八木さま

 三ケ日みかんを拝領しました。お心遣いに恐縮しております。
 中山太郎さま。新風経由で憲法の本を2冊頂戴しました。中山さんのような代議士があと20人もいたら、日本はとっくにマトモな国になっていたでしょうね。末永いご活躍を祈念いたします。


井上せんせい

 あけましておめでとうございます。
 なぜかFAXを頂戴しました。
 どうもこちらからの返信メールが届いていないようですので、この場でご連絡を申し上げます。
 空港へは迎えに参上します。翌日も空けておきます。
 週間予報では、天候は悪そうです。
 先生のご関係の方々と、何か特別な共著企画を練りたいですね。
 久しぶりにお目にかかるのを楽しみにしております。


2009チラ裏ことはじめ

 海岸を白骨が埋め尽くしている……という、なんとも吉祥な初夢を見てしまいますた。
 本年は日本経済が風邪をひくそうですから、ということは、シナ経済は致命病にかかるということですね。「シナ帝国の崩壊」を予言しときましょう。2011年までもちませんでしたな~。残念々々。
 ところで、超インパクトのある時事系劇画の原案をお持ちの方、お知らせください。なにか企画をまとめてみたいと思っています。(直接小生にご連絡をください。連絡方法は各自で考えてください。)


きろくま

皆様、新年おめでとう存じます。(賀状1通も出してません! 恐縮です。)
 わたくし、昨年末に1枚買ったジャンボ宝くじが、当選番号にカスリもしなかったので、今年も「読書余論」を中心に、地道にやって参ります。

 



嫌支郎くん……とか言ったね?

 現行の自衛隊法第3条の1項には「自衛隊は、我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、直接侵略及び間接侵略に対し我が国を防衛することを主たる任務とし、必要に応じ、公共の秩序の維持に当たるものとする」とある。これはウィキペディアからのコピーだから、字句の異同無きを保さぬ。
 昭和29年の制定時の文言は、「自衛隊は、わが国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、直接侵略及び間接侵略に対しわが国を防衛することを主たる任務とし、《以下おなじ》」であった。
 つまり自衛隊の指揮官ならば間接侵略と戦うのが本務なのだ。村山談話は間接侵略である。シナ・朝鮮の世界観を受け入れ、まさしく我が国の独立を脅かすものだ。よってオレはそんな狂った声明は認めずに、シナの歴史観と戦えるように部下を教育し、日本国を守るぜ、と理路整然と主張する統幕議長があらわれたら、兵頭はどうして支持しないことがあろうか。
 戦前の米国の排日移民法や、戦中の日系人の強制収容をとりあげて、米国(なかんずく日露戦争後のサンフランシスコの政治と経済のボスたち)による過去の人種差別を糾弾する話もOKだ。連邦の排日差別立法が日米戦争の前駆ムードをつくったことは、昭和天皇も晩年に回顧して認めておられたと記憶する。だが……。
 「コミンテルン」と「真珠湾」を結びつけた時点で、田母神論文は有害文書以外のなにものでもなくなってしまった。そのレベルのこじつけは、第一次大戦前から情報戦のつわもの揃いだった米国政府を馬鹿にするものであるし、近代以降の現在までの全日本人を、陰謀にひきずりまわされるだけの無能者あつかいするものでもある(旧陸軍の満州組も靖国で怒ってるよ、きっと)。そこが分からないのだから田母神氏もその支持者も「タラズ」なのだ。
 過去の政戦略の分析と現在および未来の政戦略の分析は、同じ頭でなされるだろう。日本の参謀総長には政戦略の複雑さに対する想像力がない。これがリアルに知られてしまった。情報分析の次元馬力の小さな者が参謀総長に出世し、真珠湾に関して米国を逆恨みしている。なおかつ日本人は「仇討ち」が大好きだ(清沢洌の戦争日記を読め)。終わったぜ、「日米同盟」は……。
 シナ政府は、田母神論文は日米のヴァーチャルな互恵関係をリアルに破壊するだろうとすぐに読めたから、田母神論文には噛み付かなかった。有能な弁護士は、敵の自殺的発言は法廷で当座、スルーしておくものだ。それは、しっかり記録されているのだから、あとでいくらでも役に立てられるのである。
 田母神氏の2008年論文とそれをめぐる政府要路、政党、議会、ならびに大手マスコミの言論は、日本の「指導的5%層」が、うわべから想像される以上に無教養なのではないか、世界も歴史もロクに想像できていないのではないかとの疑念に根拠があることを、米国の「指導的5%層」に明証してしまった。これにより、日本の核武装もほとんど不可能になった。これが2008年の最大の事件だ。これが兵頭の今年の総括だ。
 よって、来年からは、「核ナシの単独防衛」を考えなくてはならなくなった。
 まあ、なんとかするしかあるまい。すでに並木書房さんに1冊の企画を提案したところです(『予言 日支宗教戦争』とは別)。
 清沢の戦争日記(死後に『暗黒日記』というしょうもないタイトルで発売されたのは不幸だった)は「読書余論」でも取り上げた、。
 この中で清沢は、日本の庶民には当然と思われている「仇討ち」(殊に、非血縁の手による仇討ち)の発想が、英米はおろかドイツでも通用しない話であることを何回か書き留めている。
 北鮮に日本人を攫われたから、米国に戦争してもらう――などという、今年目覚める以前の中西先生らが陥っていた発想は、〈非血縁の仇討ち〉を期待するものだったのじゃないでしょうか。
 江戸のかたきは長崎で一本取っていい。それがフツーの外交だ。そのフツーの外交が、日本にはできず、なぜか一足飛びに「討ち入り」を冀求してしまうのだ。


