中のヒト、お疲れさまです

 所帯をもつとテレビというものがあるので便利と迷惑が相半ばします。
 昨夜は初めて地上波の「プライド」(この奇妙なネーミングについては何も言いますまい、どうせヤクザの興行なんでしょ)を視てしまいました。
 いや、ハイビジョンでなくともこの映像はおそろしいですね。両方の選手の目の表情がクロースアップで映されてしまう。今回のはメインはほとんど「シナリオあり」だったじゃないですか。いいんですかね、この調子でプロレスになっちゃって?
 まあ、長期の目論見としては、ヤオ試合七分の中にガチ試合三分の配合で、試合場の緊張感と茶の間のドラマ感を維持できれば、もちろん今風の興行として大成功の部類でしょう。いいトシになってもたまにガチを指定される有名選手はたいへんだろうと思いますが、天職ですからね。
 シウバ選手は今回はいろいろなキツいクスリを打って来ませんでしたね。DOPE歴と今の年齢を考えたら確かにもう蓄積が危険な水準に近づいていますでしょう。お金もじゅうぶんに溜まったでしょうし、潮時なのだとお察ししました。
 韓国の柔道選手はずいぶんビジネスに納得したものだなぁと感心しました。しかし人が殴られる危険に直面しているとき、ああいう手のガードをするでしょうか。そこを視聴者に納得させられないと、なんだかんだと言われてしまいますね。
 なぜわたくしがこの番組にあらためて興味をもったかと申しますと、ここのところ週に一回、タダでブラジリアン柔術を教えてくれる人がいて、そのお兄さんにお手ほどきを願っているのです。これをじっさいに体験せずにあの番組だけ視てれば満足という大衆が、わたくしには信じられない。
 人間の最大の戦闘器官は頭脳ですけれども、人も動物である以上、「全身で考える」ことが、より有益です。
 テレビやモニターの前に座っているだけで何かを理解できたつもりになってはいけません。
 こんどのシナ暴動騒ぎでは、「あれは江沢民派の陰謀だ。胡錦濤は被害者で、迷惑している」との風説が日本で流布されました。
 原潜挑発事件のときと、まるで同じですね。
 全身を使わずに物を考えた気になれる大衆は、自分の気が楽になる妄説をドーピングのように求めてしまいます。せっかく、他人の目の表情をクロースアップで視せられても、心のサインが読めません。
 こんどのシナ暴動も、胡錦濤が一から十まで計画し、実施させている政治マヌーバです。

