旧資料備忘摘録 2020-9-2 Up

▼陸地測量部撮影『明治四十年 特別大演習写真帖』
 於・栃木県 結城町  11月。
 信号用気球〔横に長いタイプ〕と、補充用ガスタンク(?)。

 畑の中に、もののみごとに立射散兵壕を掘ってしまっている写真。
 野重第一大隊の射撃。十榴か十五榴。未見のクリアな写真。7門以上がズラリと。

 38MG 33聯隊と59聯隊の「機関銃隊」。
 陪観の外国武官たち。20人以上を招いている。
 鬼怒川の渡し船は、竿で押す平船だった。

 有線電話。
 野重第2大隊、15榴? これも未見でクリアー。
 38式75Hの発射。まことにクリアー。

 聯隊でする一斉の坐り射ち。珍。

 ※これらの激レア資料は竹田宮家から三康図書館に寄贈されているものである。

▼陸地測量部撮影『明治四十一年 特別大演習写真帖』M42-3-19発行
 版元は、東京市京橋区 小川一真の写真製版印刷所。

 昨年版にはなかった乃木の肖像写真も。
 於・奈良方面。
 61聯隊の38式MGのバレルに、見たことのない機能不明なリングが2個、付いている。

 コメの収穫がまだ終わっていない生地。
 無線電信ポールはアルミか?

 新鋭の38式野砲の写真。
 無線の自転車式発電機。傑作。
 ポールは対地絶縁になっている。

▼陸地測量部撮影『明治四十二年 特別大演習写真帖』 
 於・宇都宮。

 キッチナー元帥が、日光をついでに観光している。11月4日。
 東那須野の西2kmを、騎兵第14聯隊旗がゆく。11月6日。

 「第一騎兵機銃隊」の38カービンの背負い方、クリアーに分かる写真。
 38MG射撃中、大頭陀袋で空薬莢を受ける。
 通信機には、ミニ天幕をさしかけていた。

 騎MG手は、大型拳銃サック。
 背嚢に予備の靴を縛り付けている。

 1聯隊にMGは2梃? 第七師団が北海道から参加していた。

▼『明治四十三年 特別大演習写真帖』
 於・岡山。
 後備歩兵第11聯隊参加。そのMGも。
 山砲の射撃、もちろん41式ではない。空砲だからか、後座していない。

 墓場に司令部! 独立野重 15Hか。
 司令部には自転車あり。スタンドないので、倒している。

 38MGの、見たこともないクリアな写真。 連続フィーディングの様子がバッチリ写っている。紙箱は本当に直前までは剥がさないのだ。

 馬の背の山砲。

▼特別大演習統監部撮影『明治四十四年 特別大演習写真帖』小川一真・印行
 於・久留米。
 「石人石馬」というケッタイな置物があるところに通信所開設。
 ラッパ手の写真。

 乃木が写っている。軍服、佩章。M44-11-14。
 例の改造モノキュラーを首からさげているからすぐ分かる。
 「統監部」は、久留米市南方6000mの藤田に設けられた。

 山砲は旧型。
 集合写真には乃木が見えない。
 統監部員ではなくて陪観Guestだから。

▼特別大演習統監部撮影『大正元年 特別大演習写真帖』(株)兵林館印行
 於・所沢。
 用水路に水車あり。

 特別大演習にプッシャー式複葉機×1、初登場。 モ式のような型。
 11月16日、「入間川町西南方畑地ニ於ケル飛行機」。

 まったく面目を一新している無線電信隊の牽引車載無線とアンテナ。これはすごい。

 近衛工兵、架橋中は下半身裸。
 所澤試験飛行場における飛行機×2。ゴンドラ付きの飛行船も。

 15榴のけっこう迫力な写真。
 「飛行機操縦将校」が覆面姿で奏上。革ジャンである。
 このころすでに老人を「高齢者」と表現している。

 貨車で運ばれる野砲の写真も初めて登場。ライトがないから光源は、かがり火だ。

▼『大正二年 特別大演習写真帖』
 於・名古屋
 独立重砲連隊第一大隊の15Hが首を下げている写真。リアルでいい。
 焼ける前の名古屋の天守、やはり塔ではない。シャチホコに金網をかぶせてある。
 組梯子を「展望哨」という。
 昔の木柱の送電柱。

