ユグドアは、関係者全員にとっていちばん安全な方法です。

 Liu Zhen 記者による2020-10-24記事「Non-military encounters in South China Sea to intensify if Philippines implements maritime militia plan, say observers」。
   比島海軍は、240人の海上民兵をスカボロ礁とスプラトリー海域に展開するとアナウンスしている。
 民兵たちは漁民の中からリクルートして訓練を施すのだという。
 だがそのための比島政府の予算がまったくついておらず、真意は謎である。

 中共に対してあまりに無力な比島政府に対する漁民たちのつきあげが近年、大きくなっているので、それに対する国内政治かもしれない。

 昨年、比島が支配しているティテュ島には100隻以上のシナ漁船が蝟集して示威している。

 南シナ海で海上民兵を組織しそうな国としてはベトナムがある。
 かたや、インドネシア、マレーシア、ブルネイは、海上民兵は組織しないだろう。※海賊に直結してしまうから。

 ベトナムは7月に新法を施行した。沿岸の漁民はミリシャ(民兵)の小隊を組織できる、とした。
 EUの見積もりによると、ベトナムの漁船8000隻、および全漁民の1.22%にあたる4万6000人がミリシャ登録したという。

 かたや中共の海上民兵は漁船が2万隻だろうと米国は見積もっている。
 この両国の間にあって比島が漁場保護のために何もしないわけにはいかないはずだ。

 次。
 AFPによる2020-10-24記事「US Coast Guard to tackle China ‘illegal’ fishing in Pacific」。
    米沿岸警備隊が『センティネル』級の警備艇を西太平洋に常駐させて、中共の違法漁船団が出現したらクイックにリスポンスできるようにするという。
 インドネシアのEEZが念頭されている。

 米領サモアにはすでに拠点港がある。

 次。
 Defence Review Asia の記者による2020-10-20記事「AeroVironment Secures $8.4 Million Puma 3 AE Unmanned Aircraft Systems Foreign Military Sales Contract Award for U.S. Ally」。
    国名非公開だが米国企業アエロヴァイロンメント社の手投げ無人偵察機「ピューマ3AE」を訓練等コミで1つの同盟国に対して837万ドルで売り渡すFMS契約が9-25に結ばれたという。

 付属の無指向性アンテナだけで、最大20km離れて操縦できる。さらに、メーカー製の「長距離トラッキングアンテナ」(指向性)を用いれば、デジタル信号によるリモコン距離を60kmまで伸ばせるという。

 次。
 朝雲新聞社の『防衛ハンドブック2019』の639頁に、韓国K1A1戦車の主砲は125mm滑腔砲だと書いてあった。このトシになると視力が悪化し、自他の誤記誤植に対してはずっと寛容になるので、どうせ次号で直るだろうと思い、放置プレイしておった。
 ところが昨日たまたま『防衛ハンドブック2020』の639頁を見たら、堂々とそのままなので一種の感慨を覚えた。ノンブルまでも同じということは、16ページ単位で代々相伝のテンプレになっちゃっているのか? 前任者がOKしたところを、後任者は直せませんよね。



戦争の正しい始め方、終わり方

NHKを解体するだけで日本の携帯電話料金は「タダ」にできる。

 大阪の飛び降り自殺事件の話を聞いて勝手に想像したこと。新コロ不況で、携帯電話料金すら払えなくなる家庭が、これから増えるはず。もし高校生が「今月から携帯もワイファイも使えなくなる」と両親から通告されたならば、家族や社会を恨む者もいるはず。家族と、社会のリッチ層に対してイヤガラセ的に報復して溜飲を下げる手段として、大都会の繁華街のビルから歩行者通路上に身を投げる選択は、目的合理的ではなかろうか?

 NHKの全国の施設を「新簡素型・限定移動通信」の送受局/中継局に転用すれば、今の地上波受信料並の「税金」によって、日本の全住民は、必要最低水準の携帯通信手段を提供されることが可能となる。実感として、庶民のスマホ代の基本料金はタダになるであろう。もちろん職員の給与は省庁公務員レベルに引き下げた上で適正最小人数までリストラされる。バーデンを分け合わないとね。

 次。
 STEPHEN MONTEMAYOR 記者による2020-10-24記事「Company cancels plan to recruit ex-special forces members as armed guards for Minnesota polls」。
      11月3日におこなわれる大統領選挙で、ミネソタ州の投票所の警備には、テネシー州に本拠がある民間傭兵会社「アトラス・イージス」が出動するという話があったのだが、立ち消えになった。
 州の検事局が、契約を解除した。

 ※米国はMDに軍事予算の1%しか充当していない。彼らの核抑止の基本は、圧倒的な報復に置かれているから。もしバイデンが勝つと、GBIの後継ABMの予算は削られるだろうが、早期警戒レーダー網の必要はなくなりはしないので、AN/SPY-7はひきつづいて日本の陸上のどこかにおしつけられようとするだろう。これは洋上型では米国にとって「意義」がない。洋上型のXバンドレーダーを彼らはすでに1基持っているが、その運用が面倒で運用維持費がべらぼうにかかることに、彼らはうんざりしているのだ。



武侠都市宣言!―戦後「腐れ史観」を束にして斬る


日本人が知らない軍事学の常識

新コロの致死力が低下してきたと報告されている。

    David Kindy 記者による2020-10-21記事「Truth Is Stranger Than Fiction With Horten’s All-Wing Aircraft Design」。
  スミソニアン博物館には「ホルテン Ho229 V3」が現存し、わかりやすい切断展示がなされている。バルケンクロイツとともに。
 長年屋外で雨ざらしにされて、ひどい状態になっていたのをここまで修復作業したのだ。素材には積層合板が使われているので、さいしょから屋内で保存するべきであった。

 ホルテンは兄弟で、ライマーは設計技師、ヴァルターは戦闘機乗りだった。
 ヴァルターは、バトルオブブリテンの反省として1942年に、レーダーにひっかからない全翼戦闘機が必要だと結論したのだという伝説がある。
 これは嘘である。

 スミソニアン職員のラッセル・E・リーはホルテンの全翼機についての新著を発表し、その中でいくつかの俗説を正した。
 スミソニアンで本機を修復したチームは、化学的にステルス性があるコーティング剤などは一切、用いられていなかったことをはっきりさせた。
 「ホルテン229」がレーダーに対してステルスであったという伝説は、ライマーが戦後になって語り広めた話にすぎない。

 ホルテン兄弟が意図的に、レーダーにかからない飛行機を作ろうとしたという証拠は、どこにも無い――とスミソニアンの復元チームは結論する。ようするにこの兄弟は単純に好奇心から全翼機を創ってみたかっただけで、それを正当化するもっともらしい理由が後付けされたのに、英米人の方が飛びついた。

