「読書余論」 2010年7月25日配信号 の 内容予告

▼渡辺銕蔵『反戦反共四十年』S31-5、自由アジア社pub.
 若い人が、国会図書館で軍事系のタイトルを捜索すれば、「渡辺経済研究所」とは一体何者だ、と一度は不思議に思うであろう。その謎が氷解します。
 本書の「戦前篇」は、終戦直後の『自滅の戦ひ』を収録したもので、そっちは中公文庫になっている。だから白眉は後半の戦後篇にあるが、前半も読んだことのない日本人が大半だろう。「お腹一杯」になることは請合います。
 以下、摘録のそのまた要約。
 ハンガリーは遅れた国だが、畜群や機械や処女地には不足していない。比べて、日本の都市では毎年30万人が出生。田舎では、50万人。ために強度の土地不足感あり、シベリアやオーストラリアを占領したくなるのだ。世界のどんな製造業も、50年の間に4000万の人口増は養えない。
 農民が多すぎ、かつ農民の租税負担が過重。商人や工業家の2倍率だ。
 日本の陸軍兵士の3/4は農民からなり、大将にいたるまで、反資本主義。
 シナ軍の武器弾薬は大部分ドイツより提供されたことを調べたのが、渡辺経済研究所の『中国への武器弾薬供給國』。
 オットは中野正剛と1937秋に関係をつけ、1938夏に中野の手下の村田タダヲをドイツ大使館で雇った。つまり中野の東方会は、ナチス党の日本支部と化した。
 皇紀2600年に日本にナチス帝国が建設されたのだ。
 ドイツは日本よりも早く、デンマーク、ノルウェー、オランダ、ベルギー、フランス国内で、こうした工作をしてきた。そうした国から日本にやってきた外国人には、ドイツの目論見が手に取るようにわかるのだ。
 近衛が全体主義政権をつくらないなら、ドイツは日本の対蘭印政策に協力しないとオットーは伝えた。
 スターマーは400万円をばらまいて、三国同盟締結の閣議を実現させた。
 ドイツがキエフを占領すると、東條陸相の鼻息は荒くなった。
 1930~1935のあいだに、世界の貿易総額は1/3に激減。米仏独は1/3だし、英国は1/2になった。しかるに日本のみはこの期間に貿易総額が2倍弱に伸びた。ブロック経済の開始といわれたオタワ会議の年から年々累増した。日本からインドへの輸出は、S6には1億円、S12には3億円。ニュージーランドに対しては12倍。英帝国総体では、日本からの輸入が3倍も増えたのだ。
 S7~S12は日本が経済的な大躍進を謳歌できた、輝かしい日本の時代だった。それは英帝国が日本から品物を輸入してくれていたおかげなのだ。その事実をナチスの手先の反英宣伝が、大衆の目から隠した。
 1940-5以来の英空軍の対独爆撃はまったく報道されず。ハンブルグの損害がちょっと報道された程度。
 日本はシナ大陸に2~3万の自動車を動かしている。ドイツ軍は数十万台。
 橋田邦彦が敗戦で自殺したのは、マイン・カムプの宣伝文書『臣民の道』を配布した責任。
 GHQ=極東委員会のS21-12の方針。労働争議と団体交渉は無制限に合法化。官公吏の労働組合の結成はもちろん、全国の教員に労組をつくらせろと高橋誠一郎文相を通じて各府県知事に通牒。
 教員組合の赤化資金は、砧撮影所から出ていた。これが東宝争議の背景。
 ゼネストは英国では戦前とっくに違法化されていた。社会を困扼させて政府を強制する企図を有するものは違法。それを開始することも、それに金銭を支出して援助することも違法(p.312)。
 砧の撮影所の従業員1100人中、650人が共産党であった。300人は正式党員。他は秘密党員と青年共産党員。プロデューサーや監督の中にも有力な党員がいた。カメラ部、照明部は大部分が党員。若い俳優は、党員にならないと役がつかないといって加入。
 アカの宣伝臭い映画に他社の3倍の費用をかけてオール共産党スタッフで映画をつくっていた。費用の多くは豪勢な食事に消えていた。
 東宝赤化の元祖、大村英之助プロダクションでS23春に、『大森林の女』という映画を北見でつくりたいという。調べてみると、ソ連軍が上陸したとき迎え入れる地盤をあらかじめつくるために地元の組合にカネをばらまくのが目的と分かった。
