久間氏辞任のニュースを読みて

 『力の意志』という雑誌に、「核戦争」と「核抑止」と「核武装」の違いを分かり易く解説しているので、「新風」のスローガンに疑問のある人は、読んでみてください。
 以下、遇懐。
 米国は日本の防衛大臣に(たぶん)次のような要求をしていた。
○陸上自衛隊を、イラク、アフガン、シナ大陸へ、オールラウンドの戦闘目的で派兵できるように、日本の法律と政府見解をさっさと変えろ。こっちは陸軍が足りなくて世界中で困ってるんだ。やる気がないなら北鮮をもっと増長させてやるぞ。こっちは痛く痒くもないんでな。くやしかったら陸上自衛隊で人質を奪還しろ。北京と戦争しろ。
○最新流儀の地上戦には不向きなユニットであるために、合衆国の官僚組織として陸軍への統廃合=消滅の危機にさらされている「海兵隊」が有している沖縄利権を、絶対に縮小させないように働け。海兵隊をリストラする反面で、上下両院の海兵隊出身議員は、少しあやしてやらんといかんのでな。
○予測できないはるか遠い将来にアメリカ本土防空の役にたつかもしれないMD先端分野に、巨億の日本資金を投入してくれ。オレたちが北鮮問題で北京と当面事を構えないことの国内大衆向けの言い訳になるし、わが閣僚の縁故会社の株を上げたいんだ。
 これに対して防衛大臣は米国に(たぶん)次のような要求をしていた。
◇オレも代議士だ。日本が損するだけのそんな諸政策の実現に苦労しても、票にもカネにもつながらず、まるでくたびれ儲けだ。見返りをよこせ。
◇とりあえず武器メーカーにおいしい話を持ち帰ってやりたい。土産も無しじゃ、接待された分のお返しもできん。F-22を三菱にフルにライセンスさせると早く約束してくれ。
◇安倍が改憲するまでは派兵の話は無しだ。マッカーサー糞憲法を変えるのには時間がかかるんだ。そのくらい理解しろ。
◇沖縄に滑走路を増やしたって、俺の懇意の土建業者には一文も入って来やしねえじゃねえか。俺が何か儲かるようなスキームを提供しれや。俺が自民党のドンになったら、海兵隊についても悪いようにはしねえからよ。
◇オイオイ、MDなんて短距離でも1割しか当たるもんじゃないってことを、メーカーとツーカーの俺様が知らされておらんとでも思っておるのか。武器輸出が全面解禁されるまでには時間がかかるんだ。MDビジネス拡大の話はそれからだ。そのあとでなら、日本のメーカーにも仕事が回せるしな。
◇だいたいお前らのくれる情報はデタラメだ。信用できねえんだよ。何か俺にだけ、スゲーひみつの話を教えてくれねえかな。誰にもバラさねえからよ。それを利用して、もっとビッグになりてえわけよ。
 これに対して米国政府は安倍氏に(たぶん)次のような意見を述べた。
◎防衛大臣は好ましからざる人物である。所属する派閥も腐っているようだ。誰か、世界政策のビジョンについて高度な話が通じ、民主主義の理想を語りつつ国内産業の金儲けにも抜け目無く配意しつつ絶対に歴史問題での失言はせず、テロリストにチャンネルがつながる灰色ビジネスにも無縁という、マスコミ時代の公人としてよく訓練されている人物と替えてはどうか。そんな彼もしくは彼女が将来の日本の指導者を目指すのなら、アメリカのパワーエリートは、長期的に応援したい。


有意義だった熊本視察

 今回の訪問で新風の選挙用レトリックの弱点を把握することができた。ポスターと地方区の選挙カーの録音はもう間に合わぬが、比例区用のテープはギリギリ間に合うようだから、さしでがましいけれども、テープ原稿の校正意見を魚谷さんに伝えた。
 続いて、うぐいす嬢用のアドリブ挿入原稿も考えたい。
 熊本県本部のスタッフの方に、金峰山のふもとの曹洞宗雲巌禅寺の霊巌洞に案内していただいた。持参の磁石で、洞窟の開口部の方位は南西もしくは西南西向きであることを確かめた。思ったよりずっと小さな寺だった。信州の戸隠神社のようなスペース感と想像していたのだが……。閑雅を得たら、また『五輪書』序文の意味を再考したい。
 熊本市内の「四時軒」に保存されている、横井小楠が暗殺された折に敵の攻撃を3太刀まで防いだ懐剣の実物(刃部でモロにうけとめた状態がまざまざと残っている)は、剣技に興味のある者なら必見。(本物に間違いなくば)実物史料として重文級ではないか。
 25日配信の「読書余論」は衝撃を与えたと思う。米国の東アジア戦略は時々刻々に変わるようなものではなく、選挙後の北鮮問題の展開も予測容易なのだ。


