必要なのは「隔離トレーラー」か?

 Vince Guerrieri 記者による2020-3-6記事「‘Unclean! Unclean!’: The Questionable History of Quarantines」。
    14世紀に黒死病が流行したとき、ヴェニス市当局は、よそものが市に立ち入る前に40日間の検疫隔離を命じた。このとき「quaranta」という言葉が使われ、英語の「カランティーン(防疫隔離)」の語源になった。

 伝染病者が隔離されていたことがわかるテキストの古いものは、旧約聖書のレヴィ記である。レプラ患者は隔離キャンプに分離居住させられており、且つ、じぶんが患者であることを健常者に遠くから告げなければならなかったとわかる。
 米国では1960年代まで、ハワイ諸島モロカイ島の半島に、レプラ患者の隔離村があった。

 クレタ島のスピナロンガには1957年までレプラ患者が隔離居住させられていた。

 14世紀には腺ペストが大流行し、欧州、中東、シナ、北アフリカで、人口の四分の一から半分を斃した。

 今はクロアチア領になっているアドリア海に面した港町のドゥブロヴニク市は1377-7-27に政令を発し、旅行者が市壁の中へ入る前に30日間、市外の特定の場所にとどまって、ペストの症状が現れないことを証明しなければならないとした。

 ヴェニス市は「ラザレット」と称する建物を1423年に設けた。これは世界初の伝染病患者隔離ビルであった。
 ※中世のペストは今のポーランドあたりにはまったく及ばなかった。人口密度が低すぎたのだ。しかし今日では世界中の者が世界の僻地へわざわざ旅行するゆえ、伝染病の流行を免れられる土地など、ないのである。

 フィラデルフィア市は1799年に同じ名前の施設を建てている。ラザレットの場所は今の空港の近くだった。
 ただし用途はペスト対策ではない。黄熱病が流行して市の住民の1割が斃れたので、その教訓を活かす措置だった。
 当時、フィラデルフィア市を経由して北米に入る奴隷および移民の数がものすごかったのだ。

 マルタ島のマノエル島には、現存するラザレットがある。

 病気の原因が微生物ではないかとつきとめたのは、19世紀後半の結核研究者、ロベルト・コッホであった。コッホは結核菌を単離した業績により1905年にノーベル医学賞をうけた。

 結核患者は咳をしたあと口から肺血を垂らすので、吸血ゾンビの民間信仰を生んだものである。その患者をケアした人もやられるので、吸血ゾンビは親しかった人の生気を吸い取るために墓場からやってくると庶民は怖れた。1800年代の米国ニューイングランドでは、結核で死んだ者の首を切断し、心臓を燃やしてからでないと埋葬が許されなかった。

 ケンタッキーのジョン・クローガン医師は、同地にある巨大洞窟群内のじめじめした空気が結核患者には良いのではないかと考えて、患者をそこに集めたが、結果は、クロガン自身が結核にやられて死亡した。
 しかし、これは「サナトリウム」思想の走りだった。
 1800年代後半から1900年代前半にかけ、サナトリウムが各地に建設された。多く、そこで結核患者たちが前向きに農業を営み、活計を立てたのである。

 結核ワクチンが1921年以降に採用されたことから、サナトリウムは徐々に使命を縮小する。
 続いて戦間期に抗生物質ペニシリンが発明され、サルファ剤が続いた。菌そのものを殺す特効薬である。
 抗生物質は、WWIIの傷病兵も救命した。

 世界的に隔離施設の必要が減じたのは、ワクチンの進歩のおかげであった。1952年にはポリオ・ワクチンが開発された。それから10年以内に、麻疹とおたふくかぜにもワクチンが適用できるようになった。

 ところでアポロ11号の3人の飛行士は、打ち上げの前から、モービル市につくられた隔離施設に入れられている。
 地球帰還後も隔離がなされた。太平洋に着水した司令船のハッチを開けた時点で、もし月から有害微生物が持ち込まれていたらそれは拡散したはずなのだが、いちおう、3人の飛行士は「隔離スーツ」を着せられて、空母『ホーネット』内の移動式隔離トレーラーにとじこめられ、21日間を過ごした。このトレーラーは、ハワイからテキサスまで空輸された。

 同様の隔離手順が、アポロ12号と14号でも踏襲されているが、そのあとはもう必要ないと認定された。

 1980年代前半、「ホモの癌」とかいうミステリアスな報道が、NYCとサンフランシスコで広まった。
 まもなく、これは若いゲイの男子に限らず罹患するのだとわかり、AIDSという名前が与えられる。

 社会パニックが広がり、ウイリアム・バックリーは、エイズ患者はイレズミするべきだと公言した。
 罹患していると診断された児童は学校で通学を拒否された。
 血液もしくは性交でないと伝染しないと知れ渡って、ようやく隔離騒ぎは沈静化した。