官僚組織は反撃の両翼を延伸して政治家個人の隙を衝く

 総務省(旧郵政省)と特殊法人NHKがリストラ廃業圧力の風をはねかえそうとして、海外宣伝放送を税金を使ってやろう、なんて画策しています。
 そもそも「説明責任」の文化がない日本の役人に「対外宣伝」などはぜったいに無理ですし、高級官僚とNHKは反皇室主義者たちなのですから、これを許したら日本人の税金による日本国の破滅がいっそう加速されるだけでしょう。
 かつて外務省の駐米大使がアイリス・チャンとの公開TV対決でやった「弁護」は、なんと南京大虐殺を事実として認めることでした。
 もし役人に対外宣伝をプロデュースなどさせれば、日本の立場は逆に必ず悪くなるのは目に見えているのです。
 役人に宣伝センスはありません。そしてそれ以前に、自国の歴史を知りません。
 自分より頭の悪い国民と運命をともにする気がないのが、試験エリートの高級官僚の本質です。だから祖国を弁護する熱意もないんです。自身の弁護だけできりゃいい。
 彼らの頭の中にあるのは、いかにして愚民の税金を使って自家の権勢と終身福利を楽に安泰に確保するか、それだけでしょう。
 フランスのアンテヌ2や英国BBCは、とっくにインターネットで複数のニュースを世界中に提供しています。これを視る人は、なにもフランスや英国の文化が知りたいわけじゃない。中学生が深夜に短波ラジオにかじりついてべリカードを集めていたような、もうそんな時代じゃないですよ。
 NHKもTV第一でオンエアした首都圏版の国内報道クリップをそのまま音声だけバイリンガル化してネットキャストすれば、げんざいの予算内で完全にやりくりできます。NHKという時代錯誤の特殊法人にこれ以上、勝手な事業をさせてはいけません。
 並木書房の新刊の『日本刀真剣斬り』につきまして宮崎正弘先生のご高批をいただいたとは望外の光栄です。じつはわたくしも、昨日やっと原作シナリオを書き上げました劇画『2008年 日中開戦!!』(夏までに刊行される)の構想では、宮崎先生のメルマガおよび最新のご著作から得たイメージを活用しました。まあ多分わたくしは一生シナには観光旅行はしないでしょう(故・江藤淳も、絶対にあそこには赴かぬと人に語っておられた)。今後も、現地に詳しい方々の文章によってわたくしはシナのイメージを掴むしかありません。でも、かつてとは違って、今はリアルなリポートをしてくださる方々が多いのが助かりますよ。
 『日本刀真剣斬り』の企画人ならびにインタビュアーとしてのわたくしの大きな興味の一つは、昭和40年代末から50年代にかけての、初期の戸山流道場の実態についてでした。特に、中村泰三郎氏についてお聞きしておきたかったわけです。
 そもそも籏谷師は27歳のときに仙台から上京されて戸山流振興会に入門されたそうですが、それは中村氏の道場ではなく、小板橋道場だったという。
 この小板橋氏と戸山学校との関わりが、結局わからない。小板橋氏は戦時中は将校で剣道人だったそうです。そして戦後に自衛隊に入り、定年後に大和市で日本飛行機の寮長をしつつ、剣道を教えていらした。それしかわかりません。
 で、その時代の雰囲気なんですが、当時は少年の間にかなり「スポーツ剣道」が流行っていたんですよ。(誰か剣道マンガの出版史を書いてくれ!)