御礼一号。

ネット ゲリラ 潜水艦 で検索できるブログさま、わざわざ転載して下さり、まことに辱う存じます。
「日本エロ本史」の企画案がしかるべき版元の目にとまりますよう、祈り上げます。


謹んで媒体を公募いたします。

あたらしいマッカーサー伝を書きたいと思っております。ただし、この企画は雑誌連載でないと成り立たないと思いますので、下記のように媒体を公募し、応ずる声が皆無ならば、企画そのものを無期延期します。
○執筆の狙い:
 戦後62年になりますが、いまだに日米関係は尋常妥当であるようには見えません。その原因は人々の憲法無知にあり、さらにその原因の一つには、古い世代の戦後左翼から戦後保守までに共通する「マッカーサーの神格化」があるのではないでしょうか。
 一例に挙げて恐縮ですが、渡部昇一先生のマッカーサーの神格化も、困ったものだと思うのです。
 愚生の思いますところ、ダグラス・マッカーサーは、非アメリカ的な異常な人生観をもっていたのであって、それを自己演出の才能でごまかしていました。戦場指揮官として凡庸であり、マネージャーとして有能でした。まさにその故に、フィリピン人と日本人と朝鮮人の支配者としては適任ではないかと、米国東部人からは見積もられていたのです。「マッカーサー、イコール、アメリカ」ではありません!
 日本人を特異的に良好に支配できたマックの立場に、一度なりきってみることにより、尋常妥当でない憲法と、尋常妥当でない対米関係を、クールに観察できる視力を、わたしたちは獲得できるでしょう。
○雑誌連載でないと困る理由:
 これまで愚生はあらゆるテーマを「単発書き下ろし」で追求してきましたが、1歳児を抱える家計の維持という最近の免れ難い任務から、取材に手間のかかる、この重いテーマに限っては、雑誌連載形式でないと、とうてい完遂不能――と予見しております。
○希望する媒体:
 特にありませんが、月刊ですといちばん助かります。アカ系でも宗教系でも朝鮮系でも「無問題」です。破格の稿料をいただけます場合は、愚生じしんが転向入信or顧問就任するかも……! ご連絡は、管理人さん経由で。
 ……という世知辛い話のあとで、雑談に移りましょう。
 S51刊の『最後の参謀総長 梅津美治郎』によると、二・二六事件で刑死した将校の遺家族が窮乏してその日暮らしをしているのを、昭和13年に石丸志都麿・予備少将(S6待命)が救済してやろうと運動したのだそうです。陸軍省では、天皇と世間に誤解を与えかねないというのでこれに関与することを渋りましたが、けっきょく今村均(兵務局長)が次のような方策をまとめてやったといいます。
 すなわち、遺家族のうち、10歳以下の男子を徴兵保険、女子を嫁入保険、さらに40歳以上の人々を養老保険に入れ、その掛金は陸軍省が一括払いし、保険証書を各家庭に贈呈する。もしも家族が至急に現金を必要とするときには、証書を担保として、保険会社から低利で借金ができるという特約もあったんだそうです。
 この逸話には、これから最も市場で歓迎されそうな現代の金融商品のヒントが隠れているような気がします。
 また、おびただしい資産を退蔵させている団塊世代から、より消費性向の強い若い世代に、途中で贈与税を抜かれないように「遺産」を「安心(綜合保険)」に転換して移転(生前継承)させてやるという便法は、もっと私企業によって研究され、また国によって奨励されるべきではないのかと思いました。

 

 



