旧資料備忘摘録 2020-8-15 Up

▼廣瀬豊『山鹿素行全集思想篇 第十三巻』S15-11 岩波書店
 以下「中朝事實」。
 巻頭解題。
 赤穂謫居中、素行48歳のときに書かれた。日本を「中華」と呼び、世界最高の君子国なのだとして気焔を吐いた。この書の前年にできた「謫居童問」にもその思想が表明されている。思想的萌芽はもっと若いときからだった。

 自筆年譜では、寛文9年12月27日に「中朝實録」のタイトルで完成。
 いま、流布しているのは、延宝6年に校訂し、延宝9年、素行が60歳のときに津軽藩で印刷出版されたテキスト。
 乃木将軍が自費で版刻させ、皇太子(後の昭和天皇)に渡したのも、これが底本。

 ところが、のちに発見された自筆本(寛文9年の草稿)と比べると、内容は自筆本の方が豊富で、素行の考えがよくわかる。そこで、このたびの岩波書店版では、自筆本を底本に、廣瀬みずから、漢文を和文に書き流した(巻末に原文の漢文も併載)。

 以下本文。
 愚[われ]、「中華文明」の土[くに]〔=日本〕に生まれて、いまだその美なるを知らず、もっぱら外朝[シナ]の経典をたしなみ、得意顔でその人物を慕ってきた。なんと正気をうしなっていたことだろう。

 中國〔=日本〕の水土は万邦に卓爾としている。聖治は綿々と続いている。武徳は赫乎としている。

 天瓊戈 を、素行は「あめのとほこ」と読ませる。

 わ国とは、「我がくに」の意味。「わぬ国」も同じ。

 あしはらのなかつくに となしたので、「本朝を以て中国と為[す]るの謂ひなり」。
 「しからば乃ち中國の称はいにしへより既にこれあるなり」。

 耶蘇教の耶蘇[ゼス]も、また、天の中を得たという。

 神代にすでに「あめのみなかぬしのみこと」があった。すなわち「本朝の中國たるや、天地自然の勢なり」。

 二神(いざなぎ・いざなみ)が國の中の柱としたのが、おほやまとの中州である。二神はすでに萬世をかんがみて、この洲をもって中国と為し、天孫をもってこの洲に主たらしめた。

 外国船がなかなか襲来することもない。だから「浦安の国」「玉墻内国[たまがきのうちつくに]」と称する。

 シナは四方で夷に接壌するので、藩屏の屯戍がはなはだ多くて、その約を守ることを得ない。長城や要塞を造らねばならず、人民が疲労する。守戍の将兵がともすれば狄に内通したり、狄に奔敵してしまう。

 ※素行ら儒者は、地理や地勢のことを「水土」と表現する。

 猿女の君のとほつおやである、あめのうずめのみことは、手に「茅まきの【矛梢】[ほこ]」を持っていた。

 人の生まるるや、幼孩[ようがい]より壮老にいたるまで、いまだかつて教学に由らずんばあらず。けだし人の万物に長たるは知あればなり」。「故にその小人たり、その君子たるは、皆、學の習ふところに因る」(pp.65-66)。

 封建は天下を公にするが如くにして天下をわたくしす。
 ひとたび封ずるときは天子もすみやかにこれを変ずることを得ず。
 郡県のごときはこれに異なり、任限あり、交替あり、黜陟あり、輔佐あり、観察あり、その任を移し易く、その過を規[ただ]し易し。これ、天下を公にするなり。

 およそ封建ひとたび行はるるときは、郡県とすること難し。

 附録・或疑。
 あるひとうたがう。儒教と仏教は、どちらも異国の教えで、中国〔=日本〕の道に異なるのでしょうか?
 素行の答え。そうした教えのもとが異なるのは、みな、「水土の差」と風俗がことなるからなのである。
 中華〔=日本〕が始まって千年くらいしたところで、三韓を従えたときに、はじめて外国〔シナ〕の儒教典籍が参照されるようになり、だいたいそれは日本の神聖の大道と同じだなと分かったのである。仏教のごときは、徹頭徹尾、異教である。

▼安倍豊治ed.『碧眼の観たる太平洋問題』大7
 太平洋航路用の最初の汽船は米国東海岸で建造され、ボストンと広東の間を行き来した。
 1860にハワイを出入りした米国船は100隻。しかしいまや同地点を訪ふ米国船舶は稀。米国国旗を見ること、甚だすくない。

 1860頃、900隻の遠洋船が太平洋に在り。うち800は米国船。
 一時、米国が、支那貿易の輸出入ともに9割を支配した。すべて東海岸着発。
 1860に米はボルネオと条約を締結している。台湾では海賊取締りまでやった。

 南北戦争をさかいに、米国の発展中心が、ニューイングランドからシカゴへ移った。海の時代は終わって、鉄道と内陸の時代に。シカゴが、中西部発展の起点だった。

 ぺリーから米西戦争まで、アメリカにとって太平洋の空白の時代だった。以上、米人カール・クローの論文。

 姉崎博士は、親独主義を警告す(pp.293-4)。

▼中村弼『太平洋大観』大9
 帆船の時代、那覇から福州の五虎門まで、5日から8日、かかった。

 在グァムの米海軍関係者は、この時点で約600人。アプラは屈指の良港。

 桟橋に横付けして石炭を積み込める港は、ヤップ島のトミール港のみ。
 トラックは、環礁によって大艦隊が守られるのである。

 米は1878にサモア王と修好通商条約を結び、パゴパゴ港を海軍根拠地とし、石炭貯蔵所を設けた。ただしドイツ勢力下にある。

 クリミア戦争の極東戦線始末について、詳しい(pp.392-5)。
 小笠原への初期の欧米人の渡来、なかなか細密(pp.406-7)。

 小笠原の白人の子弟、明治2年から30年にかけて日本の兵役に服した者あり(p.408)。

▼東方通信社『太平洋諸島歴史地図』大11
 1785に「エンプレス・オブ・チャイナ」号が初めて広東へ航海した。
 1788にボストンの貿易船が初めてハワイに寄港した。
 1830、宣教師が事実上、ハワイを占領し、米国属領の観あり。

 1850、支那とサンフランシスコ間に汽船が営業開始。
 1884、米布条約を改締し、真珠湾を米国海軍根拠地となす。

 1903、パナマ運河沿岸10哩の永久的租借権を米国が獲得。
 1906、海底電線、成る。

▼帝国軍備研究会ed.『太平洋軍備大写真帖』S9
 陸軍の築城部は、支部が対馬と壱岐にしかない。出張所は、横須賀、函館、釜山、舞鶴にあった。本部は東京麹町。

 要塞司令部は、台湾の基隆市、澎湖島、対馬、父島、奄美大島、壱岐などにあり。

 軍港とは、帝国海軍の作戦根拠地である。
 要港とは、前進根拠地で、五つある。大湊、舞鶴、鎮海(慶尚南道)、馬公(澎湖島)、旅順。

 陸軍は、台湾の屏東に飛行場を持っていたかが、海軍は外地には皆無。
 米大巡は、速力よりも航続力を重視していて、通商保護用というより、戦闘を主眼にしている。

▼秦郁彦『太平洋国際関係史』1972
 日清戦争前夜から、ドイツ皇帝らは黄禍説を流布していた。
 1911、川島清治郎『国防海軍論』は、仮想敵をドイツとしていた。

 1910前後、ハワイ、グアムなどの前進基地(アウトポスト)は要塞化されていなかった。

 欧州諸国で蔓延したウォー・スケアの背後には、多かれ少なかれドイツの策謀が働いていた。

 1914のパナマ開通後も艦隊主力は大西洋に常駐していたが、それは後方支援能力等の制約による。

 1930にクンツ作戦部長は、上院海軍委員会で、防備制限の協定にあたり、事前に専門家へ何の協議もなかったと、政府への不満を述べた。

 1914時点では、ハワイ、マニラ湾、グアムに、大艦用の修理ドックなし。
 WWIIまで在フィリピンの守備兵力は増えず、グアムでは却って減らされた(p.185)。

 1926、オレンジプランでは、マーシャル→カロリン→マリアナという、スピーディな対日進攻作戦が確立。
 進攻部隊の中核は、海兵隊であった。

▼清水秀夫『船舶修理』S12
 乾船渠には木製のものもある。ドライドックは、また、Graving dock ともいう。
 浮き船渠は、鉄製のみである。

 本邦には、浮船渠は、三菱重工業株式会社神戸造船所に3個(浮揚力16000トン級、12000トン級、7000トン級)、函館船渠株式会社に1個(2500トン級)、神戸の荒田造船所ならびに造船鉄工所に小型のものがひとつづつある。
 ※三菱の大型2個はドイツからの賠償品であった。

 ドライドックと違い、フローティング式は、潮の干満に関係がない。漲排水がより短時間。泥も溜まらない。通風もよいから塗料も早く乾く。そのかわり、船渠の修繕費は、かさむ。

 ドライドックの注排水隔室を、pontoon という。
 職工慣用語一覧表(pp.64-7)。
 潜水夫は、keelがkeel blockに載るようにするのが仕事。

▼植山幸雄『ポンプ船土木工事』S43
 はじめはバケット式浚渫。やがて欧州にポンプ船が登場。

 1705にフランスで渦巻ポンプが発明される。1795に英Wattの浚渫用蒸気機関。1885独でそれらが組み合わされた船ができた。

 米の港は河口にあり、浚渫は必須である。東海岸では Corps of Engneers (陸軍工兵隊)が百数十年来、それを担当している。すでに400の港、48000kmの内陸水路を彼らが啓いた。

 米は土地がありあまっている。埋め立ての要なし。オランダは逆で、1850年から浚渫船を干拓に用いた。

 明治はじめの築港は、すべてバケット式。
 M19にオランダからポンプ船『木曽丸』を輸入。河川改修に投入した。

 明治末、管送式ポンプ船を英から輸入。これを模倣し国産。管送式でないのは泥艙式という。どちらにも自航型と非航型あり。

 大2に、英国から、カッター兼ポンプ船を初輸入した。
 大正年間、米国製の大型モーター&ポンプを使って、ポンプ船の国産建造が本格化。

 15万トンの船が登場した。それで、潮位変化を考えると、20mは掘る必要が出てきた。

▼日本生産性本部ed.『アメリカの浚渫・埋立』S36
 米陸軍工兵隊の所有する浚渫船は、Drag Suction Type で、遠くの土捨て場まで持っていく。
 工事計画も工兵隊が考える。

 アメリカが独立したとき、大学の工学部などなかった。技術者を養成できる機関がなかった。
 米陸軍はフランスの指導を受けていた。米陸軍はフランスの技術者について土木技術を習得した。
 そこから、米陸軍が、河川や港湾の仕事を担任するようになり、その伝統が今も続いているわけである。
 パナマ運河も、今次大戦の上陸作戦も、彼らの実力を証明した。

 初期の港湾改良は、エリー湖中心に1824から。
 ただし連邦は航路のみ。防波堤から内側は、市と民間が。

 これ以来、水路は連邦政府、Pier Head Line 内の建設工事は、港湾管理者と業者の分野となったらしい。

 1899の The Rivers and Harbors Act で、工兵隊承認要項として、ダム、橋、ドック、防波堤、港内開鑿、護岸、etc……。

 1830頃、ミシシッピ浚渫用にバケット型を使ったのが、最初で最後。
 Hopper Dredge (ドラグ・サクション)は、1890に1隻完成。

▼島袋全発『那覇変遷記』1978、原S5
 1451に、長虹堤が築造された。そして首里西岸の泊港が、先に発展した。
 長虹堤は、当時のうきしまと、安里村とのあいだの海中に通ずる七つの水門を設けた一條の長い水路。

 那覇港浚渫は、1717年にまず現地王朝の手によってスタート。再び1754にも。その後は、〔島津がこっそりやっていたようだが、〕公けにはM40~大5の日本政府が。
 その次は大10~現在の工事である。

▼田岡良一『国際連合憲章の研究』S24-3
 UNはFDRがUSから思いついた。
 アクィナス~ヴィトリヤ~シュアレスの君主正戦論(16世紀)では、ある君主が他の君主に向かって戦争を開くことは、後者が前者の権利を侵害したときのみ可。
 さらに条件あり。中止/賠償をまず口頭要求し、容れられなかったこと。武力が最後の唯一の解決手段であること。加えられた侵害の程度(被害)が戦争とつりあうくらい重大であること。

