◎読書余論 2009-9-25 配信分 の内容予告

▼佐藤堅司『世界兵學史話(西洋篇)』S11-7
 ナポレオン通の著者による、特濃の講義。しかし古書としてはかなり入手難だろう。そのエッセンスを知ろうじゃないか!
▼中村光夫『戦争まで』中公文庫S57、初版S17-7
 ヒトラーの強欲には限りがないと、いよいよ察したとき、フランス市井人たちはどのように開戦へ気持ちを整理せんとしたかを現地でリアルタイム観察。
 ヨーロッパは〈世界の都会〉なんである。だから「ヨーロッパ精神」で共同体をつくることができる。にもかかわらず、ヒトラー式体制が隣国に登場すれば、もはや戦争しか解答は無かったのだ。そして、ドイツ人はパリを敗戦まで完全に温存した(この模様はWWII中の遣独潜水艦の生存者のリポートでも確かめられる)。
 やはり、真のヨーロッパ共同体はあったのだ。独仏は大国同士、そうとうに馴れ合っていたのだ。アジアでは、到底考えられぬ話だろう。
 ポーランド人、スウェーデン人、トルコ人などの留学生が見せる小国人っぷりは、いずこも同じかと思わせる。
▼防研史料 『研究実験成績報告』S14-12-25
 海軍の糜爛性ガスの実験。
▼防研史料 『爆弾第59回実験実施方案』S17-12-19
 1号爆弾の「特填」「特薬」に関する資料を含む。
▼防研史料 『航空関係軍備 3/3』
 桜花を吊るせば鈍重かつ燃料不足となる一式陸攻をロケットアシストで離陸させる方法を検討していた。
 「連山」の次に「泰山」が計画されたこと。
▼防研史料 『官房軍務局保存記録、施策関係綴』第二復員局 S17-7~S20-8
▼防研史料 『航空関係』S13~S18 航空本部長
 源田實は、米の艦爆が艦偵を兼ねていたという事実をMI敗戦後も悟っていない、ということが歴然とする資料。つまり航空参謀が敵機動部隊編制の基礎知識を有していなかったという重大欠陥が、帝国海軍にはあったのだ。
 また、ミッドウェー空襲の前々日に南雲司令部は変針のために電波を輻射していたことが、この戦中のリポートで白状されている。
▼防研史料 『航空関係資料 消耗』
 S18-4-1時点で早くも「桜花」の発想が海航本内にあったと分かる資料。
▼防研史料 『兵器整備状況(航本系)』S18-1 航本第四部
▼防研史料 『黒木大尉(機)の特攻に関する意見』by黒木博司
 機とは、兵科将校ではなく機関科将校(=技術屋)だという意味です。
▼防研史料 『桜花の試作実験に関する命令 及 計画書(4種)』
▼防研史料 『特攻機桜花訓練所の急設』別府明朋
 この辺の資料の内容の一部は拙著『日本海軍の爆弾』で利用済み。
▼防研史料 『桜花二二型 四三型 試作経過概要』by三木忠直
▼『偕行社記事』No.725(S10-2)
 「将校刀に就て」という記事が興味深い。
▼司馬遼太郎『韃靼疾風録』中公文庫(上・下)1991、ハードカバー1987
 天才的作家が『中央公論』という媒体の衒学色に染まり、どうすりゃこんなつまらん小説を書けるのか、と問いたくなるほどの惨憺たる作品を連載しちまった。が、シナ人とモンゴル人の違い等に関する価値ある情報要素も埋まっていたのだ。
▼イザベラ・バード著、高梨健吉・訳注『日本奥地紀行』2000、原1885“Unbeaten Tracks in Japan”、初訳1973
 直江兼次がドラマ化されているようだが、庄内の農村が天国のように見えるのに対し、会津の農村は対照的に底辺そのものの貧困であったことが本書では証言されているぞ。
 アイヌ人の金髪についての証言。そして言う。「開拓使庁が彼らに好意を持っており、アイヌ人を被征服民族としての圧迫的な束縛から解放し、さらに彼らを人道的に正当に取り扱っていることは、例えばアメリカ政府が北米インディアンを取り扱っているよりもはるかにまさる、と私は心から思っている」
 ※それだけ松前藩が外道の極北であったわけ。すべての疑問は金田一京助を読めば氷解する。ちなみに『SAPIO』9/9号の小林よしのり氏は「義経神社」に興味を惹かれたご様子だが、金田一によってとっくに否定されているフィクションです。
▼大川周明『日本二千六百年史』2008毎日ワンズ、原S14-7
 蘇我氏は、信仰ゆえに亡ぼされたのではない。帰化シナ人と結託して日本を乗っ取ろうとしたためだ。天皇に抗せんとした反逆中核は、すべて帰化シナ人だった。※この辺を竹越與三郎の名著『二千五百年史』と比べると、数等品下ると評せざるを得ない。竹越のは文体は古いが内容が遥かに開明的で、折口信夫にも決定的な影響を及ぼしたわけだと納得できる。明治人は恵まれていたよ。
 宣教師はスペイン国王の偵察員であり工作員であった。日本国は兵力多く、直接侵略が不可能。それで、貿易を餌に信者を増やして間接侵略しようと決めたのだ。
 もし井伊大老が条約調印を強行しなかったら日本は米国と戦争になって、列強によって植民地化されていただろう。
▼蝋山政道・他『各国官吏制度の研究』S23-9プレブス社刊
 本書は意外にも戦中になされていた研究である。なんと日本では、M20以降、官吏制度のよしあしについて学問的に研究することが、政府によって禁止されていたのだ。そのような著述は発禁をくらうことになっていた、という。
 兵頭おもえらく、帝大で比較官吏制度研究が不自由でありすぎたことが、おそらく戦前日本の政治的エリート層をして、憲兵による軍部統御術を思いもつかせず、吉田茂のような恐軍病患者を生んでしまったのだ。
 蝋山氏は本書の中で、英米流の近代「官吏制度」と、「官僚制度」とを峻別する。後者の官僚制度とは、役人が議会や政党と無関係に国家の権力を握ってしまうファッショ政治だ。
 2009の政権交代により、ようやくこの官僚制度の解体が射程に入ってきた今こそ、この研究は再読してみる価値がある。
 たとえば戦間期のフランスで、帰化人を官吏として採用する場合に設けていた数々の制限。今後の日本ですぐにも参考になるだろう。
 ◆  ◆  ◆
 「読書余論」は、主に軍事系の古本を、兵頭が注目した一斑の摘記や読書メモによって紹介し、他では読めないコメントも附しているものです。(配信されるファイルはPDFスタイルです。)
 あまりに多すぎる過去の情報量の中から「兵頭はここは珍しいと思いました」というポイントだけ要約しました。
 大きな図書館に毎日通えない人も、最低費用で、過去の軍事知識のマニアックな勘所に触れることが可能です。
 また、ミリタリーしか読んで来なかった人には、他分野の情報が、何ほどか有益かもしれません。
 「読書余論」は、毎月25日に「武道通信」から最新号が配信されます。1号分の購読料は200円です。
 バックナンバーも1号分が200円で、1号分のみでも講読ができます。
 2008年6月25日号以前のバックナンバーのコンテンツは、配信元の「武道通信」のウェブサイト
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八木京一郎さまからの楽しいおたより

