interview with──2010年を振り返る

(2010年に旧兵頭二十八ファンサイト『資料庫』で公開されたものです)

兵=兵頭先生
管=管理人

 

管:今年もいろいろございましたね。

兵:2009年はJSSEOでキリキリ舞いでしたが、2010年の前半にその整理をつけまして、それでとうとう50歳ですからね。まあ、こやつは日本のためにできることはいちおうすべて試みたのだ、という後世へのアリバイくらいにはなってくれますでしょう。わたしは川崎市に住んでいた院生時代に銭湯で、見知らぬ謎のじいさんから声をかけられ、「あんたは50歳になる前にすごい偉いことをするよ」と予言されたのを、これまでずっと心の支えにしてきたんですが、予言は当たらなかった(w)。この予言なくば、わたしはJSEEOもやっていなかったでしょう。ワハハですわ。

管:『大日本国防史』は年内に出ませんでしたね。

兵:5月に本文を脱稿しましたが、その時点でなんと、小生が2007年11月に渡したはずの劇画のシナリオの一部が小松さんに渡っていないことが分かりましてね。けっきょく、戦国時代とハルノートの謎に迫る2篇のシナリオが作画されないことになりました。もう共著はかんべんして欲しいという気持ちです。短いものでもシナリオ1篇書くのにどのくらいの「諸資源」が投じられているものか……。これが最後っす。宣言します。もちろん、この企画をいただきましたことにつきましてはたいへん感謝しております。

管:サワリの部分でもご紹介願えませんか。

兵:最後の方にサラッと書いてありますが、明治天皇は名君じゃないですよ。ロクなことしてません。明治維新は偉大でしたが、明治天皇はただの反動君主です。周囲が偉かったのです。ここがご老人揃いのバカ右翼どもにはなかなか分からぬところだ。それで「教育勅語」なんかを有り難がっているのですよ。教育勅語が明治維新の精神とまったく相容れないことも理解できないような反近代的な団体とはわたしは距離をおきますよ。あ、これ、「新風」のことです。念のため。イニシアチブを発揮して偉かったのはなんといっても昭和天皇ですが、それは「古代南洋天皇制」の理想とは違います。

管:詳しいことは1月のご新著を楽しみにしたいと思います。劇画はむずかしいものなのですね。

兵:この歳になり、ようやく、江藤淳がどうしてマンガ・劇画を拒絶し続けたかが、わかるような気もしてきました。読み手によって、想像力や解釈力には、個人差がありすぎるのです。書き手と読み手の間にある、とてつもない「壁」を、いちばんうまく埋めてくれる――といいますか、橋渡ししてくれますのが、テキストなのです。たとえば読み手が1日の勉強でちょっとだけ利口になれば、同一のテキストから再生できる情報のレベルが、てきめんに上がるのですよ。イデアを伝える信号として、自然言語のテキストが、じつは人が望みうる最上のものだったのです。これ以上のものなど、ありはしなかったのです。たから文体は人格をも越える。感心させられる文章を書く人が、会ってみるとくだらない人物であることがあります。その逆もありますが……。それは不思議なことではないのです。それほど、テキストという道具が凄いのです。

管:尖閣事件を契機に『2011年日中開戦』はバカ売れしませんでしたか?

兵:してないですね。どうも時代から2歩以上先を行ってしまうと、商売的にはダメですね。

管:NHKの『坂の上の雲』はいかがですか。

兵:わたしは最初から1本も視聴していません。日本のドラマはもうNHKだろうと学芸会レベルでしょ。しかし女房はよく視てるようです。わたしは早寝をするため、居間を通りすがりにそれを覗くことがあるんですが、『ひでぇもんだ…』と確認するのみです。NHKは司馬の墓前に詫びるべきだね。遺言に背いてあんなもの作ってるんだから。

管:日露戦争にはもう謎は残っていないでしょうか。

兵:「伊集院信管」が最後の謎だと思いますよ。まあ、史料はどこにもないでしょうけどね。弾底信管でありながら、空中線のワイヤーにかすっただけでも起爆したといわれるのは本当だろうか? たぶんそれは大口径の戦艦の砲弾ではなくて、慣性質量の小さい副砲弾だったろうと想像しますが……。大口径の砲弾でそこまで瞬発だったとしますと、普通の「水柱」が立たぬだろうと思うのです。

管:2011年はどんな年になるでしょうか。

兵:一寸先は闇ですね。それに尽きます。しかし、暖冬になるんじゃないかという予感だけは、救いですかね。日本一国だけ暖冬っていう……。

管:ラジオのポッドキャストが足踏み状態のようですが……。

兵:JSEEOが終わってしまったのと、同時に体力が尽きてしまったので、もうダメです。すいません。宝籤で2億円くらい当たれば、時間と気分の余裕も出るのかもしれませんが……。

管:「ネット乞食」作戦の調子はいかがでしょうか。

兵:それをわたしが言うとポッドキャストの管理人さんが怒るんですよね。だから不本意ながら自粛を余儀なくされてしまいましたよ。あ、いつもいろいろモノをくださっている方々、この場を借りまして、篤く御礼を申し上げます。貰っていちばん感心致しましたのが、「フリーズドライのアマノフーズ」の即席かゆでした。広島県の天野実業(株)製。これがもし戦時中にあったなら日本兵百万人が救われただろうなと考えつつ、かみしめた次第です。マグカップにお湯を入れるだけで、いろいろなお粥ができてしまう……。まあこの地球には、イスラエルみたいに国家ぐるみの乞食まであるわけですから。NGOなんて早い話、みんな乞食じゃないですか。それを恥じるのはおかしい。世の中はすべて分業です。仏教僧にとっては乞食こそ修行でしょ。それはなぜかを考えてみてください。ケチなプライドを捨ててみろってことですよ。とるにも足らん世間の悪口に一喜一憂するのは餓鬼ですよ。

管:この頃は、夜に走ってトレーニングとかは……?

兵:ぜんぜんしてません。ひきこもり状態に近いですな。しかし老人らしく朝の3時台には目が醒めますので、夜明け前に散歩をしてますよ。これは、毎朝コースを決めたらダメです。カントのようにボケてしまうでしょう。毎朝、コースを変えるのが、じじいの精神の緊張には良いと思っています。あと、犯罪者に間違われないよう、風体にもそれなりの気を遣うべきでしょうなあ。

管:「ソラ玉」報告は打ち止めでしょうか。

兵:アッと驚く新製品が2010年は出ませんでした。これこそ驚くべきことじゃないでしょうか。ぜんぜん進歩してないってことですよ。進歩が止まっているんです。だから買ってません。ソーラーは、工事用の点滅標識を除きますと、当分、見込みがないかもしれません。それと、安価な製品は、紫外線対策ができていないので、落下したりするとすぐに割れるようになりますね。その点、例のインド製のは、凄い。ポリカーボネイトなのに、何年経っても紫外線では変質しないようです。ピカイチですが、市販電池で交換すると、パフォーマンスが劣化してしまうんですよね。しかも最近、通販でも売ってないみたいだし……。

管:来年がより明るい年になると良いですね。

兵:みなさまの御多幸を、心より、お祈りします。今年一年、どうもありがとうございました。

おしまい


interview with──近況緊急インタビュー(2010年5月1日)

(2010年に旧兵頭二十八ファンサイト『資料庫』で公開されたものです)

(管理人より)

昨今のコンテンツ[兵頭二十八の放送形式]における衝撃のタイトル群──缶詰、乾パンの喜捨募集。
まさにショッキングである。しかし、大半の人が[兵頭二十八先生の冗談ではないか?]と考えた筈だ。
真相を明らかにするための、インタビューである。
結論からいえば──冗談ではなかった。


兵=兵頭先生
管=管理人 

管:久々に近況インタビューをやろうと思います。調子はどうっすか?

兵:町に大勢の失業者が溢れている中、カップラーメンと袋ラーメンとカロリーメイトとスパゲッティと缶詰をめぐんでくれる人がいたので大助かりです。乾パンが届かなかったのは遺憾ですが……贅沢は言えません。

管:生活にお困りなのでしょうか?

兵:著述を主とする自由業は、常に綱渡りなのですよ。じつは、『たんたんたたた』と『グリーンミリテク』の印税が4月末に入るだろうと予期していたら、5月中旬だというので、困った事態に陥りました。それしき、一人暮らしなら何でもなかったところですが、40歳過ぎの夫婦は年金保険料が莫大ですから、冬の灯油代も重なって、急激にピンチに陥ったのです。ホント、GWというのは有害ですよ。多くの自由業者と日銭稼ぎの労務者を現実に不幸にしている悪制度ですよ。この際、国定の祭日は、正月元旦と、天皇誕生日だけに減らすべきでしょう。その分、月曜の午前をぜんぶ休みにすればいいんですよ。もちろん市役所は逆に「24-7-365無休」としてね。

管:文庫の『たんたんたたた』は発売が半年以上も前ではなかったですか?

兵:まあ世の中には半年後とか1年後に売り掛けを回収してやっと従業員の給与を払ってやれるのだという事業所も多いでしょう。製造業や建設業の下請け、孫請けなどでは、よく聞く話じゃないですか。そういう人たちのことを思えば……。

管:印税って前借りできないものなのですか?

兵:駆け出しの頃に、編集者さんに頼んで前借りしたことがありました。中公の『軍学考』です。しかしその編集者さんはもうこの世の人ではありません。最近は世知辛いので、前借りなんてこっちからは言い出せません。そこでネット乞食を考えたのです。

管:なるほどネット乞食……それはうまくいったでしょうか?

兵:わたしは5月10日くらいまで生存するに足るラーメンと乾パンと魚の缶詰をお願いしようと思いついたのですが、なんと郵便受けに1万円を投入してくださった方がいたので恐縮いたしました。これで名実共に「オレは乞食だぜ!」と胸を張る資格を得たものと申せましょう。

管:現金は募集してないのですね?

兵:していません。わたしは袋ラーメンがあれば十分に生存できる人間なのです。スパゲッティならば御の字です。ところがウチの女房は「毎日麺だと飽きてダメだわ」とか贅沢を言いやがるのです。情け無い! なんというとんでもない不心得であることか……。

管:インターネット・ラジオ局のコンテンツが増えない理由は何でしょう?

兵:宝くじを拾ってそれが当たり、貯金が100万円くらいにせめて増えたら、気楽にあっちにもご奉仕できるのですが……。ホント申し訳ないです。小松さんがボーナス章を追加した『イッテイ』増補版CDの商材化作業を進めてもらいますので、ご注目ください。それから、お宝動画のオークションをしようかと思っています。

管:オークション?

兵:売り食いをする資産はないかと探していたら、出てきたのです。わたしが高校3年くらいのときから、自衛隊現役時代まで、光学8mmフィルムで撮影し、さらに編集し、アフレコの音までついたものまであるという、この世で1つしか存在しない、幻の映像です。内容は、1980年代のプラスチック製のモデルガンを発火させまくっているもの、自衛官時代に道東を単独旅行したときに撮影したものなど。当時、じつにくだらない「戦争映画」も作ったはずなのですが、それが入っているかどうかは未確認です。長尺な上に編集機や映写機などはとっくに捨ててしまいましたので、中味をすぐに確認できない状態なのです。しかし大小のリール2巻、全部で15分以上はありましょう。第二戦車大隊時代のわたしが山の中の演習中に自分撮りした映像や、長野市郊外の山の中で対磁性地雷コーティングを施されたタイガーI戦車を仕掛け花火で吹き飛ばしている「バルジの戦い」の映像などが含まれている可能性もあるのです。これを誰かが買ってデジタル化してくだされば嬉しいです。ただし、シングル・エイトとスーパー・エイトがツギハギになっていますから、これをデジタル化する時には注意深くピントを微調整して行く必要がありましょう(フィルムの厚さが微妙に異なっている)。詳しくは、インターネット・ラジオ局のお知らせ等をご注目ください。

管:次の出版のご予定などは?

兵:『大日本国防史』の前編は脱稿。発売日は並木書房さんにお問い合わせください。後篇は今、書き進めているところです。鎌倉時代末から室町時代中期までは、年表的に混み入ってくるので、さすがに疲労しますな。しかしやっと戦国時代の入り口まで来ましたよ。あとは一気呵成に行きたいと思っています。まあ、この後篇をとにかく書き上げないことには、新しい別な企画には着手できません。まる一日、ヒキコモリ状態で書いています。

管:『大日本国防史』の最初の予告はかなり前に出ていましたよね?

兵:わたしが劇画部分のシナリオを5つばかり提出したのが2007年でしたよ。その作画がまだ2つくらい残っているようですな。こういうめんどうな企画は、もう戦艦の造船所とおんなじで……。戦艦はキールを据えてから進水するまで4年かかる。その間、急に空母を造りたくなっても、乾ドックが塞がっていて工事は頼めない。そして、得られる印税は単著の場合の半分なのです。それが分かっているから急かすわけにもいきません。急いでもらった代わりの見返りなんて、何も無いのですからな。

管:放送形式の量も増えていますが……?

A:吉田兼好はひとつだけ感心することを言いました。それは、〈物をくれる友だちが、一番よい友だちだ〉というのです。これ以上の金言があろうか! わたしがインスタントラーメンをもらってしみじみありがたいなぁと感ずるように、皆さんが無料の軍事系の英文ニュース・ダイジェストを享受してくれることを希望しています。勝手な抄訳な上、間借りのブログなのですから、じつにお安いご用だ。こういうのが、わたしが無料で貧乏な読者の方々に差し上げられるモノではないかと、最近、気が付いたのです。マザー・テレサと同じ気持ちです。

管:しかし外国の軍事ニュースは充実していますよね。

兵:豊饒さが桁違いですよね。あれらの上に、有料のクローズドな媒体もたくさん存在しているのですから……。有名なのは『ジェーン』でしょう。わたしは乞食の分際ですから、有料媒体は購読してはいません。しかし朝の1時間~2時間くらいを使ってナナメ読みしようと思ったら、量的にはあれで一杯です。

管:有難うございました。ご活躍を期待します。

兵:おありがとうござい。

おしまい


interview with──2008年 お花見対談(劇画『2011年日中開戦』発刊)

(2008年に旧兵頭二十八ファンサイト『資料庫』で公開されたものです)

(管理人より)

もう本当に出ないんじゃなかろうか?──そう私が危惧していた兵頭劇画『2011年日中開戦』。
それが ── 発刊されたのだ。
桜舞う春の巷で、皆さんは如何お過ごしでしょうか?
勿論、尋ねるのは野暮だろう ── 生粋の兵頭ファンならば、季節に関係なく兵頭劇画を待っていた筈である。
発刊を記念しての、今回の対談である。

尚、毎度の事になるが、函館に居を構える兵頭二十八先生と大阪市在住の管理人が一体何処でお花見対談などしたのか───絶対に詮索してはならない。


兵=兵頭先生
管=管理人

管:またとんでもない内容の劇画が出ましたね。『2011年日中開戦』……。

兵:このくらい初期のタイトルとズレてくると、思い切って「もう一声」と言いたくなります。『3001年日中開戦』でもよかったのではないか……などと。

管:ともかくもおめでとうございます。

兵:ありがとうございます。何事も勉強っす。

管:ラストの「二度とこのような…」というオチは、たしか八木京一郎さんの持ちネタですね?

兵:そうです。パクリであり、またオマージュでもある。先行ランナーであられる偉大な八木センセイの存在のおかげでわたしはサラリーマン生活から足を洗い、フリーライターとして勝負しようというふんぎりをつけることができたのですからな。八木氏には、あとで大奮発して鮨をおごる約束をしています。ま……、くるくる廻るほうですけども。

管:マガジン・マガジン社とサン出版は、同じなんですか?

兵:よく知りませんが、ビルは同じですね。サン出版の自社ビルの中にありますよ。わたしが駆け出しの頃に月刊コラムを書かせてもらった『マガジン・ウォー』以来のご縁であります。

管:いきなりエロなシーンで始まるのは、出版社の社風に合わせたのですか?

兵:かつて日本初のホモ雑誌を創刊しているという輝かしい歴史のある出版社さんですからね。書かせて貰う者としては、それなりの敬意を表さねばなりません。

管:レイプシーンも不可欠ですか?