杉山さま

 いつもどうもありがとうございます。頂戴しました。
 皆様ご自愛ください。
 片桐さま。
 どうもお気遣い恐縮です。来年また何かやりたいですね。


老子むいむい草

 げんざい並木書房さんに原稿を渡してある『予言 日支宗教戦争』。じつはそのうちの1章を「老子」詮議に充てております。題して「老子の兵法」。これだけでも類書が無いものです。じゅうぶんに味わっていただけるでしょう。発売予定は来年でしょう。
 田母神論文のおかげで日本の核武装はまったくありえなくなってしまったので、皆さん、一から西洋宗教を勉強しましょう。
 昨日とどいた『朝雲新聞』(#2844号、2008-12-18日付)に、同紙編集局がまとめたという今年の15大ニュースが載っていたのだが……。なんと、“高知沖の国籍不明潜水艦失探事件(2008-9-14)”が無い。つまり虚報確定だ。
 あれは、読売新聞が未確認情報を暴走させたのか、それとも海幕広報or内局広報が読売新聞に対して大負債を負ったのか、どっちなのだろう。
 いずれにせよこれでハッキリしたこと。海自は、米軍情報から切り離されると、まるで木偶の坊である。海自はシナ潜水艦をその軍港沖から自前で監視できていない。海自はまた、日本沿岸のSOSUS情報を日本のために使いこなせてもいない。それを活かしているのは米海軍だけ。こんなことが、またも駄目押し的に確認された。
 ほんらいなら海自の潜水艦の定数を増すべきなのだろうが(SOSUSを日本単独で持ってみても、シナの“漁船”に切断されて抗議もできず泣き寝入りするだけというオチが見えている)、造船所が神戸に2箇所しかないためそれが到底不可能であるならば、無人潜航艇によってシナ沿岸を貼り付け監視させるしかない。これなら「大綱」の変更も必要ない。駆逐艦/掃海艇に付属する装備(可変深度ソナーや旧DASH、またはロボット機雷処分具のようなもの)が一つ増えるだけだ。
 有人装備の無人化は、確実に、来年以降の「技術戦争最前線」だ。
 しかし、アンドロイドが出てくるSFや、人間の形を相似的に大きくしただけのロボットが出てくる日本のチャチなアニメに慣れてしまった者には、逆にこの展開の予想は立てられまい。無人兵器はヒトにはすこしも似ていないのだ。ヒト型地雷を別にして。
 有人兵器の無人兵器化は、既製の兵器メーカー以外のメーカーの参入を可能にする。そこには投資が何倍にも化ける可能性がある。米国の強欲投資家は、もうここに目をつけているはずだ。つまり日本の非兵器メーカーにロボット兵器を完成させて、日本政府に購入原資を醵出させるとともに米軍に売り込んだらどのくらい儲かるだろうか、と。
 もちろん先行する米国では無人艦上爆撃機から虫型殺人兵器まで開発依託契約がなされているけれども、おそらく米国ではそれが特段の「有効需要」を期待させない。というのは既製の巨大に育っている兵器&人員システム(すなわち国防費の流転)をドラスティックに節減することにしかつながらないからだ。しかし日本では、もともと何もない分野をこれから大きく育てようという投資になるから、零細土建会社への給金垂れ流しとはさかさまの、公共投資の偉大な乗数効果を生んでくれるかもしれないのだ。
 『表現者』2009-1月号の座談会記事は、他媒体に類例が無い、目の醒めるような内容だ(これには西部邁氏は加わっていない)。内需市場など皆無のシナは、米国市場の壊滅後は日本の内需に目をつけ、シナ製品をどんどん買ってくれと要求するしか道がない、よって油断するな!――との警報は適宜なものだ。
 ところで経済専門家の言い草には一大特徴がある。「オレはあのとき、こう警告した。それは今、当たった」というのだ。ではそのすばらしい警告はどうして当初において世間に聞かれず、他のすべての経済専門家によって「そうだ、その通りだ! オレは○○氏の指摘したことに大賛成だ」という即時の同意表明と持続的な警鐘乱打がなされて来なかったのか? 住専以降、たとえば別宮暖朗氏は〈銀行というのは地域密着で小振りだからこそ、その機能を万全に発揮してくれるので、銀行をやみくもに統合させて大きくさせてしまうのは日本政府として甚だ間違った経済政策だ。むしろ、いまの都銀支店をすべて本店として分社独立させるような金融政策を打ち出すべきなのだ〉とインターネット上で言い続けていた。これは今、中小企業に対する貸し剥がしという現実によって部分的に的中した断定だと思うが、兵頭の記憶する限りでは、『発言者』の記事で別宮氏と同じような説明もしくは提案をしていたのは読んだ覚えがない。つまり「オレは言い当てた」と今、自慢している経済専門家も、その一方で、多くの予言を外したか、結果的に適切な説明への賛成を表明し損なっているのだ。
 『文藝春秋』1月号で、日本の食料自給率が悪いとするのは農水省の統計操作だと指摘している浅川芳裕氏も、いままで比較的マイナーな専門媒体で活躍して来た人なのだろう。この人がもし早くからインターネットで同じことを書いてきたらどうだっただろうかと思う。
 メジャーな経済論筆家ほど、格付け会社と同様な腐敗同化圧力を意識するしかないのだとしたら、その理由は、おそらく、どんな悪徳な新規スキームであれ、そこには常に、先に儲けて先に逃げ切る「勝者」があり、その勝ちっぷりは圧倒的だからだろう。Everybody loves the winner だからだろう。
 戦前のアメリカ合衆国で展開された新進政治家たち(=キャリアの初めが法曹家。その何人かが後に大統領になっている)による「アンチ・トラスト」活動は、身体を張った偉大なものだった。目下進行中の公正でない社会現象を適宜に判定する、その自浄力の根元は、彼らの宗教以外にあるだろうか。というわけで宗教について、いまさらに追究をしたいわけである。
 「読書余論」のアイテムにも宗教関係の古書を増やしていこうと思っております。
 来年1月には季刊『日本主義』(白陽社)も出るだろう。函館戦争に関する座談会等が載るだろうと思います。ほどほどに、ご期待ください。
 それに関連して、ご紹介し忘れたことあり。
 「土方・啄木浪漫館」にしばらく行っていなかったのだが、季刊『日本主義』の担当記者氏を観光案内したついでに立ち寄ってみたら、「暗器博物館」と化していた(爆)。
 昔、拝見した、(土蔵の町)川越の鉾付き鎖鎌展示博物館(正確な名前を忘失)いらいのインパクトがありやす。
 たとえば……。
 永倉新八の仕込み杖。
 矢筒=金属筒の中の弦巻バネの反発力で手裏剣を飛ばすもの。手裏剣は木柄に先端の尖った金属をつけている。シナでは「袖箭」と呼ぶという。
 鉄扇の握りがサスガになっているもの。分離して短刀になる。
 キセルや笛が、2分割すると刃物になるもの。
 仕込み手燭なんてものもあり。これは鎗状。
 矢立にも同様趣向あり。
 煙草入れの取っ手が仕込みの短刀になってるもの……等。
 よくも集めたもんです。館員の中に面白い趣味の人がいるとしか思えません。今後の拡充に期待します。