 もちろんこのような実機を最初にこしらえてくれた功績は大きい。ウイングスパンは50フィート。それに32度の後退角がついていて、尾翼無し。これが飛ぶのだという事実から戦後世界の設計者たちが得ることのできた知見が無視できるほどに小さいわけがない。

 ホルテン兄弟はこの全翼機でMe262以上のスピードを実現するつもりであった。

 じつはライマーは航空力学の正規の教育コースを履んでいない。だから既存の国内航空研究機関からはまったく無視される存在。研究は一匹狼でするしかなかった。

 ライマーは1920年代後半に、胴体も垂直尾翼もある飛行機モデルをいろいろ実験している。ヴェルサイユ条約が、ドイツ国内での動力機の開発を禁じていたので、ライマーは無動力のグライダーを数々製作した。そしてやがて、全翼にすることで最大揚力と最小抵抗を実現できないかという追究を始めた。

 WWIIが勃発してくれたおかげで、ホルテン兄弟の「ジェット全翼機」の紙上提案にナチス党が注目してくれた。1942にゲーリングはいきなり予算をつけた。50万ライヒスマルクである。

 ライマーの付けた名前は「H.IX」。しかしルフトヴァッフェはあらためて「Ho 229」と命名した。3機のプロトタイプは「V1」「V2」「V3」と呼ばれる。

 機体構造は「鋼管+ベニヤ板」だった。
 無動力の「V1」は1944-2-28に初滑空。

 各部を微修正し、続いて「ユンカース004」ターボジェットを2基搭載した「V2」を試作。この動力機体は1945-2-2から三度、飛行したが、三度目(2-18)に空中で片発から発煙し、停止。コクピット内に煙が満ちた。ハードランディングにより機体は大損傷。テスパイの中尉は死亡した。

 「V3」は造られたが、ついに飛行までできなかった。30ミリ機関砲を2門、載せていた。これがスミソニアンにある。
 パットンの第三軍は、この既製試作機体3つと、半製の試作機体3つを押収した。

 大衆映画の『キャプテンアメリカ』に出てくる「ホルテン18」戦略爆撃機は、もちろん、見つからなかった。

 米空軍が「V3」をスミソニアンに寄贈したのは1952年だ。それまで部内で分析研究していたわけ。スミソニアンでの補修作業は2011年までは着手されなかった。

 戦後、ヴァルターは西独空軍に入りなおしている。1998死去。
 ライマーはアルゼンチンへ移住し、なおも全翼機の開発に執念を燃やしたが、「Ho229」以上の成功は得られず、1994に死去している。

 リーいわく。1950年代のアルゼンチンは、合衆国の航空物資にアクセスすることが許されぬ国情であった。ライマーは移住する先を間違えたのかもしれない。



[新訳]孫子 ポスト冷戦時代を勝ち抜く13篇の古典兵法


隣の大国をどう斬り伏せるか 超訳 クラウゼヴィッツ『戦争論』 PHP文庫

「ロイタリング・ミュニション」の訳語を早く確定する要あり。「上空うろつきミサイル」か「無人自爆機」か?

 ……訳語が確定しないと現場や関係者の意識も高まらないからね。
 1発数百万円の自爆型ドローンが、1両数億円の戦車・APCを破壊できるようになりつつある。最初に開発したのはイスラエルだ。適当な目標がみつからなければ、自動的に戻ってきて着陸するから、ムダにもならない。
 まちがいなくこの調子だと、マスプロ化も進み、1発が数十万円に下がるだろう。そうなったら、これを防ぐのに1発1000万円近いSAMなど発射していられるわけがない(スティンガー級で1発400万円といわれる)。いくら未熟・非力であっても、ソリッドステート式の高射レーザー銃をAFV上に実装して行くしかなくなるだろう。

 自爆ドローンを増強普通科中隊レベルで(従来の対戦車小隊/分隊が)駆使し得るようになり、他方で高度に自動化された軽便な対空レーザー・システムが完成しない場合、もはや装輪APCを戦場で頼ることはできなくなる。いままで築いてきた戦法は、チャラにされてしまうだろう。

 次。
 ストラテジーペイジの2020-10-22記事。
  比島空軍は9月に6機の「A-29 スーパーツカノ」を受領した。2017年末に発注された分である。

 9-28に判明しているところでは、北鮮は2020-1から2020-5の間に、ロシアおよび中共から、50万バレル~160万バレルの石油を密輸した。ほとんどが、瀬取りである。

 中共政府は報道を禁じているが、中共海軍は艦艇の運用隻数に関しては9月時点で「世界最大」になった。
 すなわち中共の現役艦艇は、航空母艦×2隻、SSBN×7隻、SSN×8隻、非核動力の潜水艦×60隻、駆逐艦×50隻、フリゲート×49隻、コルヴェット×71隻、ミサイル艇×109隻、駆潜艇×94隻、砲艇×17隻。
 揚陸系では、LHD(大型ヘリ空母)×2隻、大型揚陸艦LPD×8隻、戦車揚陸艦LST×32隻、LSM×33隻。
 支援系では、掃海艇×36隻、洋上給油艦×19隻、沿岸給油艦×30隻、艦隊補給艦×27隻、兵員輸送艦×6隻、などなど。

 現役艦艇だけでも743隻あり、うち6割が戦闘任務艦である。
 このほか、50隻以上の民間貨物船やフェリーを中共軍は臨機に雇い上げている。

 ※自慢好きの支那人がなぜこの事実を自慢しないのかというと、これが国内に知れ渡ると「だったらさっさと台湾を攻め取れよ。軍は何やってだ」と人民が不審に思うにきまっているからである。これまででも、たとえば10人乗りくらいの低速プロペラ輸送機を2万機ぐらい量産することは、近年の中共にとっては、金額的に造作もなかった。それを支那本土奥地から片道飛行で集中させたら、20万人の空挺作戦が1夜に可能で、複数の空挺堡が簡単に確保できてしまうだろう。また、武装兵20人くらいが乗れる高速ボートを5000隻くらい調達するのも彼らにはわけのない話で、それを使えば1晩で10万人を彼岸へ送り込んだ上、次の晩以降もピストン輸送が継続できる。もちろん、動員された低速漁船団による囮行動が加わるから、台湾の手持ちの対艦ミサイルはすぐに尽きる。簡単にできることをなぜしないのか? 人民に対してこの説明ができないことに、中共指導部は苦しむのである。



日本有事―憲法(マックKEMPOH)を棄て、核武装せよ! (PHP Paperbacks)


なぜ私は核武装論をやめたか (Voice S)

ロシアが再び、原子力エンジンの巡航ミサイル(放射能撒き散らし型)の試射をする模様。

 Natalie Wolchover 記者による2020-10-20「Quantum Tunnels Show How Particles Can Break the Speed of Light」。
     量子には「壁抜け」ができる。トンネリングと呼ぶ。理論によれば、壁があることにより、量子の移動速度は却って増す。ということは、何もない空間を飛んでいく光のスピードを、量子は、なんらかの壁を抜けることによって、超えられるかもしれない。