いやぁー、素晴らしかっただよ、兵頭さん。
天真改め天心君も感激しておりましたよ。
ところで、口の堅い、義侠心のある三菱・・・との兵頭さんの話に気になって
本日、その話の出た名古屋の洋服屋に行ってみたですよ。
ところが、10年近く前から何回も通ったその洋服屋が、いくら探しても見つからないんですよ。
おかしいなと思いながらも、何回も確認して、確かにその服屋があった場所に立ってみると、
そこは古ぼけた和菓子屋になっていて、狐に抓まれたような気持ちで店内に入ってみると
奥から着物を着た老婆が出てきて、「ここに服屋があったはずなんですけど・・・」ときいてみると
首を傾げるばかり。
「間違いなく2ヶ月前にここに服屋が・・・」と問いただすと、「うちはもうこの
地で20年以上和菓子屋をやっている」というじゃないですか!
奥に引っ込もうとする老婆にさらに聞こうとすると、今度は息子だという、ガタイの良い
目つきの鋭い男が行く手を阻むように現れたのです。
そこで私は今度は、そこから少し離れた場所にある喫茶店を目指しました。
そこのマスターが服屋の常連で、何回か顔を合わせる内に、その喫茶店にも行くように
なったからです。
服屋と違い、目当ての喫茶店はありました。
しかし、中に入ると見知らぬ男がグラスを拭いていました。
「マスターは・・・?」と聞こうとする私の目に、カウンターの奥に置かれた小さなフォトスタンド
が目に入りました。写真は笑顔のマスターが良く撮れていました。
写真に黒い縁取りがなければカウンターの男に続けてマスターの所在を尋ねていたでしょう・・・。
急いで店を離れると、携帯の時計を見て、私はある場所へとタクシーを飛ばしました。
工場の巨大な門から、次々に労働を終えた人たちが吐き出されてきます。
30分ほど待って、その「彼」が姿を現しました。
私は彼の後をつけ、コンビニから出てきて路地に入った場所で彼の後ろから腕を
つかみながら声をかけました。
「そのまま歩け。騒げば俺は何をするかわからんぞ」
「アンタは・・・!?」
「何が起こってるんだ? 一連のことは国産戦闘機に関係あるのか?」
その技術者は怯えていました。でもそれは私の腕力にではなく、もっと別のモノに
怯えているようでした。
「何の話だ。アンタなんか知らないよ。離してくれ」
「なら工場に戻って、守衛室の前で大声で喚こうか、アンタの腕を持ったまま。
この男が神心の機密をばら撒いてる、とな!」
「やめてくれ! そんなことをされたら俺は、俺は・・・」
「消されるか? マスターのように・・・。何故こんな事をする?」
男は辺りを見渡して、かすかに何かを呟きました。
「ナンだって?」私は聞き返しました。
「OND・・・」
「OND?  なんだ、それは? 何かの記号か?」
答えない彼に私は掴む手にチカラを加えました。
ベンチプレス200キロ挙げる鍛錬が役にたちました。
「三菱の社内コードだよ。俺も最近叩き込まれた。というより、刻みこまれたってのが
正確かな。腕を自由にしてくれ。すべて話すから」
腕を離すと、エンジニアは腕をさすり、おもむろにグレイの作業着のシャツの袖を
捲くり上げました。
肘の下のところに、小さく、しかしハッキリとそれは刻まれていました。
鋭い切っ先をもつもの、たぶんナイフでしょう、その刃先でくっきりと「O・N・D」と
刻みつけられていました。
「さあ、話せ! それはナンだ? 何の意味だ?」
技術者は今度はハッキリと聞き取れる声で言いました。
「O・N・D つまり・・・おしゃべりは・長生き・出来ない・・・さ」
男がニッと笑いました。その直後、私の後頭部に強い力が加えられ、それから後は・・・
気づくと私の家のソファでした。
「OND」のルールにも関わらず、頭の瘤だけで済んだのは、私が兵頭さんの
古い馴染みとしれていたからかもしれません・・・。
チャンちゃん!!