兵:あのシーンや、秋葉原のシーンなどは、2006年4月の最初の送稿時にはなかったんですが、もっといろいろ加筆してくれんかと追加注文を受けまして、それじゃやったるかというノリですわ。原作でシーンを増やすのは簡単。1日か2日で書けちゃう。でも作画させられる方はたいへんなんでね。それでわたしは「軽く数十ページも増えちゃいますよ、いいんですか」と念を押したんだが……。けっきょく、懸念したとおり、2006年末までにはとても仕上がらなくなっちゃったようなのです。

管:2006年ごろでないと意味の通じにくい「流行語」が散見されます。

兵:これは大反省しとります。シナリオ書きの初歩のいましめとして、「流行り言葉を混ぜるな」っていうのがあったんですがね。どうせ「2ちゃん」の読者しか買わないんだからと、バンバン使った次第です。

管:作画家さんは大友克洋さんの影響を受けているように見えるんですが……?

兵:わたしは絵のカテゴリーについてはよく存じません。わたしが素直に感情移入できる絵は、アメコミのリアルなタッチか、さもなくば往年の川崎のぼる氏風だけでして……。ギャグや四コマはまた別ですが。要するに古いヤツなのです。しかし分業である劇画の仕事では、原作者は自分の好みは言えないし、また、言ってもどうにもなりはしないのです。そこは出版社と編集者にお任せするしかありません。それでも、進行がずいぶん遅れているというお話をうけたまわったときには、わたしは、「作画家さんに印税を前払いしてアシスタントを雇わせたらどうです」と意見具申しました。それで、お二人になったのでしょう。

管:機関車の罐に人間の死体を燃料として放り込むという発想はどこから出ているのでしょうか。

兵:これはかつて、福田和也さんから、蒋介石がよく政敵を蒸気機関車で燃やしていたという話を三回ぐらい聞いたので、それを応用したのです。生きて放り込まれた人間がまた飛び出してくるというのは、作画家さんのインプロヴィゼーション。脚本では単に放り込まれておしまいにして先へ進めていました。

管:「浅南大使」にはモデルはいるんですか?

兵:いません。

管:総理の「どどどーまん」というネーミングはどんな深い意味なんでしょうか。

兵:故・谷岡ヤスジ先生ならこんな名前をつけたろうかというネーミングを考えたのです。

管:沖縄にシナの漂流民がおしよせるというプロットは、『別冊宝島』の防衛問題か何かのバックナンバーで、たしか小説体で使われてましたよね。

兵:そう。劇画は没になるだろうと思ったので、あそこに使っちゃったわけ。主人公は「堆片ダン」という名前にしました。なぜかというと、島の村長に「たいへんだぁ、堆片ダン!」――と、叫ばせたかったんです。そのシーンを最初に考えた。それだけなんでございますわ。

管:『2011年日中開戦』ではベン・アミアスが最後にキノコ雲に向かって両手をあげて「バンザイ」と叫びますが……。

兵:これも、まずそのシーンが頭に浮かんでいて、そこから遡及的に、登場人物の名前やら筋やらが、思いつかれているわけです。ちょっと説明しておくと、ベンはベンジャミンの省略でして、典型的なユダヤ系のファースト・ネームです。兵頭二十八にはアンチ・セミティズムは無い。

管:『ベン・ハー』もユダヤ人でしたもんね。

兵:チャルヘスがつい数日前まで、まだ生きてたんですよね。合掌。

管:けっきょく日本には独裁政権ができちゃうという予言なんでしょうか。最後の方では。

兵:これは読者に非日常的な体験をさせるマンガです。タブーをぜんぶ取り除いた。閉ざされた言語空間を開こうとしたものです。人々の意識は確実に変わりますよ。

管:警察官が不良少年を射殺したあとで「スカッとした」なんて言えないですもんね。普通のマンガでは。

兵:たかが出版物に世の中の大きな流れは変えられない、と思っている人が多いと思うけど、小さな流れは不可逆的に変わるんですよ。たとえば『並べてみりゃ分かる 第二次大戦の空軍戦力』っていう本があったでしょ?

管:「G」出版……ですね? かの有名すぎる……。

兵:そう。あれ以後、ミリオタが日本軍機を見る目はガラリと変わったと思いますよ。そういうのは、もうあともどりのできない変化なんですよ。

管:印税の代わりに現物の冊子をたくさん貰ったという、聞くも涙の出版事業でしたっけね。

兵:で、自慢話をさせて貰うと、『並べて』は、オレがテープ起こしのタイプ打ちから編集から全部やってるわけ。そしてオレ自身にさんざんな突っ込まれ役を割り振ったことで、ぜんたいを高度なエンタメにして宗像さんを抵抗なくオタク世界に紹介できたわけ。ホスト兼司会兼エディターにこのサービス精神がないとね、共著とか座談会とかは、良い商品にはならんのだ。他社であのスタイルの真似をして、愉快なオタク討論を再現しようとしても、できなかったでしょ?

管:はいはい、わかった、わかったよ(心の声)。

兵:『なぜケータイ小説は売れるのか』(本田透・著)っていう新書があるんだけど、この中にも良いことが書いてあったよ。PCインターネットの空間は双方向の「突っ込み」で活性化されている世界だと。だからそれを書籍化しても宗教の代替物にはならず、ケータイ小説のような化け物ヒットは生まれ難い、というんだね。その通りなんだ。

管:SF劇画の場合は、宗教的な煽動力があるんでしょうか?

兵:ありすぎてマズイので、「セルフ・突っ込み」を入れているのだ。それが、ラストの数ページなのですよ。

管:たくさん売れて欲しいと思います。

兵:日本の夜明けは近い!

おしまい


interview with──2007年を振り返って(2007年度 X’mas特別企画)

(2007年に旧兵頭二十八ファンサイト『資料庫』で公開されたものです)

(管理人より)

絶対再開はなかろうと信じられた驚異のコンテンツ[interview with ───]。クリスマス・イブに復活である。
私は全然ビックではないのだが、そこはそれ。イルミネーション煌くイブの0時台にupしている私の心情をお汲み取りくださりスルーしていただきたい。
尚、私は今日も明日も仕事である。
毎度の事になるが、大阪在住の管理人と函館に居を構える兵頭先生が、一体どこでこんな事話しあったのか、絶対に詮索してはならない。
それでは皆様、メリークリスマス!


兵=兵頭先生
管=管理人

管理人
 ことしも押し詰まってまいりました。

兵頭
 日本では正月の比重が下がってクリスマスの比重が上がっていますね。がんらい日本の正月は、大人が楽をする「休養日」でしたが、それだとバラバラの家族がますますバラバラになって行くだけ……。かたや、クリスマスは、大人が積極的に参加して盛り上げるイベントなので、バラバラ家族を結束させる高揚感があるんでしょうなあ。

管理人
 景気はどうですか。

兵頭
 1年中、貯金残高が百数十万円を切らぬようにするのが、来年の目標です。

管理人
 おおっ、なんという進歩、すばらしい! 相変わらず、新聞購読はナシですか。

兵頭
 ないです。しかも、わたしだけ、ひきこもりに近い生活です。

管:テレビはあるのでしょうか。

兵:ありますが、子供向け番組か、子供用ビデオを見るのに使うので、わたしはまず視る時間はないですね。ウチは食事中はテレビは消していますし。

管:インターネットは一日に、どのくらいご覧になるのでしょうか。

兵:朝起きて40分、寝る前に30分。これだけの時間が、メール対応と、ニュースを把握するのと、定期巡回ブログをながめるだけで、だいたい消費されてしまいますね。あとは調べ物がある都度、使います。

管:定期巡回ブログを教えていただけないでしょうか?

兵:列挙は差し障りがあるのでやめときましょう。「支持していないが読む」というのもあり、「いまが旬のようだからいまだけ読んでいる」というのもあり、「打率1割の信憑性だが目覚ましになる」というのもありです。メニューも逐次に変わっております。

管:「2ちゃんねる」は見ないんですか。

兵:いや、見ます。「ニュース速報+」の順番の上位に来ているスレッドのタイトルは、必ず毎朝チェックしています。というのは、この上位の話題を見れば、公務員たちが目下、何の世論工作に熱心なのか、なんとなく見当がつきますからね。もちろん、いま庶民がいちばん影響を受けてしまっているテレビのワイドショーのテーマもおのずから知れますでしょう。

管:「2ちゃんねる」の「工作員」の多くは公務員だとお思いですか?

兵:間違いないでしょう。やっている公務以上に所得や福利厚生を得ている「うしろぐらい」公務員が大半ではないかという印象を時に受けます。もちろん組合の指図ですよ。

管:劇画はいつ出るんでしょうか?

兵:それは版元であるSUN出版にお尋ねください。ひとつは2005年末にシナリオを渡して、ようやく今年の夏に絵が上がって来たものの、その後は、どう進行しているのかわたしは承知していない『2007年 日中開戦!』です。いくらなんでもこの年末には本になっているだろうと思っていたのですがね。いったい、何をやっているのか……。

管:2007年はもう終わっちゃいますよね。

兵:そうです。わたしは最初に原作執筆を打診されたときに申し上げたんです。「あの『嫌韓流』の第一巻のように、ヘタでも良いから速く描ける作画家さんをお願いしますよ」と。ところが編集部の人は、どうやって見つけてくるのか、よりによっていちばん仕事の遅い人を選んでしまったようです。近未来フィクションを2年も放置されたら、原作者はたまりませんよ。2006年中なら「おっ、この予測はすごいな」とハイブラウな読者に驚いてもらえたディテールも、2008年に世に出されたら、お笑い草でしょ? わたしはこの原作に関しては原稿料を貰ってませんので、言いたいことを言わせてもらいます。

管:タイムリーな出版で某隣国に打撃を与えられなかったのは残念でしたね。

兵:このようなビジネスしか成り立たない、わたしの不徳のいたすところだと考えております。

管:もう一冊は何ですか?

兵:数ヶ月前に大阪のデザイン事務所に脚本をお渡ししているはずだが、まだ作画は仕上がっていないらしい『From Shanghai to Nanking』です。これはヨコ組みにして、冊子はSUN出版から売り出し予定ですが、まあこれもどうなるか知れたもんじゃありませんが、とにかく、フキダシの中を英文に直したものをインターネットで特別無料公開することは決めています。この「資料庫」に入れてもらおうかとも思っていますので、来年までお待ち下さい。

管:そちらの作画作業は速いんですか?

兵:わたしに聞かれても困ります。面識がない相手ですから。まあ、『2007年 日中開戦!』がダメになった分、SUN出版さんにはせめてこちらに注力して欲しいものですね。また3年先に没決定、なんてことにならないように……。

管:並木書房からは『逆説 北朝鮮に学ぶ』が出るそうですが。

兵:来年早々の出版を期待しています。原稿はもう送ってあります。やはり地の文だけ、そして単著、というのは良いですね。狭雑要素が介在しないので、進行が速いし確実ですよ。ストレスがかかりません。わたしは基本的にはもう共著とかイラストの多い本は減らす方針です。新人発掘の場合のみ、共著に取り組みたい。あと、単著では、PHP新書で『孫子』のコンパクトな口語訳を出す予定です。

管:それが出るのは、春ごろでしょうか。

兵:そうでしょうね。1月末までに書いてくれと頼まれております。ご承知と思いますが、日本の軍学者は一生に一度か二度、『孫子』のまるごと解説を書き上げねばなりません。山鹿素行のように、デビュー直後に若書きを一度、そして晩年になって、さんざん弟子に教えてきたことを集大成してもう一度、というパターンが多いのですが、わたしの場合は、純粋に『孫子』だけの解説の仕事は、これが最初で最後になるかもしれません。とすると、他の仕事は全部断ってでも、今はこの仕事一本に集中すべき時なのですが、生活がありますから、そうは言ってられないところが辛いですね。

管:12月に光人社から出た『日本の戦争 Q&A』は野心的な内容でしたね。

兵:ありがとうございます。

管:本土決戦が起こる前に日本政府が屈服してしまう、というのは、敵よりも内乱が怖いからなのですね。

兵:そうです。1945年にアメリカに降伏したのも、嘉永6年にペリー艦隊が江戸湾への生活必需物資の搬入を途絶させただけで幕府が屈した、そのパターンの再現に他なりません。本土決戦しようか……という前に、政府がもたないわけです。もし日本列島を外国海軍が海上封鎖すると、7千万人の住民が飢餓に瀕するだろう。すると、ブリテン島とは様子が違い、外敵よりも内乱が恐かったので、日本政府は継戦を諦める。嘉永6年のときは、倒幕運動の恐怖でしたが、1945年のときは、共産革命=天皇制廃止の恐怖です。

管:日露戦争では日本海海戦が決戦になりましたね。それでロシアが日本列島を封鎖できなくなったから、日本は助かったのですか。

兵:ええ。ロシアは明治38年の日本海海戦で、海軍の人材のほとんどを失った。産油国でしたから、やろうと思えばすぐ主力艦を外注して3年後には「四・四」艦隊くらいは復活できたかもしれません。ところが、熟練した水兵はカネじゃ買えない。3年とか5年では、乗組員は復活しませんので。これが、2~3年で飛行士を育成してしまえる、航空戦力との違いなのですよ。

管:日米の空母の数は1944年以降はおそろしく差がついてしまいましたね。

兵:アメリカは大きな船渠(ドライドック)の数で戦前から日本を圧倒していたので、日本が2隻しか造れなかった非条約型の『翔鶴』級空母よりさらに高性能な『エセックス』級空母を1943年から1ダース以上も就航させてきました。開戦前からわかっていたことです。だから1942年までに洋上での艦隊決戦が起きて大勝利し、敵の空母乗組員とパイロットが全員溺死でもしない限り、日本海軍には対米戦争の勝機はなかったんです。それでも、そんな最初から勝てるはずがなさそうな戦争を、3年以上も粘ることができた。それはなぜかというと、人は誰でも死ぬのは厭だからでしょうね。相手に死ぬ気で抵抗されれば、どんな強いやつだって、じぶんの損得を考えなくちゃならないんで。

管:特攻はムダだったでしょうか。

兵:量が少なすぎました。大西瀧次郎だけが、そこのところが分かっていました。大西は、2000機の特攻じゃまだ足りないんだ、と8月15日まで叫んでいた。これ、正しいんですよ。米英軍の飛行機乗りは対ドイツ空襲で14万人戦死しています。そのくらい飛行機と乗員とを惜しげもなく投入しないと、当時の大国相手の航空消耗戦にはとても勝てなかったのです。日本軍は、アメリカ相手に飛行機と人命の出し惜しみをし過ぎていたと言えるでしょう。米英軍の方が、空では勇敢でした。

管:空母はランニングコストがものすごくかかるはずですよね。

兵:小銃や大砲は特別な事故がなければ50年くらいも使えますが、飛行機はそうはいきませんね。平時にただ訓練しているだけでも、機体・乗員ともに、常に補充が必要ですし。空母となれば、なおさらでした。

管:フィリピンで1944年から終戦までに、日本軍の地上部隊は、あの戦争中最悪のキル・レシオ(味方一名の戦死に対して敵何名を殺したか)で惨敗していますね。

兵:歩兵同士の戦闘でも、庶民の教育水準が高い国の陸軍は、少ない犠牲で、敵に多数の死傷を強いますね。その逆の例はまずない。持ってた武器とはあまり関係はないようです。ちなみに当時の米軍ではすでに高卒など珍しくなかった。日本軍だと今の新制の高卒に相当する学歴の兵隊は1割いたかどうかでしょう。だから、無筆のシナ軍との間ではキル・レシオが良好だったのに、米軍との間ではキル・レシオが俄然、悪くなったのは、まあ仕方なかった。

管:南洋群島に日本軍がいくら飛行機を並べても、米空母の機動集中力には勝てなかった、というのが戦訓でしょうか。

兵:井上成美と山本五十六は、敵は空母に双発機を搭載できないが、こっちは陸上基地に双発機(中型攻撃機)を並べられるから、歩が良くなるんだ、と空想したのでしょう。空母を建造して維持するよりは、その方が安上がりだったのは確かですが、攻防のイニシアチブは、空母艦隊の方に断然にありました。つまり空母建造競争で勝てない島国は、米国との海戦を勝つことは至難だった。

管:零戦は名機だったでしょうか。

兵:操縦士との組み合わせで、名機となっていました。素人がふりまわすと、およそ斬れないが、武芸者が使うと役に立つ日本刀と、似ていましたね。ベトナム戦争直後の米軍パイロットは、スキルでは無双だったでしょう。もう、関ヶ原直後の武芸者のようなもので、ムダをやらず、ムリもせず、恐怖もなし。零戦も、そうした実戦経験を大陸で積んだ操縦士が編隊の要で居る間のみ、名機たりえた。ちなみにBf109がずばぬけた名機とされるゆえんは、操縦士を消耗品と割り切り、名人が乗らずとも即戦力たり得るように考えぬいた、世界で最も早く成功した一撃離脱専用戦闘機だったためです。しかしそのコンセプトでは、艦上戦闘機としては採用不可能なんですよ。