上甲板がない構造の舟で日本海を渡るのは自殺と同義

 海上自衛隊・函館基地隊(主幹は第45掃海隊)の浮遊機雷の処分のピークは1955年であった。朝鮮戦争でウラジオストックを防御するために仕掛けられたソ連製触発機雷の係維索が切れて浮遊化したものの中には、津軽海峡を抜けて、苫小牧まで流れ着いたものすらあったのである。
 1951年5月から1953年3月まで、日本海から太平洋に常に流れている潮流に乗って次々に入ってくるソ連の浮遊機雷を、目視で避けて走る必要から、すべての青函連絡船は、日没から日の出まで、運航が停止されていた。
 (もっと詳しい情報は、隔月刊の『北の発言』のバックナンバーの兵頭記事を見れば、載っているだろう。)
 つまり、ウラジオに近い北鮮の東海岸から何かを漂流させたとき、それが青森に漂着する場合があることは、別段、不思議なことではない。
 もちろん、ボロ船に人間が乗って沖に出て、その人間が生きたまま無事に日本まで辿り着ける確率は、日本海がおだやかになる夏季であっても、ごく低いだろう。そんなマネが確実にできるくらいなら、とっくに何千雙ものタライ船が、日本を目指して脱出してきているはずだ。
 今回の漂着事件は、北鮮軍にまた一つのヒントを与えてしまった。――乾舷高をギリギリに低くした木造ボロ舟の舟底に、海面上からは視認できぬように、航続力の大な低速の小型船外機をとりつけて、青森県または秋田県沖まで、漂流木同然のスピードで到達する。海保ではこれに注意することはとてもできぬ。そして、海の深いところで、特殊船外機は切り離し、海底へ投棄してしまう。かくしてどこから見ても真のボロ舟の姿となって、あとは手漕ぎで、海岸に達着。もし海岸に日本の警察の有力な部隊が待ち構えているようであれば、脱北難民を装う。さもないときは、コマンドー部隊のミッションを継続し、白神山地~八甲田を夜間に縦走して、三沢もしくは六ヶ所村に向かう……。
 漂着鮮人のためにわざわざ裏日本に迎賓館を建ててもてなす必要は無論ない。なかんずく東北地方の良いところは、シナ人や朝鮮人などがうろついていれば、すぐに分かるというローカル性にある。特亜人収容所などを造ったらその地域の長所は失われてしまう。よろしく旧式軍艦の船倉に留置し、そこから韓国政府さしまわしの伝馬船に移乗させるようにはかることだ。
 北鮮にいくらボロ舟があろうと、港や海岸は自国警察と密告隣組によって厳重に監視されており、地元漁民でもない者がおいそれと漕ぎ出せるような環境ではない。それより気になるのは現今の同地における「櫓」の普及度だ。船外機の普及で、櫓漕ぎの技能など廃れてしまっているようであれば、ますます、生きたまま日本まで到着できる確率は微小である。


ミアシャイマー教授の間違い

 訳書『大国政治の悲劇』へのコメントは、6月25日配信の「読書余論」(有料)の中でする予定だ。
 ここでは一点だけ……。
 教授は宣言している。リアリスト理論では、各国の内部の構造は捨象されると。外部の環境だけが大国の行動に影響を与えるのだ、と。
 また彼は認める。ドイツは1914より1905に、対仏or対露戦争を起こしておいた方が、はるかに有利であった。それをしなかった理由は、彼のオフェンシブリアリズム理論では説明はできない――と。
 然り。重ねて然り。彼の構造本位論のまさに反証が、1905のドイツと1941の日本であろう。
 どちらも特異な「参本」にかかわる国内事情により、やりたい戦争ができなかったり、あるいはすべきでない戦争に踏み込んだ。
 日本について、どうやら以上の説明を、英語で主張してこなかったらしい日本の政治学者や現代史学界は、恥ずるべきである。
 1906に、ある参謀が退任した。シュリーフェンが! 彼の精緻な内戦機動戦争計画が完成し、採用になったので、満足して、引退したのだ。
 逆に言えば、参謀本部が一つの壮大で総合的な戦争プランをまとめて隅々までチェックし終えるまでは、ドイツは、千載一遇の環境が完備しているのを見てさえ、拙速な開戦は、いくら君主がしたくとも、できなかったのである。ロシアの日本に対する大敗と、同国内での革命騒ぎの混乱は、ドイツ参謀本部に、対仏戦争の全計画の根本からの見直しを促していた。外部の環境ではなく、参本が戦争計画を決めるという内部コンスティテューションが、大国ドイツの行動を縛るものであったのだ。
