難関、また難関。

 口座を誰が開設するのかという問題をすっかり忘れてました。あゝ、これだから貧民は……。
 運動の透明性の担保となる銀行口座がないことには、醵金者がアクションを起こしようもないですよね。
 大阪出張から戻り次第、考えたいと思います。
 それには法人格をどうするのかも早急に決めないと……。
 ううむ、俄然「チラシの裏」っぽくなってきやがったぜ、このコーナー(核爆)!


今日のご報告

 活動用のホームページのデザインが七分がた、完成しつつあります。
 サーバーは未定で、ひきつづき検討中です。
 大阪観光についてはほぼ、目処が立ちました。どうも有難うございます。
 
 


今日のご報告

 暫定の活動趣意書をおととい書いてみたのですが、翻訳会社さんの方でそのままでは満足できないようで、そちらで「検討」が続いています。どこが問題なのかはまだわたくしは承知しておりません。


またおお(ry

 新大阪から関西国際空港に向かう途中で、時間を潰すと面白いところがあったら、ご存知の方、ご教示くださいまし。


カウンタープロパガンダ事業に関する連絡方法について

 対抗宣伝文献英訳会(仮称)に電子メールで連絡をとられたい方は、このファン・サイトの「掲示板」に投稿するという形でお願いします。
 会独自のHPも未だ無いので、過渡的な措置です。
 兵頭の代わりに「LO-01」氏が参ります。よろしくお願い申し上げます。
 活動の趣意書のようなものがないのもおかしいので、近々、書いてみます。


嗚呼、一冊数百万円もかかるとは……!

 月刊誌『正論』12月号はそろそろ九州地方でも店頭発売されたでしょうか?
 そこで呼びかけている翻訳英文ホワイトプロパガンダ事業の立ち上げについてですが、1冊の本をまるまる英訳すると、翻訳の実費だけで数百万円(税込み)かかることが判明しました。
 じつはわたくしはせいぜいこの経費は壱ヒャクマン未満で済むんだろうと思っていまして、個人レベルの力を糾合すればどうにでもなるじゃないかと甘く考えていたのですが、やはり将来はNPOにしないと無理なのかもしれません。しばらく、読者の皆さんからの反応を聞こうと思います。
 和文英訳の三つのグレードについて現在わたくしの知っていることをお話しします。
●ランクA:ネイティヴが日本語から直接下訳し、それをベテランの日本人チェッカー(翻訳会社の筆頭レベル)が読んで校正意見を付け加えて、それを元に再びネイティヴが最終英文に仕上げる。
●ランクB:日本人訳者(翻訳会社の雇われ人レベル)が下訳し、ネイティヴがプルーフ・リーディングし、ベテランの日本人チェッカーが最終校閲して仕上げる。
●ランクC:ランクBの手順だが、訳者のスキルの程度を気にせず、修整も略式で済ませてしまうもの。
 ──で、ランクAは400字につき1万円程度。ランクBはそれが5000円程度となるのが料金の相場であるようです。(ランクCはバイトの時給に色がつく程度なのでしょう。昔わたくしもドクターの論文を英訳する事務所で雑用係のバイトをしていたことがありますが時給は1200円以上だったと思います。もちろん翻訳会社によってバラバラでしょう。)
 スピーチ、契約書、論文などになりますと、現在、400字につき、¥12,000円から\18,000円はザラだそうです。プレゼン資料、一般文書等では、\9,000円から\12,000円が多いようです。
 したがいまして、いちばん愛国的な料金の翻訳会社さんに頼んでも、一般的な書籍(400字×500枚)を説得力のある英文に直そうとすれば、ざっと500万円かかるわけです。これは個人が出せる額ではないですね。
 わたくしは個人がこういう事業に出す気になる金額とはせいぜい100万円が上限であろうと漠然と思っていますので、「五分の一以下の抄訳指定」をしていただくのが現実的なのだろうなと考えます。
 つまり醵金をする人が「この本のここからここまでを訳せ」と指定するわけです。
 この事業をNPOにすれば、以下のようなメリットがあることは確かです。
○特定寄付金控除の対象になる.
○零細翻訳会社のスタッフなどがメインになっているよりも社会的な信頼感が出る.
○したがって支出する法人の会計係は後難を心配せずにハンコをつける.
○したがって1冊まるごと翻訳のラインナップが増やせるだろう.
 その代わりに面倒なこともあります。信頼できる有名人を「長」に据えなければいけません。これまで財団等の理事にもなったこともない、プータローの兵頭ではダメなんですね。誰かになって貰わなければいけないでしょう。
 そしてそういう相談や根回しを延々とやっている時間が兵頭は惜しいのです。「敵」の攻撃は今すでにたけなわなのですからね。