 ※偉い学者・研究者たちは、皆、最先端の学問・研究で、忙しい。政治的運動を組織しているヒマなど無いのがとうぜんである。その隙に、○○党など反日機関の意を体した、ちっとも偉くない《先生》は、つけこめる。これが日本学術会議等の膿構造なのだろう。(参照) ttps://ferreira.exblog.jp/30246113/ 

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Eileen Guo 記者による2020-10-20記事「The DOJ says Google monopolizes search. Here’s how.」。
    米司法省はグーグルらの独禁法違反を16ヶ月捜査していたが、トランプ選挙が近づいたため、見切りでの早期起訴を迫られたようだ。

 グーグルの検索エンジンは、米国内では8割の人が使用している。この検索画面に相乗りさせる広告からの収益は、1年で数百億ドルにもなっているそうだ。
 ウェブブラウザーの上でグーグルがデフォルトの検索エンジンにされているのがそもそもいけないと司法省は言う。

 世界中でオンライン・サーチに乗せられている広告の料金は総額500億ドル。そのうち400億ドルがグーグルの懐に入っているのだという。
 2010年以降、欧州ではグーグルは3回、訴訟を起こされており、これまでに90億ドルの罰金を支払っている。

 今回の司法省の起訴だが、結審するまでに数年かかるだろう。1970年代にIBMが起こされた訴訟は、結審までに13年がかりだった。また1997年にマイクロソフト社が起訴された一件は、片付くのに5年を要している。どちらのケースでも、企業は、強制分割は免れた。

 次。
 ストラテジーペイジの2020-10-21記事。
   韓国製の装甲兵員輸送車「K152」がナイジェリアで対ボコハラムの鎮定作戦に使われている。最近、売れたのだ。
 その前に5.7トンで「K151韓国製軽戦術車」という4×4があった。その拡張型だという。

 4人乗り。その車体後部の天板を嵩上げし、視察窓と銃撃ポートを設けた。それにより、車内から立姿で車外を銃撃することもできるようにした。

 ナイジェリア軍は100両以上のMRAPを装備している。重さはK151の3倍近い。重いということは、運用コストがそれだけかかる。だがナイジェリアではIEDの脅威がイラクやアフガンほどには深刻ではないと分ってきたので、そこに韓国人が軽装甲機動車を売り込むチャンスがあった。

 ちなみに韓国軍は、1.5トンのジープ型のK131から、HMMWVもどきの国産版を経ることなく、いきなり軽装甲機動車へ世代交代させている。
 K131はHMMWV登場より12年あとの1997年導入なので、これは確信あっての方針だった。

 ※車両の防護力を欲張ると車重は無限に重くなる。それを一定サイズ内に抑えんとするならば、エンジンは内燃機関でなくてはどうにもならない。つまり「電気化された陸軍」というのは、将来もありえないのである。軍隊はぜったいに排出ガスゼロなど約束するはできない。これは何を意味するかというと、小型軽量のガソリンエンジンやディーゼルエンジンの技術に自信やこだわりがある民間用乗用車メーカー社内の有為の技術者は、将来の生計の基盤として、軍用車両市場を考えるしかないということなのだ。ホンダがF1から撤退すると決めたのは遅すぎる。軽量車体で高速を競うモーターレースの世界では、これからの動力源は電池になるに決まっているからだ。だが重量級・高負荷のモーターレースというものがあるのなら――たとえるなら競馬の輓曳やクロスカントリーのヒルクライムのようなもの――そこに研究資源の一部を注入し続けることは、大メーカーにとっては長期的に賢明なはずだ。装甲車のF1を開催するといい。それでみんな理解するよ。

 次。
 おしらせです。
 次回の地政学講和は11月18日水曜日を予定。ひょっとしたら次回から「ズーム」を使うかもしれません。また変更等ありましたら逐次にお知らせをいたします。



ニッポン核武装再論


なぜ私は核武装論をやめたか (Voice S)

MQ-9リーパーの拡大型である「スカイガーディアン」が欧州空域を飛んでもよいという安全技術認証をクリアし、これから輸出が試みられる。

 Metin Gurcan 記者による2020-10-19記事「Turkey approaches point of no return on employing Russian air defense system」。
    10月16日にトルコはS-400を1発、試射した。場所は黒海沿岸、シノプ市の近く。
 19日までにさらに発射する可能性がある。
 S-400は最大400km飛ぶ。

 2019-11にはトルコは自軍のF-16とF-4をアンカラ郊外の基地から飛ばした。トルコはS-400の高射大隊を4個、すでに保有しており、F-16のレーダーへの映り具合がテストされたものと見られる。

 トルコは4個のS-400大隊のうち2個はエーゲ海~東地中海に、1個は黒海に、1個はシリア国境かアルメニア国境に展開するつもりだろう。

 米国の民主党議員は、トルコを制裁しろと議会でせっついているが、トランプは乗り気ではない。
 トルコは、11-3選挙でバイデンが勝ち、対トルコの制裁が強化されると見て、対抗策を構築中なのである。

 トルコは、米国がシリアでクルド人を後援しているのがどうにも気に食わない。
 トルコ国内は不況である。エルドアンの基盤政党は、庶民の有権者をよろこばせるニュースが欲しい。

 同時にトルコはウクライナと安全保障上の協力を深めつつあり。黒海を共有し、どちらもロシアと対峙する。

 次。
Paul McLeary 記者による2020-10-19記事「Navy Plans Hammerhead Mines To Box In Chinese, Russian Subs」。
    先週、米海軍は、「ハマーヘッド」ロボット機雷の最終設計についてのRFP(提案要求)を発した。
 チョークポイント海峡にそれを投入しておけば、数週間にわたって、敵の潜水艦の出入りを自律的に見張り、魚雷攻撃してくれるロボットだ。

 短魚雷である「マーク54」を内包した繋維機雷になるだろう。
 海軍は、FY2021中には30セットのプロトタイプを得たい。さらに2023年には本格試験できるようにしたい。
 ハマーヘッドは、米海軍や同盟国海軍の潜水艦は攻撃しない。敵潜だけ攻撃する。

 次。
Karen Hao 記者による2020-10-20記事「A deepfake bot is being used to “undress” underage girls」。
    2019年6月に「ディープヌード」というAIアプリがあらわれた。これはユーザーが50ドルを払って手持ちの女性の着衣写真を送れば、AIによって精巧に裸体化された写真が戻ってきます、というものだった。
 猛然たる反発が起きたらしく、アプリ公開から24時間にして、ソフトウェアの作者は「ディープヌード」を引っ込めた。