 1941の日本は、正気の君主が開戦=破滅と理解して反対しても、参本の開戦計画が9月6日に東条陸相のプッシュでひとたび走り出したら、誰もそれを止めることができなくなった、というケースである。これもオフェンシヴ・リアリズム理論などで説明ができるわけがない。ミアシャイマー教授もそんなことは感づけるはずだと想像できる。だが、シカゴ大学にすら、教授の説の明白な反証となる、日本の開戦を詳述した適切な英語文献は、皆無なのだろう。
 わからない人は、『東京裁判の謎を解く』を未だ買っていない人だから、まずはそれを買って読むことだ。幸か不幸か、編集長が替わった『諸君!』が、仰天するほど低調化しつつあるので、その3号分の予算でも廻しては如何。
 さて、このたびわたしは、政党機関紙『新風』の平成19年6月1日号に、次の激励文を寄稿した。
 この選挙を傍観することは許されぬ。「一票の価値」が、これまでとは違う。これまで何度も国政選挙に失望してきた有権者よ。ただ、一票を行使せよ! その一票が日本を変える日が、ついに来る。一票が一議席を実現するだろう。その一議席が、日本を変えてしまうのだ。戸外に出よ! 歴史が改まる瞬間に、立ち会わん。
 活字ではなぜか、上掲原稿のエクスクラメイション符号がぜんぶ「。」に変えられている。政党の新風に、果たしてアジ文の骨法を理解する者がいるのかどうかはわたしには疑問と思えるのだが、瀬戸氏を候補に公認したのは奇跡的なほど正しい。瀬戸氏のキャラクターはネット時代の有権者の言語レベルに絶妙にマッチしていて、余人の追随がありえないほどなので、20歳代のネットユーザーの当日の投票率さえ上げることができれば、1議席は考えられる情況だ。
 是非とも支持者たちはK明党の向こうを張り、当日の朝、「そこのおまえ、ネットサーフィンなんかしてる場合か」という尻叩きを、オムニプレゼンスに、書き込むべきだろう。単に、投票場に行け、とだけ煽動を試みるのは、公職選挙法には違反をしないとわたしは認識をしている。
 ところで、政党のインサイダーではないわたしの希望は、1議席獲得の、そのさらに先にある。
 「バカ右翼が、バカのままでは困るだろ」との自覚ができなければ、党勢は決してそれ以上には伸びて行かない。昔の「新自由クラブ」よりも早く、尻すぼみになるか、分裂してしまうだろう。
 「消えた年金」問題に関して、いちばん説得力のある解決ビジョンを示すことのできる政党が、全国の中流以下の有権者に、圧倒的にアピールするはずだ。「格差社会」なる標語はパンチ力不足であり、たぶん論点とはなるまい。保険と税金を、時勢についていけない低所得or高齢の国民に本能的に信頼されるくらいに、どうやって極端なまでに単純化してやれるのかが、最大のイシューとなるだろう。
 厚労省&市区町村役場に向いた目下の小噴火の下には、全国の老人が郵便局のATMを操作して年金を受け取らなければならなくなっていらい、ずっと昂進しつつある、「オンライン弱者のオンライン不信」「PC弱者のPC不信」というマグマがわだかまっているのだ。その不信感・不快感が、政府や役所や役人や公務員労組への不信感・不快感と、ピタリ、重なるときに、日本社会の「ノン・エリート」が全「エリート」に向かってアナーキーな大噴火を起こす。
 類似事故の発生防止のキモは、おそらく公務員の天下り規制などではない。衆議院議員である政治家が、配下の役人を随意にクビにしたり配転できない法制と慣行が癌なのであり、その大元は憲法なのである。
 そこで、ミアシャイマーの誤謬に話が戻って行く。外部要因ではなく、まさに1941年の日本国内の公務員制度が、自衛戦争とは呼べない対米戦争を引き起こした。これが分からないというバカ右翼には、戦後の公務員制度の問題も、把握できる道理がないのだ。〈あいつは高級官僚に勝てない政治家だ〉とひとたび知れたら、有権者の支持は、そこまでなのだ。国民は、敗北することに、飽きている。