勝負はデモの前からついていた

 またしても胡のとっつぁんと外務省シナスパイスクールの共闘チームの一勝です。
 そして敗因は小泉純一郎氏、ただ一人にあることをわたくしはここで強調しましょう。
 シナ政治家の最近の作戦は、「傲慢な言葉で小泉氏に向かって恥ずべき要求をする」→「その直後にアクションを数段構えで実行して天下に示威する」というパターンです。
 前の原潜事件の場合は、「イ、『小泉は靖国に参拝するな』と言葉で要求」→「ロ、その直後に原潜のグァム島一周が知れ渡るようにする」→「ハ、しかし小泉氏は『靖国に参拝しない』とも明言しないし何のアクション(靖国参拝)もしない」→「ニ、そこでさらに領海侵犯させた」でした。
 今回の暴動の場合は、原潜が、暴徒の動員に変わっただけです。パターンはまるで同じです。
 ただ、「イ」の部分が、今回は報道されなかったように記憶します。おそらくこれは水面下で胡の言葉による要求が小泉氏に向けてあったのだと勘ぐってよいでしょう。それを取り次いだのはスパイどもでしょう。そのタイミングは、今回のジャカルタ会談の段取りの相談を外務省側からもちかけたときでしょう。
 じつは小泉氏は、「靖国にはもう参拝しないよ」と、外務省のスパイをして胡に向けて暗々裡に示唆させていたのではないでしょうか。
 これは日本国民と日本史に対する首相の国家犯罪ですが、ところがこんなことでは、シナ政治家にとっては勝利を意味しません。満足が得られないのです。胡は、小泉氏が靖国に投石して北京に土下座遥拝するくらいのアクションをしない限り、満足しません。
 小泉氏は、原潜事件の直後に、ひそかな決心を変更すべきでした。つまり、靖国参拝を再開すべきだったのです。それが北京の人面獣心政治家に対する唯一の正しい回答だったのです。
 しかし臆病な小泉氏にはそのアクションができなかった。脅しには屈しないというメッセージを行動によって返すことができなかったのです。
 そこで胡は「敵は弱っているぞ」と看て、今回のライオットという第二ラウンドを用意したのでしょう。
 第二ラウンドは胡の完勝に終わりました。小泉の「おわび」演説が、「靖国にはもう参拝しない」の言い換えであるという、宮崎正弘氏の最新の推測は正しいでしょう。
 しかしシナ政治家はここで「手打ち」にする気なんてありません。こんどは暴動とは別な手で、第三ラウンドを考えています。それは経済政策か、他の方法か…? 予見はできません。第一ラウンドのように、米軍や自衛隊が関与してこられる方面は避けるでしょう。
 ハッキリしていることは一つあります。日本の公人が自分ひとりの意志で靖国神社に普通に参拝するようになるまで、シナの脅迫と乱暴は已みません。
 今回は、小泉氏もしょうもないグズだとよく分かりましたが、彼以外の自民党代議士の腰抜けぶりが、わたくしには衝撃的でした。
 春の例祭以前のタイミングで、じぶんの判断で参拝して北京に意志を示そうとした人が一人もいないのですからね。一体どこの国の代議士なんでしょうか。
 日本の国会議員は、国民感情を北京に正しく伝えることよりも、中共の独裁者の意向に沿い奉り、外務省の腐れ役人の指導に盲従することを選んだのです。

全国のヒキコモリの暇じんどもに告ぐ

 本日、平河総合戦略研究所からメルマ経由で配信された「平河総合戦略研究所メルマガ NO.010号」の中の別宮暖朗先生の寄稿「日中国交回復は誰が望んだか」にはブッ飛んだ。
 破壊力のある記事とは、こういうものであろう。
 副題をつければ「教科書事件は外務省内のスパイが起こしたものだった!」
 必読である。日本の夜明けは近いぞ。

代議士が国民感情を代表しない国

 この時期に靖国神社に参拝する国会議員が次々と現れないことが解せません。彼らの仕事はほんらい「人気取り」ではなかったのでしょうか? いまほどマスコミに注目される時も無かろうと思うのですが…。
 それほどにシナからの平常の「賂い」が巨額であるのだとしたら、おそろしいことですね。
 もはや中共のスパイであることが疑われるのは、外務省や閣僚の一部だけではないようです。

在支領事館の現状保存を望む

 壁面に鮮やかに痕された現代の紅衛兵の前衛芸術。あれを消してしまってはいけません。永遠に残しましょう。
 シナ人民の本当の心を後世の日本人が忘れてしまうようなことになっては不幸な歴史の改竄と同じです。ずっと、たいせつに守り伝えていきたいと思います。
 壁を見る度、大使・領事も記憶を新たにし続けてくれるに違いありません。これはとても大事なことですね。
 

