老子むいむい草

 げんざい並木書房さんに原稿を渡してある『予言 日支宗教戦争』。じつはそのうちの1章を「老子」詮議に充てております。題して「老子の兵法」。これだけでも類書が無いものです。じゅうぶんに味わっていただけるでしょう。発売予定は来年でしょう。
 田母神論文のおかげで日本の核武装はまったくありえなくなってしまったので、皆さん、一から西洋宗教を勉強しましょう。
 昨日とどいた『朝雲新聞』(#2844号、2008-12-18日付)に、同紙編集局がまとめたという今年の15大ニュースが載っていたのだが……。なんと、“高知沖の国籍不明潜水艦失探事件(2008-9-14)”が無い。つまり虚報確定だ。
 あれは、読売新聞が未確認情報を暴走させたのか、それとも海幕広報or内局広報が読売新聞に対して大負債を負ったのか、どっちなのだろう。
 いずれにせよこれでハッキリしたこと。海自は、米軍情報から切り離されると、まるで木偶の坊である。海自はシナ潜水艦をその軍港沖から自前で監視できていない。海自はまた、日本沿岸のSOSUS情報を日本のために使いこなせてもいない。それを活かしているのは米海軍だけ。こんなことが、またも駄目押し的に確認された。
 ほんらいなら海自の潜水艦の定数を増すべきなのだろうが(SOSUSを日本単独で持ってみても、シナの“漁船”に切断されて抗議もできず泣き寝入りするだけというオチが見えている)、造船所が神戸に2箇所しかないためそれが到底不可能であるならば、無人潜航艇によってシナ沿岸を貼り付け監視させるしかない。これなら「大綱」の変更も必要ない。駆逐艦/掃海艇に付属する装備(可変深度ソナーや旧DASH、またはロボット機雷処分具のようなもの)が一つ増えるだけだ。
 有人装備の無人化は、確実に、来年以降の「技術戦争最前線」だ。
 しかし、アンドロイドが出てくるSFや、人間の形を相似的に大きくしただけのロボットが出てくる日本のチャチなアニメに慣れてしまった者には、逆にこの展開の予想は立てられまい。無人兵器はヒトにはすこしも似ていないのだ。ヒト型地雷を別にして。
 有人兵器の無人兵器化は、既製の兵器メーカー以外のメーカーの参入を可能にする。そこには投資が何倍にも化ける可能性がある。米国の強欲投資家は、もうここに目をつけているはずだ。つまり日本の非兵器メーカーにロボット兵器を完成させて、日本政府に購入原資を醵出させるとともに米軍に売り込んだらどのくらい儲かるだろうか、と。
 もちろん先行する米国では無人艦上爆撃機から虫型殺人兵器まで開発依託契約がなされているけれども、おそらく米国ではそれが特段の「有効需要」を期待させない。というのは既製の巨大に育っている兵器&人員システム(すなわち国防費の流転)をドラスティックに節減することにしかつながらないからだ。しかし日本では、もともと何もない分野をこれから大きく育てようという投資になるから、零細土建会社への給金垂れ流しとはさかさまの、公共投資の偉大な乗数効果を生んでくれるかもしれないのだ。
 『表現者』2009-1月号の座談会記事は、他媒体に類例が無い、目の醒めるような内容だ(これには西部邁氏は加わっていない)。内需市場など皆無のシナは、米国市場の壊滅後は日本の内需に目をつけ、シナ製品をどんどん買ってくれと要求するしか道がない、よって油断するな!――との警報は適宜なものだ。
 ところで経済専門家の言い草には一大特徴がある。「オレはあのとき、こう警告した。それは今、当たった」というのだ。ではそのすばらしい警告はどうして当初において世間に聞かれず、他のすべての経済専門家によって「そうだ、その通りだ! オレは○○氏の指摘したことに大賛成だ」という即時の同意表明と持続的な警鐘乱打がなされて来なかったのか? 住専以降、たとえば別宮暖朗氏は〈銀行というのは地域密着で小振りだからこそ、その機能を万全に発揮してくれるので、銀行をやみくもに統合させて大きくさせてしまうのは日本政府として甚だ間違った経済政策だ。むしろ、いまの都銀支店をすべて本店として分社独立させるような金融政策を打ち出すべきなのだ〉とインターネット上で言い続けていた。これは今、中小企業に対する貸し剥がしという現実によって部分的に的中した断定だと思うが、兵頭の記憶する限りでは、『発言者』の記事で別宮氏と同じような説明もしくは提案をしていたのは読んだ覚えがない。つまり「オレは言い当てた」と今、自慢している経済専門家も、その一方で、多くの予言を外したか、結果的に適切な説明への賛成を表明し損なっているのだ。
 『文藝春秋』1月号で、日本の食料自給率が悪いとするのは農水省の統計操作だと指摘している浅川芳裕氏も、いままで比較的マイナーな専門媒体で活躍して来た人なのだろう。この人がもし早くからインターネットで同じことを書いてきたらどうだっただろうかと思う。
 メジャーな経済論筆家ほど、格付け会社と同様な腐敗同化圧力を意識するしかないのだとしたら、その理由は、おそらく、どんな悪徳な新規スキームであれ、そこには常に、先に儲けて先に逃げ切る「勝者」があり、その勝ちっぷりは圧倒的だからだろう。Everybody loves the winner だからだろう。
 戦前のアメリカ合衆国で展開された新進政治家たち(=キャリアの初めが法曹家。その何人かが後に大統領になっている)による「アンチ・トラスト」活動は、身体を張った偉大なものだった。目下進行中の公正でない社会現象を適宜に判定する、その自浄力の根元は、彼らの宗教以外にあるだろうか。というわけで宗教について、いまさらに追究をしたいわけである。
 「読書余論」のアイテムにも宗教関係の古書を増やしていこうと思っております。
 来年1月には季刊『日本主義』(白陽社)も出るだろう。函館戦争に関する座談会等が載るだろうと思います。ほどほどに、ご期待ください。
 それに関連して、ご紹介し忘れたことあり。
 「土方・啄木浪漫館」にしばらく行っていなかったのだが、季刊『日本主義』の担当記者氏を観光案内したついでに立ち寄ってみたら、「暗器博物館」と化していた(爆)。
 昔、拝見した、(土蔵の町)川越の鉾付き鎖鎌展示博物館(正確な名前を忘失)いらいのインパクトがありやす。
 たとえば……。
 永倉新八の仕込み杖。
 矢筒=金属筒の中の弦巻バネの反発力で手裏剣を飛ばすもの。手裏剣は木柄に先端の尖った金属をつけている。シナでは「袖箭」と呼ぶという。
 鉄扇の握りがサスガになっているもの。分離して短刀になる。
 キセルや笛が、2分割すると刃物になるもの。
 仕込み手燭なんてものもあり。これは鎗状。
 矢立にも同様趣向あり。
 煙草入れの取っ手が仕込みの短刀になってるもの……等。
 よくも集めたもんです。館員の中に面白い趣味の人がいるとしか思えません。今後の拡充に期待します。