バンカラ・バンカーのブンカといふもの

 徳富蘇峰は明治18~20年に『新日本之青年』を書き、〈西洋人は青年からしてもう日本人にはありえない自活・自営の精神がある。しかし彼らの人生は決してカネ儲けだけで終始しているのじゃない。その脳内、たとえば宗教的・人道的な精神生活も、俺たちは学ばなきゃだめなんだよ〉、と強調していました。〔※国会図書館のOPAC検索のついでにその全文をPDF式に読むことができます。便利になったもんですね。古本で買えば9000円もするそうです。〕
 ところがさすがの博識の蘇峰大先生もツイ軽視してしまったと思われることがあります。それは、彼ら西洋青年の独立活計は、全面的に熱血青年流のスタイルで保たれているわけではない、という、当たり前の一面です。
 ちゃんと上司や商売相手のお髭のチリを払う作法というものが磨かれ、近代社会人として鍛錬されているのです。単独のビジネスでできることなど高が知れています。大きく稼ぐためには、たくさんの人を動かさなくてはならない。あるいは人に動いてもらわなくてはならない。そのために必要な、青年の熱血をとっくに通過した、温血的な大人の任侠道が出来ていました。
 このたびのノーベル賞授賞四連発は、ヨーロッパの金融財務指導部が、日本人の髭のチリを払った所作と考えて良いのではないでしょうか。
 これから「円」の支援が必要なので、ひとつヨロシク――と、彼ららしいクールな仁義を切っているのでしょう。
 また、〈どうです、これからはアメリカ抜き、『欧・日』で世界を仕切りませんか〉とも水を向けている。
 味なマネですよ。
 これを韓国指導部と比べてみると面白い。前回のIMF危機のとき、彼らは日本政府に大金を醵出させておいた上で何をしたか。思い出すのも馬鹿々々しいですね。大人の仁義が皆無なわけです。
 円も秋空並に高まりそうだし、江藤淳先生に今の有様を見せてやりたいです。