▼ウィルコックス&マーシイ著、杉山・関野tr.『国際連合改変への諸提案 上』S34-6 原1955
 1945サンフランシスコ会議の数週間後に原爆完成。
 11名の米飛行士を釈放させるため国連事務総長が北京を訪れた。

▼シドニー・Dベーリー著、井上勇tr.『国際連合読本』S41-2、原1963
 法律破りは、個人の良心、世論、警察によってのみ抑制される。
 ウィリアム・ペンいわく。りっぱな法律も役に立つが、りっぱな人間はもっと役に立つ。

 クウェートの国連加入申請を1961、ソ連は拒否権で葬った。

 スイスは、加盟が侵略に対する集団的兵力使用を義務づけることから、それは中立と両立しないと信じて、加入を申請しなかった。

▼アアネスト・A・グロス著、鹿島守之助tr.『国際連合・平和への機構』S38-3、原1962
 マハンいわく。道義的思想に対し、根をおろす時間を与えるのは、力の義務である。

▼コーデル・ハル著、朝日新聞社tr.『ハル回想録』S24-4、原1948
 UNの名にソ連は文句をつけ、ワールド・ユニオンではどうかと言ってきた。
 英もUNの名は好いていなかった。むしろソ連に同意であった。

 1903条約に対する「プラット修正」……もしキューバにおいて生命、財産、個人の自由を保護するのに適した政府を維持するためなら、キューバに干渉してもよい。

 FDRはコマンダーインチーフと呼ばれることを、プレジデントよりも好んだ。そして軍事の会議にはハルを呼ばなかった。

 ラ米の統轄実績が、1941の初期UN構想の念頭にあった。FDRはハルを国連の父だと。

▼ロジェ・セレ著、木下半治tr.『戦争か平和か』1952、原1949
 ドイツにはレジスタンスがなかってので、米英蘇は、白紙から「民主化」を策定した。
 スペインはWWIIで中立だったので、サンフランシスコに招待されず。

 ポツダム会議でスペインは3大国から大いに非難された。
 ソ連政府はギリシャ正教を復活させた。これでFDRはソ連をゆるしてもよくなった。

 1890に汎米会議。21共和国の汎米同盟。
 1940 ハヴァナ会議。

 1945-3 メキシコ会議で、「ある一国から米州のある一国の領土・主権・独立に向けられたいかなる攻撃も、これを、この〔チャプルテペック〕協約の他の調印国に向けられた侵略とみなす」。

 1947-7 リオ会議。西半球の北極から南極まで、自領土でなくとも、防衛エリアだと決めた。
 トルーマンは民主党だが、マーシャルプランは超党派。

 国連総会と安保理の二重キー、安保理の全会一致、どれも機能しないことは、3年たらずで分かった。
 国際連盟の不機能に気づくのに何十年もかかったのと、大きな違い。

沖縄の第三海兵師団長にビーアマン少将が戻ってきた。

 Rebecca Kheel 記者による2020-8-13記事「Federal appeals court rules male-only draft constitutional」。
    
 連邦控訴裁判所(第五巡回法廷。ニューオリンズ)は、徴兵登録を男子に限っている現行制度は違憲だとした下級審の2019判決を破棄した。すなわち、1981最高裁判断を支持した。

 ベトナム戦争後、ペンタゴンは、米軍のすべての将兵を志願者のみから集めている。
 しかし米国の18歳から25歳までの男子は、将来、選抜徴兵が必要な場合に備えて、徴兵登録をしなければならない。もしその登録をしなかった場合、たとえば大学に進学したときに連邦から学資補助を受けることはできなくなるなどの不利益が待っている。

 敗訴した、原告の、男性権利団体は、最高裁へ上訴するかどうかを、検討中。

 連邦議会の中では、女子も同様の登録をするのが現代には必要であり公平だと考える議員が増えている。しかしそれを立法(毎年の国防政策法=軍事予算法)の中で明文化しようという動きは、いまのところ、ない。

 次。
 時事の記者による2020-8-13記事「Japan may scrap plan to buy U.S. Global Hawk planes」。
   2021年度から配備すると予定していた「RQ-4 グローバルホーク」を、防衛省は、3機全部、キャンセルする見通し。

 米空軍は、グロホのブロック30とブロック20をリタイアさせると、FY2021予算要求で提言。
 そうなると日本と韓国だけがブロック30を押し付けられる。FMS契約で交換部品コストも向こうの言いなりだから、結果は見えている。

 政府が導入を決めた2014年、3機の総費用見積もりは510億円=4億8000万ドルだった。
 ところがワシントンは2017年に、コストは23%上がると通告してきた。

 昨年6月、イランはグロホを1機、SAMで撃墜した。中共軍も同様のことができる。

 ※軍用機評論家のビル・スウィートマン氏がもう10年以上も前から見抜いていた事態。真にステルス性が必要とされているのは、戦闘攻撃機なんかじゃなくて、パイロットによる臨機の回避策を講ずることができない大型の無人偵察機やタンカーであるはずだと。グロホを飛ばしても無事なのは、せいぜいアフガンゲリラ風情が相手の戦場だけで、シナ軍ならそれをSAMで撃墜してしまうだけだと。

 次。
 Alex Hollings 記者による2020-8-12記事「RQ-170: The Air Force’s secret ‘Beast of Kandahar’」。
    スカンクワークスが開発した無人ステルス高空偵察機「RQ-170」は2005年から実戦場テストが続けられている。2011のオサマビンラディン急襲作戦でも、上空を飛ばしていた。

 RQ-170「センティネル」の外見はB-2に似ている。それをずっと小さくした感じ。
 2009年にアフガンで作戦飛行しているのは確実だが、2007からだという話もある。
 空軍がこの「ビースト・オブ・カンダハル」の実在を認めたのが2009-12のことであった。

 2011年、イラン領内140マイルでRQ-170が墜落。どうやら原爆開発施設を偵察していたようだった。

 イランは遠隔操縦信号を妨害することにより、不時着に導いたと考えられる。
 無人機は、巡航中は無線を衛星経由でリンクさせているが、その衛星リンクが妨害等によって切れた場合や、離着陸のフェイズでは、見通し内無線電波に頼る。イランはその弱点を衝いた。

 米軍は、消耗しても苦しくない、低コストの無人機を考えるようになっている。
 『クリスチャンサイエンスモニター』紙によれば、RQ-170の単価は、たったの600万ドルであるという。

 そしてRQ-170はこの頃では、グァム島に持ち込まれているようだ。同島の周辺で、目撃されている。その機体には、電子光学センサーや、AESA式の合成開口レーダーが装置されているという。
 南シナ海の公海の監視に使うことを、米軍は考えているのだ。

 ※中共軍がSAMで撃墜することまで考えて、高額な「トライトン」ではなく、RQ-170が対支監視用のプラットフォームの真打に選ばれようとしているのか。ただし落とし穴がある。搭載させるAESAなどのセンサーの価額は、かんたんに、機体本体の価額を上回ってしまう。偵察衛星と同じなのだ。そこで工夫すべきなのは、SAMによって機体が破壊されても、センサーだけは分離してパラシュートで着水させ、ビーコンを頼りに揚収ができるような設計にすること――ではなかろうか?

 次。
 ストラテジーペイジの2020-8-14記事。 August 14, 2020:
   ドイツはイスラエルから「ヘロン1」型の無人偵察機を3機、有償リースしていて、その契約を2021まで延長する。さらにもっと大型の「ヘロンHP」に乗り換える。
 ただし、欧州の航空規制を「ヘロン」は充たせないため、ドイツはその機体を、ずっと、イスラエルの飛行場に置きっぱなしにし、そこからアフガニスタンやマリに出張させている。マリでは2016から飛ばしている。

 ※イスラエルと防衛装備のリース契約を結ぶというのは政治的に良いアイディアじゃなかろうか。というのは米政府は毎年イスラエルに膨大な防衛補助金を義務的に与えているのだが、もしイスラエルが日本相手にカネを稼げるようになったなら、米国は従来の補助金を漸減できる。つまり日本が間接的に米国の負担を軽くしてやることになり、トランプ政権は日本に対して何の文句も言えなくなるはずだからだ。日本にとっても、米国相手のFMSよりは、イスラエル相手のコントラクトの方が、数十倍、自由度が高いだろうし、学べることも多いだろう。

旧資料備忘摘録 2020-8-14 Up

▼奥田貞吉『帝國國旗及軍艦旗』M35-7 春陽堂
 著者は海軍少佐。

 明治22年10月までは、日章旗を以って、国旗ならびに軍艦旗の双方に用いていた。
 日本の軍艦旗に類似するデザインとしては次のものがある。
 海軍大将旗。放射光が8条。
 海軍中将旗。大将旗の上辺に赤い横筋が加わる。
 海軍少将旗。中将旗の下辺にも赤の横筋が加わる。
 代将旗。横筋はなく、右側が燕尾に切り欠かれている。
 先任旗。代将旗の赤白が反転し、赤字に白の日章+放射光となる。

 陸軍旗。海軍旗と同様、放射光が16条の旭日デザインだが、赤丸の位置がセンターにあるのが海軍旗と違う。 歩兵聯隊旗。陸軍旗の上辺、右辺、下辺が紫縁となる。
 騎兵聯隊旗。陸軍聯隊旗を、長方形ではなく正方形におさめる。

 ※今の陸自の連隊旗は放射光の条数を減らしてあって、且つ、縁ナシ。

 他国の旗。
 米海軍の軍艦が、水先を招く要のあるときに艦首に出す旗は、青地に46個の星を白抜きしたもの。

 ロシアの商船旗は、水平三帯の三色旗で、上から、白・青・赤。これを国旗に用いることもあり。
 ロシアの海軍旗は、白地に、青のX。

 山田長政が暹羅国より駿府浅間神社に献じた扁額の中に、当時の海戦中の軍艦が旭日旗を掲げている図あり。
 ※その図は本書には添えられていないので確かめられない。

 幕府は安政元年7月11日をもって、大船にはかならず白地に日の丸の幟を掲用すべきことを布令。

 明治3年正月27日、布告第57号。西洋形商船に、御国旗(日章旗)を掲ぐべきこと。その帝国国旗の寸法等についても規定された。それがそのまま軍艦旗ともなった。

 明治3年5月15日、布告第355号。陸軍御國旗の名を以って、旭日旗を制定。

 明治3年10月3日、布告第651号。海軍の皇族旗、大将旗、中将旗、少将旗、代将旗、護送船旗、水路嚮導旗、ならびに旒を制定。御國旗(日章旗)を軍艦旗ならびに艦首旗として用いることは従前の慣例の如し。ただし旒はこのとき初めて制定された。

 明治4年11月29日、布告第626号。従来の海軍諸旗章を廃し、新たに制定しなおす。御旗は従前の通り。御旗を軍艦旗ならびに船首旗として用いることも従前の通り。

 途中略。

 明治22年10月7日、はじめて専用の軍艦旗(旭日章)が制定された。勅令第111号。海軍旗章条例発布。天皇旗、皇后旗、皇太子旗、親王旗、海軍大臣旗、など。そして、軍艦旗が、旭日章として新設された。その他、海軍病院旗なども。いご、御國旗は、艦首旗と改称される。

 旭日章の御光16条は、菊花御紋章の形から導かれているのだろう(p.12)。

 1606年にジェームス1世が英蘭とスコットランドの王位を兼ねた。それで両国の旗章を抱き合わせてセントアンドリュー徽章とした。ジェームスのことを仏語でジャックという。1801にジョージ3世がアイルランドも合併し、その旗章も抱き合わせた。これが、ユニオンジャック。

▼玉井茂『西洋思想史の人びと』1967-3
 協力執筆者が4人いる。
 知識を所有するソフォスではなく、それを愛求するフィロソフォスだと自己定義したのがソクラテス。自然のhowではなくwhyを気にした。そして外自然中心ではなく、人間中心の哲学を創始した。
 「なんじ自身を知れ」はもともと、デルフィの神殿にかかげられてあった。

 プラトンの『メノン』によれば、ソクラテスは「風貌もその他の点でも、海にいるあのひらたいシビレエイ(近づいて触れるものをしびれさせる魚)そっくりです」。

 ※原文未確認だが、もし英語で ray と呼ばれた魚であるとすれば、それは19世紀に「機雷」を意味することになる「トーピドー・フィッシュ」とイコールである。待ち伏せ兵器にこそ、トーピドーの名はふさわしいのだ。

