ショッカーの戦略的誤り

 戦闘員無数+今週の怪人(ボスキャラ)1人 vs. 正義の味方――――という格闘ドラマの構図を、テレビにおいて最初に提示したのは「怪獣王子」だったとわたしは記憶する。(この戦闘員の着想は、烏天狗と、ジュディ・ガーランドの『オズの魔法使い』に出てきた猿を参考にしていたのではあるまいか?)
 かなりインターバルを置いて、その次に「仮面ライダー」が世間を風靡した。
 ヒーローもの実写ドラマでは、「ウルトラマン」が「仮面ライダー」に先行しているけれども、「ウルトラマン」シリーズの「敵」には、何の戦略も、なくてよいことになっている。巨大異星生物が偶然に地球にお邪魔をしてしまい、わけもわからず、害虫のように駆除されるだけなのだから。
 ところが「仮面ライダー」の敵は「ショッカー」という組織(本人たちはこれが善いことだと信じている秘密結社)だった。
 とすれば組織としての戦略がなければおかしかった。
 組織にとって当面最大の脅威であると、いくらなんでも3週間目くらいにはわかったであろう「バッタ改造人間」を倒すにはどうしたらよかったのか。単体の実験的な改造人間を戦艦大和のように手間隙かけてつくりだすよりは、むしろ、そのすすんだ科学力を応用して有力な飛び道具を量産し、それを並みの人間以上の身体機能をもつ戦闘員たちの手に持たせ、多数によって奇襲的に強敵を伏撃・包囲・誘殺するというのが、より合理的だろう。
 あるいは、有力な「怪人」の数が一定数まで増えるのを待ってから、仮面ライダーとの会戦の機会をつくるべきであった。(アニメの「マジンガーZ」の第一回では、敵のロボットが2台同時に現れた。2台がかりで負けてしまったのに、あしゅら男爵はどうして、次の会戦では20台くらいを一気に集中してぶつけ、楽勝しようと、考えなかったのだろうか。)
 戦術のイロハのイは「集中の原則」ですよ、と世界中の軍隊では教えている。この常識がいきわたっている欧米では「怪人」ものの連作ヒーロードラマは、制作されようもないのだ。
 しかるに日本でのみ、少年たちがこの大事な「集中の原則」を学べぬような教育環境が瀰漫しているのが残念だ。「剣豪もの」「ロボットもの」の動画コンテンツの制作者たちの罪も重い。戦争はプロレスじゃないんだから。
 このような反省をようやく新たにできた貴男。いまからでも遅くないから、PHP研究所から刊行された新書『〈新訳〉孫子』を、息子に買って読ませよう!
 以上、論壇デビューして12年になるのにいまだに新聞広告で名前を誤植されてしまう著者「兵頭」からのおすすめですた。


追加情報

 アマゾンで『2011年日中開戦』が予約可能になってますね。
 なお武通にUPしている帯のコピーとデザインは試案時のもので、実物は違っています。


おわび速報

 3月21日書店搬入、と先般お伝えしたところですが、本日、版元から訂正の電子メールが届き、じつは24日搬入である、と知らされました。
 ちょっと待ってくれ、この間違いは痛いぜ! しかも通報が遅すぎるぜ。
 わたしの煽りに乗って、21日夕方から本日まで、書店を探した方が多数おられるはずだ。申し訳ないです。棚にあるわけないです。
 それから、本日の昼も、書店にはまだ1冊も並べられていないと思います。都内で、明日以降となるでしょう。
 重ねて、お詫び申し上げます。
 教訓を得ました。「本はインターネットかセブンイレブンで買うのが疲れない」。