 これが最近、復活しているようだ。「テレグラム」というメッセージアプリの中で、ボットが窓口になって営業している。
 女の着衣写真を送れば、数分後に、裸化された写真が返ってくる。「ウォーターマーク」付きの画像ならば、無料である。「ウォーターマーク」を外した写真が欲しい人は、100ルーブル(およそ1ドル50セント)を支払う――というビジネスモデル。

 2020年7月時点ですでに10万回、このサービスは利用された。
 このアプリが特に問題視されるのは、あきらかに低年齢の未成年に見える少女たちの写真が加工されている場合があること。

 このディープフェイク・ボットは2019-7-11に登場している。
 「テレグラム」の中には加工した裸写真の出来を競うフォーラムがあり、そこで「いいね」をたくさん獲得した者には、優待アクセス権がボットから与えられるという。

 いまのところユーザーの7割は、ロシア語圏の男たちだ。
 加工素材となる女子の写真は、個人撮影の写真が多いものの、インスタグラムから拾われている場合もある。


 この技術は、「ディープフェイク・リベンジ・ポルノ」を可能にするだろう。
 2019年に米国心理学協会は警告している。12人に1人の割合で、女性は、いつかリベンジ・ポルノの被害者になると。
 また豪州政府の調査によると、豪州、英国、ニュージーランドに限れば、リベンジ・ポルノ被害は、女性3人に1人の高率だと。
 このハラスメントのあたらしい特徴。被害者は、そのような写真が出回っていることを知らない場合が多い。
 インフルエンサーやユーチューバーのディープフェイク写真を、そのスポンサー達に送りつけるというイヤガラセも起きている。巨額の損害につながる営業妨害だ。

 裸化アルゴリズムは、さっそく、動画にも適用範囲を広げつつある。ビキニのモデルがランウェイを歩く姿をそのまま裸化したものがある。
 しかし現段階では1フレームごとの加工が必要で、技術はまだ初歩的だと言える。

 フェイスブックやグーグル社は、ディープフェイクを自動的に見破って警報するソフトを開発して普及させるべきである。そういう責任があるはずだ。



文庫 「日本国憲法」廃棄論 (草思社文庫)

旧資料備忘摘録 2020-10-20 Up

▼福地源一郎『幕府衰亡論』東洋文庫 S42
 大15-2に蘇峰が見直した版を底本とし、石塚裕道が解説。

 そもそも『国民之友』新聞に連載してもらおうと、M24に徳富蘇峰が福地桜痴に原稿を頼んだ。福地は、1枚(20字×10行)に1ドル=1円払うなら書く、と請け負った。
 単行本の初版はM25末。

 桜痴はギボンの『ローマ帝国衰亡史』を愛読していた。それの幕府版が書かれることを蘇峰は期待していた。期待は応えられた。

 以下本文。
 思えばペリーの来航から江戸城引渡しまで、15年だった。福地は外交掛の下っ端の幕吏として、その激動を見ていた。

 280年の泰平を保った徳川体制は、封建である。みんなわかってないが、この封建制度は、初代の家康が望んだ制度ではなかった。家康は、中央集権の郡県制にしたかったのだ。が、外様大名が強すぎて、ついにその理想は実現せず、封建制で妥協するしかなくなった。

 家康の長期構想としては、諸大名の力を徐々に弱めて、中央集権の郡県制を確立するつもりだったのだろう。しかしその大方針は徳川四代目にして早くも放棄された。

 六代家宣より以降は、譜代もほとんど他人と化した。自藩を犠牲にして幕府を守ろうなんて気持ちはぜんぜんなくなり、その心底、外様大名家とちっとも変わりがなくなった。これは封建制度が必ず辿るコースなのだ。譜代家が家康の直系の息子だったとしても同じ。封土を与えて独立の大名としてやった瞬間から、すでに対等の敵、潜在的なライバルとなってしまうのである。だから家康は、こんな制度は早く停止しようと苦心したのだが……。

 大名や旗本が朝廷から官位を叙任される制度は、家康としては、なんとかしたかっただろうが、鎌倉幕府からの慣例なので、どうにもできなかった。
 この点で見識のなかったやつが、新井白石。6代目の家宣に対して、武家の礼服を京都風にあらためましょうと建言したようなうつけ者だ。

 荻生徂徠はまともなことを考えた。8代目の吉宗に対してだが、幕府は独自の官位や礼服を制定して、もう京都に官位を乞うのは止めるべしという卓見を提案している。

 武士は「従五位下」より上の官位に叙せられるときに、朝廷から位記・口宣を賜る。どんな武士もそのときに気づく。日本国の主人は天皇なのだと。

 近松や竹田出雲の浄瑠璃本も、庶民に対し、日本の真の主人は誰なのかを自然に刷り込んだ。その影響力は馬鹿にできないのである。

 大名の家老が君主を諫言するとき、将軍家から何か言われたらどうするんですかと言った。幕府内部では、将軍を諌めるのに、《京への聞こえは如何》などと脅かした。将軍はこのようにして、天皇の名前で脅かされて育ったのである。「朝敵」認定されたら幕府権力もおしまいだと、じつはよく判っていた。

 福地は、儒学のことを「文学」と呼ぶ。
 シナ春秋五覇のなかで最も勢力が強かったのは斉の桓公と晋の文公。あわせて「斉桓晋文」。

 家光が貿易を禁じた理由のひとつは、物品を輸入するばかりで日本からは金銀が出て行くのみだったから。

 「豆州下田は東海の形勝たるを以て……」(p.19)。※太平洋を日本の立場からは「東海」と言う。

 嘉永6年6月3日にペリーがやってきた。13日、京都所司代の脇坂が転奏へ申達し、天皇の耳に入れる。15日、伊勢の神職どもへ朝廷からの御教書が。その中に「すみやかに夷類を退攘し、国体に拘わらしむるなかれ」とあり、これぞ「攘夷」という語の出始めであった。

 しかしどうしてわざわざ所司代が朝廷へ奏聞する必要があったのだろうか。これがそもそもの間違いではないか。福地が聞くところでは、12代目の家慶[いえよし]に尊王が刷り込まれていて、言いだしっぺであると。それに水戸の前中納言・斉昭が同意したんだと。

 斉昭が人物であることは家慶が知っていた。こういうクライシスの折には斉昭ぐらいしか相談できる大名がいないすと。それで、譴責隠居の身であった斉昭を再び登城させることにした。阿部正弘もこれには消極的に同意した。
 よくなかったのは、この斉昭を再度、窓際に退けてしまったこと。それによって、幕府は憎みを買った。
 人を任罷するにさいしては、微官・小吏といえども、軽々しく任じて軽々しく罷めさせるようなことをしたら、ボスの信用は全くなくなって、本人には大きな不満が溜まる。かえって、初めから任命などしないほうがよほどよかったということになるのである。