 仏語の lycee は アリストテレスが開設した学校 リュケィオン が語源。
 プラトンが『国家』で理想視した共産主義より、『法律』で妥協した国家がむしろ理想的だと弟子のアリストテレスは考えた。富者と貧者との中間が「法」によって統治する。

 アリストテレスは、ペルシャ人などアジア民族が奴隷的で自由を知らぬのは「ノモス=法習」ではなく「自然」なのだとした。※20世紀地政学の萌芽がここにある。ノモスの基礎に地理があると見抜いていたわけ。

 エピクロスは、人間はじぶんでじぶんを支えねばならず、他人にも神々にも期待せずに、みずから足りる(アウタルケイア)でなくてはならないとした。

 アウグスティヌスはマニ教の有名な学者ファウストゥスと会ってひどく失望した。
 ギリシャ人と違って、アウグスティヌスは、歴史は反覆せず不可逆的な直線コースを進むと考えた。なぜならキリストは一回しか存在していない。

 ルター「われわれは、善をなすときですら、つねに悪を犯すものである」。
 カルヴァン本人には人民主権の思想などなかったが、国家のことを国王にまかせないカルヴィニズムの姿勢は、農村的なルター主義よりも市民経済にマッチした。だからそこからユグノーとピューリタンが派生して、市民革命をなしとげる。

 わたしは何を知っているか=ク・セ・ジュ? と言ったのはモンテーニュ。
 自我を客体化し客観的に分析できるようにしたのはデカルト。

 デカルトやホッブズ、ロックの時代、西欧でいちばん自由だったのがオランダ。人体解剖もオランダがさきがけた。
 金を儲けた市民が、商工業に投資するのではなく、官職を買って地代収入で楽に暮らそうとしたのがフランス。法服貴族という。それで、商品経済では英国に遅れをとった。デカルト、モンテーニュ、パスカル、ヴォルテール、モンテスキューはすべて法服貴族。

 カントの部屋を飾った唯一の肖像はルソー。トルストイはその肖像のはまったメダルを首にかけていたという。
 カントは一日一食主義。昼食だけであった。※そして晩年はボケてしまった。

 ミルいわく、幸福を人生の目的にすると、幸福になれない。幸福以外の目的をもって生きることで、人の幸福は達成される。

 普仏戦争に志願したニーチェは悪性のジフテリアに罹り、その治療薬の副作用によって神経の衰弱と障害を起こした。激しい頭痛、不眠に苦しみ、麻酔薬の常用者となった。

 じぶんでじぶんを意識しないと誰もあんたを意識しないというのがサルトル。
 疎外は「稀少性」を原因として起こる、ともいった。物質が稀少な世界では、他者の存在は私自身の欲望の充足をおびやかす。他者は「死の脅迫の保持者」であると。1960年の『弁証法的理性批判』の中で。

▼唐木順三ed.『禅家語録集』(日本の思想・10) 1969
 道元。仏道をならうというは、自己をならうなり。
 一休。我はこれなにものぞと、頭頂より尻までさぐるべし。さぐるとも、さぐられぬところは我なり。

 後宇田上皇は、南浦紹明に国師の号を与えた。このあたりから、禅僧が天皇や将軍の万歳を唱える。
 元に圧迫され江南に移った南宋朝が、宗教界を再編。その制度ごと、日本に輸出された。

 天竜寺、相国寺は、元、明との貿易を独占する船問屋だった。
 一休は、ひとりの法嗣もつくらず、また、師よりの印可状を焼きすてた。

 言葉で答え得ない難問を、鎖口の訣という。
 宋以降、禅宗独自の仏伝すら確立していた。

 室町までの貴顕の宗派はやはり密教。
 仏が口にしなかったことが密教。仏の精神が教外別伝。禅の立場。
 六朝時代にシナに来たインド禅宗が、ダルマ。

 最初、漢文の筆談問答をしたが、ほとんど通じず、それが日本語問答をつくるきっかけに。
 座禅病として、耳なりがある。
 世界の中心山、須弥の原音はsumeruである。

▼K・フォルレンダー著、宮田光雄tr.『マキャヴェリからレーニンまで』S53、原1925
 マキャベリはラテン語は使えたが、ギリシャ語を識らなかった。
 フィヒテがナポレオン支配下でマキャベリを再評価した。
 ナポレオン1世はマキャベリ註書を著している(p.23)。

 貴族の下僕は大量失業時代には野盗化した。
 モンテスキューの司法と行政の分離案はボダンに負う。

 ベルンハルディはトライチュケの丸うつし。

▼国民精神文化研究所ed.『山鹿素行集 第五巻 武経七書諺義 下』S18
 尉繚は立国時代の人。
 六韜の説が多くとりいれられている。

 天官とは天文のこと。
 人事の二字こそ、尉繚子の大旨である。オカルティズムを排している。

 各所で「直解」を批判している。
 什は10人組。伍は5人組。偏は、戦車15台。

 戦車1000乗を動員するには、その国には57万6000人の男子が必要。
 「則天下為一家」。

 古来、齊、晋、呉などの大国は、三軍に分けることを好んだ。冑の飾りの色分けで、三分する。
 ふつうの金鼓の意味と異なる行動をさせるのも「奇兵」である。

 「専命而行」……凡将は、君命をほしいままにして、権威を勝手に装って、進軍させる。必ず敗ける。

 垣車とは、車を円形の垣にして営すること。
 「兵」が「兵器」の意味でも使われるのが、尉繚子。

 三略と六韜は、漢代(張良のころ)から併せ読まれていたようだ。どちらも儒道を説く。

 軍讖の讖は、「讖緯説」からわかるように、予言のこと。反対語は「常経」。
 柔能制剛~は、老子36章の影響。

 敵に応じて、柔剛強弱いずれもとれるように備えておくこと。
 同じ名詞を二回並べると「下を下とする」のように読む。ヒッタイト文字も共通だ。

 個人は「無」と表現すべきところを「鮮」にしておいた。
 兵家は「老」という字を忌む。

 孫子の行軍を、三略は行師という。
 会盟に集った人のことを同盟といった。

 嫌 とは、真贋判定に迷うこと。

 六韜は、漢の芸文誌に載っておらず、隋の書に初出する。
 騎戦に減給しているので、そんなに古くないと思われる。

 山は南を陽といい、水は北を陽という。

 死を悪み生を楽しむは、天下の通情也。
 災害なく豊穣なことを盈という。その逆を、虚という。
 「富国強兵」。

 敵を破除することを「去」と書く。
 「賛謀[ママ]」は主のはかりごとをたすくる也。
 ロジスティクス参謀を、「通粮」という。

 水涸……土地がじめじめしているか、乾いているか。

 素行いわく。殺人ができないというのは、姑息の仁だ(p.372)。

 野戦ではさきがけを「先赴」、攻城戦では「先登」という。

 ※素行は、『六韜』が『孫子』よりも古いのだと信じた。なぜなら『六韜』は周の時代に仮託されていた。それが仮託だとは見抜けなかった(p.394)。

 鹿車輪というのは、一輪車のことである。
 マキビシについて(p.426)。
 扶胥 とは車を以ってかこうこと。

 衛軍は敵の強兵なり。
 微号は、かくせる合い印なり。
 所樓……とりかこまれること。

 分進合撃、外線侵攻のしめしあわせ方について(pp.478-9)。
 馳陣……軽車・軽騎のこと。

 車と騎兵は併用しないと、歩兵一名にも防がれてしまう。
 車士の選び方。40歳以下で、今の6尺以上。
 黒土の泥道を人の足が踏むと、ねばりまとわるようになり、車は労する。

 属 は、連続である。
 猟 は、馳駆して驚かすことである。

 兵法では左を表とし、右を裏とすることがある(p.502)。

ささやいた言葉が、そのままマスクの表面に液晶式に文字表示される、そんな新商品があってもいいのではないか。読唇ビジュアル伝達マスク。

 ロイターの2020-8-13記事「Taiwan says discussing purchase of U.S. mines, cruise missiles」。
     事実上の駐米台湾大使を務めている蕭美琴(Hsiao Bi-khim)がハドソン研究所で演説。非対称的な対支防衛装備を求めたいと。それには機雷が含まれる。

 非対称的な軍事能力とは、比較的に安価なアイテムでありながら、侵略者の目的遂行にとっては痛手が必至であり、それゆえ、抑止力を発揮するもの。

 すでに台北とワシントンは協議に入っている。米国製のハープン(地対艦型)巡航ミサイルの供給も検討されていることは5月に判明している。
 既存の台湾国産の巡航ミサイルと併置することで、沿岸防禦が重厚化する。

 その次に検討されているのが、機雷。上陸作戦を阻害できるように。

 すでに台湾総統の蔡英文がオンラインイベントにて、非対称的国防機能の拡大を最優先で加速するよう指令したと語っていた。

 ※台湾はハイテク系の国産機雷――河口に適した沈底型で、音響による双方向データ通信が可能で、したがって簡易センサーにもなるものなど――をひととおり、持っている。その写真は、今月発売の拙著『封鎖線』にも掲げておいた。問題は、数量だろう。米国製のクイックストライク系で補うつもりなのかもしれない。

 次。
 函館で車を売って満足できたという話。

 こんかい生活防衛のため私有車(2017年型軽ワゴン、走行距離12739km、車検は3月に済み)を売り払うについては、ちょくせつ地元の中古ディーラーに持ち込もうかと思っていたのだけれども、管理人さんのおすすめに従って、「ズバット」という一括査定サイトにPCから登録した。
 すると、あっという間に札幌の「(株)サンワイズ」さんから最初の電話がかかってきて、函館にたまたま査定出張中の人が見てくれるという。
 会ってみると、この私有車を買ったときの新車ショップの若い正社員よりはるかに信用できると感じたので、わたしは即日に契約したのである。(その契約中に第二のオファーの電話がかかってきたが、おことわりした。)

 売買契約書には「キャンセルなし 減額なし」とわざわざ手書きで記入されている。他の業者ではキャンセルや減額があるのだと知った。
 車両を期日に納車するまでの間の「保険」加入の必要も、なかった。

 ここからが面白い。
 この会社では、函館で買い取った中古車は、フェリーで青森支店まで運ぶことにしているという(札幌と青森の2店舗体制らしい)。
 だから、オーナーであるわたしが、フェリーターミナル近くの、車両運搬をなりわいとする会社まで、自走で「納車」に赴かなければならない。(冬タイヤは別にタイヤ屋へ持ち込めばその方がカネになるとわざわざ教えてくれもしたが、わたしは面倒なので4本を積んでお渡しすることに決めていた。)

 この車両運搬会社では、受付の若い女子社員さんに、ただ、鍵を渡すだけ、であった。何の受取証も出ない。かなり不安になったが、もはや車検証等一式書類も別便(着払い)で青森へ送ってしまっていたことでもあり、あとは銀行口座に代金が振り込まれるのを待つのみだと肚を括って、わたしは徒歩+タクシーで帰宅したのであった。これが8月1日のこと。任意保険は前月末日で終わりにしてもらっていたから、超慎重運転で持ち込んだことは言うまでもない。

 この入金を昨日、確認できて、ホッとしました。新車を買ったときの金額の、ほとんど5割に近い額であったのは有り難かった。
 もし、地元の中古車ディーラーに持ち込んでいたならば、このように、入金を待つ間の不安は無かった代わりに、総額的にはかなり値切られることになったのだろうと、今回、想像することができた次第です。

 本州では、豪雨被災者を筆頭に、中古車需要が北海道よりは大きいだろう。もし、ジャッキに、タイヤ・ローテーションの順番を手書きイラストで記した紙片の挟まっている、非常に状態のよい軽ワゴンを買い当てた人がいたら、どうかご安全に走っていただきたい。フロントガラスにレーダーのようなものこそついているけれども、それが作動して緊急停止したという体験を、元オーナーは3年間で一度もしたことがない。だから、そのような見かけだおしのシステムに、ぜったいに頼る気持ちを抱いてはいかぬ――と、ご忠告を申し上げたい。