 野砲兵が、乗車のままで、渡渉。
 「モーリスファルマン」のクリアカットと、そこから空撮した名古屋城。

▼『大正三年 特別大演習写真帖』
 於・京都府~大阪府。

 南軍司令官の決心奏上。
 北軍司令官の決心奏上。

 初登場! 工兵第11大隊の「飛行機射撃」。※AA射撃である。
 一斉に、腰ダメでライフルを射つ。北軍飛行機に向けて。

 八尾飛行場上空モーリスファルマン。
 山砲兵の陣地進入で煙使用。

 はじめて「御着輦」にさいして馬車列の末尾に自動車が写っている。11月19日。

 大阪城天守跡より東方を望む。煙突濛々たり。
 北方の工場地帯は、工廠か?
 山砲に41式が初めて登場。

 ※版元がふたたび小川一真に戻っている。

▼『大正四年 特別大演習写真帖』東京印刷(株)印行。
 於・青森。そのため10月とやや早い。
 他地方とくらべて明らかに農家がボロい。道もメチャ悪い。

 「弘前着陸場」と「浪岡着陸場」にモヘリスファルマン。1機は尾翼に「22」と。

 対空射撃は今回は肩射ちに変わっている。照尺を立てて。
 10月下旬の青森で架橋作業。これは洒落にならぬ。

 米武官は保安官ハット。

▼『大正五年 特別大演習写真帖』
 於・久留米、博多、福岡。
 いきなり飛行機から始まる。
 今回は、双垂直尾翼、プッシャー型だが、先尾翼は無いタイプ。

 佐賀練兵場における飛行隊。ナンバーは、20、29、33が認められる。他に3機。

 四四式騎銃の初登場写真。
 「騎兵の徒歩戦」

 泥道でトラック立ち往生の写真。
 天皇じしん自動車で移動。
 無線柱の全高が分かる写真。
 MGはまだ38式。

▼『大正八年 特別大演習写真帖』
 ※ただし海軍である。
 ※陸軍は大6以降しばらく、WWIとその後のシベリア出兵のため、特別大演習がなくなった。

 皇太子(昭和天皇)の肖像が初登場。
 混合はまだ混焼。
 主砲塔の上に訓練用のミニ砲×2を剥き出しマウント。

 金剛の艦載機は射出ではなく、水上にクレーンでおろして発進させる。
 別な戦艦、砲身上にシミュレーション砲をとりつけている。

▼『昭和四年 特別大演習写真帖』合資会社 巧芸社 S5-3pub.
 於・水戸、茨城県。
 「大元帥陛下」の呼び名、初登場。
 サイドカーによる先導も、初登場。

 暹羅の参謀総長(王族)が陪観。
 11年式LMG、初登場。
 歩兵の偽装、初登場。

 10年式10加。
 独立野重第七聯隊のトラクター前進。10加か?

 3年式MGによるAA架射撃。
 AAG、聴音機、照空燈。
 煙幕渡河、軍用犬。

 巨大ドラムを2名で肩に神輿担ぎして延線。
 LMGによる対空射撃。

 平射歩兵砲と曲射歩兵砲の初登場。
 「演習中止号音」はラッパ3人で吹く。

▼『昭和五年 特別大演習写真帖』S6-4pub.
 於・岡山。
 ※竹田宮別當石原健三殿 というスリップあり。陸軍から宮家へ寄贈するときは別当宛にしたと知られる。

