どうも解し兼ねる「田舎の豪邸の共産党シンパ」の立ち位置。

 また25日がやってまいりました。
 お楽しみください。「読書余論」の配信日です。今月も特濃です。
 「読書余論」をご存知ない方は、キーワード「武道通信」「告知板」「読書余論」などで検索してみてください。武道通信の旧URLが無効になっているので、お気をつけ下さい。
あたらしい武道通信のURL http://www.budotusin.net
 なお、2ヶ月ほど前に「杉山穎男事務所」のメールアドレスが変更になっているようです sugiyama@budotusin.net ので、併せてご注意ください(住所・電話番号・FAX番号は不変です)。
 なんと今の並木書房の社長さんが若い頃に原書房で担当して作ったという安倍源基の『昭和動乱の真相』、これの中公文庫版を読み返していていまさらのように認識したのですが、昭和51年9月の臨時国会でリンチ事件について質問して稲葉法務大臣から「宮本氏は、司令部のおかげで助かったといってさしつかえない」との答弁を引き出していたのが公明党の矢野書記長だった(同書168頁)んですね。この矢野氏と公明党が現在バトル状態に入っているのは、公明党が共産党と手打ちをしたいからなのか? 注目したいと思います。
 さて、ところで、どこの田舎にも共産党系の婦人団体はあり、「共産党です」とは表立っては名乗らないで、子育て支援活動などを地道に積極的に展開している。ある面、市役所以上。営利活動ではないのですから、見上げた根性です。ついでに『赤旗』を購読してくれ、と迫ることもないという。
 それで立場上わたしも「よ~し、パパ、仄聞しちゃったぞ」と思わされることが時々あるのですが、このすばらしき任意活動に身を投じて推進をしていらっしゃる共産党シンパのご婦人方の家が、高い割合で豪邸であり、しかもそれを見せびらかすことに特段気後れする様子もないのだと。
 どう考えても生活互助など必要としとらん富裕階層に属し、熱心に会のために尽くしている。いったいダンナはどういう人なんだ?――と疑問に思っても許されるでしょう。
 憶測すれば、「労働貴族」なんでしょう。そして多くは官公庁関係かもしれません。
 そうした「有閑リッチ」な生活を、いまの共産党は、地方でのPRにしたいのかもしれないな、と思いました。あるいは、そろそろ「貧乏人の党」を標榜・指向するのが疲れちゃったのではないか。既得権の利益代表に成り果て、「共産党支持者がカネモチだっていいじゃないか(社会的エリートなんだから)」と開き直っているのではないか。
 かつて北海道南部では、カトリック教会が貧乏人のための互助会でした。「女子修道院」の機能とは「老婆ホーム」そのものだったのです。これは今でも似たようなものです。身内にカトリックのインサイダーがいるから自信をもって書ける。しかし今日の日本に「マザー・テレサ」は見当たりませんね。教会は「そこそこ余裕」を得た人達のレジャーの集まりになっているでしょう。共産党や公明党も、同じ道程にさしかかっているのではないか。
 わたしのみるところ、地域での子育て関係の各種団体の活動には、真の貧乏ママは参加してきません。どの会も、「そこそこ余裕」な空気を蒸散させているので、そのフェロモンが、警戒・排除信号として、貧乏ママの嗅覚に作用するからでしょう。
 地方末端の政党系・諸団体系の活動現場が「有閑リッチ」のフェロモンを出している限り、貧乏ママのDQN再生産を誰も止めることはできそうにない。
 底辺と日本国を同時に救える真のネットを構成するのは誰なのか? 次の選挙までに考えつかなくては。


あれから言論は自由になったか?