 このクルマでの忘れられない思い出を語ろう。昨年か一昨年、ボーニ森屋横の空いている4車線道路で、時速50kmくらいに加速したときに、東洋人観光客と思われる小学生ぐらいの女の子が、左横から躊躇なく全力疾走で車道に飛び出してきた。横断歩道などそこには無い。車道の反対側に、両親らしい人物がいた。よく免許更新センターの講習会で見せられるような有り得なさの、まるで絵に画いたが如き飛び出しシチュエーションであった。
 18歳で免許をとっていらい、人生で初めてフルブレーキを踏んだ。
 このとき、わたしは左手をアームレストに載せていたため、その左手を思わずハンドルに添えようとしたときに、フロントパネルのクラッチレバーもどきに手先がぶつかり、「ドライブ」と「ニュートラル」(もしくは他の何か)の中間位置になってしまった。だから、停止した状態から、アクセルを踏んでも、半クラの空ぶかしになるだけ。しばらく、その原因が分からずに、混乱した。(通常、左手親指でボタンを圧しながらでないと、そのようには動かぬはずのレバーである。)

 あの親子は、わたしが怒りを表現するために、空ぶかししてみせたのだとでも思ったかもしれない。そうじゃないんですわ。……あれは、寿命が縮まったな。

徳間書店からの新刊は、今月末に発売の予定。

 いまのところは……です。

 次。
 Catherine Macdonald 記者による2020-8-10記事「The Dark Side of Being a Female Shark Researcher」。
     鮫はなぜか米国で人気があり、鮫の研究も米国では人気商売である。それで、ディスカバリーチャネルで毎年、特集週間があるほど。
 だがその分野は白人男性の世界だと考えられており、敢えて参入してくる女性研究者はセクハラの対象でしかない。

 鮫研究にかぎらず、2013年の全世界調査によると、フィールドワークの途中で男の同僚からセクハラされた女の研究者は、回答者中の64%あり、性的暴行を受けた者は20%いた。

 ある著名な鮫研究者は、新人の女子研究者を自宅でのディナーに誘い、「ひどい臭いがするからシャワーを浴びたまえ」という。そのシャワールームにはビデオカメラが仕掛けられていた。常習犯であることは明瞭であった。

 「シャークウィーク」の番組の中では、男の研究者は博士号を有していなくともなぜか「ドクター○○」と紹介され、博士号を有する女の研究者は、単にファーストネームだけを無冠で呼ばれるという屈辱を受ける。

 それに抗議すれば、その女がまるで愚かでデタラメな研究をやっているかのようにフッテージを編集されてしまう。

 「シャークウィーク」にとりあげられることはスポーツ選手が五輪でメダルを得たぐらいの注目度の違いをその研究者の余生にもたらす。ある女性助教授は、そのおかげでローカル・マスコミからも取材されるようになり、講義には多数の新入生があつまり、早々と正教授に昇進することができた。

 その「シャークウィーク」が、露骨に白人男子中心主義を貫いている。その分野に女子や有色人種が入ってくるのを歓迎しないという政治なのだ。

 ※このショッキングな記事を載せているのは『サイエンティフィック・アメリカン』誌。さすがである。

 次。
 ストラテジーペイジの2020-8-12記事。
    コンゴ川に、140億ドルを投じて、アフリカ最大の水力発電ダムを建設し、その電力を南阿に売って稼ごうという、「大インガ計画」。立案はコンゴ政府。仕切るのは中共とスペインのコンソーシアムである。

 コンソーシアムの75%は中共が支配する。
 この企画は前のカビラ政権のときにスタートした。
 今のツィセケディ政権は、もっと小型の水力発電所として、需要が増えたら増強すればいいと思っている。

旧資料備忘摘録 2020-8-12 Up

▼ディオゲネス・ラエルティオス著、加来彰俊tr.『ギリシャ哲学者列伝(上)』1984 イワブン
 タスいわく。困難なことは、自己自身を知ること。容易なことは、他人に忠告すること。
 ビアスいわく。敵同士を仲裁してやると得をする。すくなくとも一方を味方にするから。

 エピメニデスの経験。ある日、父のいいつけで羊を探しに出た。昼頃、道から逸れてある洞穴の中で寝込んだ。そのまま57年、寝てしまった。起きたときは、ほんの短時間だと思っていた。やっと、いまはもう老人になっている弟をみつけたと。

 アナクシマンドロスは、月は借り物の光で輝いていて、その光源は太陽であるとした。太陽は地球より大きいのだとも。
 アルケラオスは、音は空気の震動によって生ずるのだと最初に主張した。

 ソクラテスは規則正しい生活をしたので、アテナイを幾度も襲った疫病に、彼ひとりだけは、罹らなかった。
 結婚したほうがよいでしょうか、それとも、しないほうがようでしょうかと訊ねられたとき、「どちらにしても、君は後悔するだろう」とソクラステスは答えた。
 若者たちには、たえず鏡にじぶんの姿を映してみて、美しければそれにふさわしい者となるように、また醜ければ教養によってその醜い姿をかくすようにせよと勧めた。※本人は醜かったという。

 クセノポンは哲学者たちのなかで最初に歴史を書いた人である。

 アリスティッポスは、「君には悪口を言う自由があるが、ぼくにはそれを聞かない自由があるからね」と立ち去った。
 またいわく。運動しすぎの人が最高に健康とはかぎらない。読書しすぎの人より、有益な書物を読む人たちの方がすぐれている、と。

 プラトンは体格すぐれていたが、声は弱弱しかった。度を外して笑ったことも一度もなかった。
 クセノポンとプラトンはライバル同士で、ソクラテスを回想するときに、互いのことはどこにも言及しなかった。

 クロノス には おいぼれ の意味もある。

 プラトンいわく。宇宙の動きが時間であり、したがって宇宙というものがなければ時間もない。宇宙が存在することになったのと同時に、時間も生じたと。

 ビオンいわく。美しさは他人にとっての善であると。

▼岩瀬昇『石油の「埋蔵量」は誰が決めるのか?』2014-9文春新書
 著者は三井物産と三井石油開発で43年間、エネルギー一筋。

 ホルムズ海峡は広い。海流の流れも早く、物理的に封鎖することは不可能に近いと思われるほど。
 浦賀水道の幅10kmに対し、55km。いちばん狭いところでも33km。

 ホルムズ海峡はすべて領海。イランかオマーンかどちらか。中間線が国境である。
 通航するタンカーは、すべてオマーン領海内に設定された航行路を通る。
 イランがそこに機雷を仕掛ければ、ただちに領海侵犯の戦争行為となる。

 タンカー戦争。1983から4年間、この海域で攻撃を受けた313隻のうち、276隻がオイルタンカーだった。
 ペルシャ湾に入るタンカーの運賃レートは高騰。ピーク時の貨物保険料率は、タンカー戦争前の200倍に。

 オクラホマ州クッシングからメキシコ湾までのパイプラインは、輸入原油を内陸に運ぶもので、国産原油を輸出するようにはなっていない。

 日常的にメキシコ湾から日本に航海しているタンカーはない。船腹手配は容易ではない。
 消費地から離れているために商品化できないでとりのこされたガス田を Stranded Gas Field といい、この上に浮体を繋止して、LNGにして、積み出してやる施設が開発されている。

 LNG受け入れ港には、再気化装置が必要。
 有事に自由にLNGタンカーでとりよせられるLNG量は、総生産量の10%ぐらいだろう。基本的にガスはパイプラインで売り買いされているということ。

 原油と違いLNGはどうしてもボイルオフ=自然気化によって減損していく。長期貯蔵になじまない。
 IEAは、石油については加盟国に90日分の備蓄と緊急時の融通を義務付けているが、天然ガスについては何の勧告もしてない。緊急融通は無理だからである。

 緊急融通のアテにできるのは、石油に限られる。

 著者は、2024年までに中共のGDPが米国を抜くと予想している(p.233)。
 ミャンマーから雲南省までのガスパイプライン2500kmは完成。同ルートで原油パイプラインの建設が進行中。
 現在アメリカにはLNGを製造するためのガス液化装置が存在しない。2016年からはできるようになりそうだが。

 40年前からアメリカは原油は輸出しない政策。
 日本が最初にLNGを輸入したのは1969のアラスカ産。東京ガス根岸工場のLNG受け入れ基地に入着した。

 米国はFTA/TPPを締結していない国へはLNGを売らない方針。
 カタールの天然ガスは、ペルシャ湾にあり、イランのガス田とつながっている。
 イランのようにいつ停電になるかわからない国では、オフィスや住居を高層ビルには置くべからず。エレベーターに閉じ込められる。

 米国では地下資源は土地所有者のもので、鉱業権も土地所有者に帰属る。
 海上の資源は、連邦政府や州政府に所有権がある。
 米国とカナダ以外では、陸上鉱区の権利は国家が管理している。

 日本にガスのパイプラインがないのは、大口需要者の発電所のすぐ前までLNGタンカーで運んでくるから。
 LNG受け入れ基地は全国に28箇所ある。
 石油開発会社は、テキサス州のヒューストンに集中。

 世界で最も水平掘削の距離が長い井戸は、サハリンに2005年に掘られたもので、12km強。

 水圧破砕法は職人芸であり、ノウハウ蓄積はアメリカのみ。他の国では、だから、シェール革命は起きない。

 シェールオイルの埋蔵では、アルゼンチンやリビアも有望。
 中国のシェール層は4000m~6000mと深いところにあり、1000~3000mの米国に比べて明らかに不利。しかも近くで水を大量に得られない乾燥地帯にある。ガスの売価は政策でシーリングされていて儲からない。

▼田中修『雑草のはなし』2007-3 中公新書
 与謝蕪村の俳号は、カブの産地だった大坂天王寺にちなむ。
 蕪は、白菜やキャベツと同じ、アブラナ科アブラナ属。
 大根は、アブラナ科ダイコン属なので、属が異なる。

 自然界には「三倍体」、すなわち3セットの染色体をもつ植物ができることがある。三倍体は、卵細胞や精細胞をつくるときに、染色体をきれいに半分にわけられないので、けっきょく、タネができない。それで、タネなしになる。
 たねなしスイカは、人為的にこの三倍体をつくったもの。
 日本のヒガンバナは、自然にできた三倍体なので、球根でしか増えず、しかも、すべて遺伝子的にクローンである。

 1970年、関西地方で、ほとんどすべてのネザサが開花した。その前は、奈良県にて、1850年に大開花が報告されていた。ちょうど120年。
 花を咲かせタネをつくったネザサは、すべて枯死した。種はすぐに発芽をはじめた。
 2005年には、東北地方の一部で、チシマザサが開花した。

 オナモミの実のトゲには、動物に食べられないという役割もあるはず。

▼田中修『植物はすごい』2012-7 中公新書
 ヒイラギは とげがささるので、柊という字がついた。
 栗のスペイン語がカスターニャ。カスタネットは、栗の実を二つに割ったようだから。

 ダイコンは尖った先端が伸びる。そこが虫に食われぬように、先端ほど辛い。
 キウイに含まれるアクチニジンは蛋白質を分解する。だから防禦になる。

 アジサイの葉には青酸が含まれるので、虫害を受けない。人間が食べればもちろん中毒する。

 夾竹桃=オレアンダーをバーベキューの串に使ったことで、フランス兵が数名、死んだことがある。西南戦争中、これを箸に使って官軍の兵士が中毒している。オレアンドリンという毒による。

 ヒガンバナの球根の毒は、モグラやネズミを害する。だから墓地や畦に意図的に植えられた。毒抜きをすれば、救荒食物になる。

 ギンナンは大人でも20個以上食べれば毒にあたる。10歳未満の子どもには特に毒。

 三十数億年前に、光合成植物が海中で誕生した。
 四億年前に、それが陸地に上がってきた。

 多くの植物の葉は、昼間の太陽光の三分の一くらいで利用限界に達している。つまり光量の三分の二は無益有害。

 スイカやカボチャの厚い皮は、乾燥対策。
 純粋な液体は、揮発しない物質が溶け込めば溶け込むほど、固体になる温度が低くなる。つまり、凍りにくくなる。冬の野菜が糖分を増す理由。凝固点降下。

 江戸川はむかしは小松川といった。そこで栽培されていたのでコマツナ。
 イタドリの侵略に困った英国は、天敵である「イタドリマダラキジラミ」を2010年から持ち込むことに……。
▼『講座 日本映画4 戦争と日本映画』1987 岩波書店
 対日戦がはじまると、国防省がフランク・キャプラに、啓蒙宣伝映画を製作せしめた。
 押収した日本のフィルムを素材にしようとしたが、まるで反戦映画であるかのように、兵士の苦労ばかり描かれているのでキャプラは驚いた。