 平射歩兵砲、曲射歩兵砲。
 乙式一型偵察機、外套付の旋回MGはルイス。
 まだトラックはソリッドタイヤ。

▼軍令部『昭和五年特別大演習写真帖』
 こちらは海軍。
 御召艦は霧島。

 陸奥から偵察機が発艦。
 デリックで吊るされている時にもうプロペラが回っている。

 長門による駆逐艦曳航訓練。
 めずらしい単装高角砲の操砲俯瞰写真。

 演習が終わるや、神戸にて観艦式。

▼熊本県『昭和六年陸軍特別大演習 並 地方行幸 熊本県記録』S9-3pub.
 S6-11に挙行。

 足の出るサイドカーのクリアな写真。
 竹田宮が写っている。秋田県人のような印象。
 11年式MG改造MGを主武装としたルノーFT×1台。ハルの正面下部に「125」の白番号。

 さらに戦車隊の分列行進。
 先頭が89式、ケピ帽付き、旧式履帯。これが2両。
 続いてFTが6両。ただし重なって見えない車両があるかも。
 サイドスカート付きはない。
 またFTはすべて11LMG改搭載らしくみえる。

 このころから各地の測候所に、自立4角トラス鉄塔があるようだ。
 特別大演習は、師団の上の「軍」の単位を動かす。

▼『昭和七年 特別大演習写真帖』S8-2pub.
 於・大阪。
 独立野重8聯隊のトラクターなど。

 ※この写真帖だけは過去に見たことがある。ということは、かなりの数が出回った。

▼『昭和八年 特別大演習写真帖』S9-3 (株)青雲堂印刷
 於・福井県。
 なんと名古屋放送局が出張し、現場からラジオ放送していた。
 トラック内に対空無線所。
 「飛五 83」のナンバープレート。

 珍しい、90式野砲の写真。「独立野砲兵第一大隊」。

 軽装甲列車。伝令犬。
 被牽引の鳩車は空気タイヤである。
 ゴム舟。

▼新潟県『新潟県防空演習記録』S9-2
 ガスマスクで75ミリAA発射の写真。
 3年式MGのAA射、高射架は担送把付きであること。銃尾が下がらないようにするつっかえ棒があることなどがよくわかる。

 11年式軽機関銃の三脚架。珍。
 この演習は7月14日から16日に行なわれた。

 ガスの種類の解説。
 ホスゲンは、保存中は液体。作用時は気体。腐った林檎臭。窒息死する。
 くしゃみガスは、ヂフェニール塩化砒素。常には固体。作用時はミスト状。アダムサイトも同様。
 催涙ガスは、塩化アセトフェーン(常時固体、作用時ミスト)と、臭化ベンヂール(常時液体、作用時気体)と、塩化ピクリン(常時液体、作用時気体。駆虫薬のコクゾールと同じ)。
 糜爛ガスは、イペリット(常時液体、作用時気体、マスタード臭)と、ルイサイト(常時液体、作用時気体、ドクダミ臭。こちらは砒素中毒も起こさせる)。

 「みどり」筒甲は、催涙性の白色煙を出す。

▼『昭和八年 陸軍特別大演習 竝 地方行幸 福井市記録』S10-3、福井市役所pub.
 重砲兵の観測班がメガホンを手にしている。
 28式野砲に雨傘を立てて、そこに擬装網をかぶせている。

▼『昭和八年 陸軍特別大演習 竝 地方行幸 福井県記録』S10-3
 サイドカーは、護衛する自動車の左右どちらに供奉するからで、「サイド」が逆になる。右側で護衛するサイドカーは、オートバイの右サイドに舟がつく。左側から護衛するサイドカーは、舟が左側にある。