管:20ミリ機銃は、やっぱりダメでしたか。

兵:そもそも長距離エスコートや長時間CAPをさせる機体なのに、インターセプターのような20ミリ機銃を搭載して、何の役に立ったのか。敵の単座機には弾道が悪くて当たらないし、すぐに弾切れになって、ただ死重を増やしただけでした。

管:真珠湾攻撃を事前に知っていた海軍の幕僚はどのくらいいたんですか。

兵:作戦課長だった富岡定俊と海兵同期の平出英夫は知っていたようですね。

管:山本五十六は「反米」に凝り固まっていたのですか。

兵:たぶんそうでしょう。周知のように米軍は、天皇の命も東条の命も狙っていないけども、近い将来の日本の首相になるかもしれない山本の命は狙って仕留めた。これは軍隊レベルで勝手に決められる話じゃなく、F・D・ローズヴェルトと側近たちの国家最高意思です。きっと次官時代からの通信が盗聴されていて、山本は肚の底から反米だというリポートでも存在したんでしょう。

管:でも宮中は基本的に海軍の味方でしたね。

兵:ソ連が沿海州の飛行場を米軍のB-17用に貸与する事態を、宮中と海軍はいちばん恐れたと思いますね。そうなれば陸軍が対ソ戦をはじめちゃいますから、陸軍統制派による国内革命も同然の戦時体制に切り替わり、天皇制もどうなったかわからない。宮中と海軍は、この対ソ総動員の逆賭し難い福次作用にくらべたらば、アメリカに敗れる方が百倍マシと判断したんだろうと、わたしは思っています。

管:1942年のミッドウェー作戦の情報漏れは問題じゃなかったというお話は、たしか『表現者』の連載の中でも書いておられましたね。

兵:奥宮正武さんが終戦後ずっと言ってきたことなんでね。なんで人々は、そういう証言を素直に読むことができないのか……。日本の空母艦隊は、あのときは、津軽海峡の大湊港から、それも真っ昼間に出撃しているんですよ。わざと米軍のスパイに、こっちは空母4隻だけでミッドウェーへ向かいますよ、他の2隻はアリューシャンで暴れさせてますよ、と念を入れて教えていたんです。なぜかというと、真珠湾のように空母6隻を一海面に集めれば、上空掩護に隙がなくなる。米海軍の正規空母3隻では勝ち目がなくなりますから、敵はそもそも洋上決戦に応じてくれなくなる。だからね、わたしは、ミッドウェーに敵の空母の可働全力3隻がちゃんと出てきてくれたという事実を以て、山本はたしかに名作戦家であったと言いますよ。日本の空母艦隊は、雷撃機で港湾を奇襲するシステム構成に特化していましたから、それを開戦後の不期遭遇戦に投じたら、急降下爆撃機中心の米空母より不利なのは当然でした。だから、あのシステム構成では負けるべくして負けたんですけども、そのハンデがあってもなお、日本側は粘りに粘った。熟練した日本人の集団は、どれほどの難事を克服するかという好見本を残してくれた。日本人の長所が戦史に記録されたのです。そこを指摘する人がいない。

管:しかし、戦時中に日本国内で共産主義革命なんてあり得たんでしょうか。そこがどうもよくわからないんですけども。

兵:武藤章は敗戦後の巣鴨拘置所の獄中回想録で、大正8年前後に「労働中尉」になりかかったと告白していますよ。労働中尉というのは「マルクス中尉」という意味です。戦間期の日本のお金持ちには失業者に対する同情が薄かった。「なんだよ、自由主義の政党政治ってのは、デフレ政策で金利所得階層の生活水準だけを守ることなのかよ」と、若いインテリは反発したんです。陸軍統制派が昭和13年までに法制上で実現した「統制経済」っていいますのは、当時の非ソ連の大国・強国の中で、いちばんソ連経済に近いものだった。私企業の経営者から、借金や設備投資や配当の決裁権を奪ってしまったのですからね。別宮氏のサイトに詳しいと思うけど、ヒトラーだってそんなことはしちゃいない。日本では、天下り役人が、統制組織をつくって、その中の合議で、何もかも決めた。この仕組みはもう資本主義ではいささかもなかったんです。昭和13年までに一種の革命が進んでいたのです。当人たちは、まさにソ連をモデルにして、口では言わないが、共産主義のつもりでいたんです。天皇なんか、どうでもよかった。だが、やっていることが少しもソ連式になってなかったのが滑稽ですよ。天下り役人だけを天国にする、日本式の社会主義経済でした。いずれにしても、もうすでに戦前から、天皇制廃止まであと一歩だった。陸軍エリートの気分は、ロシアの革命家とどこも違わなかった。宮中の危機感が、分かりますか? ロシア革命通の米内光政を宮中が頼った理由が、分かりますか?

管:ソ連とはどの辺が大きく違っていたんでしょうか。

兵:ノルマの数字が天下り役人の方から出ていたことです。ソ連は政府中央からの示達ですよね。だから日本では、誰もサボタージュ罪で銃殺はされない。つまり天下り役人だけがお手盛りの満足を得て、経営者はヤル気がなくなり、国家の戦争ポテンシャルは低くなる一方の「総動員」経済だったわけです。既存の生産ラインをフル稼働させても、生産は十倍には増やせません。そういう急激な戦時増産には、迂遠なようでも設備投資が必要で、急激な設備投資には何よりも経営者のモチベーションが必要なのにもかかわらず、日本の統制経済は、経営者から前向きなモチベーションを一切、剥ぎ取ってしまうのです。凡庸な役人よりも頭を使って機敏にうまくやる経営者の存在を、許そうとはしなかった。レッドテープ(規則)とお役所稟議とで縛ってね。ソ連の国営工場では、量でも質でも、上からの命令を守れぬマネジャーは前線送りか銃殺でしょ。日本ではそんな処刑は一例もありせん。増産量だけでなく、戦時増産兵器の質の劣化も、ひどすぎた。天下り役人同士の談合で回転する経済では、経営者が製品の質についての責任を、事実上、問われなくなるせいでしょう。

管:自衛隊の武器もあまり改良されませんね。

兵:64式小銃の可倒式照門が鉄帽の庇に当たって半分傾いてしまうのは、どう考えても不都合だろうと、わたしが週刊誌に書いてもらったのはもう25年以上前です。これはついになんの対策もされずに終わったというのは事実ですね。いつの世でも、国防を邪魔する敵は常に国内にあると思って、間違いありません。昭和10年代、海軍部内でも誰もが航空戦の時代になったと認めていたのに、なぜ低速戦艦『大和』と『武蔵』をあらたに造らせ、稀少な船渠をそのために何年も塞がせたか。これは大艦巨砲思想が信じられていたからではなくて、官民を縦断した既存の「戦艦利権」を切れなかっただけでしょうね。

管:お忙しいところ、ありがとうございました。

兵:よいお歳をお迎えください。

おしまい


interview with──2004年4月 新学期インタビュー

(2004年4月頃に旧兵頭二十八ファンサイト『資料庫』で公開されたものです)

管理人:4月である。ここを見ている皆さんの中には、一人くらいは新学期を迎え、或いは社会人として再スタートをきる人がいると思う。そんな方々へ向けて、兵頭二十八先生へのインタビューである。お忙しい中時間を割いてくださった兵頭先生、勿体無さ、かたじけなさに、私は頬を伝う涙を止める術を知りません。
 尚、毎回書いている事だが、一体何処でインタビューなどしたのか、余計な詮索をしないように。


管理人:今更といえば今更ともいえますが、インターネット人口が急増しておりまして──職場や学校から閲覧されている方々もいらっしゃいますし ── この新年度から我がウェブサイトの常連になってくださる訪問者もいらっしゃるかと思います。そこでひとつ先生の《旬な》コメントを頂戴できませんでしょうか。

兵頭:管理人さんは「ここの書き込みが少ない」とかご不満なのかもしれませんけど、これからはそういう時代じゃないんです。たとえば、これは管理人さんの方がかなりお詳しいと思うが、「2ちゃんねる」は最近、面白いですか? スレッドが乱立して、内容はどんどん低年齢化しているでしょう。

管:つまり、『週刊少年ジャンプ』化現象?

兵:もちろん役に立つ「インサイダー情報」は丹念に見ていけばあるし、そこらの兄ちゃん同士の会話の中に予期せぬ秀逸なコントが混じっているのに遭遇するという幸運もあります。が、ぜんたいに時間を惜しむ人は、無駄な書き込みがヨリ少ない専門的サイトを発見しようとするのではないですか。

管:たとえば先生にはそんなサイトがいくつかあるんですか?

兵:ご承知のように僕もインターネット2年生に過ぎませんから何も分かっちゃいませんが、太田述正さんという方のニューズレターがとても興味深いことを最近になって発見しましたよ。あと、レイバー・ネットというところの掲示板をときどき見るようになりましたね。

管:いやあ、今度は労働組合方面まで精力的にご取材とは……。

兵:僕が思うに、これからのウェブサイトで大切なことがあります。これは役に立つだろうと思って人が書き込んだ情報がずっと残されていくことです。誰かがウェブサイト上に何かを書き込みますよね。それは世界に対して瞬時にアクセス可能とするわけですけれど、だからといってそれを世界中の人が同日に見てくれるとは限らないものです。全国生放送のテレビとは違う。ですから人によっては、情報が書き込まれてから何年も後にそれを読むのかもしれません。そのアクセシビリティを残し続ける努力、これは図書館蔵書の永久保管とも似ていて、酬われることはすくないけれども、それぞれの管理人さんの偉大な文化的功労なのですよ。

管:どうもお褒めに与かりまして恐縮です。それで、今年度の先生の単行本計画はどんな感じでしょうか。

兵:例の杉山穎男さんの斡旋で、武器や格闘技系の出版物にとても強い有力な版元さんから、武士道に関する本を、まあ数か月以内には出す積りでおります。

管:それは朗報です。潰れる可能性のない中堅出版社と渡りがついているということは…(笑)。古いファンが待ち望んでいる、兵器の話なんかもあるんですか?

兵:それはまだ分かりません。ただ僕が目指しているのは、つまるところは「日本人論」で、かつて兵器を研究したのは、あくまでその手段ですよ。

管:ああ、それじゃやっぱり、兵器解説はもう無い、と。

兵:変な比較ですが、1980年代以降、「フランスの最新哲学を日本に紹介する」という評論の一ジャンルがあるんですよ。これと大方の軍事研究家とは類似の業態なのです。要は、内外の電圧差をはしわたす「電燈線」の役を買って出ているものです。

管:つまり、欧米ではここまで進んでいるのに、日本では誰も知らず、遅れているじゃないか、とか…。

兵:そうですね。外国の進んだ「常識」なるものが日本に未だ存在しないではないかと憂えて、それを紹介する。説教し、伝道し、売り込む。よく言わば、訓導する。

管:では、戦前の兵器の紹介なども、それと同じなんでしょうか?

兵:たとえば最近ますます、フリゲート艦や海防艦、軽巡級の数千トンの軍艦のことを「戦艦」と呼称する新聞記者やプロの評論家が増えています。往時の海軍に詳しい人なら「おまえら、それは間違った言葉遣いだぞ」とすぐ指摘ができる。電圧差を埋めたくなるわけです。同じでしょう。

管:「迫撃弾」というのもそうですか。

兵:ハハハ…。あれは二、三十年前の過激派のオモチャに公安が大袈裟な名を工夫して付けたもので、軍隊の迫撃砲および迫撃砲弾、あるいはロケット砲弾とは、似ても似つかない。そんなものがサマワで落ちてきてたまるかーーーっ、てなもんですね。

管:兵器の本を書くとそんな感じのマニアからの突っ込みが烈しいから、最近は避けておられるのでしょうか。

兵:インターネットという優れた媒体のお陰で、書籍でそれをやる時代は終わったんですよ。特にカタログ的な本は無意味ですね。増補・改訂がすぐにできないから。だから兵器だけでなく、「高塔」とか「ロープウェイ」、ああいった全国を取材して写真を集めてくるような企画も、もう今だったら考えられません。思えば、僕はそれが可能な最後の数年間を現役ライターとして満喫させて貰ったわけで、じつに幸運な奴でした。

管:「紹介企画」は潔しとしない—となりますと、兵頭先生のお仕事が減っちゃうのではないでしょうか。

兵:内容の深い良い仕事ができれば良いのではないでしょうか。僕は、旧軍と自衛隊の兵器の調査から「日本人論」を一歩前進させることができたと、自分で自負しています。これは誰も言ってくれないから手前でここで宣伝することにしましょう。僕は文系の人間だから、興味のあるのはあくまで人間です。モノじゃありません。モノをつくった人間に興味がある。これは機会あるごとに表明をしてきた僕の基本スタンスです。「兵頭本には間違いがある」とご親切に指摘してくれる人がいます。その通り。人間の仕事には誤差があります。ところが、その世間智に到達できていない日本人がとても多いために、日本は戦争に負けたり、経済政策を失敗したりしているのですよ。これを今まで以上に明らかにしたのが僕の仕事です。真の理系人間なら僕の本の結論に同意していただけるはずですが、まだまだ日本には「算数家」でしかない人が多いために、たいへんに危うい状態のままだと思っております。

管:すると山本七平さんが一時、大流行させた「日本人論」の系譜に、兵頭本もあるのですか。

兵:ええ。是非ともそうならねばならないと努めています。さっき、最新フランス哲学の紹介屋さんのことをあげつらいましたけど、そうではない思想・哲学というのもあります。それは、自分自身を知る努力を続けている人です。それは古代にギリシャ人が「汝自身を知れ」と言ったその課題を現代にもしつこく、日本人なりに追い求めていこうというのだ。これこそ、紹介屋に堕さない、苦労のし甲斐のある作業ですよ。昔から日本人は日本列島に暮らしていたわけですね。生まれたときから人々は誰しも自分を知っていると思っています。ところがじつはよく知らないではないかと自分で分かるのです。どうしてその「気付き」が可能なのでしょうか。これぐらいチャレンジングな仕事はないでしょう。もちろん、昔、日本人論のカテゴリーとして「外国人の見た日本人」みたいなタイトルがやたらに出版されたものですが、そんなのは誰でもできる紹介事業に過ぎません。

管:兵頭先生と同世代の評論家の中にも、別宮暖朗さんが警告されている「大アジア主義」に近そうな人と、そうでない人とが、ハッキリ別れてきましたね。

兵:そうですね。誰と誰…とは言いませんが「日本はアジアと組め」と主張されている人は多いですね。…っていうか、「永久にアジアとは組んじゃいかんぞ」と言っている同世代の評論家なんて今、日本にいるんですか。中共はヤバイぞと警告する一方で、昔の大陸浪人的な大アジア主義のロマンに惹かれている人は案外に多いのではないだろうか。僕はそれは、「他国民」というものを知る努力に不足するところがある結果ではないかと疑ってます。ちょっと難しい話をしますけども、「この『自分』は、『自分の国』の中であって、はじめて自分たり得ているのだ」と見切った人が、ソークラテースでした。最新のフランス思想に詳しくても、この基本を一から考えたことのない人には、日本の対外国策は危なっかしくて任せられない。そういう危機感を抱いているので、僕は家計的にはほとんどコジキの分際ですけど、大所高所の偉そうな発言を続けておるわけです。

管:つまり、石原莞爾なんか讃えてちゃいかんぜ、と?