春水こそ宣長の最優秀の「弟子」だった……といまさら気付かされる辰巳の園

 チャンネル桜の先々週の日本の防衛をめぐる討論会、じつはわたしにも声がかかっていたのであるが、2月冒頭の強度のギックリ腰の後遺症で、安い椅子に長時間腰掛けていると苦痛であったので、参加をお断りした。(ここ一ヶ月は炬燵に寝転んで昭和3年刊の伏字だらけの為永春水の『人情本集』と小林秀雄の『本居宣長』を交互に読む毎日だ。そろそろ復活はする予定で居るが……フリーの身分は有り難いね。)
 で、じつはわたしは、代わりとして、太田述正氏と「エンリケ航海王子」氏を参加させるべきですぜと、秘書の方を通じ、水島さんに熱烈に推挙申し上げたのである。近代国家の「政-軍関係」について、この2人以上にマトモな発言をしてきた人は、日本には居やしないんだから。わたしへの出演依頼の電子メールには予定メンバー表がついていた。その全員を集めても、この2人の面白さには敵うまいとわたしは即断した(一面識もない田久保さま、おゆるしください)。
 太田氏については、わたしからの意見具申以外にも、視聴者のリクエストがすでにあったらしく、サクッと列席が実現したようなので、慶賀の至りだ。ささやかなカンパの代わりにもなれかしと祈る。(たしか出演料は、ソロバン玉の上の1コ? でも無編集・無検閲で語り抜ける番組はここしかない筈。)
 案の定というか、プロボカティブな展開となったようで、これまた大慶と存ずる。何年も太田氏のメルマガのバックナンバーを読んできたわたしとしては、番組のビデオを見なくとも、太田氏がよいことを存分にブチカマシたと分かっている。
 太田氏は「山田洋行」プロットがムチャクチャになる前に防衛庁のインサイダーではなくなっている。しかし太田氏を非難する陣営の方々はどうなのかな? 知っていて黙っていた人がいるんじゃないですか? 真に勇気のある人はどっちで、偽愛国者やヘタレ言論人は誰なのか、追々、世間にも知られて行くだろう。
 さて本州大都市圏の皆様、本日、昼休みに書店にお出掛けになると、たぶん『【新訳】孫子――ポスト冷戦時代を勝ち抜く13篇の古典兵法』が、新刊の棚、もしくはPHP新書の近くの棚に、出ていますでしょう。火曜日には、地方書店にも並ぶと思います。
 先月の後藤よしのりさんの無料メルマガでも、『孫子』のサワリを語っておいたんだけど、みんな、読んでくれたかな? キモは「死地」にあるんやで……ってね。
 シナの原潜がグアム島を一周して沖縄の領海をくぐって抜けた事件。
 覚えてますよね?
 あれぞまさに『孫子』の応用。 ……し、知っているのか雷電?
 さよう、どんなシナ人たちでも潜水艦という「死地」にとじこめられて海自のASWにおいかけられたりしたら、もう全乗組員があたかも一人の男の手足のようになって共働して舟を漕ぐしかない。つまり、呉越同舟じゃい!
 チベット暴動も同じこと。騒ぎを大きくすればするほど、退却する者がいなくなる。先進西洋列国が反撥すればするほど、国内は団結する。これぞ「九地篇」の極意なり。
 ではいかにせば、その「死地」まで農奴兵をつれていくことができるのか?
 『孫子』は教えます。
 ――「騙して屋根に上げてハシゴとっちゃえば、よくね?」
 さよう、それが小学校からの「反日歴史教育」であります。
 さらに『孫子』は教えます。〈何も考えず、自動的に、敵の最弱点へ向かい、ラッシュすればよい〉――。
 いま、世界中の敵の中でいちばんヘタレなのが日本。だから、彼らは日本をいつまででも狙い撃ちにし続ける。理由はただそれだけなのです。
 教室のイジメの構造とおんなじかもネ。
 秋山真之はマハンから、〈良い海軍戦略の古典は残念ながら未だないから、内外の陸戦の古典を広く渉猟して、じぶんの頭で教訓を抽出しなさい〉と導かれました。それで「勝ってカブトの緒を締めよ」という日本海軍のスローガンが、『甲陽軍鑑』から抜き出されているんです。
 しかし秋山も秋山の後輩たちも、『孫子』は学び損ねた。スローガンとエッセンスは違うんだよね。
 米海軍という巨人に立ち向うのに、その最弱点を狙うという着眼はゼロだった。
 『大和』型をつくる資源は、潜水艦隊の拡充にまわすべきだったし、特攻の目標も、輸送船、商船、駆逐艦に、自動的に指向されるべきだったでしょう。
 これに比べると、シナの軍人は、陸軍も海軍も、よく『孫子』を咀嚼しているってことがつくづく分かります。政治家も同じですよ。
 だから、政治に興味のある人こそ、拙著『[新訳]孫子』(PHP研究所)をその手にとって欲しい。電車の中で立ち読みできるように、和訳だけを載せてあります。
 もちろん、銀雀山竹簡を十分に反映したものです。
 日本の政治家がシナからの政治攻撃に対処したくば、まず靖国に参拝してしまうことです。それによって、「死地」が作り出せる。小泉氏は、ここがわかっていたでしょう。
 まず敵と味方を分け、ぬきさしならない対決モードに誘導してしまう。それでいいんです。
 その演出で、はじめて味方は団結する。脱走者がいなくなる。それが「九地篇」の説いていることです。誰も愛国心なんかもっていない今だからこそ、春秋時代の農奴使役マニュアルが役に立つのです。安倍氏は、まるでわかっていなかった。