「一票」の無力を思い知った皆様へ > JSEEOへゴー!!!

 小選挙区制は、政権交替を容易にする選挙制度です。
 日本がこれを導入するに際して、漠然と手本と思っていたのはイギリスでした。
 ところが、彼の国とわが国とでは、もともと有権者の常識に懸隔があります。
 英国有権者の過半は 対外観に関して常識人です。
 労働党の長期政権となっても、パシフィズムの外交を採用したり、クレムリンの属国を志願したり、あるいは、バチカンの間接支配の手先そのものであるカトリックがメジャー宗派に昇格したりするようなことはありえない(英国は宗教の自由があるという建前ですが、ローマ・カトリックが宗派としてメジャーになるという自由だけは断じて認めやしません。それが彼の国にとっては独立の大前提だからです)。
 つまり少数意見(たとえばパシフィストの労働党極左)などは、むしろ小選挙区制によって切り捨てられてしまった方が、彼の国は、「国家心中」から遠ざかることが確実にできる、という文化になっているのでしょう。
 たとい労働党政権になろうと、英国の宗教的安定性は崩されないという自負が、大多数の英国有権者の間に共有されています。であらばこそ、地すべり的政権交代も、彼の国では無問題とされる。
 翻ってわが国の有権者の過半は、もう対外観・独立観がムチャクチャでしょう。
 かろうじて、終戦直後の第三国人の暴れっぷりを、進駐軍の諸相とともに、肌身に記憶している世代より以前と、団塊の次の次くらいの世代が、マトモです。これは、日本人が無宗教であることとも大いに関係がありましょう。
 それは兎も角、自国の独立に関しての没常識人が、有権者の過半を占めているような社会であるのであれば、「国家心中」を予防するために、たまたま勢いで政権をとった勢力がいかな出鱈目な売国のアイディアを思いつこうと、それを少数意見によって必ずやたしなめ得る、その程度の国会の議席比率が常に実現されるような国政選挙制度が、国家の安全保障上、要請されるはずですね。
 つまり、日本には、小選挙区制だけは、まちがいなくふわしくありません。五十年早いのです。
 この現行選挙制度では、もはや、わたしたちが憂憤のあまり泡沫政党をつくってみたところで、どうにもなりはしないでしょう(全国区一本の大選挙区制にでもならぬ限り、国防に関する地方の常識人の一票は、決して国会の議席には反映されないでしょう)。そこで百年河清を待つよりは、と、兵頭が考えたのが、JSEEOなのです。
 JSEEOは、メジャー政党や泡沫政党や新党に托すことはもはや不可能な、貴方の国防への思いを、国会に反映させます。もちろんそれは、常識を有する、あるいは来月あたり突如として「日本は属国だ!」と気づいた、現役の国会議員たちを通じて、です。
 皆さん、日本安全保障倫理啓発機構のウェブサイトにアクセスし、資料をご請求ください。そして、次回の講演会にもご参加ください。
 (もうじき、「設立発起人」数名の発表が、準備室事務局からあるだろうと思います。当機構の運営の中枢頭脳になる人たちです。)
 さて今回の国会地図の変化は、日本人が「日本は属国である」という現実に覚醒するためには、良いチャンスです。
 民主党の議員たちは、政権党となることによって、「ここまでも、日本はアメリカの属国でありしか……!」と、厭でも気づくしかないでしょう。
 気づいた議員やその周辺者は、その知識をもう消去してしまうことはできません。つまり日本人は、これからすこしばかり利口になるのです。これは国家財産です。
 自民党の古手議員は、誰もが、国政に携わったある段階で、「日本はアメリカの属国じゃないか」と気づいていながら、外務省その他の役人たちや大物政治家たちに説得されて、「ま、いっか~」と、既製事実になれ合って、以後はその属国構造からどうにか私的な利益を得ることを優先しました。
 これは、公事に関する無知の罪を犯しているといえる若手の民主党の連中よりも、罪としては重いはずです。日本の国益でないことをハッキリと知りながら、なすべき「変革」や「抵抗」をなさなかったという罪が、彼らはにはあったと、評すしかありません。その「罰」が、とうとう選挙でやってきてしまいました。
 JSEEOは、日本の独立と国防に関する、全国民を巻き込んだ、知的・道徳的な改革運動を展開してまいります。すでに議席を得ている若手議員等とともに、「属国ボケ」から目を醒ましましょう!
 この運動に協賛したいと思った貴方、今すぐに「日本安全保障倫理啓発機構」のHPに、アクセスをしてください!