兵:次の僕の本の中で、西郷隆盛の話を少しするかもしれません。西郷隆盛と石原は似ています。それは、かつて結んだ条約を一方的に武力で破っても構わないと考える人だったことです。交渉など面倒だ、テロで邪魔者を殺し、クーデターで秩序を破壊すれば良い、と。大久保利通はそうは考えなかったわけです。福沢諭吉もそうは考えなかったわけです。アジアの指導者は皆、西郷、石原の徒ですよ。それが中堅評論家にも分からない。だから今の「日本はアジアと結べ」と言っている若いひとたちは、大久保や福沢からは遠く、西郷や石原に近い。僕は、江藤淳先生が『南洲残影』をお書きになっていた頃は、まだこういう構図が見えてはおりませんでした。

管:するとやはり別宮暖朗さんの影響は甚大なんですね。

兵:僕は「別宮の徒弟」と言われても構わないですよ。じじつ偉いのですからね。あの人は。漸くというか、別宮先生もメジャー媒体に進出を果たされました。僕もこれからは別宮説の紹介屋の仕事を減らし、もとからやっていた「汝自身、日本国民自身を知れ」の活動に復帰していかなければなりません。

管:それで、最近はギリシャ語を勉強されているのですか。

兵:はい。本当に出来の悪い生徒ですけれども、四十の手習い中です。あの言語の世界に触れなければ、善や悪の判断にイマイチ確信がもてないと、以前から不安だったものですから。

管:お忙しいところ、どうも本当にありがとうございました。

おしまい


管理人:新学期、それは出会いと別れである。「沈没ニッポン再浮上のための最後の方法」は、たまたま卒業(絶版(泣))してしまったのである。決して、決して内容が面白くないからでない事はここを読んでくださっている方にはお分かりだろうと思う。私がタダでダース単位で手に入れた同著を、せっかくだからと送った皆さん、この本を床の間に飾って、朝夕2回毎日欠かさずペルシャ絨毯の上からお辞儀をして下さい。


interview with──決心変更サレリ──そして、未完のルポ(2004年度新春インタビュー)

(2004年に旧兵頭二十八ファンサイト『資料庫』で公開されたものです)

管理人:明けましておめでとうございます。さて、兵頭二十八先生御婚約である。誰しもその人生には色々なイベントが用意されている。進学、就職、女子中学生の愛人を囲った、出産、死病を宣告された、そして何より婚約とかだ。
 「ロシアの文豪ばりの赤貧・禁欲生活を吹いておいて、今更そりゃねーだろ!?」とか「世間並みの幸せはすべて放擲してきたって書いてたやんか」という貴方の想いは深く理解するが、ともかくも新年である。おめでたいのである!そんなわけで(?)遂に2回目の新春インタビューである。
 去年も書いた事だが、函館に居を構える兵頭先生と福岡市内在住の管理人が何時どこでこんなに長々と話したのか──絶対に詮索してはいけない。

 

管理人:明けましておめでとうございます。

兵頭:ウッキ~!(いちおうさるどしということで……) おめでとうございます。

管理人:本日はお忙しいところを恐縮です。

兵頭:いや、私も、いつものような堅苦しい年頭挨拶よりはインタビュー形式の方が良いと思いますよ。

管理人:ところで昨年11月ごろから重大な噂を聞き及びました。

兵頭:この冬は雪が遅くてね。暖冬の予感がするね。しかし昨シーズンは私も「初転び」を体験していますから、こんどはぬかりのないように、滑り止めのミニ・スパイク付きの革靴を買いましたよ。海岸通りの安売り量販店で、1900円くらいでね。

管理人:なんとご婚約をされたとか……。

兵頭:この滑り止め装置は路面がアイスバーンになっていないところでは簡単に裏返すことができるんです。

管理人:ともかく、お相手は塾講師とか。それも、少し前までホンモノの「修道女」だったひとだとか……。

兵頭:ほら、このようにカチャッとね。ワンタッチですよ。

管理人:自分は詳しくないのですが、確か、カトリック修道会を退会するにはローマ法王の許可とかが要るのではなかったですか?

兵頭:これはしかし裏返した状態でも金具は少し地面に当たるので、一歩ごとに「ガリッ」という独特の音がします。私はこんな靴は北海道でしか見たことがない。

管理人:いずれにせよ、そう致しますと、当初の計画を大きく変更され、函館に永住するご決心ということで、これは私共、理解を致しても宜しいんでしょうか?

兵頭:こっちでしか見たことがないといえば、コンビニの「セイコマート」もあるね。

管理人:あるいは、ビジネスにも資料調査にもなにかと便利な札幌方面にご新居を……といったご計画でも?

兵頭:なんとイタリア製のスパークリング・ワインがフルボトルで380円だ。1年中、この値段だぜ。これはアル中普及運動かと思ったね。

管理人:下世話な話でございますが、女子修道院の下っ端は私有財産ゼロでしょう。入るときに「清貧の誓い」とかをするそうじゃないですか。だから退会の時点では私服すら一着も持たない筈ですね。そして兵頭先生もこれまで貯金はしない主義だったですよね。そうしますとですよ、いくら土地が安いとはいえ、北海道での新世帯はいきなり大変ですよね。だから貯金のための時間が1年くらいは必要というわけですか、つまりその、入籍とかまでの……?

兵頭:まあ俺も一人で酒を飲むのは貧乏人には許されぬ時間の浪費だと悟ったので昨年末からキッパリとやめたが、それで一向平気でいられるのも精神的に充実しているが故なのだろう。

管理人:「第二次大戦中の兵器の話はもうしないのか」とのファンの声が根強いのですけれども、これからご研究の方向性は微妙に変わってしまうのでしょうか。

兵頭:日本国民が重大な勘違い、思い違いをしているのではないか--と思うことがあれば、それについて言及することがあるでしょう。いまのところ、兵器その他についてそう思うことがコンスタントに減りつつあるのは幸いです。こんど、別宮さんの『坂の上の雲では分からない 旅順攻防戦』(仮題)という並木書房からの新刊の中でちょこっと対談をしているんだけど、これなんかも、これまで指摘してきたことの「まとめ」だね。

管理人:イラクへの自衛隊派遣では、論壇では真っ先に『新潮45』で「海外派兵大賛成論」をブチ上げられましたね。この場合、「大義」はどうなるのかな、と私共は思うんですよ。そのへん、兵頭先生の「まとめ」を伺っておきたいな~~、と思うのですが、如何がでしょうか。

兵頭:それはですね、「悪い団体に大金を持たすな」ってことに尽きるでしょうよ。悪い団体とは、原爆を作れるくらいの人材がよく組織されていて、ポテンシャルがある、しかもその企図を秘匿できるぐらいの国土の条件もある、しかも基本的に世界、あるいは海洋自由貿易秩序に対しては無責任である中小国です。また、大金というのは、まあここでは「百億円単位のカネ」と言っておきましょうか。この二つが結合すればですね、原爆ができてしまう可能性があるのですよ。しかもその原爆は、即興的に、西側の都市に対するテロの道具として使われる蓋然性が高い。それだから、世界経済の自由化に責任を持ち、自国民を心配する大国政府は、これを防ごうと思うわけです。バース党支配のイラクはこの「悪い団体」の条件を最も満たしていた。彼らの、世界第二の埋蔵石油をして、ロシアや支那や欧米からの武器資材輸入の「信用担保」とさせてはならなかった。バース党と石油利権を、どうしても切り離す必要があったのです。それが米英日の対イラク政策の基本ですよ。

管理人:それでアメリカはイラクを占領した?

兵頭:そうです。全土を占領統治しないと、バース党はけっきょく、石油資源を担保に、外国から核武装のための物資を買い付けてしまうと懸念されたのですよ。信用取引でね。占領統治をすることで、バース党から「悪い団体」の条件を取り去れると結論されたのでしょう。

管理人:それではなぜ北朝鮮よりも、イラクが先でなければならなかったのですか?

兵頭:北鮮は原爆を持っていないからですよ。これは過去に何度語ったことか知れないが……。1994年いらい、「北朝鮮は原爆をもう持った/もうすぐ持つだろう」といった噂が報道されてきました。だが、俺はその当時から今日までずっと、北朝鮮はじつは核兵器など持っていないのだろう--と思っているし、機会あるごとに、雑誌や書籍の中でも、そのように疑うべきだと主張してきた。北朝鮮はもちろん、原爆を持ちたいと思っている。それは間違いのないこと。彼らは、そのための最大限の努力もしているでしょう。しかし、にもかかわらず、連中は、これから何年も、最初の1発目の原爆を持てないであろうと俺は思うよ。これは、飛行機で運搬して投射したりできる「弾頭原爆」だけじゃない。「装置原爆」、すなわちとても大掛かりで重いためにほとんど「地雷」としてしか役立てられぬような原始的・初歩的な技術レベルの原爆すら、北朝鮮はまだ持つには至っていないね。なぜ俺がそんなふうに断言できるのかの根拠は、いろいろだ。が、世間を納得させる力が弱くて残念なことに、そのすべては「状況証拠」でしかない。その状況証拠の最大の有力なものは、北朝鮮じしんが、北朝鮮が原爆を持ったという証拠を、世界に対して、全く示せないでいることさ。つまり、彼らはこれまで一度たりとも、フルスケールの原爆実験をしてみせていないだろ。キミが、金正日という、虚勢を張りながらも怯えている、そして、配下の軍隊の能力を対外的に示威することについてはこれまでためらったことがない独裁者のキャラクターになりきってみれば、これが何を意味するのか、覚ることができるよ。つまり、彼らはまだ「それ」を持ち得てはいないことが、ね。

管理人:「彼らは小規模な実験を密かに、地下で行なったのだ」という人もいます。

兵頭:TNTなどの高性能な軍用爆薬を、平たい丸餅を何十枚も整然と貼り重ねるように配列して全体が球形になるようにし、それを外側から一斉に起爆させ、その爆発のエネルギーが中心の1点に同時に集中されていくような巧妙な超高圧実現装置……これは確かに、プルトニウムを中心素材とした「インプロージョン(爆縮)式」の原爆をこしらえるときに必要とされる装置だよ。しかしそうした起爆機構だけの発火試験を「核実験」とは呼びません。プルトニウム原爆は、1960年にフランスがサハラでそうしなければならなかったように、できれば大気圏内でフルスケール、つまり数十キロトンのイールド(出力)が実際に問題なく発生することをいちどでも実証してみないうちは、とても外国に対して任意のタイミングで行使することができる「兵器」ではないのだ。北朝鮮は、このような実験をしてみせられるような段階より、はるか手前の段階でここ十年間、停滞してきたという印象を、俺は受けている。それが、次の十年で、劇的に進捗するだろうとは、俺には思えない。

管理人:でも北朝鮮の人口はイラクと同じくらいあるし、ある程度教育を受けた人材プールもあるし、排他的な一定の広がりをもつ国土を内側から固めているシステムはバース党以上に堅固ですよね。そこに日本からのパチンコ資金や覚醒剤の売り上げ金が大量に流れ込めば、そっちの方が「悪い団体に大金を持たす」ことになるんじゃないですか。そうなったら、イラクよりは原爆保有によほど近い位置にあるのでは?

兵頭:原爆が1億円単位のカネでゼロから作れるのならばキミの今の話は正しいと言えるね。しかし原爆は、幸いなことに、科学先進国ではない小国がゼロから作ろうとすれば、百億円単位のカネを注ぎ込まなければ実現は不可能なのだよ。イラクならば、地下の莫大な埋蔵石油を信用にして外国からそのくらいの買い物をツケでできるんだが、北朝鮮にはその現金も信用もないわけだ。つまり米国としては日本の財務省をちょいと脅して総連を締め付けさせさえすれば、もともと核開発には十分ではなかった裏金の流れ込みもさらに限りなくゼロにできると見積もったので、イラクよりも北鮮は後回し。もちろん、日本国民としては平壌の有害性はとても無視できない。なにしろ具体的に国民を拉致されたり麻薬を持ち込まれたり、犯罪し放題をされているのだからな。しかしそのくらいは、日本も大国なんだから、自力対処ができなければ、本来おかしいだろ? 世界ぜんたいの面倒をみなきゃならんアメリカとしては、やはりイラクが先となるわな。

管理人:月刊『MOKU』の最終刊の対談記事にありましたように、海上保安庁を国交省と分離して、日本の真の「国境警備隊」にすれば、良いのでしょうか?

兵頭:無論、それは必要だ。国交省は旧田中派の牙城で、親中・親鮮だろ。しかも海保の長は防衛庁長官と違い、国交省の役人が出世をしていく途中のポストでしかないのだ。そんなんだから、海保庁ぜんたいで海自のイージス艦1隻とほぼ同額の年間予算しかないのを、もうちょっと増やしてくれ、と要求する事も、上級組織である国交省の本省の事務官に向かっては、とてもできやしない相談、となってしまっている。

管理人:イラクの石油収入……というか、埋蔵石油を担保にする信用は、北朝鮮が利用できる日本のパチンコ資金などとは比較にならないくらい、莫大なんですか?

兵頭:1996年12月から2003年3月まで、石油と食糧の交換を許すという国連決議のスキームのもとで、イラクは34億バレルの原油を輸出したことになってる。これはかなり制限された量だったが、それでも売り上げは、650億ドルだぜ。そのカネは国連が指定したフランスの銀行口座へ振り込まれ、バース党の手には渡ってはいないことになっているのだけれども、どうだい、巨大な埋蔵利権を担保にすれば、百億円単位の買い物も半ば「闇」でツケでできるのだという想像は、この数値から、キミには容易にできないかね。

管理人:サダムと9.11のアルカイダは関係があったんでしょうか?

兵頭:それは分からん。しかし、1993年4月にクウェートを訪問したブッシュ(父)元大統領に自動車爆弾テロを仕掛けさせたのは、サダムのシンパでないなら、誰だろうか? そいつらがもし核爆弾を手にすれば、それは西側自由主義国の大都市で試されるに違いないと疑うのは合理的だろう。

管理人:イスラエルも、一昨年までのイラクと同様の、国連決議無視の常習犯です。しかも核保有国ですが……。

兵頭:イスラエルが西側世界で核テロを起こす恐れはないと、西側大国では思っているんじゃないの。

管理人:別宮暖朗さんの御説では、平時のイラクの油田から得られる収益は、第三世界諸国の政府にとっては多額と言えても、米国の平時の国防費と比べたら、その足元にも及ばない、というわけですか。

兵頭:そう、だからイラク戦争は、米国にとって「持ち出し」となることは、もう開戦前から明らかだった。米国政府は、世界秩序のために、敢えてそのリスキーな作戦を決断したのだ。カネのリスクだけでなく、人命と政治的なリスクをすべて引き受けた。この米国を、日本政府が、資金でも、マン・パワーでも支援しようと決めたことは、わが政府としたら上出来さ。世界第二の経済大国が、国民がその政府を批判しても決して投獄されたりはしない自由主義体制の他の大国と共に「世界経営」に参画する。これは合格点だろ。「対支那」ではどうも赤点だけどね。

管理人:その兵頭先生の「お立場」は、西部邁さんらとは反対側、という認識で、よろしいですね。

兵頭:俺はまがりなりにも江藤淳の弟子だからね。馴らされない野良犬のままだったとしてもさ。江藤淳が米国を憎んだのにはまっとうな理由がちゃんとあってね。それは、占領期間中の情報管制・言論検閲が心底許せなかったのだ。国民に対する検閲は政府はしちゃなんねえなんていう御リッパな憲法を押し付けておいて、手前達はコバート(隠密裡)で新聞や出版物や個人の手紙の検閲をやってたんだ。そんな表裏あるアメリカのどこが自由の国だ、と怒っていた訳だ。俺はもちろんそこにも全然同意する次第だが、怒りの対象がちょっと違うのさ。その秘密検閲をやったGHQなんかよりもむしろ、そのマインド・コントロールの企図に気づいていながら、その罠にまさにかけられそうになっていた、当時の精神年齢12歳、平均学歴は小卒にすぎなかった日本臣民のためにだよ、カラダを張ってGHQに抵抗をするでもない、むしろ逆にそのGHQ様に積極協力しやがった、日本人の犬インテリの腐れド外道どもに、俺の怒りはどうしても向いてしまう。エリートに武侠精神が無いわけだよ。アメリカ国内では、新聞や雑誌で政府の政策を公然と批難しても、逮捕されたり監禁されたり流刑されたり銃殺されるかもしれないと恐れる必要はないだろう。これは昔も今も偉い。ただし、アメリカ政府が偉いのではない。アメリカ政府にそれを許さないアメリカのエリート達に、日本のインテリには無い武侠精神があるんだ。

管理人:中国や、サダム・フセイン体制下のイラクには、政府批判の言論の自由があるように思えませんもんね。

兵頭:イラクは中東産油国中では人口が多く、近代教育もできていた。しかし民主主義ではなかったし、法治国家でもなかった。とうぜん、報道や学問の自由などもないんだ。支那と同様。バース党の組織力は堅固で、専制体制下での近代化が進められていた。このサダム・フセイン体制と、巨億の石油収入が結びついたままにしておけば、いずれは核兵器を持ちかねない国だったよ。オシラク原発の話を思い出すことだ。対イラン戦争や、国内少数民族の抹殺のために、躊躇なく毒ガスを使わせたサダムなら、原爆だって出来次第に使っただろう。しかしこの点に関しては、もう世界は安心だ。だからアメリカさまさまだ。

管理人:イラクの次のターゲットはどこなんでしょうか? 9.11のアルカイダに資金を流していたのは、サウジアラビアではないのですか?