 記録映画のことは昔は「実写」と呼んだ。北清事変や日露戦争が、実写に撮られた。

 1937以降、ニュース映画の順番。まず皇室対軍の関係。その最初に「脱帽」という字幕が出る。ついで、戦争と政治がらみの報道。「陸軍省検閲済」というマークがつく。
 死体は絶対に写さなかった。
 最後に、市民生活のスナップや、季節ネタ。

 藍より青き大空に は1942『空の神兵』の映画主題歌だった。
 メナド降下のニュース映画では、ワルキューレ前奏曲が鳴り響いた。
 映画史上では、1940の独軍のパリ入場で初めて使われた曲だという。

 ロンドンの戦争博物館に集められている英、独、ソの戦時ニュース映画を1年がかりで観た山本明いわく。欧米人は戦争報道には死体シーンや捕虜シーンが欠かせないと考えているようだと。

 敗北報道でも死体をクロースアップする。それによって復讐心を煽り立てるのだ。

 藤田進のS15-5-22公開の『海軍爆撃隊』(北村小松原作、木村荘十二監督)。片発の中攻が7人の乗員とともに生還する話を見せた。
 同年9-25には『燃ゆる大空』公開。

 ベルリンのウーファ撮影所は、ソ連が進駐する前に、ナチズム宣伝のフィルムをすべて焼却した。
 東宝も8-16に『アメリカようそろ』というヤバい映画のネガを焼いている。
 当時は可燃性フィルム。ひどい悪臭と黒煙が出た。

▼橋爪・大澤・宮台 共著『おどろきの中国』2013-2 講談社新書
 中国人の張静華が奥さんである橋爪大三郎はネイティヴなみに北京語を使いこなす。じつは中国スペシャリスト。
 中国では、政治的統合とその安定が為政者の至高目的なので、宗教も思想も、すべてその目的のための道具としてとっかえひっかえされる。始皇帝は法家を採って儒家を斥けた。漢は儒家を採って、法家を隠し味にした。唐は仏教と道教を贔屓して儒教を相対化させた。宋は儒教に純化した。民国は、儒教を捨てて三民主義。中共は、三民主義を捨ててマルクス主義。それらはただオプションにすぎないのである。

 法家の路線は、家族や親族を解体せんとする。儒家は、父への服従を絶対視する。
 あわせて科挙になった。支配は血縁カリスマによってはならず、民衆からリクルートした行政官僚がするべきなのだという。

 中国では中間集団(トクヴィルの言う米国民主主義の基盤)は政府よりえらくなってはいけない。行政官僚の指導に従うべし。さらに、中間集団が血縁を凌駕することもゆるされない。

 皇帝とその継承者がまちがいなく純血だと保証されるためには、後宮を厳密に結界して牢獄化する必要があった。そこには皇帝と宦官しか出入りができないようにしなくてはならない。このシステムがなければ、皇帝の血にはカリスマなどなくなってしまう。
 日本には、このシステムは入らなかった。※卑母の子を見下すしきたりが、その代用。

 シナでは官職は世襲されない。行政官僚の世界に血縁はもちこまれない。しかし日本は律令制いらい今日まで、その逆である。

 宦官は、行政官僚が力をもちすぎないように、裏口入学の枠を残したものともいえる。だから宦官と官僚は、常に天敵。

 人びとが漢字の何に呪縛されているかを解明した白川静は偉人だ。
 漢字の種類が増えないということは、この世界が変化しないという世界観に結びつく。
 ※簡体字になって英語直輸入新語も増えて、呪いは解けつつあるのでは?

 戦後の日本で、「武士」に相当する存在は、アメリカになった。
 中国共産党はいつも新しいことを言い出す。過去に言ったことには束縛されない。人民はそのつど、新方針にしたがわなければいけない。
 共産党の言うことが変われば、一斉に方向転換できる。ソ連にはこれが無理だった。

 都市の職場を、共産党の単位(ワーキング・ユニット)にしてある。単位にはかならず共産党支部が設けられ、書記が指導する。すなわち市長よりも書記が偉い。工場長よりも書記が偉い。学校長よりも書記が偉い。そういう世界。

 中共の社宅団地は職場とほとんど隣接。そして、退職したあともずっとそこに住み続けてよい。本人が死ねば、配偶者や子孫がそのまま住み続ける。だから単位は、運命共同体ともなる。

 都市戸籍のシナ人が大学に入ると、「個人档案」(オフィシャル・ドキュメント)が教務課でつくられ、成績が書き込まれる。素行まですべて書き込まれる。就職すると、大学の教務課から、工場の人事課に、その档案が申し送られる。档案は、本人は見ることはできない。上司だけがそれを見ることができる。その上司も、じぶんの档案は閲覧ができない。したがって、全シナ人の档案を見ることができるのは、中共のナンバーワン、ただひとり、というシステムになっている。
 中共の党員の、組織や地域をまたいだ抜擢人事は、この档案によって可能になる。
 档案にはネガティヴな人事評価も書かれている。文化大革命のとき、その情報が紅衛兵にリークされ、紅衛兵がその役人の自宅へ押しかけた。
 档案によって全個人情報を支配できているので、ソ連や東欧のように、中共の独裁がゆらぐことはないのである。

 民間単位の書記にあたるものが、軍隊の政治委員。これは国民党時代からあった。
 だから国民党でも共産党でも、一回もクーデタは起きていない。

 文革のユニークな特徴。秘密警察は動員されなかった。警察も軍も傍観者だった。中共においては、粛清は、中共党の中での幹部相互の「検査」によらねばならないのだ。各人が警察なのである。

 蒋介石は、息子がモスクワで人質になっていた。しかし毛沢東は、家族を意に介さなかった。毛は、じぶんの父に敬意を抱かなかった。世襲王朝を残さなかった。

 グロチウスは、領土的な野心がなければ侵略とはいわない、と定義した。

 軍隊の階級や官職のランクを「級別」という。これによっていろいろな待遇に差がつく。

 改革開放の大前提は、アメリカだった。アメリカが、中国の安全を保障し、共産党の支配が続いてもいいと容認し、資本と技術を与え、アメリカの市場を開いてやったから、改革開放が成功した。すなわち、今の中共は、アメリカが作った。

 FT記者として滞支歴の長い、リチャード・マグレガーの『中国共産党』は良著。シナの大企業のトップの机上には、共産党幹部に直通している赤い電話機が置いてある。このベルが鳴ったときには、なにがなんでも出なくてはならない。用件のほとんどは、党の上層部からの私的な頼みごとだが。

 橋爪「GDPだけで測れば、アメリカを超えることは間違いないですね。それもごく近いうちに。実質GDPだったらもう追い抜いていると思う」(p.336)。

▼多田将『ミリタリーテクノロジーの物理学〈核兵器〉』2015-7
 原研には、NPTに加盟していない国の人は入れない。
 陽子と中性子を繋ぎとめているのが「〔電磁力より〕強い力」。

 ヨウ素131は、ベータ線を出す同位体。ベータ線は、内部被曝の影響が大きい放射線。しかも沃素は、その化学的な性質として、甲状腺に溜まり易い。
 天然に存在する、非放射性の沃素127を先に摂取してしまえばよい。

 硼素、ハフニウム、カドミウムは中性子を吸収し易い。
 原子炉の停止過程で発生しやすいキセノン135が原子炉内に蓄積すると、中性子が吸収されて減少し、核分裂反応が低下し、再稼働させにくくなる。このような物質を「毒物質」とよぶ。
 この毒物質に対抗しようと制御棒を抜きすぎたことから、チェルノブイリは暴走した。

 地熱の発生源の半分ていどは、地中の放射性物質の崩壊熱。

 ウラン235を濃度3~5%まで濃縮した燃料で運転を開始し、その濃度が1%まで下がったら燃料を交換する。
 交換回数を減らしたくば、濃縮度を20%以上に上げる。
 米海軍の最新空母は90%以上の濃縮燃料を用いる。

 重水は中性子を吸収しにくいが、とにかく高価。
 中性子ビームをもっとも減速させてしまう物質は、液体水素。

 液体金属の冷却材は、中性子を減速させる効果が小さい。
 ナトリウムは密度が水とほぼ同じ。液状のとき、粘度は水より小さい。

 かつてロシアの原潜2隻が、鉛・ビスマス合金を冷却材に用いていたが、ダメとわかって、現在では軽水炉のみになった。
 米海軍も1隻だけ、液体金属冷却路を原潜に搭載したことがある。今はすべて軽水炉。

 核爆弾の中性子発生装置=イニシエイターは、ポロニウム210とベリリウムを隣接させ、薄い金属箔で遮蔽しておく。これでポロニウムが発するα線は阻止される。あるいは4センチ以上離しておくのでもよい。

 ベリリウムは軽いのだが毒なので、さいきんはF1エンジンへの使用が禁ぜられた。
 六弗化ウランの沸点は57度。したがって容易に気化させることができ、そこから濃縮がスタートする。

 遠心分離機は、高速回転であるほど高性能。
 荒勝文策は広島被爆地の土壌を4日後に調べて、反応したウラン235の量は1kgだったと突き止めた。
 インプロージョン型原爆ではプルトニウム240の濃度を10%以下にする必要がある。
 プルトニウム239製造の観点からは、減速材は重水か黒鉛がいちばんよい。逆に、この減速材にこだわっている国は、あやしいわけである。

 リトルボーイの実験をしなかったのは、それくらいウランが貴重だったため。
 濃縮ウラン50kgのうち1kgだけが反応。あとは飛び散った。
 TNT換算で15キロトン。すなわち1万5000トンに相当。

 マンハッタン計画では、プルトニウムをコアに使用したガンバレル型原爆も開発されていた。マーク2、コードネームは「Thin Man」だった。じっさい、とても細長い外形。

 ナガサキ型は普通の電気雷管ではどうしても誤差が出るので、電熱線に一気に大電流を流して電熱線そのものを爆発させるようにした。Exploding Bridge Wire detonator という。誤差、千万分の1秒以下。そのかわり電源部の重さが1トンに。爆弾全体は4670kg。アルミ合金のプッシャーが120kg。タンパーが120kg。コアは6.2kg。
 TNT換算で22キロトン発生した。コアの五分の一ぐらいが反応した。タンパーの一部も核分裂した。

 三重水素は半減期12年なので、使わないで保存しておくと、ベータ崩壊してヘリウム3に変わってしまう。
 そこで米国の今の水爆弾頭は、重水ガスとトリチウムガスの混合ガスを、使用直前に注入する。

 核分裂から出てくる中性子より、核融合から出てくる中性子の方が高速で、毀害力も高い。だから中性子爆弾は、水爆からこしらえる。

 史上最大のICBM(ソ連製)でもペイロードは8.8トンだった。

 W88は、爆縮レンズを長楕円体にすることに成功し、RVの容積を有効活用できるようになった。
 「僕が合衆国大統領であるならば、〔トライデントII以外の〕他の核兵器は全て退役させてしまうでしょう」(p.188)。そのくらいの究極性を誇る。


ひさびさにラファールの記事に接した。

  Harsh V. Pant, Angad Singh 記者による2020-8-10記事「Rafale Jets Won’t Save India’s Air Force」。
    7月29日に5機のラファール戦闘機がインド空軍へ納品のため飛来した。これは2016にダッソー社が結んだ契約の履行である。さらに31機がこれから続く予定。

 インド空軍は合計126機の旧い戦闘機の刷新を欲している。その需要を何かが埋めなくてはならない。

 中共空軍は過去20年間に、インド空軍に対していろいろなレベルで優勢に立ってしまった。それがいま、数機の新型戦闘機で逆転することはないだろう。

 インド空軍はげんざい、31個スコードロンしか戦闘機を運用できていない。政府は42個まで承認しているのだが。

 いまだにミグ21からなるスコードロンすら残っている。これは2024年までに全廃される予定。

 ※2004年にスタートしたインドのMMRCAをめぐるうんざりするような兵器取引交渉史を、わたしは2017年2月の『日本の兵器が世界を救う』のなかで詳しくフォローした。その149ページで、《ラファール1号機の引渡しは、2019年9月が予定されている》、としめくくってある。とうとう、初号機が到着したのか! よほど、中共からの圧力が、インド人にはコタえているのだろう。なお、なぜインド政府と国会が、インド空軍を予算面で冷遇し続け、さりとて、精鋭陸軍中心主義でもなく、あくまで「パラミリタリー」中心主義を堅持するのか、その政治史的な背景について知りたい方も、『日本の兵器が世界を救う』を一読すると氷塊するであろう。


 次。
 Michael Hunzeker and Brian Davis 記者による2020-8-10記事「The Defense Reforms Taiwan Needs」。
     6月、米陸軍の特殊部隊が台湾に入って、台湾軍と合同訓練し、その模様は、フェイスブックに投稿された。
 米連邦議会下院では、テッド・ヨホ議員が新しい「台湾侵略阻止法」を提案している。

  ペンタゴンは台湾に長年、中共軍や米軍と同じような装備ではなくて、非対称的な軍備にこころがけた方がよいとアドバイスしてきた。蔡総統はようやくそれを肯定的に公言できるようになった。

 台湾の国防予算は有限であるのに、それをいかにも無駄な一線アイテムに投じようとしている。
 108両のM1戦車を20億ドルで買うとか、8隻のディーゼル潜水艦を国産するだとか。

 その潜水艦計画だけでも50億ドルである。それは台湾の年間軍事費の半分に相当する。いったい何を考えているのか?