番組からのお知らせです

 PHP出版の 『[新訳]孫子』は、3月21日書店搬入と決まったようです。
 つまり、都内の早い書店では21日のうちに、また辺鄙な地方では来週の月・火頃に、棚に並ぶことになるでしょう。
 表紙はどんなものか? それは、「武道通信」にUPしてもらいましたので、ご覧ください。
 あわせて並木書房の『逆説 北朝鮮に学ぼう!』と、光人社の『日本の戦争 Q&A』もヨロシク!
 光人社さんとは、目下、驚くべき「共著企画」も進行中です。お楽しみに!
 P.S. 太田述正さんが出演されたという「チャンネル桜」の座談会、誰かご覧になった方はいますか?


御礼

 増元さま、お土産どうもありがとうございました。メールが届かないので、ここで連絡させていただきます。


リーダーは、部下たちと「知恵比べ」をしない。

 全能の個人はこの世にいません。夜中の3時にオーバル・オフィスに電話がかかってきたとき、その受話器を掴む「全米最高軍事指揮官(コマンダー・イン・チーフ)」にも、知らないことがいっぱいあるはずなんです。
 たとい大統領を2任期8年間も務めたとしても、なおまだ、分からぬことの方が、分かることの数よりもきっと多いでしょう。
 だからこそ、大統領には、自分を補佐させる部下閣僚を自由に任免する権限が与えられている。政策の足をひっぱるような役人はサクッと馘にできるわけです。
 〈自分ひとりで仕切れる政治の課題なんて、ごく限られているよ〉〈それを自覚できるのが賢者の徳の第一歩だよ〉と、民主主義者のソクラテスは2400年も前に最優秀生徒のプラトンを訓導しようとした。
 ……が、若きプラトンは、おのれの学才に自信を持ちすぎ、いかなる分野の専門家と知恵比べをしても負けない全能の個人はかならず国家に一人は居るのだと夢想し続け、けっきょく専制政治の大理論家になってしまう。
 嗚呼、人の理性は有限であります。
 日本も採用しているデモクラシー制度の下で、大衆はどんなリーダーを選べば良いのか? あるいは、政治家志望者は、どんなリーダーを目指すのが妥当なのか。
 ――歴史上、ありえないことがすでに証明されているような、全能に近き者でしょうか?
 これについて、デモクラシーと何の関係もなかった大昔の儒学者が、じつにあっさりと、もう答えを出しているんです。
 彼らは断定しました。「知(者)」とは、「誰にそれを任せたら良いかが分かる(者)」とイコールだろう、と。
 そのような知者こそが、天下を安んずる統治者になってもいい資格の持ち主なんだ、と。
 それ以上の知者なんて、いないんだ、と。
 ただしそんな知者は、単にidealに想定できるだけで、リアル世界にはあり得ないものなんだ……とも。
 アメリカ大統領や日本国首相や東京都知事や民主党代表は、自分自身では、一流大学法学部卒の試験エリート役人たちと論争できなくとも良いのです。
 ロクに学識や経験はなくったって良い。
 税制改革から中小企業金融から核戦略から海難審査から在日/部落特権から対外宣伝からスポーツ振興までのオールラウンドの専門家である必要などみじんもありません。
 〈大名が部下と智恵くらべをするなど、もってのほかです〉と、荻生徂徠が、わかりやすく切論しています。たとえば、複数の部下から上がってきた意見書を読み、これはダメだとかこれは間違っているとか論駁をするのは、もう、殿様が部下と知恵比べをして誇ろうという、まことに愚かしい自我である。
 そうではなく、最適の器量を有していそうな部下を探し、品定めし、一人を選んで、その問題をその男に何年か任せてみて、天下のウケをみて、どうにもダメなようだったら担任者を取り替える。それが、殿様にできる最良の仕事なのである――。
 松下幸之助などは、さすがにここの勘所は、わかっていたようです。
 この部下探し、かならずボスが直接インタビューして、心証で決めるしかありません。
 自薦・他薦の何人かに口頭試問してみて、その反応から「こいつが良さそうだ」と決める。「前からのお友達」や「義理筋からの指定者」などに任せてはいけません。
 もし、何年か経って、こうした配下の選定を誤ったなとリーダーが覚ったら、その部下を更迭するのもまたリーダーの責任であります。その更迭が遅れすぎた場合には、リーダーが天下から批判されるのは当然の話だ。
 古い儒教世界では、リーダーが部下の人事・人選を間違った結果、天下をうまく治められなかった場合、その「不知・非知」は、弑逆や革命によって修正されるしかありませんでした。
