祥伝社文庫版(新訂)の『日本史の謎は地政学で解ける』の実質の書店発売日は明日か明後日。

 すいません、さいしょ聞いていた発売日は2-1だったのでしたが、昨日の版元さんからの連絡で、取継搬入が2月5日だと知りました。
 どうりで著者の手元に見本が届かぬわけです。

 ということは、明日以降でないとふつうの本屋さんには並びません。都内の、特別に作業の早かった書店さんだと、最速で、本日の午後に棚に出るという可能性も、無くはないですが……。

 みなさまにはご迷惑をおかけしたと思います。ご免下さい。

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 TARA COPP 記者による2020-2-4記事「Toxic ‘black goo’ base used by US had enriched uranium. More veterans report cancer」。
    過去6週間、フェイスブックに共通の集まりができている。ウズベキスタンの「K2」基地に配置されていたことがあるが、いま、癌に罹っている――という共通属性のある元米兵たちの……。

 この基地の地下にはソ連時代の核ミサイル弾頭由来のウラン系の廃棄物や化学兵器が大量に捨てられているという。それが地下プールから土壌中へ漏れ出しているのだ。

 米兵たちが駐留していたのは2001-10月から2005年のあいだ。これは9.11直後のシフトだったが、ウズベキスタン政府はけっきょく米軍を追い出した。

 ある元兵士は2014年に甲状腺癌と診断された。
 2020-1末までに、310人の元「K2」勤務隊員が名乗り出ている。

 米陸軍は、2015年時点で、61人の元駐屯兵の発癌を確認していた。しかしその後の統計は、未公表。特殊部隊だからという理由で。それが、自発的なフェイスブックの集まりによって、じつは5倍もいたことが判明したのだ。

 最も早くK2に派遣されたティモシー・ブルックスは、すでに癌で死亡している。第10山岳師団に所属していた。
 病気の兆候は帰国直後の2002年から現れたという。

 妻によれば、ティモシーはそれから頭痛がどんどん酷くなり、気分が変わってしまったと。
 6フィート5インチの偉丈夫なのに、すっかり疲れやすくなってしまった。

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 LARRY PENKAVA 記者による2020-2-4記事「WWII veteran who photographed atomic bomb blast over Hiroshima dies at 96」。
    広島の原爆炸裂直後の写真を真上から撮ったジョン・マグロホンが96歳で大往生。2月2日に。

 マグロホンはノースカロライナに復員してから30年間、ヒラの消防士をし、ついで24年間は、消防署の「チーフ」だった。

 1945-8-6時点で彼は陸軍軍曹で、B-29のガナーだった。その機体はエノラゲイではない。そして彼はカメラの専門家でも何でもなかった。写真を撮れという命令も受けていなかった。

 そもそも彼の乗ったB-29は、その日、広島市上空を飛べとは言われていなかった。エノラゲイの随伴任務機ですらなかった。機長が間違って、核爆発時にそこに近づいてしまい、マグロホンはまったく偶然に、キノコ雲をほぼ真上から見下ろした、あの写真をスナップ撮影したのである。

 2015年の彼の回顧インタビューによれば、炸裂閃光で機長もガナーも一時的に盲目状態になったほどだったという。マグロホンはガナーだったが、じぶんの配置場所に私物のカメラを置いてあったのでそれを手に取り、ブリスター(胴体側面の透明ドーム)越しに複数枚、撮影した。これが普通の爆発じゃないってことは誰でも分かったからだ。

 陸軍航空隊は、投下機以外の米軍機は広島市心から50マイル以上、離れとけ、と命令していた。ところがマグロホンの機長だけ、その命令を受領していなかった。

 撮影後、すぐに、きのこ雲の上端が、彼の乗ったB-29の飛行高度よりも高く上昇して行ったという。

 グァム島に派遣されていたマグロホンは1945-10-5に除隊した。彼はその写真が大したものだとは思っておらず、誰にも見せることなく、そのまま故郷に持ち帰った。

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 ストラテジーペイジの2020-2-4記事。
   米SOCOMのための、新型の中機関銃ができた。Sig Sauer の0.338インチ=8.6ミリだ。
 これは、12.7ミリ重機の機能を中機で代替しようという野心的な自動火器である。

 使用実包は、「338 ノーマ・マグナム」。大型獣猟用として1989年に市場に出た「ラプア・マグナム」を2009年に改良したものだ。1600mの狙撃ができるというので警察や軍隊でも定評がある。

 ※本日は良い日だ。1993年に小学館の『ゴルゴ13』の原作公募に投稿したときの気分が蘇ってきたよ。当時のプリンターは、ワイヤードットか感熱紙で、インクジェット式の未来なんて信用してなかったわ。書式をヨコ組で応募したら、さいとう先生じきじきに、ヨコ書きだと頭に入りにくい、と言われたわ。しかしあれから27年も経つのかよ!