 徳川時代に儒学の世界では、将軍家を「大樹」「幕府」などと呼んだ。この呼称は、日本の権力を相対化させる呼び名なので、まことによくなかった。暗に、日本の正統な権威ではないとする響きがあった。

 黒船危機以前、文学者で真に高等政治に参画できたのは、白石と徂徠の2人のみである。250年で。

 嘉永・安政のころでも、荻野流の百目玉だとか、青銅製の石火矢〔臼砲のこと〕で、外国軍艦に敵し得るとは、誰も思ってなかった。

 幕府は、米艦隊には勝てないから、開戦は回避するしかないと内々に結論したのに、それを上で決めて布告すると世論が反発するだろうと心配し、まず諸大名や諸役人から書面で避戦論の意見を提出させようとした。幕府はほんとうは主戦論なのだが、みんながそういう意見ならしかたないので、戦争はやめる、という格好にしたかった。この卑怯が、世間からは、完全に見透かされた。そして、逆に、下から過激な主戦論を建言することで、武勇の美名を世間に博するチャンスだととらえられた。

 越前からの上申。上様はとうぶんのうち、甲府へ移るべきだ。
 肥前からの上申。夷狄がすきをうかがう=「御国体に関係」いたすので、断然、打ち払えと命令しなければならない。

 幕閣では、堀織部正が、さっさと御見切り→御手切 を決心しないと人心が撓むから手遅れになるぞと。

 水戸老公の考えは、米国が攻撃するというなら戦うべしとまずこちら一同の決心を定め、しかるのちに談判にかからなければいけない。われに戦うの決心あって和するは、和である。その決心なくして和するはすなわち、降である。

 福地いわく。われにも彼にも戦争と思わせておき、手短にすばやく談判をまとめるといった芸当は、将軍が真に英主で、閣老に外国談判の才能がないと無理。阿部は外国語はまったく理解できず、外国使節と直接談判ができなかった。だから、水戸式は言うべくして無理。

 幕府はペリーに返事は来春しますと答えた。ペリーは、それでは来年再訪しようと言い残して去った。幕府は、どうせ翌年すぐには来るまいと期待していたが、あにはからんや、正月早々、約束の如くペリー艦隊は浦賀に出現したので幕府はふたたび周章狼狽。

 ここにおいて日米和親条約が調印される。これは正式の条約なのであるから、国内に対してもその内容を広く公知させるのは当然だった。ところが幕府は、その条約締結の事実そのものを国内に対して隠蔽しようとした。あたかも米国には臨時的な許可を与えただけ、と粧おわんとした。
 徳川幕府も、慶長から嘉永に至るまで、これほど子供じみた対内詐術をたくらんだことはなかった。とうぜん事実はすぐ知れ渡る。人々は、幕府の内兜を見透かした。こいつらもうどうしようもなくなってるぞと。

 幕府は、親藩では徳川斉昭、外様では島津斉彬に、破格を以て国策を相談するしかなかった。この2人だけが、とりあえず話ができそうな大名だった。当時の大名は能力主義ではなかったので、「名君」など、まず、いない。日本じゅう探しても、そんなものだった。

 従来、江戸10里内では、誰であれ、発砲は禁じられていた。阿部は、この禁制を撤廃した。諸藩は、江戸の藩邸に鉄砲を大量に持ち込んで、調練をしなさいと、幕府から促した。輸送のための大型船舶も自由に建造せよと。
 幕府みずからは、大森に大砲の「町打ち」(ロングレンジライブファイア)ができる演習場を開いた。
 品川には、砲台を建築し始めた。

 阿部と島津斉彬の交際が親密であったことが、末期の幕府のためには幸いであった。薩摩はみずから建造した軍艦を幕府へ献上してくれた。不運にも、この阿部と斉彬はどちらも若死にする。それで、誰も水戸を制御できなくなって、幕府の滅亡は加速されるのである。

 将軍家定が世子だったとき、京都の公家の娘2人と婚姻していたが、あいついで薨去。そこで安政3年、薩摩から篤姫を娶ることとなった。もちろんこれも阿部のはからい。
 篤姫は斉彬の実の子ではない。末家の血筋を臨時の養女に仕立てたものである。そういうこともよくあった。33歳の家定は一種の精神病患者で、通常の夫婦生活も成り立たぬ相手であることは、全員さいしょから承知であった。

 人々が構想していたのは、この家定将軍をさっさと隠居させ、英明な養子をとらせて、その人に国政の指揮をとってもらわねば、今の国難は乗り切れるもんじゃないということだった。その候補が一橋慶喜であることも、だれもが考えたことであった。

 安政4年、ハリスとの新条約交渉のさなかに阿部が39歳で過労死。
 阿部より能力の低い老中の堀田が、ハリスとの衝にあたる。
 ハリスは堀田邸で6時間にわたり、阿片戦争について解説してやり、早く米国と条約を結んで開国しないと、強欲な英国から武力侵略されるぞと脅かした。

 堀田以下、その場に居並んだ永井玄蕃などのテクノクラートも、茫然として迷夢の醒める心地がした。
 ハリスは日本のために新条約で2割の輸入税を定めてくれた。酒や煙草は3割5分である。これが先例となって、英国その他もこのレートを呑むしかなくなったわけ。

 安政元年12月23日、朝廷からの太政官符。五畿内七道の梵鐘をもって、大砲、小銃を鋳造せよと。
 こんな命令が京都から出されることを追認したことで、幕府は日本の政府ではないと内外に宣言したようなものだった。

 藤田東湖が生きていたころは水戸老公も無謀な攘夷家ではなかった。

 なぜ慶喜ではなく、13歳の紀州慶福[よしとみ]=家茂が14代目に指名されたか。
 まず、家定本人が、優秀すぎる慶喜が養子になることを嫌った。暗愚の将軍だったが、それでも、じぶんのもっている巨大権力を奪われることが面白くないと思った。
 次に、大奥が反対した。これは、家定のとりまき全員 とイコールである。家定が隠居すれば、とりまきも権力を殺がれる。権力のうまい汁を吸えなくなる。ゆえに、有能すぎる養子を歓迎するわけはないのである。
 この結果、また幕府の滅亡は避けがたくなった。とりかえしのつかない数年間の迷走が続いたからである。

 大奥=紀州派が頼りにできた幕府の大物は、累代、京都守護の、井伊家の直弼、ひとりだけだった。井伊は、大老になるための条件を、あらかじめ、呑ませる。すなわち、大老になるからには自分が政治を独裁する。養君を誰にするかは自分が決める。内外の政策もすべて自分が決めると。

 「およそ人そのすでに得たる所を失うを欲せざるは、普通の性情なり」(p.82)。

 内訌と外患が同時に来ては往生するから、井伊といえども、いったん結んだ条約を反故にはし得なかった。開国条約に調印することにし、それを「宿次奉書」(今の書留郵便)で朝廷に報告した。
 使者による報告ではなかったことが、倒幕派には攻撃材料を与えた。