 災害地への見舞金を公共機関が募集するという話が出るたびに思い出されるエピソードを話そう。
 あれは阪神地震のときだった。
 わたくしは関東地方に住んでおり、たまたま「FM東京」(すでにトーキョーFMだったっけ?)を聴いていた。
 当時、関東地方のFM放送番組にはちょくちょく出演していた女の芸人がいた。声色をさまざまに使って、一人で痛烈なコントを、たおやかに語る人だった。
 名前を記憶していない。
 テレビで有名だったかどうかも、知らない。
 実年齢も無論知らないが、わたくしには、20代から30代の声のように印象された。
 当時わたくしは、TV受像機そのものを捨てて暮らしていたと思う。だから、朝の神戸市上空に黒煙がたちこめて下界も暗くなっている、あの壮絶な空撮映像は、『四季報』の別冊か何かの「校正」のアルバイトにでかけた『東洋経済』のビル内の編集部で、初めて見かけた覚えがある。
 さて、その女芸人だが、地震発生から間もない日に、彼女の表だった芸人キャリアで、おそらく最高の傑作を語った。
 (もはやおぼろげな記憶であるが、それは夜の放送ではなくて、ランチタイムより少し後の時刻であったように思う。)
 新作(?)の一人コントの最後の方で、彼女は、――地震の見舞金の募金に、協力しようかしまいか、悩んでいる貧乏な「ワタシがいる」――と述懐したのだ。
 それは、バイトの身としては、正直共感できる心の声であった。然れども、誰もオープンにはできまい。そんな「同化圧力」のタブーを破った発言が、救恤募金をよびかけている当の放送局の番組のなかから、あっけらかんと飛び出したのだから、神戸や淡路島と接点が無い立場から聴いていた人なら、だれもが、笑いをこみあげさせたろう。
 そして、オチは、「あっ、そーか、パンツ売ったらいいんだ~〔エコー〕」であった。
 そこで番組は、普通の音楽紹介か何かに戻り、CMが入ったかもしれない。
 突如、男子アナウンサーの畏まった声が、割り込んできた。
 そのさい、強いて冷静に淡々と読み上げられた〈お詫び原稿〉を、ここでリアルに再現できないのが、どうも残念である。「不適切な」「不謹慎な」「不愉快な」の、どの修飾語を用いたか、それを断言することができない。
 短いが、放送ブースのガラス窓の向こうで、〈この「放送事故」は責任問題になるかも……!〉と焦りまくっているディレクターのあぶら汗が眼前彷彿するような、割り込みであった。
 『あぁ、やっぱり。昼間っからFM聴いてる暇なババアのリスナーから、さっきのコントに文句をつける電話がガンガン殺到しやがったな』と察するのに、それは十分であった。
 かかる急転直下の〈空気〉大ギャップで、わたくしが二重に失笑したことはいうまでもない。
 《おのおのがた、ただいまのは夢でござる。夢でござるぞ~》と、無言の呪文でもサブリミナルしたげに、通常の番組は、軽快に、しぜんに、進行するのであった。(お詫びコメントは、そのあともう一度、CMのあとで挿入されたかもしれない。CM中の修羅場が目に浮かぶ。)
 暫しの間、わたくしの大きな関心事は、この芸人が、この先、長期間の「局出入り禁止」を喰らわずに、生き残れるのかどうかにあった。
 しかし、彼女は干されたようであった。またわたくしも、テレビはおろか、ラジオも聴かずに仕事をするようになってしまったために、いらい、あのエコーのエフェクターがかかった嬌声を耳にしたことがない。
 あの才能が、一回の出演のために失なわれたのかと思えば、いまさら、惜しまれる。
 みんなも、偽善には、お腹いっぱいでしょ?


瀬戸 弘幸 先生へ。謹んで御礼を申し上げます。

 未だ拝眉の機会も得られずに居りますけれども、いつもブログを拝見しております。
 この度は、思いがけなくも、わざわざ拙著をご紹介下さりまして、洵に辱う存じました。
 じつは一部の雑誌編集者や出版社へは、「インターネット時代と政治・大衆」に関係したテーマで、瀬戸先生との対談・鼎談もしくは座談会をとりこんだ紙媒体企画をやれないだろうかと提案したこともあるのですが、〈極右の人とのおつきあいはご遠慮したい〉とか言われてしまって、なかなか通りません。しかし、いつかは実現し度いと念じております。
 当節は御多忙のことと拝察します。いずれ好機あらば、拝趨します。
 それまでどうか、ご自愛ご専一になすってくださいまし。