 ゴムボートを使った渡河。

▼『陸軍特別大演習記念写真帖』S9-3pub.
 S8-10に福井県で実施されたイベント。
 ※見たことのある写真ばかり。コロタイプで画質も劣っている。

▼『昭和八年特別大演習冩眞帖』S9-3pub.
 ※海軍の演習。

 御召艦は比叡。
 空母上の水冷複葉機。2枚ペラの縁取りよく分かる。
 陸奥の曲がった煙突を少し上から覗き込む。

 舷側副砲(?)に手動で装填する、珍写真。
 空母は全くのフラッシュデッキ。

 「空中分列」。※『日本の海軍兵備再考』のカバー絵が参考にした写真だとすぐ分かる。

▼『昭和九年 特別大演習写真帖』S10-3、大正写真工芸所(和歌山)
 於・群馬県。
 89式戦車の初登場。
 1枚中に3台写っており、ドライバー席が反対なのがよくわかる。
 マーキングは、「4」の右隣上に、おそらく小さく「戰」、その下に小さく縦書きでおそらく「十一」。
 戦車第二大隊である。

 ロート目薬の看板もいい。
 92式歩兵砲の初登場。弾薬車とともに輓曳されている。

 92式重装甲車×3台の写真は見覚えがある。こちらにはヨゴレあり。別版に違いない。
 92式歩兵砲の車輪がスポークではないタイプ。砲手の帽子がアミダ。めずらしい。
 第二戦車大隊の89式×5両の縦隊は、初見。

 4年式15榴? みたことがある写真だが、こちらはネームが邪魔していないので、別版だ。
 犬に荷車を曳かせている。
 野重の96式15H、初見。

 工兵の救命胴衣、初見。
 89戦車の単車の渡河、うしろすがた。初見。

 通信所に通信所の記号マーク、初見。
 92式10加、初見。
 擲弾筒、初見。

 戦車の第11中隊の89式×2両には、「1」の右横上に小さく「戰」、その下に小さく縦書きで「十一」とマーキング。

▼群馬県『陸軍特別大演習 竝 地方行幸 記念写真帖』S10-4、青雲堂pub.
 ※この写真帖には以前に見覚えがある。普通に出回っていたのだろう。

 「東京戦車隊ノ前進(板倉附近)」。
 89式TKの後姿。5台。
 末尾の1両は、ハル下部中央に「21」と白ペイント。
 ケピ帽付きだが、履帯は新型。

 15珊Hの写真には見覚えがある。

 またしても「東軍戦車ノ前進(海老瀬附近)」とあって、92式重装甲車×3が……。これはS9-11-11に撮影されたのだと分かる。

 89TK×1の「神流川渡河」(藤岡町附近)。

▼『昭和十年 特別大演習写真帖』S11-3
 ※陸と海が一冊という珍しい企画。
 於・鹿児島。課題が、上陸vs.対上陸 らしい。

 87双軽。
 94式軽装甲車、初登場。89TKを先導している。戦車第一大隊。

 旧式のだが、十五榴のクリアな良い写真。
 41式山砲の輓曳方法、よく分かる。
 92式歩兵砲の車輪は、丸孔付になっている。

 No.8904 の八九式戦車、しかも車体MG射撃。
 No.8937他の前を、天皇が白馬にて「御閲兵」、これは初見、珍。

 戦車の分列行進も初見。

▼『昭和十一年 特別大演習写真帖』S12-3、青雲堂pub.
 於・北海道。北海道は初であろう。10月初旬にやった。室蘭の近くか。
 なんと赤青立体写真付。

 94式対戦車砲。初登場。車輪は涙滴形の孔あき。
 横に「1独」「2独」……とペイントされた89式戦車を、貨車「チキ」車に2両づつ乗せて輸送している。 
 千歳野に、アイヌ家屋。
 サイドカーのめちゃ格好良い写真。背後にトラック。渋すぎる。
 野重兵が38騎銃を背負う姿。

 砲車〔?〕上から92MGを対空射撃するクリアな写真。
 上空から写した、豆粒大の89式戦車×複数。これは珍。

 94式軽装甲車の前進。
 天皇と89式戦車(No.8919)が、すれ違っている、最高の大カット。
 ケピ帽型砲塔。

 超めずらしい92式重装甲車の写真。マフラー金網がよく分かる。