みなさん、文京区シビック小ホールでお目にかかりましょう!

 たぶん29日の当日入場もぜんぜんオッケーな筈。
 八木京一郎師匠、29日の朝っぱらでよければ、お連れの方とともに、回転寿司をおごらせていただきますよ!
 ところで、この場を借りて、ぶしつけなお願いです。
 『自衛隊装備年刊』の2005年度版以降のご不要になった古本を、JSEEO事務局に寄付してくださる方、もしいらっしゃいましたら、事務局の住所までご寄贈ください。(揃った時点で「事務局からみなさまへ」で告知します。)
 それから、航空雑誌の各社で出している「世界航空機年鑑」のようなもの、こちらは、2002年度版以降の古本がございましたら、ご寄贈ください。
 何が目当てかというと、そういう年鑑の巻末には、必ず「未来予想」の文章が書かれているでしょう。それを一通りチェックしたいのです。用が済んだら、あとは事務局の備品に致します。
 (なお『防衛白書』と『防衛ハンドブック』は、毎年の最新バージョンが拙宅まで届けられていますので、ご寄贈ご無用でございます。)


清水政彦氏著『零式艦上戦闘機』(新潮選書)を読了す。

 いきなり古典が出たぜ……。
 本書はWWIIおよび一般戦史の研究者にとってはもう必読の好資料となるしかない運命にあります。
 ですので「旧軍機マニア」を誇る人なら、他人より一刻も早く買って読了しておくべきでしょう。一日それが早ければ、一日無知を晒さずに済みますけん。これは老婆心であります。
 いま韓国の衛星打ち上げロケット(サイズとしてM-Vそっくりだというところが、もうね……。中共の軍事新聞はこれがハッキリとSSMだと看破してるよ)がなかなか上がらないので韓国人が半泣きなんだが(次の予定日は25日だと21日に発表したそうですけど…)、少数の技術者や当路者が優秀だったり頑張ってみたって、国家の全局の趨勢は一挙に変えられるもんじゃないんだという、あたりまえな「戦訓」が、清水さんのこの本から明瞭に得られるはずですよ。
 これは政治や選挙でもそうだけど、戦史研究でもまったく同様に言えることで、一人の著述が突出して良いことを言っていても、それだけじゃ社会が聴く耳を持ってくれない。全体の水準が上がらねば、「戦史の教訓学」も進歩しないのです。その意味で本書は、日本の戦史研究が着実に前進しているというひとつの心強い指標でもあります。
 (それにしても新潮社内の担当編集者は誰なのだろう? 「おわりに」で全然ふれられていないので気になる。名編集者なくして名著なし、ですからね。)
 あ、そうそう……皆さん、これを書店で購われるついでに、是非、拙著『たんたんたたた――機関銃と近代日本』(光人社NF文庫)のお求めも、ひとつお忘れなく!