 占領軍司令部の映画主任のコンデイというのが東宝の共産党を養成し、みずから撮影所に乗り込んで、ストライキを煽動指導した。徳田球一が世田谷区を選挙区に選んだのは、砧の資金と運動員をあてにするため。つまり、当時、この東宝砧撮影所こそは、実質上の共産党本部であったのである(p.322)。
 憤慨して、大河内伝次郎らが分裂して反共の新会社として立ち上げたのが「新東宝」。
 12時5分前にブルドーザーが正門に前進すると、労組は所内から退却した。
 「最後まで頑張つたのは結局朝鮮人連盟であつたとのことである」(p.332)。
 翌年、文藝春秋が東宝争議の記事を書いてくれというので書いたら、原稿を返してきた。「彼等は反共の原稿を載せるのが怖いか損だと思つてをるのであらう」。
 米国では労組としての教員組合はシカゴにただ1つ。35000人の会員があり、CIOに属していた。定款の第一条に、労組幹部のいかなる要求があっても、ストライキには参加せぬ、と。
 つまり米本国でもゆるされない教員労組を、GHQは高橋文相に押し付けた。
 反逆者に憲法上の保障を与えたり、公民権を与えることは、他の善良なる国民の権利を損害する。
 自衛隊の陸上兵力は15個師団、26万人が必要であるとの結論を最初にまとめ、吉田総理宛てに提出したのは、渡辺が創った「防衛研究委員会」。これが保安庁の参考にされる。
 日本における新憲法改正に関する意見公表も、渡辺のつくった「憲法改正研究委員会」が嚆矢。
 マック憲法第9条2項は、「ポツダム宣言の受諾證」または「無条件降伏の詫証文」。「九条二項は『戦争放棄』といふよりはむしろ『独立放棄』の規定である」(p.363)。
 日本が既に独立し、かつこれを堅持しようとする以上は、9条2項の削除または改正とともに「前文も解消せねばならぬ」(p.364)。
 日共と社会党が9条を死守せんとすることは、日本をソ連の支配化に導こうと企ててをるもののように察せられる。
 渡辺はS25-4まで、政府の公職資格審査委員、すなわち追放解除の委員。そこで驚いた。戦中にトンデモ言説で日本の対米戦争を煽りまくっていた「学匪」たちが、敗戦後に公職追放されていないのだ。
 追放リストは、占領司令部の情報顧問に共産党の伊藤律が居り、また、政治部に二世の共産党員・塚原太郎というのが居て、かれらによって作成されていた(p.393)。
 よってマルキストは全員、免れたという次第。こやつらは、戦中のトンデモ言論活動の時点でじつは筋金入りマルキストだったのだ。日本を破滅させるための煽動を担任していたのだ。
▼生田花世『銃後純情』S15-11
▼吉植庄亮『稲に祈る』S19-4
 わざわざ政府が玄米で配給したコメを、庶民は嫌って、例の一升瓶で搗いて精白し、栄養をなくする作業をしていた。
▼辻新次『文部省廃止スルヘカラサルノ意見』M36-8
 じつは英米には文部省が無かった。
▼土方成美『戦時の財政と経済』S14-2
▼大日本文明協会ed.『戦時及戦後の経済』大5-7
▼塩沢昌貞『戦争と経済関係』大8-10
▼小南又一郎『法医学と犯罪研究』大14-6
▼戸伏兵太『日本武芸達人伝』S30-11repr.
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 「読書余論」は、主に軍事系の古本を、兵頭が注目した一斑の摘記や読書メモによって紹介し、他では読めないコメントも附しているものです。(配信されるファイルはPDFスタイルです。)
 あまりに多すぎる過去の情報量の中から「兵頭はここは珍しいと思いました」というポイントだけ要約しました。
 大きな図書館に毎日通えない人も、最低費用で、過去の軍事知識のマニアックな勘所に触れることが可能です。
 また、ミリタリーしか読んで来なかった人には、他分野の情報が、何ほどか有益かもしれません。
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