モノがあっても真似られないモノ

 91年の『戦車マガジン』を持っている人は、モスクワ郊外のクビンカ博物館の見学コースから外れたガレージに、英軍の「チーフテン」戦車が1台置かれてあるのを覗き見たことに触れている、わたくしのリポートを探してみてください。
 当時のわたくしは愚かにも、これは英ソ間で秘密の連絡があって、英国がソ連から何かを得るための代価としてチーフテンをくれてやったのだと想像をしていました。たとえばボービントンの倉庫にバーター品のT-80が1台あるのではないかと……。
 今は、これは、当時、表向きではソ連を反宗教だとして非難していた革命イラン政権が、こっそり引き渡していたものだと断言できます。彼らはF-14すらサンプル提供していたという疑いがあるのですから、チーフテンぐらい、もう何でもなかったでしょう。
 ということは「チョバムアーマー」の秘密なんてバレバレだったということですが、これをソ連が真似したかというとその気配は無いんですね。
 目に見えない技術の壁というのがあって、モノが目の前にあってもコピーが不可能なものは現代ではたくさんあります。
 たとえばクリントン政権がアフリカ、アフガンその他に撃ちまくった巡行ミサイルの不発弾をロシアとシナは入手しているはずですが、このコピー品は出ていません。ユーゴで落ちたF-117の残骸も同じです。海南島に着陸したP-3Cの電子ソフトも同じです。だから平気で着陸できるのです。
 ところで昨日のCBSニュースを見たらカーター元大統領が「イランと戦争すべきではない」などと語っていました。そういう内容の本を書いたそうです。ということは米国内ではイランと戦争するのじゃないかという雰囲気が、相当リアルになってきたんですね。
 イランを今のようにしてしまったのは、カーター氏の「人権外交」でした。
 ほんらい啓蒙思想に則るなら、一人の人命は二人の人命より軽い。1000万人の人権問題は、1億人の人権問題より重くはなりません。
 ところが米国民主党の政治家は、口では格好をつけながら、手強い相手の弾圧的政権はマトとしてこれを撰ばず、干渉し易い弱い立場の政権を叩いて自国の大衆から喝采をうけようとすることがしばしばあります。
 イランのパーレビ政権は、それでやられてしまったのです。もし近い将来、米国とイランと戦争になったら、その淵源はカーター氏のスタンドプレイにあったとされねばなりませんから、彼も自己弁護に必死になる道理です。(しかしルックスが宮沢喜一氏に似てきたと思ったのは俺だけ……?)
 さいきんの米国TVは、ジンバブエをよくとりあげているようです。人口1200万ぽっちの国の騒ぎがなぜ北鮮やシナその他の数千万、数億の非人道的状況よりも問題にされなきゃならんのか?(英国は旧宗主国ですから旧ローデシアに無関心でいられないのは尤もです。)
 これもカーター時代のイラン叩きと似ていますでしょう。
 かつての英連邦だった国々は、APはじめ英語系の報道網が発達し、その遺産が現在も活きているため、ニュース・フッテージがとても得やすい地域です。