 高額装備をわずかな数量ばかり調達する、おかしな政策の結果として、台湾の軍備は、長期継続的な戦争にはとても耐えられない構成になっているのだ。

 台湾の多くの海岸道路や山間道路の幅や規格とくらべてM1戦車は大きすぎ、かつ、重すぎる。しかも、トルコ軍が証明しているように、いまや戦車はドローンの好餌なのである。だから米海兵隊は、戦車を全廃することに決めた。台湾陸軍は、米海兵隊と逆の道に進んでいるのだ。

 台湾軍の前の参謀総長は海軍出身で、2018にODC=包括防衛コンセプト を提言した。これは正真正銘の非対称的な、海空拒否戦力の構築を目指した軍改革案であったが、立ち消えている。

 台湾は予備役・後備役の空疎化の趨勢も逆転させなければならない。それによって潜在的には250万人が動員できるのだから。2年おきに5日間の訓練召集をさせるだけで、予備役兵の技倆が維持できるものか。しかも予備役全員分の小銃がないとか、ふざけているのか。

 台湾防衛の役に立たぬ高額装備を売りつけて米国の防衛産業を儲けさせることが米国の正しい政策か? そんなことはない。台湾政府が国防費を合理的に使って中共の侵略を跳ね返せるように、米政府はアドバイスするべきなのだ。


旧資料備忘摘録 2020-8-11 Up

▼廣瀬豊『山鹿素行全集思想篇 第八巻』S16-9
 以下、「山鹿語類」巻第27~巻第32。

 手首の下の動脈の搏動するところを「寸口」という。
 備えの先端、のぎの先のようなところにいるので、のぎの次左衛門と名乗った武士。
 同様、杉先と名乗った武士も武田家にはいた。

 もし主君に不満があるのなら、さっさと辞職して去ること。恨みを抱きながら部下として勤め続けることぐらい悪いことはない。必ずよくないことが起きる。

 「このこと京都にきこえければ」(p.123)。
 江戸時代に参内する大名は、小者に「小便筒」を携帯させて従えた。

 前田利家の経験。いざというとき逃げないで従ってくれるのはやはり譜代。新参の部下は、去ってしまう。

 わが言の「だみ」たる=訛っている。

 愚将は小敵を大にしてしまう。敵が弱いうちにとりひしいでしまえばよいのに、大事のつもりをいたして期をのばし、むざむざ彼の謀が調おるように待ってやって、後になって大敵となり、あしらいがむずかしくなってしまうのだ。

 城の鉄砲狭間は、敵兵の腰の高さに位置させるとよい。

 稲富一夢が、射手を近寄せない烏を仕留めたテクニック。飛脚が往来しているように装い、鉄炮の先に文箱をゆいつけてまず通りすぎ、背後から射殺した。

 大軍と対峙することになった小軍は、まず、退き口が確保できる陣地を選べ。

 人指=人々から指弾されること。
 夜襲では鉄砲は使わない。同士討ちになるので。
 白衣=着流しのような格好。

 浪波[らっぱ]者。筒の中に火付竹を封じたものを、50人から100人に持たせて、敵陣営に潜入させて焼き討ち工作させる。

 橋を焼いて落とそうと思ったら、まず近所の小屋を破壊してその材木を橋の上に積み上げ、そこに火を着ける。

 8人のプロ武士がいれば、あたかも決死の籠城部隊が180人いるように見せかけることができる。そうしておいて、開城交渉に持ち込む。

 かぶとの前立てが長いと、うつむいたときに、遠くからそれがよくわかる。敵の城内から鉄砲を打ちかけられたとき、それが届かなかったと敵の射手に思わせるよう、攻め手の武将は、いちいちうつむいてやれ。さすれば敵射手は照準点を上げるからで、玉がみな飛び越すようになって、1発も当たらなくなる。

 兵卒が敵の鉄砲玉の落下点を指差すことは厳禁せよ。敵(守城兵)に正確な照準のヒントを与えてしまうから。

 大坂の陣の七日目、家康軍の先手が勝利して一段落したので、小銃にこめてある弾薬を空に向けて打ち抜かせたら、それが敵襲だと錯覚され、旗本まで崩れかかった。友くずれ、という。

 「どん八」という武士がいた。
 城の中から外を偵察するときは、前立てのあるカブトは脱いでおけ。その前立てが見えたところに敵の射手は照準をつけ、顔が見えたところで発射するからである。

 当時の爪切りは、小刀を使った。
 刀を抜こうとしている者を後方から妨害するには、相手のこじりをそっと持ち上げてやる。するとその者は前に倒れてしまう。

 秀吉は信長を面とむかって褒める機会があったら必ず褒めるようにした。このようにおべんちゃらを言われて機嫌の悪くなる殿様はいないのである。

 「九州の大名小倉にあつまり備中守が演説する處を承知す」(p.418)。

 関西には犬神あり、関東にはかまいたちあり。

 「多聞」と「博文」は大事である。歴史を学ぶことである。じぶんの見聞ばかりをどれほど積んだとして、その積累いくばくぞ。歴史の書物には上古から今日までの事蹟が書かれている。これから1000年先といえども、上代より今日に至るそれらのできごとと、教訓は、異ならないであろう。

 和人=わどの=you。

 大友の皇子。みる目、きく耳、かぐ鼻という3者のスパイを駆使していたことが、旧記に書いてある。

 女房の容色が衰えたり、亡くなったときに、決してその女について悪口のようなことを言ってはならない。それこそ「かたはら痛い」=傍らの人が聞いて聞き苦しい からである。

 人の一生は、十年ごとに大変化すると思っておけ。

 書状は草書体にするな。特に目上に差し上げる書状は。
 江戸から会津まで、6日がかりだった。

 大坂のとき、越前軍の小屋で、胴乱(弾薬盒)に火がついて火事になった。使いが諸手にそのいいわけをした。井伊直孝の評。このようなときは、敵が火箭を射掛けてきた、と入っておけば、格好能くおさまるのだ、と。

 じんどう という鏃があった。神頭。
 中間・小者は、ふだん「あしなか」を履くこと。

 那須与一が人前で扇を射たときは、カブトは童に持たせていた。カブトの下には「揉烏帽子」というものがあり、それを引っ張れば烏帽子になったのである。

 今日では屋敷の床下には「しきり」がところどころにあり、潜入者への対策となっている。

 菊池武光はある戦場で馬を17頭、乗り換えた。
 馬上で使う弓が大きいと、わが馬首の左から右へ敵が運動したときに、照準が追随できなくなる。

 つけずまい。馬が鞍をつけられることを嫌って暴れる。
 木の皮も、馬のエサになる。大豆しかないときは、水でふやかして与えること。

 以下、士談6
 飽間 あくま という姓があった。

 延元元年の東寺の合戦。太平記によれば、攻め手である宮方は、「持楯」「ひしき楯」をかついで攻めた。
 ※ひしき は引敷き か?
 ※寺は要塞なので、上から射られないように楯を担いだのであろう。

 楠木正行が住吉で山名と合戦のとき。三尺余の長刀の若武者が騎馬で進む。
 その次に法師武者。柄の長さ1丈余の「槍」を馬の平頸にひきそえて、続く。
 この話は太平記の25巻に出る。

 以下、士談7。
 新田義貞の馬は矢2本で小膝を折って倒れた。太平記16巻に出る。湊川から敗走の途中。

 松永久秀は、天守に上がり、秘蔵の釜「平蜘蛛」を打ち砕いて、火をかけて焼死した(p.157)。※爆破などしてない。

 以下、士談8。
 源平盛衰記21巻のエピソード。和田義盛が小坪の戦の前に藤平実光にたずねた。楯突きの軍は度々してきたが、馬上の戦いはしたことがない。どうすればよいのかと。
 答え。敵を左に据える。矢はぜったいにいいかげんに射ない。敵の隙間ができる瞬間までためらえ。敵が一の矢を放つのを待て。二の矢をつがえようとするときに内冑が見えるからそこで隙間を射るのだ。
 射たらすぐこっちも二の矢をつがえる。それもすぐに射ないで、敵の隙間を見守る。
 敵も同じことを考えているから、常に鎧づきせよ。《昔は馬を射ることなし。近年は敵のすきま無きときは、先づ馬の太腹を射て、主を跳ね落とさせ、立ち上がらんとするところを》、射ようとする。
 敵が一人なのに大勢で矢を射るな。矢がもったいないから。
 遠距離から矢ばかり射て引き分けになるのは下策。
 ※要するに矢がものすごく貴重品だった。原文に「守る」とあるのは「みまもる、みつめる」の意味だ。

 源三位頼政は、弓をつよく引かんためにわざと冑を着なかった。
  ※部下に任せられないほど手兵は少人数だった。

 わが朝は、辺鄙粟散の境とは申し乍ら

 天文16年、原美濃守は50歳だったが、馬で足軽を護衛して行ったところ、敵騎兵がつけてくるので、敵の近づいたところで下馬して、鎗をとって敵を4騎ついて落とした。

 永禄いらい、つまり信長いらい、一番鎗に対して、1000、2000、3000、8000石の賞が発生するようになった。保元・平治から、鎗の功名などというものはなかったのだが、信長の時分から、鎗を以て天下に誇るようになった。鎗でなければ功名ではないほどになった(p.302)。

 以下、士談9。
 「相証拠」。2人武士が互いに手柄を証言し合う。

 源平盛衰記30に、斎藤実盛が討ち死にしたとき、手塚太郎らは弓手の方へ回って仕留めた。弓を持っておらず、打ち物だったので、左に回りこむのが有利だった。
 ※実盛はそのとき老人であり、戦って勝つ気はなかった。

 一撃離脱=「打ち抜け夜討ち」。 翌日に第二次の夜討ち隊を出すこと=返り討ち。これは不利であるぞ(p.384)。

 以下、士談10。
 花山院を射たのは蟇目である。
 驚かすのが目的だった。流罪。

 馬には1日4升の大豆をくわせなければ、1日に20里を歩かせることはできない(pp.526-7)。

 以下、士談11。
 宋の大将は銅鉄の面をはめて矢を防いでいた。顔もわからなくなるので戦場では都合がよかった。
 日本には頬当はあるが、鉄面は竹刀稽古のときにしか使ってない?