チラウラそらだま旬報・1

 「勝手にソーラーライトを愛好する会」の既報の比較テストで、性能は最高であるとおりがみをつけている〈送料込みで5000円の「ソーラーライト マルチムーン」(イエロー)〉は、目下、売り切れになっている。しかも、どうやらその同じ製品と思われるものが、他の複数の通販サイトで、8000円前後の非常な強気の値段設定で売られているようだ。
 じつは、日頃お世話になっている市内のある人から、勝手口用の常夜灯が欲しいといわれたので、ならばこの製品をプレゼントしようかと思って久々に検索してみたら、こんな現況に気が付いた。
 どうも迷ったが、フェアリーガーデンという通販会社が送料抜き税込み3880円と広告している「ソーラーライト マルチムーンイエロー」をとりよせてみた。
 ちなみに、同ウェブサイトの商品説明は、わたしには隔靴掻痒だった。
 というのは、わたしが以前に購入し、「ソーラーボール(黄)」(1000円台)に比較しても発光持続時間が短いという結果が出ている類似品:〈送料抜き3990円の「ソーラーボール グローブライト」(アンバー)〉――ではない、との確信が、同ウェブサイトを見ただけでは、いまいち、持てなかったのだ。
 〈ニッケル水素電池が(1本ではなく)2本入っている〉との一言が広告のスペック表示中に書かれてあれば、それは、過去の比較テストで最高性能と判明している、送料込みで5000円で買った「ソーラーライト マルチムーン」(イエロー)と同じものだと、ダメ押しの断定がほぼできるのだが……その情報は載ってないのである。
 ソーラーライトは外見上の類似品・クリソツ品が多く、しかも通販では通販会社ごとに勝手なまぎらわしい命名をしていいらしいので、ウェブサイトをみただけでは「商品同定」をハッキリさせ難く、しかもユーザー・サイドに情報が足りぬため、一物一価でもない。高くて低性能の商品があり、安くて高性能の製品があるという、博奕のような市場になっている。
 もし、電池1本の低性能品が届いたら、情けない話になるところであった。が、届けられたものは、〈過去のテストで最高得点の、送料込みで5000円だった「ソーラーライト マルチムーン」(イエロー)〉と同じものであった。それが、より安価で手に入った。
 ところで、くだんの〈市内のある人〉のご自宅には、このライトを固定できる木製の台のようなものはない。ポールを別途、調達する必要があった。
 そこで、内径19ミリのステンレスの細長いパイプを、DIYショップで数百円で調達した。これを地面に垂直に差し込んだ。その上端口に、あらかじめ「マルチムーン」付属のABS製の杭をねじこんでおいた球体をスポリとはめこみ(ゆるく嵌合する)、接着剤で固定した。一丁あがりだ。
 この製品は発電性能がとてもよいから、ことさらに太陽方向に向けなくとも大丈夫だろう。また冬の積雪については、オーナーに心配してもらうしかない。研究心のない普通のユーザーに細かすぎる注意を与えることは適当ではないのである。
 固定台といえば、別な話も……。
 付属の梱包剤である透明ブリスターを、木柵上の台座代わりにしておいた初代「ソーラーボール(黄)」であったが、紫外線と強風のために、ネジを貫通させた箇所からヒビが入り、ついにブリスターが裂けるように割れて吹っ飛んでしまった。
 そこで百円ショップに行った。
 調達したのは、白いプラスチックのメッシュ状の円筒状の鉛筆立てと、透明のプラスチック製で、底板を分離することのできる「箸立て」。
 それぞれ接着剤で、(黄)と(マルチカラー)を載せてみたところ、接着具合は強固で、耐候性がある。
 メッシュ状鉛筆立ては、2本の木ネジを斜めにさして、木柵上にネジ止めすることができる。箸立ては、底板のセンターに1本の木ネジを打ち込めばよい。
 箸立ての上で変色するマルチカラーのソーラーボールを夜間の庭で眺めていると、地上核実験のように見える。またつまらぬ発見をしてしまった。
 わたしは、ソーラーボール(黄)を現在、2個光らせているが、そのどちらにも、アクリル球体の内部に結露が生じ、少しづつ水が溜まってくるという、よくない現象が観察されている。冬はこの現象は目立たなかったけれども、春になったら、昂進してきた。
 たぶんは、球体の合わせ目のどこかに微細な隙間があって、好天の昼間と冷涼な夜間の日較差で、内部の空気が膨張&収縮し、そのさいに外部との空気の出入りがあるのだと想像される。
 回路部は内部でさらにプラスチックによって密封されているようなので、結露や水溜りが点灯の動作に問題を及ぼすことはなさそうである。が、球体が曇りガラスのようになってしまう。
 現在、錐で下方にピンホールを1つ開けて排水を試みている。もちろん、これで結露をなくすことなどはできない。また、この小孔を開けたことにより、そこから虫が入ってしまうなどの別な問題も生ずるかもしれぬ。また、続きをリポートしたい。
 なお、興味深いことに、同じオーム電機製でも、マルチカラーに自動的に変色するソーラーボールの方は、この内部結露が生じない。おそらくはアセンブルのラインが別で、造りがより丁寧であり、密閉も良好なのだろう。販価は、ソーラーボール(黄)と同じなのだが……。
 おしまいに、宣伝。
 アメリカ政府がエタノールをどんどん買おうというので新大陸では畑の作付け品に激変があり、これにともなって柑橘市場などは混乱している。例によってこのブームに触発されて、「日本の農業を救え」とかいう農本主義の素人提案が続出するだろうと思われるが、日本の現代史は、「日本の内地での農業にこだわる者は馬鹿を見続ける」という教訓に満ちている。名物農相が現役時代にどんな提案をなしえたか、ふりかえってみるといい。
 農本主義がなぜ日本においては間違いなのか、一からじっくりと勉強してみたい人には、ぜひ有料の「読書余論」の購読を、おすすめする。