兵頭:そう疑われているね。しかもサウジはとんでもない専制国家だ。ここにアメリカが肩入れしているのは、かつてフィンランドやバルト三国やポーランドを侵略したソ連をF・ローズヴェルト政権が支援し、戦後はまた赤色支那と何代かの米国政権が裏同盟を結んでいるのと同じで、道義的にはとても汚れたことさ。しかしサウジアラビアは、人口があまりに少ないために、自国内で核・化学・生物兵器を開発する恐れは無かった。ここが、バース党のイラクとの大きな違いなのだ。米英の最大関心事はあくまで、無責任な小国が原爆を作って米英を攻撃してくるかどうか、だけ。とすれば、次はイランだろうね。シリアにはもう原爆は作れない。

管理人:自衛隊のイラク派遣は、世界や日本の何を変えるのでしょうか。

兵頭:いままで自衛隊は、いわばコタツに足をつっこんで寝ていたような状態だったのを、派遣後は、常に中腰でファイティング・ポーズをとらせておくことができるようになるだろう。徐々にね。ここが最大の国益だよ。

管理人:つまり、法制とかが整うのですね。極東の有事に即応できるように。

兵頭:そうとも。拉致問題で米軍を頼む前に、まず大国として自力救済だろう。いままでは、それができなかったのだ。こういう機会でもないとね。自衛隊には国会議員のパトロンは少ないから。

管理人:防衛庁は、初めは米英軍のための「ガソリンスタンド」をイラクに開設するとか言っていましたが、いつのまにか「給水」になりましたね。それも、米英軍に対してじゃなくて、イラク住民向けの。

兵頭:その理由は去年に『発言者』に詳しく書いたが、米陸軍は今次イラク戦争からは、もはや軽油燃料は使っていないんでね。陸自とは燃料兵站上のインターオペラビリティが無くなっているわけだ。内局はそんなことにも気づかず、9.11後のテロ特措法で洋上給油をやった、その陸上版で行ければ、何かと事務手続き上の都合も良いだろうと、当初はそう目算したのさ。たしかに海自と米海軍は同じ重油を使うよ。今もね。しかし陸自と米陸軍はもう燃料がぜんぜん違う。それに気づき、慌てて話を「給水」に切り替えた。しかしどの軍隊も水くらいは自前で補給ができるものだろう。それでしょうがないから「対住民」にしたわけだ。まあ絵に描いたような泥縄なんだけれども、こうやって法制とかいろいろなノウハウが整って、蓄積もされていくのさ。

管理人:大量破壊兵器の除去の手伝いをしに行くんだという項目は、イラク特措法には含まれなくなりましたね。

兵頭:しかし、せっかく給水部隊がいくのだから、この際だ、昔の防疫部隊のように、これからは「後方支援」部隊も対CBRの活躍ができる能力を備えて欲しいよね。これは良い機会ですよ。

管理人:お話は変わりますが、古い武器カンケイのご著書の改訂版は出ないのでしょうか。これはファンの要望が強いのではないかと思うのですが。

兵頭:う~む。俺も以前は収益構造というものを度外視して、純粋な事実窮理に打ち込んだりしたが、これからは態度を悔い改めたい。俺もようやく、同年代の評論家がどうしてあんなに記事をトバしまくるのか、納得できるようになったんだ。すべては扶養家族のためだったんだねえ。だから「調査著作」は減ると思う。この8年ほどで、インターネットで分かることがとても多くなった。当然、その先だ。評論家の本領は。いや、もちろん95年とか昔からのファンの皆様には深く感謝を致しておりますよ。まあ、お笑い芸人は古いネタを何年も後にまた出して使うというわけにもいくまいが、武器の面白い話は、一回しておいたら、8年以上も封を開けたままでも賞味期限が切れないらしいからな。釣り師がいちど「コマセ」を撒いておけば、次の朝きても、その次の朝きても、針に熱烈読者が食い付いておる。餌がなくなっても、彼らはそれを反芻できるようだ。1粒で8年おいしい兵頭本。ワシも「慈善事業」といってよい程な功徳を施したことになろうかのう……。しかし、作者はそれじゃちっとも儲からないことも、分かってくれ。

管理人:「武道通信」のデジタル復刊シリーズでもある程度「原典」に遡れますしね。

兵頭:とにかくあれらを書き直しても、労多くしてインカム少なしと想像がつくから、そんなビジネスにいまさら俺が首を突っ込むだろうなどとは期待しないで欲しい。それから実はだね、2003年秋にパソコンが2台続けて壊れ、古いデータが全部失われてしまったんだよ。

管理人:ハードディスクが壊れたんですか。

兵頭:そうなのだ。壊れた原因は、たぶん秋の地震だろう。電源の入っていないストーブの耐震消火スイッチが知らないうちに入っていたほど揺れたからねえ。それで、何年も前の著作のデータが消えたので、俺としてはまあ、サクッと忘れることにしたのさ。心機一転だ。

管理人:この新春にはいきなり『ニッポン核武装再論』という久々の書き下ろし単行本が書店に並ぶそうで、新しい展開に大いに期待をしております。並木書房さんですよね。

兵頭:管理人さんも、正月1日早々から、借金とりたてに大いに励んでくださいネ。

管理人:ウッキ~ッ。でも、きゃつらは電気・ガス・水道代・家賃滞納しまくり、あまつさえ無職で無収入の筈なのに、それでも私なんかより余程元気に生きてますから、お金がなくても、意外と楽しくやっていけるものみたいですよ。
 どうか先生もお元気でお幸せに。今日は本当にありがとうございました。

おしまい


管理人:如何だったろうか?秋に兵頭先生は心機一転。過去の著述からの演繹で今年の兵頭先生はもう測れないのかもしれない。
 まだまだ私は「兵頭二十八」から目が離せない。


interview with──2003年度新春インタビュー

(2003年頃に旧兵頭二十八ファンサイト『資料庫』で公開されたものです)

管理人:日本で唯一人の軍学者であり兵頭流軍学開祖 兵頭二十八先生が函館へ御引越しされたのは周知の事実だ。兵頭流軍学界のわらしべ長者と呼ばれる不肖・管理人も御見送りさせていただいた一人なのだが、開祖は函館移住を機に遂にインターネットに加入された。
ネットにうずまく誹謗中傷罵倒論考意見提言批判奇声…etcを軍学者はどう見るのか?
また、一般の人があまり知らない(あんまり知る必要もない)ミリタリー業界とはどんな所なのか?
それを知る一助となればこれにまさる幸いはない。
尚、いつもの事ながら、川崎在住の管理人が一体何処でどうやって函館在住の兵頭先生に新春インタビューなど試みたのか──余計な詮索はしないように。
もういい加減皆わかってる筈だ。


兵=兵頭先生
管=管理人

管:新年おめでとうございます。

兵:おめでとうございます。管理人さんやファンの皆様には、今年は良いことがたくさんあるように、お祈りを申し上げます。

管:恐縮です。昨年末はバタバタしていまして、根本的な質問を兵頭先生にぶつけられなかったような気がする。正月で落ち着いたところで、少しそういうお話が戴ければと思います。

兵:バタバタしているのは私もいつも同じですよ。何でも聞いてください。

管:函館ご転出後の2002年の12月末にインターネットを開通されて、もうご承知になっているかもしれませんが、いろんなサイトでの「兵頭批判」に、いったいご本人はどうお考えなのかな……と。それをまずお聞きしたいです。

兵:うーん、自分の名前で検索してみて、ヒット数が60件ならば全部読みたいし読む体力はあるけれども、600件を超えているなんて正直なところ、もう読み抜く気は失いますよ。インターネットは便利なようだが、あれでは本当に大事な情報は、つまらないどうでもよい情報の洪水のために、すっかりマスクされてしまうでしょうなあ。そんなことも発見したが、……してる場合じゃないか。だが、いくら自分のことが書かれていると知っててもねえ。小さなノートパソコンの画面は本当に目が疲れるんですよ。遊び人のように見えて忙しいのがフリーライターなんで…。調査と執筆と、東京との打ち合わせの他に、家事も買い物も納税も、ついでにここでは雪かきも、全部己れ一人で片付けてるんですから。ただ幸いに、私のそのサーチ・コストを省いてくださる、間接的に要約した内容を時々教えてくれる有難い方がいたりしますので、これまでで、いったいどのような方面に批判があるのかは、かなり承知しているつもりですよ。そして勿論、あなたのような愉快なサイトもあることもね。

管:これは恐縮です。でも、絶版でもう誰も書店では買えない本なのにもかかわらず、いまだに無名な奴から内容を批判されて頭に来ないスか?
 どうせ学生でしょ、あの連中。

兵:いや、私の大先輩の批評家でいらっしゃる東大駒場の松原隆一郎さんは、自分の名前でネット検索してみると、それこそ全部悪口ばかり書いてあるので辟易すると、そんな話をどこかで漏らしておられましたっけ。たぶん多くの有名評論家の方が、この松原先生と類似のご感想をネットに対してはお持ちなのではないでしょうかな? 
 一市井人の方があるオピニオンを支持する場合は、それは、自分でネットに何かをわざわざ書き込んだりするエネルギーの熱源とは、なりにくいものですな。そこまでする熱源になるのは、欲求不満とか、憤懣とか、嫉妬心を大いに刺激されたときだ。まあ、これに加えて、ヒマつぶしもあるかな?
 ともかく、高等動物であるヒトは、誰しも嫉妬心を抱くことがあるはずですが、大人の男ならば理性でそれをパブリックには隠そうと考えます。つまり、その自分の卑しい本能を第二者に知られたら恥ずかしいと、第三者の目で自分の姿をチェックする、もうひとつの自我の打算が働くもの。
 それでたとえば江戸時代の戯作者のノリの中には、その嫉妬心の昇華もあったはずなんですよ。現在、「オタク」でちゃんとお金を稼いで喰って居られる方々も、パブリックなポーズとして、計算されたオチャラケができる方々です。
 ところが、自分の幼稚な顔がパブリックには見られる危険のない場所、たとえばこのネットのようなところでは、男のジェラシーのような、社会的には最も恥ずかしい表情が、そのままストレートに書き込まれることになるのですね。その人達は自分の知識でパブリックにお金を稼ごうとは思ってないので、自分の人格や文体を商品と考えない。だから頼まれもしないのにみずから幼稚さを全開にして「男を下げ」ても、平然たるわけです。

管:そういわれれば、岡田斗司夫さんは、あれでなかなか敵が多い人なんじゃないかと思ってますけど、絶対に公式の場では、崩れませんね。言語活動のスタイルが。

兵:だから私のとても尊敬できる知的“男”のお一人なのです。岡田先生は。もっと白状すれば、私が映画の観かたというものを学んだのも、岡田さんからタダで送って戴いた本からですよ。

管:それで、まあ人品の下った「荒ラシ」風情のようなのは、これは軽犯罪者と同じで全国どこにも居るとして、事実の間違いをあげつらってウザくつきまとってくる、ミリタリー・オタクの方面については、いかがなものでしょう?

兵:私がかつて1年以上もミリタリー出版の真っ只中に居て、多くのオタク達のやり切れぬ怨念のようなものをこの目で見、この耳で聞き、肌で承知していない訳はないでしょう。知っていて遠慮をできないのが私のスタイルなので、それも崩せないのですよ。

管:普通の人はミリオタに遠慮するんですか?

兵:あの業界は本当に嫉妬の巷でしてね。発展途上なのです。「文人相軽」と言って、文学とか評論とか学問の世界でも、センセイ同士はあまりお互いを高く持ち上げようとはしない……というかライバルの業績を偉いと思わなかったり、偉いと思ってもことさら無視したポーズをとることが多いのですが、それともレヴェルが違ってい る。私は元『戦マ』の三貴雅智さんをたまたま存じあげておりますが、あれだけ該博な洋書の知識をお持ちでありながらも、なかなか自分のお名前を堂々と冠した単行本は、出せないようですね。それはどうしてかと勝手に他人ながらに憶測を申せば、同業のオタクや読者からの、それこそオタッキーなジェラスに基づく事後バッシングが怖ろしいということもあるんじゃないでしょうか?
 どんな大家だって長いこといろいろ書いていけば、間違いも書くでしょ。私が校正のバイトをしなければならなかった貧乏時代、いや、今も貧乏なんだが、秦郁彦さんの航空戦に関する相当の旧著を文庫にしたのが回ってきて、それをじっくり読んでいったら、なんとあの秦御大ですら、ごく初歩的な誤記はなきにもあらずだと分って、私はびっくりしたことがある。あらかじめ、「このゲラには、疑問出しはしなくていい」とボスにクギをさされていたので、何も書き込みはしませんでしたけどね。秦さんも後から気づいても直さない方なんだと思いますが、同時に、活字になっていることの多少の間違いくらいで鬼の首でも取ったように騒ぐ者は、現代史の学会にはいやしないでしょう。
 「真」の上に「より真」が、少しづつ積み重ねられていく、そういうレフェリーの事務的手続きが成熟している世界だからです。ミリオタの世界はまだとうていその域ではなく、雑兵が侍大将に「一番槍」をつけようとして、熱中している感じかな。

管:つまり、兵頭本の悪口をネットで書いているようなミリオタも、活字の世界で自分から一歩前に出て何か新説体系を世に問おうとする度胸は無いってことですか?

兵:度胸というより、かれらを需要するマーケットがないですね。一つ確かなことは、私の本に間違いがあることを読んですぐ分る人は、日本にはきっと何十人もいらっしゃるでしょう。そして、自分が自分の研究を世に問い続けている人であったなら、それについて特別なご発言などなさりますまい。なぜかというと、真に有意義な男の仕事とは何かをご存じだから。人の間違いを指摘しても、自分の研究は進歩しないでしょ。それは編集者とか校正さんがやれば良い仕事でしょ。誰も気がつかないことに迫ろうとする仕事だけが、著述家を最先端に位置させるのですよ。読者も、そのジャンプの過程を追体験したいと思って、その著作を求めるのでしょう。

管:どっちでもいいような害のない間違いについては、ほっときやがれ、ということなんででしょうか?

兵:間違いはどこかで誰かにより指摘されるべきです。『地獄のX島』で私は鎖鎌の話を長々と致しましたね。読者ハガキによると、多くの人があの部分が余計だと思ったらしいけど、あそこはとても重要なメッセージなのです。現物、もしくは書き残された確かな「証拠」が図書館に保管されなければ、鎖鎌のようなフェイクに、一国の国民が、400年もひっかかり続けてしまうという話をしたのですから。是非そこに、もっと注意をしてくれなくては。
 まあ考えてみて下さい。私の書いたことに単純な間違いがあれば、じき絶版になるタイトルが残念ながら多いとは謂いじょう、私の活字は図書館にこれからずっと残るのですから、今すぐにではないにしても、いつかは誰かがきっと、間違った箇所に気づくでしょう。だから、広く深く研究をなすっている方は、他人の「いつかは露れる単純間違い」については、その本を読んだ瞬間に気づくのですけれども、特に何か指摘する必要は感じない。それはいずれ自動的にハッキリするものですし、正直、最先端の研究家には誰もそんなヒマはないんですよ。むしろ「筆者すら気づいていない正しいこと」を、その人の著作の中から一つでも発見しようとして、鵜の目鷹の目なんです。
 ご承知のように、ある単行本を、改版をして再発行できるような機会は、必ずしもすべての著者には与えられません。いちど図書館に収めてしまった初版本を、後から修正することも、当の著者には不可能ですよね。しかし、図書館に「証拠」を保存しておけば、鎖鎌のように400年も経たずして、いずれは真偽が明らかになる。だから日本をすぐにも破滅させてしまいかねないような大間違いでもない限り、活字媒体を図書館に残した著者は、後からそれを遡及して修正できなくとも安心なのです。これは、批判を受け付けないということではありませんよ。本を出すということが、すなわち、批判してくださいということなんです。言ってみれば、私の本の校正は、出版前ではなく、出版後に、オタク達に任せてあるのです。バイト料0円で申し訳ないですけど(笑)。ただ、批判も永久的継続的なものでないと世の中の進歩にならないから、理想を言えば、それは一過性のネットではなく、できるだけ図書館に収められる活字媒体の上でしてもらいたいところなのですがね。そういう批判の積み重ねによってこそ、過去の活字は正しく生きます。その信頼感なくして、本なんかだしませんよ。

管:批判者の本音は、兵頭先生のような有名な人に、「あなたの指摘はすごく正しくて、あなたは私よりも細かいことをよく知っている、偉い」と、公式に褒めてもらいたいんじゃないでしょうか?