 ただし、まだ日本は高度成長期の途中段階でしたから、剣道家にだって経済的な余裕がない。「武道具屋(刀屋含む)」も、その剣道家に劣らず、暮らしがたいへんだった。
 それで、剣道家の中には、武道具屋を「食わせてやっている」という態度が出る人がいた。中村氏はそういうタイプであったようです。
 武道とは別に正業を持っていれば、武道を純粋に追求できるのかというと、そうでもないでしょうね。正業があるから逆に貪欲になるんだという場合だって、とうぜんあるはずですね。中村氏の本業は不動産業だったそうですけども。
 当時、段位を1段につき1万円で売る(5万円だせば道場生でない町の親父に対してでも5段の免状をいきなり与える)といった乱暴な剣道商売が、日本にはじっさいにあったようです。今はインターネットと自由な掲示板のおかげで、マーケットに「良い道場」と「悪い道場」の情報がよく供給されますから、利用者のニーズに合った選択が昔よりは容易でしょうね。
 今回は本に載せなかった実験もいろいろとしています。そのうち「絵」にならない実験写真は割愛しました。そこで有益な知見も得られていますので、おいおいどこかで語ろうと思います。たとえば日本刀を皮膚に接触させた状態から、片手のみで前方に「押し切り」をした場合の威力ですが、そこが皮下の動脈のあるところでない限り、とても重傷は与えられぬようだという印象をうけました。これは追試をしたいですね。
 慶長期の初期柳生流には、敵の腕の内側の動脈を両手持ちで押し切りにする形はあったと見ていいだろうと思います。そして『五輪書』にその形が出てこないのは、片手押し切りの実戦性がほとんどないためだと、いまは考えたいと思います。
 江戸城内での刃傷の目的(=敵の命を奪う)の達成例は、斬った場合は大概失敗で、刺したものが圧倒的に成功しているようです。
 としますれば、もし刺すことだけを考えたならば、脇差などを抜いて用いるよりは、匕首を密かに懐中しておいて奇襲した方が合理的ですよね。しかし、当時の武士はそれをしなかった。
 これはなぜかと考えますと、武士には、武士の道具を扱う腕前を世間に誇りたいという名誉心があった。匕首で刺したのでは、その評価がゼロだと思われたのでしょう。
 幕末の京都での下級武士同士の暗殺。これも匕首などは使われていません。やはり、足軽や浪人であっても、武士としての刀術の腕前を世間に誇りたかったのでしょう。
 昭和28年刊の塚本清著『あゝ皇軍最後の日』(陸軍大将田中静壹伝)に、大正11年頃の奥元帥の逸話が紹介されています。奥元帥は、夜は必ず小太刀を枕元においていた。そして夏の蚊帳の裾には紐をつけ、その端を手元に置いて寝た。もし賊が忍び入って蚊帳の吊り手を切り落としても、蚊帳にからめとられることなく、脱出ができる用心だったといいます。
 それと、本書には、今村均の興味深い証言もあります。1918~19にかけ、経費節約のため、東京から欧州の武官にあてる電報は、すべてロンドンへ打ち、ロンドンから転電することにしていた。そのさい、暗号を一回翻訳し、また組み立てなおしていた、というのです。
 元・野外暗号モールス通信員として断言しますが、これをやったらどんな暗号でも、傍聴国(英国)の数学者チームによって解読されてしまいますよ。時間はかかりますけどね。
 背景について解説しますと、ドイツの支配する海底電信ケーブルは英海軍によって開戦直後にワールドワイドで切断されていて、ドイツと海外とのリアルタイム通信は無線しか使えなくなっていたのです。そしておそらく英国は、外国(特に日本のような電気通信後進国)の通信情報を効率的に傍聴する目的で、自国が支配する海底電信ネットの利用価格を敢えて吊り上げずにいたのではないか。エシュロンの前駆形態はもうワシントン会議の以前から、ヤードリーの以前からあったのです。「エシュロンはおいしいぞ」と英国人に知らせたのは、じつはマヌケな日本の陸軍省であった。
 この時期の日本の武官電文や武官暗号のクセを英国は承知した。その知的資産は、昭和期の日本の暗号解読にも大いに役立てられているはずです。
 無限特乱いがいの暗号は、理論的に、いつかは必ず解読され得ます。問題は、解読資源(人と時間)は有限だということです。戦前はスーパーコンピュータがなく、数の限られた数学者チームが、たいへんな時間をかけて一通の暗号電文を解読せねばならなかった。だから、解読作業の前に、数ある傍受電報のなかから、まずどの電文を優先的に解読するかの第一段階の判断を、スーパーヴァイザーが想像力と経験によって下さねばならない。無駄な雑事務の電報やりとりなどに貴重な解読資源を浪費してしまい、もっと重大な国益にかかわる電報をスルーするようなことをしていてはしょうがないからです。
 軍事作戦電報は、それを解読した時点で、もう命令が実行されてしまっている場合が多い。解読が徒労におわることが多いものですから、しばしば外交電報よりは後回しです。
 有名なコベントリー空襲の成功も、英国が肝心の作戦命令の暗号解読をたまたま後回しとしていた結果、間に合わなかった、という可能性があるのではないでしょうか。そして表向きは「事前に知っていたがわざと対策をとらなかった」とフカしているのかもしれませんね。
 しかし外交系の電報は、時間をかけて解読する価値がある。長期的に、無駄にならないのです。