NYさま

 インターネットの開通おめでとう存じます。
 いったいこれから何日間で「放送形式」を#1から全部イッキ読みできるものか、わたしも個人的にたいへん興味を覚えますので、よかったら後で教えてください。
 また落ち着かれましたところで、《月刊『正論』クロスライン》の各号解説を手短かに纏められ、リファレンスとして逐次にアップロードして公開していただけると幸いです。
 なにしろクロスラインのタイトル(これは編集長がつけています。送稿時に著者はタイトルをつけていません)だけ分かっても、内容の見当がつかぬため、書いた本人すら過去分の参照には悩まざるを得ないという状態なのです。
 今まで、誰かがやってくれるんじゃないかと期待していましたが、皆さんそこまでお暇じゃないようですので、この際、長文を短くする才能のある新人の方にお願いしようと思いました。
 まあ、一円も出ないんですけど、皆さんが新たな娯楽を発見することになるでしょうから、間違いなく、この世の中に徳を積むことにはなります。
 もちろん、辛辣な一口評をいちいち付記していただくのも大歓迎です。
 ご健闘を祈ります。


「米印日豪同盟」(西太平洋&インド洋=大東亜条約機構)が濃厚に

 2009-8-16にUPIがニューデリーから寄稿した「Boeing’s P-8I deal with India set to roll」という記事を漫然と読んでいたら、最後の方に、新華社通信のワシントン観測が紹介されていて喫驚!
 こんどの米印条約(米国から売られた軍事技術をインドは第三国に漏らさないと約束する)を核に、アメリカ=インド=日本=オーストラリアの四国同盟を、アジア版NATOにするつもりじゃないかとシナ人は勘ぐっているのだ。
 「東アジア共同体」の方は「だが断る」だが、こっちは歓迎できる。久々に明るい話だと思った。
 金大中氏が病死したという。あの、金大中誘拐事件という重大な主権侵害事件は、いまだにキッチリとオトシマエがつけられていない。自民党と韓国政府の関係は、腐っていたと言う他ない。だから北鮮も調子に乗るし、竹島も今のようなことになるし、対馬も危ないのだ。民主党はこの腐臭漂う戦後の対韓関係をどう清算するつもりなんだ? 選挙期間中にハッキリさせるが良い。
 大東亜条約機構に特亜を入れないということは、日本はそれ以後は韓国とパキスタンに冷たくしますよということだ。それでいいんだ。
 韓国は米韓合同演習のさなかにKSLV1を打ち上げてしまいたいようだな。さあどうなるでしょうか、というしかない。
 シナの軍事新聞が朝日を引用して報じている。2009-4月出港、9月帰港予定の海自の遠洋航海の訓練艦隊(駆逐艦3隻)が、香港への立ち寄りをことわられたと。そんなことがあったのか。けっこうけだらけだ。
 台北09-8-17日電。台湾の中部の2700人の軍隊キャンプで爆発的に新兵が感染。すでに374人も。
 例のインフルエンザ?
 これはクーラーの効いた室内でなまけているのが原因だとは少しも考えられない症例ですね。
 ロッキード・マーチンは世界最大の軍需企業のくせして、どうしてJLTV(Joint Light Tactical Vehicle)なんていう軽量耐地雷4×4市場に飛び入ってきたのか、あまり関心がなかったので無関心で居ったが、ミリテクの8-17記事で、アルコアが一枚噛んでいると書いてあって納得。飛行機の技術であるアルミ特殊合金で装甲車構造を軽量化しようってんだな。
 飛行機も新素材採用ばやりで世界的に特殊アルミの需要が減っちまったもんだから、余剰生産物を車両に使ってくれというわけか。M113のときと、同じや!
 じつに懲りない奴等だ。アルミ構造は鋼構造よりぶあつくなるから、命中したRPGのHEATのメタルジェットが経路で気化する分子量がそれだけ増え、車内は余計に悲惨なことになるのだ。それがベトナムでのM113の教訓だったはずだ。ヒズボラのロシア製ATMは、メルカバを4両も貫通してるんだぞ。いまや土人ゲリラが精密誘導兵器をバカスカ撃って来る時代なのだ。フォークランド紛争でアルミ船体がエグゾセのHE弾頭の熱で燃え上がった。彼らはみんな忘れてしまったのか。
 三菱重工はぜったいにこんな真似しないようにね。アルミ製の73式APCは立派なスキャンダルでしたから。
 vivek raghuvanshi氏の2009-8-13記事。インド陸軍はBMP-IIを無人偵察車に改造してテスト中。将来は無人戦車をつくるつもり……だと……。
 さすが米国が最重要同盟国として日本からサッサとのりかえようとしているインドだぜ。この方向は正しいよ。無人AFVならアルミだってOKさ!