兵:そんな酔狂な人がいるとは私には思えませんけど……。人に褒められたいと強く願う人なら、まず第三者の目で己れというものをチェックするわけです。とすれば、同じ批判でも何か「うまい」、アトラクティヴな文体を演出しようとするはずで、そういう心掛けのある人であれば、きっとマーケットの方で見逃さないでしょう。つまり、とっくにプロのライターとして自分の名前の単行本を大いに売っていらっしゃるはずです。もしも、社交性の破綻した、文体人格に自己研鑽の努力も工夫も厭がるオタクの鬱憤の捌け口にインターネットがなっているとしたら、インターネット以外のネットを別建てで何か考えなくちゃいけませんでしょうな。私などは早めに業界のコアからは足を洗いましたから、これで幸運かもしれません。

管:現実に活字のマーケットで、一人看板で商売ができているミリオタは、あんまし多くないですよね。

兵:今では関与の度合も薄いのであまり悪口もいいたくないが、つまり「大奥」のような雰囲気が、あの業界の全般にあるのです。陸・海・空ぜんぶそう。何かを発表しようとすると、先に身体が硬直してしまうというか、お互いに縛りあっているのだから不毛なものです。新しい体系的な「意味づけ」の試みがどんどん公表され、建設的な批判に曝されなければ、全体の研究がいつまでも進歩しないでしょう、それでは。
 早く成熟してくれないとね。その点、「戦前船舶研究会」の遠藤翁などは、偉大なものですよ。あのお歳でね。

管:具体的にどうなることが「成熟」なんでしょうか。

兵:これが学会だったら、どの情報源、どのオピニオンの引用元もハッキリとしていて、知識のヒストリーとしての「索引」が完成されているものです。ところが、そもそも洋書のパクリからスタートしている戦後の日本のミリタリー専門書業界では、その「索引」がほとんど整備できてない。パクリの連鎖の元をたどっていくと、洋書かどこかに行き着くわけだが、その洋書の信憑性がまず不明だったりするのですよ。だから誰もジャッジ不能。この調子では、あと半世紀たっても、日本の研究は毛唐に勝てません。索引の完備している学会でも、日本人の研究は遅れているんだから。

管:大目的として、外国に勝つということがあるのですね?

兵:もちろんです。おそらく私の本の間違いを指摘してくれる人の6割くらいは、日本が強くなり、日本が戦争に勝てる国になることを願っている人たちだ。ということは、「戦前の日本はどうしようもないだめな悪い国で、負けて当然だった」という司馬史観のアンチであるという点で私と立場は何も違わないじゃない。仲間よ、大いに頑張ってくれ、とエールを送りたいですよ。惜しむらくは、もっと核技術や宇宙技術や通信電子技術について共に語れる人が増えてきて欲しいね。戦車の話はかなりもう終ってると思うよ。後から勉強した諸君にはちょっと不憫ですけどね。誰も手をつけてない分野を、人に先んじて研究しな。老婆心ながら。さもないと毛唐に勝てねえぜ。

管:経済や政治の話が、これからは大事なんですか?

兵:「これからは」じゃない。最初から最後まで大事です。私の「おっかけテーマ」は知ってるでしょ。「権力」の問題ですよ。国の権力。人の権力。それは技術が左右することもあるが、政治はもっと左右する。たとえば、核物理学者たちが原爆を作ったんじゃないんだ。F・ローズヴェルトが原爆を作ったのです。あの主だった学者たちのうち、最初から米国籍だった者はほとんどいないのですからね。ところがこれを「米国だから原爆が作れたんだ」という人たちが、まだまだ日本には多い。つまり「日本には原爆は作れない」と言いたいわけです。これが戦後の「腐った精神」なのです。そしてそれは、司馬史観ととても近い。腐った精神から軍事技術を語る腐った軍事オタクを、見破らなければなりません。もっとも、そいつらは自分で頼まれもしないのに長い文章を書き、機会あるごとに自白してるんですけどね。

管:「腐った軍事オタク」は、矯正できるんでしょうか。

兵:できません。討議は成り立たないのです。言葉というのは便利なもので、永久に自説以外の他説を否定し続けることもできる。それはネットの歴史に詳しい貴方には、よくご存じじゃないですか? ただしディナイヤル(否認)によっては権力はとれない。いつまでも隅っこでクダまいてるだけ。それが日本国にとっては、僅かに救いです。

管:長々とありがとうございました。また読者の疑問なんかをぶつけたいんで、こうしたインタビューをお願いしても良いですか?

兵:いや悪いけどもう勘弁してよ。写真とか、いろいろやったじゃない。君たちに一を与えると次には十を要求してくるから困る。生活費をくれよ。そんなに私の時間をムダな、非生産的などうでもいい世間話に拘束したいなら。次の単行本がぜんぜん止まったままだよ。この調子じゃ、メシの食いあげだぜ。……というわけでスマンが、これからしばらく、調査と思索と執筆に専念したいから。質問等は控えるように。オレも人が善いから、質問されるとつい、答えてしまいたくなるんでな。じゃあね~、バッハハ~イ、ギロギロギロバチ(こんなん知らないか)。

管:本当にありがとうございました。私くらい幸運な兵頭ファンはいないと思います。

おしまい


interview with──E先生の手紙

(2003年頃に旧兵頭二十八ファンサイト『資料庫』で公開されたものです。尚、『手紙』中の『草々頓首』等の位置がおかしい場合、全て管理人のミスです)

管理人:師弟関係…重い言葉である。一人ぼっちでは生きていけないもの。
さて、一人で生まれてきたような我らが兵頭流軍学開祖 兵頭ニ十八先生にも「師」と仰ぐ、「E」で始まるあの御仁がいる事は周知の事実だ。
しかし、その期間何が起こりまた何が始まったのか──についてファンは殆ど知らないのではないだろうか。私は知らなかった。
そんなわけで今回のインタビューである。
前回と同じく、「貴様一体何処でこんなインタビューが出来たんだ?」という余計な詮索はしないでいてくれるよう希求する。勘の良い人にはわかる筈だから。


兵=兵頭先生
管=管理人

管:今日は、兵頭先生の「論壇デビュー前史」の中でも未解明部分が濃い、故・E教授とのご関係とか、そのへんについて何か、お話しを願えませんか?
 「創作雑話」の番外編ということで。第2回目でいきなり番外というのもナンですが……。

兵:文筆業界の人間関係、師弟関係、派閥関係等は、雑誌の編集者ならカケダシの記者さんでもみんな知悉していることで、私としても何も皆さんになんら隠しだてしているわけではなかったのです。けれども、大学院卒後のE先生と私の間にはしばらく黙約のようなものがあったと思っています。私は、自分の戯作者または評論家としての地位を確立するまでは、E先生との関係を誰にも吹聴しない。そしてE先生も、裏ではいろいろ私に書かせるキッカケを作為してくださるけれども、表では一言も私が弟子だなどとは公言しなかった。私の方は、若い奴によくある、ケチな意地からでしたけどね(笑)。
 例の『東大オタク学講座』の中で、私は初めて公けにE先生のことを語りました。これは計算して語ったんです。それをE先生も間接的に、おそらくは慶應の学生経由でお聴き取りになった。その後、たしか『文学界』の桶谷先生との対談の中かどこかで、さりげなく、E先生は私の名前を「弟子」として初めて言及されたと記憶します。ちなみに、最後に先生が私について公的に触れられたのは、慶應大「最終講義」の中で、東工大の「教務補佐」--これは学内で院生が就任できるオフィシャルなアルバイト職名なんですが--として研究室の掃除を仰せ付けられる者として登場すると思います。台詞が無い「通行人A」みたいですけど。

管:そもそも、大学院ご進学前のご関係はどのような感じだったのでしょうか。

兵:ここに、ずっと筐底に保管していた手紙の束があるので、ひとつひとつをご紹介しながら、説明致しましょう。こんな機会にでもないと、記録に残しておくことができないかもしれないから。
 これが、私が持っている、E先生からの手紙のすべてです。少ないですよね。悲しいです。
 以下すべて、差出人アドレスは、E先生の印判によって押印されていますが、省略しましょう。それから、E先生の手では、撥音「っ」は表記が「つ」とほとんど紛う大きさに書かれているのですが、ここでは便宜上「っ」に表記統一しておいてください。
 まずこれが、私にとっては歴史的な、一枚目の御葉書です。横浜市白楽のアパート宛て。強い雨の日に配達されたために、万年筆の青インクがにじんでしまっております。
 官製はがき。千鳥/84[か?]/86.12.8.12-18/TOKYO/CHIDORIの消印。左隅にペンで「十二月八日」。裏の本文。


拝復、大変素晴しい感想文をお送りいただき、洵に有難う存じました。文字通り一読三嘆いたしました。コピーして「諸君!」編集部に読ませようと思いますので、何卆御諒承下さい。遅ればせ乍ら御礼迄に。一層の御研鑽を祈り上げます。

敬具

管:アホな訊ね方でしょうけど、これを受け取ったときのお気持ちは?

兵:福田和也さんは、まだ無名の時分、E先生が評価していたよと一人の編集者から知らされて電話ボックスで泣いたと告白されておられますけれども、私の場合は、E先生の偉さをこの時期にもまだ何も弁えなかった大馬鹿者、大迂濶者でしたから、『これで運が向いてきたのだろうか』と単純に喜んだだけだったと思います。しかし実際に東工大に呼ばれてナマのE先生に面晤を賜りましたとき、その超一流の人物であることは、2年間の自衛隊体験で人に対する驚きの感受性というものを失っていた私にすら、ほとんど衝撃的なほど歴然としていましたから、私も目黒からの帰路に頭を冷やしに立ち寄った東横線沿いの喫茶店で、思わず泣きそうになったのを覚えています。

管:その「超一流」とは、どんな感じなのでしょうか?

兵:私が言おうとしてうまく言えないことを、私の脳ミソに代わって、「つまりそれは……(中略)……なのでしょうね」とか、少しの遅滞もなく、ドンピシャの日本語に表わしてしまわれるのです。圧倒された体験でした。あのような理解力の持主には、その後、一人もお目にかかったことはありません。

管:で、「当世書生気質」の兵頭先生の御文章は、いま、どこにあるのですか?

兵:こっぱずかしくて残しておけるようなものでないから、捨てたと思います。しかしその骨子は、修論や雑誌寄稿その他に、これまでほとんど反映しました。というか、この直感的な「感想文」を理論めかして塗粧するために、私は2年間、東工大で遊ばせていただいたようなものなんですよ。

管:国立大の大学院で、しかも理数系のところに、言うては悪いが二流の私立の神奈川大から、簡単に進学できるのですか?

兵:「イチゲン」さんですと、これは簡単ではないが、指導教官が事前に確定しているという特殊なケースの場合は、話が簡単になるのです。要するに、数学のテストで0点さえとらなかったら、なんとかなると聞かされました。そこから、我ながら信じられないような、数学の特訓が始まったのですよ。高校の微分からやり直し。……今じゃ微積ももちろん、統計学の数式なんて、ぜんぶ笠の台のメモリーから揮発してますけどね。典型的な受験勉強というやつを、いい歳こいて体験しました。
 これは、その頃に頂戴しました、官製はがきです。表側。消印が、鎌倉/62/4.4/18-24とあり、表側左にペンで「四月四日」。宛先は、横浜市白楽の私の当時のアパート。裏側。


拝復、お便り有難う存じました。
日々御精進の由、心強く思います。数学と統計学は必須の関門ですから是非とも突破していただかなければなりません。部屋を片付けると頭も整理されて数学がよくできるようになります。余分なものを捨てることです。
お元気で!

匆々不一

管:なんで、部屋を片付けろ、とかの御説教が書かれているのでしょうか?

兵:じつは、黒電話のベルがうるさいので、靴かなにかが入っていた紙箱の中にふだんは突っ込んでおいたのです。あるときベルが鳴り、あわてて受話器をとりあげようとしたら、当時の電話は重いし滑る。ツルリと取り落として、断線させてしまったのです。直感したのですが、これはE先生からのお電話だったと思います。それで「部屋が乱雑なため、かくかくの出来事がありました」と、こちらから一筆したためたことがありまして、そのリスポンスなのです。

管:次のを拝見できますか。

兵:……これだ。封書ですよ。消印が、千鳥/8×/87.0××××12-18、となっていて、一部判読できません。裏側にペンで「六月七日」。宛先は、川崎市小杉御殿町の2軒長屋です。私は引越しマニアでしたのでね。


拝復、五月十六日付と六月三日付のお便りいずれも拝見しました。「諸君!」は残念でしたが、執筆者と編集者には相性というものもあるのであまり気にしないほうがよいと思います。五ヶ月間修業したと思えばよいでしょう。他の雑誌としては「正論」などは如何ですか?編集長への名刺を同封して置きます。
数学の進み方については三輪君からも報告を聴いています。どうか粘り強く頑張って下さい。毎日必ず一時間づつ数学をやる習慣をつけたらいいのではないかと思います。もし万一東工大の大学院入試に失敗した場合でも、私の研究室の研究生になり、実質的には東工大に通いながら、更に数学の勉強を続けて来年度の大学院入試に備えるという方法もありますから、くれ/\゛も短気な判断で諦めることのないようにお願いして置きます。
今年度は主任という役をやらされているのでひどく忙しいのですが、夏休み前(七月にはいったら)に一度研究室をお訪ね下さい。お電話を待っています。

敬具

  六月七日

○藤 ○

 斎藤 浩 様

管:これはどういう意味なんでしょう?

兵:後に『諸君!』に三連載されることになる核武装論文の原形が、このときは何ヵ月か保留された後に「没」になってるんですよ。まさにE先生の仰る通り、こういうのは「相性」だとしか思えません。一般に、雑誌の編集部の人事異同で、それまで書いていた人が載らなくなり、それまで載らなかった人が書くようになるという現象は、よくあります。私が『SAPIO』に書かないようになったきっかけも、担当編集者が『週刊ポスト』に移られたからでした。引き継ぎはないのですね。もちろん、その逆もあることなので、その呼吸をE先生は予め教えてくださっているわけです。
あと、今でもこの件で覚えていますのは、文藝春秋社のような立派な版元ともなると、没原稿にもちゃんと稿料をくれるんですよね。五万円くらいも貰って、そこから1割の税は天引きされている。そうしたことの一いちに、感動したのを覚えていますよ。

管:「三輪君」って、誰ですか。

兵:私は東工大のE教授の研究室では最後のたった一人の院生だったわけですけれども、じつは先輩が一人だけ居られまして、その方です。○井○之○先生の研究室に所属されてたんですが、○井先生が青山に「割愛」されました時に、E先生が博士課程から引き取られた形で……。この東工大はえぬきの三輪先輩に、田園調布の御下宿にて、私は数学の家庭教師になって戴きまして、入試0点は免れた。だから、やはり恩人の一人であります。
また、「短気を起こすなよ」というご警告にも、改めて恐れ入ります。私は「TANK短気たぬき」という異名もあるくらい、見切りが早いのです。

管:う~む。お次はこれですか。

兵:官製はがきで、消印が、鎌倉/62/7.27/8-12、となっている。表左側にペンで「七月二十五日」。川崎市小杉御殿町の長屋宛です。

拝復、出願手続きを終えられた由、なによりのことと思います。小生七月二十七日(月)より八月末日まで、軽井沢の山小屋で過します。住所と電話番号は次の通りです。

〒389-01
長野県軽井沢町○ヶ滝○○○
(〇二六七)○○-七七○○
なにか御連絡いただくときには、上記にお願いいたします。頑張って下さい。
身体を大切に! 

敬具

管:軽井沢の別荘ですか。

兵:私はその別荘とやらには一度もお邪魔したことはないです。が、軽井沢というのは、長野市のガキ共にとっては、学校のバス遠足でちょくちょく遊びに行くところでありまして、敢えて言わせていただければ、なにを好んでお金持ちの人々はこんなところに別荘を買うのか。もっと長野県には他に良い別荘地がありますぜ、と言いたいところなんですけど、E先生にいわせると、やはりそこは避暑地での「要人」との会合が一つの目的であったので、他のリゾートではダメだったのです。当時の軽井沢は、長野市からよりも、東京からの方が、時間的には近かったかと存じます。

管:次のは封書ですね。

兵:消印が、千鳥/87 11.2.12-18、と見えて、裏側にペンで「十一月一日」。宛先は川崎市小杉御殿町。この時期には、もう進学試験も合格だったでしょう。裏面の本文。

拝復、お便り拝見しました。
卒論に取り組んでおられるとのこと、洵に結構と思います。よいものを書き上げて、大学院での研究の基礎をつくって下さい。卒論が完成したら、一度是非御連絡下さい。本学大学院での研究の心得について、あらかじめお話して置きたいと思います。
そのほか、外国語、漢文等、研究の土台になる基礎学についても、気を許さずに御勉強下さい。大学院入学後に、あるいは学部一般教育の統計学を履修していただくことになるかも知れません。いずれにしても、工学修士になるコースを歩むわけですから、理工系の単位も取っていたゞかなければならぬだろうと思っています。
向寒の節、身体を大切にして入学に備えるようお願いして置きます。御連絡をお待ちします。

敬具

  十一月一日

○藤 ○

 斎藤 浩 様

管:エ~ッ、これによると、兵頭先生って「工学修士」なんですか?