 幕府は、諸国大名が公卿と通ずることを禁じていたが、幕末にはそれがルーズになっていた。この公卿との連絡工作のことを「手入れ」と称した。

 老中が堀田だったときは京都にはしっかりと金銭を与えていたのに、老中が間部になるや、つけとどけを絞った。
 井伊が駒込に蟄居させていた水戸老公に、攘夷の密勅が下された。
 井伊がこれを糾弾する過程で網にかかり、死刑に処されたのが、橋本左内や吉田松陰。また、慶喜派だった幕吏の永井玄蕃、川路左衛門尉らは、隠居永蟄居に。

 永井はハリスから指名されて万延元年の幕府最初の対外使節に加わるはずだったのが、井伊のために外されている。軽輩だった勝林太郎や小栗上野介は問題なく加わった。

 安政6年に英国は新潟港を調査して、貿易港としては不適当であると結論し、代りに七尾か酒田はどうだという話があった。
 安政6年に「豆小判」が鋳造された。金銀レートを合理化するために。
 貿易は、兵器輸入を除けば、赤字ではなかった。金銀を使って外国製兵器を買ったので、国内の物価が上がった。

 桜田門外で首を切断された井伊はいったん帰邸してしばらく存命であった風を幕府は演出させようとした。そうすることで人心を落ち着かせようと考えたのだが、あまりにも庶民を馬鹿扱いした猿知恵と思われ、朝野上下、却って幕府をののしった。

 このケースのような不覚悟の横死を当主が遂げた場合、大名・旗本をとわず、禄は没収され、家名は断絶するのが幕府の憲法であった。しかるに井伊家は救済された。

 井伊が死んだので、幕府の実権は久世と安藤の2人の老中の手に帰した。
 水戸老公は8月に病死。これで慶喜の謹慎も免ぜられた。

 世の中の風潮は、一挙に、《攘夷を唱えない者は非国民》という有様になった。井伊の国許の彦根では、一藩連署して攘夷の先鋒たることを願い出たほど。
 攘夷論の震源地は、俄然、水戸から京都へ移った。

 長州藩では、はじめ、長井雅楽が京都公卿のあいだに公武合体を説いて成功しかかったが、藩論をまとめられず、自裁させられる。

 その後、過激倒幕論は長州がスポンサーとなり、京都の有栖川宮、三条を抱き込んだ。
 佐幕路線派は薩摩がスポンサーとなり、中川宮、岩倉がその仲間に。

 文久2年に大原勅使が江戸にやってきたとき、すぐに、将軍辞表&大政返上をしていたなら、幕府主導の立憲議会政治にうまく移行できたかもしれない。英邁な慶喜が将軍だったらそれができただろう。しかし子ども将軍(文久3年時点で17才)の家茂と権力亡者のそのとりまきたちでは、いかんともしようがなかった。

 小笠原長行は執政になった。大名火消しは解散。参勤交代を廃し、大名妻子は国許に帰させた。

 小栗忠順はかつてこう言った。「どう(に)かなろう」という言葉は、その一言で、国を亡ぼすようだと。

 今日(明治24年)、民党の連中は、政治意見を同じくしない者を、「吏党」「民敵党」と罵る。文久年間には、攘夷過激主義に賛同しない者は、ことごく「奸物」「国賊」とレッテル貼りされて、いつ暗殺されてもおかしくなかった。

 島津氏は生麦事件の余波の戦争が迫っているので京都でぐずぐずしていられなかった。結果、京都は完全に長州過激派に牛耳られた。

 文久3年に幕府が京都治安のために使える装置は、守護職代の会津兵だけ。
 この時点ではすでに江戸と大阪の間は外国汽船を雇えば高速移動可能だった。

 文久3年11月に江戸城の本丸と二の丸が火事で丸焼けになったことは人々を驚かせた。その前に西丸も焼けていたので。

 元治元年の朝廷と将軍のやりとり。これが、まったく政権が朝廷にあるような内容になった。この奉答書をまとめた幕閣は、維新後の靖國神社に祀られる資格がある。まさに倒幕の功労者だからだ。

 内治についても外交についても果断なく、「否」の一語を大声に言えない怯懦が、幕府をますます弱体化させた。

 水戸の藩主は定府。つまり常に江戸に居住と決まっている。いきおい、江戸邸と国許とで、議論が二つに分かれてしまう。これが天狗党暴走の背景。

 文久2年に幕府使節が渡欧し、兵庫と新潟の開港の約限を5年先送りしてくれと頼んだ代償として、ハリスがとりつけてくれた輸入税はチャラ同然の「5分」に引き下げられ、馬関の無料通航が認められていた。
 ※これは長州藩の財源に打撃を与えるという遠謀もあったのだろう。

 元治元年の在京の幕府機関は、外交の事情に暗かった。また江戸では、西日本の力のバランスが激変していることが、まるで伝わっていなかった。

 幕府は、日本の政府であるならば、四国連合艦隊の横浜出撃を止めるべきだったのに、ひそかに、長州をやっつけてくれと声援する気持ちでそれを送り出した。もう、おわっていた。

 第一次長州征伐のとき、長州藩は3家老を切腹させてその首を差し出した。今日からみると幕府を恐れすぎていたように見えるが、馬関で外国軍に大敗し、朝廷からは朝敵認定されて、さんざんな時だった。

 第二次長州征伐のときは、動員された幕府側部隊の誰も、実戦になると思ってなかった。第一次のときは、実戦する気であった。この差は大きい。

 江戸の幕府幹部は西国の強さを知らずに、楽勝だと思っていた。

 四境戦争で長州は逆寄せして占領地を増やした。関門海峡の対岸まで広く支配した結果、幕府の船は関門海峡を通航できなくなってしまい、大困り。

 慶応2年、家茂は21歳で病死。

 徳川将軍の血筋は、4代までは父子で続いたが、家綱に実子がなく、弟の綱吉に筋が移った。その綱吉にも実子がなく、6代は家宣[いえのぶ]に筋が移った。その子の7代・家継は8歳で没。8代は紀州家に筋が移った。10代の家治がまた子がなく、筋は一橋家の家斉に移った(11代)。13代の家定にやはり子がなく、家茂に血が移り(14代)、最後の15代は一橋慶喜。

 家茂の没から半年たたない慶応2年12月、こんどは孝明天皇の崩御。※天然痘。

 元治元年末から慶応元年にかけて、幕府の主導権は親仏派が握った。パリには幕府の事務所が常設された。
 幕末に幕府が頼りにできる諸藩は東北にばかりあり。いずれも小藩。