決定的情報ぱねえッす

 田中健Q様から、グーグルブックで調べたら、ブリタニカ百科事典のOrdnanceという項目にそれらしき言及があるというご指摘を頂戴しました。
 そして当該箇所の用語であらためて検索をかけてみましたら、ブリタニカの1911年バージョンがほとんどHTML化されていて利用可能であることを知りました。
 みなさまは 
http://www.1911encyclopedia.org/Ordnance
 で、ご確認いただけます。
 Classic Encyclopedia Based on the 11th Edition of the Eycyclopaedia Britannica(pub.1911) の Ordnanceという項目です。
 以下、ちょっと引用。【 】は兵頭の補註。
 The British 15 pr. used in the South African War (1899-1902) had a spring spade carriage designed by Sir George Clarke. 【これはスペードと単箭の間にバネをかませてショックを緩和しようというもので、三十一年式野砲のデザインとは無関係です。】
 Similar equipments were introduced by several continental powers.
  The Japanese gun used in Manchuria (1904) had dragshoes attached by wire ropes passing round drums on the wheels to a strong spring in the trail.【これがまさしく三十一年式野砲のことです。日英同盟中にもかかわらず、日本陸軍はイギリスに対してロクに装備情報を通知してなかったのでしょうか。タイプナンバーが知られていなかったようです。】
  On recoil the wheels revolved backwards, compressing the spring; after recoil the pull of the spring on the wire ropes revolved the wheels forward and returned the gun to its former position.
 The Italian 1902 semi-Q.F. carriage was constructed on a very similar principle.【クイック・ファイア=速射砲です。セミというのは、これが駐退復坐機による方式ではなく、また、水平スライド式鎖栓でもないからでしょう。1902年といえば明治35年です。有坂砲は明治30年にプロトタイプ完成。陸軍省は明治32年に仏と独に量産用のパーツを発注しています。】
  All these semi-Q.F. equipments were open to【非難を招く】 the objection that the gunners had to stand clear of【~から離れて立つ】 the shield every time the gun was fired. They have since been superseded by Q.F. gun-recoil equipments.
 【引用おわり】
 このイタリアの1902年の75mm野砲の写真がないか、画像検索しましたが、ヒットしませんでした。どなたかお持ちでしたら、幸いにもアップロードしてご教示くださいますれば、視界の研究前進のため、嬉しく存じます。
 しかしどうやら、三十一年式の独特な復座方式は、有坂成章の発明だったのだと確信が持ててきました。田中さま、ありがとうございます。
 さてそうなりますと問題は、イタリア人は誰からそのアイディアを知ったかです。わたしは、有坂成章が直接に教えたのではないかと疑います。有坂は明治32年のハーグ会議に、工兵科の上原大佐とともに随員となって参席しました。有坂は、ハーグ市もしくは欧州のどこかで、かつての恩人のグリローの関係者と懇談しているのではないでしょうか?
 乃木希典が明治41年1月に、陸相の寺内のところにやって来て、28榴の恩人の伊軍人グリローに叙勲してはどうか、と具申をしています(寺内日記)。
 ひょっとして、グリローの仲間のイタリア人たちは、有坂成章が明治20’sに渡欧した折にも、有坂を支援していたのではないでしょうか?
以下、欧米の検索者のための基礎情報呈示。
about arisaka’s 75mm field gun of type 31. 31 means that they started to product them in 31th year of meiji, i.e.1898. type 31 was the main field gun of japanese divisions during russo-japanese war, 1904-1905. precisely speaking, a test bed of type 31 was trialed in 1897, and an improved version was finished in 1898, and the mass-production was started in 1899, i.e. meiji 32. japanese army also adopted the arisaka’s 75mm mountain gun of type 31.


議事堂を見下ろす高層ビルこそ「反民主主義的」と何故心付かぬ?