兵:シーッ!それを大声で言うてはならぬ!
 いくら文系に近い研究のできる「社会工学」専攻じゃからとはいえ、数学のロクにできもせぬ工学修士を東工大が送り出したことがあると知れては、関係各位に障りもあろうからのう。国の文教予算を使って、三流の劇画原作者を製造したのかと突っ込まれてもマズい。故に、私も、この肩書は自分からは決して名乗ったりはせんのじゃ。

管:「卒論」は何ですか?

兵:これは国会図書館と防大図書館に1冊づつ寄贈されている『最近国際関係論叢』という、タイトルの古風で厳めしい割りには権威ゼロな、「神奈川大学国際関係論セミナー」(3~4年生対象のゼミナール)を著作権者とする、1988年2月にガリ版刷りを綴じて50部作った「ゼミ論文集」、そこに収めている数編の駄文のことであります。赤面の至りでございます。ちなみに当時はNEC「文豪」という、同じメーカーなのにPC -98とはぜんぜんシステムが異なる、しかも文豪のくせして少しも漢字を知らぬどうしようもないワープロを使っておりまして、この文集の活字になっている部分の多くは、私がボランティアで打鍵したものですから、なつかしい。

管:次のはまた、官製はがきだ。

兵:消印が、千鳥/63/88.2.1.12-18/TOKYO/CHIDORIとある。表左側にペンで「一月三十一日」。宛先は川崎市小杉御殿町の長屋。葉書の右下隅が欠損していて、表側に「この郵便物は、取扱い中に汚損しました。/誠に申し訳ありません。深くおわび申し上げます。/211 中原郵便局」とタイプされた付箋が貼付されている。

拝啓、奇妙に暖い冬が続いていますが卆業試験はもう終りましたか?二月中旬頃、一度ゆっくりお話する機会を得たいと思います。二月十六日(火)の正午頃は如何ですか。昼食をしながら論文のこと、今後のことを御相談したいと思います。


御都■【以下1~3字欠損】
御一報■【以下1~3字程度欠損】
ば幸甚です。

敬具

管:差出人が偉そうな御仁なので、郵便局でも気を遣ったのでしょうね。

兵:しかし宛先は木造平屋の貧乏長屋なのだから、コントラストだね。その長屋も引っ越して、私は目黒区大岡山のすぐ裏手に拡がる住宅地、世田谷区の奥沢に移るのだ。進学が決まってみると、もうこんな砂埃りだらけの川崎なんぞにゃ住んではいられねえ、と思ってね。

管:(私いま川崎に住んでるんですが…)奥沢といいますと、高級住宅街と聞きますが。

兵:高級住宅街の中にもスラムみたいなところがあるのが日本よ。廃品回収業のオッサンちの木造離れでね。ネズミとの連夜の「化学戦闘」を繰り広げたのは、そこなのさ。

管:そこに早速舞い込んだのが、次の官製はがきですか。

兵:そのようです。消印が、牛込/63/88 7.27.8-12で、表左側にペンで「七月二十三日」。

前略、岩島久夫、波多野澄雄両氏の住所等左の通りです。一筆お礼状をお出し下さい。要件迄に

匆々 不一

〒158
【※所番地、1行略】
【※電話番号と姓名、1行略】
〒305
【※所番地、1行略】
【※自宅電話番号、1行略】
【※勤務先電話番号、1行略】
【※姓名、1行略】

管:このお二方は?有名な方々ですよね?

兵:大学院生は何かの学会に所属する。そして、学会の中には、入会の手続きのために、複数の推薦人を必要とするところがあります。E先生がこのお二人に頼めと仰ったのは、「日本防衛学会」への入会でした。岩島さんといったら、防研の元所長ですぜ。この人一人でも充分すぎる!
 波多野さんは、私は残念ながら面識が無いものの、E先生の薫陶も受けた御方で、大東亞戦史についてはかなりなご権威。私のような小僧には本当にもったいなかったんで。……情けない話ですが、せっかくこうしてE先生のお蔭で入れたこの学会、『戦マ』の辞職後、たちまち年会費の払い込みが滞り、今では名簿からも抹消されている筈ですな。トホホ……、トホホホ……。

管:次は、その『○車○ガ○ン』時代の書簡ですか?

兵:そうなります。官製はがき。消印は、鎌倉/2/6.4/12-18と見える。表左側にペンで「六月三日」。宛先は、白山のマンションです。
本文。

拝復、「戦車マガジン」お贈りいただき、洵に有難う存じました。資料がお役に立てて何よりでした。当方三田、日吉、藤沢の三つのキヤンパスを駆けまわって愉しくやっています。どうかお元気で。取急ぎ御礼迄に認めました。

敬具

管:これは何の意味です?

兵:在米の日系人の、戦中~戦後の写真集をお持ちであったので、複写のためにお借りしたのです。私が東工大を出る直前にね。でもこの時点では、私はもう『戦マ』の正社員。E先生は慶應大学に移っておられた。しかしどうです!
 本当に文字が生き生きとしているでしょう。おそらく、E先生の得意絶頂の頃じゃないかと思うのですよ。私は「割愛」が本決まりとなった頃に、研究室で「これで先生は復讐ができるのですね」と申し上げたら、E先生はニンマリされていた。噫々しかし、その宿願成就が、E先生の寿命を縮めた気がしてならぬ。あのまま東工大におられたなら、今でもご健在であっただけでなく、学部長以上の公的ポストも得られた筈と思われるのに……。「そんなに慶應がいいんですか?」とお尋ね申したいよ。けれども、たぶん、そんなにいいんでしょうな。あのクラスの方々には……。不思議な一致ですけど、どうしたわけか、東工大を「割愛」されて、他所の大学で花が開いた教授というのは、あまりいらっしゃらない気が致しますですよ。

管:次のは……素っ気ないですねえ!

兵:ああ。これですか。平成3年元旦の年賀状ですか。宛先が、今はない神保町の戦車マガジン気付。裏側にペンで本文。

御活躍を期待します

 これは素っ気ない。確かに。しかし、この時期のE先生は、慶應大学内の「政治」をいっしょうけんめいやっておられたのではないでしょうか。賀状が短節なのは、大活躍中である証拠なのですよ。そして私はといえば、とにかくミリタリーオタクの専門知識の吸収に努めていました。一度は何かの専門家になってからでなければ、全国版のオピニオン誌に堂々と評論なんか書けないと思っていたのです。それで、早く論壇にデビューさせたいという親心であったE教授には、「こいつはもうダメだ」と見限られていたかもしれません。

管:次のも、神保町の「戦車マガジン」編集部気付、となってますね。

兵:官製はがき。消印は、鎌倉/3/11.7/18-24と見えます。表左側にペンで「十一月六日」。裏の本文。

拝復、「戦車マガジン」別冊お贈りいただき洵に有難うございました。編集人に学兄のお名前が記されているので感慨無量でした。小生、腰痛治療のために二ヶ月程入院し、一週間前に退院したばかりです。しかし厄介な病気ではなかったので、他事ながら御休心下さい。ご活躍を祈り上げます。

管:この別冊とは?

兵:調べてみてください。初版の奥付から判明するでしょう。……平成4年の賀状はありません。

管:それで、次は平成5年元旦の年賀状ですね。

兵:はい。文京区白山のマンション宛です。裏側にペンで本文。

お元気で頑張って下さい

管:……って、素っ気ないですなぁ!

兵:いいんです。偉い人が、何者でもない者に下される葉書は、この程度で。

管:おや、次は長めの文章ですね。

兵:これですか。消印が、鎌倉/5/9.4/8-12で、官製はがき。表側にペンで「九月二日」。白山のマンション宛ですね。本文。

拝復、お便り有難う存じました。
様々な新分野で御活躍の御様子、大慶至極に存じます。マスコミ界も不況の折からなか/\大変たろうと思いますが、どうか学兄の独創的な持味を生かして頑張って下さい。「さいとうひろし」の名が一層挙がる日を心より期待しております。

管:これは、劇画原作への激励ではないのですか?

兵:そうだったかもしれません。しかし、批評ではないのですよ。これは、完全な無関心なのです。私には、分ります。ちなみに「マスコミ界」とあるのは、平成5年4月に私は「S」という麹町にあった日テレ系の番組制作会社の正社員になって、そうしたことはE先生には逐一ご報告をしていたからです。「S」には8月までいました。そして9月には今度は恵比寿の「M」という会社に転職し、そこでは税理士向けの土地ビジネス関係の特別な月刊誌の編集に携わります。そしてちょうどその頃、「○ル○1○」の私の原作が作品化され始めているのですよ。で、私はサラリーマンがつまらなく感じられてならぬようになったのと、劇画原作に見込みが持ててきたのとで、平成6年2月からいよいよ本物のフリーターになってしまうのです。これは、ながい・みちのりさんという活模範が身近にいらしたので、私も決心することができたのです。

管:でも、原作では喰えなくて、またミリタリーに戻ってきた……。

兵:情けないのですがね。次の官製はがきを見てください。消印は、藤沢/7/95.4.17,12-18とあり、慶應の藤沢キャンパスから投函されたのかもしれませんな。そして宛先は、小石川の木造アパートだ。ここはなんと石川啄木が死んだ場所のすぐ近くですよ。いま私は函館にいますから、何か因縁を感じますよ。で、本文。


拝復、此度はお便りを添えて「日本の陸軍歩兵兵器」お贈りいただき洵に有難うございました。“兵頭二十八”というペン・ネームもなかなか風格があり学兄にピッタリだと感心しています。お元気で御精進の趣きなによりと存じます。修論の線に沿った三冊目を特に期待しています。くれぐれも御自愛下さい。

  四月十六日

敬具

管:こ、こんな葉書があるのですか。これではもう、ペンネームは変えられないですわね。

兵:一生変えられません。ちょっと幇間みたいなんですけどね。もう仕方ない。「修論の線に沿った三冊目」が何のことかは、分りますね?

管:分ります!

兵:それで次の封書。なんと内張りが金箔ですよ。消印は、鎌倉/7/11.20/12-18とある。裏側にペンで「十一月十九日」。小石川のアパート宛です。本文。


拝復、お便りと御新著「日本の防衛力再考」洵に有難うございました。早速拾い読みしたところ大変鋭い御論考で、御勉強の実が上っていることが感得され、嬉しく思いました。年内は無理かと思いますが、明年になったら私が主宰している研究会で御発表いただけないだろうかと考えています。その節は事務局から御連絡させますのでよろしく願上げます。
時節柄くれ/\゛も御自愛の上御研鑽下さい。        草々頓首

  十一月十九日

 兵頭二十八様                           ○ 藤○

管:久々に暖かいお手紙ですね。

兵:劇画とはぜんぜん反応が違ってますでしょう。

管:「研究会」って何ですか?

兵:半蔵門に近いPHPビルの某階で月に1回開かれていた、クローズドな、秘密の会合なのですよ。晩メシ付きで、しかも帰りがタク券使い放題だったので、貧窮のドン底にいた私は感激しました。誰がメンバーだったかは言わない方が善いのでしょう。ただ、私が初めて福田和也さんに面謁したのは、この会です。E先生が、引き合わせて下すったのです。

管:あれっ、それなのに、この賀状になると、はまた寂しい……。

兵:平成8年元旦のものですね。小石川のアパート宛。裏側にペンで本文。


御健硯を祈ります

管:ご多用なのですね。きっと。

兵:この葉書は冷たくはありません。平成8年から私がまず『SAPIO』、ついで『諸君!』にも書かせてもらえるようになったのは、もちろん、E先生の裏からのさしがねですよ。これらの編集者がまったく自主的に『日本の防衛力再考』を購読したはずがないですからね。きっとこれ以降の私については、管理人さんがむしろ詳しいのではないですか?
 そしてこの賀状は、私がE先生から貰った、最後から2通目の書簡ということになるのです。

管:すると、これが、最後の手紙ですか。

兵:封書であります。消印は、鎌倉/10/5.5/8-12とある。裏側にペンで「五月四日」。受け取りが6日であったと、兵頭が備忘記入しております。本文。


拝啓、鎌倉はつつじの季節になりました。御健勝の趣きは昨五月三日付「東京新聞」の紙面で確認し、益々御健硯の御様子にて大変心強く思っております。
「新潮」六月号本日落掌、早速拙著「南洲残影」の御書評を拝読、少からず嬉しう存じました。褒めていただいたのも勿論嬉しいのですが、さすがに細部まで一々お調べになった跡が歴然としており、テニソンと外山正一のくだりでは比較文学的手法まで援用されていて、さてこそ東工大のわが研究室の学風を継ぐ書き手と舌を巻いた次第です。
桐野については御指摘の通りで、最後になって漸くその正体がわかりかけて来ました。学兄が他日桐野と篠原をお描きになるのを愉しみにしています。
右、とり急ぎ御礼迄に認めました。時節柄くれ/\゛も御自愛下さい。貴文は必ずや文芸評論家諸君にも衝撃を与えたに違いありません。

草々頓首

 平成十年五月初旬

江藤 淳

 兵頭二十八様

           硯北

管:本当にありがとうございました。

おしまい


interview with──創作雑話

(2003年頃に旧兵頭二十八ファンサイト『資料庫』で公開されたものです)

管理人:我らが兵頭流軍学開祖兵頭ニ十八先生とはいえ、生まれながらに「軍学者」の肩書きをもっていたわけではない。
小学生の頃もあったし、また編集者であったりした。
 ともかく、「軍学者」の前身である「劇画原作ライター」の頃、何を思い何を考えていたのか──把握してるファンは余程勘の良い人だけではないだろうか?
 それを少しでも解明できる──助けとなる──かもしれない某月、某日のインタビューの記録をここに残す。
 尚、神奈川在住の管理人が函館在住の兵頭先生に一体何処でインタビューをしたのか…など余計な詮索をしないよう希望する。勘の良い人にはわかる筈だ。


兵=兵頭先生
管=管理人

管:脚本書きの修業は簡単でしたか?

兵:最初は手探り、手当たり次第の勉強です。それで、ごく基礎的なところが抜けてしまったりする。たとえば、日本語のシナリオは「タテ書き」でなければいけないんです。常識なのですね。ところが「AK-93」は無謀にも、横書きのワープロ印刷で提出してしまった。受賞の決まった後から、○い○う・○か○先生から「ワシは横書きの日本文はいくら読んでもコマ割りやページ割りのイメージが浮かばんのじゃ。タテ書きにして提出し直せ」と、担当編集者を通じて命じられてしまいましたよ。

管:『○ル○1○』には、無数の原作者が存在するのですね?

兵:私が参入した時点で既に何十人も居られるのだということでした。『○ッ○コ○ッ○』に最初に掲載された作品の最後のページの下の方に、「原作(協力)」としてクレジットされている人こそが、シナリオを持ち込んだか、あるいは担当編集者から依頼されて書いた本人です。そのクレジットは、○イ○社で単行本になったときには、消える。つまり真の原作者には最初の原稿料が一度だけ○学○から支払われ、それでその著作権は買い取られてしまい、あとはどこからも印税等が支払われることはもうありません。

管:それじゃ、小池一夫さんが○い○うプロの脚本部をじきに飛び出して独立されてしまったわけですよね。

兵:これは「創業者利得」として許されているんですよ。このような分業システムを日本で最初に建設されたのが、○い○う先生なのですから。しかも、○学○が日本初の青年誌である『○ッ○コ○ッ○』を創刊するときに、三顧の礼で以て白土三平先生と二枚看板でお迎えしたのが、○い○う先生。それゆえ、○学○は、今でも、一番儲かる単行本を出す権利は、○イ○社に譲っている次第です。もう今後は考えられもしない「慣行」でしょうね。

管:で、兵頭先生がシナリオを書き始めるきっかけが、なぜその『○ル○1○』だったのですか?