 しかし「行政官殺し/上司殺し」がちょくちょく起っては、やはり天下が安泰とは逆の方向に行ってしまいますよね。
 そこで、西洋と日本では、デモクラシーが、この無理・無駄を合理化しようとしてきたのです。
 すなわち、「行政リーダーの組織人事が不手際であるがゆえに天下が安泰になっていない」と有権者が感じたなら、次の選挙で、そのリーダーを落選させ、もっと有能な配下を知っている別なリーダー候補と取り替えてしまえる。そんな制度に、したのです。
 選挙で選ばれている代議士である大臣(たとえば防衛大臣)が、部下の役人機構や職員(たとえば艦長)の起した不祥事の責任をかぶって自分から辞任する必要などありません。
 ちなみに艦で起きたどんな事故の責任も、常に、例外なく、艦長ただ一人にのみあります。艦長がそのとき意識不明の危篤状態であったというのでもない限り、副長や航海長以下には、艦長の万分の一の責任もありはしません。艦とは〈独裁国家〉なのであり、艦長には、部下乗組員に対して、たとえば「おまえが浸水区画の内側へに行き、内側から扉をロックしろ」と命ずる「生殺与奪」の権限があるのです。ズバリ、「死」を命ずることができる。その代わり、どんなに不運な事故であったとしても、さいごの全責任は、あくまで艦長が取るというのが、海のシキタリです。
 なお、当該大臣を任命した内閣総理大臣が、その事故の原因がその閣僚個人にあると考える場合は話が別で、その場合は首相によって免職されるでしょう。
 一般には、もし有権者が、「某大臣は、頼るべき部下の人事を間違っている」「しかもそれによって天下が乱れている」と判断するならば、次の選挙でその大臣は落選するでしょう。それが代議士の責任のすべてでしょう。
 選挙で選ばれている代議士である大臣や、選挙で選ばれている知事が為すべきことは、おのれの所轄官衙内で不祥事が起きたならば、ただちに適当に部下や職員を罰し、クビにし、待命=予備役に編入し、告訴することです。
 ところが、日本の法律と政府の慣行は、代議士である大臣が、部下の役人・職員のクビを、簡単に切れないようになっている。(知事には、比較的に強い人事権がありますけれども……。)
 ここが、米国政体と日本政体の、決定的な違いです。日本の現行政体では、大臣に部下の人事を自由にする権限が与えられない。米国では、長官や局長や部長について、ほしいままに人事をおこなうことができる。だからこそ、米国では、リーダーが「知」を最大限に試せるのだといえます。
 現下の日本では、内閣総理大臣や国務大臣が、ある問題について「こいつにまかせるのが一番だ」と見込んだ部下を抜擢しようとするのがそもそも不自由ですし、なんとか抜擢をしてみても、こんどは、その部下に対し、他の同僚や上司の役人・職員がサボタージュ活動をするのを、機動的な人事権や懲罰権の強制によって止める方途が無いときています。
 つまりわが国では、国政のリーダーは「知」を発揮しようがありません。公務員の総意(=公務員試験の問題を出題する古手の大学教授よりも低い知恵)しか、動員することはできないようになっているのです。
 これでは民間企業よりも知恵が回らぬ国家になってしまうのはあたりまえではないでしょうか。
〔ミニ・ニュース・1〕
 並木書房から『失敗の中国近代史――阿片戦争から南京事件まで』(別宮暖朗著)の見本が届きました。またチカラが入ってますね! 清朝の科挙制度の末路が、リアルに分かります。
〔ミニ・ニュース・2〕
 今月末(たぶん25日過ぎです)に、PHP出版から拙著『[新訳]孫子』が出ます。本日、著者の手元に見本刷りが届きました。
 げんざい、書店には、中倉玄喜氏訳の『【新訳】ローマ帝国衰亡史』が売られていると思われますが、おそらくそのすぐ並びに、置かれることになるでしょう。
 なお、これは新書サイズですけれども、PHP新書ではありませんから、ご注意ください。売価は税別850円の予定であります。
 ――水が自動的にいちばん低いところへ殺到するように、自動的にいちばん弱い敵を衝き続けなさい――という教えが『孫子』の中にあります。
 北京政府は、すべての先進国・大国・富国・強国が憎い。しかし全世界を同時に敵にまわしたら、負けると分かっています。
 一番弱い外国を叩くのが利口なのです。だから、日本はいつでも、いつまでも、北京からイケニエに選ばれる。
 みなさん、学びましょう。