安倍源基の「官製ボイコット運動」報告書・他

 大正15年に、シナ南部の広州で、すごい反英運動が起きた。
 蒋介石の国民党が大衆を煽動しての対英経済絶交運動であり、英貨排斥運動であった。
 当時から日本外務省は、ロクな仕事をしていなかった。日本政府には、シナで起きているこのような排外運動の糸を引いている者が誰であるのか、さっぱり分からなかった。むしろ、三井物産の上海支店の方が、事情には詳しかった。
 排外運動は、北伐が進展すれば、英国ではなく日本をターゲットにするようになることは、現地の商社にはとうぜんに予測ができ、懸念された。シナの商圏が、英国資本は南支~中支、日本資本は中支~北支と、わかれているからだ。
 問題は、シナ指導層の誰が大衆ボイコット運動を指揮しているのか、であった。幹部が分かれば、狙いも見当がつく。
 そこで内務省(いまの警察庁)では、暴動の現地に若手を長期駐在させて排外運動調査に乗り出そうとした。
 すると外務省が、自分の無能を棚に上げ、なわばり根性から、その調査に大反対をした。内務省はかまわず、安倍源基の出張派遣を強行した。
 安倍が広州の街頭で観察したところ、騒ぎの指導権は、すっかり共産党の手に握られていることが分かった。国共合作といっても、その実態は、モスクワの命令を受けている白人の工作員/指導員に、国民党の組織が挙げて盲従させられているのである。
 昭和2年2月、安倍は、広州の嶺南大学の附属小学校の教室をのぞいてみた。
 そこには、日本と英国の国旗に、シナの少年が銃剣をもって突撃する図など、児童が「排英排日」をテーマに描かされた絵が、壁一面、はりつけてあった。
 安倍は戦慄する。
 これらの小学生が、十年後に青年になったときに、どうなるのか――? (案の定、昭和12年に支那事変が始まったのである。)
 やがて、とうとう北京まで占領することに成功した中国国民党は、上は大学から下は小学校にいたるまで、排日教育をもって塗りつぶした。たとえば算数の教科書の中にさえ、「日本の奪取した台湾と関東州の面積の和は如何」という設問を並べた(以上、安倍源基・著『昭和動乱の真相』中公文庫2006年刊による。いずれ「読書余論」でとりあげたい)。
 ところで先日たまたまテレビをつけてみたら、大金をかけた自動車のけったいなCMをやっていて印象深かった。(ふだんTVを視ない人にとって、いちばん興味深いのはCFである。他はすべて学芸会にしか見えない。)それは開発中の未来の安全運転システムのようだった。
 ――四輪車の運転席から直視はできぬ、道路左側前方のビルの向こう側の蔭。そのビル蔭から本線車道へ直交的に、いままさに飛び出して来ようとしている人車のシルエットを、本線車道の進行方向彼方に設けられている街角監視カメラのこちら向きのモニター画像を、走っている自動車側でリアルタイムに受信し且つ反転処理することによって、あたかもドライバーの視座から死角を「透視」し得ているように、フロントガラスにヘッドアップディスプレイしてやれ――というコンセプトらしい。