増元さま

 名物の餃子を大量に頂戴しました。詢に有り難う存じます。
 F1撤退は、とうとう来るべきものが来たという感じですね。
 尋常な排気量で尋常でない轟音とともに尋常でないスピードで尋常でないカーブを曲がる、そして観客の見た目の順位がそのまま勝敗順位になる、そのような自動車レースは日本ではビジネスとしては終わってしまったのかと思います。
 ラリーではないとすれば「轟音」要素が集客力に欠かせないので、たとえばエコ・エンジン改良競争とショーの結合はほとんど不可能なのでしょうね。
 たとえば排気量を軽クラスまで縮小したら「音」の要素が2輪レース並になってしまうでしょうからね。
 余談ですがトヨタがスズキと組んで欧州向けの小型無公害ディーゼルの新規開発をするのをやめたという今朝のラジオ報道は、もう阿呆かと思いました。
 むかし「マッハGo Go Go!」でやってたような、自動車のプロレス、つまり、エンジンの優秀性ではなくボディの頑丈さを競う見世物は、まだアリかもしれません……。地雷デス・レース、とかね……。どうも不謹慎ですいません。


籏谷さま

 いつもありがとうございます。いただきました。
 あの本がロングセラーになることは間違いないでしょう。
 御一門のご健勝を心よりお祈り申し上げます。