 雑誌『表現者』のもうひとつの座談会で宮崎正弘さんが、「昔は皇居を見下ろすなんてとんでもなかった。皇居の前のビルは全部上限十二階だったんですよね。」「尊皇の心なんてないのではないか。」(p.24)と言っておられるのは、趣意としておおむね正しい。
 関東大震災が起きる前の大正9年に、もう政府は「市街地建築物法」を制定していた。別名これを「百尺規定」という。
 100尺=31mである。
 オフィスビルでは1フロア分が垂直3~5mをとると考えれば、この規定に従ったビルが、12階にもなることはないだろう。
 「十二階」とは、震災で半壊し、赤羽工兵隊によって爆破処分されている浅草の「凌雲閣」の別名で、その避雷針までの高さは52mあった(兵頭・小松共著『日本の高塔 写真&イラスト』1999刊を参照)。
 100尺=31mは、あとかたなくぶっこわされちまった旧丸ビルの軒高である。隣の旧国鉄ビルも同じ軒高で揃っていたものだ。
 それは決して威圧的でない高さで、空も広々と見える高さであった。
 要するに東京のビルの高さ規制は特別に皇居周縁だけに適用されたわけではなかったので、昭和38年に建築基準法が改正されるまでは、都心に丸ビルを超える商用ビルは、民用としては新築が不可能だったのだ。
 旧丸ビルの高さであったら、かりに皇居の内堀に面して建てたとしても、大内山の九重の奥を覗く事は物理的に不可能であったろう。
 だから大正9年以後は、安全基準が、同時に不敬防止になっていたともいえるわけだが、効能は決してそれだけにとどまるものではなかった。
 この軒高統制のおかげで、昭和40年くらいまでは、首都の公共建築物に、無理なく美的な威厳が備わっていたのだ。
 たとえば国会議事堂は65.4mで、いまなら超高層というものではないけれども、周辺がぜんぶ百尺どまりだから、巍然として聳え立って見えたわけだ。
 オレがまだ函館に引っ越す前に、この国会議事堂の近くに、とんでもない高層ビル(ホテル?)が建てられた。(『表現者』最新号の表紙の空撮写真の右上に、それが見えている。)
 これをつくったオーナー&工事会社もとんでもないが、これを許可した役人も、心底が見えたという感じだ。こんな蕪雑な高層ビル(ホテル?)に見下ろされている国会議事堂を、いったい誰が有り難がるんだ? 国会議員も一人くらい、怒ったらどうだ? もうあのビルの計画が許可された瞬間、日本の戦後民主主義なんて、メッキの剥げ落ちたマッチ箱細工も同然に煤けてしまったのだ。
 役人が徹底的に立法府をバカにしていることが、代議士がそれに甘んじていることが、もののみごとなぐらい情けない景観により、世界中に広告され続けている。
 日本の議会制民主主義は、進駐軍から戦後に与えられたもんなんかじゃねえんだっていうメッセージを、あの戦前竣工の国会議事堂は、そりゃあ力強く発信していたんだぜ。その明治自由主義維新のシンボルを、てめえたちでビル蔭に抹消しちまいやがってよぉ……。
 ふさわしい。鳩山氏がこんな埋没した国会議事堂で総理大臣に選ばれるのは。
 もういっそ遷都した方がいいと思うよ。東北以北ならノドンは飛んできませんから。
 AFPが8-12に、アメリカの軍人その他が6月からシリアをしきりに訪問していると報じた。
 そしたら8-14に共同が、北鮮製のミサイルをシリアが5月後半に国内の南から北向きに2発試射して2発ともコースを逸れ、町に落下した1発で死者20人とか報じている。
 こういうSSMはもうブースト段階で飛行機(無人機ふくむ)からAAMで撃墜しちまおうという案にさいきん米国は熱心なのだが、David Fulghum 氏の2009-8-14寄稿の記事にはブッとんだ。やはりそうか。
 ジェネラルアトミックス社いわく、「プレデターC」の対日販売は、MTCRに抵触する……だと!
 欲しくても買えねえんだよ。外国の高性能の攻撃用無人機は。
 どうするんだ、F-15の翼下に吊るすようなオモチャみたいな偵察用無人機を4機試作しているだけの防衛省さんは? もう周回遅れなんてレベルじゃねーぞ。おーい。