 このCFを既に視た日本人はおそらく何百万人もいると思われたが、いったい誰も疑問には思わぬのだろうか、というところが最も興味深い。
 わたしはこの疑問を、6~7年前に米国発の「軍事における革命」が日本に翻訳紹介されたときにも抱いた。
 当の指揮官や兵隊にとって役に立つ緊要情報と、ノイズィなだけの余計なスパム情報を、リアルタイムに選別できるプログラムを、どこの誰が書けるのか、という疑問だ。
 自動車メーカーが、「ビル蔭接近中動体透視表示システム(仮称)」を、街角監視カメラとのリンクとあわせて、ついに実装したと想像してみよう。
 まさに横合いから本線車道に全速で飛び出してこようとしている大きなドブネズミ。これを、街角モニターは見事にとらえている。さて、そこへさしかかった、進行中の自動車側のソフトでは、その受信情報をフロントガラスにディスプレイするのかしないのか? 
 それがドブネズミではなく、小猫であったら?
 あるいは、強風に吹かれて転がっている、生暖かい液体の入ったペットボトルだったら?
 あるいは、低空をソアリング中のハシブトガラスだったら?
 あるいは、小学生が遠隔操作するラジコンカーだったら?
 幼児が突っ放した、無人の三輪車だったら?
 そのことごとくを表示すれば、フロントガラスはスパム情報で飽和してしまうだろう。
 ヘッドアップディスプレイの左側に注意力を拘引される結果、道路ぎわで静止しているが、いまにもヨロけて荷崩れしそうなコジキの段ボールへの注意力が、逸らされたり薄められてしまうかもしれない。
 あるいは、道路中央のマンホールの蓋が外れているのを、見逃してしまうかもしれない。
 ある辻では、街角監視カメラのモニター情報が(何らかの、想像はできるがつきとめられぬ理由によって)受信ができない。そのため、直進中の自動車のフロントガラスは、断続的に、何の警告も表示されない状態となる。ではドライバーは、警告がされ得る状態になっている間は、とりあえず直前のビル蔭には何の脅威も存在しないのさと、安心しながら運転して良いだろうか?
 それで安心できるという人が、他国がくれる情報頼みのMDのことを「核の傘」などと呼んで信心できるのだろう。
 すべての自動車ドライバーが、何が横から飛び出してきても対処できる速度と注意力を維持して常に運転することを、道路交通法は要求している。出あい頭の事故は、この法規が遵守されていないことから起きている。
 そもそもスピードさえ出ていなければ〈物蔭透視情報〉が得られずとも大概の衝突は防止または緩和が可能であり、スピードが過剰なら、いかなる情報がドライバーに与えられたところで、致命的な事故を防げない。
 危険で違法なことを敢えて行なっている当為者に自省を強いるものは何か? すくなくとも、ハイテク情報伝達システムではない。
 むしろ「この街では、すべての路地裏は24時間、複数の視角から撮影され、録画されていますよ」というサーヴェランス・ソサエティの実現の方が、交通事故全般を早く抑制することだろう。