マッカーサーは帝国国策遂行要領の「自存自衛」をセキュリティと意訳した

 「自存自衛」=セキュリティ≠自衛=セルフ・ディフェンス …… という式が可能だろうと兵頭は思いますので、以下にその理由を述べまして、渡部昇一先生もしくは1928~1951年の英語に詳しい方に、謹んでご採点を請う者です。
 ソ連のヴァルガ・リポートは、1948年までに資本主義世界に戦後恐慌が起こるだろう、と日本降伏後に予言しました。WWI後にはたしかにすごい恐慌が世界に起こって、それが共産主義の世界布教にどれほど貢献したか知れません。アカはみんな、その再現を期待していました。
 ところが、1948になってもちっともヴァルガの予言は当たりそうになかった。ますます自由主義陣営は強化されそうに見えました。これは困った。モスクワは、西側が不況で弱って混乱したところで、軍事侵略の一撃を加えるつもりでいたからです。
 ソ連にもシナにも、〈戦後恐慌が起きないのならば、もうこちらは座視してはおられん。西側が復興する前に先手をとって開戦しちまおうぜ〉という威勢のよいグループがいました。北京では、そういうひたすら元気のよすぎる連中が、慎重な仲間との権力闘争で勝利していました。さすがに西ドイツに向けて事を起こされるのは危険だとスターリンの理性は警告しましたが、極東ならOKだとスターリンも決心します。
 スターリンのサポートを受けて、ソ連人大尉・金日成は韓国を侵略しました。
 ただちに国連軍の司令官に任命されたマッカーサーは、逆上陸によって、ソ連仕込みの北鮮軍を壊滅させて鴨緑江まで押し返します。すると1950年10月、その国連軍に、こんどはシナ軍が襲い掛かってきた。以後の「朝鮮戦争」は、まったく「米軍vsシナ軍」の戦いです。北朝鮮軍などは、とっくに消滅していました。
 マッカーサーは、敵の後方兵站線が聖域化されている限定戦争を体験したことがありませんでした。
 彼は戦線が38度線付近で膠着してしまったことに我慢ができなくなり、シナ軍の後方基地の満州を原爆で空襲すべきだと公言しはじめました。彼の肚では、満州を破壊しても効果が薄かったら、北京をはじめ、もうシナ全土を空爆してもよかろうとまで考えていました。トルーマンはもちろん反対です。そうなれば、西ドイツの攻略を希求しているスターリンの思う壺だからです。
 すると、なんと、アメリカの新聞に、マックが東京で(かれは朝鮮戦争の指揮を、ずっと日本国内でとりつづけた。ちなみに第二次大戦前からその頃まで、マックは米本土には戻っていない。どこかアメリカ嫌いなアメリカ軍人だったのです)、トルーマン大統領を批判した発言内容の記事が載ります。
 当時の米国新聞の特派員は、マックの機嫌を損ねる記事を本社に送ったら、日本にはいられなかったのです。ですから、この報道は異常でした。合衆国に雇われている職業軍人が、国民の代表である合衆国大統領の外交方針を堂々と非難したのですから。マックは米国憲法の意味をまるで理解していなかったのです!
 トルーマンは、反憲法的な異常な米軍人マックをすぐに馘にしました。もちろん日本占領軍のボスの座も、お役御免、本国召還です。
 多くの日本人がその人事を知って驚いたといいます。ほとんどすべての日本人もまた、1950年になっても、米国憲法や米国の国体を理解していなかったでしょう。
 男を下げた平民マックに、弁明の機会がやってきました。
 1951年5月、ワシントンのアメリカ連邦議会の上院軍事外交合同委員会での、3日連続の聴聞会です。
 5月3日、ヒッケンルーパー上院議員が、〈シナを空爆し、シナを海空から封じ込めればいいのだというあなたの主張の正しさは、あなたが実施した対日戦で、証明済みなのですよね?〉と、水を向けました。この上院議員はあきらかにマック贔屓でした。
 じつはマッカーサーは対日戦争中に、隷下の陸軍地上部隊が、海兵隊よりも消極的である、という誹謗を受けていました。マックにはこれがずっと心外でした。彼は戦後すぐに部下に書かせた自己宣伝的な回想録の中で、空軍力によって敵の海上補給線を断ち、有力な守備隊のいる島嶼を迂回する戦法を採用したことが、いかに米国兵の犠牲を少なくしたかを強調しまくっています。
 ヒッケンルーパーの質問をうけて、マックは、「この球を待っていた!」とばかりに、以下のような演説をします。
 ――日本の人口は8000万もあった。その労働力の半分は工業が吸収せねばならなかったのである。彼らはどの国民よりも労働を好み、なにもせずにブラブラするのは嫌いであった。ところが日本国内には工業が要求する地下資源がない。もしも東南アジアの資源を利用できなくなれば、1000万~1200万人の日本人労働者が、するべき用事もなくブラブラする(unoccupied)ことになり、不幸になる。日本政府は、この不幸を避け、資源利用を将来も確実にする「セキュリティ」のために、先手をとって侵略戦争に踏み切ったのであった。いったん日本が占領した東南アジアの島々を米軍が上陸戦闘で奪回しようとなどとするのは、米兵の犠牲が大きくなる下策だった。敵は勤勉で有能なのだ。だからわたしは、迂回戦略と海空からの封鎖によって、あの勤勉で有能な強敵を降伏に追い込んでみせたのだ――。
