「読書余論」2008-9-25配信の内容一部紹介

▼ビクトル古賀『裸のロシア人』1980
 グルジアは昔の薩摩のようなところで、ソ連時代も統制が及んでいなかった。
 ○○シビリ、とか○○ーゼ、という名前は、グルジア人。スターリンの本名はジュガシビリ。
▼防研史料 箱35(99)『南支ニ於ケル軽迫撃砲ノ用法上ノ参考』S14-10/吉山部隊
 百号は、馬にはほとんど効力なし。吸収罐は透過する。
▼防研史料 箱35 『昭和十二~十三年 支那事変初期 北支における十五榴部隊を中心とする砲兵戦史史料』
 たった2門のラインメタルに、日本陸軍の野砲、4年式15H、96式、ぜんぶ沈黙した。(発砲したもののみに、お返しが来たため。)※どう考えてもドイツ人が砲側で陣頭指揮とってただろ。もしシナ人隊長であったらヒーロー報道されたはず。
▼防研史料『昭和十三年十一月 武漢作戦ニ於テ得タル教訓』by 大橋大尉
 94式山砲の開脚は要らない。41式の脚でよい。
▼浮田和民『ボルシェヴィズムとアメリカニズム』S5-3
 ヨーロッパのプロレタリアは、上層が彼らを世話する義務がある、と思っている。米人の組合には、それはない。
▼三井高陽『町人思想と町人考見録』S16-7
 大名貸にどう対処するか。
▼細川亀市『鎌倉幕府と江戸幕府』S16-1
▼久保田景遠『支那儒道仏交渉史』S18-2
▼防研史料 〔箱35/支那377〕『対支作戦参考資料(教)其ノ七(野戦砲兵将校陣中必携)』S13-10
 自動車主要諸元一覧
▼防研史料 〔箱35/378〕『対支作戦参考(教)其ノ九(重砲兵将校陣中必携)』S13-10 大本営陸軍部pub.
 この巻は、89式15加と45式24榴の部隊を対象とす。
▼防研史料 〔箱35/380〕『事変ノ教訓 第四号 戦車訓練ノ部』S13-7
 ※戦車というのは94式軽装甲車のこと。
 壕内、クリーク内(最大俯角)、屋上の敵(最大仰角)を車内から射撃しなければならない。
▼防研史料〔箱35/379〕『事変ノ教訓 騎兵訓練ノ部 第一号』S12-12 教育総監部
▼防研史料〔箱35/197〕『治安工作経験蒐録』S14-6中旬 by杉山部隊本隊
 投宿代価を一括して村長に払うのは×。すぐ戸主毎に手渡すべし。
▼防研史料〔箱35〕『討匪行動ニ関スル小戦例集』S13-4 by早淵部隊
 匪賊は実際に襲撃するずっと前の日にさかんに襲撃を宣伝し、相手の警備の緩みを見越して、やってくる。
▼アルブレヒト・ハウスホーファー著、森孝三tr.『英国の支那侵入』S15-10、原1940
 広東政府は1857-6、香港のパンに砒素を混入して英人毒殺を計った(p.45)。
▼中山樵夫tr.『苦悶する支那』S16-2
 新兵募集では、整列させて、胸をゲンコで突き、ぐらつかぬ面構えの者のみ採用する。
▼東亜経済調査局『支那ソヴエート運動の研究』S9-12
▼武者金吾「潜水艦の救難設備」S3-11 〔補遺〕
 ※以前の摘録にヌケがあった。それを補う。
▼日比野士朗『呉淞クリーク』S14-7、中央公論社pub.