 ニュース・フッテージが得やすいということは、西側の民放テレビ局でも報道番組を組みやすいということで、それがひいては「遠い他国のことなのに政治家や評論家がコメントしたくなる」ことに直結します。
 映像がないものにコメントをつけても大衆は何のイメージも抱きません。刺激がゼロなのです。したがって民放にも政治家にも何の得にもならない。だからわたくしは、拉致被害者をとりかえしたくば、在米の日本人がこぞってワシントンの日本大使館前に英語プラカードを持ってデモをかけなさい、と言うのです。それなら厭でも米国内のTVニュースの素材になるでしょう。
 ところでアフリカはあれだけの広さがありながら、全部の人口がシナ一国、インド一国にも遥かに及びません。
 この人口密度の低さは何を意味するかと申しますと、欧米の軍隊が介入すればどこでも必勝なのです。(ただし死者ゼロというわけにはまいりませんので、腰抜け政権だと「ブラックホークダウン」だけで撤退ですが。)
 よって、米国大統領や閣僚が「気軽な非難」「強気の発言」もできる。旧南アの現政権などは皆、怒っています。G7首脳がアフリカについていい気な指導的な発言をしていると。まったくその通りで、G7はその前にシナや旧ソ連や北鮮をなんとかするのがまっとうな順序というものでしょう。
 そかしそうはできないのは、ニュース・フッテージこそが世論だからです。
 ニュース・フッテージが得にくく、よって西側の国内で批難しても政治家の宣伝になりにくく、しかも敵の人口が多いので軍隊の介入の敷居が高く、脅しが効かない。こんな条件が北鮮やシナに関してある以上は、日本人は自分たちの安全保障をアメリカ政府に任せきっているわけにはいかないでしょう。6カ国協議では拉致被害者は帰ってきません。いま単独経済制裁に踏み切らない限り、日本人の将来の安全保障が危いのです。
 ラスト・マンであるシナ人の若者に朝鮮戦争式、対ベトナム戦争式の人海突撃をさせるには、シナの政権としても、歴史を捏造したり靖国を攻撃して、その敵愾心とエスノセントリズムを常に高揚させるお膳立てが欠かせません。米国と対抗していく必要の上からも、シナ政権が今のような反日宣伝を将来止めることは決してないのです。
 宣伝に屈するのではなく、わたくしたちが逆に宣伝し返すことが、シナ人のためにもなります。
 と申しますのは、新しい政治権力者が常に過去の「正史」を捏造していくシナ文化圏では、「ヘーゲル的歴史」は、最初から終わっているのです。つまり、リベラル民主主義の存否とは関係なく、シナ人民は「ラスト・マン」でしかあり得ない。しかもおそろしいことには、政治的支配者すら近代的自我を持ち得ないのです。それが証拠に、政争に敗れたシナ・朝鮮の政治家が、内外に説得力ある自己主張をしたためしがありません。シナに歴史はなく、シナ人に実存は無いのでしょう。
 フクヤマ論文を見れば見当がつきますように、このことは西洋人には分かりません。シナ人を正気に返せるのは、今のところは日本発のホワイト・プロパガンダだけかもしれません。