暑いところが苦にならない人が羨ましいです

 チベットを語るための必読の文献があります。明治37年刊の、河口慧海著『チベット旅行記』。さいわいにも、1978年に講談社学術文庫(5巻本)になっていて、今でも増刷されており、入手容易です。
 これを読むと、チベット人はけっして、日本人のようなヤワな民族ではなかった、と分かります。(河口の根性も物凄いんだけどね。)ジンギスカンが死んだのはチベット攻略中の陣中でした。
 また、ロシアは昔から、チベットに工作をしかけてネパールに浸透し、そこからインドをうかがおうとしていたことも分かります。モンゴル人にしたように、ギリシャ正教を押し付けず、仏教を逆に奨励して僧侶をとりこむなども朝飯前だった。
 そしてチベットの幹部は、日本人がイギリスのスパイとなってやってくるのではないかと警戒していた。
 インド人は日露戦争のニュースに接して、イギリス人は怖くないと見直しますが、その前にチベット人が、日清戦争のニュースを聞いて、シナ人は大したことはないと考えるようになったんですね。
 まあしかし、ビジネスに超多忙な人は5冊もの文庫本を読み通すのは大変だ。そこで、朗報があります。『武道通信』の「読書余論」の「2007年7月25日配信」のバックナンバーを、ご購入なさい。兵頭による「摘録とコメント」を、わずか1分間で読むことができる。主な情報要素はそれで頭に入ってしまうでしょう。
 なお『武道通信』はURLもメアドもガラリと変わったようなので、お申し込みの前に、ご注意ください。「読書余論」は1回分が200円です。もちろん、とりあげられている文献は『チベット旅行記』だけじゃありません。具体的なコンテンツは、『武道通信』の中の「告知板」を2007年7月までスクロールすれば、調べることができます。
 次に、チベットとは関係はないが、面白い文献をご紹介します。
 Hsi-Huey Liang という著者が、ドイツ外務省の電報記録などを丹念に調べ上げ、戦前・戦中の蒋介石とドイツ政府との腐れ縁を暴露した『The Sino-German Connection ―― Alexander von Falkenhausen between China and Germany 1900-1941』。
 この本は1977年に Van Gorcum & Comp. がオランダで出版し、米国では翌年に Humanities Press(ニュージャージー州)から配給されています。
 これが全訳されていないのは、惜しいことです。軍事顧問のファルケンハウゼンが1936年4月から蒋介石に、対日テロ戦争をけしかけまくっていたことがよく分かるものですから……。
 たとえば、1937年7月21日に、南京のドイツ大使館から Auswartiges Amt(ドイツ外務省)に宛て、ファルケンハウゼンはこんな電報を打たせていたという。
 「蒋は戦争を決心した。局地的な小競り合いではなく、全面総力戦争だ。蒋の勝ち目は少なくない。なんとなれば、日本はソ連の干渉をおそれていて、全軍事力を対支作戦に投じ得ないからだ。シナ軍の歩兵は良好である。シナ空軍は日本空軍とだいたい互角である。日本の勝ち目はとても確実とは言えぬ。シナ陸軍の士気は高い。彼らは困難な戦いを、一番やってみる気だ。」
 《原文》【Chiang is determined to fight. This is not a local war but total war. China’s chances for victory are not bad because the Japanese ―― mindful of the threat of Russian intervention ―― cannot commit all their forces against the Chinese. The Chinese infantry is good. The Chinese Air Force is about equal to the Japanese. A Japanese victory is far from certain. The morale of the Chinese Army is high. They will put up a bitter fight.】(126~7頁)
 もっと詳しい紹介は、『史実を世界に発信する会』のHPで見られるようになる予定であります。
 しかしシナの空軍が日本と互角だとか、ドイツ人はどこに目をつけていたのか……。あるいは、それほど日本軍の現地の防諜は有効であり、それほどシナ人の宣伝は巧みであったのか。
 ヒントも見えます。
 当時、ドイツのある商売人が、上海から本国へこんな電報を打っていたそうです。「日本人は何でも請け合うが、一つも言ったことを守らぬ。シナ人は天使でこそないけれども、より知的であり、忍耐強く、ユーモアのセンスを持っている」(同書、126頁)と。
 たぶん、ドイツ人はシナ人とは相性が良いのでしょう。
 さて、話題かわって、米国『タイム』の電子版(4月19日)に、DAPRAのロボ・ゴッキの話が紹介されていました。
 DAPRAとは、The Defense Advanced Research Project Agency ――記者氏いわく、ギークどもの集まりだと。これがもう創設50年だったんですね。
 サターン5型も、偵察衛星も、インターネットも、ステルスも、誘導砲弾も、無人飛行機も、暗視装置も、ボディアーマーも、ここがつくってきた。
 そして、いま熱いのは虫だ、という。
 マイクロシステムズ・テクノロジー部門で、 HI-MEMS (ハイブリッド・インセクト・マイクロ・イレクトロ・メカニカル・システム)に取り組んでいるんですと。
 その部員たちが、「インセクト・サイボーグ」と呼んでいるのは、幼虫の神経にチップを結紮して埋め込み、成長させて生体組織でチップをすっかり覆わせてしまう。そして外部から筋肉をコマンドして動かせるようにした改造昆虫だ。石ノ森章太郎先生の空想がついに現実になったのか。しかも、バッタではなくゴキブリとは!
 記事では、これに集音マイクかガスセンサーをもたせて飛ばせる、な~んて地味な使い道を紹介していますが、どうしてそんなもので済むわけがあろうか。キラー・ビーの本場ですぜ。テーザー銃の端子が装着される日も、遠くはないでしょう。