 マックは、日本人が〈餓死回避〉等の、生存の必要、すなわち自己保存の自然権から緊急避難的に戦争を始めたという弁護は、少しもしていません。日本人は、何もせずブラブラして生きることもできたはずだったのです。が、彼らの溢れんばかりの勤労意欲は、そのような人生を幸福だとは思わせなかった。労働者の幸福を確保するために東南アジアを侵略した彼らは強敵であり、それを降伏させた自分は天才的な作戦家だ、と言っているだけです。
 マックはここで、日本の1941-12-8の開戦は「セルフ・ディフェンス」だった、とも言っていません。言うはずがありません。
 1928のパリ不戦条約以降、列国にゆるされている戦争は「自衛」戦争だけなのです。真珠湾奇襲で開戦することが「自衛」になり得るのなら、今の「自衛隊」にも真珠湾奇襲が許されてしまいます。
 なおまた確認すれば、国際法上の「自衛」の英訳は「セルフ・ディフェンス」しかなかったはずです。
 マックが1951にワシントンで、日本の1941-12の行動について「セルフ・ディフェンス」という表現は使わず、「セキュリティ」としか言っていないのは、マックが日本の行動を「自衛」とは思っていなかったことの傍証になるだけでしょう。
 ところでマックがここで「セキュリティ」とパラフレーズしたときに念頭していたのは何でしょうか。わたしは、それは東条が陸相だった1940年に裁可された「帝国国策遂行要領」の中の「自存自衛」という熟語だったのではないか、と疑う者です。
 東京裁判の中でも、この「自存自衛」が何十遍、被告人側によって用いられたことでしょうか。それを聞いた通訳と外国人たちは、とても混乱したはずです。
 なぜなら、聞けば聞くほどに、彼ら日本人が「セルフ・ディフェンス」の意味がわかっていないで、「自衛」の語を用いているらしいことが、外国人には、推察されたからです。
 その通りでした。日本人は、単に「自存」を言い直す強調として、何の気なしに「自衛」と言っていただけなのです。
 マックはおそらくかなり後になって、自分なりにそれについて理解したのではないでしょうか。日本人が口にする「自衛」とは、どうやら「自存」と一組で、どうやら英語の「セキュリティ」の意味らしい……と。
 「帝国国策遂行要領」だけでなく、戦前の日本の指導部は、自衛という言葉の国際条約上の意味を知らなかったんです。
 これは驚くべきことでしょうが、じつはマックも1945までは、よく分かっていなかった。マックはしょせん、自己演出だけが得意な、時代遅れの二流の人物でした。古い世代の日本人は、そんな二流のアメリカ人を、まるで神様のように思っていたのです。一流のアメリカ人たちは、米国東部からマックに指示を飛ばしていました。
 はじめ、マックは、東条を、古いハーグ条約の開戦規定違反で裁くつもりでした。スチムソンはあわてて、1929のパリ不戦条約発効以降は、ハーグ条約の開戦規定などもう意味はなくなっているという説明を伝えねばならなかったはずです。マックは、国際法に関してはド素人であり続け、東京裁判の法的体裁を整えたのは、すべてワシントンの文民でした。
 日本人はいまだに、真珠湾攻撃前に宣戦布告していれば東条は無罪だと考えていますけれども、天皇の御名御璽によってパリ不戦条約を批准した1929以後は、先制攻撃した国が侵略者(アグレッサー)とされるしかないのであり、1941-12に世界に向かって日本の「自衛」を主張するためには、むしろ、宣戦布告や開戦詔勅を米国よりも先に出してはいけなかったのです。
 この基本すら分からず、わざわざ侵略者である証明となるだけの開戦詔勅(そこにも「自存自衛」の熟語が入っています!)を先に出していることの謎を、東京裁判の後半にとうとう理解したマックは、おそまきながら詠嘆します。〈日本人は、ドイツ人と違って、新しい国際法の内容と意味もわきまえなかった、12歳の少年犯罪者だったのだな〉と。
 ただし、マックもせいぜい15歳くらいだったのです。
 ところで東条は正直者です。東京裁判に提出した「宣誓供述書」の中で、アメリカ政府の禁輸のうち、いちばん効いたのは1940-10の屑鉄の全面禁止(北部仏印進駐への制裁として。東条の陸相時代)だった、と打ち明けている。
 鉄がなくても日本国民は餓死しないでしょう。ただ、支那事変は続行不可能になるわけです。(事変の軍事費の半分が弾薬費。その砲弾と爆弾の外殻スチールはアメリカから買った屑鉄を溶かして製造した。)
 参謀本部が考えた対米先制開戦のプログラムを、近衛内閣の陸相として政府に呑ませ、続いてみずから首相を兼ねてその実行をやり遂げた東条が、「パリ不戦条約」を破ったことは、動かせません。
 東条が国際法上の侵略者であることをマックも戦後にようやく勉強できて、以後は、東条の叫んだ「自存自衛」を、「セキュリティ」と意訳しているのでしょう。
 不思議なことに、昭和天皇の終戦の詔勅は「自衛」の語を省き、「自存」だけ再度、強調しています。詔勅の草稿を担当した陸軍省の誰かが、日本語の「自衛」と、国際通念上の「自衛」のギャップに、気が付いたのです。
 日本が「セキュリティ」のために開戦したとマックに納得させたレトリックは、たぶん、東条の証言などではなく、昭和天皇の開戦詔勅です。マックは、「自存自衛」の、日本人独特のズレた意味・用法を理解したあとで、この開戦詔勅を(おそらく自伝を書くために)読み直してみて、あらためて日本国の立場への理解を深めたでしょう。しかし、日本が「自衛」をしたとマックが思った、という証拠は、どこにもありません。