本当にあるずうずうしいお願い

Bernard Graefe, 1990, “VOM EINZELSCHUSS ZUR FEUERWALZ”
 という洋書をお持ちの方、その
p.68
 にある「1896年式 固定砲架野砲」とやらの図版を御覧になり、
それが、日本陸軍が明治31年に制定した「三十一年式野砲」と、
特にリコイルシステムが、どのくらい似ているものか、至急に、わたくしまで、お知らせくださいませんでしょうか?
 ちなみに三十一年式野砲のリコイルシステムは、単箭の尾部内部にある筒(皿型バネが何枚も重ねて入っている)の圧縮バネに結合された左右2本のワイヤーロープが、発射反動で後ろに回転する2輪のハブ内側のキャプスタンにギュッと巻きつき、それが、バネが戻る力によって車輪を逆回転させて砲車全体を元位置に復座させるという、インターネットではまずヒットしない、独特なシロモノです。
 これが有坂成章の独創であるのか、それともクルップかなにかの真似であったのか、決定的な情報をお知らせくださった方には、10月頃にできる見通しの『有坂銃』のNF文庫版(改訂版)が刊行されました暁に、サイン入りで進呈いたし度いと存じます。
 じつは上記洋書の情報はある有名な御方から1999-3-10にご教示を賜ったのですが、洋書なんて買えない貧乏暮らしが長かったため、今日の今日まで確認努力を怠ってきました。まったく情けないッス。(この御方は「それじゃコピーを送ってください」と気楽に頼めないくらいに偉い方なのです。ぶっちゃけ、長谷川慶太郎さんです。)
 以下、余談。
 小生が「近代未満の軍人たち」を連載しています『表現者』の最新号(vol.26)が昨日届きました。お盆進行なんですね。
 この中に、平沼赳夫、中川昭一、安倍晋三の現役代議士が出ている座談会があったんですが、その3氏の中で、安倍氏が、世襲問題のみならず軍事に関しても、いちばん「おかしく聞こえない」発言でまとめているのに、感心しました。
 ほんの一部を摘録しましょう。
中川「……、正直言って中国の方が日本よりもGDPが上というのは、許せないとは言いませんが(笑)、厄介なことです。……」(p.129)
平沼「……。例えば中国の原子力潜水艦が、アメリカの機動艦隊の五マイルのところまで接近した。……。しかしこれは軍事的に見ると、五マイル以内に近づいたということは、原子力潜水艦には核弾頭がついていますから、アメリカの機動艦隊を破壊することだってできるという、そういう情勢になっている。……。……台湾によく行きます。そうすると台湾海峡を目指して、中国の中距離ミサイルが千三百発配備されているんです。毎年二百五十発ずつ増えている。角度をちょっと日本のほうに変えれば、日本は射程に入るわけです。……」(p.132)
中川「……。空からくる核も恐いですけれども、やはり潜水艦の持っている核が物凄く恐いわけです。これは中国とロシアですね。そうすると戦略型原子力潜水艦に対抗できるのは、それを防ぐための、名前が誤解を招くんですが攻撃型原子力潜水艦です。……、これを日本が持つか持たないか。原子力潜水艦というのは非核三原則とはちょっと違います。……、私はこの攻撃型という名の防御型原子力潜水艦を一刻も早く日本も持つべきだと最近強く思っています。」(p.133)
中川「僕も核廃絶が究極の目標だと思います。だから日本は核を持つべきなんですよ。極端に言えば世界中が持てばいいんです。そうすれば止めますよ。それしかないと思う。」(p.141)
安倍「……。日本がそれを見誤って、キッシンジャーさん達が、言わば目をキラキラ輝かせている人達と同じだと思ったら大きな間違いです。だからアメリカは断固としてクラスター爆弾にしろ、地雷にしろ、禁止条約には加盟しない。……。そしてオバマ政権といえども核の先制使用を否定しない。先制攻撃論を完全には否定していません。……」(p.142)
 兵頭いわく、すべて物は言い様なので、この種の座談では「おかしく聞こえない」ように話すことが、プロの政治家には求められるでしょう。言葉は政治家の商売道具ですよね。
 (p.129)発言は、許容範囲です。ここで止めときゃ、いいんですよ。それが大衆政治家としての適正感覚でしょう。有権者も官僚も、代議士が敢えて言わなかったこと、発言を自制したところも、ちゃんと見ています。それで、支持をしたり、信頼をするんです。
 (p.132)発言は、この発言者は台湾に何度招待されているか知らないが、軍事に関しては簡単に騙されてしまう人だな、と思わせます。
 (p.141)発言は、この発言者が核武装論を言う資格がないことをとうとうハッキリさせました。雑誌は「著者校正」を経ているのですから、これを活字に残したということは、もう致命的発言です。タリバンがパキスタンの核爆弾を入手したらどうすんの? イランの核武装に反対しないんだな? 米国政府が中川氏を信頼することは今後もうないでしょう。
 (p.142)発言は、厳密には正確ではないかもしれませんが、他の2氏のように、明らかにおかしく聞こえる発言を口走らない自制ができているところが重要です。安倍氏が現実政治で敗退したのは、これだけの言語能力があるのに、それが「戦闘精神」と結びつくことが終始なかったためでしょう。
 みなさん、書店で『表現者』の「南次郎」を立ち読みするついでに、文庫本コーナーで、光人社のNF文庫の『たんたんたたた』をお買い求めになることを、どうぞお忘れなく。みんなが『たんたんたたた』を買ってくれたから、こんどは『有坂銃』も文庫化されるんだよ。ありがとう。