土方歳三は弁天台場からの friendly-fire に殺られた

 前に〈政府軍の艦砲で吹っ飛ばされたのだろう〉と書いたが、さらに検討の結果、訂正する。詳しくは明後日の現地ツアーで生々しく説明したい。
 「千代台陣屋」~「弁天台場」間の一本道に、春のうちから照準をつけておいた弁天台場内のクルップ砲が、一本木関門を越えて弁天台場方向へ急速移動してくる一群の部隊(土方が統率)を遠望。砲煙と混乱の中で「敵の押し出し」だと見誤り、事前照準に基づいて、一斉急射した。その一弾が一本木の道路上の土方の近傍で炸裂したのであろう。
 もともと榎本軍の見通しでは、敵(政府軍)は、「四稜郭」→「権現台場(いまの神山町)」→「五稜郭」→「千代ガ岱陣屋(いまの千代台公園)」……と順々に内陸側から攻略もしくは包囲浸透して来て、その後でおもむろに、亀田半島のつきあたりに位置する「弁天台場」に迫るものと、予期をして待ち構えていた。
 もちろん、弁天台場が囲まれる直前には、一部守備兵は後背の箱館山へ登り、そこを最期の腹切り場とするつもりだったのであろう。敵砲兵は函館山の高地から弁天台場を瞰射もしくは観測しようとするに決まっていたから、山を簡単に占領させるわけにもいかなかった。必ず味方歩兵の分遣は必要であった。
 ところが予期に反して政府軍はその後背の箱館山の裏側の断崖海岸に深夜の舟艇機動でとりついて、搦手から小銃兵数百を送り込んで、弁天台場を囲もうとしたのだ。新撰組が最終の腹切り場にしようとしていた山が、いちばん先に占領されてしまったのだ。この結果、弁天台場は予定より多くの人数を収容してゲートを閉じざるを得ず、五稜郭方面との連絡も途絶し、すべてが混乱した。つまり、弁天台場が囲まれているのであるから、もう千代が岡陣屋も陥落もしくは無力化されつつあると錯覚した。その脇を通過してやってくる兵隊たちだから、あれもぜんぶ敵軍だろう――と。
 味方砲兵が味方歩兵を殺してしまう「友軍相撃」は、今もよくあるし、昔もよくあったことである。
 司馬遼太郎は『燃えよ剣』で土方を、70年安保の学生たちのヒーローに作り上げた。しかし史実の土方は、他人に厳しく、自分に優しい、ダブルスタンダードな武人である。さもなきゃ、あの宮古湾海戦から怪我もせずに還って来られたわけがなかろう。土方は、幕末の新撰組の副長だった自分とは訣別し、早々と、接近戦(斬り込み戦)は絶対にやらない主義に転じていたから、明治2年までも生きていたのだ。最後に函館で不慮の戦死を遂げたので、そこまでの幾多の「ダブスタ」はすべて解消され、土方は美しい武士だったという話を仕立てることも可能になった。が、もし砲弾が命中しなければ、土方は生きて捕虜になった可能性がある(周囲が降伏しても、彼だけは凾館山の中腹で切腹したろうという想像も、むろん可能である。そのために五稜郭を出た、と……)。
 その司馬氏が、土方と同じく、その死によって「ダブスタ」を解消している乃木希典を、「明治百年」ムードへの反発から、土方とは逆様に、叩くことにした(『殉死』と『坂の上の雲』)。司馬はその後、いろいろ資料を読み進むにつれ、〈乃木無能論〉は公平ではなくて、旅順の悪戦の根源は、薩閥の巨頭・山本権兵衛にあったことを、きっと覚れただろう。
 しかし作家というやつは、いちど発表した作品を、世間から取り戻して創作しなおすことは、もうできないという、自縄に自縛されることがある。「土方は美しい武士だった」「乃木は無能だった」と、いちど読者に信じさせたなら、あとからその逆のストーリーを書くことは、大衆作家には許されないのだ。つまり、内なるダブスタを抑圧して暮らすという生前の乃木の懊悩は、じつは生前の司馬の煩悶でもあった。
 明後日のツアーで函館山要塞をご案内するけれども(ウインドブレーカーなど軽度の防寒装備をお忘れなく! 通常、風は強いです)、この要塞は明治35年10月に竣工した。
 そして、明治37年の日露開戦時点で半成していた旅順のロシア要塞と、ほぼ同じ技術で築造されていた。違いは、凾館山要塞は天井のコンクリート・アーチの厚さが1mで、それに覆土をしていたのだが、旅順要塞は、コンクリートの厚さが1.5mで、覆土をしていなかったことぐらいである。帝国陸軍は、1mのコンクリート・アーチであっても、要塞は艦砲にすら耐えてくれるものであることを、とうぜん知っていた。旅順要塞を普通の大砲では破壊できないことも、砲兵と工兵には驚くべきことではなかった。
 司馬遼太郎は、『坂の上の雲』が戦史通から批判されたので、じぶんは小説を書いたのであって歴史を書いたのではない、などと言い返さねばならなくなった。そして、乃木を叩く自分のスタンスを、終生、撤回できなくなった。
 1970年の大学生の誰も、テレビドラマ化された『燃えよ剣』に出てくる土方がリアルだなどとは思っていなかったろう。しかし、小説『坂の上の雲』は違う。
 実名の登場人物が、史実と同じ日時、同じ場所で、ありえないような思考と言動を示した。それを読者がすっかり信用するように仕向けておいて、自分は史論を展開したわけではなく、すべてはフィクションであり創作なのだよと強弁するとしたら、内心はずいぶん苦しかろう。