旧軍はいつから陽明学徒になったか

 ツアーご参加の皆様、お疲れさまでした。
 雨の中で山道を間違えたり(本当はあのコースのまま前進して良かったようです)、いいかげんな解説をさんざんいたしまして、恐縮です。
 また、いろいろ、お土産も頂戴し、ありがとう存じます。
 そのお土産の中に『日露戦争物語』というコミックスのvol.14~vol.18もありましたので、珍しく思い、拝読をさせていただきました。
 じつは去年頃から、人生の残り時間を計算しまして、いまのうちに長い古典の原文を読んでおかねば、こんご読む機会はますます半永久に来なくなるだろうと悟りまして、かつて以上に古典ばかりを読み進めておりまして(岩波文庫の『源氏物語』全六巻は、やっと今週読了したところです)、新刊やマンガを手にとるのは久しぶりでした。
 それで改めて感心を致しましたのが、明治32年に秋山真之が海大の山屋他人に書き送っていたという、黄海海戦の批評です。
 秋山はその中で「……拙速を貴ぶ戦役を長引かしめたる戦略的原因は……」と書いているという。
 ご承知のように、『孫子』のテクストには「貴拙速」とは出てきません。では、その非合理的なレトリックを、いったい誰が最初に言い出したのかにつきましては、『軍学考』その他でも何度か論及を致したところです。
 後代に至っては、王陽明が『武経七書評』の中で、『孫子』「作戦第二」(=作戦篇)の解説文の冒頭に「兵貴拙速。」としていたのが、幕末以降の日本人に大きく影響をしたのか……とも想像するように、最近はなりました。(この出典について愚生に教えてくださったのは大場一央氏です。)
 また丸山敏秋氏は雑誌『正論』の平成18年4月号上で、昭和13年制定の陸軍の『作戦要務令』にも「各級指揮官の攻撃部署は特に拙速を尚び……」とあったことを教えてくれています。
 東郷元帥も引用した「勝ってカブトの緒を締めよ」の諺は、『甲陽軍鑑』に頻出しておりますので、初期の海大では参考書として『甲陽軍鑑』がかなり尊重されていたのではないかとわたしは愚考しているのですが、『甲陽軍鑑』はいうまでもなく陽明学流とは志向性が違っております。
 「勝ってカブトの緒を締めよ」と「兵は拙速を貴ぶ」の間に横たわる懸隔・飛躍は重大でして、この遷移をあとづけてくれるような資料はどのくらい見つかるのだろうかと漠然と期待しながら、気長に古本などを読んでいるところであります。
 さてついでながら……。
 『日露戦争物語』vol.18中の、秋山テクストの現代語訳ならびにルビに二、三の意見があります。
 「断案」は、「自分流の研究はやめます」という意味ではなく、「自分なりに考えた結論」という意味だと思います。
 「時宜」のルビは「じぎ」と思います。
 「與りて」のルビは「あずかりて」だろうと思います。
 梶原一騎氏は歌舞伎や文楽の台本をじゅうぶんに読み込んでいた人であろうとわたしは勝手に思っております。古典の日本文のリズムに通暁していませんと、マンガの台詞だって、どうしてもそれらしい格好はつかず、幼稚で浅薄なキャラクターしか、描けぬのではありますまいか。「しょせんマンガ」ではないのです。


前泊の方にお知らせ

 名簿が手元にまだないので直接連絡のしようがなくて困っております。
 本日の天気予報は終日雨です。この気候では、大沼方面やきじひき高原などに遠出をしても、あまり楽しくないでしょう。恵山につつじを見に行くのが、ヒマつぶしになるかもしれませんが、寒いと感じるのは保証します。
 明日以降の予定表に載っていない施設や史跡を二、三巡回されることをお奨めします。
 権現台場跡は、明日、すぐ横を通過する予定です。
 弁天台場跡は、コースに入っていません。位置関係を実感したい方は、路面電車の「どっく」方面の終点で降りて視察しておくとよいかもしれません。現在は、埋め立てられた造船所しかありませんが。
 特にハッキリとした目的を有せず雨中に散策をなさりたい向きは、「元町方面と函館駅前の間」くらいに限っておくのが無難かもしれません。その範囲を外れると、途方に暮れる場合があります。
 今夜は小生は夜10時に早寝する予定ですが、もしその前に「亀田支所」(長崎屋とイトーヨーカ堂がある大きな交差点)あたりまで出てくる方がいらっしゃるようでしたら、ご連絡ください。
 明日の朝は小生は、極力早めに空港に参る予定です。もともと混雑のない地方空港で、しかも朝8時台ですから、すぐに分かるだろうと思います。現地集合の方々へは、一足早くそこでご挨拶させていただきます。
 明日は目下の予報では雨のち曇りだそうです。それでは体調にお気をつけください。