●日本最大の木造寺院が全焼しちゃってから後悔しても遅いよ

 善光寺の本堂の地下一階部分に、徳川時代に隠密部屋として利用されていたとの噂をガキの頃に聞かされた「地下回廊」があって、これは有料で一般開放もされている。中は真っ暗闇で、参観者は裸足になり、片手でずっと壁をさわりながら延々と歩いていく。さいごはぐるり一周して元の出口へ戻ってくるのだが、ちょうどコースの中間部分に鉄製の輪状の鑰(かぎ)のようなものがあり(その奥に隠し部屋があるともいう)、それに触ってくるのが、なにかのオマジナイのようになっているのだ。お化けの出ないお化け屋敷といった趣きだ。
 そこで警告したい。この無照明の空間で何かイタズラをしでかしてやろうというテロリスト予備軍がきっと現れるだろう。善光寺は、この回廊の内部を24時間、赤外線カメラで監視すべし。この暗黒空間はゴキブリホイホイのような魅惑があるので、きっと悪党の録画に成功するだろう。


いい時代

 1984年のアメリカ映画『若き勇者たち』は、長野市では劇場公開されなかった。ソ連マンセーの左翼が映画館を爆破するとか物騒な脅迫をしてきたためだった。というわけで兵頭はこの映画をついに見逃したままなのである。
 さいきんではパッケージソフトのDVDを通販式にレンタルできるすごい便利なしくみ(あのホリエモン氏が創案したというのは本当だろうか?)があるようなので、いずれは視聴することができるだろう。
 わずかのように見えても、時代は変わりつつある。また、変えることができる。ただし20年ではガラリと変わるようなことはない。だいたい70年くらいかかる。70年かければ、すべては変わり得るのだ。自分一代で事業を完結させようと欲する人には、70年は永久と同じことだろうが……。


ダンカン少年の大事件

 わたしの母校「長野市立吉田小学校」の教員の皆さん。『2011年日中開戦』は、児童に見られないように、こっそりと読んでください。
 わたしの母校「長野市立東部中学校」の、野心ある少数の生徒の皆さん。田舎を脱出して天下を狙いたいのなら、『2011年日中開戦』を読みましょう。
 わたしの母校「長野県立吉田高校」の、毎日たいくつでしょーがねーなと思っている生徒の皆さん。聖火リレーの喧騒を他所に、『2011年日中開戦』を精読しましょう。世の中のウソを見破るヒントがあります。


見本冊子とどきました。ありがとうございました。

 マガジン・マガジン社から本日、『2011年日中開戦』が届いた。原作者なんてのは大雑把なもので、「ト、日本刀でシナ兵200人を斬る」とか指定しておけば、あとは作画家さんがディテールやギミックの始末をつけてくれるのだが、出来上がったものを見ると、こりゃ出版社としては大博奕じゃないかと、あらためて思ったっス。
 やたらに紙の質が良い(ズシリと重い)のに喫驚。スンマセン、94式軽装甲車にメチャクチャ大活躍もさせちゃって……。あと、ドラマの中で首相によびかけるときは「総理!」でなくちゃ変ですわね。
 わたしゃ古い人間なので、今風の絵柄というものは、読者にどうアピールするものなのか、そのへんは、よく分からないです(うらさわなおき氏風、と呼べばいいんでしょうか?)。皆様のご高見・ご高批をお待ちします。
 兎も角、皆さん、このすこぶる勇敢なる版元を、応援してやってくださいネ。
 さて、過去数週間の間に、ロシアの偵察機があちこちで強気の行動に出ていたのに、挑発されているアメリカ軍の反応は、不自然ににおとなしかった。
 その理由がだんだんあきらかになってきて、要するにロシア政府はNATOの「東欧MD」配備計画をぜんぶまる呑みするつもりだ。
 クレムリンはアメリカのいうなりじゃないかという情けない印象をロシア国内でもたれない用心として、彼らは海外で事前にやたらにイキがっておいたのだ。おそらく米国政府の高いレベルには、こんな演出の舞台裏が、事前に打ち明けられていたのであろう。
 『樺太一九四五年夏』という古本を読んでいるところです。本土での戦争は何も沖縄だけじゃなかった。住民自決は樺太の方も深刻だったってことがよくわかる。とにかく避難する距離が違いますよ。
 樺太で、たった1門の41式山砲で、ソ連の軽戦車20両をやっつけていたとは知らなかった。するとやはり張鼓峰の戦果も41式山砲だったのだな。41式山砲なら89式中戦車にだって搭載できたんだ。つまり陸軍エリートに危機に対する感受性というものがあったなら、ノモンハンで勝つ方法はあった……ってことになります。