 信州の上田で天文16年に村上と武田信玄が合戦したとき、村上義清は、矢を5回射たら鉄砲を射てと命じた。※玉と薬が稀少だったのだ。

 昔は、箙、やなぐい。これは背負うもの。ところが、旗指し物を背負うようになり、これらを着ける場所が腰に変わった。それが うつぼ。

 鎗の柄は、軽くて堅いのがよい。

 杉柄を好んだ武者もあった。上田宗古は、杉柄のやりをつねに所持した。
 志賀與右衛門は、杉柄のやりを一生、投げ突きにしていたという。

 阿波の三好軍。皆、竹柄の鎗であった。それは京都人から見るとめずらしかったのだという。

 近頃、「鎗鐵炮」というのがある。鎗に、小筒を持ち添える。鎗を突き出すと、同時に発射される仕掛。

 浅野家の亀田高緒は、1尺余の鉄炮(ピストル)にうでぬき(ストラップ)を付けて、常に馬の際に持たせていた。〔従者に?〕
 慶長5年に新加納川を押し渡るときに、これを川の半ばで発射して、向こう岸の敵を驚かせたと。これも「小筒」である。

 母衣について。これは、箙[えびら]の矢数をあらはすまじきために、箙の母盧衣と云ったのがオリジナルである。
 母衣の大きなものをなびかせれば、遠くでこちらを狙う矢は当たらないともいわれた。
 ※矢を禦ぐとは一言も語っていない(p.589)。

 馬は大きければよいというのが応仁の乱の頃までの風潮だった。信長以降は、大きい馬は避ける。というのは、武具を着装した姿で、口取りなしに乗り降りするのがたいへんだから。
 元暦(げんりゃく・1184~1185)の頃は、「八き」すなわち馬のたけ4尺8寸などというのをよろこんでいた。大河を越すにはそれもいいかもしれないが。

 大きい馬は駆け引きが自由ではない。日々、弓矢が盛んになる趨勢なので、乗ったり降りたりを頻繁にくりかえさないとサバイバルできない。
 賤ヶ岳で秀吉が乗っていたのか4尺2寸だった。
  ※馬じたいが矢玉のマトになってしまう。また、強い馬が興奮すると乗り手をなかなか乗せてくれなかったり、勝手に敵中に単騎で飛び込んでしまい制御できない。

 たとえば、腹帯が延びていると、鎧武者・敵馘・鎗・抜いた刀をもって、口取りなしには、馬に再び乗れなくなる。そこに敵がおいついてきて、討ち取られてしまう。天正9年に織田信澄(信長の弟・信行の子)は、4尺3寸強の馬だったため、取り残されて討たれた。

▼廣瀬豊『山鹿素行全集思想篇 第七巻』S16-8
 以下、「山鹿語類」第21~第26。

 無差別=わきまえなし。
 一動一静一語一黙おのおの礼節あり。

 朝起きて、辰の刻=午前8時に一食。それから3時=6時間後、すなわち未の刻=午後1~2時に一食。
 この二回では不足ある場合は、 日が長い季節だったら、昼食する。夜が長い季節だったら、夜食する。

 老年の後は、魚肉をもって老衰の気血をたすけしむ。

 仕官の者は、四十歳が絶頂期である。はかりごとが、適切にかなう。

 大坂夏の陣のとき伊達政宗が、奈良においてすべての足軽大将をあつめて鉄砲をつるべ射ちさせた。ところが加藤太という足軽大将は、火薬と火縄を無駄使いさせないようにと別に梱包して小荷駄にして後から追装させていたので、部下300人の足軽は鉄砲だけを持っていて、発砲することができなかった。正宗は怒って加藤をみずから斬って捨てた。また、足軽たちに刀を抜かせて木を切らせ、人足を代役に立てていた者を見つけ出して成敗した。

 関ヶ原のとき、日下部右衛門は、伏見城に在番のとき、常に下々に三度の食をくわせて、臨戦態勢を維持した。

 楠木正成いわく、戦士が17歳から戦場に出ていても、図に当たる戦闘ができるようになるのは30歳ぐらいである。そして、それが戦士のピークである。28歳より若い武者が、かけひきを知らなくても、それは仕方がない。元気がないよりもマシである。

 ちかごろ俗のもてはやす たばこ というなる物(p.201)。

 加賀の二曲[ふとうげ]という城。今は別宮[べっく]と号する土地だが、そこを一揆が取り囲んだ。足軽大将は、腕に火縄をかけて鉄炮を打っていたが、その火が火薬箱に移って大爆発し、やぐらが倒壊した。

 三川黄門・秀康は、悪瘡をわずらって、鼻がなくなってしまった。そこで細工師に人工の鼻をこしらえさせて、その鼻をつけて出仕していた。※家康の第二子の結城秀康は、34歳で没。

 手枷のことを「ほだし」という。

 道潅の居宅を静勝軒といったのは、尉繚子の言葉から。兵は静かなるをもって勝つ。国は、専ら(一体団結)なるによって勝つ。

 なにごとも時ぞと思へ夏来ては錦にまさる麻の狭衣。

 簡単にすばやく拷問するときは、脛を閂の木でひしぐ。

以下、山鹿語類 巻第22  士談1

 吾妻鏡によると、頼朝が入洛したとき、随兵は、冑と腹巻であった。
 素行はみずから火薬の調合までやった。(p.204)。

 徳川家康の子の結城秀康に仕えていた下級武士。60間先に的を立てて、矢を射て必中であった。
 ※60間=1町=109mである。
 ※那須与一は七段=70mだった。

 吾妻鏡によると、石橋山合戦のとき山内滝口三郎経俊が頼朝の鎧に命中させた矢の「口巻」に名字が記されてあった。

 太田道潅は湯殿において長刀で殺害された(p.336)。

 以下、士談4。
 松平左近忠次と武田勝頼の合戦のとき、矢種が尽きたので同僚の矢を貰って射たらそれが敵の騎馬武者を松木にとじつけて倒した。矢には「矢印」として元の持主の記名があり、誰の手柄かの確定が遅れた。
 このとき弓は、居り敷いて射た。ということは巨大な弓ではない。

 源平盛衰記によると、木曽義仲の鎧は「薄金」といった。それが今日は重く覚えるといって討ち死に。

 以下、士談5。
 関ヶ原の前段として、伏見城が攻囲された。このとき先手を命じられた松野主馬。仕寄の竹把[たけたば]を、城内から火矢で焼きたてるので防ぎかねた。
 そこで対抗策を考え、竹束の上に壁土を塗った。

▼広瀬豊『山鹿素行兵學全集第四巻 武経全書講義 上』S19-8 日本出版配給株式会社

 広瀬はM36海兵卒、退役海軍大佐。軍縮期に東大文学部に3年送られ、教育学を専攻した。吉田松陰についての著作が多い。
 武経全書は、素行が35歳のとき。明暦2年に書いた。入門書であり、晩年まで教科書として用いたそうだ。

 その十数年前に「兵法神武雄備集」を書いている。その要点を抜き、敷衍している。
 門人が編纂したのは「武教小学」。

 この底本は、素行の孫の津軽耕道が編纂した。自筆本。
 耕道は素行が没したときは4歳。父の津軽政廣は素行の女婿でありまた高弟。津軽藩の家老であるが25歳で若死にした。死んだ年に耕道が誕生。

 耕道、30歳から32歳にかけて、武教全書の諸説詳論家伝秘鈔を書いた。それを今回、改題した。

 素行の兵学の師は、小幡景憲(元亀3年=1572~1663=寛文3年)。関ヶ原と大坂陣に参加。御使番。甲陽軍鑑の共著者の一人。
 景憲は、武田の猛将の昌盛の3男。素行は15歳から景憲に師事した。

 北條氏長は、素行といっしょに小幡の弟子であった。素行から見て、兄弟子。寛文10年に62歳で没した。
 武は勇の因る所(p.17)。

 足軽のことを昔は「弓鉄炮の者」と言った(p.171)。
  ※素行軍学では、長柄隊は足軽でも武者でもないらしい。

 肩などに怪我をすると、摺れて痛いので具足が着られなくなる。頭奉行にことわって、素肌で出陣することあり。

 大坂陣では、徒歩の衆には具足を着せずに羽織を着せたという。
 軽卒の冑は、銅で作る。そのまま水を汲んで鍋にできる。革を用いる家もある(p.209)。

 かまり(伏兵)、夜込み、夜働きのときは、長道具、大指し物は用いず、特別な印をつける。

 団扇は将の楯という説がある。近代、それは重いので采配になった。
 ※軍配のこと。

 敵味方が距離が2町ばかりに近づくと、両陣、互いに鉄炮が始まる。1町の内外になると、鉄炮競り合いがしげくなる。備合が30間になると、弓、鉄炮、長柄がいりまじる。剛者は進み、怯者は退く。

 敵兵の顔は1町から面の色が見える。そこが、足軽隊を投入する距離だ。

 屏ごし、垣ごし、築地ごしに鎗で突くことは自慢にはならない。それを高言するものを「犬やり」と貶める。
 ※「投げ突き」といわれるものがこれ。鎗を投げるのではなく、歩兵が自分の頭より上に両手で持ち上げて突くので、投げ突きという。「払いの鎗」ともいうそうだ。

 馬上の槍を犬鎗とみなす向きもある。理由は、馬上から鎗を使うような局面は両陣営の激突ではありえない。敵が崩れたのを追いかけるときか、こっちがたじたじとなって崩れかけているところに敵が迫った場合しかない。だからこちらの指揮官としては、それを特に褒めたりしない。

 送り足軽、迎え備え。
 弓・鉄炮の足軽を、1組か2組、ひきつれて馬で物見に出る。足軽組を危うそうな場所に待たせて、備えとする。そして物見武者が騎乗で先行する。

 迎え備えは、その送り足軽も潰乱した場合に、一段後方でそれを収容する備え。

 もし伏兵が出たら、物見は早々、引き取る。同時に足軽も軽く後退する。
 ※騎兵が精兵で、縦横無尽に活躍できるなら、こんな足軽の護衛など必要ないはず。日本の地形では、騎兵が歩兵を頼りにし、そのスピードにあわせるしかないのだ。

 「四寸の身」。人間の胸板は厚さが4寸だと考えられている。馬を千鳥掛けに乗り回せば、敵の鉄炮に対して4寸幅の的しか呈示しないことになる。

 馬上にて、徒歩立ちの敵と仕合うときは、まず乗り回して歩兵を疲れさせる。※直撃する騎兵は居なかった。そんなことをすればやられるからだ。

 歩兵の側は、まず馬を鎗で突いて騎兵を落馬させよ。

 叢林中を騎乗で進むときは、鎗がひっかかるので、鎗の塩首(=けらくび)を掴んで、柄をひきずるようにする。

 逃げていく敵歩兵の真後ろから馬で追ってはならない。敵が急に振り返って居り敷いたら、その鎗が突き刺さっててしまう。

 鎗歩兵同士の戦い。敵の体や顔面に鎗が刺さったら、それを抜くな。敵が倒れるまで、そのまま押しまくる。こちらの鎗の石突を取って、前に鎗を投げるようにして敵を押し倒す。敵兵が倒れるまで、刺さった鎗先を抜こうとしてはならない。敵が倒れたなら、そこで鎗を抜き、再三また刺してもよい。一回刺しただけですぐに首を取りに行くのは危ない。何度も刺したあとで、首を取りたいときは、最後に刺した槍を抜かずに、その柄を踏みながら近づけ。

 武者が戦場を走り回って大活躍(強働き)しようと思ったら、頬当ては外して行け。特に夏は。猿頬でない限り、息が詰まってしまうので。

 長距離行軍するときは、脛当てを外す。戦場を走り回りたいときにも、外す。
 隊を組んで行軍する「武者押し」「備え押し」のときは、脛当てをする。

 鎗の長さは、9尺から2間まで。刀は2尺5寸または3寸。脇差は1尺5寸。純金や純銀で拵えを飾ると雑人に目をつけられて盗まれるので、用いない。

 重代の刀脇差は戦場へは持っていかない。それを子孫に残し伝えねばという心が生じて、決心が不自由になるので。

 武者は、5歳以下の若馬に乗ってはならない。家康は、大切の場では、小荷駄の馬に騎乗するようにしていた。
 ※勝手に敵中に飛び入ってしまうことがない。とつぜん暴れて振り落とすこともない。

 6歳から8歳がよい。
 馬が興奮して敵に向かおうとしているのに、乗り手がそれを必死で制している姿を味方に目撃されるのはみっともないし、全軍の士気にもかかわる。

 馬の標準は4尺とされていた。素行は、大きい馬はよくないといい、上限は四尺3寸5分だとする。

 馬面は、矢玉を禦ぐための装甲だったか?
 違う。敵の馬を恐れ戦かせ、騒がせるための、脅かし用の小道具だった。だから金銀で彩色するべきである。
 北條氏康などがかつてこれを使って、戦場で効果があった。

 50騎の一備は、横が70~80間、縦が2町ほどになる。

 義経や楠木の軍勢は騎兵主体だった。
 信玄の部下の山本が、《馬を退かしめ、馬を遠ざける》ことを信玄に説き、これを採用した信玄軍は有利に戦った(p.539)。
 敵軍とぶつかる前に、乗馬武者は下馬し、馬を後方へ退げさせてしまうのである。