 日本商品排斥のビラも拾った。「永遠不用日貨」「勵行對日經濟絶交」「誓不與倭奴合作」「永遠對日經濟絶交是殺敵的最大武器」……。
 新聞にはデカデカとしたゴシック体で「日軍殲滅」などと書いてある。
▼竹森一男『満鉄の建設』S49-11
 朝鮮人労務者を働かせるには、一人の朝鮮人を現場監督として、彼に、一定予算で仕事を請け負わせる。すると、日決めの日当では怠ける彼らも、一転して、倒れるまで働く。というのは、短時間に完工すれば、その時点で全額を受領できるから。
 シナ人苦力を多数あつめるのにも、マルチリンガルな朝鮮人監督は大重宝。
▼榛葉英治『夕日に立つ』S51-1
 世銀のブラック総裁いわく。日本の政治家は借金の返済方法について説明することができない。吉田も外交官だそうだがぜんぜんわかってない。こっちは遣い道や建設計画なんかに興味はない。そんな説明は無用だ。利子を添えてちゃんと返してくれるのかどうかを知りたいのだ、と。
 高碕いわく。「国の予算を使って仕事をする政治家や官僚は、金利の恐ろしさというものを知らないのだ」(p.249)。
▼植芝吉祥丸『合気道開祖 植芝盛平伝』S52
 M36の徴兵検査に不合格。身長を増やすため山籠もり。再検査を志願し、合格。※不審あり。M37は日露戦争が勃発しているので、乙種以下も召集されたというだけではないか。
 M38-8に渡満し、鉄嶺~得利寺~奉天へ。そこで、敵のタマがみえるようになった。※不審あり。M38-8なら実質、日露戦争は終わっていた。
▼中野七子『食用魚の常識』S30
▼ジョーダン&スペンサー著、小田海平tr.『アメリカ陸上競技の技術』S45、原1968
 世界記録が生まれるときは、むしろ、楽に感じられる。なぜスタートが勝利につながるのか。その背中をみた他の選手が力み、リラクゼーションを忘れてしまうからである。
▼加藤繁『支那経済史考証 下巻』S27
 「柘」もサツマイモのことである。
▼魯迅著、増田渉tr.『支那小説史』S10-7
 漢末以降、仏教に刺激されて、老子を崇拝するという反動が起こった。
▼防研史料 〔箱35/140〕『対支作戦参考資料(教)其ノ十二(支那共産軍の現況)』S13-10
 迫は2門単位+チェック式軽機×6
▼防研史料 〔141〕『対支作戦参考資料(教)其ノ十八(剿匪戦術訳文)』S14-1、原・民国22年1月
 平原匪は、追われると、みずから「清野ノ法」(青刈り、野焼き)をやる。
▼防研史料 〔箱35/207〕『支那剿共戦略の研究』S16-1-10
 シナ軍は、100尺登るのには25分である。
▼防研史料 〔箱35/402〕『対支作戦参考資料(教)其の二十(砲兵自動車必携)』S14-4
 内地の鉄道貨車。有蓋の最小は「ワ 1」で、10トン荷重。満州の鉄道貨車には有蓋で荷重30トンのものがある。「ヤ」「ヤイ」「ヤニ」「ヤサ」「ヤシ」「ヤナ」。
▼靖国偕行文庫室蔵  奉天駐屯司令部『奉天都市防諜提要』S10-7
▼靖国偕行文庫室蔵  遠藤資料:仮訳『爆薬兵器処理安全規則』by日本兵站司令部兵器部作製 S26-5
 AA用には、一式「瞬曳信管」1kg 、二式高射「瞬曳信管」560gがあった。
▼靖国偕行文庫室蔵  『雨季、炎熱季ニ於ケル作戦ノ参考』関東軍司令部、S11-3
 94式軽装甲車は、80センチの水深の川を渉渡できる。
▼今井嘉幸『支那に於ける列強の競争』大3-12
▼湯沢三千男『支那に在りて思ふ』S15-8
 シナ人いわく、「金」は漢民族に任せ過ぎて短命。元は押さえ過ぎて短命。清は適度に任せて長期政権を保った。
▼佐々木陽子『総力戦と女性兵士』2001
▼田中二郎ed.『カラハリ狩猟採集民』2001
 ツチハンミョウという虫をつぶすと、カンタリジンという毒で、皮膚が不可逆的に爛れる。
▼花田仲之助『支那に与ふる書』S13-2
 南洲いわく。「何程制度方法を論ずるとも、其人に非ざれば行はれ難し。人有て後方法の行はるるものなれば、人は第一の宝なり。己れ其人に成るの精神肝要なり」
▼山名正太郎『世界自殺考』S49
▼安立純夫『現代戦争法規論』S54
 下級者は、受領した命令につき検討する義務を有する。命令服従の事実のみをもっては刑事責任はのがれられない。不法行為責任。
▼小山修三ed.『狩猟と漁労――日本文化の源流をさぐる』1992 
 北九州の弥生人は、身長がとびぬけて高かった。が、古墳時代から、身長は東が高くなる。
▼『歴史公論』第6巻第8号(S12-6臨時増刊)「史前日本人と鹿」by直良信夫
▼『日本史研究』416号(1997-4)「武器からみた中世武士論」by近藤好和
▼『日本史研究』373号(1993-9)「武器からみた内乱期の戦闘――遺品と軍記物語」by近藤好和
 南北朝から、武士にとっての正面が、弓手から馬手へ変わった。
▼パーシー・クナウス『金属器時代の黎明』1977
 人類最初の道具はアフリカで200万年前。
 象の集団猟は、600,000年前に行なわれていた。
 ネアンデルタールのマンモス猟は、60,000年前に行なわれていた。
 1万年前に弓矢が発明された。
 3500年前、シュメールで車輪。
▼三谷康之『事典 英文学の背景――城郭・武具・騎士』1992
 猪や熊を突き止める場合、素槍ではダメで、shaft に cross-bar を設け、刺したあとで狩人との間合いが詰まらないようにしていた。
▼『世界教養全集・21』平凡社1961 「猪・鹿・狸」by早川孝太郎
 ムジナ皮はタヌキ皮の1/10の値段。※だからタヌキの皮算用。
▼戸田芳実『初期中世社会史の研究』1991
 988年の文書で、国司の手先となっている「子弟郎従」は、動物を殺すように民衆を殺した。こうした武士対平民の関係が、仏教普及のベースなのだ。
▼パンジャマン・コンスタン著、大塚成吉tr.『宰相責任論』M16、原1814?
