ばたあん死の後進

 N先生がえらい本を出した。ISBN 978-4-87031-851-9『妻と僕』。奥付が2008年7月26日になっているが、拙宅には7-18に届いたから、そろそろ書店には出ているのかもしれない。飛鳥新社の小山さま、なにはともあれご恵送どうもありがとう存じます。
 本書210~211頁の引用主旨から忖度するに、たぶんN先生は読者の感想が、タイムリミット以前に到来することを望んでいるだろう。
 よってぶしつけにUPロードする。
 わたしは、たまさかにすぎぬけれども、死んだ親父やE先生その他の夢を見る。『おや? おかしい、この人はもう死んでいるはずだが……』と、夢の中で考えたことは、ごく初期の1回しかない。あとは、何の不思議感も持たない。おそらく彼らはわたしが死ぬまでは生きているのだ。
 もちろん、ただの一回も夢にも出てきた覚えがない、「泉下の見知り人」は人数にして数十倍もいるであろう。その人たちは、もう、わたしの脳にとって、本当に「故人」なのだ。E先生の奥様も含め、ずいぶん恩人も含まれているので申し訳ないという気がするのだが、そういうものだから、しょうがないのだ。
 わたしはN先生について悪い記憶は一つもない上、かつてN先生が夢の中に登場したことがかすかにある。よっておそらくわたしの寿命の限り、N先生はライブな存在であり続けるのじゃないかと予期する。
 本書は、書きにくいことを果敢に書くN先生について、わたしのような凡下が理解しそこなっていたことを、いくつかクリアーに分からせてくれた。〈男が隠喩の生き物であり、女は換喩の生き物である〉というN先生の大創見は、ひょっとして前にもわたしはどこかで読んだことがあったのかもしれないのだが、今回、初めて「なるほど」と胸に落ちた。要するにわたしはN先生の良い読者ではこれっぽっちもなかったと確認した。
 しかし生意気を言うと、本書はN先生の Code のすべてを Break してはいない。「セルフ・ガサ入れ」は、どんな著述業者にも不可能な技だ。
 夫婦間ですら知行合一を実践していた、ただただ驚嘆するばかりのN先生は、それと同時に、PCやネットなるものとは概ね無縁に、その人生を終えることのできる、たぶん最後の数人の超幸運な日本人に属するのに違いない。
 さて、しからばなぜN先生は、隔月刊のマイナー・オピニオン誌などという、入稿から書店陳列までの間にも半月とか1ヶ月とかがかかってしまうその上に搭載テキスト総量にも厳しい限界の課せられたメディア(だけ)ではなくて、インターネットのHPもしくはブログ上で「知行合一の生き方に認識発達論を持ち込」(p.234)むことが、できなかったのか? ――という疑問を、きっと若い人は持つだろう。
 それがどうして特定の人にとっては仕方のないことなのかを説くために、わたしは『発言者』の頃から「脳の一回性」と言ってきたのだ。
 わたしも、PCが、〈アナログテレビやファクシミリのような「家電」でないこと〉、つまりOSもアプリケーションソフトもハードもシステムもスタンダード・スペックもどんどん変わり続けて、将来もその進化に際限がないと予測ができるがゆえに、それに必死でついていくしかない使用者として永遠にやすらぐ暇の無いことに、心底、嫌悪と疲労を覚える中年だ。1994年以前の「PC-98」シリーズで、「MS-DOS」のVer.3.1くらいで、ピタッと進化が止まって欲しかったと今でも思う。
 だが若者はそんなことを苦にしない。一回性の脳の記憶に、まだ、過去の楽園イメージが設定されてはいないからだ。しかしその若者もいつか中年となり、いまのわたしと同じような愚痴をかこつ。
 《 天国(or楽園)は、ただ追憶(or記憶)の中にだけある 》と言った人が、かつてどこかの国にいたはずだ――と思い、今回ネットで検索してみたのだけれども、探し方が足りないのか、根気がなくなりつつあるのか、どっちにしても同じことだが、みつからなかった。
 ミュッセ(Alfred Louis Charles de Musset)は、1836年の『世紀児の告白』の中で、「我々のさいごのよろこびと慰めは、苦しんだ過去の記憶(追憶)に他ならぬ」と書いているそうだ。これはゲーテ(1749~1832)の「苦しみが残したものを味わえ。苦難も過ぎた後では甘い」にインスパイアされての格言なのか? だとしたら、これらは「脳の一回性」に関してわたしが捜索しているそのものズバリな格言とは違う。
 〈かつて幸せであった場所に、二度と戻ろうとしてはいけない〉(たいていガッカリするだけだから)……と言った人がどこかにいなかっただろうか? その人は「脳の一回性」が解っているかもしれない。
 サミュエル・ハンチントンが1993~96にたどりついている結論(=経済の同一性からではなく、宗教の違いによってこの世界を把握しないと、諸国民は痛い目に遭う)に、これから日本人は十数年遅れでたどりつくことになるだろうと、わたしは期している。
 N先生が「保守」や「右翼」という熟語のイメージを2003年より前においてすっかり柔軟にしてくれなかったなら、この「十数年」はもっと長引くことになったか、あるいは、ついに日本そのものが失われたか、どっちかだったであろう。
 敗戦直後に「反米」になったすべてのご老人たちの「記憶の中の天国」萬歳!