ぢろぢろぢろ八

 『2011年日中開戦』を読んだというメールが未だ一通も届かないところをみると、昨晩は遂に都内の書店にも並ばなかったのか? (じつは小生もまだ見本冊子を手にしていません。)
 2日発売という広告を間にうけて、当日にわざわざ書店に足を運んだ人は、えらい時間の無駄をしたことになりはしないか。そういうのを「サーチ・コストが高くついた」という。
 消費者はサーチ・コストを嫌う。あたりまえだ。店に出掛けてみたものの、目当ての商品がなかった場合、労力も交通費も全部損であり、次回から足は遠のく。
 困ったことに、本は典型的な「多品種・少量生産」の品なのだ。
 2003年頃のデータしか覚えてなくて恐縮だが、日本の毎月の新刊が6800点以上。これに旧刊分が加わる。
 雑誌のタイトルは3500銘柄あり、その増刊別冊が6000点と、ムック7500点が毎年加わる。
 書籍小売りは薄利構造なので、これらを一店舗で同時に商って黒字になる経営などありえまい。
 なら「古書店街」のように、書店ばかり一箇所に集めたら良いかというと、限られた売れ筋本の、食い合いとなるデメリットが大。
 本は、万引きや店内汚損も防ぎ難い。盗るのは泥棒、とられれば箆棒。返品ができるのが前提で成り立っているこの薄利商売(書店の取り分が定価の2割前後)にとり、致命的に痛い。同じ本を4冊売ってもその損は埋められないという。
 2004年頃から、ウェブと宅配/コンビニの組み合わせが、これらの難題を解決したように見える。自宅端末で探せば版元の倉庫にある限りの本が分かり、注文すれば数日で届けられる。送料もタダ同然だ。
 あの音楽CD産業を斜陽に向かわせたほど急激なIT革命も「ペーパーレス化」は引き起こせなかった。圧倒的な安さ、軽便さ、ひとまとまり性、斜め読みの手応えゆえに、紙媒体は欧米でも日本でも生き残るに違いない。
 インターネットという新手の技術は、書籍ではなく、書店の弱点を教えたのだ。
 このままだと、日本の昔風の本屋は、数年後には全国かぞえて1000店未満に減ってしまったとしてもおかしくない。
 ではどうすればいいのかというと、これは新刊書店の店舗内のあの「落ち着かない」雰囲気を逆転させるしかないだろう。
 いまの書店は、客が商品を衝動的に購入してさっさと自宅に持ち帰ってそこでゆっくりと消費してもらうように誘導することを狙ったインテリアになっている。これではネット通販の至便性に対抗できないだろう。
 いっそ戦前建築の古い暗い図書館や美術館、あるいは最近は行ってないが、昔、神田神保町の専修大と共立大の中間にあった某エロ本専門書店ビルのようなダークでシックな内装にした方がいいんじゃないかと思う。
 ネットで済む買い物をわざわざ店舗まで足を運んできてくれているお客なのに、ギンギラに明るくして慌しいBGMを流して早く回転させようとして、いったいどうするのか。存分に長時間、滞留できるようになっていれば、遠来のリピーター客を集められるのではないか。
 理想的には、その店舗のすぐ隣(または上下のフロア)に、商品を自宅ではなくその場で消費してしまえるスペースが併設されていることである。つまり「時間貸し」の、持込専用の読書スペースだ。都市部の貧乏人たちに無いモノは、静かに集中ができる空間なのだ。客一人あたり、電話ボックス並の無響スペースでも、それは構わない。
 これは、真に、格差解消につながる道だ。