9.11後にクラウゼヴィッツは有効か?

 リデル・ハートの権威の失墜は彼の死後十年くらいから始まり、二十年で定着したと思われます。もちろん、彼も多数の弟子を持ちました。
 マーチン・ファン・クレヴェルトは1991年に『戦争のトランスフォーメーション』なる一書を米国で上梓し、その中で、ざっと次のような主張をしたそうです。──冷戦後の戦争は、国民国家システムや「国境」とは無関係なものになる。だから「非クラウゼヴィツィアン」の思考法を探求せねばならない、と。
 すでに米国ではこのクレヴェルト、彼の師匠のリデル・ハートのクラウゼヴィッツに関する勘違いをそっくり引き継いでいる、との批判を受けているようです。すなわち、単純な「国民根こそぎ動員戦争」の提唱者こそクラウゼヴィッツの正体だったと思い込んでいる、というわけです。
 (かつてフラーとハートはクラウゼヴィッツを、ナポレオンの“high-priest”=ユダヤ教の司祭長、唱道者だと呼びました。本当は「聖パウロ」と言いたかったのかもしれませんが、モンゴメリー将軍のような熱心なキリスト教徒の反発を顧慮したでしょう。)
 先にも書きましたように、クラウゼヴィッツは、すでにルソーが「戦争のイデア」たる「同胞絶滅」戦争を明言してくれていましたのに、敢えてそれは採らず、ナポレオンの戦いぶりこそ「戦争のイデア」に限りなく近いのだと思い定めようとしております。
 地下鉄サリンと9.11以後によく分かってまいりましたのは、現代の宗教テロリストたちは、その手段さえあるならば、「同胞絶滅」攻撃を国民国家の内外で仕掛けることをためらいません。
 この事実だけに注目をいたしますと、クラウゼヴィッツはもう古いと断ずるクレヴェルトの主張は当たっているように見えましょう。
 ところが、米国が「イスラム教徒絶滅戦争」の手段を有しながらそれを対テロの最終解決方法として実行まではできぬ理由は何かといったら、やはり啓蒙的近代以降の「政治」がブレーキをかけているのです。クラウゼヴィッツの最も重要な洞察は、西側先進国については妥当しますでしょう(ユーゴスラヴィアではルソーの戦争のイデアの正しさも実証されかかったように見えます)。
 やはり冷戦時代にも「クラウゼヴィッツはもう古い」と語る軽薄な評論子が涌いて出たものでした。が、米国がロシアを絶滅させる手段を有していながら、それを行使しなかったのは、「政治」以外の何であったと言えるでしょうか?
 もしも敵の絶滅が完了できそうなのであるならば、勝利とともに戦争のケリがつくというそのメリットは極大です。加えてもし第二番の敵をまったく心配しなくて良いのならば、もう最後の一兵が残るだけだという状態まで、自国の戦争資源を「賭け」てしまってもよいでしょう。しかし、一国の政治指導者はそれをしない。それこそが、ルソーが最初に指摘し、クラウゼヴィッツが「政治」の作用だと見抜いた機序なのです。
 ベトナムの反省からあわててクラウゼヴィッツを読み返した米国の指導的エリート(その中には今のライス国務長官まで含まれている)は、冷戦とは期間無限の消耗戦的な競争であり、人命の負担に関して「現地化」を図りつつ、敵を長期的に弱めていくしかないと覚ったのです。
 すると、資本体力の総合補給力と、敵が応じざるを得ず、しかもついてはこられないハイテク兵備の開発&整備競争の展開が、重要な課題になりました。西側がソ連をこの冷戦を通じて崩壊させ得たのは、核戦力と通常戦力の攻防能力双方における効率競争と資本競争の勝利です。かくしてついにゴルバチョフが米国に対する勝利という大目標を捨てて、それまでのスタイルの競争を投了したのも、「政治」以外の何者だったでしょう?
 またここで余談に耽りますと、敵による即興的な絶滅攻撃が成功しない(戦争をしかければ必ず消耗戦になる)ことをあらかじめ悟らせることは安全・安価・有利です。ゆえに、日本政府が日本の大都市に平時から地下公共駐車場を無数に整備しておく行政は、「ミサイル防衛」よりも安全・安価・有利です。
 対テロ戦争も、長期無限の冷戦だと考えることです。そして敵の絶滅が政治的にできない以上は、経済的に彼らの体力を弱めるのが上策です。
 すなわち、石油利権やパチンコ利権やODAや国連拠出金を、絶対に彼らのカネづるにしてやってはいけないのです。テロリストへのカネの流れを放置することこそが西側先進国にとって最大の下策となるでしょう。
 この観点から、現米政権のイラク全土占領の決断は合理的だと言えるのです。問題は、米国がその政策を他のイスラミックの産油国に適用していない「政治」です。そのためにテロリストへのカネの流れがまだ止まっていません。
 また日本政府もパチンコという賭博行為を取り締まらず、北鮮のテロリストへのカネの流れを放置する「政治」を続けているどころか、朝鮮系の銀行に日本国民の税金を投入して1兆円以上をテロ体制に貢ぎました。さらに国会議員の中に、日鮮国交を強化しようと策動する「政治」がまだあります。核を持った侵略的国家・シナに関しては、商社と外務省が率先して、もっと大規模な資本的な加担をしている。このいずれも、リベラル民本主義という人類のよりよい価値に対する、恥ずべき叛逆です。
 中曽根康弘さんが大勲位を貰った直後に頓死していたならさぞハッピーだったでしょう。今、彼は生きているうちから「名誉」に関してはボロボロです。彼はシナとの戦争に負けました。戦後の日本をわざわざ「敗戦」させた、愚かな政治家の一人だったのだと、国民に理解されつつあるのです。
 北鮮やシナに肩入れしてテロリストの親玉から頭をなでてもらっても、歴史はその日本の政治家に、長い名誉を与えることはありません。