閉ざされたシナ語空間

 今朝拝見した太田述正氏配信の英紙摘録記事は、現在までの日本国内の凡俗メディアには絶えて見られない事実指摘で、さすがジョージ・オーウェルを生んだ国は記者やデスクの関心の在り処も違うと驚かされました。
 中共の国内情報部がシナ国内の全プロバイダーに裏から強いることにより、「リアルタイム検閲」が、それも、検閲されていること自体を愚かなシナ学生どもには悟らせぬ「変換マクロ」により可能である……。考えてみれば当然な可能性でした。この、国家検閲の21世紀の最新進化型が、シナ本土では遂に実践されるようになっているのです。
 そうであるというのに、本朝のTV・新聞のコメンテイターなどは、依然十年以上前の「インターネット幻想」の孫引きに終始している。特にマスコミ関係者の惚けぶりは際立っているように思います。
 一連の騒動は、歴史上の位置づけではシナ軍閥が大正時代から反復してきた相も変らぬ古い手口ですけれども、戦前は日本の政治家が有能であれば可能であったかもしれないカウンター・プロパガンダは、今日のシナに対しては難しいでしょう。
 インターネットや携帯電話は、独裁国家によるニュース統制や、国民感情の操作、さらには統制された暴動指示……すなわち「マス」に対する「洗脳」そのものに、じつに有効に駆使されることが、ただいま現実に実験され、証明されつつあります。
 このシナ政府がやっていることを、日本の左巻きマスコミや将来の政権与党などが模倣したらどうなるのか、考えておくべきでしょう。
 北京は、自国内で洗練した手管を、対外的にも使ってくるでしょう。
 「反近代」のシナ・朝鮮に対峙する方法は、「近代」の外にありません。しかし残念ながら日本人大衆と知識人の8割の精神状態は「近代未満」なのです。これは戦前も戦後もあまり変わっていません。そこを「反近代」人たちに狙われて、いいように翻弄されてしまうのです。
 とり急ぎ日本の有識者が実行できる仕事の一つは、「シナ事変は蒋介石の侵略であった」「満州事変前夜も今とまったく同様のシナ為政者による破壊活動教唆が続いていた」「尼港事件にはシナ人と鮮人も関与していた」「シナ政府はかつてウソしか言ったことはない」などの正しい歴史事実を、日本の低能ヒキコモリどもに分かり易く教えておく著作でしょうか。