 幕府は情報収集ができておらず、薩長同盟にぜんぜん気づかなかった。
 大政返上ができたのは、まったく土佐の山内容堂のおかげ。

 討幕の密勅は、福地も、維新後数年後に初めて写しを目にし、愕然とした。当時は、誰も知らなかった。
 これは、二条城の慶喜が大政返上する動きをスパイによって察知して、その先手を取って大急ぎで製作されたものだろう。
 列藩議会の牛耳を幕府に取らせないために。
 ※注にいわく。この密勅には天皇の親筆部分がなく、中山・正親町三条・中御門の公卿の花王もない。贋物だろう。密勅は岩倉が起草させ、大久保に手渡した。

 密勅の存在が世間に広まり出したのに続いて、薩摩藩邸砲撃。市中強盗の聖域になっていたので。これで大坂方面でも、決戦のときが来たと両陣営が認識した。

 将軍は大坂にいてもしょうがないから開戦の前にさっさと江戸へ戻っているべきだった。
 幕府軍は、全部隊一丸となって山崎街道を京都へ進軍すれば、勝てたかもしれないのに、そうしなかった。わざと兵力を分散し、細道を進み、側面を敵にさらした。

 聞くところでは、幕府に対してスパイ工作があり、現地部隊では、京都で必ず内応者が出るという話を信じていたらしい。だから、会戦は予期せずに気楽に前進していたのだ。

 8代吉宗将軍は、日本の西洋学をスタートさせた偉人である。
 寛政の改革の背景には、11代家斉将軍がいた。若いときから豪邁だった。

 繰り言になるが、慶喜が将軍になったときに、ただちに大名を議員とする「国会」を開設してしまうべきだったのである。もちろん大政返上と同時にだ。そしてみずから復古の基礎を樹立しますよと宣言すればよかったのだ。

 以下、巻末解説。
 福地は天保12年に長崎に生れた。医師の末子だった。
 オランダ語を学び、18歳で長崎造船所にも勤務。
 ついで江戸で英語を学ぶ。
 文久元年、外国奉行の随員として、渡欧。

 フランスで万国公法の研究もした。そうした知識をひけらかして威張るので、共和主義者だと讒言されたことも。
 江戸開城のときは、主戦論を主張した。

 渋沢栄一の推挙で伊藤博文に接近。
 福地は四度も洋行した。グラント大統領にも会った。裁判制度も研究した。

 大久保とは馬が合わなかった。
 西南戦争中は新聞主筆として山縣有朋の側にいて活躍。14年までが得意の絶頂。
 軍人勅諭の文章にも、福地は関与している。

 外国奉行を勤め、慶応年間に遣仏使節の一員になっている栗本鋤雲は維新後、『郵便報知新聞』に招かれた。
 M15に泡沫団体の「立憲帝政党」を立ち上げた頃から福地は調子がおかしくなる。民心から乖離してしまう。
 幕府側から書かれた資料として、山川浩の『京都守護職始末』もある。
 『徳川慶喜公伝』は渋沢がさいしょ福地に執筆依頼した。だがその準備中に福地は病没した。
 福地の自叙伝は『懐往事談』。


アパッチの部品の規格検査に不正があったと発覚し、米軍はメーカーからの調達をまたしても一時停止中か。

 Eli Kravinsky 記者による2020-10-19記事「Below Threshold Options for China against the U.S.」。
   国務省のカネで中共に語学留学してきたハーバードの院生が7月に書いたリポートのさわり。

 中共の大方針は、対米本格開戦に至らぬレベルの諸作戦によって歩一歩と南シナ海を征服することにある。
 それには新たなオプションもあり得る。

 艦船を米海軍の軍艦にわざとぶつけてくるオプション。FONOPをやめさせるためのイヤガラセだ。
 場所はシナ沿岸が選ばれる。この海域では米側が応援を呼ぶのに半日以上かかる。だからシナ側は物証を米側に押収される心配がない。

 逆にシナ側は救助救難に名をかりて米国人を本土に拉致し人質にすることもできる。

 米国内で暴動を扇動するオプション。国内で騒乱があれば、元首は外交に集中できなくなる。それは中共のメリットである。

 台湾を海上封鎖するオプションは、海上保険料が爆上がりするので、自傷行為だろう。

 ※ユーラシア大陸内の覇権勢力が支配地を拡張して行く手口は常に、隣接した敵陣営の内部に「内通者」「寝返り」「奔敵者」「裏切り者」を獲得することによっている。ところが地理的な条件のため、西欧や島嶼に対しては、この手口が効きにくいのである――という機序については拙著『地政学は殺傷力のある武器である』で論述したところだ。

 ※明日21日の弁天町の「フォトスペース 一期一画」には駐車場がないのですが、路面電車道のすぐ向かい側に「弁天町会館」というところがありまして、その会館が面している道路(姿見坂の一部)は、夜間ほとんど人通りがなく、しかも、駐禁の道標がないところがありますので、20時までなら停められるんじゃないでしょうか。



「地政学」は殺傷力のある武器である。〈新装版〉 ニュー・クラシック・ライブラリー


日本史の謎は地政学で解ける (祥伝社黄金文庫)

番組そのものが「クラシック」として何年も残る名誉

 英語版のウィキペディアで「Edd China」さんについて読んでみた。
 1971年うまれの彼は「ロンドン南岸大学」でエンジニアリング製品デザインを専攻した。

 在学時代に「カジュアル・ロファ」という、自走するソファーを設計製作し、これがヒットして、ベリーズの投資銀行に資産を築くまでになった。

 卒後はテレビ業界に入る。初仕事は1994年の「ファーザー・テッド」というコメディ番組のために特殊効果ガジェットをいろいろ提供する技師であった。

 1998年に「トップ・ギア」に出演し、「カジュアル・ロファ」を運転してみせた。
 同年中に3回、エドは「チャンネル4」の「ビッグ・ブレクファスト」に出演した。それぞれ、「カジュアル・ロファ」「ボグ・スタンダード」「ストリート・スリーパー」という彼の作品を運転してみせた。

 また「スクラップヒープ・チャレンジ」(米国では「ジャンクヤード・ウォーズ」という番組名)にも2回、ゲスト出演。

 1999年、チャイナはBBCの「パニック・メカニック」の専属デザイナーに迎えられた。
 さらに「トップ・ギアー」の企画「しわい予算内でボンドカーを作れ」では、200ポンドで調達された中古の「ローヴァー800」に、費用100ポンドで、射出座席を組み付けてみせた。

 2005年、チャイナはBBCの、子供向け料理番組にゲスト出演(彼自身には子供はいない)。また同年、マイク・ブルワーと共演で「オート・トレーダー」という、短命におわるテレビシリーズのホストを勤めた。このシリーズは「ディスカヴァリー・チャネル」で放映された。