北の天気予報

 はじめに概況です。
 米国とシナはお互いを、今世紀の最大の敵国と看做しており、この両国が半島問題のような大きなテーマで利害が一致する可能性は僅少でしょう。
 ちなみにその僅少の可能性とは、半島の核武装の可能性を物理的に艾除[がいじょ]するため、シナ軍が北鮮全土を軍事占領してしまうことです。ただしそれには前提があり、米軍が韓国から撤収していなくてはなりません。北京は米軍と接壌国境で対峙する状況を望みませんし、「バックを嵩に着る」朝鮮人の性向も熟知しています。
 駐韓米軍というバック抜きの韓国人と対峙することならば、北京は何とも思いません。
 また米国もシナ陸軍と陸上国境で対峙したいとは思っていません。米国の理想は、韓国が北を呑みこんで、半島全部が親米的な緩衝地域となることですが、これは北京が理屈(すなわちクラウゼヴィッツ的合理性)抜きで猛反対する事態だということも、米国は知っています。
 たまたま米国は韓国が嫌いになりつつあり、次期大統領の4年間で半島からの撤収(すなわちベトナム化ならぬ朝鮮化)が加速される可能性はないわけではありません。しかしそれにもまた前提があります。韓国軍の穴を日本軍が埋められることです。すなわち日本国防軍が全地球的に米軍と共同作戦ができるようになっていなくてはなりません。
 その場合は、半島全域が北京の走狗化、すなわち反米テロの手先化しても、米国は苦しくありません。前衛には日本軍があたるからです。
 このような稀有な諸条件が揃ったとき、半島は非核で安定するでしょう。
 北朝鮮が「暴発」したとき、北鮮内の日本人拉致被害者の安全を確保することは覚束ないことです(そもそも拉致されて放置している段階で日本政府は彼らの身体を見捨てているのですから「今更…」なんですが)。
 というのは、暴発しますと在韓米軍により北鮮の軍事力は「瞬殺」され、いかなる公的秩序も消滅するからです。ホッブズ的自然状態が一瞬ですが現出します。その一瞬に誰の身に何が起こるかはわからない。
 このことは北の政権指導部にはよく分かっていますので暴発そのものがあり得ません。「弱いから暴発する」などというのは戦前の日本政府にしかありえぬ発想です。
 早く経済制裁を発動し、パチンコ賭博を違法化して、彼らを弱めることです。弱まればスリスリするのが朝鮮人です。
 半島で戦争または内乱が起きたときには、日本政府は直ちに短波ラジオ放送、中波ラジオ放送、インターネット、携帯電話のメール一斉送信等を通じて「日本人を殺した者は軍事法廷で裁く」と警告することが必要です。


また、お(ry

11月中旬に大阪に出ることになりました。2日間です。
 考えて見ますと、雑誌時代に何かの取材で交通博物館に入ったのが唯一の「俺の大阪観光経歴」でございまして、あとは「素通り」を何度かしているばかりでした。神戸は地震前にバス観光してるんですけどね……。
 というわけで「ここは是非見ておけ」という名所がございましたら、お知らせください。今のところ、淀川の水上バスには乗ってみるつもりで居ります。
 ついでに何かファンサービスができると良いのですが……。