摘録とコメント──山田吉彦氏の二著作

 沖ノ鳥島に往復した8日間の間に蚕棚のような二段ベッドの中で雑多な読書をしました。余談ながら、他にすることがなかったせいか、連日豪華客船なみの食事内容であったにもかかわらず、出発時計測の体重70kgが、帰宅時には66kgに減っていました。ダイエットにはタグボートでの遠洋航海をオススメできます。
 さて山田氏は日本財団の「事務長」という肩書きで本船(航洋丸)に乗り込んでおられましたが、一フリーライターに過ぎぬ兵頭が今回テレビや新聞主力の調査団に混ぜてもらえましたのは、どうやら氏の「快諾」によるものなのです(『新潮45』編集部W氏の談)。
 このようにお世話になりながらご本人の著述を知らないままでは申し訳ないので、さっそく通読したのは言うまでもありません。
 以下にご紹介する二冊はいずれもエクスクルージブな内容を含み、広く人々に推挙できる良著でした。ただ残念なのが、タイトルや「宣伝コピー」に目新しさが欠けている点でしょう。類書との差異を市場にアピールできていない憾みがあると思いました。
▼『海のテロリズム』(2003年10月刊、PHP新書)
 江戸時代、加賀の米を大坂に運んだ北前船も、関門海峡の壇ノ浦と角島沖は、日和を見て潮を待って船出した。
 間切り航走術を発明したのはヴァイキング(p.88)?
 日本の輸入する原油の8割はマラッカ海峡を通過し、その量は毎日56万トンである。
 長さ300m、20万トンのタンカーが毎日3隻、日本に向かって通峡する。アラビア半島から日本までは14航海日。ペルシャ湾から日本までの間の海域を常時40隻の日本向け巨大タンカーが走っている。
 シンガポールには世界一の規模の石油精製所がある。
 なぜ15世紀にイスラムが東南アジアに普及したか。それは西方から海送される商品の魅力であった。改宗した現地人には、ダウの船長はこれらの商品を預け、「信用」を与えた。この功利を得んがため、現地人は競ってイスラムに改宗した。
▼『日本の国境』(2005年3月刊、新潮新書)
 現在のわが国の漁業従事者はたった30万人弱まで減った。外航船員は2003年で3336人、内航船員と漁船員などあわせると8万6208人。頼みは今やフィリピン人船員。
 03年の日本の海上貿易は9億1677万トン。
 日本の船会社は商船1873隻を支配するが、日本船籍なのは僅か103隻。日本船籍だと日本人船員を一定割合乗せねばならず人件費高のため、大概は便宜船籍(7割はパナマ)の選択となる。
 ただし船内では船籍国(旗国)の法律が適用され、便宜船籍船に日本の法律は適用できない。犯罪の捜査権も旗国の判断が優先される。しかしパナマ政府や警察が、日本の船会社のために骨を折ることなどありえようか。
 3浬領海を最初に主張し列国に強制し得たのはオランダで、英仏戦争から中立するための措置だった。18世紀前半の沿岸要塞砲の射程と一致。
 1977年以降も日本政府が宗谷、津軽、対馬(東水道、西水道)、大隈の4つの国際海峡に12浬領海を主張せぬのは、ソ連潜水艦を浮航させるガッツがなかったからだ(p.26)。※おそらくこれは平時の同盟国の潜水艦を隠してやるためで、有事には特例措置を停止してソ連潜に対してのみ通航拒絶する肚だったのだろう。
 大陸棚にコミットする省庁は、内閣府、海保、資源エネルギー庁、文科省で、一枚岩になりにくい。調査予算は各省からの掻き集めで04年度はたった150億円。1000億円用意しないと、200浬以遠の大陸棚の主権を国連委員会に認めさせるだけのデータは揃えられないというのに…。
 ある地質学者いわく、大陸棚に10兆円の資源が眠っているとしても、それを掘るには今の技術で10兆円以上かかる。
 04-12のシナ船のオキトリEEZ調査は、海中に音波を発信しながら航行していた。※ということは海中環境音の収拾ではなく、海底地形調査なのか。ちなみに先進国海軍の海中音響調査は、海域毎の常態バックノイズをデジタル化しようというもの。パッシブソナーのデータからこれをマイナスしてやれば、敵潜の音だけが浮かび上がる。シナはまだこのレベルに到達していない。※ただ、精密な海底地形調査もないがせにできないことは、05-1に米原潜『サンフランシスコ』がグァム島南方560kmを南下中、地図にない海山に衝突し死者を出した事故で再認識された。
 二月下旬の初鰹はオキトリEEZで獲れたもの多し。マグロの産卵地も、オキトリ=フィリピン=沖縄の三角形の中にあると推定されている。そこから三陸まで北上してくる。
 台風通過時のオキトリ近海の波高は17mになる。
 オキトリは護岸完工後10年しないうちに傷みはじめ、げんざい毎年2億円かけて補修している。
 旧海軍はS14〜16に10トンのコンクリート・ケーソン×500個を投入したが対米開戦により未成。そのあとが今の「観測所基盤」だ。
 やぐら組の「観測施設」は建設省が88年に組み立てた。
 04-11の日本財団による第一回視察団(団員45名)は、沖縄←→大東諸島に就航している貨客船『だいとう』をチャーターした。那覇からオキトリまでは1080kmで、船長はオキトリに行ったことがなかった。たまたま台風25、26号が発生し、終始荒天で、最悪日は波高6mだった。
 第一回視察では31名が東小島に3時間だけ上陸できた。
 日台間に海上犯罪に関するとりきめがないため、密輸・密猟事件の容疑者や証拠物件のとりあつかいは常に両国間の駆け引きになる。特に12浬以遠。台湾漁船も初夏に回遊する本マグロを追っており、石垣沿岸でかなり悪いことをしている。
 ただし台湾漁民は戦前から尖閣や先島群島の海域で漁業を営んでいたので、それを顧慮せずに締め出したままであるのは日本の落ち度ではないか。
 尖閣の久場島と大正島の米軍用射爆場は現在、使用されていない。
 ※解役巡視船『たまゆき』(1966竣工)がアルミ骨材で檜張り(p.133〜4)なのは、触発機雷対策ではなく、磁気機雷対策に非磁性材を使ったものと想像される。
 シナは1955にミスチーフ岩礁に漁民の退避施設と称する建屋を設け、いまやそれを定住施設に強化した。
 『つるぎ』は50ノット走行が可能(p.194)?