まだまだまとも

 『文藝春秋』08年4月号に竹中平蔵氏が日銀の総裁(候補)のたなおろしに関連して寄稿しています。G7の過去3年間の平均名目成長率の3.6%の成長を日本も目指すべきで、もしGDPが年に1%づつ成長すれば、10年後には税収が16兆円増え、消費税を7%上げたのと同じことになり、しかも景気も冷やさない――と。
 随分説得力があります。「2ちゃんねる」のような空間では残念なことに、戦中統制経済マンセーのヒマな赤公務員が書き込んでいるケケ中叩きのテキストの洪水の中に、まともなコメントは埋もれてしまいます。
 戦前、池田成彬[しげあき]は、大蔵省と商工省を合併して「経済省」にしろと提案していました。プロシア式に訓練された官僚が……ではなく、英米流に近代化された財界人こそが日本の経済政策を機動化して英米に対抗できるのだと考えていた。
 そこで近衛内閣の最初の組閣のときに、大蔵大臣兼商工大臣に起用されたのでしたけれども、池田の改革は、役人の猛反対で潰されました。
 「大蔵省の為替管理局」と「商工省の貿易局」の統合ですら、まったく不可能であった。つまり対外取引が必要な民間企業は、この2つの役所で2重の許可を得たあとでなければ契約は結べなかった。さらに外務省の通商局からも横槍が入った。ひどいときには全部済むのに半年も待たされる……。
 これでは外国との競争はおろか、有利な商談そのものがはじめから不可能ですね。けっきょく日本の体力が弱められて、大戦争には耐えられなくなってもうた。「大リーグボール養成ギプス」のスプリングで、哀れにも身長が圧縮されちゃった星飛雄馬みたいなモン。
 輪をかけて酷いのが満州政府で、内地で物価や貿易を統制しようとしても、諸外国から勝手な輸入のし放題。その伝票はすべて東京の国庫に回してきた。内地以上の無責任な役人天国だったのですから、その生き残りたちが戦後、満州の想い出を悪く語るはずがありません。
 池田は、こうなったらいっそ、満州と日本の通貨リンクを廃めてしまったらどうか、とまで考えたそうです(高木惣吉の日記にあり)。
 日本の「統制主義者」に統制などできず、有力役人のてんでバラバラな権益増殖を黙認するだけになるってことは、あの東条のやったことを見れば分かるはずなのに、赤公務員と2ちゃんバカ右翼にはそんな自明の事実が見えない。これをやはり高木惣吉はノーマン・エンジェルの評言を引用して「いくらでも頭脳を使いさえすれば、どんなに教養の低い者にも、自明」なことを、あえて誤謬してしまうのが公衆である――と嘆くわけです(『太平洋戦争と陸海軍の抗争』)。事情は今と少しも変わらない。


ある米国設計の誘導弾搭載型巡洋艦艦長の心の中の台詞(想像)