兵:某『○車○ガ○ン』はオフセット印刷でして、それにはまず編集部において九州松下製のごく初歩的なDTP機で1ページづつのデータをつくり、それを20分くらいかけて8インチ・フロッピーに落として、それを神保町の、今は跡形もない「写研リスマチック出力センター」というところに持っていき、そこにある何千万円もする出力機で奇麗な文字やケイ線を印画紙上に出してもらわなければならなかった。この電算写植のシートをハサミで切り離し、裏にスプレーのりをぶっかけてトンボを合わせて台紙に貼り……という作業が編集室に帰ると待っているわけですが、印画紙出力にはエラい時間がかかった。1時間以上はザラでした。その間、何をしているか? 
 ちゃんと「写研」には待合室があって、マンガとかお茶が置いてあったのですね。そこで偶然に『○ッ○コ○ッ○』の原作募集が私の目にとまったというわけです。今はこの出力センターもすっかり場所が違ってしまっていると思いますけど、あの待合室で、私の運命はいささか変えられたようなのですよ。

管:シナリオが書けるんだった、小説もできるんじゃないですか?

兵:そう思っている人達が多いようなので強調しておきたいのですが、脚本と小説とは別世界です。たとえばテレビ用脚本でも劇画用脚本でも、ちょっと驚いた表情は決まり文句のように「ハッとして」という卜書きが入ります。「火サス」などの副音声サービスで、このト書きが全部ナレーションされているから、一度聴いてごらんなさい。それがそのエピソード中で何度目であっても、台本上では「ハッとして」でいい。というか、無闇に卜書きのパターンは改めぬ方が、作画家さんにも役者さんにも通じやすくて良いことなんです。歌舞伎の台本はもっとシンプルで、「ト、こなしあって、」のワンパターンで良いんです。じっさいにハッとしてみせるのは役者さんであり、あるいは作画家さんの描くキャラクターなんで。原作段階では必要最小限の指定があればよく、それに役者、監督、作画家が自由に微妙な味付けをするわけです。……ところが!
 これが小説だと、そうではないですよね。役者もしくは作画家さんに代わり、筆者がディテールを全部作って人物に生命を与えねばならなりません。それには、同じ描写フレーズを、一作中で二度使ったら絶対にダメなんです。実人生には同じ繰り返しは無いはずですから、たちまち作品がウソっぽくなる。それに気づかない読み手は、読み手が幼稚だ。もし小説で、人が驚く感じがすべて「ハッとして」などと表現されていたとしたら、どうですか?
 そんなの小説ではない。それで昔から小説家さんたちは、同じ表現を一作品で二度使わずに書けるように、長期間の苦しい修業を積まねばならないんです。近代フランスの小説家に至っては、1頁の中に同じ単語ができるだけ2回出ないように気をつけたともいう。私はそれは当然だろうと思いますよ。だから、小説は誰もが片手間仕事にできる修業じゃありません。
それにもかかわらず、往々にして、脚本家出身で急に思いついて小説を書いてみたといった方々が、十頁の中で同じ形容詞や副詞を十一回連発しているような稚拙な「亜小説」で自己満足されているのです。私にはそれは恥ずかしい。

管:自己基準が高いのですか。

兵:これは最低基準の問題です。「眼高手低」(批評眼のある文人が、自分の高い基準を満足させ得ぬ自分の創作物に逐一チェックを入れてしまい、筆の進みが最初から全く止まってしまっている状態)とは違いますよ。

管:『ヘクトパスカルズ』の最終回はどうされるつもりだったのですか?

兵:最後のシーンだけ、早くからイメージしていました。--歩いてきた風間の足先に水溜まりがある。その中に空と雲が反映している。風間は、『子供の頃、水溜りに映った空を踏むと、空に落ちて行きそうで怖かった…』と独りごちながら、靴の爪先をその水面にそっと漬けてみる。どうなるんだろう?
 そこで「チョン」です。--そこへ到着するまでの「幾山河」は、もちろんいきあたりで工夫するつもりだった。ざんねんながら「季刊」ペースですと、1話に60頁ぐらい頂戴しないければ、大人のドラマは存分に展開し難かったですね。こういう言い訳はプロには許されませんけど。

管:『ヘクトパスカルズ』の登場人物の名前は、兵頭先生が決めたのですか?

兵:主要登場人物については、若い担当編集者様がお好みでお決めになっています。私は、読者が一度見たら忘れられない特徴的な名前、たとえば女の名前を「橋立月見華」と三文字にする--などいろいろ考えてご提案はしたのですが……。名前は大事なのですよ。ですが、劇画の原作者の権力は小さいものです。それでストレスだらけになります。あの梶原一騎さんですら、自作の全世界をコントロールできたわけではない。印税だって、著者分の最大50%までしか貰えなかったと聞きます。つまり作画家と折半というのが、原作者に与えられるMAXの待遇なのですよ。あんなに貢献してもですよ!
 確かに、作画家さんがもししりあがりさんだったら、『巨人の星』には永久にならぬわけで、作画家さん頼みだという構造は理解できるのですがね。梶原さんが編集者を蹴飛ばして前歯を折ったとか報道されたときには、私も「怖い人なんだなあ」と思っていましたが、いざ自分がその漫画産業の中で原作稼業を体験してからは、「そのくらいで許してやったとは、梶原氏は偉い」と、内心密かに思い直しましたよ。ちなみに前歯を折られた方は、剣道劇画をやたらに愛好する剣道の達人だそうで、ガタイもかなり良い御仁です。私は、含むところは更にありません。念のため。

管:シナリオでは女性登場人物は、姓ではなくて名で表記するのですか?

兵:それが決まり事なんですね。ちなみに、小説でも、読者の覚え易さだけを配慮するならば、男の登場人物は姓が大切で名はどうでもよく、女の場合は逆に、名が大事で姓はどうでもいいのですよ。この原則を常に忠実に実行されるので感心させられてしまう小説家が、山崎豊子先生です。主要な男性の姓は短く、印象的な変な姓だ。名の方は印象希薄な、やっつけです。そして女はちゃんとその逆にしておられるんだ。あと、劇画のシナリオで苦労するのは、外人の名前です。カタカナとしたときに文字数の多い姓名は、フキダシの中をうるさしてしまうので、マンガでは不都合のように思います。ですから私は、短い毛唐の姓を見聞きするたびに「これは、いつか使える」とメモをとり、HDにたくさんストックしていたものです。

管:国籍や人種による名前の違いも、考慮されるのでしょうね?

兵:もちろんです。私はバイトでプルーフ・リーディング(校正)をやっていたときに、中公の『C☆ノベルズ』とかいう子供じみた“if戦記”を何冊も回されましたけども、毛唐の命名の原則が分ってない作者が多かったですね。たとえばロシア人の姓には、男の姓と女の姓とがあるのです。これは古代ローマ人以来の伝統。「ア」音で終る姓だと、女の姓になってしまうのですよ。「クルニコフ」なら男だ。その娘は必ず「クルニコヴァ」です。代表的ポーランド姓では「~スキー」が、「~スカヤ」になる。例外もありますけど、そういう例外を大衆向けの小説に用いたらいかんでしょう。

管:名前がキャラを反映することは、フィクション創作では必要ですか?

兵:江戸時代に愛読された支那小説の難しい術語で、「名詮自称[みょうせんじしょう]」といいますが、絶対に必要です。読者はヒマではない。読者に手間暇をかけさせたらダメです。それには、名前がキャラを反映するのが基本的に正しいサーヴィスになるはずです。

管:ノンフィクションのご著作では、「です・ます」調と、「だ・である」調のどちらでも書かれていますが……?

兵:私はまだ四十代ですから、敢えて自分の文体を固定する必要はない。いろんな一人称も使い分けて、遊んでいるだけですよ。

管:『「戦争と経済」のカラクリがわかる本』では「僕」を初めて用いておられますね。前例がないので、すこし驚いたのですが。

兵:これは、直前の作である『沈没ニッポン』が発売直後の売れペースとして芳しくなかったため、同じフォーマットだと企画会議でハネられそうでしたから、急遽、トーンが違って見えるよう工作した苦肉の結果です。ちなみに、これは過去にどこかで書いたと思いますが、江戸時代の儒学者は「僕」という一人称を好んで使ったのです。そして「私」は絶対に使いませんでした。なぜかというと、漢文では「私」には悪い意味しかないんですね。ひらがなで「わたくし」とすれば問題はなくなりますが、「こいつは能無しなものだから、すこしでも原稿用紙のマス目を多く埋めようとして“わたくし”などと表記しているんだ」と思われるのが小癪ですから、いろいろと取り混ぜることにしているのです。ただそれだけ。

管:1995年の『日本の陸軍歩兵兵器』というエポックメイキングな金字塔の執筆動機を、少しお話しくださいませんか?
 劇画原作から、ふたたび「造兵史」研究に復帰されるきっかけとなった一冊であると思いますが、単に劇画では喰えないから、認められないから、という動機からでは、こんなものは書けないと思います。

兵:あれですか……。あれは、もう故人となられた畏友・宗像和広さんのお導きなのですよ。私が『戦マ』退社後もお付き合いをさせていただいていた宗像さんから、ある日、電話があった。そして、十四年式拳銃と九四式拳銃をどう評価するか--という質疑応答になったんです。どうも、宗像さんはその頃に既にあの「泰平組合カタログ」を入手されていて、それを元に何かを書こうとされていたのではないかと思われます。

管:並木書房から1999年に刊行されている『日本陸軍兵器資料集』が、その宗像さんの最終決算報告書になったのですよね?

兵:ええ。私は、中学時代から自衛隊入隊前まではモデルガン一般には強い興味を持っていました。あの『X島』の表紙に起用したN君の影響でね。新聞配達のバイトをして最初に買い求めたのがハドソンのモーゼル大型で、死んだ親父に頼んでそのバレルにドリルで穴を……いや、そんな話はどうでもいいんですが、とにかく陸自で本物のライフルの「銃撃」がそんなに楽しくないということを知ってしまってから、この分野には冷めていたのです。それが、郡山に帰郷されてしまった宗像さんのため、「オレが国会図書館に数日通えば、こんなに新事実が分るんだぜ」というリサーチ能力を見せつけたいという稚気が勃然と湧き上がってしまった。そして、ちょっと調査してみた結果が、図らずも運良く、あの『日本の陸軍歩兵兵器』に結実致しました。ですから、私は依頼主である宗像さんを出し抜いたような形ともなったのですけれども、宗像さんはそれについてヘソを曲げるようなことはなかった。これを回顧するだに、有難い。あの1冊が出なければ、そして売れなければ、3冊目の『日本の防衛力再考』も無いでしょう。だから恩人ですね。合掌致すのみです。

管:つまり、兵頭二十八が単行本を年に何冊も書くようになったきっかけが、そもそも宗像さんなのでしたか。

兵:振り返れば、そう言えるのですよ。彼がいなかったら、私の「調査」はスタートしていません。ひょっとしたら、いまだに売れない劇画原作者のままでいたかもしれないんです。まだ浜松でインターネットもやらず、くすぶっている、ながい・みちのり氏のようにね。……オット、これは失言だ。

管:でも、ミリタリー系の出版業界に、E先生の口添え無しに独自に食い込んだのは、「財産」ですよね。

兵:一つの「足場」となりますからね。夜逃げされたり倒産されちゃったりすると、さすがに困っちゃいますけど、それまでに、少なくとも人脈は拡げられます。出版界は本当にフェイス・トゥ・フェイスの人脈図だけで動くしかないところなんで……。それと「運」ですね。東工大のE先生の研究室がいよいよ解散となるとき--といっても私と先生の二人しか構成員は居ないんですが--、先生が私に、2年間の「放任教育」の感想を求められた。どうも先生は、私を院生のうちに「論壇デビュー」させ得ずに慶應に移っていくことを自分で気に病んでおられるなぁと私は察したので、「私くらい幸運な人間はいないと思います」と、私は本心をお話し申し上げました。そして研究室内の最後の片付けを済ませて板橋区に引っ越す前日、ドア前に吊るされた連絡用の小さな黒板に「あとはご心配なく」とカッコ良い置き台詞を白墨で書きなぐって、去ったのです。その後もかなり「ご心配」はおかけした模様ですけどね。トホホ……。

管:もっと以前の話ですが、神奈川大学時代に『世界日報』という新聞に寄稿されていたというのは、どういう意味ですか?
 あれは「勝共連合」じゃないですか?

兵:ああそうでしょう。文鮮明でしょう。渋谷に編集部があるのですよ。今は知りませんけどね。昔は渋谷の大交差点から、でっかい看板が見えましたよ。当時、大新聞は、祭日を選んで「一斉休刊日」を設けていた。これは今もそうか。でも、『世界日報』は、そんな日にも出していた。街角のスタンドに置いてあるのですね。それを買ってから、注目するようになりました。とにかく「ライト」なのですよ。“R”の方。支那事変の敵前渡河演習で煙幕を使っている珍しくもない写真を、朝日かどこかで「毒ガスの写真を発掘!」とかでっちあげようとしたときに、「これは煙幕だろ」と旧軍の人が『世界日報』の上でズバリ指摘して収めたことがありました。旧軍と自衛隊にフレンドリーで、明白に「反ソ」でしたから、これは元自衛官として支持せんわけにはいかなかった。それである日投稿してみたら、すぐ載りましてね。載っただけじゃない。「面白いからもっと書いて下さい。同じ人ばかり立て続けではマズイから、ペンネームも使ってください」ときた。それで勢いづき、すごい日には、大枠のコラムと、投書欄と、テレビ批評欄とに、同時に3本の原稿が別々の名で掲載されたこともありますよ。それに全部、稿料を送ってくれた。「郵便為替」ってやつでね。この体験が私に『オレはいつか、フリーライターでも食えるのではないか』との予感を持たせたのです。それで、大学図書館の図書分類番号の000から999まで全部ランダムに読んでみる、という、自分に課していた「ライター修業」にも、一層の気合いを入れ直したもんですよ。

管:影響力はあったんでしょうか?
 誰か、注目してくれましたか?

兵:あえて断言しますが、岡崎久彦さんは確実に読んでいたと思う。「中国の台所にある包丁の数を数えたら、人類は何回殺されることになるのか」という、私が『世界日報』への投稿で初めて使った核戦略に関するレトリックを、岡崎さんはどこかでお使いになったことがあったと記憶します。「反ソ」の新聞だから、元駐モスクワ大使の人とかが常連で寄稿していて、おそらくそっちの興味から目を通されていたのかなと想像致しております。

管:その「稼ぎ」の場を、どうして2年くらいで離れられてしまったんですか?

兵:阿呆なんですよ。こんなに紙面を面白くしてやったこの私を、あの編集部は、連中の宗教にひきずりこもうとしたのです。既に「権力とは何か」を人類史的に一から考察していた私が、新興宗教の教義体系に共感するわけがないでしょう。「いいかげんにしろ!」でしたよ。きっかけはですね、「政府は対外援助なんかやめろ」という原稿を送ったことでした。これにどうしたわけか編集部が大反発して、「そんな考えではいけません。あなたは宗教に入りなさい」と求めてきたんですね。もちろん原稿は没ですよ。それで思い出すのは、神大の2年生のときと思うが、日本外交協会主催の外交フォーラムとかいうところで学生の論文コンテストの1次に通った。これもカネが目当てでね。ただし、外務省庁舎内で開かれる、1次に通った学生同士の2次の討議会で評価をされないと、ケチな賞品だけで、カネまでは貰えないのです。オレの配置された討議グループは、草柳大蔵さんが司会兼審査員でね。そこでオレはまた「政府は対外援助なんかやめて、その予算はぜ~んぶ自衛隊の増強に回し、ソ連を早く打倒すべきだ」と主張した。総スカンでしたよ。周りは全部東大3~4年生でね。
 「増達」とかいう若僧がいたのを覚えているが、確か、そのご外務省にお入りになり、今は岩手から自由党の代議士様じゃねえのかな?
 まあ兎も角、これはカネは取り損ねたなと、チャイナスクールもろ出しな現役官僚の講演を聴いてるうち、悟れたので、私は2時間後の結果発表も待たずにサッサと横浜の下宿に引き揚げてきてしまいました。そしたらあとでその外交協会様が、「あなたは××日……」という勿体つけた書き出しで、賞品があるから霞が関まで取りに来いという手紙を下宿へ寄越しやがった。こんな手紙を書いてる暇に、宅配便で送りゃ済むことだろう。その賞品とやらは、いまだに手にしておりません。草柳さんにはその後、『日本海軍の爆弾』をお贈りしたら、「こんなふうにして事実は少しづつ解明されていくのですね」という礼状を頂戴しましたけども、残念ながら2002年7月に逝去されましたな。

管:まだお尋ねしたいこともありますが、今日はこのへんで、まとめてみようと思います。 本当にありがとうございました。

おしまい