 2005年からディスカバリーチャネルが放映したミニシリーズの「クラシック・カー・クラブ」等にも彼は出演している。これは英国車だけが対象。

 2003年、チャイナはディスカヴァリーによって、マイク・ブルワーとともに雇用される。
 これが「ウィーラー・ディーラーズ」(日本のCSでは「名車再生! クラシックカー・ディーラーズ」という番組タイトル)の始まりであった。

 このコンビは13シーズン続いた。2003年から2017年。

 チャイナの脱退宣言は2017-3-21のユーチューブ・チャネル上であった。

 別サイトによると、このときのメッセージはこんな感じ。

 「ウィーラーディーラーズ」は世界の約220地域で放映されている。おそらく自動車番組としては世界最多の視聴者がいるだろう。
 この番組をスタートさせたのは、英国の小さなニッチ・チャンネルだった。当初の番組スタッフは、「アタボーイTV」という番組制作会社の幹部2名と、1人の番組制作指揮者、1人のカメラ、1人の音響、そしてディーラー役のマイク・ブルワーとメカニック役の私(エドワード・チャイナ)だけ。つまりぜんぶで7人でやっていた。

 番組が人気を得るにつれて、最終的にスタッフの数は45人以上に膨らんでいる。取り扱った自動車は135台だ。
 ※ここが重要。そこまで一人で分っているわけがないだろうというディープでワイドなノウハウが披瀝されるようになって行く。だが編集のテンポがよいので、それでも気持ちが好いのだが……。

 シーズン12以降は米国の「ヴェロシティ・チャンネル」が放映権を握り、撮影本拠地はカリフォルニア州の「ディスカヴァリー・ステュディオ」に移った。

 ヴェロシティの経営陣は、この番組で、いちばん手間時間=すなわち人件費が発生する部分、すなわち、ワークショップ内でエドが次々と修繕を加えて行く説明シーンを、削減しようと望んだ。私は、その方向で行くのなら、私(エド)抜きでやってもらえれば満足なので、チームから抜けることにした。

 思えば2002年から私は「ウィーラーディーラーズ」にフルに関与してきた。こんなことができるだろうかというチャレンジと達成の連続。ローラーコースターの気分だった。

 というわけでシーズン13をもって、私は消える。
 しかし「ウィーラーディーラーズ」の制作は続行される。マイクと組む新顔のメカニックは、アント・アンステッド君になるようだ。応援してやって欲しい。

 私はすでに別な番組で驥足をのばしている。ユーチューブでもいろいろ始めるよ。

 ――以上が、2017-3-21メッセージの抜粋。

 ブルワーは、いやワークショップシーンを1秒たりとも縮めることなどないという打ち消し発言を発信したが、ブルワーのところへは番組ファンからの脅迫メールが殺到したそうである。

 検証したファンがいる。「Was Edd China right? Have Wheeler Dealers reduced workshop time?」という記事が公開されているので抜粋しよう。

 シーズン14の番組制作方針について、マイクとエドの、どっちが正確な発言をしたのか?
 調べるため、まず、シーズン13までの、修理工場でエドが修理する様子を説明するシーンだけをストップウォッチで計測してみた。エピソード選択はランダムにした。

 シーズン4のエピソード7では、17分4秒。シーズン7のエピソード2では、19分51秒。シーズン8のエピソード5では19分40秒。シーズン13のエピソード13では、25分32秒だった。

 とうぜんこれしきのサンプルではラフな大づかみしかできないが、平均してエドの作業には番組のなかで19分から20分をあてていたのだとイメージできる(ただの会話シーンはカウントしていない)。

 次に、メカニックがアント・アンステッドに変わった「シーズン14」から4回分のエピソード(ランダム抽出)について、同様に、修理シーンの尺を計測してみる。
 エピソード1では、17分58秒、エピソード3では11分17秒、エピソード6では13分55秒、エピソード8では18分53秒、であった。

 2つのエピソードは、メカニックの解説に18分から19分を割り当てているが、あとの2つはガックリと減っている。
 平均して、「シーズン14」以降は、番組中のメカニック解説は5分くらい短縮されたと見ていい。
 エドが語った通りになっているじゃないか――。

 2018-5-1にユーチューブチャネルにて「エド・チャイナのガレージ・リヴァイヴァル」という新シリーズのパイロット回が公開された。これは、続いていないようである。

 しかし「ウィーラー・ディーラーズ」を視たファンからの質問にユーチューブで答える彼の活動は続いている。

 ※完結したがために、奇跡の面白番組となった。つまりエドさんは良い潮時に身を退いたのだ。象徴的だったのが、電動モーター化したマセラッティ。いずれはガソリン・エンジンそのものへの風当たりも強くなるだろうと予見させた。あと、たった14年間のことなのに、再放送で見比べると、エド氏がどんどん老けて行くのが、哀しいんだよね。若々しいが頼れるメカニック、という外見とキャラのギャップがセクシーだったのに……。そんなことが気になる年齢になってしまいました……。



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エンドレス禍

 CAITLIN M. KENNEY 記者による2020-10-16記事「USS Theodore Roosevelt faces coronavirus again after two sailors become sick」。
    空母『セオドアローズヴェルト』艦内にまたしても新規の新コロ発症者が2名、出た。
 カリフォルニア州沖を航行しているさなかに、2名が自主申告してきた。そして過去3日間、テスト陽性であった。この報道はNYTが10-16にさきがけた。

 すでに2名は艦外へ移送され、隔離されている。また、2名との濃厚接触者たちは、艦内隔離されている。

 『TR』は母港のサンディエゴに7-9に戻ってきていた。
 同艦は3-27にグァムに碇泊してから2ヵ月弱、計1273人の新コロ罹患者を数えたのだが、死者1名を出しただけで、その後、立ち直っていた。

 そして10-15に新任務のためにサンディエゴから出航したところで、この騒ぎとなった。

 次。
  Matthew Cox 記者による2020-10-15記事「The Army Is Paying $87 Million for An Upgraded Carl Gustaf」。
    米陸軍は、カールグスタフ「M3E1」の調達について、メーカーのサーブ社と8700万ドルの新契約。数量は非公開。納品は2021年から7年がかりだという。

 米陸軍の第75レンジャー連隊は1990年代前半に「M3」を採用。
 アフガン戦線では軽歩兵部隊が2011年から「M3」を使い始めた。「AT4」ではダメだというので。

 米陸軍は2017年に最新型の「M3E1」を、歩兵小隊の標準重火器として大々的に採用すると決めた。
 それは「M3」より28%も軽量な14.8ポンド。ちなみに使い捨ての対戦車ロケット弾AT4は15ポンド。歩兵が肩撃ちできる本格対戦車ミサイルの「ジャヴェリン」だと50ポンド。

 「M3E1」は弾薬の信管を発射前に射手が微調節できる。フォアグリップにコントローラーがついているのである。無誘導だが、たとえば遮蔽物の向こう側の敵に対して最適の爆発モードを選択できる。



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