 昔の名物艦長にはすごいのがいたって話ですわネ。なにしろ少しでも危険がありそうな海域では、夜間の航海中にぜったいに私室へなんて引っ込まなかった。もうブリッヂ出ずっぱり。椅子を出して夜明けまで椅子にもたれて仮眠してたと。さすがにそうされちまうと、当直将校も見張りもサボりようがない。ブリッヂ内の空気がコウ、ビリビリッと、張り詰めた。
 豊田副武がある軍艦の艦長から転出するときに、艦に残った士官・下士官どもは塩を撒いたって話がありやす。では豊田はどうして出世できたのか。素人さんにゃお分かりんなんなさるめェが、これは美談なんスよ。部下の副長から新米少尉にまでも辟易された、そのぐらいのガミガミ親父じゃなきゃネ、国民の血税でこさえた最新鋭最高単価のフネの座礁や衝突事故をゼロになんかできねえ。「そのほう等、善きにはからえ。まかすぞ」式の、米内光政流じゃこりゃダメなんでがしてね。米内さんが指揮をした砲艦はじっさいに揚子江で座礁しちゃったでしょ。シナ人に対して帝国海軍の威光を低下させた。普通はそれで海軍将校のキャリアは終わりでがす。
 自分が艦長でいた間は、自分のフネには傷ひとつつけなかった、っていうのが、マァ、平時の海軍大佐以上の勲章。豊田副武が中将以上に順調に出世しているのは、この、他人まかせでは絶対にできないことを確実にやるキャラクターだったから。あのガミガミ親父ならば、貴重な組織の資産を無駄に壊させたりしないだろうっていう信頼が、上の方からあったわけですよ。「貰い事故」すら起こさせはしないぞという責任感。それにはトラフィックの多い、陸に近い海面を夜間に通過するときに、私室で寝てちゃだめなんだよね。それを艦長時代に立証できた海軍将校だけが、艦隊司令になってよく、軍令部の高級幕僚になってよく、海軍省の高官になってよく、大臣になってよかったわけ。
 ところで、米国海軍は「ドライ」だったが、ロイヤルネイヴィはドライじゃなかった。ドライっていうのは、「アルコール厳禁」っていう意味ンなりやす。そこはピューリタンですわ。
 何ヶ月も寄港なしで航海を続けるときに、腐りがちな真水の防腐剤としてラム酒を混ぜて水兵に飲ませていたりしたのが英国海軍流だ。士官は水兵以上に酒に強くなければならなかった。「ボンド中佐」のマティーニね。寺島健も、ある休暇中に麦酒数本をあけたあとすぐに海で数十分遠泳してケロリとしてさらに夜の和歌山の繁華街へ向かったという。
 戦後、日本陸軍(陸上自衛隊)の文化は米陸軍化されたとはいえども、冬の寒冷地の演習場で夜更けて「状況おわり」となったら一升瓶くらいは出てくるでしょ。いわんや堂々と英国流であったばかりか戦後もアメリカナイズを免れたと自負する海上自衛隊が……ウーイ、ヒック、てやんでえ。
 戦艦『陸奥』の爆沈事故の原因のひとつは、瀬戸内海から一向出撃する機会もなく、士気が停滞していた下士官が、火気厳禁の弾火薬庫内で密かに酒盛りを開いていたからだとも言われていますがね。しかし、将校だろうが水兵だろうが、人間酒なしじゃやってらんないときもあるじゃないですか。違いやすかい、ねェ旦那。
 昔の名物艦長はね。モチベーションがあったですよ。偉くなって、自分が連合艦隊を率いてアメリカ海軍に対抗しなくちゃならないっていうね。
 ロシア海軍やアメリカ海軍に勝つ方法を考えるやつが、偉いやつだった。
 今はどうかといいますとね。上司に逆らわず、内局に逆らわず、外務省の安保課の阿保ったれに逆らわず、アメリカ国防総省サマに逆らわず、マッカーサー憲法様にタテつかず、温顔でスピーチを卒無くこなし、山田洋行みたいなスキャンダルに関しては退職後も絶対に他言はしそうにはないと周囲から信用され、任期中に直属の部下が事故を起こさないという強運にも恵まれている……っていうのが出世頭でやす。憚りながらこのわたくし奴。模範でやす。鑑でやす。