案外簡単にいくらしいアメ基地の北転

米軍人は、韓国への駐留を厭がるのと同様に、沖縄勤務も好んでいないということです。
 つまり、人々に嫌われているところに、わざわざ居たくはない。
 まして、砲撃訓練すら満足にできぬ沖縄県には、そもそも地上部隊(海兵隊)の基地となるべき基礎条件が不備なのです。
 日本で最大レンジの砲撃訓練が行なえるのは、北海道の矢臼別演習場です。この近くにもし移転できるものならしたいものだと、米海兵隊は思っているのだと、防衛庁の人から聞きました。(米海兵隊の上層部やOBには別な執着があるのだろうとわたくしは見ていますが。)
 では当の北海道の事情はどうでしょう。
 たとえば道南の第11師団は、もうじき旅団化されます。人数で数割減、装備品は物によっては半減となる。近年、とっくになくなるはずであった倶知安駐屯地の消滅を回避して欲しいとの地元の懇望に応えるため、函館駐屯地の第28普連からわざわざ1コ中隊を分派して倶知安へ常駐させているのですが、いよいよ師団が旅団化されてしまうなら、この中隊もぜひ手元に置きたいと、連隊長ならば思っているに違いない。まあそうなれば、倶知安駐屯地などは、たぶん維持はできないでしょう。
 北部方面隊の他の師団でも、西方に人員器材が抽出されるにつれ、倶知安のように統廃合される駐屯地を複数、生ずることでしょう。いずれの地元も、これには大弱りです。
 なぜ、自衛隊がいなくなれば地元が困るか? 数百〜千数百人の隊員が、所在の市町村に、地方税や保険料を納めてくれているからです。
 もちろん数百人の元気のよい隊員の消費活動が、地元の商売人たちに寄与する面も小さくはないでしょうが、それは目立つようでいて、じつはメインの問題ではない。
 地方税や保険料や国からの特別な補助(自衛隊めいわく代金)は、人々の目にこそ見えませんけれども、一市町村の運勢を変えてしまうくらいに、巨額で多大なのです。
 さて他方で、米軍が地元におよぼす「迷惑度」は、同じ日本国民からなる自衛隊の比じゃありませんよね?
 そして、米軍人は、駐留している日本の自治体に、税金も保険料も支払いません。
 日本政府は「米軍めいわく料」として、やはり特別な補助金を当該自治体に交付しています。が、それは、駐留米軍人が地方税や保険料を納めない分を埋め合わせてお釣りが余る……というレベルではない。
 つまり、米軍基地を日本の自治体が抱えることは、純粋に会計上の「損」になる懼れが、払拭できないんです。
 地元にとっては、もうひとつ、とても大事なことがあります。選挙です。
 20歳以上の自衛官には選挙権があります。地元自衛隊に好意的な、地方/国会議員や、地方首長は、その数百〜千数百の票をあてにできるんです。市町村レベルでは、これは決定的な数になります。
 (大きな声では言えないが、「キミたちはこの候補/政党に投票するのが至当だろう(反自衛隊のアカマル候補などに投票するのは自分の首を絞めるロープを敵に売り渡すようなものだぞ)」との示唆が中隊本部以上のレベルからあり、その後に営内居住者も全員、引率外出にて投票場に向かう、というのが慣例。もちろん強制は無いのだが、これほど効率的で確実な「票のとりまとめ」もないだろう。)
 しかるに米軍人は、その選挙権も持ってないわけです。
 米軍を誘致してやったはいい。しかしその米軍人どもときたら、次の市町村長選挙において、誘致決定に尽力した前首長を、投票で助けてはくれないのです。逆に首長は、地元選挙民の反発を買って、浮動票が対立陣営に流れて、次期選挙で敗れることになるかもしれない。
 こう見て参りますと、地元議員や首長にとり、「自衛隊誘致」と「米軍誘致」では、いかにも雲泥の差があることが分かりますよね。ところが、どうもそこのところが、日本政府(財務省)には、ろくに認識されていないようなのです。
 ようするに話は簡単です。
 「米軍の移転を受け入れてくれる自治体には、自衛隊めいわく代金の最低でも1.5倍を毎年度、継続的に投下しますよ」と、政府が地元住民に約束しさえすれば、沖縄から北海道への米軍移転話はトントン拍子で進むでしょう。
 逆に、この「公平な措置」を講じない限りは、米軍基地の国内移転は、およそ夢物語です。受け入れる自治体などゼロに決まっています。
 米軍基地は日本全体の国益のために日本国内にあるのですから、国庫補助というかたちで国民全体の負担とするのは当然でしょう。
 そして、その場合の「公平」とは、「自衛隊めいわく代金」よりも「米軍めいわく料」の方を1.5倍以上、手厚く地元に盛ることが、まずは第一歩の基本なのです。
 防衛予算は既に削られすぎています。財源としては、ODAをリストラクションして浮かせた予算を廻すのが良いでしょう。