 馬の口に付いている中間、夫嵐子のたぐいは、敵軍を目にしたらすっかり怯えてしまう。
 足軽の組とは、30人くらいである(p.544)。

 弓・鉄炮は、敵味方の距離が50間~30間になると、足軽を出してせりあわせる。
 距離が15間くらいまで狭まったところで、次に「長柄」が出る。鎗は3間柄。人数は50人~30人。
 この鎗で敵の備えを叩き立てる。

 長柄(鎗)は、敵を攻めるためにあるのではなく、武者の「垣」なのだという説もあり(p.547)。

 長柄部隊を集団で用いたことが記録されているのは、楠木正儀。太平記。京都で細川頼春軍と合戦したとき、鎗30本を集中させて優勢。
 正儀は正行の弟。正成の子。

 長柄は武者の垣であり、「馬を入れられざる」ためにするのだともいう(p.547)。
 こっちに鎗兵が2人居れば、敵の1騎を止められる。

 小連[こづらなり]とは。5人の弓と5人の鉄炮を横に並べて交互に発射させる。

 長柄は、出し惜しんでよい。当代は、たいていは、鉄炮と弓の足軽のかけひきだけで形勢が決まる。敵が逃げ始めれば、ただちに武者が前に出るので、長柄の出番はない。それでよい。

 「折立」おりたち。馬から離れ、馬は後を引き下げさせ、みずからは徒歩立ちで勝負を致すこと。

 行列の表。足軽大将1人の下に、鉄炮5+弓5+鉄炮5+弓5+鉄炮5の足軽組が付く。これに数騎の与力(大将の助手)が付く。与力は鎗。
 つまり鉄炮15梃+弓10張という配分で、35人。

 侍大将には、「楯持」が1名付く。

 陣地前の柵は、連続不断に構築はできないので、「切れ切れ」に結べばよい。敵の1備え(30人以上の集団)がそのままでは通過できなければよい。

▼廣瀬豊『山鹿素行全集思想篇 第十一巻』S15-8
 月報より。「武経餘談」は素行が53歳のとき、武器研究をまとめたもの。三重県の伊賀上野図書館に明治時代に寄贈された。
 素行の嫡子、山鹿藤介(高基)は、カネに困り、父の自筆本を売っている。それほど素行は年収があった。
 三代目の山鹿高道が平戸に移住したのは、やはり経済的な理由だろう。

 油の灯はどうやったって蝋燭よりは暗い。
 義経の弓流しは、屋島。弱い弓なので敵に拾われては面目に関わると。
 素行は義経を高く評価せず。一つとして道にあたらず。また、その属せる者、皆、匹夫猪男である。

 鉞を研いで針にする者がいるか。
 岡目は八目(p.271)。
 素行の時代、牢人は武具を質屋に売りまくっていた。
 隋の煬帝、遼を伐って、国覆る。

 問い。天下が治まったときには大名に普請を命じて、あらぬ心を起こさぬようにする。秀吉の朝鮮出兵もこれだったでしょうか?

 わが正をもって人の不正を正すのが征なのに、秀吉は何の正しいことがあって高麗の不正を正したというのか。

 お手伝い普請が悪いことになっている。取り潰されたくないので大名が幕府におもねって請けている。そのツケは領民に対する苛斂誅求となる。それではいざというときの武役はできないではないか。

 屏風は曲がっているから立つ。
 愛・敬 を強調したのは陽明先生。

 天下の公理の彼我はない。門人たちは他の先生のところにも出入りしてくれ。われもまた未だ敢えてみずからもって是とはしない。

 柳生但馬守の門人にさほどの剣術の上手はいない。自分が上達していなかった頃のことを忘れてしまったので、弟子をうまく導けないのであろう。

 素行があるとき歩き疲れていたら、路傍の百姓が、足が軽く、よく歩く人だねと声をかけたので、疲れが吹っ飛んだ。将は卒に声をかけろと義経が言ったのは、これだ。

 ある人はシナを「中華」といい、本朝を中華とは呼ばなかった(p.374)。

 愚将は小敵を大敵にしてしまう。島原一揆の鎮定はその典型。原城をすぐに強襲すればよかったのに、ぐずぐずやっていたから一揆軍がどんどん籠城の準備を進めてしまった。

 山鹿随筆。「鉄炮の性」。
 浅野長治(赤穂城主の長直の親戚)が素行のところに来て語った。
 浅野長幸は稲富一夢の弟子であった。一夢が注文して鍛造させた筒が50梃あった。
 今の鉄炮は、銃身の曲がりや、筒の「巣の内」を直したり、目当と目割(照準部品)の位置を修正することができるが、稲富の注文鉄炮は、そうした銃身修正をしないで照準部品をつけてあり、1梃ごとに照準点と弾着の関係に癖があった。しかし銃身の金属は分厚く、何年放置しても、たくさん発射しても、その癖は変化しない。したがって個々の銃の癖を掴んでしまえば必ず中ったと。
 素行いわく、癖を無理に修正しようとしても、何年も放置したり、たくさん発射すれば、また元に戻ってしまうのだろう。稲富はそれを知っていたのだろう、と。(pp.405-406)。

 関ヶ原や大坂陣での大量殺人は咎ではないのか。答え。已むを得ず。人を殺すを嫌えば、人来たりて我を殺すなり。

 寛文5年。東海道の駄賃(駄馬の料金)が値上がりした。

 予が著すところの武経は、神武でも聖武でもない。唯これ人の武なり。延宝8年。
 淀川河口になぜ泥が堆積しないか。大和川と合流していて、洪水のたびに勢いよく押し流すから。

 山鹿随筆。
 寛文13年、奥平原八復讐事件。公儀の厳命。「群卒を以て攻撃するは仇を報ずるに非ず」と(p.615)。
 取手の者  ……柔術の先生。
 束帯で太刀は抜き難い。これは鞘尻を思い切り上げれば抜ける。
 御主たち おのしゅたち (p.626)。

▼『山鹿素行全集思想篇 第五巻』S16-5
 山鹿語類。
 周代の「兵民」。
 周礼によれば、1家から1人の兵を出す。
 5人を伍という。
 5伍を兩という。25人。
 4兩を卒という。100人。
 5卒を旅という。
 5旅を師という。2500人。
 5師を軍という。25000人。

▼延原謙tr.『ドイル傑作集 III ボクシング編』S35 新潮文庫
 試合にそなえたトレーニング。ハイランド地方の道路を一日に40マイル走る。1811年頃。
 1805年頃、ブロードウオータ・ルールあり。
 トレーニング中に煙草はいけないという通念あり。しかし、守られない。

 30マイル=48kmにわたるロードワーク、しかもそのうち最後の1マイルはサラブレッド馬をつけた郵便車のあとへついての駆け足。果てしない縄跳び。そうやって最後の一塊まで脂肪をとる。

 1810年の対ナポレオン戦争中のこと。マセーナ将軍は、不安と辛労のため、「体毛が一本として白くないのはなくなった」。

 夜間は、ほくちの光でポケットの磁石を見る。
 敵陣を単騎偵察中、馬が斃れてしまったら、まず鞍を外して隠す。そうすれば、どちらの軍の馬かは、誰にもわからなくなる。

 1878年頃、ふるくからあった素手の懸賞拳闘試合は、スキャンダルや不面目のうちに衰微していた。
 いまや伝統的スポーツは、一文なしの連中だけによって支えられているのだ。

 巻末訳者解説。アマ・ボクシング・クラブが創立された1866年以前の、ビュジリズム。勝者に多額の懸賞をかける、興行拳闘。ディケンズもこれを題材に長篇小説を書いたという。


フランスも艦上哨戒機のE-2CをE-2Dに更新する。

 これにより、陸上哨戒機としてE-2Cを使い続ける国は、エジプトとメキシコだけになるという。
 もっかの人々の関心の焦点は、台湾の「Tモデル」が実質のD型にされるのかどうか。

 次。
 James Temple 記者による2020-8-7記事「How falling solar costs have renewed clean hydrogen hopes」。
      ソーラー発電のコストが下がっているので、ソーラーパネルによって水を電気分解して水素を蓄積する工程の採算性が、好い方へ変化しつつある。
 しかし現状では、そのようにして得られる水素のコストは、天然ガスの6倍である。

 国際エネルギー機関の楽観的な見込みでは、水素のコストは2030年には今の7割に下がっているだろう。

 モルガンスタンレーの研究チームは、水素製造設備は2年後には、米中西部とテキサス州において、風力発電に次ぐ低コストを実現するだろうと先月、予測した。

 水素をそのまま燃料にしようとするのではなく、工場から出る一酸化炭素や、大気中の二酸化炭素と結合させることで、自動車用の液体燃料=人造石油 にしてしまう研究もあちこちで進行中。

 そうしたプロセスが採算の乗るかどうかも、ソーラー発電コストの、よりいっそうの低落にかかっている。

電動アシスト自転車は何が良いのだろうか? オススメがあったら教えてください。

 3輪カーゴバイクの「STROKE」という商品の宣伝動画を見て感嘆した。
 自転車のメインフレームを楕円形にまとめれば、力学的に理想的なのではないか――とは、おそらく、昔から、デザイナーの誰もが考えたことだ。

 しかし誰ひとり、それを「前2輪+後ろ1輪」の、しかも、荷物運搬用の3輪自転車に適用した場合に、いちばん実用的になる――とまでは、思いつけなかったのである。

 こればっかりは、机上でいくら空想しても、着想し得ない。
 自宅に、自転車いじり専用のガレージを持っている環境からしか、この設計は生まれないと思った。

 来年、大不況が来ると、わたしのように、「買い物用自動車」を「買い物用自転車」に乗り換えなくてはならぬ人々が増えるはず。
 北海道の地場メーカーに、奮起を促したい。なにしろ、重荷用自転車関係の道交規則が最も自由なのだから。

 次。
 ストラテジーペイジの2020-8-9記事。
    露軍は2025年までに現行「ソトニク」に代わる新型歩兵装備「ラトニク」を完成して、まず特殊部隊に支給し、2030までには一般部隊にも支給したい。

 耐地雷機能のある軍靴、熱線輻射抑制機能のある軍服、対地レーダー波を反射しにくい生地などが採用される。

 ゴーグルには、UAVが電送する画像が映し出される。
 一式の重さは20kgになるだろう。ソトニクより、これは2割軽い。

 次。
  Audrey McNamara 記者による2020-8-8記事「Salmonella outbreak linked to onions expands to 43 states」。
    加州のトムソンインターナショナル社が生産したタマネギがサルモネラ菌に汚染されており、全米43の州で640人が具合が悪くなり、85人が入院した。死者はまだ出ていない。

 サルモネラ菌による食中毒症状は、数時間にして出る。だが時には数日後ということもある。小児と65歳以上の老人は、重症化しやすい。

 食中毒症状が出た人は、発症前の直近1週間に口にしたものすべてを書き留めておけ。病院で役に立つ。

 次。
 Kyle Mizokami 記者による2020-8-7記事「Could a World War II Shipwreck Cause the Next Beirut-Like Explosion?」。
    1944年8月、米国の貨物船『SS Richard Montgomery』がテムズ河の入り口で座礁沈没した。
 何度も大西洋を往復していた船だったが、D-dayの直後で気が緩んだのか。
 この船内には1000トンの弾薬が満載されているため、危なくてサルベージ作業もできず、いまも放置されたままである。

 この貨物船は「リバティー船」。同型船が2711隻も戦時急造されている。ちょうど1万トン積める設計であった。

 米国から積荷満載で英国まで到達した『リチャード・モンゴメリ』は、そこからコンヴォイを組んでフランスに渡るために待機中であった。その時点で軍需品6000トンを積んでいた。

 座礁の直後から、沖仲仕が積荷を搬出し始め、4500トンだけは卸すことができた。しかしまだ1500トンが残っている状態で、船体が二つに折れてしまった。

 いらい76年間。ロンドン市民は、海岸からわずか1マイル強の場所にあるこの沈船に、脅かされ続けている。

 水面上に出ているマストが波で揺さぶられると、それが弾薬を起爆させるのではないかと、ずっと心配されてきた。さりとて、それを切断する工事をした場合も、それが却って引き金になるかもしれない。手が出せない。