 パリの中央の火薬庫を破烈させる命をうけた士官が公然これを拒否した例がある。
▼原田通實『大日本刀剣史 上巻』S15
 文武天皇の改革で、原則として文官に帯剣を禁ず。
 女院の前では武人も剣を解く。勅使は諸社に於ても剣を解かず。
▼内田疎夫『大日本刀剣新考』S9
▼Noel Barnard『中国古代金属遺物』1975
▼山口昌伴『図説 台所道具の歴史』1978
 江戸時代、実際に魚をさばくのは魚屋で、包丁技は女のたしなみなどではなかった。下女や奥様の及ぶところではないのだ。
▼林巳奈夫『中国殷周時代の武器』
 斧に穴が一個開いているのは、軍用であることを示す。
▼樋口隆康ed.『中国美術 第四巻 銅器・玉』S48
▼菊池寛『評註 名将言行録』上S17-12、中S18-4、下S18-11刊行
 「法華経信者であるために、日蓮宗の方などで、清正を宣伝に利用したゝめに、清正はいよ\/人気者になつたのであらう」。
 明や朝鮮で清正のことを「鬼上官」と云ったというのは怪しい。というのはシナでは「鬼」は幽霊のことだから。
▼山本勝市『計画経済の試行――ロシアに於ける統制経済の研究 其の二』国民精神文化研究所pub. S10-11
 第一次五カ年計画は、米国製のトラクター導入が目玉であった。
▼斉藤逸郎『地代家賃統制令解説』S22-7
▼GHQ著、経済安定本部資源調査会tr.『日本の天然資源』S26
 ※天然資源による賠償が可能かどうか、徹底調査していた。その資料。
▼大塚伴鹿[ばんろく]『靖献遺言の精神と釈義』S19-5
 浅見絅斎を論ずる。
▼維新史料編纂事務局ed.& pub. 『概観維新史』S15-3
 この事務局は、文部省の所管。そこにペリーの白旗の話が(pp.80-81)
▼岸俊光『ペリーの白旗』2002-11
 ハーグ陸戦法規の23条には軍使旗を乱用するな、とあり、軍使旗(おそらく白旗)は前からあったことが分かる。
▼スウェンホー著、箕作麟祥tr.『北支那戦争記』M7-11
 仏は台湾も狙っているという噂があった(p.9)。
 韃人(満州族の清国人のこと)は大砲に自分の脚を繋結して死んでいる者が多かった(pp.167-8)。
▼尾佐竹猛『幕末外交秘史考』S19-7
▼吉田龍英ed.『仏教思想講座 7』S14-11刊所収の、鷲尾順敬「建武中興と仏教」
 寺家の勢力が建武時代に史上最大であった事実を、徳川時代の史学は、なかったことにしようとした。
▼『武藤元信論文集』S4-9
 日本の国史のうち、唯一『大鏡』だけがシナの史体を模擬していない。
▼小林巖雄『祝祭日の本義』S19-3
 12-25は大正天皇祭で休日。「崩御相当日」とする。
▼善波周『真実とともに』S22
 天皇制=悪とする共産党員の中公論文に熱心に反駁す。
▼岩井大慧[ヒロサト]『支那叢報 第一巻~第五巻 解説』S17-2
 シナの大砲はなぜ当たらないか。
▼松下正寿&太平洋協会ed.『アメリカの世界制覇主義解剖』S19-9
 マハンはドイツを「三大チュートン国家」に数え、米英独の3国が協力すべきだとした。チュートン3国至上観は、1890にコロンビア大のジョン・W・バーチェスが唱えた。
▼伏見康治『科学の反省』(再建叢書第一輯)S21-5
 ニールス・ボーアを輸送したモスキートのクルーは、もしも撃墜されたら、ボーアをパラ投下せよと命ぜられていたので、酸素吸入器なしで爆弾庫に押し込めておいた。
▼金子・佐橋共著『ブナ林をはぐくむ真菌』1998