 吉川英治の『宮本武蔵』も、戦前の日本の読者に至大のインパクトを与えたものだが、吉川は、〈自分は歴史家ではない〉などといったダブルスタンダードな釈明を行なわなければならぬような「無謬の説教者」の立場に、みずからを祭り上げかねぬ文章は、書かなかったのである。なまじいに学歴のある司馬は、学歴のない吉川が維持していたそんな大衆作家としての自省を外して、みずからにダブルスタンダードを許そうとしたのだ。
 史実の乃木は、軍旗事件の生き恥を自分に許していなかったことを自裁によって世間に証明し、生前にさんざん周囲に説教を垂れた者として、自分の中のダブルスタンダードの苦しみを解消した。
 若者が自堕落な私生活を反省したなら、後半生のストイシズムで帳消しにもされ得ようけれども、28歳の国軍聯隊長心得としての軍旗喪失の汚辱は、割腹によってしか雪げなかったのである。
 ところが、いちど自分をリアル以上に飾ってしまった人気小説家は、乃木のようにはダブスタを解消してみせることができない運命に陥るから、芥川いらい、多くが、乃木のカタルシスを強く嫉妬し、バッシングしたのだと思う。
 福地源一郎は、死ねなかった旧幕臣である。その恥、その不徳を、いささかわきまえていたから、新聞紙上で明治新政府の批判を展開しつつも、私生活では大々的に性質の悪い道楽に没頭してみせた。完全な高所から他を批判するダブスタ野郎には、なりたくなかったのだろう。
 ついでに余談。星亨の死後12年目に伊藤痴遊が書いた『巨人 星享』には、星がバリスターの資格をとったときの英国の密淫売の話が出てくる。公娼は認められていなかったかわりに、「暗い所で汚ないことの行はれるのは、さう咎めない、明るい所で汚ないことをするのは悪いといふのが、西洋の道徳論の根本義である」「銘酒屋又は珈琲店の多くは、即ち其の魔窟である」とある。この本は以前にも紹介したと思うが、ダメ押しで再度言及する次第。
 さて、新風の一部の支持者が、東條英機の遺族の中でも遊星的な存在であるU女史を次の参院選に新風の公認で出したかったらしいと聞いた。じつにきわどい。そんな話がもし実現していたら、わたしは即座に新風への応援を撤回したところだ。
 松井石根が伊豆山に建設した観音堂を、戦後も維持して行こうという旧軍将校の活動がある。その中心の一人は、A級容疑をかけられた徳富蘇峰のお孫さんである。わたしはその方から直接にうかがったことがある。東條氏の遺族の某女史がそのあつまりの場に乗り込んできて、支那事変とも東京裁判とも何の関係もない彼女の商売のPRをしたという。この旧軍将校グループと某女史の関係が、こじれにこじれたことすら知らないのが、「バカ右翼」たちの真骨頂らしきところだろう。「東條」という記号をかつぐことが今どきは善行だと見積もっているらしい時点で、もう10年前の小林よしのりレベルの浅薄さではないのか。いくらネットの上でも、それでリアルな政治に関与しようとは……。うんざりさせられる。魚谷氏ら新風幹部が、適切な判断を下せたらしいことだけが、救いであり朗報である。
 『朝雲』新聞の07-5-10号に、〈久間防衛相の訪米が傍目にもつらかった〉と評してあった。何が事態をつらくさせているのかよー分からん、というのが、一般紙を購読しておらない兵頭の抱く感想である。
 だから例によって勝手に想像する。マスコミがロクに報じない「板ばさみ」が複数、あるのだろう。
 まず米側は安倍内閣に、自衛隊のアフガン出兵などをガンガン要求してきているのだろう。そのチャンネルとして久間氏が役に立っていない、という不満が、米政権や米軍に、あるのかもしれない。しかし、そんなふうにいつも要求されっ放しでは不愉快だから、久間氏はカウンターのジャブとして、自衛隊のイラク派遣は軽忽だった、あれを要求する前に米側はもっと情報を開示すべきだった、アフガンに関してはもっと情報を要求する、さもなきゃお断りだ、と、かましているのかもしれない。
 また、これはほぼ当たっているだろうと考えるが、米側が対支の大戦略の相談で久間氏(=防衛省)を日本の窓口としようとしていることに、日本の外務省は大反発して、まったく久間氏をサポートする気がなく、むしろあらゆるチャンスを捉えて久間氏の足を引っ張ろうとしているのだろう。
 出すぎた発言が多い現駐日米国大使は、ほんらいならペルソナノングラタとしてとっくにお引き取りを願うべきところ、久間氏の叩き役に回っているらしい。これも外務省、特にチャイナスクールには痛快なのだろう。
 そしてさらに大胆に想像すると、久間氏は三菱の代弁人としてF-22のライセンスを取ってきたいところなのだが、それに対して非三菱系の兵器商社が外務省と組んでF-35の「輸入」を働きかけているのかも知れん。特にチャイナスクールとしては、日本がF-22を取得できないことが、北京に対するお土産になるはずだ。
 他方では、日本のお子ちゃまバカ右翼が、とにかくF-22が最高、それで万事勝利、みたいな発想しかできないらしいのにも、うんざりだ。F-22を外交の取り引き材料だと思ってはいけない。F-22には、将来永久の価値はない。