 ですからね、いつしか口の利き様も、旗本くずれの野だいこか幇間ふうになっちゃうんですよ。ウヒョー、おそれ、おそれ……。
 このイージス艦ってやつね。もともと海自の方から「くれ」って要求したんじゃないんですよ。わが帝国海軍が欲しいのは昔っからね、空母か、しからずんば原潜。防空巡洋艦なんてね、欲しくもなかった。だいたいソ連のバックファイアーなんて、旧海軍の一式陸攻と同じコンセプトでしょ。
 まあ考えてみてくださいよ。本当にすごい兵器なら、アメリカは外国に「導入しろ」とは言いません。いま、F-22を空自が買えないでしょ。本当にすごい、北京がビビるような兵器なんだなってわかりますよ。空母や原潜もアメリカ議会は輸出させませんよ。同じ理由ですわね。
 イージス艦は、高いだけの商品。超絶兵器じゃない。しかも、売ったあとからアメリカが完全に遠隔コントロールできる。空自のAWACSと似てますわなぁ。
 まあ、これだけ高額の装備をですよ、海自から内局を通じて大蔵省に要求してみたところで、ウチのサラリーマン内局にどうしてその必要性の説得ができたもんですか。予算が通りはしなかったでしょう。イギリスですら買ってなかったしね。
 けどね。レーガン政権が唐突に「買いなさい」と日本外務省に命令してきた。これは、アメリカ様の命令ですから、「対大蔵」折衝の必要がなかった。天国ですわ。ヘヴンですわ、もう。
 バウにね、「スターズアンドストライプスの御紋章」ですよ。いまじゃこれにブッシュ政権の「MD買いなさい命令」も一枚加わってるんだから、海自のイージス関連だけは、もう無敵。
 こんご防衛省や自衛隊にどんな逆風が吹いたって、肩で風切って市ヶ谷を歩けるのはイージスがらみだけ。この野だいこ様だけでやんす。
 でも、このフネでもって守れるのは、米国の空母と、在日米軍の基地だけでやんす。
 あっしも艦長サマですけどね。艦内には米国製コンピュータ様という「司令部」が同居してるんですわ。だから真にこのフネを動かしているのは、ペンタゴンの将軍さまたち。
 MD実験に参加したって、データは全部アメリカの軍事メーカーの民間人が持ってっちまう。え、アメリカの民間人を乗せてるのかって? いやあ、これは厳秘なんですけどね。メーカーの人がつきっきりじゃないと、このコンピュータ、動かせないんですわ。日本人はoff リミットな空間がありましてね。艦長も立ち入れない。
 だから八つ手の早駕籠ならぬSH-60か、猪木舟ならぬランチでいちはやく見返り柳の向こう側、米軍地区までお連れ出し申し上げないと、はばかりがねェ……。
 海保や警察の中にもしシナのスパイが混じっていると、このコンピュータに細工を仕掛けられちゃうんで、わっちらがというよりはアメ様が困るんですけど、さすがに最前線で日々シナ人とやりあってる彼らは、そこまでスリーパーには浸透されてないでしょう。もちろん外務省経由で「オフリミット区画には踏み込むな」というホワイトハウス様からの御触れも、しっかと伝達されていることでしょう。錦の御旗に守られる我ら。重宝なもんですわ。
《以下、余談》
 ヤフーの英語版から「60ミニッツ」を見られるということを昨日発見した。この番組の米軍リポートは、昔からホントにあなどれない。
 いきなり、電子レンジの仕組みを応用した対暴徒遠隔撃退用電磁砲(車載式)のプロトタイプの紹介をしていた。有効距離、数百メートル! 当てられると、1秒もじっとしていられないようだ。ぶ厚いマットレスをシールドにしようとしても、防護にならない。
 とうとうここまで来ちまったか……。
 この兵器が、ユーラシア某地域、某々地域の専制体制のオモチャとして普及したら、すぐに拷問と処刑用のリーサル・ウェポンとして使われることは目に見えてるぜ。
 (発電装置までもが本当に車載でまかなえているのかどうか、オレは疑問に思ったのだが……。)
 そして次の段階は、宇宙から地表の人間どもを「チン」してしまう兵器だ。この流れはもう止められないぜ。