 


防衛庁長官官房のGJ

 今朝の読売新聞紙上に空自のF-15の那覇基地配備決定が報じられましたね。そして夜七時のNHK-TVで全人代直前とてシナの国防費の印象的な額が報道されましたね。
 もし前者の報道だけで後者の報道がありませんと、「シナを刺激する気か」「軍拡だ、ハンタイだ」という阿呆左翼の声が上がります。しかし後者の報道により、シナのスパイも声を上げられません。上げれば、いかにもシナの手先、売国奴のように見られるでしょう。
 これが、アメリカ仕込みの正しいマスメディア利用術です。とうとう、防衛官僚もこのくらいの小技が使えるようになってきたのですね。
 いうまでもなく、読売の報道は、「期日指定のリーク」です。一紙にだけ抜かせる。その代わりに、シナの軍事予算が明らかになる日の朝刊に確実に掲載させたのです。
 

「ほ」氏にお答えします

 ご推薦のサイトを拝見しました。
 なるほど、「清張氏のリアル推理はぜんぶ外れた」という話をどこかで読んだ記憶があるのですが、「朝鮮戦争が米軍の謀略」ですか。
 ご本人は死ぬまでそう信じていたんでしょうか。1980年代に古代史にのめりこむあたりでもそうだったんでしょうか。じつにますます興味深い作家に見えてきました。
 ところで藤原彰さんのエピソードをお知らせくださり、有難う存じました。60年安保の少し前は、オルグの成功が党員の大手柄となる時代だったようですね。
 便利なもので、インターネットを使いますと、藤原氏の略歴が知られます。まとめてみました。
 陸軍経理将校の息子さんとして大正11年に生まれる。大軍縮期ですね。そして東京の代表的な陸士予備校だった府立六中から士官学校へ進んだ。加登川幸太郎さんによれば、一般中学から士官学校に進むと、陸幼出身者の要領のよい暗記に一驚するんだそうですが、藤原氏の頃はもう陸士も短縮教育です。昭和16年、19歳で見習い少尉。
 そのご大東亜戦争で陸大どころではなく、隊付き将校コース。昭和19年にシナ大陸で大尉の歩兵中隊長として打通作戦に参加し、負傷(右肺盲貫銃創)。同キャンペーンは連合軍の飛行場を潰すという作戦目的は達成したんですが、部隊の給養は最悪で飢餓病死が多発したようですね。また北支では、後方の高級将官の贅沢三昧も目撃しました。
 1945年の復員後、東大に入りなおし、1949年文学部史学科卒。50年に歴史学研究会書記。アカマル教授の多かった一橋大でも教えました。
 歴研はアカマル集団で、1954年に『太平洋戦争史』(全5巻)を出してアカマル流帝国主義史観での開戦経緯説明の定番となっています。
 その1年前の服部卓四郎の『大東亜戦争全史』とくらべますと、当時のアカマルの水準というものが分かります。高級軍人の目よりも高いところから戦争を総括している。このような「社会科学的」な切り口は1976年くらいまではほとんどアカマルだけが持っていました。なにしろ岩波文庫のアダム・スミスの担当は小泉信三とかじゃなくて、マルエン専門家だった大内兵衛だったんですから恐れ入るしかない。つまり、才能があったのに、旧軍での待遇には不満だった藤原氏が、東大でアカマルに染まったのは無理がありません。また旧陸軍は大学関係者からはとことん嫌われました。富裕家庭の秀才君を、二等兵にしてしまって、内務班で私的制裁でイジめたんですからね。学生が予備士官に全員志願しなかったのも日本の町民特有の困った問題なんですけどね。