 大発生したバッタをパタリと止めるのも、糸状菌。
▼杜 祖健(Anthony T. Tu)『中毒学概論』H11
 フザリウムという黴がトウモロコシに付き、フモニシン毒を生ずる。
 やはり肝臓に硬変→癌をつくる。
▼稲葉岩吉『前満洲の開国と日本』S11-6
 秀吉の7年戦争があったおかげで、女真、即ち前満洲は興ったのだ。朝鮮は日本を背景とすることで300年間、併合されずに残ったのだ。
 清国政府は初め奉天にあり、ついで北京に移った。このとき、朝鮮国境の部族を引き連れて行ったので空白となり、朝鮮は茂山郡を収めた。
▼高田功&井上正賀『食用鳩飼育法』S3-7
 松葉を敷けばシラミ予防になる。
 なぜ湿った穀粒を与えてはダメか。カビ病になるから。
 陸軍の伝書鳩は広島から東京まで11hで至り、特急より早かった。
▼『アオコ――その出現と毒素』1994
 日本のアオコは無毒。アメ、フィンランド、カナダ、バミューダ、ソ連、英、南ア、シナ、モンゴル、バルト沿岸には有毒アオコがある。
▼『消毒剤』1998
▼宮治誠『人に棲みつくカビの話』1995
 中世ヨーロッパでは麦角菌入りのライ麦パンを食べて死ぬ者多し。アフラトキシン。
 アメ、EUでは、ポストハーベスト農薬を使用中だ。
▼高麗・他『わかりやすい殺菌・抗菌の基礎知識』H12
 黄変米は、マイコトキシン(ペニシリウム)。牛に喰わせば死ぬ。
 カビ毒は、生えている周囲1cmに及ぶ。
▼山崎斌[あきら]『日本の菓子』S17-3
 薩摩の餅は、すべて軍旅用につくられた。
▼中村吉次郎『日本人と魚食』S18-3
▼木村毅『九州風土記』S22-9
 堀内いわく、オランダ語のカーペル(楽隊)が「かっぽれ」の語源だ。
▼尾瀬敬止『日露文化叢談』S16-10
▼潮見俊隆『漁村の構造――漁業権の法社会学的研究』S29
 そもそも沿岸は生産力が低く、外国では沿海水面の独占権など誰にも与えられない。
▼平野義太郎ed.『太平洋圏 民族と文化 上巻』S19-5、所収、上村文郎「日本の染色文化と南方諸島」
 飛鳥いらい、色で身分を表わした。その名残で、現陸軍では、将校の剣の吊り革の裏が、尉官は藍色、佐官以上は赤色。
 「読書余論」は、主に軍事系の古本を、兵頭が紹介し、他では読めないコメントを附しているものです。(配信されるファイルはPDFスタイルです。)
 「情報ではなく注意が希少な資源になり、無意味な雑音のなかから価値の高い情報を選びだす能力をもつものが力を獲得するようになった。編集者と解説者への需要が高まっており、どこに注目すべきかを教えてくれる人たちが力を得るようになっている」――と、ジョセフ・ナイ氏が書いています(『ソフト・パワー』邦訳p.167)。
 「読書余論」は、兵頭がその〈選びだし〉を試みたものです。
 もう、大部な薄味資料を読むために、週末の2日間を無駄にする必要はありません。
 「読書余論」は、毎月25日に「武道通信」から最新号が配信されます。1号分の購読料は200円です。
 バックナンバーも1号分が200円で、1号分のみでも講読ができます。
 2008年6月25日号以前のバックナンバーのコンテンツは、配信元の「武道通信」のウェブサイト
http://www.budotusin.net
 の「告知板」をスクロールすれば、確認ができます。
 ウェブサイトでわからない詳細なお問い合わせは、(有)杉山穎男事務所
sugiyama@budotusin.net
 へどうぞ。