBAMSはデカいのです。
 そこで前原大臣に提案しましょう。赤字の地方空港を、民用としては廃止しちまって、米海軍の無人機用に有料でレンタルしたら?
 ついでに海保(国交省)もBAMSの日本版をつくり、その基地を共用したら良いでしょう。捜索と救難の拠点基地にするのです。
 豪州とニュージーランドのコーストガードは、はやばやと無人機の採用を加速させています。それが合理的だからです。海保は、遅れています。たとえば無人の武装ヘリなしで、どうやって北鮮船を臨検する気?
 こんな話も、次の未来計画本で書いてみたいと思っています。
 さて、きのう並木書房さんから最新刊を1冊いただきましたので早速ご紹介します。
 『「坂の上の雲」では分からない 日露戦争陸戦 ――児玉源太郎は名参謀ではなかった』
 旅順の話を除いた、野戦と外交の評論です。あいかわらず濃密で、勉強になる内容です。これから日露戦争に論及する者にとり、必読参照文典の一つに加わることでしょう。
 またこれで一発、NHKスペシャル大河は、放映開始前からダメージを蒙るわけか……。
 著者の別宮先生も、もうそろそろご退院みたいです。目出度いです。
 内容ですが、井口省吾、ボロカスです。松川俊胤も一緒。児玉はこの二人の部下に作戦を任せるしかなかった。満州軍総司令部ができてから日本陸軍の作戦は逆にスローになってしまっている。満州軍総司令部の愚劣な作戦に隷下部隊が従わなかったことによって日本は勝つことができているのだ。
 得利寺では露兵は1万人死傷したと推定できる根拠がある。しかるにロシア陸軍省の公式発表は過少で、「真っ赤なウソ」。それを日本側『公刊戦史』は敢えて採用し、ロシア側の戦死者が少ないのは三十年式歩兵銃の口径が6.5ミリで低威力だからだときめつけた。だが事実は、日露戦争を通じて特利寺戦こそが日本陸軍の最大の圧勝だった。
 元老では、伊藤博文だけが光っていた。戦争指導部の中で国際法が分かっていたのは、小村と伊藤だけだった。この二人のコンビが、日露戦争をパーフェクトな「自衛戦争」にしたのだ。
 佐橋滋は、自衛隊違憲論の上にホンダの四輪車参入を阻止しようとした、国益などどうでもよかった統制計画主義官僚=井口タイプの勘違い参謀の見本じゃないか……などなど。
 痛快です。
 ところで『voice』連載の堀井健一郎さんの記事には毎回じつに考えさせられることが多いのですが、11月号では、松本清張の仕事のピークが49歳から59歳までの10年であり、司馬遼太郎のピークは39歳から49歳までの10年だった――とのスルドイ指摘が。
 『坂上の雲(六)』は司馬が49歳のときにリリースして完結。『(一)』は46歳のときだった。
 だとしたら当時の40代以下の読者が騙されたのは尤もじゃないかと納得しました。トシをとらないと見破れぬことは、多いです。
 さて、おそらく今月下旬に光人社さんから『近代未満の軍人たち』(ハードカバー)と『有坂銃』(NF文庫)が相次いで刊行されるでしょう。これでNHKスペシャル大河と「坂の上」史観は、またも打撃に曝される。いずれも加筆修正した新版です。ご期待ください!