 1961年に藤原氏が書いた『軍事史』のどこが偉大であるのか。これは巻末の参考文献をみただけでも分かるでしょう。同書を最初にわたくしが読んだのは大学生時代でしたけど、さすがにこの文献一覧は量が多すぎて、メモを全部とるのを諦めたほどです。最新のUSSBSも見ているし、明治期の本までぜんぶ目を通している。東大図書館も空襲では焼けませんでしたから、国会図書館にも無い資料も混じっているのはうらやましかったですね。と同時に、何かを批判するならこのくらい読み込むのは当たり前なんだとも思った次第です。
 日露戦争で日本はマキシム機関銃を実用化できなかったとか、小山弘健氏や林克也氏の本に依拠している武器の話には間違いも混じってしまうんですが、逆に、これだけ資料を読んでもここは分からなかったのだなと見当がつくから良いわけです(後で大江志乃夫氏が防研史料を使ってこの間違いの修正にかかかる)。
 1984年に防大教官が『失敗の本質』というオリジナリティのあまりない水準の本を出してタイトルだけでバカ売れしたんですが、そこに書いてある要素は藤原1961本にほとんど書き尽くされていた話でしょう。ミッドウェー作戦は5分違いの不運などではない、依然戦艦中心だったから、偵察、通信、そして母艦掩護で手薄になったのだと、藤原本は真相をえぐっていました。「すべてを自分に都合よく楽観的に判断し、希望的観測のうえに作戦を立てるという非合理性が、最後まで抜けなかった」(p.215)──こんなことももう1961年に書かれていたわけです。
 常に「天佑神助」をあてにしただとか、後から司馬遼太郎が批判することになる要点も藤原氏は書いていました。
 「日本海海戦時代の大艦巨砲主義、日露戦争の白兵突撃を、兵器の質的変化がおこった第二次大戦に、いぜん金科玉条としていたことに、その[戦略戦術の]硬直性があらわれている」(p.215)なんてのは、まるっきり司馬&NHK史観に受け継がれていますよね。
 兵器関係の誤記があるので絶版なんでしょうけど、惜しいことです。まだ読んでいない人は、図書館で必ず読みましょう。
 藤原彰、小山弘健、林克也といった旧いアカマル先生たちは、「日本があんなふうに戦うしかなかったのは情けなく、悔しい」と思っていたのではないでしょうか。つまり心底は愛国者だったんじゃないでしょうか。
 ところが全共闘自爆以後、さらに日支国交回復直後から百人斬りとか重慶爆撃の話をしている新しいアカマル先生たちは違います。彼らは心底から「反日」ですね。そして、日本をどうする、ではなくて、自分が注目されることが執筆の目的です。
 よくわからないのが鹿砦社の人たちで、このグループは日本がソ連や中共に占領されれば良いと思っていたのでしょうか。冷戦終了と同時に大転向したようですが、チャンスがあったら昔話をぜひ訊いてみたいものです。
 1996年にP・デービス著『地雷に浮かぶ国カンボジア』という最初の「地雷本」が出まして、このネタに出版不況にあえぐライターと版元が飛びつき、以後毎年複数冊が刊行される異常事態となりました。こんなもの個人で買う人がいるとは到底おもわれない。点数のピークは98、2002、03年ですが、04年でガクっと減っています。その間には船橋市での「図書館焚書事件」が起きた。まあ、全国のアカマル図書館司書に買わせてシノギをしようというところまで志操は堕ちちゃったのです。
 ちかごろ石原東京都知事は「書店で売れている本から図書館は買いなさい」と指示を出したのでしょうか。そうだとしたら解せないことです。公立図書館として公平な蔵書整備は「くじ引き購入」以外にありえません。購入のための司書は要らないのです。